【2】
「事の始まりは1週間前。管理局本部に入った駐在支部からの緊急通信だった」
提示されたファイルを適当にぺらぺらと捲るダンテを前に、フェイトは依頼の内容へと繋がる顛末を話し出した。
そこに先ほどまでの和やかな雰囲気は残っていない。笑い話に出来るような内容ではなく、フェイトはそれを茶化すような性格でもない。ダンテもまた、冗談にするべき時と場合はわかっているつもりだ。
「私も録音されたものを聞かせてもらったけど、酷く錯乱してた。言葉は支離滅裂で、何を言ってるのか意を得ないのものがほとんどだった。その中で聞き取れた言葉を並べると、襲撃、全滅、ドレイク・フェルト、そして」
そこで言葉を切り、フェイトは瞼を閉じた。それは静かな祈りにも似ていた。
「――悪魔」
「……へえ。そりゃ穏やかじゃねェな」
眺め終わったファイルを机に放り、ダンテはソファの背に身を沈めた。漏れた言葉は天気を気にするかのように気軽なものだったが、その目には鋭利な光が宿っていた。
「で、管理局さんはもう調べたんだろ?」
「うん、すぐにね。ただ事じゃないのは明白だったらしいから。それで、救援に向かった人たちが見たのは――」
「スプラッタな惨状、ってところか」
ダンテの言葉に、フェイトは頷いた。
「原型すら留めていなかった、って」
「そいつは過激だな。その悪魔ってヤツは随分興奮してたらしい」
「上層部の判断は、管理局に刃向かう者の異常犯罪。……そんなわけないのに」
フェイトには珍しく、その言葉の影には皮肉の響きがあった。それは現実を認めようとしない管理局の頭の固さにか、それをどうにも出来ない自分の非力さにか。
「認めたくないのさ。悪魔ってヤツをな」
管理局も分かってはいるのだ。そして気付き始めている。
もう、目を逸らすには自体は深刻過ぎた。
ここ3年の間に各世界で急増した異常事件。常軌を逸した殺人。死人の残した最期の叫び。生き残った者が語る悪夢。
その全ての影に見え隠れする空想の産物。誰もが夢想し、恐れ、しかし決して消える事のない存在。
悪魔。
その存在を、現実としなければならない。
被害は増加の一途を辿り、遂には新たな宗教すら生まれる始末。
事実を妄想として片付けるには、既に事は進み過ぎていた。
しかし、それでも認めたくない。認めてはならない。それを認めれば、
「人間はベッドの下の影にもいちいちびくびくして生きていかなきゃならない。とりあえず、しばらくは夜にひとりでトイレにも行けねェだろうな」
「……そ、そうだね」
真面目な顔から一転、気まずそうに視線を逸らすフェイトを眺め、ダンテはピンと来た。
にやりと、意地の悪い笑みを浮かべて口を開く。
「なるほど。お前も夜トイレに行けな「わー、わーっ!」
フェイトは、それ以上言わせて堪るものかと手をぶんぶんと振り回してダンテの言葉をかき消した。
2人しかいないのだからそこまでして阻止する必要は特にないのだが、それはそれ。乙女の恥じらいというやつである。
「なんだよ、そこまで気にすることでもねェだろ? 別に普通だぜ?」
「うー……」
一見フォローをしているように見えて、しかしダンテの顔にはからかう様な笑みが浮かんでいた。
フェイトは真っ赤な顔でダンテを威嚇するが、悲しいほどに迫力がなかった。むしろ全面的に感じさせる可愛らしさは世の男達には必殺だろう。
もっとも、ダンテという例外も少なからず存在するが。
これ以上やると、フェイトは拗ねて会話すらまともに取り合わなくなる。
経験上それを理解していたダンテはわざとらしく話題を変えた。
「それで、俺への依頼内容は? その悪魔にお引取り願うだけか?」
不満は残るが、話題を変えることには全く異論のないフェイトがこほんと咳をして仕切り直す。
「うん、それで大体合ってる。ただ――」
「何だよ? 歯に肉が挟まってスッキリしねェとでも言いたげな顔して」
ダンテのなんとも言えない比喩を右から左へ受け流しつつ、フェイトはダンテの前にあるファイルを捲る。
その動きはやがて止まり、そこに写された一人の男を指差した。
「これが、この事件の引っ掛かるところなんだ」
ダンテもその男へ目をやった。
肩まで伸びた黒髪は手入れがされているとは思えない。
顔貌はそれなりにまともな方だが、ともすれば死人と間違える程の血色の悪さと、あまりにも深い闇を宿した瞳がそれを打ち消していた。
「また随分と時化たツラだな。世界中敵だらけとでも言いたそうだぜ」
「この人がドレイク・フェルト。元管理局所属の魔導師」
