「これで会うのは二度目だな、妖狐」
それは、いつかの托鉢僧だった。その言葉には再会を喜ぶような気配も無ければ、
タマモを敵として認識した感情も何も無い。まるで幽霊のような「無」。僧侶からは、何も感じられなかった。
「主は一体何者だ!? おりんに何をした!?」
「……見た所、それなりに高位の変化だと思ったのだが……何だ、気付いていなかったのか」
タマモの質問を無視し、僧侶は嘲るでも驚くでもなく、ただ淡々と言った。
「その幼子は死人だ」
あくまで淡々と。
場違いな程に、空耳な位に、雑音の様に、それはタマモの耳に滑り込んだ。
「何を……言っている……?」
「その幼子は、反魂で生き返らせた死人だ……そして、ジャシンを奉じる為の巫女でもある」
「何を言っていると――言っている!」
単調な男と違って、感情の込められた声が空き地に響いた。ぎろりと、肉食動物特有の目でタマモは睨みつける。しかし僧侶は、全く動じているようではなかった。
「おりんに何をしたと、妾は聞いているのだ! 答えろ!」
「……反魂の多くは欠点を抱えている。当然だ、鬼籍に登録された者を、無理矢理地上に縛り付けているのだからな。ある者は日を浴びれぬ身体となり、ある者は数日限りの命で再び瞳を開く……そしてこの幼子は、人の血肉を身体が求めるようになる」
「…………!」
自然と、視線が「りん」へと動いた。その瞬間彼女は、びくりと身体を震わせる……傍に倒れている人間の死体は、腹の部分が裂けて中身が無くなっている。それは確かに、動物に食われたような様子だった。
「死人であるが、生きている。その矛盾を解消する為だ。この方法で蘇った者は、自分の身体を維持する為に生者の血肉……とりわけ、生き胆を求める様になる。だから幼子は人を食った、それだけだ」
「そんなバカな事があるか! おりんは! ……今までずっと、妾達と一緒に暮らしていたのだぞ……!?」
人間の生き胆を求めていたと言うのなら、「りん」の近くには春美や、秋山の寺の者がいた。彼らに対して、「りん」は一度も牙を剥くような真似はしなかったのだ。
「りん」は死人などではない。ましてや、人食いな訳がない。
タマモの言葉はまるで、「そうであって欲しくない」と訴えているかのようだった。祈っているかのようだった。
しかし、そんなタマモの願いを、男は淡々と否定した。
「どうやら巫女は、自らの衝動に抵抗していたようだな」
「……何?」
「その幼子、一度たりとも肉を口にしていないのだろう、お前達の前では? ……人ではないとは言え、血肉だ。それを食わないようにする事で、人間を食べたくなる事を抑えていたようだな」
「な……」
「もっとも、夜な夜な抜け出しては、この辺りにいる犬や猫を食って衝動を紛らわすようでは、それも変わらん。おかげで、この一帯からは獣の類は姿を消してしまった……お前の様な、化生の類は除いてな」
タマモは再び、「りん」を方を向いた。「りん」は相変わらず震えている。
「おりん……お主は……ずっとこんな真似を……」
タマモの脳裏に、頑なに肉類を食べまいとする「りん」の姿がすぐに浮かんだ。あれは、好き嫌いで嫌がっていたのではない。
「おりん……おりん……! お主と言う奴は……!」
ただ、秋山の人間に自分が危害を加えてしまわないように……自分が人食いである事を否定する為に。
彼女は懸命に、自らの衝動と戦っていたのだ。
「すまぬ……すまぬ、おりん……妾は……妾は……!!」
一番近くで、傍で、彼女を見ていたというのに。
彼女が抱えている事に、彼女が戦っているものに、彼女が悩んでいる事に。
全く、気付いてやれなかった。
「……だが、そんな事をしても無駄だ。その衝動は、生き物が酸素を求めるのと全く同じだ。いつまでも息を止める事は出来ない……だから私がこの男を差し出した時、お前は耐えられなかった」
その結果が、この惨状なのだろう。「りん」は今まで堪えてきた衝動を抑えきれずに、目の前に出された人間に食らいついてしまった。しかしそれは、誰にも責められる事ではない。彼女にしてみればそれは、飲むものも無い砂漠の中で、突然水の詰まった水筒を差し出されたようなものだったのだから。
「予定より長くかかったが……八人……八人だ。ようやく集まった。これでジャシンを呼べる」
男はもはや、タマモの事など見えていないかのように、自分の足元にいる「りん」を持ち上げた。それに反応して、タマモは男に飛びかかった。
「おりんに触れるでない、下郎!」
「下郎とは失礼な。これでも私は坊主だ」
男がタマモに向かって手を翳す――と、その瞬間、まるでタマモの身体が貼り付けになったかのように、空中に固定された。身動きを封じられ、タマモは驚きに目を見開いた。
「こ、これは……!?」
よく見ると、タマモの身体には半透明の幽体が絡み付いていた。その幽体に、彼女は見覚えがあった。
「確か、レギオンとか言う作り物の幽体……!?」
「廃墟で見つけた拾い物だが、なかなか使えるな」
「ま、待て……!」
タマモが手を伸ばすが、レギオンは増殖してその数を増やし、彼女の身動きを封じていく。その間に僧侶は「りん」を抱え、まるで鞄でも持つかのように彼女を運んでいく。
「りん! りん――っ!!」
「――! ――!」
「りん」が大きく口を開け、何かを訴えようとしているのが見える。しかし、目に見えて必死な彼女の姿とは裏腹に、その小さな喉から声が発せられる事は無い。
闇が二人に被さり、溶けるように消える。どこかに隠れた訳ではない。気配は全くない。一瞬の内に、この場から僧侶は去ってしまった。
「この――雑兵どもが!!」
裂帛の気合いと共に、全身から妖気を放つ。その一撃で増殖していたレギオン達は、瞬く間に消え去った。
「はぁ……はぁ……」
その場に膝をつき、肩で息をする。だが、それもほんの少しの時間だった。
「待っておれ、おりん……妾が、助けに行くぞ……!」
連れ去られた「りん」を救うべく、タマモはその場から走り出した。
最終更新:2013年01月20日 15:09