「……なんだよ、これ……」
トキコの様子を見に、彼女の家を訪れた僕は、絶句していた。アルトからある程度聞いてはいたが、この惨状は予想をはるかに越えていた。嵐が直撃したかのような有様だ。
無意識に上がり、中を見回す。棚は倒れ、食器は割れ、ガラスは砕け……だけど、求める人の姿は、見当たらない。
「トキコ……?」
小さく呼んで見るが、返事はない。ゆっくりと部屋の中を歩きながら、奥へと歩を進める。
目が向いたのは、浴室。中は良く見えないけど、ここから見る限り相当荒れている。
(そこにいるのか……)
何となく、足音を潜めて向かう。
「トキ―――」
言葉を失った。
壁に、鮮血が散っていた。
「こ、れは……」
予想はつく。―――あいつだ。シギとかいう、トキコの父親だ。
(またか……また、なのか……ッ!!)
僕の知らないところで、トキコはまた傷ついた。また、痛んだ。僕はまた、何もしてやれなかった。
親子の問題である以上、僕が入る余地はないのかもしれない。だけど、それでも、何かしてやりたい。
そこまで考えて、ようやく気付いた。―――トキコは、どこだ?
見慣れた靴はあった。外に出た形跡は見る限りなかったから、出かけたということはないはず。
じゃあ―――どうして、姿がない?
「………まさか……」
嫌な想像が浮かんだ。まさか、シギに連れて行かれたんじゃ……!?
「ッ!」
思った瞬間に走りだしていた。靴を履くのもそこそこに、部屋を飛び出して階段を駆け下り、行き先もわからぬままに道を駆ける。
(トキコ……トキコ……トキコ……!!)
まるで言い聞かせるかのように、心の中で彼女の名を叫びながら。
と、
「ね、姉様ッ!!」
「!?」
横合いから突然声をかけられて足が止まり、勢い余ってたたらを踏んだ。
「っ、ととと……あ、アオイ? どうしたんだ?」
「あ、ね、姉様……そ、それが、先ほど黒ずくめの男が、これを……」
震える手でアオイが差し出したのは、一通の手紙。封筒には入っていない。どころかその辺の紙に適当に書いただけの様な、簡単なものだった。
「これが……どうしたんだ?」
「な、中を」
見ると、アオイの顔が異様に青ざめている。どうしたのだろうか?
言われるがままに中を見た僕は、
「!!!」
凍りついた。
『想い人を頂きました。UHラボの研究施設がこの住所にありますので、こちらにどうぞ』
住所は、いかせのごれの外れの外れ、ほとんど人がいない地域。
最後を締めくくる名前は、
『weis』
―――その4文字の意味。ドイツ語で『白』。
あの、男だった。
――――トキコが目を覚ました時、そこは見慣れた自宅ではなかった。
この感覚は二度目だ。ついさっきまでシギに痛めつけられていた、その時と。
(……?)
身じろぎして二つ気付いた。身体が上手く動かない。感じる床の温度がやけに冷たい。
どうやら、自分は拘束されて床に転がされているらしい、と理解できた。
(まだ。やる気なのかな……)
ぼんやりと、そう思った。だが、頭を流れたその考えは、次の瞬間簡単に覆された。
「眼が覚めましたか」
「!?」
聞き覚えのない声だった。軽快にして重厚、楽観的で悲観的、正しい狂気。それら、相反する要素を無理矢理に詰め込んだような、言ってしまえば壊れた声。少なくとも、あの父親のそれや、グループのメンバー達とは明らかに異なる。
「誰……!?」
「ワタシですか。ワタシは
ヴァイス。『ヴァイス=シュヴァルツ』と言います」
名前が『白』で苗字が『黒』。あからさまにも程がある、偽名だった。
「ま、ワタシのことはさておき……おっと、なぜ自分がこんなことになっているのか、知りたいのですね」
まるでトキコの内心を見透かしたかのように、質問を先取りしてその男は言う。良く見ると、帽子に隠れて見えづらかった右目は、機械だ。決して閉じることのない、義眼。それが、薄い笑みと相まって酷薄な印象を与えている。さらに見ると、自分がいるこの部屋はそんなに広くはない。天井も壁も白く、男の足の間から見えるドアはそう遠くない。
