第一話『黒天使、降臨』
堕ちる。
黒い影が堕ちる。瞬く間に。まどろみの中で。
眼に映っているのは一頻り暗く、黒く、昏い闇だけ。それ以外一切の色彩は放っていない。
純粋な闇。澄み切った闇。異形の闇。
(――己(オレ)は、敗れたのか?)
瞬間、爆砕(ホワイトアウト)。
異形の闇は何処かへ消え失せ、代わりに白一色に染め上がる。
白。そう、白だ。
右も左も、上も下も、全部『白』だ。あの忌まわしい、オレを捕らえ続ける白の牢獄。純白の鎖。
(――そうか。己は、“ヤツ”に敗れたのだな)
憎いと思う。純粋に。苛烈に。
嗚呼、なんと醜い。此処まで成り果て、求め続けた始末がこのザマとは、醜く過ぎて笑えてしまう。
いつまで経っても、この身を縛り続ける白を。
この己を、あの広い広い、澄み渡った青色の空へ行かせまいとする呪縛が、どうしようもなく憎い。
憎い。
憎い憎い憎い憎い憎い憎い―――――憎いッ!!
(――嗚呼! “また”なのか! 己を殺して尚、まだオマエは己を縛る呪いとして立ち塞がるのか!!)
拳を握る。深い深い、憎悪を滾らせた拳を握る。
どうしようもなく白に染まった視界を破壊するように、黒い影はその拳を振るった。
再度、爆砕(ブラックアウト)。
激しい憎しみと怒りが込められた拳が、視界を埋め尽くす白を捉え粉砕したのだ。
(良いだろう! 貴様がまた立ち塞がるならば、己はそれを粉砕するまでだ! そして――)
それでも、彼は堕ちる。
あの青く澄み切った空から遠く、黒に呑まれた夜空から堕ちて行く。
そう。人が空を飛ぶことは世界の法則から反している。
かのイカロスの翼が如く、遠い空へ向かおうにも、太陽の熱にその翼は溶けて消え、墜落するのだ。
黒い影も―――その点で言えば、イカロスのそれとなんら変わったところが無かった。
それでも、彼は堕ちながら、空を掴もうと右腕を伸ばした。
けっして届く筈の無い場所へ。至高の領域へ。
(―――あの空へ! あの青空へ………!!)
そうしてまどろみの中、墜落する黒い影、
『リューガ・クルセイド』の意識は魂の奥深くに沈んでいった。
*
フェイト・T・ハラオウンは急いでこの夜空を駆け抜けていた。
暗く淀んだ雲が空を覆い、今にも雨が降ろうとする中、外套をひるがえしながらも、金色の軌跡を残しながら高速で飛行する。
(現場まであともう少し……!)
相棒のバルディッシュの柄を強く握り、眼前に見える廃工場へ向けて一気に加速。
およそ人間が耐え得るか否か判別が付かない速度。
故にその廃工場に到達するに数分たりとも掛かる事は無かった。
流石は管理局においても上位に匹敵するであろうスピードを保有している事あって、面目躍如と言う物だ。
不気味な灰色に廃れ、焦げ臭い香りと言い様も無い静寂さに満ちた大地に着陸し、フェイトはバルディッシュをアサルトフォームに移行。常に臨戦態勢を保った。
『こちらライトニング01、現場に到着しました。敵影は今のところ存在していません』
『了解。ライトニング01はそのまま現場にて待機、ガジェットドローンを発見すれば速やかに破壊、レリックの発見及び確保をお願いします』
『ライトニング01、了解。任務続行します』
手短に本部と念話で連絡を取り、遮断。
ここは間違いなく敵地の真っ只中、通信途中に襲われでもすれば只事じゃ済まない事を彼女は承知していた。
喩え反応が無くとも、彼女とて歴戦の魔導師。
この場に流れる異様な雰囲気を理解している。鋭い眼光と感覚で全周囲を警戒する。
自然と、バルディッシュを握る強さが引き締まるのも当然という所だ。――が、それでも昂ぶる心を冷静な理性で緩和した。
――瞬間、空気がざわつく。それに気付いたフェイトはバルディッシュを前に翳し、警戒態勢から戦闘態勢に。
「……やっぱり。予想通りだ」
そして数秒後。
フェイトが立っている場所から前方にある闇の中から、一つ、二つ、三つときて一気にそこ等じゅうから光点を点滅させながら幾つものカプセル状の機械が現れる。
