誰が為に振るう槌


−1−

 ーートコシヱ隧道 鍛冶屋「鋼の庵」ーー


 カン……カン……カン……
 今日も鉄を打つ音が辺りに鳴り響く。
 トコシヱ隧道ーーソル・クラスタの中でも有数の都市として知られるここは、空が見えない街。洞窟の中に展開される街では、甲高い音が響くのも無理はないだろう。それも、大きな通りでは無く、小さな路地に店を構えるのであればなおのこと。
 ソル・クラスタの中でも有数の都市として知られ、当然人も多い。ただし、約一年前ーー第三塔消滅危機の際の避難から戻っていない人もおり、比較的喧騒は小さいと言える。六年以上、鍛冶屋「鋼の庵」を営んできた女性ーー沙紗も、ひと月ほど前に避難から戻って来たその一人である。
 薄い緑色の髪を短くまとめ、灰色の作業着と紺色のパンツという地味な格好をしている。女性としてのスタイルは持ち合わせていないものの、彼女が気にしている様子は見られない。そのことを言わない限りは。
 ただ、類稀なる女性の鍛冶師として大牙では有名になりつつある。トコシヱ隧道に住む者なら彼女を知らない人はほとんどいないほどだ。本人にその自覚はないが、客足が少しずつ増えてきていることに小さくない達成感を抱いている。
 そんな彼女は、朝から剣の製作を行っている。客のためではなく、自分自身のためのものだったが。

「ふぅ、形はこんなものかしら」

 折り返しを数回行い、成分を均一化。こうすることで刀身はほぼ一様な硬さになり、重心の位置も安定する。汗が吹き出る中、残りの工程を終えて仕上げにかかる。できる限り既に作ってあるもう一つの剣と同じになるように、慎重に行う。
 そして、最後に研磨、柄との接合を行い、完成。剣の長さ、重さ、刀身のを確認し、ようやく安堵する。作り始めてから、およそ四時間だった。
 浮き出た汗をぬぐい、今できた剣と少し前に作ったーー対になる剣を持つ。およそ満足のいく仕上がりになっていて、自分でも実力がついてきたと実感していた。
 それにしても……

「ホント、今日はお客さんが来ないわ……」

 そうなのだ。作業をしているときはそれを示す看板を出している。その際、依頼投函箱ーー依頼内容と依頼者氏名、連絡先を記入する専用の紙を投函する箱ーーに入れておくようにお願いしているのだが、既に日が天辺に差し掛かる時間(見えているわけではない)だというのに、中身は何も入っていない。
 もともと一人で経営をしているため、一度に多くの依頼をこなすことはもちろんできない。それでも店を営む者として、一人も客が来ないと不安になるのも無理はないだろう。

「もう少し様子見ね。ええと、今の時間は……」

 壁に備え付けられた時計を見る。休憩時間まで、あと一時間弱。それまでは、鍛冶場の整理をしておくことにしたようだ。
 作業を始めて半刻ほど経った頃だった。

「やっほー! 元気にしてる?」

 軽くて高い声が聞こえてきた。店に入ってきたのは真紅のジャケットに身を包んだ女性。ドアを豪快に開けて入ってくる彼女に苦笑を漏らしながらも、しっかり接客する。

「いらっしゃい、フィア。二週間ぶりね」

 彼女ーーフィアは鍛冶屋の常連、それも父の代からである。彼女の扱う得物は消耗が激しく、定期的に点検をしないとすぐにダメになってしまう一品。沙紗が覚えている限りでも、彼女ほど足繁く通う人はそう多くなかった。

「あれ、まだそんなに経ってない? ボク、もう一月は経ってると思ってたけど……」
「フィア、貴方それでもクラスタニア出身なの……? 日付の管理くらい」
「まぁまぁ、そんなことは言わずに」

 日付の管理くらいできるものだとーーそう言おうとした沙紗の言葉を遮り、茶を濁すフィア。
 彼女はクラスタニアのレーヴァテイルで、かつては諜報員として、現在はクラスタニアと大牙を取り結ぶ役を買ってトコシヱ隧道に住んでいる。
 惑星が再生する前ーークラスタニアによる支配体制が崩れる前であれば、大牙の人間とクラスタニアのレーヴァテイルとが仲良くなるということはまずなかっただろう。クラスタニアのレーヴァテイルとしてではなく、大牙の人間として振舞っていた彼女に限っては例外な部分もあるが。

