嵐が駆け抜けた先。そこは金色に輝く瓦礫の城。
嵐は傷つきながらも、その風も、雷も衰えはしない。
渦巻く風で城を打ち崩し、烈しい雷で燃やし尽くすまで。
嵐は止まるところを知らない。
フェイト外伝――月下光影――
第三話『双雷』
外壁を登り、門を潜る。いかにもな門の先は黄金城の外周のようだ。
「ここは……」
フェイトがため息のように漏らす。
広がる光景は異様としか言いようがなかった。
下を見ると、そこにはただ暗闇が広がっている。永遠に落ち続けるのではないかと思う程深い奈落。
フェイトはいいにせよ、不規則に突き出した建物を一歩踏み外せば奈落へ直行だ。
天に届く高大な城。中に入って改めてそれが解る。
「黄金城はヒルコの呪力によって構成されている。この世の理を知り、占うのが陰陽道なら、奴は理自体を操る」
珍しく多弁な秀真。しかし、その声に含まれた疲労の色をフェイトは聞き逃さなかった。
かくいうフェイトも身体には傷が目立ち、やや疲れているようにも見える。
式神の大群を突っ切ってきた二人はかなり疲弊していた。
「私はともかく……あなたはどうするんですか?」
「俺に構う必要はない。先に行け」
秀真はそう言うと、手近な壁に片手と両足で張り付き、屋根へ上っていく。
吸盤でも付いているのだろうか?改めて彼の身体能力には驚かされる。
「待って下さい!」
「何だ?」
「ここから先は協力して行きませんか?」
軽々と跳躍していく秀真をフェイトは呼び止めた。やはり彼は止まらない。
今更とは思う。
大群を突っ切る際は、互いに上下に分かれた方が効率的だった。
秀真もフェイトも範囲攻撃を自由に使えるし、上から狙われることもない。片方を気にして戦うよりはその方がいい。
だが、ここからは狭い通路を行くことになるだろう。あまり派手に戦えないかもしれない。
それならいっそ――。
「いいだろう……」
今度は答えるまでに時間は掛からなかった。
「ありがとうございます……ふふっ。」
フェイトは微かに笑った。
だんだんと、この人が解ってきた気がする。
それが妙に嬉しかった。
先程はお互いに助けは要らないと言ったが、フェイトは万が一彼が危険になるようなら助けていたかもしれない。
それは多分、秀真も同じ。出会った時もそうだったように。
共に戦い、話をした。
多くは語らなかったが、彼もまた仲間の為に、家族の為に戦っている。
形は違えど、それもフェイトと同じ。
そして――家族を失っているということも。
(でも多分、それだけじゃない……。助けてもらったからでもない……と思う)
それは多分、出会った時の彼の眼。その寂しげな瞳が気になって仕方なかったから。
ひょっとすると、自分は母性本能が旺盛なのかもしれない――そんなことを考えていると更に可笑しくなって笑みが零れた。
「……何が可笑しい?」
「いえ、何でも」
上へ、ただ上へ。
屋根を跳び、結界の封印を壊し、二人は先へと急ぐ。
秀真は軽々と、苦も無く壁に張り付いていく。疲れているだろうに動きからはまるで感じられない。
空間が歪み、式神と蝙忍が現れる。瓦に鬼面を付けたような式神は裂けた口から火球を吐く。
それでも二人は進むのを止めない。
最小限の動きで式神の火球をかわし、手裏剣を弾く。
傍を通り過ぎる時、既にそこには何も残っていない。
第一の門を抜けると、そこは更に異様な通路だった。いや、通路ですらない。
そこは一見四角く切り取られた狭い通路、ただ一つ違うのは床が存在しないこと。
床のあるべき場所には虚無の奈落が口を開けている。
「行くんですか……?」
答えは解っていたが。
「無論」
壁に張り付いたとしても、攻撃を受けてバランスを崩せばどうなるか言うまでもない。
しかし、彼はそんなことはまるで気にも留めていない。
長大な回廊――バランスを崩せば危ないのはフェイトとて同じである。
仕掛けてくるならここだろう。フェイトも、おそらく秀真もそう思っており、そして予感は的中した。
続々と現れる式神と蝙忍。それはすぐに通路を埋め尽くす。
「突破する」
「はい!」
火球の一斉射撃をフェイトは片手でシールドを張る。範囲は前方のみ。
秀真は片手で印を結び、
「破っ!」
秀真の周囲に薄緑の電磁波が発生した。
それはバチバチと音を立て、火球は秀真へ届く寸前で消滅する。
忍術の参――『雷陣』。
秀真は回廊の中心へ跳び、悪食を振るう。
一体を斬れば、後は斬った"物"を蹴り、次へと跳ぶ。そうして次の獲物を斬る。