『ガジェットドローン』。ロストロギア『レリック』を狙う謎の機械兵器。これが在るという事は、つまり『レリック』もこの場に存在しているということ。
多分、この場に居るのはただの一小隊だけに過ぎない。ならば早急にこれ等を破壊して、『レリック』の確保を行わねばならないと思考し、フェイトはその場を蹴った。
その場から彼女が消失したかに見えるほどの速度。当然ながらガジェットはそれに反応できず、
「はァッ!!」
金色の刃が横、一閃にはしる。
斬、という余韻の音を鳴らしながら、一体のガジェットは両断され崩れ落ちた。
それを合図と言わんばかりか、周囲に浮遊する何体ものガジェットが斬りかかったフェイトに対し光を放つ。
前後左右の至る場所からの包囲攻撃の前に、再度フェイトは大地を蹴る。二つの閃光が、闇の中で映えた。
瞬く間に断絶される数体のガジェット。小規模の爆発を起こし、周囲に先ほどよりも濃い焦げ臭い香りが充満する。
要は、その繰り返しだった。
迎撃してくるガジェット達の攻撃を高速で避け続け、斬撃(カウンター)。
AMFで防御を展開したガジェットも、その斬撃から逃れ得る事は出来なかった。
圧倒的という言葉がよく似合うさまだった。避け、斬り、回避し、裂き、紙一重で避けきり、断絶する。その都度繰り返し、斬り結んでいく。
機械の残骸がその場で次々と積もっていく。かくいう時間も掛からず、この場に存在したガジェットドローンがすべて殲滅された。
先ほどの静寂が戻り、フェイトは一息を付けた。次は『レリック』の確保、奴等に先んじられるワケにはどうしてもいけない。
「よし、ここは片付いた。早く次の場所へ―――ッ!?」
その瞬間が、油断を呼んだ。
フェイトが立つ大地の下が何の脈絡もなく爆砕し、二つの巨大な“腕”が現れる。
如何な彼女であろうとも、何の気配も魔力反応もなく、視界情報すら侭ならない現状では反応が鈍る。
それ故か。その巨大な腕が、難なく彼女の両腕を掴み上げ、さながら聖者の十字架じみた格好で拘束するに至ったのだ。
「く……ッ! まさか、こんな所にⅢ型(伏兵)が……!?」
迂闊だったとしか言い様が無かった。
拘束された瞬間、魔法を発動しようとするも先ほどのカプセル型のガジェット……通称『Ⅰ型』とは段違いのレヴェルでAMFが発動されており、
魔法を使えたとしてもこの腕を離し得る事は出来ないだろう。
それにこの強靭な腕と装甲……以前エリオ・モンディアルとキャル・ロ・ルシエが撃退したガジェットと同種であるが、幾分か強化を施されている。
協力なAMFの状況下でこの機械の腕を破る事はとてつもなく難儀な事だと言えた。
そして身動きが取れないこの状況で、さらに追い討ちをかける出来事が起こった。
建物の影から幾数もの光を点滅させながら、ガジェット『Ⅰ型』が集う。集結していく。
能力が限定され、この数。たとえ彼女が一騎当千の力を持っていたとしても、この状況を切り抜ける術は持ち合わせていなかった。
(これは……少し、ピンチかも……)
ガジェットらの光眼が拘束されたフェイトへと向けられる。
このままではあっという間に蜂の巣だ。
唯一、増援さえ来てくれればこの状況下を潜り抜ける事は可能だろうが……その望みも薄い。
覚悟を決めたような目で、フェイトはガジェット達の視線を一身に受けた。
そうして幾数もの閃光が放たれる―――筈だった。
「え……っ?」
疑問の声を上げる。
フェイトに狙いを定めていたガジェット達が一斉に別方向へ向いたのだ。
どれ一つの例外なく、ガジェット等は“ソレ”に目を向けた。
フェイトもガジェットらが凝視する方向へ目を向けた。
よく見えない夜闇の中、何故だか“ソレ”ははっきりと見えた。
肩まで無造作に掛かった髪。所々傷んだジャケット。
見るからに何らかの武道を習ったのだろう、一切ぶれないその姿勢。
そして――右目にある、痛々しい裂傷。フェイトと同じ年頃であろう“青年”が、亡霊の様に其処に立っていたのだ。
(な、民間人!? なんでこんな所に……!)
