フェイトは大通りの軒先にあるサイベリア出入り口で、戦闘から戻って来たシグナムに支えられる中、遅々と
して足が進まない事に消沈していた。
 多数の人が押し合い圧し合いする窮屈な場で、フェイトは手持ち無沙汰に携帯電話を取り出す。開かれた画面には、
メールの着信を報せる表示は無かった。
 彼女が自身の送信メール履歴を確認すると、なのはへの送信メールが多数も画面の上で連なっていた。
 今回の教導隊の仕事は過密日程で、想像を絶するまでに多忙であるのはフェイトも重々承知している。しかし、
そんな思考では割り切れない寂しさがフェイトの中で蟠る。
 シグナムの腕で姿勢を支えられながら、フェイトは先程の惨劇を思い返した
「ワイヤード……」
 最近よく耳にするインターネットサービスだ。従来の電脳機器やインターネットの様に、唯ディスプレイにのみ
情報の出力入力を依存しなければならないものではない。
 相当の性能さえあれば、画期的な情報世界への自我の投射が可能となる……と、大概の知識はフェイトも持っている。
 混乱もあり、うまく働かない思考で、フェイトは現在のなのはとの距離感にだけ拘泥した我欲が鎌首をもたげる。
「ワイヤード……。それさえあれば、時間と空間を越えて、なのはに逢えるのかな……」
「何か言ったかテスタロッサ?」
 フェイトはシグナムへ小さく首を降り、パトカーの赤い照明や目まぐるしい電飾の外界へと視界を開けた。
 サイベリアに訪れていた彼女達は、フェイト、アリサ、すずかと、玲音、ありす、樹莉、麗華の組に分かれていた。
 フェイト達に対する警察署での取調べは、シグナム、シャマル、簡易変身魔法で獣の耳と尻尾を消したザフィーラが
保護者代理として受け持った。
 リンディが警察署までフェイトを迎えに来、バニングスと月村からも立て続けに迎えの者が到着する。玲音達
の方も一応事が済んだみたいで、女学生衆はそれぞれに挨拶を交し合って解散した。
 幼い頃からクロノを職場に連れ込んでいたリンディは、何分こうした場面での親としての振る舞いに不慣れな様子をしていた。
 警察から中学生の娘の監督不届きな注意叱責を受ける間、リンディはひたすら平身低頭に反省していた。
フェイトの眼にはそんな義母の姿が痛ましく映った。
 全く過失の無い筈のリンディが、自分に代わって謝罪を繰り返すのを眺め、フェイトは泣きたくなるのを必死で
堪えるしか出来なかった。
「提督、この後お話が」
 シグナムからそれだけを耳打ちされ、項垂れるフェイトの背中を押してパトカーに乗る寸前、リンディは
守護騎士面々に念話で応答した。
 ハラオウン宅を指して一台のパトカーが走り出す。フェイトとリンディは後部座席に並んで座り、互いに
重々しい沈黙の中から会話の糸口を手繰り寄せていた。
「お母さんごめんなさい」
 暗澹とした声音でそう切り出して来たフェイトへ、リンディは眉尻を下げて娘の方へ振り向く。
「怪我が無くてよかったわ。ああいう場所に絶対行くなとまでは言わないけど……ちゃんと時間を考えて、
充分気を付けなさいね」
 フェイトは小さく頷き、義母に余計な迷惑をかけてしまった事で深く落ち込んでいた。そんなフェイトの
暗い心中を察し、リンディが彼女の頭を優しく撫でて慰める。
 暫く車中には、小刻みに肩を震わせるフェイトの微かな嗚咽が漂っていた。
 誘われただけだと主張する事も出来たが、フェイトにはそうしてアリサやすずかに責任転嫁を企む程、自分が
可愛くも神経が図太くもなかった。自分を引き取ってくれたリンディを、自分の勝手な経緯で困らせてしまった
事実が一途に愚かしく腹立たしかった。
 帰宅して遅めの夕飯と入浴を済ませ、フェイトは留守居を約束していたアルフと共に自室のベッドに沈んだ。
 サイベリアでの時間はほんの短い間だったが、あの銃撃騒動で爆発した心労がすぐにフェイトの五感を奪い去っていった。
 フェイトが眠りに落ちてから少し経ち、彼女の就寝を見計らった様にヴォルケンリッターが一様に難しい面持ちで
ハラオウン宅に訊ねて来た。
「提督も、ここ最近多発しているワイヤード関連の事件を聞き及んでいると思いますが……」
 応接間に通される途中から、シグナムは強張った口調で言った。リンディは日本人らしい私服の容姿を机の方に
移動させ、彼女達に振り返ると微妙に返事の空白を挟んだ。
「でも、次元犯罪者が関与している筋は本局の方で否認されたでしょう?」
