※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。


岩築耶(いわつきや)は狩りにでた
山を越え、森を抜け、河を渡って獲物を求めた
広い平野に辿り着き、一匹の狐に弓を射た
狐は倒れ、岩築耶は食を得た

※※※※※※                     ※※※※※※

 まあ儲けはあらへんけどしゃあないな。必要としてくれる人がおるんやし。
 うち一人でひいこら言うて済むんやったらやっすいもんやろ。

ある喫茶店店主の独り言より
※※※※※※                     ※※※※※※

 春の陽射しがぽかぽかと体を温めてくれる。
 みたらし団子茶房(巫)。政庁近くに立てられた団子屋は、普段なら官吏、役人、メイド達で大いに賑わっているのだが、今日の人の入は全く無い。
 今日は全国公休日、皆家でのんびりと暮らしているか、どこかの行楽地へ足を伸ばしているか、どちらにせよこんな日は政庁近くの店には閑古鳥が鳴くのである。
 そんな状況はもちろん、店主柊久音の予想の範囲内である。いつもは数人のメイド達が働いているが、今日はどうせ暇だろうと彼女達にも休暇を与え、久音一人で店を開けていた。もう昼過ぎだというのに訪れた客は二、三人。それも常連さんの、ちょっと出かけてくる、と言った報告がてらの来客だけだった。
「ほんま、暇やなぁ……」
 客用の机に突っ伏し、久音は陽気な空を見つめている。
 鳥が泳ぎ、雲が流れ、爽やかな風に桜が踊る。
 ただそれを眺めているだけの久音の瞼が、ゆっくりと重みを増していった……。

「よっこらせっとぉ……!」
 清々しい朝日を浴びながら、開店に向けてシャッターをあげる。非力なうちにはちょっとつらい毎朝の恒例行事。将来的なことも考えたら、ええかげん電動にしたいと思うが、……予算がねぇ。当分はこのままってか。
「さぁて、今日も一日頑張ろぉ~」
 珈琲喫茶「カンナギ」。官庁のオフィス街まっただ中のこの店は開店時間が朝七時。朝飯を食いっぱぐれた若手さんや、会議前の打ち合わせに使てくれる中堅さん、そんな人らのためにうちはこの時間から店を開ける。早起きせなあかんのは辛いけど、おかげで重宝してくれるお得意さんがようけできて店として上々。差し引きプラスと考えてもええやろね。
「やあ、久音ちゃん。今日もいつもの頼むわ」
「いらっしゃーい。いつもおおきにね」
「今日も可愛いねぇ。久音ちゃんの笑顔を見ると仕事頑張ろうって気になるよ」
「またまたぁ、そんなお世辞言うても何もでえへんよ」
 開店とほぼ同時にお客さんが来てくれる。朝のラッシュは正直えらいもんやけど、繁盛してるんやし贅沢は言うたらあかんね。そして十分もすれば店内は満席になる、……とは言うてもそんな広い店でもないしな。カウンターの八席と二人掛けと四人掛けのテーブルがそれぞれ三席、三十席にも満たん小さなお店。狭いのによう来てくれはって、ほんま、ありがたや、ありがたや。
 朝のラッシュは長くても一時間ほどで終わりを迎える。官庁の就業開始は八時やから、それを境にゆっくりと下り坂になっていく。九時も間近になればかなり余裕もできて、そこからうちの朝食タイム。最初は抵抗もあったんやけど、カウンターの常連さんと一緒に食べる朝食は、こんな仕事のちょっとばかしの役得やろう。