フェイトは狼狽した。よもやこんな廃工場に民間人が居ようとは、誰も思わないだろう。
拘束されながらも、自らも未だ危険な状況下に居ながらも、彼女は叫んだ。
「そこの人、早く逃げてください! ここは危険です!!」
だが、青年は動かない。フェイトの声は確かに届いている筈だ。
なのにそれを意に介さず、その場で立ち尽くしていた。
何を考えているのか、フェイトにはさっぱりわからなかった。
大量のガジェット……見た数では二十数体以上。
本来ならばそれよりも多いだろう。それを目の前にして何もしない青年の事が、さっぱり、全くなにも理解出来なかった。
それでもフェイトはもう一度叫ぼうとした―――その時だった。
「早く逃げ――――え?」
異変が、起こったのだ。
青年が徐(おもむろ)に右腕を地に、左腕を天に構えたのだ。天地上下の構え。
とてつもなく異様だった。
彼に纏わり付く雰囲気が目に見えない質量となって、この場を圧迫している様な感覚に陥る。
フェイトはこの感覚を知っている。彼女にとって、馴染み深いモノだ。これは―――魔力の流れだ。
周囲にある魔力が彼に向かって一斉に流れ込んで行く。
膨大な量だ。民間人が、こんな芸当を見せることなど出来はしない。
ならば……彼は、一体何なのだろう?
そんなフェイトの疑問など無視し、彼は沸々(ふつふつ)と大気を侵す様に、言霊を吐いた。
「――――『変、神(へん、しん)』――――ッッ!!!」
*
青年が目を覚ました場所は、見たことも無い廃工場だった。
「ぐ、ぅ……ッ! ここは、一体何処だ……?」
彼は太平洋上において『彼女』との戦いで敗北し、そのままあの大海原へ堕ちた筈だ。
それが海とはなんら縁の欠片も無い、こんな廃れた工場で気絶しているとは、如何な魔術の類なのだろうか。
それは彼にとって、知るよしも無い事だ。要はまだ“動いている”という事だ。ならば、また『彼女』と戦う事が出来る。何ら支障も無い。
……が、それを考慮に入れても、この様な場所ははじめてだ。アーカムシティにこの様な廃工場があっただろうか?
閉鎖地区あたりを探せば、この様な場所もあるかもしれないが……。
それでも、何処とは無しに『違和感』を感じずにはいられなかった。
まるで、そう。何処か別の世界に居るような―――。
―――瞬間、彼の脳裏に闇黒の、混濁の海が四方を統べる異形の世界が焼き付いた。
その世界の中心で踊る影。あれは――女、だろうか?
