「あ、」
教室に現れた人影を目にして、思わず
シスイは自分の席から立ち上がった。
「アッシュ!」
ここ一週間、一度も学校に姿を現さなかった彼の姿に、思わず駆け寄る。アッシュはシスイの方を見た後、なぜかすぐに顔を逸らしてしまった。
彼の様子は、頬にガーゼが貼ってあったり、手足に包帯が巻かれるなどしている。それを見とめて、シスイの表情がにわかに険しくなった。
「お前、どうしたんだよ、一週間も学校休んで」
「…………」
「しかもその傷……まさか、何かと戦って――」
「……人様の心配をするなんて、余裕だね」
「え?」
思わぬ言葉に、シスイが目を丸くする。そんな彼に向かって、アッシュは嘲笑するように笑った。
「何? もう忘れたの、兄さん? ……僕は兄さんを殺したいんだよ? いかせのごれで唯一の麒麟になる為にね。つい一か月前だって、兄さんは僕に殺されかけたんじゃないか」
「……だけど、お前を心配するかどうかは、俺の勝手だ」
「ハッ……本当に、天井知らずのお人好しだね」
アッシュはシスイの脇を抜け、自分の席へと向かう。
その、脇を抜ける間際、
「――兄さんのそう言う所、僕は大っ嫌いだ」
そう彼は言った。シスイは驚いたように振り返るが、アッシュはそんな彼にもう一瞥もくれない。
自分の席に向かう途中、トキコの傍を通りかかって彼は立ち止る。頬杖をついていたトキコは、アッシュの存在に気付いて不機嫌そうに顔を上げた。
「何よ?」
「…………」
じぃ、っとアッシュは何も言わずにトキコを見つめている。その無言の圧力で、いつかの下駄箱のやり取りを思い出してしまい、トキコは思わずうっ、と後ずさる。よもやこんな朝っぱら、衆人のいる中でやらかす事は無いは思うが――
「――ひゃっ!?」
いきなりアッシュは、トキコの身体を抱き締めた。突然の出来事に、思わずトキコは声を上げてしまう。クラスメイトが一斉に視線を向け、女子の中には思わず目を見開きながら口元に手を当てているものもいる。無数の視線に晒され、トキコの頬が一気に赤くなる。
「ちょっと! いきなり何すんのよ、このどスケベ!」
堪らず、罵倒を浴びせつつアッシュの身体を押し返す。思ったより呆気無く彼はトキコから離れ、彼女を抱き締めた手を何やら見つめていた。
「……良かった。今度は、本物だ」
「はぁ!? 訳の分からない事言わないでよ、もうっ!」
顔面を真っ赤にするトキコだが、そんな彼女に構う事無く、アッシュはまるで安心したような笑みを浮かべた。それから、彼は何事も無かったかのように自分の席へと向かっていく。
「……何なのよ、あいつ……」
なかなか熱の取れない頬を摩りながら、トキコは呟いた。
――・――・――
「……お前、すげぇよな」
「何が?」
休み時間、リオトが話しかけて来たので、アッシュは内心で驚いていた。珍しい事もある。アッシュを毛嫌いしているリオトが彼に話しかけてくるなどとは。
「お前さ、トキコの事好きなんだって?」
「まぁね」
「はぁ……どうしたらお前、そんな風に堂々としていられるんだ?」
「君には一生分からないだろうよ、臆病者の高嶺利央兎ちゃん?」
アッシュがそう言うと、リオトの表情がぐっ、と強張った。しかし、彼は言い返しては来なかった。拳を強く握っていたが、そこまでだった。
「……ああ、そうだよ。俺は臆病者だ。ユウイに想いを伝えられない、臆病者だよ……」
「だけど同時に、誰よりも彼女を想う愛情がある」
よもや、アッシュからそんな言葉が出るとは思わなかったのだろう。思いっきり目を見開きながら、リオトは彼の方を見た。
「何を、」
「だってそうだろ。君が恐れているのは、ユウイちゃんに振られるとか、そんな下らない話ではなく――もし想いが通じ合ってしまったら自制の効かないであろう、自分自身への恐怖だ。君にはそれが、決してユウイちゃんにとっての幸福にはならないと言う理性をしっかり保っている。保っているからこそ……感情が抑えきれなくなった時の自分が、怖くてたまらない」
「…………」
リオトは、信じられないものでも見つめるようにアッシュを見る。毛嫌いしているからこそ、全くと言っていい程接していなかったと言うのに――その毛嫌いしている相手に、まさかここまで自分の事を知られているとは。
そんな彼に向かって、アッシュはにぃ、と悪戯っぽく笑って見せた。
「周囲の人間の心を見るのも、立派な家臣の、麒麟の務めだよ。もっとも、兄さんはその辺りが疎い様だけど……」
「……もっとお前の事嫌いになった」
「おや、残念。僕はリオちゃんの事、結構好きなんだけどなぁ」
