都市街へと続く道からひとつ脇に逸れると、道路を走る車は途端に少なくなる。
 平日という要因もあるだろうが、なによりこの先に続くのは廃棄都市区画だった。
 いつしかそこに出来上がった、管理局ですら手を焼いている無法地帯に好んで近寄るような者はいないだろう。
 見通しの良い直線道路を進みながら、フェイトはふと自分の向かう先の住人について考えを飛ばした。



「もう3年、なんだよね」



 始まりはそんな言葉だった。
 もっとも、3年という期間に『まだ』と『もう』どちらをつけるか、という違いはあったが、出会ってから過ごした時間は『まだ』というにはあまりにも濃いモノだった。出会いと共に幕を上げた<アレ>との因縁もまた、同様に。
 出会い方は最悪だった。
 なにしろ、あの時はただでさえ余裕がなく、連鎖のように襲い掛かる出来事に追い詰められていたわけで。
 今でも思い出せば羞恥と申し訳なさに泣きたくなる。
 ――だが、それが切っ掛けとして始まったのだろう。
 彼との、現実から少しだけ外れた世界は。
 後悔がないと言えば嘘になる。
 それを望んだのかと聞かれれば首を振る。
 けれど、踏み込まなければ、知ることをしなければ、きっと今よりもずっと深く耐えようの無い後悔があったに違いないとフェイトは断言できた。故に、自分の選択は間違ってはいなかった。そう感じる瞬間が3年という時間の中には確かに存在した。
 だからこそ、今もまたこうして、自分は彼の元へと向かっているのだろう。
 幾度となく繰り返した問いがいつも通りの答えへと辿り着いたことに、フェイトは苦笑した。
 流れていく景色の先にようやく目的の物を見つけ、緩やかに車の速度を落とす。
 廃棄都市の中に踏み込む直前、僅かに逸れたその場所に、派手な看板を掲げた建物があった。
 その眼前に車を寄せる。邪魔になる気もしたものの、どうせ滅多に客は来ないかとフェイトは考え直した。あまりにも失礼な結論だったが、それは確かに事実だった。
 3年前、自慢げに彼が見せたその事務所は、今も変わらない姿でそこにある。
 そして、中にいる彼もまた、変わらない姿でそこにいるのだろう。



「よしっ」



 気を入れなおすように、掛け声をひとつ。
 フェイトは歩を進め、ミッドチルダには珍しい手動ドアを押した。



 <Devil May Cry>



 それがその店の名前だった。




「……はあ」



 店内に足を踏み入れたフェイトがまず最初に行ったのは、深いため息を吐くことだった。
 あまりにも予想通りな、というかその予想すら斜め上に越えている結果には呆れ果てる以外には対応を知らない。
 期待を裏切らないことは彼の特性だろうが、なにもこんな所まで応えなくてもいいのではないだろうか。
 文句のひとつでも言ってやろうと、フェイトはこの悲惨な状況を生み出した張本人を探すべく店内を見回す。
 ドラム一式。ビリヤード台。冷蔵庫。テレビ。中央にはフェイトの助言によって置くことになった来客用のソファにテーブル。
 奥に陣取るように構えられたアンティーク調の机に椅子。その上には旧式の電話が隠れるほどにピザの空箱が積み上げられ、それを彩るようにファーストフードの包みが散乱し、酒の空き缶が共演している。
 半数以上がどこから仕入れたのか全く謎な品物に加え、眉を顰めたくなるような食生活。
 再び漏れそうになる体の奥底からのため息を飲み込み、フェイトは細く白い指でこめかみを押さえた。傍目に見れば絵になる光景だったが、本人にとっては喜ばしくないことだった。
 毎回毎回、ここを訪れるたびにため息なり頭痛に襲われているような気さえする。
 いい加減慣れてもいいのだろうが、自分がこの惨状を受け入れてしまえば本格的にここは魔窟と化してしまうだろう。せめて、人が生活出来る最低ラインは死守しなければならない。
 そもそも、なぜ自分がここまで気を揉まなければならないのだろうか。
 不意にそう考え、すぐさま意識を逸らした。とりあえず、虚しさと悲しさに襲われるだけだというのはとっくの昔に分かっていた。
 ここにいないとなれば、彼は奥でシャワーでも浴びているのだろう。
 食生活とは裏腹に身の清潔には気を遣っている方だから。
 その考えを肯定するように奥へと続く扉が開いた。
 出てきたのは、湯気と水滴を纏った上半身裸の青年だった。銀髪に残る水滴をタオルで拭くというより飛ばしながら、青年はその目でフェイトを捉えた。



「金ならねェぞ」



 ずきり、と、頭の中に痛みが響く。これはただの頭痛なのか、それとも怒りという部類の物か。とりあえず、フェイトにはどちらでもよかった。というより、気にするだけ無駄の類だ。



