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1.The Ashby family


 「Jane、どうしてあなたはお姉さんのRuthのように、もっと行儀良く食べることができないのですか?」
昼食のテーブル越しに、Beeは言った。
「彼女は私よりもスパゲッティが得意なだけです。それだけです。」
Janeは答えて言った。
「私はそのようなことを気にしません。」
 Janeの叔母のBeeはテーブルの向こう側に座る双子、JaneとRuthを見て、微笑んだ。彼らはもうすぐ10歳で、とても良く似ていたが、どちらがJaneでどちらがRuthか見分けるのが難しいことは全く無かった。Janeは馬に乗ったり、馬のそばで作業をするための古い服を、いつも身に付けていた。一方でRuthは服を清潔に保ち、汚いものには触れようとせず、髪形も整えられていた。
 8年、とBeeは考えた。双子の両親のNoraとBillが、突然の衝撃的な飛行機事故で命を落としてから8年が経つ。同時に、Beeが亡くなった兄の子供たちの面倒を見るために、ロンドンでの生活と職から離れ、Latchettsに来てからも8年になる。そして、もうすぐ、双子は彼女の責任下には無くなる。双子の兄のSimonが数週間で21歳になり、母親の遺産を相続するからだ。父親は貧しくは無かった。Ashby家はLatchettsに200年以上住み続けてきたが、決して裕福になったことは無かった。Latchettsは3つの牧場と庭園、そして家そのものを擁する小さな土地である。Billの死は妹のBeeに、子供たちを育てることを初め、多くの困難を残した。BeeはBillの妻、Noraの財産に手を付けず、Latchettsで事業を展開することを決めた。財産は長男が、21歳になった時、相続することになり、彼女はそれを使わない決断をしたのである。だから、Latchettsは馬の牧場、馬の教練学校、乗馬学校を営むことになり、それらを通じて毎年利益を上げた。Beeが、この基盤を作り上げたのである。
 そして、6週間でSimonは21歳になる。彼が母親の遺産を相続すれば、Latchettsの経営は彼が担うことになる。彼はどのようにやって行くつもりだろう。昼食のテーブル越しにSimonの顔を見て、Beeは考えた。
 Simonは可愛げが合ったが、わがままでもあった。彼は事あるごとに助けを求めたが、愛嬌のある態度のために、彼が助けを求める前から助けようとする人も多かった。実のところ、彼は無力というわけではなった。単に、それが彼の願望を満たすやり方なのだった。不幸にも、Beeを除いて、Simonの人柄のこの面に気づいている人はいないようであったが。
 双子の姉、Eleanoaが入ってきた。
「ああ、あなたは馬の臭いがします。」
Ruthは鼻をつまんで言った。
「どうしてあなたは遅くなったのですか、Eleanoa?」
Beeは尋ねた。
「ああ、Clareに住む、Parslowの女の子が原因です。しかし、彼女に乗馬を教えるのは時間の無駄です。彼女は決して、馬に乗ることはできないでしょう。」
「たぶん、狂った人には、乗馬はできないでしょう。」
Ruthは言った。
「Ruth!」
Beeは厳しい声で言った。
「Clareの学校の生徒たちは、狂っているわけではありません。彼らはただ・・・難しいだけです。」
「えーっと、私から見ると、彼らは狂っているようです。」
 Ashby家のテーブルに静寂が落ちた。Beeは、あと数週間でSimonのものになる土地、Latchettsのことを考えた。彼女は、Simonが上手くこの土地での事業を運営してくれることを望んでいた。200年以上も同じ家に管理されていた土地は、この近くにはLatcettsをおいて他に無いからである。Clareのような大きな土地も、その白塗りの美しい邸宅と共に売り払われてしまっていた。Clareを所有していたLedingham家は財産を無駄遣いし、土地の管理を怠ったのである。彼らは長きに渡って住んできた家を売ることになったのだが、一方で彼らはその土地に愛着を持っていたというわけではなかった。Clareの家は裕福な家の難しい子供たちのための学校になり、Ledingham一家は去っていった。