「沙紗、もしかして暇してた?」
「う……」
「はは〜ん、図星ってワケね」

 受付の机にだらしなく両肘をついて尋ねるレーヴァテイル。対して、しかめっ面をして対抗する沙紗。口争いは沙紗はどちらかと苦手な方で、いつも言い負かされている。
 とはいえ、沙紗とフィアは六年来の付き合い。フィアがクラスタニアの所属であることを隠していたこともあって、他のレーヴァテイルに比べてもよく馴染めていると言える。
 秘密を明かした今でも、その関係は変わらない。少なくとも沙紗にとっては、店主と客、それ以上でもそれ以下でもなかった。

「偶にはそういう日もあるわよ」
「それが偶に、であることを祈るよ」
「ホント、失礼な人ねぇ。貴女、あたしと喋るためだけにここに来たわけじゃないわよね?」
「あはは。ボクはそれでもよかったんだけど、生憎と今日は仕事を持ってきてるんだ」

 そう言ってフィアが差し出したのは二振りの短剣。よく見るとどちらもあちこちに刃こぼれしている箇所があり、柄の塗装も薄くなっている。つい二週間前にも、修理をしているのだが……。

「そういうものだとは分かっているけど、いくら何でも点検に来る頻度多すぎないかな?」
「これでも丁寧に扱ってる方さ。下手をすれば、すぐにダメになってしまうからね」
「やっぱり扱うの難しいんじゃ?」
「まーね。普通の剣や槍に比べたら難しいけど、慣れればこれはこれで良いよ?」
「ふーん……。ところで、これは大丈夫なの?」

 親指と人差し指で、お金を示す。頻繁に来るようであれば、点検費用だけでも相当な額になっているはず。それなのに、フィアは全くお金に困っている様子がない。

「問題ないよ。ある程度は、クラスタニアから支給されるからね」
「限度があるでしょ。……それで、今日も塗装と研磨だけでいいの?」

 一通り目視を終えて、確認を取る。

「いや、今回は柄を合わせる部分の調整もやりたいんだ。時間はいつでも構わないから、点検が終わったらテレモで呼んで欲しいな」

 この二振りの短剣、実は両剣としても使える。持ち手をつなぎ合わせることで一つの武器になり、両手で扱えるのだ。しかし扱う難しさ故に得物とする人はほとんどおらず、様々な武具を点検している沙紗であっても見る機会は極めて稀である。

「分かったわ」
「よろしく頼むよ」

 それじゃ、と言い残して店を出て行くフィア。飄飄としているが、あれは彼女なりの身の隠し方なのだろう。クラスタニアではなく、この街の住人だと言われても違和感を感じられない。
 彼女がいなくなるのを確認すると、依頼の品を持って工房に入っていく。

「……早速やりますか」







 刀身の研磨、柄の塗装を行い、乾燥時間も兼ねて休憩。その後もう一度確認をして、依頼の大部分である点検作業は完了した。
 しかし、これだけ使い込んでいるのなら新しいものを作れば良い気もする。どんなものでも、使えば使うほど耐久度は落ちていく。この両剣も同じだ。前は二月、もしくは一月に一回の点検だったものが、今は二週間に一回になっているのがその証拠。

「それだけ長く使ってくれるのは、嬉しいことでもあるんだけどね……」

 鍛冶屋冥利に尽きる。だが、やはり心配ではある。
 人間でさえ食物連鎖の一部になっているソル・クラスタでは、身を護るための道具が必要不可欠だ。街の外に出れば獣や怪鳥、それ以外にも襲ってくるものは沢山いる。万が一戦闘の最中に武器が壊れれば、最悪死亡することもあり得るのだ。
 クラスタニアに所属する彼女に限ってそんなことはまずないと思っていても、自分が作ったもので不幸な事故が起きるのは何としても避けたい。だから、万全を期するのだ。

「訊いてみようかしら」

 幸い点検はもう終わったので、フィアに連絡を入れる口実はある。受付に置いてあるテレモを使い、彼女にその旨を話そうとすると

「あー、沙紗? もしかして、今終わったところ? それならちょっと闇市の方に来て欲しいんだけど、来れるかな?」
「えっ?」

 少しだけ息を切らせながら話している。ただ走りながら電話するということはないだろう。そうなる状況とは……。
 その短い思案の間に、通話は切れてしまった。それだけ切迫している状況なのだろうか。
 作業着から一転、外出用の衣服に着替えて店を出て行った。