 客観的な意見を述べて来たリンディへ、シグナム達も情報という強力な壁を思い知らされる。
「デウスと名乗る男がワイヤードに潜伏し、この現実世界を掌握しようとしている……そこまでは私達も
突き止めています。だけど、この事件を深く掘り下げれば掘り下げる程に、地球の科学技術だけでは辻褄が合わない
事柄が散見されます」
 シャマルがシグナムの隣の席に着き、柔和な顔付きを引き締めて会話を続けた。暗に別世界の何者かが、この
高度情報世界の変遷を巧みに悪用している──そうシャマルは示した。
 ヴォルケンリッターにワイヤード関連の査察任務を渡して来たのは管理局本局、そして当事件に関する次元世界的な
関連性を却下したのも管理局本局……。
 リンディは客人の飲み物を机の上に揃え、矛盾した本局の言行が照らす真相を憶測する。
「また本局の方で下らない権力争いでもやっているのかしらね……」
 重役幹部の足の引っ張り合いであるだけならば、リンディもこの場の嘆息だけでシグナム達の来訪を収束させられる。
 しかし今、そうして軽妙に呆れる彼女の脳裏にも、長年の局員としての研ぎ澄まされた直感から事態の不穏を過ぎらせていた。
「シャマルが収集した新情報に、我々がより効率的にこの査察を進展させられる方法がありました」
 シグナムはリンディ・ハラオウンの名を城孤社鼠に扱う事への忸怩たる思いを押し殺し、騎士の眼で毅然と熟達の
女性局員を直視した。
「プシューケー・プロセッサーって言うんだけど……それをどうかしてデバイスに組み込められたら、あたし達も
ワイヤードの中で思う存分活動が出来るんだ」
 ヴィータは縋るようにして席を立ち、机の上から前に身を乗り出した。
「それにリンディ提督、実はサイベリアって所でアクセラの」「ヴィータ」
 シグナムから制止され、ヴィータは横へと視線を移すが、シグナムの透徹とした横顔に気圧されて言葉を切った。
「……アクセラ? どういう事なの? どうしてアクセラの名が」
 リンディが眉を顰め、違法魔法薬物の名を反芻する。しかしシグナムから平然とした顔で「何でもありません」と返された。
 追究の手を抑えたリンディは気を取り直し、彼女達の言わんとしている事を察知し、ゆっくりと四つの容貌を巡視する。
「管理外世界の技術の導入は、可也受諾が難しいわよ? 下手をすれば、折角貴方達を保護観察処分だけに留めた
努力が無駄になってしまうわ。申請理由に不審を持たれたら、はやてさんにも余計な面倒が降りかかるかもしれない」
 リンディの返答に、ヴォルケンリッターは揃って気まずくリンディから視線を逸らす。新たな主との生活の中で、
殊に義理人情というものに感化されたヴィータとシャマルは、急激に弱々しく閉口する。
 遠くの地で出張任務に出ている主へ、間接的に再び過ちを犯そうとしている自分自身に四人が躊躇を催される。
「恩を仇で返す様な戯言であるのは重々承知の上」
 ザフィーラの強固な意志に、シグナムが続けて首肯した。
「現にこの次元世界が、一人の男の妄執で脅かされている……主や、主の掛け替えの無い人々が生きるこの世界を、
そんな詰まらない野心の生贄にさせたくはありません」
「貴方達にとっても、でしょう?」
 不意に声色を和らげたリンディは、椅子の背凭れに背中を預け、明晰な目色で改めて四人の騎士を眺め通した。
「わかったわ。一応私の方から技術部に提言しておきます。それで、そのプシューケーという物はもう貴方達の手にあるの?」
「いえ。しかし既に業者との交渉は完了しています。現在我々は本局の方から、橘研への出向扱いとなって
おりますので、その方面では中々融通は利かせられますので」
 リンディは頷き、守護騎士達の意を汲むと依願を請け負った。
 ヴォルケンリッターを玄関まで見送ったリンディは、一人きりになった後で柔和な美貌を胡乱な感じに曇らせた。
「彼女も涼しい顔して……」
 シグナムのポーカーフェイス振りに、リンディは何故か天晴れな気持ちもあった。あそこでアクセラに関する
詳細を自ら暴かず、疑念を抱いたリンディ独自に調査を行わせるよう誘導して来た烈火の将に、彼女はその配慮に
報いる義理も目覚めさせる。
「さて、と……あの子も暇だ暇だと言ってられなくなったわね」
 居間に戻ったリンディは、夜更けの電灯に照らされた室内で、平穏の影に潜む危険な兆候をそっと見透かした。