 しかし、Ashby一家はLatchettsに留まり続けた。
 Beeが過去のことを想い、Latchettsの先行きを考えている内に、双子は食事を終え、遊びに出て行った。玄関からBeeを呼ぶ声が聴こえてきた時、Simonは丁度リビングルームを出て行くところだった。
「Bee、いますか?」
「Peckさんです。」
Simonは言い残し、応対をしに行った。
「入ってきてください、Nancy、」
Beeは呼んだ。
「こっちに来て、コーヒーを飲みましょう。他の人たちはとても早くコーヒーを飲み終わり、出て行ってしまいました。」
 Nancy Peckは地域の司祭の妻だった。結婚する前、彼女はLedingham家の一員としてClareに住み、美しい女性として有名だった。彼女の写真は度々地域の新聞に載り、皆が彼女は裕福な、可能なら王族の配偶者を見つけるだろうと考えていた。しかし、彼女は突然に、物静かで礼儀正しい田舎の司祭、George Peckと結婚したのだった。それは13年前のことで、Nancy Peckは未だ美しく、良い夫婦での生活を送っていた。
「コーヒーが欲しいです。」
Nancyは言った。
「ウィスキーを飲んで幸福を感じるという人もいますが、私はコーヒーの方が良いと思います。そして、コーヒーを飲んで批判されることはありません。ところで、Simonのパーティの準備はどうですか?」
「とても順調に進んでいます。丁度招待状を出しているところです。あなたの兄のAlecですが・・・彼のロンドンでの今の住所を、教えていただけますか?」
「覚えていないです。」
Nancyは答えた。
「彼は、貸家を度々変えています・・・彼が家賃を払えなくなった時。彼はあまり良い俳優ではなく、私は、彼は映画館での仕事を見つけるのは難しいと気付いて来ているのではないかと思います。実のところ、彼は何においても成功したことが全くありません。あなたは、自分がどんなに幸運か分かっていないのです、Bee。」
「どういう意味ですか?」
Beeは考え込んで言った。
「私はただあなただけが幸運だと言ったというわけではありません、Bee。あなたを含めたAshby家のことを言ったのです。あなたの家族の男性は皆、思慮分別のあるいい人です。私の家族を見てください・・・ここ50年の殆どの人は無能か、狂人か、悪人でした。あなたの家族には、そのような人はいません。Ashby一家はとても、とても幸運なのです。」
「私のいとこの、Walterがいます。」
Beeは言った。
「ああ、しかし彼は悪人ではありませんでした。彼はお酒を飲みすぎ、行動は分別を欠いていましたが、悪人ではありませんでした。この辺りの悪人は、殆どがLedingham家の出身で、Alecはその最近の例です。しかし、彼については話さないことにしましょう。私はBillとNoraについて考えているのです。彼らが命を落としていなければ、幸せな生活を送ることができていたでしょうに。」
「はい。」
Beeは静かに答えた。彼女は窓の外に視線をやり、BillとNoraが事故に遭った日のことを思い起こした。Beeは、兄とその妻がヨーロッパへの旅行から帰ってくるのを待っていた。浮かれた子供たちは、2階の窓から両親の車が向かってくるのを見ようと集まり、肩をひしめきあわせていた。自分がしていることの意味を考えず、Beeはニュースを聞こうとラジオの電源を入れた。そこから流れる声を聞き、彼女は耳を疑った。
 2時にパリを出発した飛行機が、今日の午後、事故に遭いました。この事故で乗客・乗員全員が亡くなったということです。
 「BillとNoraは、とても子供たちを可愛がっていました。
Nancyは言った。
「彼らはSimonの21歳の誕生日を、とても幸せに思ったでしょうに。」
「私はPatrickについても、多く考えています。」
Beeは悲しそうに言った。
「Patrick?」
Nancyは驚いたように言った。
「ああ、もちろん、気の毒なPatrick!」
Beeは彼女の友人を見つめた。
「殆ど忘れかけていたでしょう?」
「ええ、とても長い時間が経ちましたから、Bee。Patrickの死は、皆が努めて忘れようとしていることです。今や私は本当に、彼がどんな外見をしていたか、思い出せません。彼は、RuthがJaneに似ているように、Simonに似ていましたか?」