−2−


 ーートコシヱ隧道 闇市サカサランプーー


 大牙とアルキア、クラスタニアの三勢力は協力関係にあるが、それは政治的な要素が強い。クラスタニアの支配体制が崩れてから四年経っても、それぞれの民の中には未だにその関係を受け入れられない者もいる。
 店に「外出中」と書かれたプレートをぶらさげ、言われた場所へ向かう。そこには、トコシヱ隧道の住人と思しき男が三人、フィアに詰め寄っていた。

「あんた、クラスタニアのレーヴァテイルなんだってな?」
「よくもぬけぬけとここに住めるもんだ」

 男達の表情は険しい。対してフィアは、何のことかとばかりに顔に笑みを貼り付けている。複数の男性に囲まれているにも関わらず、だ。

「ボクがクラスタニアのレーヴァテイルだって証拠はあるの? ボクはそういったもの、何一つキミ達示した記憶はないんだけどなぁ」
「シラを切るのもいい加減にしてくれや!」
「貴方達、何やってるの!?」

 普通に見れば、複数の男性が一人の女性を虐めているような状態だ。その様子を見かねた沙紗は、間に割って入っていた。

「お前は黙って……って、沙紗!?」
「どうしてコイツをかばう? クラスタニアの奴かもしれないんだぞ?」
「おー、沙紗じゃないか」

 思いもよらぬ乱入者に驚く住人と、相変わらず笑みを浮かべているフィア。
 沙紗はフィアに詰め寄っていた人達を睨みつける。

「その人は、あたしの大切なお客さん……って、そうじゃなくて! 貴方達、まだそんなこと言ってるのね。一体何年経ってると思ってるのよ! 少なくとも大牙のコミュニティもアルキアもクラスタニアも、全面的に協力し合う関係になってるのよ! 貴方達はそれが嫌だって言うの!?
 だいたい、彼女がクラスタニアのレーヴァテイルかどうかなんて関係ないじゃない。ここに住んでいるのなら、同じように接すればいいだけじゃない」

 沙紗の激しい剣幕に、タジタジになる男達。しかし、それでも到底納得できないのか、一人が反論する。

「だがな、俺達の中にはクラスタニアに親を殺された人だっている。どれだけ時が過ぎても変わらない事実だ。その怨恨が消えることなんて、ありえないんだよ」
「……へぇ?」

 女性とは思えないほど低い声を漏らすフィア。笑みを崩さないまま、彼女は男達に言った。

「たしかに、クラスタニアはキミ達に多大な迷惑と損害を与えただろうね。だけど、それをなかったことにしようなんて思ってないだろうさ。キミ達も知っているだろう? クラスタニアが率先してアルキアや大牙との融和政策を進めていることを」

 クラスタニアの一員であるフィアは、アカネ将軍からそれを聞いている。間違なく、それは行われているのだ。クラスタニアによる、人間への歩み寄り。今まで築かれてきた深い溝を埋めるために。

「だからって……」
「それでも、貴方達はクラスタニアに復讐するって言うの?」

 なおも言い募ろうとする住人を遮り、沙紗は問う。

「そんなことしても、何も意味がないじゃない。復讐は復讐を生むだけなのよ! 貴方達がそれを成し遂げたところで、今度は別の人が……クラスタニアのレーヴァテイルが貴方達に復讐するだけ。……貴方達、死ぬわよ?」

 死という言葉に、ぴくりと眉を動かす男達。それに対する答えは……

「……だから、何だってんだ!!」
「沙紗、危ない!」

 フィアの警告。逆上した一人が、沙紗に向けて拳を繰り出したのだ。

「……女だからって、油断したわね?」
「は!?」

 だが、その暴力に沙紗が倒れることはなかった。
 片腕で軽く受け止められたことに驚愕する男。その隙を突いて、鳩尾に拳を打ち込んで無力化させる。
 蹲った男性を横目に手を軽く払い、残る二人を見据える。