 うん、組み立てもお父さんがやってくれたんだ
 そうなんだ……いいな、最新のフル装備のNAVIなんだよね
 でもまだまだわからない事ばかりだし、ワイヤードのコネクトも全然
 ワイヤード、楽しいの?
 う~ん……よくわかんない
 逢いたい友達がいるんだよね?
 うん、一応それでワイヤードを始めたんだ
 逢えるといいね、お友達
 うん あ……ハラオウンさん、まだ千砂ちゃんからメール来てる?
 ………………もう来てないよ

 フェイトは帰宅してから、その返信メールと、後一回の挨拶のメールで玲音とのやり取りを終わらせた。
 アリサやすずか、ありすや樹莉に麗華にさえ知られていない、二人だけの秘密の交流だった。アルフも今だけは
この部屋への入室を断っている。
 互いにどうにも対人関係で強く自己主張が出来ない内向的な性格を共感したのか、どちらが歩み寄る風でもなく、
何時しか放課後の定例行事の様に継続しているメール交換だった。
 フェイトは自室にある椅子に腰掛け、鳴らなくなった携帯電話を凝然と見詰めた。この機種でもワイヤードサービスは
受けられるが、スペックの問題で単なるゲーム程度にしか利用できない。ワイヤードならではの仮想空間を満喫するには、
電脳演算の性能が著しく不足していた。
 フェイトは受信メールの履歴画面を表示し、今度は違う相手へとメールを送る。釦を押すフェイトの指は、
玲音へ送った先程のメールへの罪悪感を思わせた。

 こんにちわ、千砂

 返信は数秒も経たずに返って来た。

 こんにちわハラオウンさん 玲音に嘘吐いてよかったの?
 よくないよ でも……嘘だってわからないなら……
 若しあたしとメールしてる事、誰かに知られたら?
 止めようよ、こんな話
 そうだね ごめんねハラオウンさん
 ワイヤードって楽しい?
 毎回その質問をするんだね とっても楽しいよ それに、ここがあたしの本当の居場所だから
 本当の居場所?
 そう あたしはリアルワールドにとっていてもいなくてもいい存在だったから
 そんな事無いよ……この世にそんな人なんていないよ

 フェイトの指は得体の知れない恐怖心から、カタカタと動揺していた。
「この世に存在する意味の無い人間」という言葉で、フェイトの脳裏で実母との確執が残酷に思い起こされる。

 ハラオウンさんからそう言われるなんて心外だよ 貴方だってどうでもいい造り物の癖に

 フェイトは反射的に身体を戦慄させ、引き攣った喉で空唾を飲み込んだ。
「ち、違うよ」
 何故その事を、と疑惑を膨らませたが、フェイトは正しい思考がそこまで回らなかった。フェイトの瞳が充血と
乾燥を通過し、大量の涙を溢れさせて来る。

 造り物の癖に 紛い物の癖に 誰にも望まれずに生まれた癖に 人形の癖に 嘘偽りの癖に

「違うよ……違うよ……」
 脆く儚い否定の言葉は、内部に秘められた真実の刃でフェイトの心を抉る。
 フェイトは何時しか携帯電話を取り落とし、机の上に突っ伏して泣き崩れていた。
「なのは、逢いたい……」
 床に転がった携帯電話がメール着信の電子音を奏でる。自動的にメールが開封され、無機質な文字の羅列が
画面に並んだ。

