――スカリエッティアジトにて―― 

 靴底が固い床を叩く不規則な音が響いていた。
それに重なるように、はっ、はっ、はっ、と、荒く小さな呼吸音も漏れている。
音の主であるクアットロは走っていた。
鉄パイプで体を支え、挫いた右足を引き摺って、他人から見れば亀の如き遅さで、
しかし本人にしたら出せる限りの早さで、クアットロは恐怖に怯えながらも暗い通路を無我夢中で駆けまわる。
呼吸を乱し、全身から脂汗をだらだらと垂れ流し、足をもつれさせながらも、彼女は怯えた視線を周囲に向ける。

 見えるのは、緑の光に照らされた薄暗い巨大な通路。
彼女が見なれた殺風景な風景は、いつものように凍てついたような静寂に包まれ、彼女の足音以外は何も聞こえない。
しかし、それ以外は違った。
左右の壁には大型の獣が引掻いたような爪痕が幾重も刻まれ、黒ずんだ血糊がべっとりと張りついていた。
壁に並んでいたはずの生態ポットも一つ残らず叩き割られ、床には真っ赤に濡れた鉄屑が至るところに散乱している。
床、天井、壁を問わず、ここで起こった死闘の爪痕が、至るところに刻み込まれていた。

 クアットロは、顔を引きつらせて、ヒィ、と呻き声を上げた。
彼女は思い出したのだ。
ここでナンバーズがあの『化け物』と戦い、何人かが奮戦空しく倒されたことを。
自分は何も出来ずに、何もせずに姉妹を見捨てて逃げ出したあの戦いのことを。

 クアットロは壁に持たれかかり、杖代わりにしていた鉄パイプを槍のように突き出した。
光の変化も、僅かな影の動きも、風景の小さな揺らぎすらも見逃さぬよう目を凝らして辺りを警戒する。
目に入るのはほの暗い通路のみである。
『化け物』の影はなく、姉妹の姿も、ガジェットの姿も見えない。
だが、彼女の中から不安が消えることは無い。
戦闘機人と同じかそれ以上の力を持った異形の怪物が、この瞬間にも自分の側に現われる気がする。
鉄をも切り裂く爪が、ガジェットを紙のように貫く槍が、今にも自分に襲いかかってくるのではないか――そう思ってしまうのだ。

 なぜ自分がこんな怖い思いをしないといけないのだ。 
……そうだ、全てはドクターのせいだ。
『化け物』が入ったカプセルを見つけたとき、ウーノ姉様が言ったようにさっさと処分しておけばよかったのだ。
なのにドクターが、あの『化け物』を実験動物にしようとしたから、自分は今、死の危険に晒されている。
姉妹も皆、きっと今ごろ……くそっ……。
もうここにはいない父に向けて、クアットロが、ちっと舌を打った。

と、そのときだった。
突然クアットロの体に、見えない何かが猛烈な勢いで激突し、彼女をふっ飛ばした。
いったいなにが起こったのか?
その疑問に答えを出す間もなく、激痛と共に彼女の体が宙を舞う。
騒々しい音を立てて、クアットロは向こうの壁へと叩きつけられる。
めがねは壊れてしまったが、幸が不幸か、武器は握ったままだった。
苦痛で地面をのたうち回るクアットロに、何かがゆっくりと近づいてくる。
ぼんやりとした、陽炎のような何かが。

「ひぃぃ……」
 クアットロは絶望に体を振るわせ、短い悲鳴を漏らす。まさか、まさかこいつは……。
陽炎はクアットロの眼前で立ち止まった。
クアットロが怯えきった顔を上げると、それは青いスパークを発しながら徐々にその姿を現した。
涙で揺らめく視界の向こうで、クアットロは見た。
この世で最も見たくないものを。自分の目の前に立つ『化け物』の姿を。

 それは人と恐竜を混ぜ合わせたような怪物だった。
筋肉質の体を覆う銀色の鎧。その間から見えるのは爬虫類のような白色じみた表皮である。
その逞しい体は、姉妹の中で一番背の高いトーレよりも大きい。確実に二メートルを超えているだろう。
頭からはケーブルのような太くて長いものが何十本も垂れ下がっていた。
『化け物』の顔は銀のマスクで隠されているのでわからない。
しかし、彼女にはわかった。獲物を凝視する目には、獲物を見つけた喜びが宿っていることを。

そして、捕食者の名を持つ異界の狩人――プレデターの天も震わす咆哮が、アジト中に響き渡った。


――NVP―― ナンバーズVSプレデター 


 続

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最終更新:2007年12月23日 20:55