「ワタシの趣味は、人が壊れる様を観察することです。そして、今回もある方を壊してみようと思いまして。そのためのヒロイン役として、アナタをキャスティングしたわけです」
「……は。何それ。ワケわかんないんだけど」
精一杯の挑発だったが、ヴァイスは全く乗って来ない。平然とスルーし、話を続ける。
「わからなくても結構ですよ。どうせ、メインアクターは別にいます。……そろそろ来ますかね?」
「え?」
疑問が声となって零れた、その時だ。突如、辺り一面を劈く警報が響き渡った。
あまりの大きさに耳を塞ぎたくなったが、手が後ろで拘束されていて果たせない。
「く、ぅ……ッ」
「フ、来ましたか……」
ヴァイスの方は全く平然と、この耳を破らんばかりの音を聞き流し、スタスタと部屋の外へ出て行った。
が、その直前。
「ああ、そうそう……命が惜しければ、そのまま動かないことです。動けないでしょうが、ね」
「何言って……このくらい、簡単に」
「そう。『破壊衝動(ブレイクダンス)』を持つあなたであれば、その手枷くらい簡単に壊せるでしょう。ただの金属ですからね。それは織り込み済みです。しかし」
問題はそこではないのですよ、と黒き道化師は嗤う。
「この部屋はですね―――――」
「どこだ……どこにいる!?」
警報も柵も無視して突っ切り、指定された場所にあった施設に突入した僕は、片っ端から道や部屋を探して回っていた。だけど、見つからない。
「トキコ……無事なのか……!?」
不安が襲いかかる。本当に大丈夫なのか? 今のあの子は、本当に脆い。昔の僕のように、強さだけで自分を塗り固めたせいで歪みを抱えている。がっちりと素材を組み上げて塔を作れば、それは頑丈だ。だけど、大嵐や地震が来ると、呆気ないほど簡単に折れてしまう。逆に余地を残して作れば、ゆらりゆらりと受け流し、倒れない。それと同じだ。ましてや、シギの一件がある。傷ついていないとは、到底思えなかった。
強さだけで固めた人間は、自分が傷ついていることにすら気付かない。それに気づき、自分がまだ弱さを持っていることを知り、それを否定しようとしてさらに歪み、最後には壊れて行く。
(僕と、同じ……)
僕の時は、ゲンブがギリギリで止めてくれたり、ランカが話し相手になってくれたり、マナがアドバイスをくれたりしたおかげで、壊れることなく踏みとどまり、こうして自分を取り戻せた。翻って、トキコはどうだ?
誰かに話が出来たのか? 誰かが止めてくれたのか? 誰かが助けてくれたのか?
僕自身、母さんから聞いてようやくそれを知った所だ。トキコは、ずっと一人だった。グループの仲間はいても、目的のために無駄に話はしないだろうし、普通の友達には本音は言えない。
シスイ達アースセイバーならなおさらだ。いたとすれば、スイネくらいだろう。
だから僕は、トキコの居場所になってやりたかった。どんな形でも。倒れそうなら支えてやる。迷ったら手を引いてやる。行きたければ連れてってやる。僕はもう選択した。
トキコの今を守るためなら、僕は力を惜しまないと。
「……っと」
気が付くと、通路の突きあたりに来ていた。目の前には扉。構造を知らないから何とも言えないけど、行ける場所で回っていないのはここが最後だ。
「ここなのか……?」
他と同じく、取っ手やノブはついていない。横の壁に、IDカードの認識装置がある。
例によって幻龍剣で一撃加え、強引にこじ開ける。
踏み込んだそこは、モニターが立ち並ぶ部屋だった。
「ここは……!?」
「中央監視室ですよ」
「!!」
部屋の中央から突然声がした。振り向くと、そこにいたのは、黒いコートに黒い帽子、手袋から靴まで、全て黒で装った痩躯。右眼だけが、金属質の煌きを放っている。
「お前が……」
「手紙は受け取っていただけたようですね。そう、ワタシがヴァイスです」
大仰な仕草で礼をするヴァイス。だが、僕にはそんなことは関係ない。そう、ここに来た目的はただ一つ。
「お前に用はない!! トキコを返せ!!」
「気の早い方ですね、挨拶もなしとは」
やれやれ、とわざとらしく肩をすくめ、首を振るヴァイス。その様に頭が煮えくりかえり、反射的に斬りかかろうと
(待ちなさい、綾音。挑発は、場の流れを握る常套手段よ?)
