それは、こことは違う世界の片隅のお話。


 鬱蒼とした森の中を、少しでも早く抜けようと足早に歩を進める三つの人影。
 おや、よく見るとコウモリらしき小さな宙を舞う影もあるようで。
「……おい、ニジュク、サンジュ」
 何と、そのコウモリは喋れる様子。
 そして、呼ばれた二つの小さな影が、
「なぁに、セン?」
「どうしたの、セン?」
くるりと喋るコウモリ――センに振り向きます。
 エプロンドレスを身につけた、浅黒い肌に雪の様な白い髪を持つ、くりくりと大きなエメラルド色の瞳が印象的な、可愛らしい幼い双子の女の子たちでした。
 ――そうそう、猫の様な耳と尻尾も印象的でしたね、忘れてました(苦笑)。
「お前等、何時にも増して、今日は何て言うか、……足取り軽やかじゃねーか?」
 訝しむ様に問いかける、セン。
「そうかな?」
 黒い耳と尻尾を持つ、ショートカットのニジュクは言いました。
「そうなのかな?」
 白い耳と尻尾を持つ、三つ編みを二つの輪っかにしているサンジュは言いました。
「「クロちゃ(ちゃん)は、どうおもってるの?」」
 二人は、すぐ前を歩く人影に振り返って尋ねました。
 それは、何とも奇妙な人影です。
 まず、葬式にでも行くかの様に全身を黒ずくめにしています。
 次に帽子。これまた黒くて、一見するとシルクハットのようですが、天が高くて鍔も大きく広がっていて、そのおかげで顔の殆どが隠れてしまってます。
 そして、何よりも印象的なのが、その些か小さい背中に背負っている古ぼけた棺桶。只でさえ不吉な雰囲気に決定的な何かを与えてしまっているのは、間違いありません。
 しかし、その人影――クロは、無表情に、そして無口に歩いています。
「「ねぇ、クロちゃ(ちゃん)ッッ!!」」
「……そうだな」
 その歩みを些か遅くして、クロは振り返りました。
 愁いを含んだ黒い瞳、大きな黒縁の丸眼鏡、長い黒髪とまだ大人に成りきれない顔が、帽子の影から現れました。女の子のようですね。
「確かに、昨日よりは、元気に歩いているかな。疲れ知らずって言うか」
「だろ。何つーか、こう、嬉しいことがあって、それで心ここにあらずッつーくらい、浮かれまくってるような気がするんだが……?」
 少し表情を崩したクロの前で、難しげな顔で腕を組むセン。あっ、組んでるのは翼でしたか。
「そうかな?」
「そうなのかな?」
 そう言ったニジュクとサンジュの顔は、しかし、まるで満開のひまわりを思わせる笑顔だったのでした。
「何か、昨日のあの町であったのかい、嬉しいことでも?」
「「ううん、ぜんぜん」」
 クロは、あっさりと否定されました。
「でもね」「でもね」
 ニジュクとサンジュは言います。
「なにかが、あるの」
「なにかが、おこるの」
「「なにかはわからないけど、なにかうれしいことがあるの(おこるの)」」
 二人とも、とてもとても嬉しそう。
「……そうか」
 そう言って、クロは歩みを少し速めます。 小さな影も、つられます。
「やれやれ。……まっ、何時もみたく「つかれたー」「おかしたべたーい」って駄々こねられるよか、ましだわな」
 一言多いコウモリです。
 しかし、二人は気にしません。
 いつもなら文句を言う二人が、気にせず歩いています。
 その様子に不気味さすら覚え始めたセンを、全く相手にしません。
(なにかが、あるの)
(なにかが、おこるの)
*1
 鬱蒼とした森の中を、その不気味な雰囲気をものともしない二人の小さな胸の中で、
これから起こるであろう何か「とてもうれしいこと」への期待が、大きく大きく、ふくらんでいったのでした。


 今は、六月の初頭。
 日本ならばそろそろ空気が湿り気を帯びてきそうな時期だが、ここはミッドチルダの首都・クラナガン近郊のとある自然公園。
 日本のものより湿り気の少ない風が、肌に心地良い。
 天気は晴れ。快晴とまではいかずとも、綿飴のような白い雲がぷかぷかと空に浮かぶ様子は、却って空の瑞々しい蒼さを際だたせているように、ヴィヴィオには見える。
 その傍らには、大好きなママ――高町なのはがいる。
「……ママ」
「なぁに、ヴィヴィオ?」
「そら、とっても青いね」
 まだまだ小さなヴィヴィオは、なのはのすらりとしつつ大きくて温かな手を、その小さな手でぎゅっと握ってつぶやいた。
「そうだね……」
 そう答えて、なのはも空を見上げる。
 その蒼さは、なのはの目にはとても眩しく写った。何故かは解らなかった。
 ただ。
(……こんなに穏やかな日が、迎えられるなんて、思いもしなかったな)
 ふと、そんなことを思う。