斬れば斬る程に威力を増す妖刀。それは蒼い光を纏い、紅い魄を吸う。その通りに、容易く切り裂かれてゆく。
秀真とフェイトは左右の壁際を走り、飛ぶ。
バルディッシュを左から振り抜き、数体の式神を同時に斬りつつ、
「ハーケンスラッシュ」
『Haken slash.』
金色の鎌は更に光を増し、火球をかき消す。
速度を緩めることなく、飛び、走り続ける二人の前後左右を式神が塞ぐ。
「プラズマランサー!」
『Plasma Lancer.』
フェイトは通路中央へと躍り出た。
魔法陣と共に出現する八つの雷の矢――それは背後を除くフェイトの周囲全てに向けられる。
背後の心配はしていない。
背中にぶつかる確かな感触。彼もフェイトと同時に跳び出していた。
秀真が腕から帯電する八本の手裏剣を抜き放つのと、
「ファイア!」
雷の矢が発射されたのは、ほぼ同時。
計十六の雷――あるものは跳ね返り敵を落とし、あるものは二体を貫いた。
手裏剣を受けたものは麻痺し、奈落へ落ちていく。
プラズマランサーを受けたものは即座に消滅。
秀真はフェイトの足裏を蹴り、壁へと張りつく。
合図も何もないのに、フェイトはそうするのではないかと思い、足を彼に預けた。
それは互いに最適と思われる行動を取ったに過ぎない。
――そこに言葉は要らなかった。
幾つも門を抜け、何度も似たような回廊を抜けた。
フェイトと秀真は、互いに動き易い位置に何度も入れ替わる。秀真が動けば、フェイトもそれに応じて動く。
ある時は壁際を掠めるように飛び、ある時は天井を逆さに駆け、敵を斬る。
彼らにとっては上下が反転しただけ。
秀真は雷を帯び、走る。フェイトは雷を放って飛ぶ。
双雷の軌跡は、まるで螺旋を描いているようにも見えた。
それは全てを呑み込み、最後の門すらもこじ開ける。
黄金城の内部は、外周の異様さに反して思ったよりも普通だった。
板の床、畳、襖(ふすま)で区切られた部屋は拍子抜けするほどただの城だ。違うといえば、そこかしこに張られた結界ぐらいか。
その分、式神や忍は強力なものだった。朧の中忍だった紫忍。紅く染まった血木魚。
死してもその技巧は変わらないのか、正面からの攻撃は通用しない。
だが、それもフェイトが引き付け秀真が斬ればいいだけのこと。
単調な黄金城の廊下を、式神と切り結びつつ走り続ける。
「お前は友や家族を守る為に来た。そう言ったな?」
突然、秀真から話しかけられ、フェイトは少し戸惑いながらも答えた。
「はい……そう、言いました」
秀真は憂えているように見える。もっとも、はっきりと表情は読めない。
「お前は全力を出せれば、俺よりも強い。管理局とやらで幾つも修羅場を潜ってきたのかもしれん」
「どうしたんですか?いきなり」
それは彼にしては珍しく、腫れ物に触るように回りくどい言葉に思えた。
これまでは必要最低限のことのみを率直に質問してきたのに。
「だが、それでもお前は子供だ。戦う力があるからとはいえ、家族の為とはいえ、ここまで戦えるものなのか?」
「それは……」
フェイトは言いよどむ。
――考えてみれば何故だろうか?
勿論、三人で相談した結果なのだが、それが理由かと聞かれると違うような気もしてくる。
黄金城を知った時、言い知れぬ不安に襲われた。夜毎増える地震はそれが危険だと確信させた。
だから三人で調べに行こうと決めた。
しかし、もっと深い理由があるようにも思う。おそらくは他の二人にも。
(新しい家族ができて……友達ができて……それからは毎日、幸せな気持ちで眠りに就けた……)
家族を失ってから、『彼女』や他の人達のおかげでようやくそれが叶った。
(でも、あの地震はその日々を壊してしまうような――そんな不安が頭をちらついて……昔のように夜に怯えそうになって……)
「私は……怖かったのかもしれません」
フェイトはそう告げる。
「走りながらで構いません。私の話を聞いてもらえますか?」
秀真へと向けられた眼は、力強い意志を感じさせる。
秀真はそれに無言で頷く。
「私は、ある少女の遺伝子から複製されて生まれました……」
フェイトは少しずつ過去を話しだした。
途中、何度も式神に邪魔されながらも最後まで話し終えることができた。
その間に、上下左右が入れ替わった部屋を抜け、巨大な双面赤鬼を討ち、今は天守閣を目指して奈落の上に幾層も連なる足場を飛び上がっている。
奇声を上げる式神を斬り捨てながらも、秀真は逃さず聞いてくれたようだ。
哀れな忍の屍を斬りながら自分勝手に話す。それは残酷なことだと思う。
それでもフェイトは聞いてほしかった。
