某所、某日。
八十神千鶴はとある男とささやかなティータイムを楽しんでいた。
「それでですね、その時編集長が『これはスクープだー!』って言って聞かなくて…」
「おやおや、それは災難でしたね。」
「まったくですよー、っふふ。」
千鶴は軽く笑うと、手に持っていたカップに口を付け、中に入っているココアを飲んだ。
まろやかな甘さが口いっぱいに広がると、幸せそうに顔を綻ばせる。その様子を男は見つめながら、
彼もまたカップに入ったストレートティーを一口含んだのであった。
__この男こそ、あの
ヴァイス=シュヴァルツである。
しかし、今回のケースにおいてヴァイス自身が千鶴に干渉しに来たのではなく、
かといって千鶴自身が彼を知っていて、かのパニ・シーのように交流しに来たのではなかった。
出会いのきっかけはまさに些細なもの。
千鶴が近くのスーパーに買い出しに行き、一通りの買い物を済ませさぁ帰ろうとした時に、
誤って足を崩し転倒をしてしまった。もちろん、手に持っていた荷物も地面へと散乱してしまい、
千鶴は慌てて中身の物を回収していた。その時、たまたま千鶴の購入した林檎を拾い上げたのが、
一般人に扮していたヴァイスであったのだ。
『…これは貴女のですか?』
『あ、はい!そうです!!ありがとうございます!!』
『いえいえ、…では、』
ガッ!!
『…?』
『あの、よろしければお礼をさせてください!!』
『いえ、ワタシは』
『お礼をさせてください!!』
『あの、用事が』
『お礼をさせてください!!』
『…』
…と、善意の押し付けをされ、断るわけにもいかなくなってしまったヴァイスは、
千鶴に半ば拉致される形でいかせのごれの北のはずれにある
霜月堂まで連行されてしまったのであった。
「(お茶するだけなら近くに喫茶店があったでしょうに…)」
わざわざ遠いところまで足を運ばせるとは、無計画にもほどがある、と彼は内心あきれていた。
まぁ、お菓子や飲み物などは他と比べて格別に美味しかったので文句はそれほど言えなかったが。
霜月堂に着いてからは、洋菓子や紅茶を交えつつ、他愛もない会話をしていた。
いかせのごれのこと、八十神千鶴について、彼女の故郷である島根で過ごしていた時のこと。
ヴァイスにとってはこの上なく退屈な会話である。
「…そういえば、トランスさん。」
「はい?」
トランス、というのは偽名だ。ヴァイス、と名乗ってもよかったのかもしれないが、
先の騒動で名が高くなった上に、彼女は自らをジャーナリストと名乗っていたので不用意な争いを避けるべく、
トランス=パレンツという偽名を作り上げたのだ。後に不都合が生じたとしても、
その時はこの女を事故を装って消してしまえばいい。それぐらい、彼にとって造作も無いことだった。
そんな彼の黒い企みなど露知らず、千鶴はきょとんとした表情でヴァイスを見つめていた。
「何ですか?」
「トランスさんは小さい頃、何をしてたんですか?」
「小さい頃、ですか…」
彼の脳裏に映るのは、穏やかな幼少期ではなく、母親を壊したあの日のこと。
能力に圧され、獣のように走り回り、最期は階段から落ちて死んだ母。
そして、あの驚愕と恐怖に染まった顔。
「…っふふ、」
「?」
「いえ、昔を思い出して少し……そうですね、特に変わったことはしていませんでしたよ。」
そう、幼子が無邪気に蝶の羽根をもぎ取るのが普通かのように。
「そうですかぁ、なんだか楽しそうで良いですね。」
楽しそうにそう応えた鈍感な千鶴に、対してヴァイスからも質問を投げかけたのであった。
「チヅルさんは?」
「え、私ですか?うーん…一人遊びが多かったですかねー」
「おや、ご友人は?」
「いなかったんです、変なものが見えて気持ち悪いって疎まれてたので。」
「…ほう。」
「あー…トランスさんも今ので引きました?」
「いえ、ここは色々な事情を抱えた人達が多いですし、
チヅルさんのような方がいても不思議には思いませんよ。」
「そ、そうですか…」
ホッ、としたのか千鶴は軽く笑って、再びココアを口に含んだ。
やけに気性の明るい者に暗い過去があってもおかしくはない、「壊れた朱鷺」の例もある。
むしろ、そういった過去は壊す上での材料にもなる。
…少し、引き出してみようか。
そんな僅かな好奇心を持ったヴァイスは、「チヅルさん、」と優しく声をかけ、視線を合わせた。
彼女のエメラルドを彷彿とさせる緑の瞳がかち合い、そして、
___サワルナ。
「っ?!」
「わっ!?!」
ヴァイスが能力を発動させる直前、先ほどまで無風だった空間に突如突風が吹き荒れ、
目の前にあったカップが彼に向かって飛び、その中に入っている液体をぶちまけてしまったのであった。
穏やかなお茶会も、今となっては台風が去った後のように凄惨なものとなっていた。
「びっちゃん!?何するのもー!!だ、大丈夫ですか!?」
「…いえ、大丈夫です…」
千鶴が慌てて、傍らにあったナプキンを手に取ると汚れた衣服やら顔やらを拭き取り始めた。
ふりかかったのが紅茶だけでよかった、下手をすればティーカップが割れ、
汚れるだけの事態では済まされなかったであろう。ヴァイスは側で転がるティーカップを見つめながら、
そう悟ったのであった。
「…触らぬ神に、祟りなしですか。」
ヴァイスのその呟きに反応したのか、千鶴の背の向こう側にいる何かが蠢いた気がした。
八十神千鶴と白き闇の有り触れたお茶会?
「ごめんなさい、トランスさん…!!」
「大丈夫ですよ、服もそれほど汚れてませんし。」
「弁償しますから!」
「いえ、だから大丈夫と」
「弁償しますから!!」
「チヅルさん、話をですね」
「弁償しますから!!!」
「…」
最終更新:2012年01月06日 12:58