ーーとは言ったものの、定期的な診断の際に来る時を除いてずっとトコシヱ隧道にいたものだから、クラスタニアの自分の家には何一つものがない。最低限の衣食住ができる程度のものはあるが、それだけだ。
「どうしようかなぁ......」
プロムナードを歩きながら思考に耽る。自分の家があるところまではもう少し歩く必要がある。
実際のところ、クラスタニアの町に居場所はないも同然なのだ。クラスタニアのレーヴァテイルでありながら、人間社会に既に溶け込んでいる異端者であると、大半のレーヴァテイルはそういう認識だった。
人間を嫌う者としては、大っぴらに態度に出しているところを見ているわけではないが、シュクレが良い例だろう。彼女はアカネやその他のレーヴァテイルに比べても、元に戻る前のハーヴェスターシャに近い思想の持ち主。今でこそアカネの元で大人しくしているが、反乱因子になるのは確信に近いものがある。
それにしても......
「こうやって外を歩いていると、やっぱり眩しい。トコシヱで生活していると、この感覚が分からなくなりそうだ」
自分が赴任しているトコシヱ隧道は山に洞窟を掘って作られた集落のため、灯りは全て人工のもの。蒼谷の郷や上帝門など、他の集落への道に出なければ陽の光を浴びることはない、そんな場所なのだ。そこで生まれた人間は一度も陽の光を見ることなく生涯を終えることもあるらしい。仕事の都合上、上帝門や堕天峰に行くこともあるため、人間の一生涯分の赴任期間の中で陽の光を浴びないということはないものの、その頻度は少ない。
そんなことを考えているうちに家に着いてしまったらしい。4、50年放置されているだけあって、他の家にあるような華美な装飾は何もなく、逆に目立っている気がしないでもない。今回の招集で来た時に一度家の中の整理はしているため、埃を被っているなどということはないものの、この束の間の休息を過ごすためのものはない。一旦荷物を置いて買い物に出かける必要がありそうだ。
ところで、β純血種は食事は不要なのだが、実際には精神的な問題でほとんどのレーヴァテイルがある程度決められた時間に摂っている。フィアの場合、トコシヱ隧道にいる時には自炊をすることもあれば、食堂などで食べることもある。当然ながら任務中などは摂れないので、一種の楽しみとしているのである。とは言うものの、フィア自身そこまで料理が上手いというわけではない。レシピを見て真似するくらいはできるが、その程度である。
部屋の中で少しだけ逡巡して、買うものを決める。ここに戻ってくることは滅多にないことを考えると、余暇のためのものは持ち帰る荷物になってしまうので基本的に買わないようにしている。しかし、大牙にはないものもあるため、非常に悩ましい。交流が盛んになれば大牙の市場にもクラスタニアのものが並ぶ可能性もあるだろうが、クラスタニアの嗜好が大牙のそれとマッチするかどうかと考えると、それもまた頭を悩ませる。
やはりここは最低限今夜と明朝の食事に必要な分だけに済ませたほうが良さそうだという結論に至った。まだ日没には時間があるので、ゆっくり買い物をしよう......そう思ったものの、とあることに気づいた。
そう、移動手段が足だけしかないことだ。主要な商業施設は、自宅からだとそこそこの距離があり、荷物を持って移動するとなるとなかなかに苦労する。行政区からの道すがら、スクーターのようなもので移動しているレーヴァテイルがちらほらいたことを考えると、別の移動手段を持っておくのもありかもしれないと思う。それにも、やはり使う機会がほとんどない問題がつきまとうので、チャンスがあれば誰かに乗せてもらうのを選択肢に入れることにした。行きはなくてもどうにかなるだろうという判断だ。最悪、帰りも歩きになったところでたいした問題にはならないだろう。
アカネ将軍にいつ呼ばれても問題ないよう、服装だけは整えておくことにしよう。
外に出たところで、懐かしい姿を見つけた。
「あれっ、エクレシアじゃーー」
「フィア〜〜〜! ひさしぶりぃ〜!」
言い終わる前にあわや激突寸前まで迫ってきた人影をひょいと避ける。すると、突っ込んできたソレは慣性を止められずに、直前に閉まったドアに衝突してしまう。
「うぅ......フィアってば酷い」
「ドアを開けて出てきた瞬間に突っ込んでくるキミに言われたくないね。家を壊したら承知しないよ」
ぶつけたところをさすりながら立ち上がる水色の髪の少女ーーエクレシアに対してそっけなく返す。
