……薄暗い店内。
砂漠の暑さのせいだ。ぼろいクーラーは駆動音が耳に聞こえるぐらいガンガンに動いてるってのに、店内は一向に涼しくなる気配が無い。
馬鹿みたいに生温くて、ヤニ臭い空気。
……見れば、店の端でタバコを吹かしてるヤツが居る。当然、換気扇なんて効いちゃ居ない。……砂漠なだけあって湿度がそれ程でも無いのがせめてもの救いだが、どう控えめに言っても上等とは言えない店構え。
……まぁ、結局。前線のベースに備え付けの酒場なんてものに、雰囲気を期待する方が酷というものなのだろう。
そう思えばJDは肩を竦め、待ち合わせの相手を探すべくざっと店内を見回した。
……この新たな客の正体に気がついたのだろう。店内のあちこちから、敵意、とまでは言わないものの、決して居心地の良いものでは無い視線が突き刺さる。
初日の挨拶が挨拶だったのだ、当然と言えば当然だろう。……敢えてその空気を言葉にするなら、こうだ。「お上品なエースパイロット様がこんな所に何の御用ですか?」解り易く言うなら「何しにきやがった」
パイロットの一人を馬鹿にされただけだというのに、いささか大袈裟過ぎる気もしないでもないが。……思ったより、仲間意識の強い部隊なのだろう。それともあの03のパイロットが特に好かれているのか。
まぁいい。……どのみち、JDには最初から仲良しゴッコをするつもりは無い。エースパイロットは嫌われてこそ、だ。
と。
「よぅ、トップガン。暇そうだな?」
不意に、横合いからそんな声が飛んできた。
何処か揶揄するような響きを持った声。……見れば、店の隅。カウンターの端の席に、長身の男が一人陣取っていた。
ハーディ・ロックバーン。……初日のミーティングで、01のパイロットだと紹介された男だ。……長髪にイヤーカフスという、およそ軍隊らしく無い格好が目に留まったのを覚えている。
「さて、そう見えるか? ……そっちこそ暇そうじゃないか、色男」
「見えるかも何も、こんなところに居るんだからそれ以外ねぇだろ。それとも何か? 赴任一日目でいきなり女でも引っ掛けようってか?」
「ソイツは自分のことを言っているのか? ……おっと、一人で飲んでいるところを見ると、赴任からどれだけ経っているのか知らないがまだ戦果は無しってことか。これは失礼した」
……絡んできた相手に、愛想良く対応してやる謂れは無い、ということだろうか。
売り言葉に買い言葉のように返された言葉に――ざわと、周囲の空気がざわめく。
「……へぇ。言ってくれるじゃねぇか」
すっ、と。ハーディが席を立った。……荒事の気配。敏感に、それを察知したのだろうか。JDに不躾な視線を送っていた何人かが席を立ち、そそくさと席を立つ。
……しかし、当のJDはと言えば。逃げるでなく、殴りかかるでなく。……――ただ、不敵に笑うばかりで、微動だにせず。
そのJDへと、一歩、二歩。……ハーディ・ロックバーンは距離を詰め。
「ったく。……変わんねぇなぁ、
ジェシー・JD・ドライブス」
たん、とその肩を叩いた。
「お前もな。……ハーディ・ロックバーン」
「まぁ、とりあえず座れよ。……何年ぶりだ?」
勧められるまま、カウンターの席に腰を落ちつけながら。……JDは、ハーディの問いに首を傾げる。
「……最後に会ったのは……ジャブローだったか? ……もう7年になるな。あぁ、マスター。ウィスキーを頼む。……ジャックダニエルだ。出来るか?」
寡黙な老人のマスターは注文に無言で一度頷くとカウンターの奥へと引っ込み。……程無くして、薄く茶色づいた瓶に収められた、琥珀色のウィスキーを持ってくる。
「ボトルごとか。……気が利いてるな」
目の前に差し出されたボトルとグラスを目に、JDはこの酒場の評価をほんの少しだけ修正。嬉しげに一つ微笑むと、グラスを手にウィスキーを注ぎ込む。
横合いからソレを見ていたハーディの顔に、呆れたような色が浮かんだ。
「なんだ。……まだソレ飲んでんのか? ジャックダニエル。あの頃からずっとじゃねぇか」
「当たり前だ。美味い酒はどれだけ時間が経とうが美味い、だろ? 移り気なお前にはわからんかもしれんがね」
言葉通り、JDはさも美味そうに琥珀色の液体を喉へと滑らせ、目を細める。……至福の一時。コロニーの合成モノではとうてい及ばぬ味わいの深さ。やはり、酒は地球産のものに限る。
ちらりと横を見れば、ハーディがグラスを傾けるのは透明な東洋の酒だった。……確か、ショウチュウ、だったか。流石に銘柄までは解らないが、辺境なりの矜持か、店構えとは裏腹に酒の種類は随分と豊富らしい。
……出会い頭の遣り取りが済んでから、少しだけ沈黙する。
久々に会った友人との話題を探すように、しばし二人はグラスを傾け。……行き着いた先は、結局昔話だった。
先に口を開いたのは、JD。
「……軍を辞めたんだってな。そう聞いてたんだが」
「あぁ、辞めてたさ。……何の因果か、結局、こんなとこに戻って来ちまったがな」
何に対してか、皮肉るような口調で肩を竦めるハーディ。……同時に、一瞬だけ視線が遠くへ向けられる。
が。直にその視線を元に戻せば、今度はハーディがJDへと言葉を返す。