「いいえ、彼らは双子ではありましたが、似てはいませんでした。彼らは、とても違っていました・・・外見も、性格も。しかし彼らは、共に多くのことをして来ました。」
 「SimonはPatrickのことを、殆ど忘れてしまったように見えます。あなたは、SimonがPatrickのことを度々思い出していると思いますか?12歳から20歳までの時間は、長いものです。8年の時間の中では、双子であっても影のように薄れてしまうのは仕方の無いことでしょう。」
 Nancyの言葉に、Beeは考え込んだ。Simonより20分だけ年上で、数週間でLatchettsを相続するはずだったPatrickのことを、彼女は思い起こしていたのだった。Beeの記憶の中のPatrickは、Asyby家の他の人々と同様、小柄で、金髪に肌は白く、寡黙で真面目な少年だった。BeeがPatrickについて思い出せるのは、今となってはそれだけだった。何年も前に故人となったPatrickは、色褪せた記憶としてしかBeeの中に残っていなかった。
「遺体は海で見つかったようですが、」
Beeは沈痛な面持ちで口を開いた。
「どうしてそれがPatrickだと確証が持てましょうか。数ヶ月も海を漂っていたというのに。」
「しかしBee、あの遺体はPatrickであったはずなのです。この辺りの崖から海に身を投げたり、転がり落ちた人は、彼の他に誰もいません。私は、あれはPatrickの遺体であったと思います。そして、遺書のようなメモは確かに彼のものでした。」
「はい、Nancy。」
Beeは答えた。
「しかし、私はPatrickが崖から飛び降りたとは思っていません。彼の上着とメモは、Westoverの近くの海岸に降りる道に落ちていました。彼は沖へ泳いで行き、疲れ切って帰ってこられなくなってしまったのだと思います。彼は私に、そうするのが最も良い死に方だと語ったこともあります。Patrickは、海を好んでいました。」
 彼女はしばらく黙り込んでいたが、友人に何年もの間隠してきた恐れを打ち明けようと口火を切った。
「彼は自分のしていることについて考えを変えたものの、その時には引き返すには遅すぎたのではないかと、私は気がかりに思っています。」
「ああ、Bee、何てこと。それは恐ろしい考えです。私は、そのようであったとは考えません。Patrickは両親が亡くなった後悲しみに暮れ、突然Latchettsが自分の物になったために気負い、混乱していたのでしょう。それだけでも彼は十分気の毒なのに、道を踏み外したなんて・・・惨め過ぎます。」
「多分、あなたの言うことが正しいのでしょう。もうずっと昔のことです。今この時の事、Simonのパーティのことを考えましょう。お兄さんの住所を、忘れずに私に伝えて下さい。」
「分かりました、家に帰ったらすぐに調べます。しかし、彼が俳優としてAlec LedinghamではなくAlec Lodingを名乗っていることを、覚えておいてください。彼は、田舎はあまり好きではないのです。しかしAshbyさんの21歳の誕生日は、特別です。Alecも、興味を惹かれるでしょう。」


2.Alec Loding's plan


 なるほど、Alec LodingはSimonの21歳の誕生日に興味を惹かれてはいた。しかし、興味を惹かれた結果、彼はそのパーティを完全に取り止めにさせようと目論み始めたのだった。Lodingがロンドンのグリーンマン・パブの片隅で、若い男を説き伏せようとしているのも、そのためだった。
「それで、どうするのですか?」
「断ります。」
若い男は言った。
「私は役者ではありません。」
「あなたは役者になる必要はありません。あなたはSimon Ashbyにとても良く似ています。そして、彼の兄、Patrickが亡くなってから8年も経っています。あなたが姿を見せるだけで、皆があなたをPatrickだと信じるでしょう。」
「それは狂った考えです。誰も私を信じはしないでしょう。」
「見てください、私はあなたに、財産を築くチャンスを提供しているのです。全て、あなたのものなのですよ。」
「財産の半分です。あなたはもう半分を自分のものにするつもりなのでしょう。そして、あなたは私に何一つ提供しようとはしていません。ただ、Simon Ashbyという人からか土地とお金を騙し取ろうという犯罪の計画を持ちかけてきているだけです。」