「言っておくけど、この人が先に襲ってきたんだからこちらに非はないわ。それが分かっていて、まだやるって言うなら容赦しないわよ!」
「沙紗! これ以上騒ぎを大きくしたら、キミもタダじゃ済まないはず」

 フィアは沙紗を諌め、前に出る。そして、男達に問いかけた。

「キミ達の言う通り、ボクはたしかにクラスタニアの一員だ。だからと言ってボクがキミ達に対して害を為そうなんて全く考えてないし、それはクラスアタニアの総意でもある。それでも、キミ達はクラスタニアと争いを起こすつもりなのかい?」
「フィア……」
「それに、これ以上ボクらと争っていてもキミ達にメリットはないはず。それでもまだ続ける?」

 しばらく考えていた二人は、倒れた一人を担いでどこかへと去っていった。
 フィアは緊張の糸が切れたのか、小さく息をついた。

「さ、あたしの店に行きましょ」
「沙紗……その、ゴメン」

 項垂れるフィアに沙紗は、気にしてないわ、と努めて明るく振る舞った。



−3−

 ーートコシヱ隧道 鍛冶屋「鋼の庵」ーー


 店に入った沙紗はフィアを座らせ、先の諍いについて話を聞いた。

「……なるほどね」
「ボクの後をつけるってことは、本当に何も知らないか、ボクがクラスタニアの一員だってことを知ってるかのどちらかだ。特に後者だったら、問題を起こすわけにもいかなかったから」
「たしかに、クラスタニアとしては避けたいところよねぇ」

 経緯はこうだ。
 フィアは依頼を頼んだ後、しばらくミズモリ広場をぶらぶらしていたらしい。定食屋「よっこら」で食事をとった後から誰かがフィアの後をつけていることに気が付き、彼らを撒くために闇市や削坑道などに身を隠しながら移動していた。しかし削坑道で見つけられ、沙紗に連絡を入れた後、闇市であのような状態になっていたのだ。そして彼らの口ぶりでは、フィアがクラスタニアの一員であることをどこかで耳にしていたらしい。

「どうしてクラスタニアだってことが分かったのか、少し疑問ね」
「そうなんだよ。ボクもそれらしいことは一つも示してなかったはずなのに……」

 以前諜報員として活動していたフィアにとって、自分の情報が漏れたことは相当悔しいに違いなかった。

「それで、怪我はない?」
「うん、ボクは大丈夫……って、沙紗は大丈夫なの?」

 沙紗が来るまで、暴力の類は一切なかったらしい……というより、沙紗が来る直前にあの状態になったということだ。

「あはは……私はそれなりに鍛えてるから、大丈夫よ」

 結果的に自分に火の粉が降りかかったわけだが、沙紗としては見過ごせる案件でもなかったので、あまり気にしていない。

「それよりも、依頼の続きよ。フィアがいないとできないんでしょ?」
「……そうだね」
「いらっしゃい。さすがに調節は工房じゃないとできないから」

 そう言うと、フィアを工房に招き入れた。

「まずは、大元のチェックからかな。研磨と塗装はしてあるから、双剣として大丈夫かどうか確認してね」
「了解」

 フィアは受け取った二振りの短剣を右手は順手、左手は逆手に構える。周囲を気にしてるのか、流石に大きく振るうことはしなかった。それぞれの刀身をじっと見つめ、軽く手の上で遊ばせるに留めた。

「やっぱり、沙紗の技術はすごいね」
「そんなことないわよ。あたしなんてまだまだ……」
「謙遜も行き過ぎるとイヤミだよ?」
「ふふっ、そうね。ありがと、フィア」

 フィアの言動が少し明るくなったのを感じて、少しほっとしていた。

「さて、それじゃ最後の調整にいきましょ」
「うん。よろしく、沙紗」






 一時間後。
 フィアの要望を聞きながら柄の形状に変化を加え、ようやく全ての依頼が完了した。

「うん、いいね。これならすぐに馴染めそうだ」

 両剣のスタイルで少し動きを試していたフィアは満足気に言った。

「ゴメンね、沙紗。こんな我儘言っちゃって」
「気にしなくていいわよ、それがサービスなんだから。あたしが客の要望に応えなくてどうするの?」
「それもそうだね」

 そういえば、とばかりに疑問に思っていたことを聞いてみる。

「フィアってさ、その剣ずーっと使ってるよね」
「そうだよ。ボクはこれがお気に入りだから」
「どうしてそこまで長く使ってるの?」
「うーん……」

 どう言ったら良いか、迷っている様子だ。

「……沙紗はさ、自分が作ったものを使ってくれたら、嬉しいよね?」
「それは愚問よ。鍛冶屋でなくたって、嬉しいと思う」
「……実はね、この双剣はライさんが作ってくれたものなんだ」
「ライ……って、えええぇぇぇぇっ!?」

