「唐突ですが、ジングウさんの夢ってなんです?」
「はい?」
ホウオウグループ施設、屋上。そこで私達は、夥しい数のシーツや枕カバーを干していた。全部それぞれの所属員の物であり、本来はこう言ったものの選択は個人個人で行う筈なのですが、私がいる事をいい事に、何名かの横着者はその仕事を私達に押し付けているのです……全く、人が黙っているからいいものを。
――しかしメイド二人で洗濯干しとは、随分と絵になるな。
それはともかく、私と
サヨリさんの二人でそんな仕事をしていると、不意に彼女がそう聞いてきたのです。
「何ですか、藪から棒に」
「それはそうですけど、会話の始まりって大体そんなものだと思いますが?」
「はぁ……」
「それで、ジングウさんの夢はなんです?」
「その前に、何故そのような事を聞こうと思ったのか、そっちを聞きたいですね……」
パン、と小気味の良い音を立てながらシーツを張る。 ……この仕事をやり過ぎて、すっかり洗濯物を干す作業が得意になってしまいましたよ……いっその事、本物のメイドに転職してやろうか。
「えっとですね……ホウオウ様やジングウさんみたいに何者にも頼らない人は、きっと自分が抱いている夢を支えの柱にしていると思ったんです。だから、ジングウさんが支えにしているもの、ジングウさんの夢って一体なんだろうなー、って」
「……貴方、私が夢見るような人間に見えます?」
かるーく皮肉に聞こえましたよ、今の。意訳すると、「夢を見ないあんたの夢って一体なんなのさ」的な。
「無いんですか、夢?」
「そんな可愛げのあるものを持っていたら、こんな捻くれた人間に育ってませんよ」
「あ、自分で捻くれている自覚、あったんですね?」
「世間に受け入れられない。それは即ち、「捻くれている」、或いは「歪んでいる」という事にはならないのですか?」
「それは……まぁ……」
……まぁ、ここで言う「世間」と言うのは、一般世間だけでなくホウオウグループも含めてなんですがね。
「うーん……だったら、ジングウさんの信念は?」
「……今度は信念、ときましたか」
信念。己が信ずるべき理念。自分の中心に据える事で、己が揺らがないようにする柱と言う意味では、夢と同じ働きを示すもの。
――ああ、だったら答えは一つだけですね。
「ラプラスの魔は、やはりこの世に実存しない……ですね」
「ラプラスの魔? なんですか、それ?」
「ニュートン力学(今日の古典力学)によって仮定された、「この世のすべてを理解するモノ」の呼称ですよ。もしもこの世に存在する原子の位置と運動量を知る事が出来る知性が存在するならば、それはこの世に起こりうるすべてを見通すであろう、と言う理論です。もっとも、量子力学が主流の現在では、「そんなものは存在しない」という事になっていますがね」
「はぁ……」
「しかし――量子力学によってラプラスの魔が否定されなくても、私はそんなものは存在しないと言い切る事が出来ます」
この世のすべては不確定であり、何者によってもそれを見通す事は出来ない。それこそが、私の信念。
「かつての私」は、凝り固まった常識に囚われた囚人でした。この世のすべては理屈で、そして化学的によって証明する事が出来る。この世には一見して非常識な事が溢れているが、そのすべてを理論でもって説明をつける事が出来るのだと。
しかしあの日――あの二人が、そんなものは幻想であったと気付かせてくれた。
アダムとイヴ。私が創造を担当した、つがいの人工神。私が創ったのであるから、二人のすべてを私は理解している筈だった――理解しているつもりだった。しかし二人は、私の想像を超えて見せた。本来子を宿さぬ筈の人工神の間に、自分達の子を宿してみせたのだ。
その時です、私が悟ったのは。人工物でさえ、創造主の予測を簡単に上回ってしまう。ならば、この世に常識や定説など在って無いものだ。どんな知性であれ、どんな存在であれ、この世のすべてを理解する事は叶わない――そう、量子力学がラプラスの魔を調伏してしまったように。
「この世は「ワカラナイ」事だらけなんですよ」
「はぁ……なんか意外ですね、科学者であるジングウさんがそんな事を言うなんて」
「科学者であるからこそ、自分には理解出来ないのだと自覚するものですよ……それと、確かに私は科学者ですが、出来れば錬金術師と呼んでもらいたいものですね」
「錬金術師って……あの、鉛を金に変える?」
「それ以外に、何があると言うのです?」
「いやだって……錬金術師って、どっちかと言うとオカルトの方面じゃないですか。ジングウさんにはあってないような……」
「いいえ……これ程、私にとって適切な言葉はありませんよ」
先程、「夢は持っていない」と私は言いましたがね……それでも、「野望」でしたらあるんですよ。
ホウオウグループの実権を握る? いいえ、そんな小さい事ではありません。
それなら世界征服? いつぞや、そんな事を口走った気もしますが、実のところ、それにはあまり興味が無いんですね。
ホウオウを超える……ある意味、その通りだと言えるのでしょうかね。
私の野望は、グノーシス主義者の極地。即ち、上天に座す神をその玉座から引き摺り下ろし、それを踏み越えながら更なる高みを目指す事――神を、超える事です。
「……ふ、ふふ……くっくっく……」
「神を超える」、か。かつての私であれば、一笑に伏した事でしょうね。神などこの世に存在しない。そして存在しないならば、それを超える事など出来はしないと。しかしその価値観は変わった。変えてくれたのはアダムとイヴ、貴方達だ。貴方達が起こした奇跡が、私に神は存在するのだと証明してくれた。貴方達には、本当に――嗚呼、本当に感謝している。
「……ジングウさん?」
「おっと、失礼……」
サヨリさんが怪訝そうな顔をして私を見ていました。 ……いけないいけない、油断するとすぐこれだ。
「ところでサヨリさん、納得していただけましたか?」
「確かにジングウさんの信念は聞けましたけど……でも、「この世はワカラナイ事だらけ」って、それって信念って呼べるのでしょうか……」
「何を言っているんですか、立派な信念ですよ。何せこの考えがあるから――私は世界に興味を持ち続ける事が出来る」
「ッ――!?」
科学者にとって一番最悪なのは、自分が調べたい事が無くなってしまう事、調べる意欲を失ってしまう事。これ程の悲劇は無い。しかし幸運な事にも、世界はこんなにも未知で溢れている。世界がワカラナイ事だらけであってくれるから、私はそれに興味を失わずに済む。調べ物が無くなる事は無い。
「ジングウさんは……」
「はい? なんですか?」
サヨリさんがポツリと呟き、私はそちらを振り返る。彼女は俯き加減で、その表情をよく見る事が出来ない。
次に紡がれる言葉の続きを、私は待っていました。しかしサヨリさんは不意に顔を上げると、不自然な笑顔を作って私に笑いかけたのです。
「いえ、何でもありません! さっさと、洗濯物を干しちゃいましょう!」
「え? え、ええ……」
彼女の様子に、私は違和感を覚えました。しかし大した事ではないと思い、それ以上追求する気にもなりませんでした。
(今、目下の研究対象は、人工神から生まれた神の純血統種、
ファスネイ・アイズ……スイネさんです)
彼女の事を考え、思わず私はくっくっくと笑みを漏らしました。
(さて……貴方は一体何を見せてくれますか?)
『この考えがあるから、私は世界に興味を持ち続ける事が出来る』
ジングウがそう言った時、サヨリは気付いてしまった。
彼は根本的に「独り」であると言う事を。
最終更新:2011年03月13日 14:48