「……あのね、ダンテ。私そこまでお金にうるさくないよ。返せる時に返してくれたらいいから。それより、せっかく会いに来た友達にもっと言うことはないの?」



 ダンテと呼ばれた青年はフェイトの言葉に腕を組んで思案し、思いついたとばかりに両手を広げ、口を開いた。



「ああ、悪かったな。ほら、キスしてやるぜ」
「っもう! ダンテ!」
「OK、俺が悪かった。だから振り上げたその鈍器は下げてくれ。ぺしゃんこの蛙にはなりたかない」



 両手を挙げて降参のポーズを取るダンテに、フェイトは手に持ったバッグを下ろした。鈍器とは言いすぎだが、書類やらなんやらの雑貨諸々はそれなりの重量を誇っていた。
 バッグは下ろしたが、フェイトは変わらずダンテを睨みつけていた。
 もっとも、微かに赤く染まった頬は隠しようがなく、伸長差のおかげで上目遣い。おまけに格別の美人であるため、迫力よりも可愛らしさを感じさせる。
 おまけに、そういう表情を平然と表に出すのだから、果たして何人の男が虜にされたのか。
 自覚がないってのは厄介だ。
 ダンテはフェイトの顔を眺めつつ、無自覚のたらしってのは恐ろしいと教訓を刻み込んだ。



「……な、なに?」



 じっと見つめられ、フェイトは思わずたじろいだ。
 なにしろ、性格はあれだが、ダンテは間違いなく良い男の部類なのだ。
 整った顔立ちだけなら、フェイトも幾人と見ている。今の時代、テレビを点ければそこにいるだろうし、管理局内にだってそういう男は所属している。なにより、彼女の兄自身がそのタイプだ。
 しかし、ダンテは彼らとも一線を喫している。
 言葉には上手く表せないのだが、強いて言うなら、力があるのだ。
 その目に、体に、雰囲気にすら。どんな状況でも失わない余裕と、不利をものともしない、不可能を覆す力。それを間近で見てきたからでもあるだろうが、ダンテには他の人間が持ち得ない不思議な魅力があった。
 ダンテ自身、自分のことを良い男だと称することはあるものの、それは見掛けだけの話であって、本当の、簡単に言えば「格好良い」ところには気付いていない。自分の行動がどう他人の目に映るか、気にしていないのだ。
 自覚がないのがすごい厄介だよね。
 フェイトは目を逸らしつつ、ダンテに恋した女の子は絶対苦労するだろうなあ、と考えていた。
 ――奇しくも、ふたりして似たような事を考えている不思議な空間が出来上がっていたが、お互いがそれに気付く事はなかった。
 ダンテが上半身裸という状況を今更ながらに理解したフェイトが、気恥ずかしいやらなんやらでどうしたものかと混乱し始めたのを見計らったように、ダンテはにやりと笑って言った。



「口に飯粒が付いてるぜ」
「え、嘘!?」



 乙女の気恥ずかしさはどこへやら。フェイトは慌てて口に手を当てる。



「冗談だ」



 …………。
 フェイトのバッグが火を噴いた。




 着替えたダンテが、鈍痛を訴える頭をさすりながら机の前まで歩み寄り、横倒しになっているアンティーク調の椅子を蹴り上げた。
 くるくると舞い上がった椅子の脚が床に着くと同時に、その上へと腰掛ける。
 製作者の予想を軽く越えたアクロバティックな扱いに耐えかねた椅子が不満を告げるようにミシリと軋む音が響いたが、その音を気掛けたのはフェイトだけだった。
 ひとつ言を呈そうかと考え、どうせ無駄だろうとすぐさまに却下する。
 その代わりというわけではないが、知らぬうちにフェイトの口からは小さなため息が漏れた。
 フェイトのため息を完璧に無かったものとして、ダンテはおもむろに口を開く。フェイトがここに来た大方の理由は既に分かっていた。
 というより、ここに来る者は大抵がそうだ。特に、フェイトに至ってはここ最近それ以外の理由で来た覚えがなかった。



「依頼ならお断りだぜ? もうすぐ風呂上りの」
「ストロベリーサンデーなら届かないよ?」
「……なに?」
「ダンテ、またツケ溜めてるんでしょ? それを払うまでは届けなくていいよってここに来る前に言っておいたから」



 フェイトの屈託の無い笑みとともに飛び出た言葉に、ダンテは暫し呆けることになった。
 こんな事、前にもなかったか……?
 自分に対して遠慮と気遣いというものが無くなりつつある金髪の美女に嘆息する。
 しかし、こっちで右も左も分からなかったころからの付き合いであり、少なくない借りがあるのも確かだった。もちろん、金銭面という意味でも。
 身に流れる血の半分は悪魔のものだが、恩を忘れるほどに落ちぶれたつもりはなかった。
 加えて、確かにそろそろ金を工面しなければならないと思っていた所ではある。主に三食のピザとストロベリーサンデーのためにも。
 思いつく限りの理屈を並べ立て、ダンテは自分を嫌々ながらに納得させた。
 まあ、仕方ないか、と。



「とりあえず、話を聞こうかお嬢さん(レディ)」



 これみよがしな言葉に含まれた物に気付きつつ、しかしフェイトは満足げに肯いた。
 この男とのやり取りに無駄な気遣いは必要ないというのが、ダンテとそれなりの時間を過ごしてきての総括のひとつだった。
 嫌味に返された輝くような笑みに、ダンテは肩を竦めた。



「やれやれ……本当、俺には女運ってもんがないらしい」
「誉め言葉として受け取っておくね」



 苦し紛れの一言にも、返ってくるのは笑顔だった。
 平然とファイルを取り出し、着々と話を進めようとするフェイトを眺め、ダンテは逆に清々しささえ感じ始めていた。



「……泣けるぜ」



 意図せず漏れたぼやきに返ってきたのは、見惚れるような笑みだった。

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最終更新:2008年02月12日 09:22