彼女はフィアと同時期に作られたーーつまるところ、アルキアの支配下にあった時の同期である。フィアと同じ研究室で同じような扱いを受けており、支配下から逃れた時も一緒だった、全く同じ過去を持つ者同士だ。
フィアと異なる点と言えば、先ほどから垣間見えるアグレッシブさであり、クラスタニアにおける職も全く違うところにいる。フィアが大牙における諜報の役割を持っていたように、エクレシアは抗争の中で行われる戦闘の最前線......つまるところクラスタニア軍の兵士として動いていた。
カスタマイズが汎用型故に、アルキアの支配から解放された後に作られたレーヴァテイルに比べると戦闘要員としての特色は薄いとはいえ、この数十年危険な立ち位置でよく生きてこれたものだと素直に感心する。
「それにしても、まぁ久しぶり。いつぶりだったっけ?」
「ん〜最後に会ったのって、フィアが大牙の方に赴任する直前じゃない? 私の方はほとんどクラスタニアだったし、大牙はほとんど行ってないからね〜」
「そんなに前だったか」
「そうだよ〜」
赴任地が違えば必然だろうと、そう納得することにした。
「今はあまり軍として動くことって少なくなりそうだけど、その辺は何か聞いていたりする?」
「ん〜、そういうのはまだかなぁ。たしかに、何も指令がなければ待機する時間も多くなるかもしれないね。でもでも、体制が大きく変わるわけだから何もないってことはないと思うなぁ」
「そうだね。人海戦術で用が出てくることもありそうだし、その時はまた忙しくなるのかな」
「そうかも〜」
その後も今までそれぞれの身の回りで起きた奇怪な出来事や辛かったことなどの共有をしていた。数十年という長い時の中、それぞれに笑うことも怒ることも、悲しむこともあった。話は弾み、いつしか陽は傾き始めている。
「そういえばさ、今日の発表のこと、エクレシアはどう思った?」
「人間との宥和政策のこと〜? 争う理由がなくなったなら、別にいいんじゃないかなぁ。私たちは上の指令で前線に出ていただけだし、それが変わればそれに従うだけでしょ?」
「特に嫌っていう感じじゃなさそうだね」
「嫌っていうか、明確な拒否がないって感じ? 人間のことが好きってわけじゃないけど嫌いでもないし。話が通じる人間もいるからね。ずっと大牙にいたフィアのほうがよく分かっているでしょ?」
「たしかに、人間と一緒に過ごしてきた期間はボクの方がずっと長いけど」
「……こういうのって結局他人がどう考えてるかとか、そういうのってあまり関係ないんじゃない? そりゃ、組織としてある以上は一番上に立つ人の命令に従うのが正しいっていうのはあるかもしれないけど、その命令が本当に正しいかどうかとか、その命令に従うことが本当に正しいのかどうかなんて、その時の良し悪しの判断じゃなくて、結果的にどうなったかで考えるじゃない?」
「......」
それはつまり、再びそのような指令が出た場合には、人間に対して武器を向けることを厭わないということ。エクレシアにはそれでもいいという覚悟ができているというのだろうか。
「ボクにはできないかもね」
「それでいいじゃん。軍人としてはたしかに良くないかもしれないけどさ、そういう風に思えるのって、ちゃんと自分の意思があるってことだし」
「でも......」
「でももだってもないでしょ。そんなうじうじ悩んでいたら百五十年なんてあっという間だよ。そんな暇あったら少しでも自分の意思に従って動いた方が有意義じゃない?」
もう離れ離れに過ごしていた年月の方が圧倒的に長いというのに、それでもこうして檄を入れてくれるなんて思ってもみなかった。堪えているものが溢れそうになる。
「……そう……そうかもね。ボクがやりたいことか……」
反芻して、深呼吸して、感情を整える。情けない顔は見せたくないから。
「ありがと、エクレシア」
「いいのいいの〜。悩み事はお互い様……ってちょっと違うか」
先ほどまでの雰囲気とは打って変わって、のほほんとした表情に戻っている同胞。切り替えが早いのはなんとなく羨ましく思う。
「それよりさ〜、私が引き留めておいてなんだけど、なんかやることあったんじゃないの?」
「あっ」
言葉とは裏腹に微塵も謝意が感じられないが、本来の用事を思い出させてくれたので総じてトントンとするか一瞬考えたものだ。
「そうだった。エクレシア、また今度ね」
「はいは〜い。まったね〜」
早足で商業施設に向かう。旧友は自分の姿が見えなくなるまで手を振っていた。