「通信のヤツ、か」
フェイトは頷いた。
確かに、その名が出ていた。管理局のデータベースに同名はひとりだけ。
「もっとも、上層部はこの情報は無駄だって捨てたけどね」
「あん? なんでだよ。怪しいだろ? このツラは完全に悪人だぜ?」
「この人はね」
フェイトの指が紙面上を滑る。その指が差したのはひとつの情報だった。
「もう死んでるの。3年前に」
「――――へえ」
重なる時期は偶然か。それともそれすら必然なのか。
ダンテの瞳に、再び鋭い光が宿った。同時に、場を包む空気が重みを増した。
身に掛かる重圧を気にもせず、フェイトはまるでその手に書いてある文字を読み上げるように続けた。
「3年前。アリストでも大きな次元震が起こったの。それはすぐに収まったけど、そこにはいくつかの<何か>があることが判明。
近くを巡回中だった彼の所属する部隊がその場に駆けつけた。『俺は悪夢を見てるのか』――それが部隊長の言葉、そして同時に、最期の通信だった。
後続部隊が着いた時、そこには誰もいなかった。<何か>も、先着したはずの部隊員も。あったのは、あたり一面を染め上げるほどの血液。それだけ。そこには遺体すらなかった」
「……で、結局見つからずに、全員死亡扱いってわけか」
こくり、とフェイトが頷く。
「それから3年経った今、その中のひとりの名前が出てきた」
「胡散臭ェ話だ。犬も食わねェ悲劇だが……悪魔が出るにはピッタシか」
「今回の依頼は、事件への<悪魔>の関与の有無。そして、関与が確認された場合はその殲滅。法は極力冒さないこと。
だけど、場合によっては法外の行動も認める。その場合は私に許可を取る事。まあ、いつも通りだね」
「OK。この男はどうするんだ?」
「そっちは私の仕事。だから、今回は私も同行するから」
「……」
笑みを浮かべて続けられたフェイトの発言に、ダンテは顔を顰めた。
「あ、もう、ダンテ? なんでそんな嫌そうな顔するの?」
「いや、今回は子守りもしなきゃならねェのかと思ってな」
「む、私はそんなに子供じゃないよ」
「夜にひとりでトイレに行けないのは十分子供だと思うぜ?」
「もうっ! それは昔の話!」
「へえ、やっぱりそうだったんだな」
「あ! ……う、も、もうっ、知らない!!」
墓穴を掘ったことに気付いたフェイトが顔を赤くして席を立った。そのまま奥へ消え、戻ってきた時にはその手にゴミ袋を持っていた。
そしてゴミの山となった机に歩み寄り、片っ端からゴミ袋へ放り込んでいく。
「そこでなんで掃除を始めるんだよ、お前は」
フェイトの突飛な行動に込み上げる笑いを噛み殺しながら、ダンテは呟く。
当然、その声は、顔を赤く染めてぶつぶつと文句を言いながら掃除に励むフェイトには聞こえなかった。
「もう! ダンテも早く手伝って!」
「はいはい」
ため息ひとつを残して、ダンテは気だるげに立ち上がった。
別に部屋が汚かろうがなんだろうが一向に構わないのだが、フェイトに言われては仕方がない。
あのまま居座っていれば何かしらの凶器が飛んでくるか、それとも拗ねて無言のプレッシャーを掛けてくるか、果てには泣き出すか。
とにかく、非常に厄介なことには違いなかった。
こちらに来てから知り合った便利屋仲間に、女子供――特にフェイト――には大甘だとか情けないだとか揶揄されるダンテの性格だったが、悪い気はしなかった。
それはダンテ自身にも分からない、根底の部分の問題だった。
ただ、そう。
フェイトと過ごす時間は、悪くない。
それだけのことだった。
「よし、フェイトは机の上のゴミを片付けてくれ。俺はそれを見守ってる」
「うん、分かっ――って、ダンテ! 私怒るよっ!?」
「冗談だ。そうカリカリすんなよ」
ああ、悪くない。
ぷんぷんと突っ掛かって来る眩い金色をあしらいながら、ダンテはふと昔のことを思い出していた。
今はもう遠く、おぼろげに霞んだ在りし日。
そこには幼い自分が居て、兄が居て、そして母がいた。
もう2度と、決して戻らない日々。
いつの間にか求めることすら忘れていた、穏やかな毎日。
世界とやらを渡った今も尚、悪魔との因縁が途絶える事もなく、自身をこの状況へ陥れた黒幕も、その目的も定かではない。
いつの日か――そう遠くない未来で、この平穏も崩れ去るのだろう。
だが、たとえそれが分かっていたとしても、ダンテには悪くない毎日だった。
act1.「悪魔の人形劇」【3】へ続く?
最終更新:2008年02月12日 09:25