 唐突に出てきた父の名に驚きを隠せなかった。たしかに父も鍛冶をやっていたが、まさかフィアが父の代からこの店を利用していたとは。しかし、彼女の容姿からはそんな年齢だとは到底考えられなかった。

「で、でもフィア、貴女そんな年じゃ」
「......そっか、沙紗は知らなくても当然かもね。ボク、この見た目でも六十五年は生きてるの」
「ろ、六十五年!? それじゃ、父がこの店を始めたのも......?」
「もちろん知ってる……というか、ボクにとってライさんの店は監視対象だったから」

 後半はやや言いにくい様子だった。
 そして次々とフィアから語られる衝撃の真実。トコシヱ隧道の昔のこと、父の鍛冶屋のこと、レーヴァテイルβ純血種のこと、そしてクラスタニアの真実......。どれも信じがたい話だが、彼女が嘘を言っているようには見えなかった。

「当時のクラスタニアは、大牙やアルキアに対してもすごく威圧的だった。もちろん、ボクも正体を隠しながら、ずっと監視をしてきたんだ。だけど、ボクのような得体の知れない人に対してでも一生懸命に作ってくれたものを、ボクは粗末に扱えないよ。その後継者が目の前にいるなら、なおさらね」
「……フィア、そんなことまで考えていたのね……」

 気がつけば、目から涙が溢れていた。

「ちょ、ちょっと、沙紗!?」
「……そう言ってくれるの、嬉しくてつい......」

 しばらく泣くことなんてなかったから、少し恥ずかしいな……。
 そんな私を見て、こらえきれなかったのか、目の前にいるフィアが腹を抱えて笑いだした。

「ぷっ、ふふ、あはははは」
「フィア、笑わないでよ。ホントのことなんだから」
「沙紗ってばすごく強気だと思えば、そんな一面もあったんだなぁって思ってね」
「まるで、私があの顔しか持ってないみたいじゃない。失礼ね」

 涙を拭き、フィアの左肩を小突く。
 まったく、ホント失礼なんだから……。

「ともかく、ありがとね。いくらだっけ?」
「ちょっと待ってね」

 料金表を取り出し、内容を確認して電卓を叩き、料金を示す。

「特注品の点検、それに改良となるとこれくらいね……」
「ライさんが作ったものを使い続けられるなら、このくらいは平気だよ」

 いわゆる量産品と呼ばれる物は点検も比較的容易い。しかし、特注品となると作品毎に違った加工や細工などがあるため、どうしても費用が高くなってしまうのだ。
 懐から財布を取り出し、示した通りの金額を出すフィア。流石にもう、手慣れている。
 会計を終え、ホッとした様子で

「営業が終わるまでまだ時間があるけど、なんなら少しここにいる?」
「いや、仕事の邪魔したら悪いし、ボクはそろそろ失礼するよ」
「そう? なら、気をつけてね」
「今日はありがと、沙紗」

 接合を解いた状態の両剣を提げて、フィアは店を出て行く。その背中はいつも通りのものになっていた。
 留守にしている間に届いた依頼を確認して、再び工房へと入っていく。



