これは、誰も知らない物語だ。
これは、誰も知らない始まりだ。
これは、彼しか知らない物語だ。
これは、彼が生まれた物語だ。
そして、彼が死んでしまった終わりでもある。
あるところに、一人の少年がいた。
少年は、幼い頃より聡明だった。幼いながらも賢く、また他人の心の機微に聡かった。優れた観察眼を持っており、そのおかげで周囲から様々な物事を学び取る事が出来た。
普通の中流家庭に生まれた。親が特別な才能を持っていた訳でもない。特別な教育を受けた訳でもない。
ただそれは――本当にたまたまだったのだろう。
少年は幸福だった。普通に親に愛され、普通に友人に恵まれ、普通に自分を肯定できる世界に生まれた。
「持っているか」、「持っていないか」。いずれかで言えば、少年は前者だった。「選ばれた」立場の人間であった。そして少年は、幸か不幸か、幼い頃からその事を自覚していた。
出る杭は打たれる。持つ者は持たざる者に妬まれる。異端は排除される。
順応するコツは目立たない事。早い段階でその事に気付いてしまった少年は、極力無個性である事に努めた。他人と違う事を隠し、同じ形であろうとした。善人になる訳でも、悪人になろうともしなかった。ただ凡庸であろうとした。
その他大勢のモブキャラになろうとしたのだった。
それが一番楽な生き方で、それが一番摩擦を生まない生き方なのだと。早熟であるが故に、彼は気付いてしまったのだから。
だが、そんな彼と違って、彼の傍には己が光を隠す事も無く曝け出す者がいた。
その少年は、信じる光の存在だった。自らの周りを明るく照らし、力無き者に手を差し伸べ、己が悪と認めた者には敢然と立ち向かう。
少年もまた、彼と同じく異端であった。だが、取った選択が違った。少年は凡庸である事を嫌い、自らの光を惜しげも無く晒した。当然、持たざる者達は、光を持たない者達は反発する。だが、少年はそれに負ける事無く、己が力で輝き続けていた。
彼は、少年に憧れた。少年は強かった。反発する事に、不和を招く事を恐れて群れに埋もれた自分と異なり、群れの中にあっても自分の個性を失わない少年の強さに、その光に、ただただ憧れ、尊敬の念を抱いていた。
少年と彼は親友同士だった。異端と異端は惹かれ合う。彼がいくらうまく凡庸を装っても、その内にある光源/個性までは隠し通せない。
彼は憧れから、少年は同族を求めて。
似た者同士、二人は真実親友同士であった。
――・――・――
彼は幸運だった。それは間違い無い。
事実彼は、バスごと谷底に転落しても死ぬ事は無かった。常人なら死ぬ様な目に遭っても命を落とさずにいられたのは、真実幸運だと言っていい。
不幸だったのは、彼の親友だ。少年はこの事故で命を落とした。
そもそもこの事故は、本来なら起こらない筈の事故だった。一体誰に、そんな事を予測出来ただろう。休憩で立ち寄ったサービスエリアで男にバスをジャックされてしまうなど。楽しい筈の遠足は、一転して恐怖のバスツアーに変わってしまった。
少年の不幸さは、バスジャック犯に抗う為の勇気と能力を、幼いながらにも持ってしまっていた事だろう。もし少年がもう少し臆病者だったら、もし少年の能力が普通の子供と同じ位しか無ければ、もし少年が目の前の悪を見逃せる狡さがあったら――もしかしたら、別の未来があっただろう。
だが、『If』に意味は無い。既に完結した物語の筋書きは変えられない。
少年は、バスジャック犯と戦った。彼はそれを見守った。結果――二人とも、死んだ。
バスジャック犯と少年が起こした乱闘の結果、運転手はハンドル操作を誤った。そしてバスは谷底へ転落し、その衝撃で二人共死んでしまった。二人がいたのは運転席だった。そしてバスは、フロントから真っ逆さまに落ちていた。
彼は、その光景を茫然と見つめていた。潰れた車体から零れ出る赤い液体。それが少年のものなのか、バスジャック犯のものなのか、或いは運転手のものなのか。そんな事、少年には分からなかった。
ただ胸の中にあったのは、「何故」と言う疑問。
こんなのあんまりだと、彼は思った。少年は、彼の親友は、間違っていた訳じゃない。彼は誰よりも高潔で、そして優れていた。目の前の悪党が許せなくて、それを何とかするだけの能力があって、そして自分に出来る事をやろうとしただけなのに。
生き残ったのは自分と、数人の同級生達と、引率の担任の教師。彼と同じく、ただ「見ている」だけだった人間達だ。
何故なんだ。何故生き残ったのは自分達なのだ。
こんな取るに足らない、「何もしなかった」人間なんかよりも――少年の方が、目の前の間違いを正そうと「行動した」少年こそが、生き残るべきじゃなかったのか。
何故、何故、何故。繰り返される自問自答。その果てに、彼は悟った。
嗚呼、そうだ。そうなのだ。
これが「世界」なんだと、彼は気付いた。
善も悪も、関係無いのだ。悪い事をしたから罰が与えられる訳でも、良い事をしたから優遇される訳でもない。ただ、どんな人間も、死ぬ時に死ぬ存在でしかない。善人も悪人も、そこにある価値は同じものなのだと。
燃料タンクから漏れ出したガソリンが引火し、彼の目の前でバスが燃え上がった。その光景を目にして、少年は笑っていた。声を上げて狂ったように、泣き笑いの表情で彼は笑っていた。
その瞬間だった。『彼』が産声を上げたのは。それは同時に、それまでの『彼』の死を意味していた。
≪混沌原理≫
(やがて『彼』は親の下から姿を消し、それから一度も姿を現していない)
(両親は捜索届けを出しており、『彼』は時折自分の写真を街で見かける)
(その度に、『彼』は嗤うのだ)
(もう九年も経つのにまだ諦めていないのか、と)
最終更新:2013年05月21日 17:49