「………ぅ…」
泣きたくなるような全身の痛みで、アーサーは目を覚ました。
靄がかかっていたような思考が、ずきずきとした痛みに急速に覚醒していく。
「………!」
覚醒しきった頭でまず考えたのは、いつも持っていたパペット―ロッギーの行方だった。
いつも手にはめていた彼が、今はどこにもいない。
慌てたように辺りを見回し、そしてそれは程なく見つかった。
「っ!」
しかし、そのパペットはずたずたにされ、もはや原型を留めていなかった。
辛うじてパペットの面影が分かる程度だ。
幼い頃から愛用していたパペットの変わり果てた姿にショックを受けたが、悲しみにくれている暇はなかった。
(そうだ、長久…!)
階段から落とされる直前、アーサーが助けを求めようとした階下の相手。
彼は、無事なのだろうか。
そうだ、それに、ハヅルを助けてもらわなくては。
立ち上がろうとしたが、落ちた時に足を捻ったのか、全身を打ちつけたからか、体中に力が入らない。
仕方なく、歯を食い縛って応接室まで這っていった。
応接室は薄暗い。
灯りのスイッチには這い蹲った状態では手が届かず、立ち上がる気力もない。
それでも、全く見えないわけではないので、じりじりと這いながら辺りを見回す。
そうして見つけたのは、壁に寄りかかってぐったりと座り込んでいる長久の姿だった。
「……!!」
心臓が、跳ね上がった。
彼も、ハヅルと
同じように、やられてしまったのか。
おそるおそる、彼に近づく。
灯りの消えた部屋の中は薄暗かったが、その喉元にくっきりと残る手の痕は、はっきりと見ることが出来た。
「ひっ…!」
それがあまりにも痛々しく禍々しくて、思わず小さく悲鳴をあげて後ずさる。
どうしよう、どうしよう。それだけがアーサーの頭の中を駆け巡っていた。
死んでいるのか、いや体は温かい、まだ間に合うのか、早く助けを呼ばなくては。
そうだ、救急車、と電話を振り仰いで、行動が止まった。
アーサーは、パペットのロッギー越しでしか―腹話術でしか他人と会話できない。
普通に話そうとしても、言葉が口から出てこないのだ。
無理に言葉を出そうとしても、意味不明な唸り声しか出せない。
言葉に不自由しているわけではない。一種のトラウマのようなものだ。
今、ロッギーはいない。
頼れる人は、誰もいない。
アーサーは今、一人だ。
「………」
頑張らなくては、頑張らなくては。
自分が頑張らないと、二人が死んでしまう。
自分が、何とかするんだ。
日本には“火事場のお馬鹿力”なんて言葉もあるじゃないか。
きっと大丈夫だ。自分は、出来る。
自己暗示のように頭の中で繰り返し、泣きそうになるのを辛うじて堪えて、二人を助ける方法を考えようと頭をフル回転させる。
と、不意に電話が鳴り出した。
「!!」
ルルルルル、という電話特有の機械音に、思わずびくっと体を震わせる。
この応接室で電話があるのは、紅のデスクだけだ。
デスクまで這っていくと、何とか椅子によじ登って電話を見つめる。
「………」
アーサーに、余裕はなかった。
この電話が誰かは分からない。
けれど、助けを求めることが、できるのではないか。
(…大丈夫だ、大丈夫だ。
もしかしたら、自分で分かってないだけで、きちんと話せるかもしれないじゃないか。
やる前から決め付けちゃいけない。ベニー姉さんだって言ってた。
長々と話すわけじゃない、一言だ。たった一言、「助けて」って言えばいいんだ。
それぐらいなら、きっと大丈夫だ…)
自己暗示でもかけるように、何度も何度も頭の中で繰り返す。
意を決すと、震える手で受話器を取り、耳に当てた。
[…もしもし?]
「……!!」
心構えはしていたはずだった。
しかし、相手の声を聞き、答える瞬間になって、息が詰まったように呼吸が苦しくなった。
心臓の音が、電話の向こうにも聞こえそうなほどどきどきといっている。
アーサーは、受話器を持ったまま固まってしまった。
(言え。言え。たった一言だ。たった一言話せばいいんだ。
助けて、と言うんだ。二人を助けて、と言うんだ…!!)
頭の中で何度もそう繰り返しているのに、口から出てくるのはひゅうひゅうという息の音だけ。
電話の向こうの人物は怪訝そうに、もしもし、と繰り返している。
(早く!早く!!何か言わないと、このままじゃ切られちゃう!!)
焦れば焦るほど、声は喉の奥に引っ込んでいってしまう。
心臓の音がさらに大きく聞こえ、冷や汗が流れる。
気ばかりが急いて、何も出来ない。
何も、出来ない。
自分は、何も出来ない。
誰かの助けがなければ、一人では、電話の応対すら出来ないお荷物だ。
大事な人の危機に、助けを求めることすら出来ない、役立たずだ。
そう気づいたアーサーの目から、一筋の涙が流れた。
「………ぅぐ……」
階段を転げ落ちた時に打ち付けた全身の痛み。
自身が殺されかけた恐怖、ハヅルや長久を喪ってしまうのではないかという恐怖。
幼い頃から愛用し、いつも一緒にいたロッギーを喪った悲しみ。
ひどく静かで薄暗い部屋にたった一人でいる寂しさ。
電話の緊張、声を出すことができない焦り。
短時間に色んなものに打ちのめされ、感情がごちゃ混ぜになって溢れてきた涙を、アーサーは止めることが出来なかった。
「ぅ、ぅう゛………ぅああぁぁぁああぁ……!!」
そのまま、唸り声をあげて泣いた。
自分が電話をしていることも忘れ、泣き続けた。
一人ぼっちの影
(同時刻、とある場所では)
「…見つけたぞ」
「…おや、誰かと思えば7年前の少年じゃないか。大きくなったねぇ」
「ほざけ。すぐにその口を潰してやろう」
(研究者と鴉が、対峙していた)
最終更新:2013年05月14日 11:01