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命の意味、想いの意味

「……来たのか」
「ええ」

何処とも知れぬ、暗闇の中。ベンチに一人座っていた火波 綾斗は、やって来た女性を見て目を眇めた。

「あの子は……」
「帰って行ったよ。まだ、やることがあると言ってな」

微かに笑って、言った。

「彼は、どうやら上手くやってくれたようだな」
「それと、スザクのために集まってくれた、友達のおかげね」

後ろに両手を回して笑むその姿は、驚くほど絵になった。

「そうか……それは、よかった。本当に、よかった」
「ええ……本当に、よかったわ」

言い交して、しばらく二人で笑う。ややあって、静寂が戻る。

「……綾斗さん」
「ん?」

疑問の響きを発した時には、既に女性が体ごと抱きついて来ていた。

「綾斗さん、綾斗さん……会いたかった……!」
「……琴音」





――――気が付くと、酷く体が重かった。
手足どころか、瞼をほんの少し動かすのも一苦労だった。まるで、僕の身体が僕のものじゃなくなったみたいに、意志が肉体に上手く伝わらない。
ましてや起き上がるなんて不可能な話だ。何か聞こえるけど、あまりに遠くてよくわからない。
全身の感覚が酷く鈍い。何て言うか、テレビの砂嵐がまとわりついてるみたいな、不快なような違うような、よくわからない感触があった。

(ううう……嫌だなぁ、これ……)

何とか動けないかと、身体のあちこちに意識を巡らせてみた。そうすると、少しずつだけど、身体が僕の言うことを聞くようになって来た。
端から徐々に感覚が戻り、まとわりつくような感触が引いていく。全身に圧し掛かっていた重さがすーっと消え、何かから解放されたような爽快感が体の中心から広がって行った。
ふと我に返ると、聞こえていた音の正体がわかった。

「お姉ちゃん……ねぇ、お姉ちゃん……?」
(アオイ?)

確かに妹の声……なんだけど、この口調は何だ? いつもの大和撫子気取りの馬鹿丁寧な言い回しはどこに行ったんだ?
それに思いを馳せるより早く、今度はゲンブの、マナの、ランカの声が聞こえた。
音の奔流に飲み込まれたみたいに、誰がなんて言ってるのかが上手く聞き取れない。それに紛れて、シスイやシュロ、アズールが呼んでるのも聞こえた。相変わらず何て言ってるのかはよく聞き取れないけど。
けど、一番耳に届いたのは、やっぱりトキコの声だった。

「鳥さん、まだ決心つかないの!? 言ったでしょ、私達まだ何にも始めてないんだよ、それでいいの!? 何が嫌なの、何悩んでるの!? 逝くのか帰るのか迷ってるの? だったら帰ってくればいいんだよ! 理由なんか簡単だよ、私がいるから! それで十分でしょ!? ここまで来てうじうじ悩むなんて、鳥さんらしくないよ! こっち側の方がいいに決まってるでしょ、とっとと帰って来ればいいんだよ、そんなこともわかんないの!?」

――――さすがにカチンと来た。
いくらなんでもここまで言われる筋合いはないだろう。だから、思いっきり不機嫌な声で言ってやった。

「――――うるさいよ、トキコ」

喧騒が消えた。不意に発せられた声に、その場の全員が固まっていた。
何より、呼ばれた当人であるトキコが一番硬直していた。その声が、言う。

「人の気も知らないで、あれこれ好き勝手に言ってくれるじゃないか。たった今まで死んでた人間に言う台詞か、それが? 確かに僕はあれこれと考えちゃいたけどさ……そこまで言われちゃ、悩んだら負けみたいな気がするだろ」

驚く全員の見る前で、目を開けたスザクは不機嫌極まりない顔でそんな事を言った。
その彼女は、未だ反応できない彼ら彼女らを目線だけで二、三度見回した後、感覚を確かめるように何度か瞬きをし、左手を取るアオイを見た。