 ねぇ、早くこっちにおいでよ──────

「岩倉玲音んところにプシューケーを送り込んだ輩のお仲間だぞ……少々迂闊じゃねぇのか?」
 繁華街の裏路地で、ヴィータとシグナムが取引相手の到着を待っていた。シグナムは腕を組んで瞑目し、
ヴィータの不安に応えない。ヴィータは支払う一万円札の束を入れた袋を片手に提げ、遣り切れない心持ちを
持て余していた。
 シャマルとザフィーラは遠方で待機しており、有事の際は即座に現場に駆けつけられる態勢を整えている。
夕暮れ時、下校途中の学生などでごった返す街中で、現時点ではナイツからの襲撃は見られない。
(シャマル、相手は?)
 シグナムは心成しか戦意を覗かせる目付きで夕空を仰ぐ。
(外貌からは特に警戒するべき点は無いけど、絶対に油断は禁物よ。あと数分でそちらの空き地に来るわ)
 シグナムがレヴァンティンの装身具を掌の中に隠し持ち、威厳のある美貌で建物の間に挟まれた細い通路を
見据える。ヴィータもナイツの気配に細心の注意を払い、シグナム同様に俄かに身構えた。
 シャマルの返答通り、覆面をした如何にもならず者風の人物が雑居ビルに囲まれた空き地に現れ、シグナムと
ヴィータの正面で悠然と立ち止まる。
 信用される余地が皆無な立場を理解しているのか、覆面の違法商売人は真っ先に三基のプシューケー・プロセッサを
提示し、そしてぞんざいに二名の女性に放り投げた。
「代金はこちらに」
 小型の精密機械を受け取ったシグナムがヴィータを掌で指すと、ヴィータが片手に持っていた質素な袋を前に
突き出した。覆面は相手が同じ動作で取引をして来ない反応に一瞬だけ狼狽したみたいだが、諦めて近寄って行く。
 覆面がヴィータの手にある金の入った袋を受け取ろうと片腕を伸ばし、その掌が突如として奇妙に変化した。
「動くな」
 瞬時に騎士甲冑を装着したシグナムが、レヴァンティンの刀身で覆面の腕を差し押さえていた。
 しかし実際にはレヴァンティンの幅広の刃が、覆面の腕の先から伸びている三本の鋭利な鉤爪に絡められている。
ヴィータを防衛したものの、先手を取られた失態にシグナムが舌打ちを打つ。
(そっちはそっちで対処を御願いっ……こっちは二人で乗り切れるわ)
 シャマルからの念話で、シグナムとヴィータはナイツの出現を察した。ヴィータも金袋を投げ捨てると即座に
赤い姿に変身し、一歩飛び退いてグラーフアイゼンの先端を覆面に突き付ける。
「大人しく素顔を見せろ」
 シグナムがレヴァンティンを押し付ける膂力だけで相手の身動きを封じ、空いた片手で頭部を包んでいる布地を
取り払おうとする。
「シグナム!」
 上空からの奇襲を感知し、ヴィータがシグナムの脳天へと急降下しているナイツ構成員を迎え撃つ。ヴィータの
強烈な横殴りの鉄槌が命中し、某オンラインゲームの戦闘人物を模倣した一名のナイツが消滅した。
 束の間の隙を突かれたシグナムは、辛うじて鉤爪の至近攻撃を回避する。
 シグナムと覆面の頭上で戦闘が発生し、地を蹴ったシグナムも夕陽に濡れるレヴァンティンを覆面の袈裟へと
振り落とす。頭部の布地を一切乱さず、覆面人物は華麗な足捌きで太刀から身を避ける。
「ふふっ、失敗。いえ、半分は成功かしら。どちらにしろ、私達は蚊帳の外……フフフ」
 覆面が発した地声は、決して本心を窺わせない、まさしく己の素顔を徹底して隠匿する魔性の響きを有していた。
 再度繰り出された炎の魔剣の一撃を、覆面の右腕の先から伸びる鉤爪が的確に食い止める。
「貴様、ナイツではないのか!」
 シグナムが獅子奮迅の勢いで突進を仕掛けるが、覆面女性が掌から放った鮮やかな発光の衝撃波で吹き飛ばされる。
意表を突かれた迎撃で、シグナムの身体が奥の壁に激突した。
 シグナムの怒声を裏付ける様に、覆面女性はヴィータと交戦しているナイツ各員に加勢をする素振りも無く、
黄昏に染まる空の中へと飛び上がる。
 衝撃によろめくシグナムが歯を食い縛って見上げる先に、布地の下から黄土色の長髪だけが垣間見える。
 ヴィータが戦線離脱を図る覆面女性を阻止しようと動くが、ナイツの妨害によって断念を強いられた。
「また機会があれば何処かで逢いましょう、ヴォルケンリッター。そして英利政美……お役目、ご苦労様です。
でも貴方はもう、ドクターの今後にとって──」
「待てっ!」 
 シグナムは至急立ち上がり、覆面女性の追撃に出ようとするが、輪型のバインドに四肢を拘束された。ナイツの
徒党を撃退したヴィータが地上に戻り、グラーフアイゼンの打撃でシグナムを縛るバインドを破壊する。
 戦闘の余韻を漂わせるシャマルとザフィーラが、二人の空き地に合流して来る。その古代ベルカの騎士達を
嘲弄するかの様に、覆面女性の妖艶な高笑いが人気の無い裏路地に木霊した。
「彼女は一体何者……」シャマルの問いに、シグナムは痛恨の表情で沈黙するだけだった。
 シグナム、ヴィータ、シャマルは多大な憾みに唇を噛み、それぞれ入手したプシューケー・プロセッサを堅く握り締めた。

To Be continued

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最終更新:2008年01月29日 20:12