「何を恐れているのですか、Farrar?あなたはとてもSimon Ashbyに似ているので、私は少しの間、あなたが本当にSimonだと思ってしまいました。それで十分でしょう?これから4日間あれば、私はあなたにClareやLatchetts、それにAshby一家のことを教えられます。」
「私にとり、それは信じがたい話です。」
「しかしあなたなら、自分がPatrickだと嘘をつくのに、あまり苦労はしないでしょう。最初の数年を除いて、あなたは自分の本当の経験を語れば良いのですから。もしあなたの話の真偽が確認されることになっても、心配はありません。でっち上げた話を語らなくてはならないのは、最初だけです。Latchettsから逃げ出して、フランスに行く船に乗ったと言えば良いでしょう。」
「その考えには、賛同しかねます。私はそのようなことに向いていません。しかし、昼食をありがとうございます。どうしてあなたが私を昼食に誘ったか知っていれば、私は・・・」
「分かりました、分かりました。」
Lodingは言った。
「しかし、考えておいてください。そうだ、LatchettsとAshby家の写真だけでもご覧になりませんか?あなたの気が変わった時のために、私の連絡先をお渡ししておきます。」
「気が変わるとは思えません。」
Farrarは答えた。
「しかし、連絡先は頂いて行きます。」
「はい、こちらです。あなたにこの計画を受け入れていただくことができず、本当に残念です。あなたなら、Latchettsの素晴らしい管理者になれると思うのですが。あなたは馬のことを良く知っていて、屋外での作業にも慣れていらっしゃるのですから。」
Farrarはほとんどパブから出て行くところだったが、突然に足を止めた。
「馬、とおっしゃいましたか?」
「ええ、」
Lodingは驚いて言った。
「Latchettsは牧場です。お話していませんでしたか?Ashby家は馬を飼っているのです。あの土地はその方面では有名だと思っていたのですが。」
「なるほど、そうなのですか。」
Farrarは言い残すと、通りを歩いて行ってしまった。
 その夜、暗い部屋の中、Farrarはコートも脱がないまま横になり、天井を見つめていた。彼は、ロンドンに移り住み、この狭い部屋に落ち着くまでの旅を思い起こしていたのだった。彼は、いつも孤独だった。自分とよく似ていて、自分がその人と間違えられるような者がこのイギリスのどこかにいるということに、Farrarは苛立った。Lodingにこの話を持ち出されたとき、彼はそれまで生きてきた20年間の中で、最大の驚きを感じることになった。
 FarrarとLodingが道で顔を合わせたのは、全くの偶然だった。Farrarに気付いたLodingは、近づいて来て挨拶をした。
「こんにちは、Simon。」
Lodingは、一瞬の後、話しかけた相手がSimonでないことに気付き、言った。
「ああ、すみません。あなたを私の友人と見間違えてしまいました。しかし・・・」
「どうかしましたか?」
Farrarは言った。
「はい。よろしければ、昼食をご一緒しませんか?」
「どうしてですか?」
「あなたに興味を惹かれたからです。あなたは、私の友人にとてもよく似ています。ところで、私はLodingという者です。役者をしていますが、業績はあまり芳しくありません。お名前を教えていただけますか?」
「Farrarといいます。」
「ああ!イギリスに帰って来てから、もう長くなるのですか?」
Lodingは尋ねた。
「どうして私がイギリスを離れていたことに気付いたのですか?」
「服装です。仕事の関係上、アメリカ人の服装は簡単に見分けられます。」
 こうしてLodingとFarrarは共に昼食をとり、LodingはAshby家のことを語ったのだった。
 そして今、Brat Farrarはベッドで横になり、Lodingの話について考えを巡らせていた。彼は突然に、自分に良く似ているというSimonという人に会ってみたくなった。Latchettsという地名も、気に入った。Ashby家の生活は、今まで誰とも親しくならず、家族も持たなかったFarrar
にとり