−4−

 ーートコシヱ隧道〜上帝門を結ぶ道ーー

 最後の依頼の内容は、なんの変哲もない家具の修復だった。装飾具の製造、修復も取り扱っているため、この手の依頼は朝飯前とも言える。とは言え、仕事は仕事、どんな依頼であっても全力で行うのが沙紗のモットーだった。
 それを終わらせ、店を閉めたのがおよそ二時間前。その後に夕食を取った沙紗は、日課の採取に向かうのだ。
 決まって時間が遅く、遠方に行くことはできない。そのため、上帝門、蒼谷の郷、堕天峰のいずれかに続く道がほとんどになる。地表も多少は開拓されているが、彩音回廊の影響を受けず危険が多いため、そこに行く機会は少ない。
 今夜は、生憎の雨。上着を羽織っていて少し動きが鈍いものの、採取にはあまり影響はない。ただ、困るのはモンスターや野生動物に遭遇した時だった。
 人が住まない場所では、獣や怪鳥、ポムなどの人工生物が闊歩している。それらから身を守るため、街を移動する時は傭兵を雇ったり、もしくは腕の立つ者同士で固まって移動するのが基本になっている。
 だが、沙紗は一人。誰かと共にいることはほとんどない。かつて父と採取に出かけた際、自分のせいで父が重傷を負ってしまった過去が、沙紗を一人にさせていた。人が傷つくところを見たくない、そんな自分勝手な理由で。
 そして今、目の前に獣が三匹。まだ気付かれていない。逃げようと思えば逃げられるが、沙紗はそうはしなかった。代わりに荷物を側に置き、今朝完成したばかりの双剣を鞘から抜く。
 このような時は槌(もちろん鍛冶に使うものとは別のもの)を振るっている沙紗だったが、サイズが大きく採取には邪魔だったのだ。双剣を拵えたのも、このためだ。
 剣の扱いは、道場に通うことで訓練をしている。剣を振るう際の腕の動き、足捌き、重心の移動の訓練、そして模擬戦。時には師とも対することもあり、剣の扱いは
 軽くなった体で疾駆、足音に反応してこちらを向いた一匹に向けて横に一閃。その体躯から鮮血が溢れ、断末魔をあげて絶命する。
 あっという間に仲間を倒され、激昂した一匹の獣が接近する。振り下ろされる前足を、先ほど振わなかった方の剣で受け止め、力押しに弾き飛ばす。鍛冶で培った膂力が、こんなところで役に立つとは……。
 よろめいたところに追撃しようとして、咄嗟に後ろへ下がる。突進してきたもう一匹の獣の爪が髪の先端を切り裂いて通り過ぎる。

「うわわっ!」

 宙に舞う髪を見つめ、息を吐く。
 その時、もう一度突進をしようとした獣の断末魔が聞こえた。そう思った時には、体勢を立て直そうとしていた最後の一匹も死体となって転がっていた。

「え......?」

 予想外の事態に目を丸くする沙紗。慌ててあちこち振り向くも、人らしい姿は見当たらなかった。耳を澄ませても、雨が地を打つ音と風が吹く音しか聞こえない。

(一体誰が......)

 既に日も落ち、辺りは少々の灯が照らすのみ。雨も降っている今日は、人通りなど皆無だ。そんな中、誰がこんな場所を通るのだろうか。
 不思議に思ったが、今は自分の身の安全を確認する。負傷もなかったため、一息ついてから双剣を鞘に戻した。
 雨音だけが鳴り続く中で一人、木陰に置いた荷物を持ってトコシヱ隧道へ帰る。街を出て一時間強、弱く感じていた疲労が、体を休めるようにと促していた。






 ーートコシヱ隧道 出入口(上帝門方面)ーー


 常に陽の光が差さないトコシヱ隧道でも、夜が訪れれば当然静寂が訪れる。一部を除いて店は閉められ、街灯が辺りを照らすのみ。屯する住人があちこちで見受けられるものの、昼の時と比べればその様相は全く違う。
 少し疲れた様子で街の入り口に着いた沙紗は、そこに見知った顔があるのに気づいた。一人は大牙コミュニティの盟主ゲンガイ、もう一人は……フィア?

「すまねぇな。お前さんもやることがあるってのに」
「このくらいはお安い御用だよ。ゲンガイさんも忙しいし、クラスタニアに関してはボクの方がやり易いこともあるから」
「そう言ってくれるならありがたいもんだ。もしかしたらまた頼むかもしれないが、その時はよろしく頼むぜ」
「喜んで」

 ゲンガイが街の中に消えていくと、残ったフィアがこちらに気づいて駆け寄ってきた。

「あれ、フィア? 今の人は、ゲンガイさんよね? 何を話していたの?」
「うん。ちょっと頼まれ事があって、その報告をしてたんだ。ーーそれよりも、随分と危ないことしてるんだね、沙紗は」
「これのことかな?」

