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47日の高瀬舟

風の音が静かに響く。
背丈の低い草花が風になびき、彼の頬をくすぐった。
「…んっ…?」
彼は目を覚ます。眼の前に広がる視界はぼやけていた。

(…あ、れ?確か、僕は…。)
寝ぼけた頭の中の記憶を探りながら、彼はゆっくりと体を起こす。
地面を探り、見つけた自分の眼鏡をかけ、眼の前に広がった世界に彼は絶句した。

色とりどりの小さな花が一面に敷き詰められている。
その先には灰色の地面、そして水面。
そこは、彼の知っている世界とはまるで違った。
そしてやっと思い出した。
そうだ、僕はあの時「死んだ」んだ…。


灰色の地面は薄く丸い石だったようだ。
あたりを見回しても、いる人間はほんに僅か。
しかも彼らはこの石を集めては、積み重ね続けている。
何をしているのだろう。純粋に疑問に思い、直ぐ近くにいた少女に声をかけようとした。
その直前だった。

「…おい、そこの。」
肩を叩かれ、振り返った。
自分よりやや背の低い、少年のような男だった。
上は黄色、下は薄紫の袴姿。上から袴と同じ色の上着を羽織っていた。
首には赤く大きな首飾り。四角いそれには逆さに「獄」と刻まれていた。
右目の下には赤い刺青。そしてこちらを見る目は血のように赤かった。

「お前じゃろ、『オトナシ カイム』とか言うのは?」
「え、あ、はい。貴方は…?」
「お前の迎えに来た者じゃ。ついてこい。」


水面に浮かぶ小さな船には、彼ら二人だけが乗っていた。
「…あの、此処は何処なんですか?それに、先程の人たちは…?」
「落ちつくんじゃ。一つずつ説明する。まず、此処は人間界の死者が渡る輪廻の狭間。通称「三途の川」じゃ。」
「さ…、「三途の川」?」

生前国語教諭だった彼は、何度も古典作品に触れていた。
必然的にこういった死者の国に対する文章も触れるわけだが、本当に存在するとは思わなかった。
「…じゃ、じゃああの人たちは生前に罪を…?」
「そうじゃ。罪を背負って、なおかつ前世に未練のあるものたちじゃ。」

生前に罪を犯し、未練を残した者はあの河原…「賽ノ河原」で石を積み上げる。
天高く積み上げ切るまで、三途の川を渡ることは許されない。
しかし、折角積もあげても、時折やってくる鬼にその石の塔は崩され、またはじめから…を延々と繰り返すのだ。
先程彼が声をかけようとした少女も、その一人なのだろうか。

「…そうですか。本当に僕、死んでしまったのですね…。」
「今更後悔したところで運命は何も変わらん。今は事実を受け入れて、来世に期待するんじゃな。」
興味がない、という風に目の前の男は櫂を漕ぎながら言った。

「…向こう岸につくまで、どれくらいかかります?」
「知らんのか?49日って言うじゃろ?あれはこの三途の川を渡り切る期間なんじゃ。」
「ああ、そうだったんですね。」
「そして、生前の記憶を完全に失う期間でもある。」
男がそう言うと、彼は「そうですか…。」と頭を垂れた。

「皮肉な話ですね。「人の噂も75日」なのに、その半分の期間で皆忘れ去ってしまうなんて…。」
「…。」
「…あの、もし良かったら、貴方の名前、教えていただけませんか?」
「? わしの、名前?そんなの知ってどうするんじゃ?どの道直ぐに忘れることになるぞ。」
「いいんです。せめて49日だけでも、貴方の名前を覚えておきたいから。」
戸惑う男。今までにそんなこと、言われたことがないのだろう。
それほどまでに彼は親切で、無邪気で、無知だった。

「…二代目閻魔大王・地獄王じゃ。獄王と呼べ。」
「えっ、閻魔大王がなんで、こんなことを…?」
「まだ本職にはついとらん。今は初代が仕事をしとるからの。わしはまだこれが仕事なんじゃ。」
「そうなんですか…。」





櫂が水を切る音だけが、あるはずもない空間に響き渡る。
二人の男は黙ってその音に聞き入っていた。
既にどのくらいの時が流れたことだろう。
そんなことさえも分からなくなっていた。

「…もし、向こう岸で閻魔大王が待ち受けているのならば、僕はきっと地獄に落ちるんでしょうね。」
「? どうしてそう思うんじゃ?」
「だって、何か罪を犯したから、僕は早く死んだのでしょう?」
自嘲気味に彼は言った。

「それに、罪を犯さない人間は絶対いません。罪を犯すことで地獄に落ちるのなら、僕も、誰もかも…ね。」
「…確かに、罪を犯さない人間はおらん。」
彼の言葉を肯定し、未熟な閻魔は返した。
「でも、お前はきっと浄土へ行ける。わしが保証してやるわ。」
「…ありがとうございます。でも、いいんです。」

「僕は、自分の罪と真剣に向き合いたいんです。そのためにならどんな罰でも食らいましょう。」
「…初めてじゃ、嘘偽りなくそんな言葉を言った者は。」
男は笑った。彼も微笑みを返した。


このまま静かに49日が過ぎ去る。
二人はそう思い込んでいた。
しかし、転機は47日目に起こる。
向こう岸が見えてきた、その時だった。


「…わっ!?」
突然、小さな船の底に穴が開いた。
いや、違う。穴の色が闇のように暗い。
その真上に居た彼が支える地面を失くし、そのまま穴に入りこんだ。

「危ない!」
その右手首を、男がつかんだ。
引き上げようとするも、向こう側からもものすごい引力で引っぱられる。
彼は慌てて叫んだ。
「離してください!このままじゃ、貴方もこっちに引きずり込まれます!」
「いや、それはできん!」

櫂を握っていた手も手首をつかみながら、男は叫んだ。
「その先は鬼門じゃ!輪廻転生から外され、「存在」として永遠に彷徨い続けなければならん!罰どころか、幸せもそこにはない!」
「なら、尚更離してください!貴方まで巻き込むわけにはいかない!それに!」

「これは僕の真下にできた。なら、これこそが僕の受けるべき罰で、僕の定めなんです!」
彼は男の手を振り払った。
すぐさま引力が彼を襲い、闇の奥に吸い込まれていく。
離れた手を再び握ろうと男は手を伸ばしたが、もう届かなかった。

「カイム!!」
「獄王さん!御縁があれば、いつかまたお会いしましょう!あなたとの47日間、僕は決して忘れませんから――!!」
その言葉を最後に、彼は「実体」を失った。

跡形もなくきえさった穴に向かって、男は言った。
「縁なんて…もうありえなかろ…。わしとお前は、もう、二度と会えない…。」
心なき閻魔に、初めて心がうかがえた瞬間でもあった。


47日の高瀬舟


ソノココロハトワニツナガリ
ノチニフタリマノウイチド
ユイイツムニノナカマトシテ
サイカイスルコトニナロウトハ

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最終更新:2011年07月30日 04:32