それまでとは全く異なる、新鮮なもののように思えた。孤児院での生活は、悪くなかった。彼は、まだ幼い頃、玄関口の階段に置き去られていた。両親が分からなかったため、彼の名は電話帳から選び出されることになった。彼は、一人で働いて行けるようになるまでの15年間を孤児院で過ごした。就職先は見つかったものの、良い職場ではなく、ある日、彼はDieppeへの旅行券を買って旅立ち、その後も二度と戻ってこなかった。Farrarはフランスに住み、そこで職を得ようと考えていたのだが、入国するための書類が整わず、船で働きながらメキシコへと向かった。そして、職場を転々としながらメキシコを抜け、合衆国に到着した。
 Farrarはアメリカで馬に関係する仕事に出会い、それはいつか彼の生きがいになっていた。彼は馬の教練で次々と成果をあげ、数年後には安定した収入を得られるようになった。彼はSmokeyという美しい馬を自分のものとして飼うまでになったが、突然に不幸が訪れた。馬に踏まれ、脚に重傷を負ったのである。病院に運び込まれ、退院がかなったときには、彼の足はもう片方より短く、歩行に障害を残してしまった。Smokeyも売られ、Farrarは悲しみに暮れたが、彼は乗馬学校で働きながら何とか生計を立て続けることができた。
 ある時、Farrarはイギリスに帰りたいと思うようになった。幸いにしてお金は十分にあったため、ロンドンに一室を借りることができ、こうしてLodingの語ったLachettsと馬についての話を、延々と吟味することになったのである。Farrarは起き上がると、狭い部屋の中を意味も無く歩き回った。彼が受けた衝撃は小さくなかった。Lodingが話し始めてすぐに、Farrarは何か良くない考えを押し付けられそうだと直感した。Lodingは確かに、それに似つかわしい風貌だったのである。
 Farrarは、これから先のことに考えを巡らせた。彼に仕事は無く、また馬に関わる良い仕事が見つかる当てなどあるはずも無かった。彼に、どうすることができただろう。彼は馬に関わる仕事をしたいと思い、またイギリスに留まることを望んでもいたのである。しかしLodingの計画は間違いなく犯罪で、そしてFarrarはこの時ならまだそこから手を引くことができた。
「分かっているでしょう、何も危険なことはありません。」
Farrarの心の奥から、静かな声が響いてきた。
「黙りなさい。」
Farrarは答えた。暗い部屋の中、若い男が一人でぶつぶつつぶやいている格好である。
「こんなことは間違っています。」
「Lodingは賢い男です。」
声は言った。
「あなたはAshby家の人に似ているのですから。彼らのお金を少しくらいもらったところで、悪いことにはならないでしょう。Ashby家の人たちだって、きっとあなたに協力してくれます。」
「そんなことは、考えられません。彼らには、そうする理由が無いでしょう。それに、Lodingは賢いかもしれませんが、悪人でもあります。彼とは関わりたくありません。」
「あなたは人生の転機を逃そうとしているのですよ。」
声は食い下がった。
「あなたは、馬に関わる仕事ができるのですよ、イギリスの馬に関わる仕事が・・・。」
「黙りなさい。これ以上は、時間の無駄です。」
Farrarは怒ったように言ったが、しかし、彼は未だ自分に良く似ているという『双子』、Simonへの興味を捨て切れてはいなかった。Lodingが言っていた写真だけでも見ておこう、とFarrarはぼんやりと思考を紡いだ。
 それだけなら、これといって不都合は無い。Latchettsがどんなところなのか見るだけなら。
「それがいいでしょう。」
満足そうに、声は言った。
「明日、行きましょう。」


3.Back from the dead


 ロンドンの長い午後も終わり、夕日の差す頃、法律家のSandal氏はその日の仕事を終え、オフィスを出ようとしていた。秘書が新たな来客を伝えに来たのは、彼が書類を鞄に詰め込み、席を立とうとした時のことだった。
「Ashby氏がいらっしゃいました。」
「Ashby氏?Latchettsのですか?」
「はい、そうです。」
「分かりました。こちらに通してください。」
秘書に招かれて入ってきたのは、若い男だった。
「ああ、Simonさん。お会いできて嬉しいです。ロンドンにはお仕事でいらっしゃったのですか、それとも単に・・・」
