僅かに黒を見せる白い地に、穂先を下ろして滑らせる。
白が黒に染まり、ぼんやりとにじむ。
その感触を最後に感じたのは何時の事だろうか。
からん、と下駄の音が響く。
河川敷の上にかかるコンクリートの橋に身を預け、一人の女が河からの風を感じていた。
巫女の服に白装束を羽織ったその姿はすぐに神社や寺の関係者を思わせる。
肩ほどで切りそろえられた黒髪を靡かせ、彼女は眼を僅かに伏せた。
「…河がもう少し綺麗だったら、きっと筆をとりたくなっていたでしょうね。」
濁っていてよかった。彼女はそう呟く。
彼女は昔、水墨画師だった。
和紙の上に筆を滑らせ、見事な水墨画を描いていたのだ。
しかし、それは過去の話。
今では描くことすら、筆をとることすらできない。
それが悲しくて仕方が無いのは、言うまでもないことだ。
それでも彼女は、いかせのごれにある美しい景色を求めて時折外を歩く。
「…あ、いたいた!
サシエちゃーん!」
後ろから声をかけられた。振り返るとその子は、よく見知った顔で。
「今からウスワイヤに行くんだけど、一緒に行かない?」
「…そうですね。行くあてもありませんし、御一緒させてくださいな。」
「そういえば、最近
ミノリさんをみましたか?」
「ミノリさん?そういえば少し前に
ミユカさんに忘れ物を届けにきたけど、それきり私はみてないなぁ。」
「そうですか…。久しく会っていないのでそろそろお会いしたいものですが…。」
サシエ、と呼ばれた女は少し寂しそうな顔をした。
「妖怪嫌いだとは仰いますが、私と仲良くしてくださったものですから…。」
すがるようで、なんだか申し訳ないです。と彼女は言う。
「そんなことはないよ。仲良くできる人間がいることは嬉しいことだから。」
「そう、ですね。妖怪は人間と仲良くなれないわけではないのですし。」
「素直に喜んでいいんだよ。私も人間の友達、できなかったから。」
空を見上げれば、美しい青に染まっていた。
太陽がほんの少しだけ西に傾いた中、巫女装束姿の女が少女と並んで歩く。
その両肩に、少女の手を引く白い腕は、なかった。
腕を亡くした水墨画師
白装束の隙間から見えたのは、包帯の巻き付いた2本の「生腕」だった。
最終更新:2011年10月06日 17:28