感想(2011/01/28)
“憲法九条を世界遺産に”を久しぶりに読み返してみました。
奥付を見ると、初版2006年8月17日で、私は割とすぐに買ったのですが、9月9日の第三版です。すごく売れていたんです
お笑いコンビ“爆笑問題”の
太田光さんというビックネーム、私は存じ上げませんでしたが、本書内で太田光さんが日本思想界の巨人として紹介している
中沢新一さんとの共著。
タイミング的にも、度重なる自衛隊の海外派遣や自民党の圧倒的過半数のなかでマスコミも含めて憲法改正論議が沸き起こっていて、時代が要請していた本だったのだろうと思います。
小泉首相の靖国参拝や、後に首相になる安倍晋三氏が“美しい国へ”が出版されたり、加藤紘一氏の実家が放火されたのもこの頃でした。
社会的には、BSE問題やライブドアの堀江社長が逮捕されたり、耐震偽装やシンドラー社のエレベーター事件が起こったころです。
もう5年も前に出た本なので、振り返ってもいいころかと思い読み直してみると、当時の私が読み取れていなかったな~と思うところがたくさん出てきて、恥ずかしい限りでしたがなかなか楽しかったです。
なぜ、当時の私が読み取れてなかったのかはすぐ推察が出来ます。太田さんと中沢さんの喋りのテンポがあまりにも違うからです。
対談の最初で、中沢さんに対して知の部分でのコンプレックスを払拭するためか、太田さんはまず宮沢賢治の自分なりの解釈をまずぶつけています。
中沢さんはそれに対して苦もなく太田さんの言いたいことを理解して宮沢賢治の世界からの更なるアプローチを試みます。
太田さんの喋り5に対して、5で返している。そして中沢さんが問題提起している部分は5.5から下手したら6以上中沢さんが喋り、太田さんの喋りはそれに対して少なくなっている。
太田さんの普段の活動である“爆笑問題”での比率が6:4~7:3くらいに感じられる逆になってしまっている。さらにこの本のなかでも語られている中央のインテリの言葉になってしまっている。
対談の形式としてはとても良かったのでしょうが、この本の役割としては私は違うんじゃないのかと感じました。
この本の役割とは何か。それは急速に右傾化し、異論を許さなくなる社会へのアンチテーゼにあったと思うのです。
小泉首相のもとで進められた構造改革路線のもとで、日本の国の形は大きく変えられました。
そのなかで、たとえ明らかな嘘だと思えるようなことでも、証明さえされなければ(例え証明されても御用学者を動員することにより、ひとつの意見とすることが出来る。)どんな強弁でも通る社会になっていきました。
そのなかで、この本は、たとえ青臭くっても現実をきちんと考えよう。社会に流されるのじゃなくて自分の頭で考えよう。
多様な意見があるなかで、相手の意見を封殺せずにお互いに尊重しあおう。許しあおうという事を言っているに過ぎない。
そして、憲法を世界遺産にというのはもはや表現でしかない。
大事に守るべき存在として、いちばんインパクトがあり世界に訴えかける表現で、そしてそれは成功したといえるだろう。
そのことを語るのに中沢さんが必要だったのだろうか。もし太田さんの考えていることを引き出すのに知の力が必要だったとしても、この本に必要だったのだろうか。
または、中沢さんは太田さんの表現したいことをもっと的確に引き出す必要があったのでは、もしそれが無理ならもっと的確な人選が必要だったのではと考えてしまいました。(失礼な話ですが。)
この書評を書くのに際して私はAMAZONの書評欄を一通り読んでみました。86もあった書評のなかで、どう考えても本文を読んだとはとても思えないような書評がたくさんあって、それはそれで笑えたのですが。
タイトルだけで反発されてしまうような微妙な問題なので仕方ないのですが、さらに気になったのは本文を読んだ形跡はあるもののほとんど理解できて無いような書評があることです。
この問題はテレビ番組“太田光の私が総理大臣になったら・・・秘書田中”で討議された問題で、私も見た記憶はあるのですが、あまりにも記憶があやふやなのでYoutubeで探してみたらあったので見直してみました。
見直して思ったのは、ほとんどの参加者が事前にこの本を読んでいない。または読んでいても理解していない。
そして、憲法問題ではこの本で語りつくせていない部分がかなりあるという事です。
太田光さんが悩みながら、考えて表現しているのを強く感じ。彼の誠実さと青臭さをわが事のように恥ずかしく受け止めました。
いろいろなこの本以外の表現から、書ききれていない事を補足して憲法九条をなぜ世界遺産にと考えているのかを自分なりに解釈してみると。
世界は戦争をしない方向に進んでいる。
最終的に世界が戦争をしない社会に落ち着いたときに憲法九条はその先駆性ゆえにみんなから感謝される存在になるであろう。
いや、さらに言えば世界を戦争しない方向に進める力のひとつになるであろう。
戦争で問題を解決していた諸勢力に対して違う解決方法があることを指し示す灯台になるだろう。
世界から戦争をなくすためにも、憲法九条を守るべきだしそれを世界に知らしめる為にも憲法九条は世界遺産に認定すべきである。
論理的に展開できたし、自分なりに納得のいく形にまとまったと思う。
もちろん、こういう考え方に反発する人もいるだろうし、受け入れられない人もいると思う。
周りの国があるなかで日本一国が武装放棄できないとか、他の国への不信から軍備を充実させるべきだとか、領土問題の有るなか憲法九条は非現実的だという人がたくさん居ます。
それはそれで、現実的で大事な考えだと思います。このことはこの本でもふれられてる問題です。
でも、よく考えて欲しいのは現状でも憲法九条があるわけじゃないですか。
憲法九条があるなかで、自衛隊も有り現実問題に対処しているわけなんです。
戦争しなくてもいいときに戦争したがる人が居るのは、戦争をする事によって儲かる人が居るからです。
人の命でお金を儲けるようなことよりも、たとえ効率が悪くてもみんなでより良い世界を模索していくほうがいいと私は考えます。
今は沈静化している憲法改正論議ですが、現在の状況だといつ再燃してくるか分かりません。
そこで考えて欲しいのは、今憲法を改正するって言っている人間が、果たしてこの奇跡的に作られた憲法よりも素晴らしい憲法を作ることができるのであろうかということです。
憲法を変えたいといっている人間が、何を望んでいるか考えて欲しいという事です。
もちろんこの本はこれだけの内容ではなく、憲法九条に留まらないいろいろな題材を扱った私にとって読む価値のあった本でした。
お勧めします。
(ブログに書いたことを再編集しました。)
最終更新:2011年02月18日 14:11