 あのJS事件が終決し、事後処理も一通り片付き、機動六課が解散してすでに二ヶ月が経つ。
 六課の仲間達も、元の職場に復帰したり、新しい道に進んだりして、それぞれ忙しい日々を過ごしていると聞く。
 なのは自身も正式にヴィヴィオを養女として後、教導隊に戻って後進の育成に当たる忙しい日々。
 ヴィヴィオも、本人の希望で聖王教会系の魔法学院に入学、勉強に遊びにと忙しい(……かな)日々を送っている。
 だから、最近は少しヴィヴィオは寂しかった。
 解っているけど、もう少しママと一緒に過ごしたい。
 なのはも、そんなヴィヴィオの気持ちは解っていた。
 そして、まだ幼かった頃の自分と同じ気持ちにさせたくないと思っていた。
 だから、今日はピクニック。
 この日のために、なのはは仕事を頑張った。
 そして、二日間の確実な休みを取得した。
 本当は、ユーノも来るはずだったが、急な仕事でキャンセルとなったのは、少し残念か。
 でも、
(この子には、そんなの関係ないよね……)
 残念なのは、なのはだけ。
 いや、ヴィヴィオも少し残念であった。
 が、それ以上に、
(なのはママと、一緒にいられる♪)
 そっちの気持ちの方が、強かった。独り占めできることが、嬉しかった。
 それにしても、陽の光がこんなに眩しいのは。
(ああそうか……)
 太陽が空の一番高いところに差しかかろうとしているのもあったから。つまり、なのはがもう片方の手で持っているバスケットの出番と言うこと。
 なのはは、ヴィヴィオに尋ねる。
「ねぇ、おなかの虫は何て言ってる?」
「えっ、……んーと、ね」
 ぐぅ……。
「……あはは」
「うん、結構歩いちゃったし、もうそろそろお昼になるし、お弁当、食べようか♪」
 そう言って、バスケットを高々となのはは持ち上げた。
「ハァ~イッ。やったぁッッ!!」
 バンザイして、喜びを現すヴィヴィオ。
 なのはにはその笑顔が、頭上の太陽よりも眩しく輝いて見えていた。

 それから、適当な木陰にシートを広げ、二人はお弁当を広げてランチタイム。
「ママ、とってもおいしいッ!」
「そう? ありがと♪ 今日はヴィヴィオのために頑張っちゃったから、ママ、とっても嬉しいな」
 朝早くに起きて、なのはが愛娘のために心を込めて作ったサンドイッチは、ヴィヴィオには愛しいママの温もりが感じられる、優しい味がした。

 楽しいランチタイムを終え、ヴィヴィオは木陰の側を歩き回り始める。
 様々な小鳥のさえずり、頬を優しくなでる風、徐々に深みを増しつつある林の緑、少し離れた小川のせせらぎの音、
道ばたに咲いている小さな花、等々、まだ幼いヴィヴィオにとって新鮮な発見の連続。
「ねえママ、このお花始めてみたけど、とってもきれいだね」
「そうだね、ママも初めてみるけど、薄いピンクの色が可愛いね……」
 道ばたで摘んだ花をなのはに持ってくるヴィヴィオ。
 それをなのはに渡すと、ニコニコと笑顔を振りまきつつ、また別の場所に向かう。
 そのぽてぽてと走り回る姿に、なのはは顔を綻ばせっぱなしだった。
 そんななのはは、木陰のシートにランチタイム後もずっと座っている。   

 歩き疲れと、仕事疲れのためか、些か体が重い感じがする。どうやら、そのことをヴィヴィオも見て取ったらしく、
「ママはここで座ってて。ヴィヴィオ、ちょっとそこのお花見てくるから」
 そう言われてから、ずっとぽてぽてと走り回るヴィヴィオを、樹にもたれつつ見守っている。
 そして、ちょっと危なっかしい様子にハラハラしながら、でも自然とその頬笑ましさに癒されている自分に気付く。
 幼い娘に気を遣わせてしまったという、ちょっとした罪悪感。
「少し、悪いことしちゃったな……」
 でも、少し、嬉しい。
「ありがとう、ヴィヴィオ」
 まだ元気よく走り回るヴィヴィオを眺めながら呟く。
 それにしても、今日は本当に風が優しい。
 初夏を過ぎて更に強くなりつつある日差しも、木々の梢を通すとかなり和らぐ様子。
 そして、それはある種の誘惑への誘い。
「本当、ここの所、忙し、かっ、た、し……」
 流石の『管理局のエース・オブ・エース(または(自主規制))』も、睡魔の誘惑を振り切ることは出来なかったようだ――。


 森の鬱蒼とした様子は、まだまだ続くようです。

 おや。

「あっ」
「あかるくなってきた」
 先頭を行くニジュクとサンジュは言いました。
「ふむ、ようやく新しい村かな」
「ふえー、ヴァルキアの街から歩いて三日、……やっと着くかぁ。えーと、次、何て村だっけ?」
 クロはガサガサと地図を広げました。
「……テルヌーゼン、さ。割と大きな村らしいね」
「へえ。てことは、……おい、そこの二匹、今日は特に俺等から離れ、って」