Sandal氏は突然に言葉を切ると、口を閉じるのも忘れて、目の前の若い男をじっと見つめた。
「えーっと、」
Sandal氏は、ためらいがちに口を開いた。
「あなたはSimonさんではないようですね。」
「はい。私はSimonではありません。」
「しかし・・・Ashby家の方でしょう?」
訪問者に視線を注ぎ続けながら、Sandal氏は言った。
「そう気付いてもらえるのならば、話が早いです。」
若い男は答えた。
「すみません。あまり良く分かっていません。Ashby家に親類がいたとは、知りませんでした。」
「私の知る限り、親類はいません。」
「いないのですか?では、Ashby家のどなたですか?」
「Patrickです。」
Sandal氏は驚きを隠せず、より一層この若い男を見つめた。
「・・・ともかく、座りましょうか。」
ひとしきり若い男、Farrarを眺め回すと、Sandal氏は低い声で言った。
「状況を詳しく教えてください。8年前、Patrick Ashbyは13歳で亡くなった、ということになっていたはずですが。」
「どうして私が死んだものと考えたのですか?」
「彼は自殺して・・・『さようなら』と記されたメモが残っていました。」
「メモには、何か自殺に直接つながるようなことは書いてありましたか?」
「・・・正確な内容は、思い出せません。」
Sandal氏は答えた。
「私も、一字一句覚えているというわけではありません。しかし、大体の意味は、思い出せます。『もう我慢できません、どうか怒らないで下さい。』自殺については、何も言っていませんよね?」
「しかし、その手紙は海に面した崖の上で見つかったPatrickの上着の中に入っていたものです。その後に、彼が何をしたかは明らかでしょう。」
Sandal氏は食い下がった。
「上着が見つかった崖の上には、港へと続く短い道があったはずですが。」
「港ですか?それはつまり・・・。」
「Patrickは、逃げ出したのです。メモに記されていたのは、そのことです。私は、自殺などしていません。」
Farrarは淡々と言った。
「あなたは本当に・・・あなたがPatrick Ashbyで、Patrickが8年前に海で亡くなったというのは誤りだ、と言っているのですか?」
Sandal氏は完全に動揺し、その声はそれと分かるほどに震えていた。
 Farrarは感情の宿らない目をSandal氏に向けて、言った。
「私がこの部屋に入ってきたとき、私をSimonだと勘違いしたでしょう。」
「はい。確かに勘違いしていたと思います。SimonとPatrickは双子で、あなたは・・・。」
 混乱しながらもFarrarの言葉の意味を理解すると、Sandal氏は目を見開いたまま口を引き結んだ。
「・・・分かっていただけると思いますが、」
Sandal氏は、やがて、ゆっくりと口を開いた。
「あなたが語ったことを、そのまま真実として受け入れることはできません。ともかく、情報が不足しています。そして、入念な調査が必要になります。」
「分かっています。」
Farrarは答えた。
「例えば、あなたはLatchettsを逃げ出したとき、どこに向かったのですか?海路を辿ったと思うのですが。あなたが乗った船の名前は、分かりますか?」
「Ira Jonesです。Westoverの港に、その日、停泊していたはずです。」
「その船で密航したのですね。誰にも見つからなかったのですか?」
「そうです。」
「Ira Jonesはどこに到着したのですか?」
Sandal氏は尋ねた。
「Channel諸島です。」
「その後は、どうしましたか?」
「St Maloへの船に乗り、そこで数週間働きました。ホテルのゴミ処理の仕事です。」
「そのホテルの名前を覚えていますか?」
「Villedieuという所にある、Drauphinというホテルでした。その後、私はLe Harveに向かい、丁度出航しようとしていた船に乗り込み、そこで働きました。もちろん、パスポートなど持っていなかったものですから。フランスに留まるのは難しかったのです。」
「その船の名前は?覚えていますか?」
「決して忘れません!Barfleurという船です。その船で、私はFarrarを名乗りました。F-a-r-r-a-rです。船はメキシコに到着し、私は合衆国に向かいました。合衆国で私が働いた場所を、書いておきましょうか?」