好きと言われて、ここまで嫌悪を抱く相手も珍しいとリオトは思った。
(けど……少し位は、見直してやってもいいのかもしれない)
そんな事を、不覚にも思ってしまった。
「あ、一応言っておくけど、君が臆病者なのは変わらないからね」
「何?」
「だってそうだろ? 勇気があるなら、両想いになった上で自分を自制しよう、って意気込む筈だもの。それなのに君は、初めからそもそも「自制なんて出来やしない」と諦め、そうなった時を想像して怖がってる。これを臆病者と言わずして何と言う?」
意地悪そうに笑いながら、アッシュが言う。見直した傍からこれだ。
前言撤回だ、とリオトは思った。
「……俺、更にお前の事嫌いになったわ」
「ちぇ。僕、みんなに嫌われてばっかだ」
半眼で睨むリオトに、アッシュは無邪気な笑みを浮かべるのだった。
――・――・――
昼休み、屋上。
何時もの面子が、そこには集まっていた。
「にゃー!? トキコてめぇ、また俺のおかずを!?」
「ごっそさんです!」
「ちょっとー、トキコちゃんー? 兄さんのばっかりじゃなくて、僕のも食べてよー」
「ちょ、アッシュ!? 何だよ、その重箱は!?」
「何だよって、決まってるでしょ。トキコちゃんに食べて貰うために、大目に作ったんだよ?」
「大目ってレベルじゃねぇだろ!? 花見でもする気か、お前は!?」
さも当然の様に重箱を広げたアッシュに、たまらずシスイの突っ込みが飛ぶ。そんな彼らの様子が可笑しいように、笑う声が聞こえた。
「あはははは! いやぁ、都くん達は本当に面白いな」
「「ん?」」
思わず声をハモらせながら、シスイとアッシュは同じ方向を向いた。貯水タンクの上から手を振る、一人の女子生徒がいた。彼女の動きに合わせて、薄茶色のポニーテールが揺れる。
「誰かと思えば、犬塚さんか」
「おっはー、夕重ちゃん」
「おっはー」
「ん? 何だ、アッシュ? お前、犬塚さんと仲良いのか?」
「いやいや、兄さん。クラスメイトと仲が良いのは、当然の理屈でしょう? 僕はクラスメイト全員友達だよ」
「……お前今、全国のコミュ障敵に回したぞ……」
「それそれ! 見事に息の合った兄弟コントだよね!」
「誰が兄弟コントだ!」
素早く突っ込むシスイだが、夕重はそのたれ目がちな瞳を細めて可笑しげにくすくすと笑うばかりだ。
「ったく……ほら、そこも笑ってんな!」
シスイが指差した方向にいたのは凪と冬也だ。二人とも、並んで弁当箱を開けている。
「いやだってさぁ……」
「都先輩達、流石兄弟って言うか、本当に仲が良いですよね?」
「うん? ……まぁ、な……」
冬也の言葉に、シスイは微妙な、と言うか、複雑な表情で返す。そんな彼の様子に、凪は首を傾げた。
「……前から思ってたんだけど。都、お前、アッシュとうまくいってないのか?」
「……何で、そう思う?」
「いや、なんかさ、お前ら見てると違和感あるんだよな。仲良さそうに見えて、どこかぎこちないって言うか、何と言うか」
「……(存外鋭いよな、こいつ)」
「まぁ、その……ほら、いきなり弟が出来て戸惑ってる、って言うのもあると思うけど……」
「氷見谷さん、ありがとう。でも、大丈夫だ。これは、俺達の問題だから」
「……そうか」
毅然としたシスイの言葉に、自分達が踏み入っていい領域ではない事を感じたのだろう。凪はそれ以上、深く追求してくる事は無かった。
「都の事だから、大丈夫だと思うけど……もし、大変になったら、」
「分かってる。その時は、遠慮無く頼らせてもらうよ」
フッとシスイが笑いかけると、凪は照れ臭そうに顔を背けた。普段クールを装っている癖に、照れ屋なのは相変わらずのようだ。
「……都先輩の笑顔って、色々とズルいですよね」
「何の話だ、冬也?」
「別に……何でもないです」
何故か拗ねている冬也の様子に、シスイは首を傾げるしかなかった。
「……所で、シスイ君?」
「何だ、犬塚さん?」
「その……弟君、止めなくて大丈夫かな?」
「え?」
一体何事かと思って視線を向けると――そこには押し倒されたトキコと、それに覆い被さるアッシュの姿が。
「ちょ、一角君! ヘルプ、ヘルプ!」
「のわー!? 白昼堂々、何やってんじゃ、己らー!?」
アッシュを蹴飛ばし、トキコから無理矢理引き剥がす。地面を転がっていくアッシュは、フェンスに激突したところで停止した。
「ぶっ!? に、兄さん、僕はただ、トキコちゃんがピーマン残すから食べさせようと……」
「だからって、口移しは無しだよ!」
「アホか、お前は!?」
再び展開された兄弟コントに、屋上のそこら中から笑い声が上がった。
最終更新:2012年12月05日 17:18