「お姉、ちゃん……」
「……そんな顔するなよ、アオイ。全身重いけど、概ね問題ない。ああ、大丈夫だよ、僕は」
「お姉ちゃんっ!!」
「ちょ、うわぁっ!!?」

感極まってアオイが飛びついたが、手を握ったまま前に乗り出したのが失敗。思い切り引っ張られる形になったスザクは、何の対処も出来ないまま、

「のわっ!?」

右手を取って「天子麒麟」を使っていたシスイごと、ソファの下に転落していた。

「い、痛たたたた……何するんだよ、アオイ!」
「ご、ごめん、ごめんね、お姉ちゃん……つい……」
「そ、それより俺を何とかしてくれ~!」

言われてそちらを向くと、背もたれを乗り越える形になったシスイは、勢い余って頭が座卓と背もたれの隙間に挟まり、二進も三進も行かなくなってしまっていた。ゲンブとシュロが二人掛かりで引っ張り出した時には、頭に血が昇って顔が真っ赤になっていた。

「大丈夫か、シスイ」
「な、何とか……すみません、ゲンブさん」
「気にするな。それより……」

一息をついたゲンブが、床の上で身を起こしたスザクを見る。

「……よく帰って来た、スザク」
「お帰りなさい、綾ちゃん……」
「よう帰られました、スザクさん」

「……姉貴、よく無事で……」
「無事じゃなかったからこの騒ぎだと思う。……でも、よかった」
「ああ。本当によかった」
「ちょっと一角君! いつまで手握ってるの!」

トキコの怒声で我に返った二人が見ると、確かにシスイはまだスザクの手を握ったままだった。

「っと、済まない」
「いや……」

言われて手を放す二人だが、そのやり取りがさらにトキコの癇に障ったらしく、

「私を置いてラブコメるなー!!」

割り込むようにして突撃して来たかと思うと、威嚇するようにスザクの右腕にしがみついた。

「鳥さんは私のー! 取っちゃダメーッ!」
「そ、それダメ! お姉ちゃんは私のなの!」

すっかり素に戻ったアオイが反対の腕に縋りつく。当のスザクは俄かに勃発した修羅場に内心冷や汗を流していたが、この状態ではどうすることも出来ない。騒がしくなった室内の隅で、ブラウがアンと話をしていた。

「……どうやら上手く行ったな。これで、『彼』との約定は果たせたか」
「……事情はお聞きしません。それでは、私はこれで失礼いたします」
「む、何かあったか?」

ええ、とアンが頷く。

「京様から連絡が入りました。情報屋の皆様方に何かあったらしく、戻って来て欲しいと」
「緊急か?」
「危険がどうこうではないようですが、京様がお呼びであれば、迅速に駆け付けねばなりません。これにてお暇致します」

それだけ言って一礼すると、アン・ロッカーは足早に火波家を去った。恐らくあの情報屋「Varmlion」に戻るのだろう。

(俺も、長居をする必要はないか)

呟くが早いか、ブラウの姿は足元に発生した暗い凝りの中に沈むようにして消えていた。
それに気づいたのか気づかないのか、スザクがふと、呟いた。

「……アオイ」
「なあに、お姉ちゃん」
「母さんは……母さんは、どこにいるんだ?」

「……すまないが、俺は行かなければならない」

わかっていたことだった。綾斗は既に死んだ人間。ここに留まっている方が、本当はおかしいのだ。

「なら、私も……」
「……俺は、子供達にとって、いい親ではなかった。そんな俺が、最後に出来ることがあるとすれば……」
「あるとすれば……?」

「それは、母親を返してやることだ。俺が死んだばかりに、お前の命を縮めてしまった……俺はもう逝くが、お前は帰るんだ」
「わ、私も……一緒に……」

ようやく会えた最愛の人に、しかし綾斗は微笑んで別れを告げる。

「生きてくれ、琴音。子供達と一緒に」
「綾斗さん!」
「向こうで待っている……でも、あまり早くは来ないでくれよ」
「綾斗、さん……私は……」

それでも、綾斗は頷かなかった。決意は既に固まっている。たとえどれほど悲しまれようと、これだけは譲るわけにはいかない。
夫である前に、彼は親なのだから。

「……スザクとアオイを頼む。二人とも、あれで結構脆いからな」
「……はい」

その返事を聞いて、綾斗は灯っていた光の向こうに姿を消した。たった一言だけ、最後に残して。

「――――ありがとう、琴音。愛してる、ずっと……」




命の意味、想いの意味


(去り行く者、二人)
(帰り来る者、二人)


(去り逝く者、一人)

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最終更新:2013年01月22日 17:42