「やぅ」
 ドアの開閉を告げるベルが鳴って、また一人いつもの常連さんがやって来た。さちひこさんだ。入国管理局の職員さんらしいけど、最近新しいビジネスのために独立を目指してるらしい。
「いらっしゃい、さちひこさん。いつものコーヒーでええの?」
 ちょっと離れた席に向かって問いかける。いつもはカウンターに座るさちひこさんやけど、何でか今日は二人掛けの席に腰を下ろした。
「うん、いつもので。あ、それと今日は客が来るから二杯でよろしくっ!」
「はいな~」
 なるほど、人待ちってことかいな。さちひこさんの注文を受けてカップ二つにお湯を注いで温める。ミルで豆を粗挽きにして、その間にフィルタをドリッパにセット。あとは粉を入れてお湯を注ぐ。三十秒ほど蒸らしたら、久音ブレンドの出来上がり。挽きたて煎れたて、自慢やないけど、うちの腕はかなりのもんやと自負してる。そこらのチェーン店には負けられへんのよ。
 二つのカップにコーヒーを注ぎ終わったちょうどそのとき、いつものお客さんがまた一人やって来た。
「ああ、雹さんいらっしゃーい」
「雹さん、こっちこっち~」
 うちとさちひこさんがほぼ同時に声をあげた。なんと、さちひこさんの待ち人は雹さんやったんか。これはまた変な取り合わせで。
「こんにちわ」
 雹さんはうちに挨拶をすると、さちひこさんの席へと向かった。うちもその後に付いて、コーヒーをトレイに乗せて二人の元へ運ぶ。
「珍しい取り合わせやね。入国管理局のリフォームでもすんの?」
 コーヒーを二人の前に置きながら、どちらに聞くでもなしに尋ねてみた。
「いえ、違いますよ。さちひこさんが新しく興す会社の事務所をね、うちで請け負わさせてもらっているんです」
 雹さんは店の近くに構える建築事務所に所属する、新進気鋭の建築家兼インテリアデザイナー。最近なんたらとか言う賞をとって業界では脚光を浴び始めているらしい。うちの店を改築する際は雹さんに全部お任せ――もちろん格安で――することは約束を取り付けてるけど、……いつになることやら。
「じゃーん、どうよこれ。俺の新しい城だよ!」
 うれしさのあまりか少し興奮気味のさちひこさんが、雹さんの持ってきた空間イメージ図を見せてくれた。うちの予想してたよりも広く、そしてお洒落な近代感あふれるオフィス。さすが雹さん、やるなぁ……。
「いや、まだイメージの段階だから、あんまりおおっぴらにされると恥ずかしいですよ」
 謙遜気味に答える雹さんだけど、なんたら賞が伊達じゃないのは、建築に疎いうちにもよくわかる。
「それでですね、そろそろ具体的に業者さんとかも加えた話を始めて行こうかと考えているんですけどね……」
「ふむふむ……」
 何やら一転、二人は真顔になってあれやこれやと事務所に関する打ち合わせを始めた。邪魔にならんようにそっと二人の席から離れ、さてと、カウンター越しに二人の様子をしばらく見守るとしましょかね。

 さちひこさんと雹さんは二時間ほどの打ち合わせをして、店を出ていった。おそらく気を利かせてくれたんやろう。これから地獄のランチタイム。そう、ほんまにこれからの一、二時間、うちにとっての地獄が始まる。
 カンナギは珈琲喫茶と銘打ってある通り、メニューの大半はコーヒーで占めているけど、一応軽食としてサンドイッチ、ナポリタン、ピラフを用意してる。だがしかし、何と血迷った人の多いことか、この三食のために昼時は行列ができてる、……らしい。いや、うちは見たことないんやけどね、そんな行列。なんせ一人で切り盛りしてるさかい、外の様子なんて気にする余裕もない。常連さんにちらっと利いたことがあるってだけのこと。
 それはそれで嬉しい悲鳴っちゅうやつですけどね、みなさん、官庁にかて食堂くらいありますでしょ? そっちいってくださいよっ! なんてほんまに叫んでみたくなることも稀にあったりする。数日に一度くらいでこの時間の記憶がなくなってたりして、まさに地獄の時間なんよ……。
はぁ……。

 …………。
 ……。

 ふと時計を見上げると、いつの間にかもう十四時五分前になっていた。あはははは~、今日も何が出たんか忘れちまったよ~。在庫チェックせんとなぁ……。
 せやけどその前に、一仕事せなあかん。
 やつが来る!
「こんちわぁ」
 ぼさぼさの髪とよれよれのシャツ、眠たそうな表情を浮かべ、左手の脇には白いノートパソコンを抱えている。噂をすれば影ってか、有馬信乃がやって来た。カウンター席一番奥の隅っこに座って、パソコンを開く。
「おはようさん、すぐ作ったるからね」
 毎日十四時丁度にやってくる男。格好のわりに意外と几帳面な奴なのかもしれない。
 コーヒー豆を入れた缶が並ぶその奥から、信乃専用と書かれた缶を取り出して開き、中の茶葉をスプーン三杯ティーポットに移してお湯を注ぐ。コーヒー専門店のうちにこんなものが置いてあるのは全て信乃さんが持ち込んできたのだ。やれやれ困ったあんちゃんやで。
「はい、おまち」
 うちが紅茶を出してやると、ぺこりと頭だけ下げて、モニタを凝視しながらカタカタカタカタとキーボードを叩いている。
「どない? 締め切りには間に合いそうなん?」
 ほんの少しキーボードの上で踊る手が止まり、
「たぶん、週末は編集さんとここで追い込み作業になると思います……」
 視線をこちらに向けて、呟くように言った。
「あはははは、そかそか。作家さんも大変やろけど、付き合わされる編集さんもおつかれさんやなぁ」
 うちは一度も読んだことはないが、信乃さんはミステリー作家をしているそうだ。ペンネームを使っているんで、本屋に行って「有馬信乃」を探しても見つからんのやけど、日中こんな所に出てきてもファンに囲まれへんということは、そんなに売れてもないんやろう。見た格好からもそんなに儲けがあるようにも見えへんし……。と推理してみる、名探偵久音ちゃんであった、まる。