灼ける様な■■の眼を■■■の■■■■■(以下、検閲)
■■■■エラー、エラー、白血球プログラムを展開、
突破不可能不可能不可不可■■■■■……
「が、グゥ、アアアァァア………ッッ!!」
まるで鈍器で殴られたような、激しい痛みが脳を刺激する。
言い様も無い、果てしなく暗い『邪悪』を垣間見た……気がした。
しばらくすればその頭痛も治まり、嘆息をまじえながら青年はその場で胡坐(あぐら)をかく。
きっと先ほどまで気絶していた所為だろう、何らかの不備が発生しただけに過ぎんと断じて、この廃工場から空を見上げた。
暗く昏い、今にも雨が降りそうなくらい曇った空だった。
「………チッ」
軽い吐き気。
こんな空は好きじゃない。まるであの場所を連想させてしまう。
一面白の空間。真っ白な世界。白の牢獄。嫌になるくらいの白一色。
あの部屋は好きじゃないが……あそこから除かせる、一切の穢れが無い、どこまでも青い空がどうしようもなく好きだった。
そのような事を思い出して、またしても舌をうった。
全くもってどうかしている。もしかしたら『ヤツ』との戦いで何らかの異常でも発生したのか。
その程度ならば自己修復機能でどうにかなるだろうと一瞥し、青年は立ち上がる。
さて。休憩もこれくらいにしておこう。
どういう事かは解らないが、動けるのであれば『ヤツ』と戦う事ができるのだから。
――すると、青年はとある方向に眼を向けた。
鋼が焼き切れる、焦げ臭い匂いがした。戦いの空気を肌で感じる。
その瞬間、青年の口が歪む。
「ふん――面白い。機能調整がてら、少し遊んでやろう」
それは……どうしようもなく歪んだ『笑み』だった。
眼にしたのは、見たことも無い機械兵器どもと金髪の女が戦っている所だった。
其処で戦う女は人の身でありながら余りにも圧倒的だった。
数ある機械兵器達をまるで木偶の棒を斬っていくような手早さで殲滅していく。
成る程――あの女は少なくとも、『逆十字』クラスの魔術師というコトだ。
魔力を人為的に押さえ込んでいる様なモノも感じるが……一体なんなのだろうか。
そうして時間も掛からないうちに、女は周囲にあった機械兵器達総てを破壊せしめた。
年の瀬は自分とそう変わらないみたいだが、随分と戦う事に手馴れている印象を持った。
そこで女は安堵の息をついてその場から離れようとした瞬間に―――地中から、二本の腕が突如現れ、あっという間に彼女の両腕を掴み拘束した。
(―――ハ、油断大敵だな)
青年はそう思う。あの程度で遅れを取るとは、少々買いかぶりすぎただろうか。
女を拘束したことでいい気になったのか、ぞろぞろとあのカプセル状の機械兵器達が出てくる。ざっと二十体以上は居るだろうか。
先ほどの数と比べれば、二倍以上の量。絶対絶命の危機。だが―――
(クク―――その数くらいならば、丁度いいだろう)
青年は笑う。戦いという病に侵されたように、顔を歪ませ哂う。
そうして青年は、なんら危険を顧みず、その場で佇んだ。
機械兵器達が彼の存在に気付く。
ついでに拘束されている彼女も彼の存在に気付き、何かを叫んでいるようだが、青年は気にせず己が行動に没頭する。
両腕をそれぞれ天と地に構える。天地上下の構え。
脈動する魔力。内臓されたダイナモで大気中に存在する魔力(アザトース)を吸収/循環/疾走させていく。
大量の魔力を食い潰しながら、彼は笑みを浮かべる。
大気がおののく。彼の纏う殺意と暴虐の意思に軋みをあげているのだ。
前方にいる彼女が驚愕に彩られた表情を浮かべているが………関係ない。
彼は馴染み深い言霊を、沸々(ふつふつ)と大気を侵す様に、吐いた。
「――――『変、神(へん、しん)』――――ッッ!!!」
次の瞬間、彼の身体が紫電を帯びながら形状を変化させていく。
闇の中で尚も映える黒色の装甲が瞬く間に現れて、彼の身体に合わせるように装着。
最後に、他の装甲と同じように黒色で染められた仮面が彼の……『リューガ・クルセイド』の顔面に顕現する。
―――それは、まさに黒い天使と言うに相応しい姿。
今宵、ミッドチルダに黒天使『サンダルフォン』が降臨する。
続く。
最終更新:2008年02月09日 22:53