「お願いします。それで、イギリスに帰ってきたのはいつですか?」
「先月2日です。Philadelphiaという船に乗って来ました。乗客としてです。私はロンドンに部屋を借り、その後はずっとそこに住んでいます。」
「・・・Beeさんにはもう会いましたか?手紙を書いたりは?」
「まだです。最初にここに相談に来た方が良いと考えました。」
「それは、正しい判断です。これからあなたが話したことについて詳しく調べていこうとおもうのですが・・・どうして今までご家族と連絡をとってこなかったのですか?あなたがいなくなって、多くの人がとても悲しみました。」
「私が死んだことになっている状況は、私
にとり
都合が良かったのです。」
Farrarは言った。
「どんな場合においても、あなたは私をよく理解してはくれなかった。そうでしょう?」
「どういうことですか?」
「Olympiaで馬の見世物があった時、私が泣いたのは怖がったからだ、とお思いでしょう?」
「Olympiaですか・・・?」
「私は、怖がったというわけではありません。馬が美しかったから、泣いたのです。」
「Olynpia!」
Sandal氏は、以前、Ashby家の人たちと共に、Olympiaを訪れたことを思い出した。
「あの日のことを、覚えていらっしゃるのですか・・・しかし、あれは・・・。」
「昔の話です。それでは、私が書いておいたことについて調べ終わったら、教えてください。」
Sandal氏が非常な驚きから立ち直ることには、Farrarはオフィスを後にしていた。

 Farrarは道を歩きながら、自分の中の高揚に軽い衝撃を受けていた。本来なら、彼は恥じ入るべき所だったのである。しかし、Sandal氏を訪ねた時から続く高揚は、Farrarの中で今も燻っていた。
 Lodingからは、レストランに入り誰かに後をつけられていないか確認するようにと言われていた。Farrarはその通りにした後、電話を探した。
「えーっと、」
Lodingは言った。
「どうでしたか?」
「上手くいきました。初め、Sandal氏は私をSimonだと勘違いしていました。」
Lodingは笑って、言った。
「Sandal氏はどうすると言っていましたか?」
「私は彼に、合衆国で私が働いた場所の一覧を渡しておきました。その内容を、詳しく調べていくそうです。」
「全て本当のことなのですから、何も問題はありませんね。Sandal氏は、あなたを信頼してくれたようでしたか?」
Lodingは、声の調子を落として尋ねた。
「最初は、信頼してくれていなかったと思います。私がOlympiaでのことについて話したところ、彼はとても驚いていました。帰る直前に言い残してきましたので、Sandal氏は今頃、もし私がPatrickでなかったらどうやってそれを知り得たか、必死になって考えているでしょう。」
「・・・なるほど、良いですね。」
 Farrarの役者としての才能に、Lodingは少なからず敬服していた。」
「さて、しばらくの間は連絡を取り合わない方が良いでしょう。危険ですから。あなたに教えられることは、全て教えました。事の成否は、あなたにかかっています。幸運をお祈りします。」
 Lodingの言うことは、正しかった。4日間に渡り、FarrarとLodingはKew Gardensで、場所を転々としながら、早朝から午後7時までの時間を過ごしていたのだった。LodingがFarrarに教えたことは、Ashby家とLedingham家の歴史、Latchettsやその周辺の地理、そしてSimonやPatrickの人柄や行動など、多岐に渡った。Farrarは熱心な生徒であり、Lodingは良き教師であった。詳細に至るまで、Lodingの知っていたことの全ては、Farrarに伝えられていった。
 Sandal氏のもとを訪れた高揚を抱いたまま、借り受けた私室に帰ったFarrarは、ぼんやりと考えた。
「最早、引き返すことはできない。」
FarrarにLodingの計画を受け入れさせようと、度々彼に語りかけてきた声は、その望みを果たしたのだった。

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最終更新:2010年01月03日 15:27