頭の中に響いたそんな声に、はっと我に帰った。
その間にも、ヴァイスは口を開く。
「ま、いいでしょう。彼女は―――」
言いつつ、後ろ手に一つのパネルを操作する。
「ここです」
正面に並ぶ二つのモニター、その片方に映像が表示される。そこに映っていたのは、拘束されて床に転がる、赤い髪の少女。あちこち傷ついている、その姿は―――。
「と、トキコッ!?」
『……鳥、さん?』
返事が来た。一瞬当惑した時、ヴァイスがまた口をはさんで来た。
「言い忘れていましたが、音声回線は開きっぱなしです。お話がしたければどうぞ」
言って、音もなく部屋を去るヴァイス。もうそちらには目を向けず、操作パネルに飛び付いて声を上げる。
「トキコ、無事か!?」
『だ、大丈夫、だけど……なんで、来ちゃったの!?』
「何で、って……」
心配だから、大切だから。だから助けにやって来た。それだけだ。
なのに。
『来なくて、よかったのに……放っといてくれればよかったのに!!』
「トキコ……?」
思わぬ拒絶の言葉に、僕は動揺する。そして、
『私は一人で大丈夫なの……鳥さんなんかいらないの!!』
『帰ってよ!! 鳥さんの顔なんて見たくない!!』
「!!?」
あまりの事態に、僕は一瞬自分がどうなったのかわからなかった。ショックを受けた、と気付いたのは数瞬後のこと。ぐらり、と視界が傾きかけて、
『やれやれ、そんな台詞はシナリオにはありませんよ』
『うぁぐっ!?』
突然モニターの向こうから響いた悲鳴に、一瞬で修正される。
映っていたのは、トキコの頭を蹴り飛ばしたヴァイスの姿。
「ヴァイス!? お前……ッ!!」
『全く、ちゃんと動いてもらわないと困ります。せっかく最高の舞台で、最高のキャスティングで、最高のシナリオを展開しているのですから』
僕の叫びなど聞こえていないかのように、道化師はふぅ、とため息をつく。床に転がる、トキコを見降ろしたまま。
『手を上げるのは趣味ではありませんが、シナリオの邪魔をするなら容赦はしませんよ。「移ろえる朱雀」が心配なのはわかりますがね、下手な演技で追い返されては瓦解してしまいます』
『………』
悔しそうに睨みつけるトキコを、ヴァイスはもはや一瞥さえしない。
「ヴァイス!!」
『さて、テイクⅡですが……仕方がありません、ネタばらしと行きましょう。ちと早いですがね』
そこでようやく、こちら―――向こうからすると多分監視カメラ―――に顔を向け、道化師は嗤う。
『彼女が芝居を打ってまであなたを追いかえそうとしたのは、この部屋に理由があります』
「何?」
『ワタシと彼女が今いるこの部屋には、爆弾が仕掛けられているのですよ』
予想はしていた。が、それでも、その言葉は僕に衝撃を与えるには十分なものだった。
「な……」
『この部屋を木っ端微塵に破壊する、自爆用です。ただし』
そこでようやく、ヴァイスはトキコに目を戻し、
『別に時限式やスイッチ式とは言っていませんよ? 起爆方法はもっと特殊なものです』
『―――!?』
『大人しく役に徹していれば、痛い目を見ずに済んだのですよ。ククク……』
「いい加減にしろ、ヴァイス!! そこはどこだ!!」
たまりかねて叫ぶと、道化師はす、と指を指し。
『手元のパネルをごらんなさい。施設のMAPが表示されているはずです』
言われてみると、確かに操作パネルに据え付けられた小型モニターに、そんな表示があった。
『赤く光っているルートが、ここに来る道です』
「……それだけわかれば十分だ。待ってろ、トキコ。すぐ僕が……」
言いかけて、気付いた。……ルートが目的地の直前で分岐している。これは何だ?
すると、それに答えるかのように、ヴァイスがまた嗤った。
『気付きましたか? そうです、反対側にここと同じ部屋がもう一つあるのですよ』
『え……』
トキコは聞かされていなかったらしいが、今はいい。問題は、なぜこのルートまで光っているのか、ということだ。しかし、直後にヴァイスが明かした解答は、あまりに壊れたものだった。
『まず、これを御覧なさい』
言って、薄手の手袋をはめた手で、器用に指を鳴らす。と、
「!」
トキコが映っているのと反対のモニターが点滅し、映像が表示された。そして次の瞬間、僕はこの眼で見たものに、今度こそ足下が抜けるような衝撃を覚えた。
後ろ手に拘束され、気を失っている、黒いロングの少女。
「な、馬鹿、な……マ、ナ!?」
姿を消した、友達だった。
『ク、クククク……そうです、あなたのお友達ですよ。すみませんねぇ……』
『ワタシは嘘はつきませんが、言わないことはよくあるのですよ。クククク……』
悠々と嘯くヴァイスに、僕は今度こそ本気の怒りを覚えた。だが、続く言葉は、あまりにも残虐に過ぎるものだった。
『当然その部屋にも爆弾……というか自爆装置がついています。では、お待ちかねの起爆方法ですが、普通に起爆することはできません。特殊なのでね』
「それなら、どうやって爆発するんだ」
『なに、簡単な事です』
『システムを起動して二つの部屋の扉を閉める……そうすると、どちらかの扉を開けた瞬間、もう片方が爆発します。これは本来侵入者迎撃用のトラップなのですが、今回有効活用させていただきましたよ』
「!? ま、待て……それじゃ……」
『ククク……さよう』
最終更新:2011年04月30日 20:58