 ずぶ濡れになっている荷物を指差して、確認する。

「これならいつものことよ。ほぼ毎日やってることだし、特に問題もないわ」
「.......上帝門から帰る途中、モンスターに襲われてる人を助けたんだ。何も言わずにその場を離れたけれど、どうやらすぐ帰ってきたみたいだから安心したよ」
「へ〜、あたし以外にもこんな天気の夜に外に出歩く人がいたんだ」

 フィアが何故こんなことを話しているのか分からないが、とにかくも彼女の「困ってる人を見過ごせない性格」が功を奏したのだろう。
 そこまで考えて、違和感を覚えた。この時間、特に雨が降る日に外に人がいることは考えにくい。そうすると、思い当たるのは……。

「ねぇフィア。それってもしかして......」
「沙紗、キミのことだよ」

 ようやくピースがはまった。あの時、二匹の獣を音も残さず葬ったのは彼女だったのだ。
 もしかしたら、モンスターを難なく蹴散らせるほどの実力の持ち主がこんなに近くにいることを、自覚していなかったのかもしれない。

「その散策、ボクも手伝おうか?」
「ううん。日常生活のことで迷惑かけるわけにもいかないし、大丈夫よ。それに、ちゃんと引き際は弁えてるつもりだし」

 そう、これはもう生活の一部だった。今すぐには変えられるものではないし、何より鍛冶の材料はこれで集めているものが大部分を占めている。やめてしまえば材料の供給が途絶えてしまうため、鍛冶ができなくなってしまうのだ。
 それは言葉にはしなかったが、代わりにこう言った。

「でも、心配してくれてありがと。もう散策を始めて五年くらい経つけど、こんなことは初めてだったし、驚いたわ」
「どういたしまして」
「ねぇフィア、もしかして昼間のこと貸しだと思ってない?」
「......まぁ、気にしてないって言ったら嘘になるかもね」
「それは、大きな勘違いよ。困ってる時はお互い様なのだから」
「ふふ、そういうところが沙紗らしいね」
「あたしらしいって何よ? 変な言い方しないでよね」

 そう軽口を叩く。これ以上は詮索しないということで、フィアも話題をそらしたことには言及しなかった。

「あたしはこれから採取した物の整理に行くの。だから、今日はここでお別れね」
「働き者だねぇ」
「一人しかいないからね。自分で出来ることはやらないと」
「大変だったら、頼ってもいいんだよ?」
「その好意だけ受け取っておくわ」

 ずぶぬれの荷物を持って、その場を去る。

 (気持ちはありがたいけれど、これは自分だけでやるべきことだから……)






 職人の朝は早い。自分が職人だという自負はないが、時刻は午前六時だ。最低限持ち合わせている料理の技術で朝食を済ませ、工房へ。その足取りは軽く、昨日の疲労感を全く感じさせないものだった。
 結局、あの後フィアが店を訪れることはなく、片付けと今日の準備をして終わった。だから、今日もまたいつも通りの始まりになる、そう思っていた。
 鍛冶屋の入り口、依頼投函箱の中に一つだけ便箋が入っていた。差出人は、フィア。

「……昨日帰ってきた時にはなかったはず……」

 鍛冶屋の中に入ってから、丁寧に封がしてあるそれを開ける。そこには一通の手紙が入っていた。受付の椅子に座り、手紙を広げる。


 『沙紗へ

   これを読むのが今夜か明日かは分からないけど、
  ちゃんとお礼言ってなかったね。昼間、ボクを庇ってくれてありがとう。
  ボク、大牙もアルキアもクラスタニアも分け隔てなく接することができる沙紗が
  すごく羨ましかった。
  それに、トコシヱ隧道に住んで五十年になるけど、
  こういうことってほとんどなかったから……すごく嬉しかったんだ。

  本当にありがとう。


  P.S.
  困った時はお互い様なら、頼りたい時には頼ってね。

                                フィア・マイレン 』

 手紙を読み終えると、沙紗は笑っていた。

「まったく、そういうことは面と向かって言いなさいよ。恥ずかしいことじゃないのに」

 手紙を便箋にしまい、営業の準備を始める。今日は忙しくなるのだろうか、それとも......。

「さて、今日もいっちょやりますか!」

 開店を知らせるプレートを出して、今日も一日が始まる。


 この槌が、人々を繋ぐ架け橋になることを願いつつーー。



ー了ー



最終更新:2017年08月13日 17:38