 ニジュクとサンジュは走り出しました。

「言ってる側からこれかよッ! おいッ! 離れるなッつってんだろッ! てか、走るなッ、そこの二匹ッッ!!」
 センの喚きも耳に入りません。
「ふふッ、やれやれ」
 クロは地図をしまいつつ、肩をすくめました。

 ニジュクとサンジュは、走ります。
 ひたすらに、一心不乱に、ニコニコと。
 森の木立から溢れ出てくる、眩しくも柔らかな光に向かって。
 二人は、走ります。


「……ママ?」
 また別の花を手にしてなのはの下に戻ったヴィヴィオは、樹にもたれて静かな寝息を立てている彼女を見つけた。
「ママ……」
 なのはの頬を、軽くつついてみる。
「う、ン……」
 反応はあったが、目を覚ます様子はない。
「……」
 どうしようかとヴィヴィオは逡巡する。

 その時。

「……ヴィヴィオ、あんまり、……遠く、行っちゃ、ダメ……」
 なのはの寝言。それに一瞬驚いて、しかし、
「起こしちゃ、……悪いかな」
 そう呟いてヴィヴィオは、なのはの傍にちょこんと座った。
(かまってくれないのは少し寂しいけど、傍にいるだけでも……)
 そんなヴィヴィオの目の前を、不意に横切った柔らかな光の塊。
「えっ、……何?」

 手の届かない距離まで離れたそれは、金色の光を出している、一匹の蝶だった。

「きれい……」
 思わず見惚れるヴィヴィオ。
 その蝶も、ヴィヴィオのことをどうやら見つめている様子。
 しかし、不意に踵を返してまた離れ出す。
「あっ、……待ってッ!」
 思わずヴィヴィオも、つられるように後を追いだした。
 公園内の林の中を、光り輝く蝶が飛ぶ。
 それを追って、ヴィヴィオは走る。

ひらひらと蝶は飛ぶ。
 しかし、ヴィヴィオは追いつけない。
 手を伸ばす。
 しかし、もう少しの所で届かない。
 何かがおかしい。
 その蝶はただ、ひらひらと飛んでいるだけなのに。
 でも、届かない。

(何で……)
 ヴィヴィオは、思う。
(あのちょうちょを追いかけてるのかな……)
 追いかけながら、思う。
(どうして、追いかけてるのかな……)
 息を切らせつつ、思う。
(何で……)
 一心不乱に、走りながら。
(どうして……)
 ただただ、蝶を追いかける。
「……あっ」
 そして。
「もしかして……」
 ふと、気付いた。

「あのちょうちょに、呼ばれたの、かな……」
 そう呟いた刹那。

「――んっ」

 視界が開け、それまで林の木々で遮られていた陽の光が、一気に、大量に円らな目になだれ込み、ヴィヴィオは思わず目を細めた。
 そして、すぐに慣れ始め、徐々に目を開けてみた。
 そこは、一面、色とりどりの野草の花が咲き誇っていた。
 草原だった。
 辺りを見渡す。
 かなり開けている。視界を遮るものは乏しい。
 距離にして三百メートルくらいか、左手前方に小高い丘があって、その上で人が二人、立っているのが見える。
 一人は、何かを投げているようだった。そしてそれは、その人に戻ってきた。ブーメラン……か。

「――あっ、ちょうちょ、は……」

 不意にあの蝶のことを思い出し、きょろきょろと辺りを見回した。

「いたッ!」

 すぐに見つかった。最も、光っているのだから見つからぬはずもないだろうが。
 件の蝶は、少し離れた、ちょっと他のより少し茎を伸ばした花の上で、そのストローのような口をのばして蜜を吸っていた。
 そっと近づいてみる。
 蜜を吸うことに夢中なのか、逃げる素振りを見せない。
 更に近づく。
 逃げようとしない。
 いよいよすぐ傍まで来て、顔を近づけてみた。
 全く、逃げなかった。
「……よし」
 意を決し、ヴィヴィオは手を伸ばした。
(ママに見せたら、喜んでくれるかな)
 そんなことを思いながら。

 そして、そっと蝶を摘んだ、その時。


 ニジュクとサンジュは走ります。
 光を目指して、走ります。
 そして。

「「とおちゃ~~~~~くぅっっ!!」」

 そう叫んで、森を抜けようとした、その時でした。


「えっ……ッ!」

 蝶はヴィヴィオの指先で光を急に増し、
そして、光のボールとなり、爆弾が爆発するように、弾けた。


 光が、二人を包み込みました。

「えっ?」

「あれっ?」

 そして、勢いよく、弾けたのです。







 そして。


 そして。


 物語は動き出す。


 二つの世界が、交わります。


 さて、物語の行方は、如何なる物か。


 しかし、それも旅人たちには、思い出の一つに過ぎなくなるのでしょう。




                         『棺担ぎのクロ。リリカル旅話』
                                 OVERTURE・了。

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最終更新:2010年01月10日 02:03

*1 それはきっと、とてもうれしいことなの