「そっちこそ。エリートコースまっしぐらだったって話じゃねぇか。聞いたぜ? トップガンに選ばれてから地上で一つ、宇宙で二つ回ったってのに被弾無し。……ノゥスクラッチのJDと言や、ちょっとしたもんだ」
ノゥスクラッチ。……被弾無し、故に傷痕無し。その伝説が産んだ呼称だ。
しかし。
「……そんな大したもんじゃない。それと、俺が成ったのはトップガンじゃなくてZDriver。……ついでに言えば、宇宙で回った戦場は……三つだ」
JDの顔に浮かぶのは、苦い笑み。
……互いに、互いの反応が読み取れぬ程では無い。相手の言葉に、何か事情があるのだろう、と察しはしたのだろう。
しかし。……JDもハーディも、それを相手に問うことはしなかった。
話したければ話すだろうし、そうでなければ口を噤むだろう。……話しはしないけれど、実は誰かに聞いて貰いたがっている、なんていう甘えはこの二人には存在しない。……そんな甘えを持つことを許された時期は、とうに過ぎ去っていた。
……かつて士官学校で同じ時間を過ごした新米パイロットも、今となっては一人前の兵士なのだから。
だから。……JDも、ハーディもそれ以上は触れず。……しばしの間、昔話に花を咲かせる。
「なぁ。……覚えてるか? 初陣の時のこと」
「また古臭い言い方だな。……覚えているさ。偶々同じ戦場で……アレは、東南アジアだったか?」
「あぁ。俺が陸ジムで、お前がライトアーマー。……あの後、お前はすぐに宇宙に上がっちまったんだっけか」
「そうだったな……。……宇宙じゃ、しばらくはセイバーフィッシュと乗り分けたよ。あの頃はまだ可変MSなんてものは無かったからな」
「……一年戦争が終わって、グリプスが通り過ぎて。気がついたらZなんてのがシリーズ化されるご時勢、か。……俺らが士官学校に居た頃からすりゃ考えられねぇな」
「そうか? 俺は時間の問題だと思ってたがね」
「……あぁ。そういや、お前、あの頃から言ってたっけか? そのうち空を飛べるMSが出るって。……あん時ゃ、夢みてぇな話だと思ってたが」
「フン。先見の明があったと言って欲しいね。……暇さえあれば女のケツ追っかけてばっかだったお前とは違うのさ、『撃墜王』」
「……言ってくれるな、『トップガン』? お前にしたって、今みたいな形で飛ぶMSが出るって思ってたワケじゃねぇだろ」
「俺の専門は操縦で、設計は門外だ。どんな形で実現されるかまでは責任が持てんね」
「……なぁ、ハーディ・ロックバーン?」
「ん?」
昔話がひと段落した頃。
不意に、JDが改めて戦友の名を口にした。
視線は、カウンターの向うに向けたまま。……すっかり量の減ったボトルから注いだジャックダニエルを、ゆっくりと傾ける。
「此処は、どういう場所なんだ?」
……その口を突いて零れたのは。酷く、漠然とした問いだった。……その意図を問うように、ハーディが視線を向ける。
自分でも、言葉が足らないことに気がついたのだろう。……ゆるゆると、酔いの回り始めた頭をはっきりさせるように、JDは首を左右に振る。
「いや。……どうにも、変わった場所だと思ってな。……辺境の実験部隊ともなれば、普通は何処もカツカツしてるもんだ。それこそ最前線の基地並みにな。だが、ここの部隊は……その、なんだ」
珍しく。……言葉に言い淀む素振りを見せるJD。しかし、それだけで何が言いたいかは伝わったのだろう。
ハーディは小さく笑うと、こん、とグラスをカウンターに置く。
「アットホームに過ぎる……か?」
「間の抜けた表現だが。……それが一番近いな」
対照的に、苦笑を浮かべるJD。
その様を、それこそ面白がるように見遣るハーディに。……改めて、問いが向けられた。
「お前はどう思う?」
「さて。……そうだな……。まぁ、実験機のごった煮っての差っぴいても、変わった部隊にゃ違いねぇよ。……何せ、士官学校出たてのペーペーが居るかと思やぁ、俺達より年季の入ったオッサンも居る。……挙句の果てにゃぁ、十幾つやそこらの子供までパイロットだぜ? 最初はひでぇ冗談だと思ったよ」
01と共に基地へとやって来た当時のことを思い出しながら。……ハーディ・ロックバーンは、愉快そうに言葉を紡ぐ。
最初は。……01を横取りした形になったハーディへの風当たりも、また、強かった。……しかし。
「身内意識ってヤツが強いんだろうさ……。もしかしたら、あの基地長のせいかもな。……お節介な連中も多くてよ、頼みもしねぇのに色々勝手に押し付けて来やがる」
それも、長くは続かなかった。……ハーディが、立て板に水の態度を取り続けたというのもあるのだろうけれど。……結局のところ、この基地の人間は人が良いのだろう。
だから。……ハーディは、挑発するように唇の端を吊り上げ、JDへと語りかける。
「お前も気をつけろよ? ……仲良しごっこがしたくねぇならよ。油断すると、すぐ『良い人』にされちまうぞ」
「フン。……それで、お前も今じゃ『良い人』の一人ってワケか? ……精々気をつけるさ」
「さてな。まぁ……」
……あくまでペースを崩さぬJDに。ハーディは、小さく一つ肩を竦めると――……。
「存外、悪い場所じゃないさ」
そう、最後に結論を口にした。
最終更新:2007年09月06日 01:45