「あらら、お天道様が転んだかな。」
夕ご飯の材料を買いに出掛けていた八十神千鶴は、曇天の空を見上げながらそう呟いた。
マンションを出る前までは雲一つなく、綺麗な夕焼け空が浮かんでいたというのに・・・
なんとも嫌な『奇跡』が当たってしまったものだ、と千鶴は深いため息をつく。
傘は家には備え付けてある。だが今マンションでは知り合いのなんでも屋が部屋の留守番をしており、
絶対に家から出るなと頼んでしまった為に呼ぶにも呼べないし、かといってタカミムスビ神衛隊を使ってしまえば、
空中に荷物が浮かんでいる、だなんて怪奇現象が明日の朝刊を載りかねない。
…いかせのごれであれば、大抵の異常は日常茶飯事かもしれないが。
「…仕方ない、走って帰るか!」
結局千鶴はスーパーの袋を持ち直すと、早歩きで外へ飛び出したのであった。
しかし、その瞬間雨が激しく降り始め、マンションとスーパーのちょうど中間辺りで大雨となり、
千鶴へと襲い掛かってきたのであった。纏っているコートは水分を吸収し過ぎてしまい、
黄土のような色合いに変わる。その上重量が増して、足取りも重くなっていく。
これは帰ったらすぐ着替えないと、と少しの危機感を覚えながら走り続けていたその時であった。
「・・・ん?」
あともう少しでマンションに着く一歩手前で、彼女は不意に立ち止まったのだ。
どうしたのか、と心配そうにタカミムスビ神衛隊が周りを飛び交うのを余所に、
千鶴は何かに誘われるかのように道を戻り、途中にあった路地裏へと入っていった。
「!ひと、」
そこで彼女が見つけたのは、ゴミ箱にもたれている黒ずくめの青年であった。
彼は胸に手を当ててそのまま目を瞑っていたが、押さえている掌は赤く染まっている。
怪我をしているのだ、と千鶴は嫌でも分かった。
「きみ、大丈夫!?」
「………」
声をかけてはみるが、一向に目を覚ます気配はない。
身体は冷たく、呼吸も途切れ途切れで、いつ止まってもおかしくない様子だ。
「………」
手には荷物、目の前には怪我人。
そして、八十神千鶴が下した判断は、
「…で?何ですか、これは。」
「拾った!」
いかせのごれ駅近くにある、とあるマンションの一室。
留守番の依頼を受けた
ソウヤが玄関で出迎えたのは、大雨に当たってずぶ濡れになっている依頼主・千鶴と、
水滴がたくさん付着しているスーパーの袋、そして、彼女が背負っている怪我人であった。
千鶴はブーツを乱雑に脱ぎ、背負ったままソウヤの横を通り過ぎると、リビングのソファへと怪我人を寝かせた。
何事かと後を追ってきたソウヤは、その怪我人を見てぎょっとした。顔が青白いだけでなく、
胸の辺りが斬られたかのように破れており、服は黒いにも関わらず赤く滲んでいることが分かるほど、
血が流れて落ちていた。
「一体…これは…」
「話はあと、とりあえずソウヤくんお湯持ってきて!あと救急箱と、タオルと…」
「…救急には連れて行かないんですか?」
「駄目!それは駄目!とにかくそれすぐ持ってきて!」
「わ、分かりました!」
いつにない気迫の千鶴に慄いたソウヤは、とりあえず指示された通りの物を運んでくることにした。
天候も悪いし、外に連れ出したのであればますます容態が悪化するだろう。
それを見越してチヅルさんはああ言ったのだ、と、とりあえず今抱えた疑問に関しては、
そんな解釈で納得することにしたのであった。そして、怪我人を目の前にしている千鶴はといえば、
汚れて湿っている服をなんとか脱がそうと奮闘していたのであったが、傷跡を外気に晒した時、
ぴたりと動きを止めてしまった。周りの神衛隊達が千鶴を見つめていると、
彼らに語りかけるように彼女は口を開いた。
「…なっちゃん、この人の『得物』は?」
テーブルの上にいる小さな女の姿をした妖精に問い掛ければ、その小人は足元にあるソレを軽々と持ち上げて、
千鶴の元へと運んできた。それは、血のついた鉄パイプであった。しかしその鉄パイプはバトンほどのサイズしかなく、
綺麗に切断された痕があった。千鶴はそれを受け取ると、やっぱり、と呟く。
「…この傷じゃ、ちょっと手に負えないね。やっぱり、お医者さんよぼっか。」
ふよふよ
「大丈夫だよ、この時間帯ならまだ起きてるだろうし。星さんのとこにいると思うから。」
千鶴はテーブルの上に鉄パイプを置くと、鞄から携帯を取り出し、天河探偵事務所へと電話をかけた。
「…もしもし?星さんですか?夜分遅くにすいません、ちょっとこっちに来てほしいんですが…
はい、実は怪我人を預かりまして…クランケさんの力を借りたいんです。…民間じゃ、駄目なんです。
…まだ予想の域なのですが、こちらに来てくださってから事情をお話します。
無茶だと分かってますが、とにかく早急にお願いします。…はい、ありがとうございます、お願いします。
…はい、それでは。」
「チヅルさん、持って来ました。」
千鶴が通話を切ったその直後、ソウヤは彼女に頼まれていたお湯の入った洗面器とタオルを持って、
リビングにやってきた。周りの神衛隊達も彼を手伝ってか、薬箱や包帯を手に持ちながら奥から彼の後を追ってきたようだ。
ありがとう、と千鶴はソウヤに声をかけると、早速タオルをお湯で濡らし、傷跡に当てて除菌し始めたのであった。
そうですか、とソウヤが呟くと、先程頭に引っかかった疑問を千鶴へとぶつけた。
「何故民間の救急に行かなかったんですか?」
「連れてける人じゃないからだよ、殺人を犯した人間を公的機関に送り込んだら捕まるがオチでしょ?」
「さ、殺人?って…!これ、じゃあ凶器ですか…!?」
ソウヤは驚愕した表情でテーブルの上に置かれた鉄パイプを見遣れば、千鶴はこくんと頷いた。
「そう、だから一応証拠が残らないようになっちゃんに頼んで家に持ち込んだけど…現場検証された挙がっちゃうかもね。」
「何してるんですか貴方は!?殺人犯をわざわざ匿うだなんて馬鹿な真似を…!」
「んー…だってさ、」
一度、身体を拭く手を止めてソウヤの方を振り向いたが、その顔にはその場に似つかわしくない、
笑顔が浮かべられていた。そして一言、
「ほっとけなかったんだもん。」
「………」
「まぁ、後どうするかはさ、この人が目覚めてから決めよ?今叩き出すのは可哀想だよ。」
「…可哀想って…」
ぴんぽーん
「あ、来た来た!ほら、ソウヤくん出て!」
「え、あ、はい。」
何度か鳴らされるチャイムと千鶴の早く行けと言わんばかりのジェスチャーに押されて、
ソウヤは玄関へと向かったのであった。恐らく、扉の外では千鶴の言っていたクランケという客人が待っているであろう。
「……はぁ…」
___どうやって無関係者を装って逃げようか。
そんな、もしもの事態の対処方法をソウヤは考えながら、玄関の扉を開いたのであった。
八十神千鶴の不可思議な拾い物
「………」
そして翌朝。
ソファの傍で眠る千鶴よりも、壁にもたれて寝ているソウヤよりも早く、
この殺人犯が目を覚ましたのだが、それはまた別のお話。
最終更新:2012年02月01日 14:24