それは戦う理由を誰かに話すことで、再確認しておきたかったから。
「母は、優しい人ではありませんでした。それでも私にとって家族だったんです。私は、もう二度と失いたくないから」
奇しくもここで出会った、彼に聞いてもらいたかったから。
「だから、戦いにきたんです」
「成程……合点がいった……」
ただ、それだけだった。
だが、それだけで十分だった。
それは彼の声がとても優しく、悲しげだったから。
黄金城の最上部。僅かな篝火は風に吹かれ、簡単な欄干の向こうには瓦礫となった東京が見渡せる。
中央が凸型に迫り出した舞台では、一人の青年が優雅に舞っていた。
僅かに紫がかった髪を風になびかせ、紅い目は妖しげな輝きを持っている。
白の狩衣の上に、前後に掛けた垂には彼の使用する呪符と同じ、黒地に赤い目の紋様が大きく描かれている。
「天の北斗七星を地に写した、裏北斗の星辰呪法も完成した……。これで黄金城に全ての魄が集まる。貴様を待っていたぞ、朧の当主。いや……悪食」
彼の目線の先で、龍を描いた金色の襖絵が真一文字に両断され、倒れる。
そこに立っていたのは、一人の忍と一人の少女。
「産土……ヒルコ!」
「来たか……朧の当主。そして魔導士とやら」
舞を踊っていた青年は踊りを止め、向き直る。
「あれが……産土ヒルコ?」
黄金城を生み出した凶悪な陰陽師。
フェイトはもっと老人を想像していた。目の前の青年はどうみても精々が二十代だ。
それに、フェイトのことを知っている。
「この城で起こっていることは儂には全て解っている。そこの小娘は儂(わし)の姿に驚いているようだな。説明してやったらどうだ?悪食使い」
「かつて奴は黄金城を使い、関東大震災を引き起こした」
「そんな……それってまさか……」
「ああ、今回も同じだ」
秀真の説明を聞いても、なおフェイトには信じ難かった。
人の身でそんなことができる訳がない。この城がロストロギアのような代物でもなければ。
「式神兵器『八面王(やつらおう)』に犠牲者の魂魄を封じ込め、この世を支配しようとした奴を、朧一族が封印。だが、再び甦り、黄金城と八面王を復活させた」
「そして貴様が破壊した八面王の中の魂魄を吸って若返ったという訳だ。くっくっ、礼を言うぞ。朧の当主」
ヒルコは口元を歪め、下卑た笑い声を上げる。
フェイトはそれ以上言葉が出なかった。その顔が心底楽しそうで、嬉しそうだったから。
「見よ!あの炎は貴様が通ってきた道だ」
ヒルコの指す方には瓦礫の上を延々と炎が伸びていた。そしてその炎の道はフェイトが最短距離として沿ってきた道でもあった。
「東京という腐った都市に朧の忍と式神を放つ。互いに争い、魄を喰らい、そして最後に貴様が生き残る……。全ては貴様の手を朧の血で穢す為に仕組んだこと」
「俺にわざと魄を集めさせたのか……」
「左様。貴様が狩り集めた魄は悪食の中で一つになり、儂への復讐心は理想的な純度の魄を生む」
フェイトには陰陽道のことなど解らない。それでも、この男の答えは予想できた。
魄――もしもそれが魔力のようなものだとしたら?
大規模な震災で殺した全ての者達の魄を体内に取り込む。それが可能ならば、それは強力な力を手にすることだ。
「それを喰らうことで儂自身が真の支配者となれる」
そして、必ずそれを繰り返すだろう。そうなれば、もうこの世界だけの問題ではなくなる。
「言い残すことはそれだけか?」
秀真の声は静かだったが、穏やかではなかった。今にも爆発しそうな怒りを込めた声。
「兄を殺めたこの命、欲しければ貴様にくれてやる!だが……一族の血に染まったこの刀で、共に滅びよ!ヒルコ!!」
秀真は悪食を抜く。
それはフェイトの知る最初で最後の、彼が感情を露わにした叫び。
「いいだろう。悪食は貴様の屍から頂く。それと小娘……」
フェイトは黙ってヒルコを睨む。
「貴様の武器と身体も調べさせて貰おうか」
「そんなことは……させない!!」
フェイトはバルディッシュをきつく握り締める。
秀真とフェイトは弾かれたように駆け出す。
金で飾られた豪奢な造りの舞台に轟音が響いた時、東の空は既に白み始めていた。
「我が力、万物を焦がす!」
開戦して最初の一撃は、ヒルコの生んだ火球が直前で爆発した為に遮られた。火球は速度こそ遅いものの、その大きさは式神のものとは比べ物にならない。
「プラズマスマッシャー!」
フェイトの左手から放たれる雷の砲撃。
真っ直ぐに伸びた光は確かにヒルコへと突き刺さるコースを取ったはずだった。
だが、直前でヒルコの姿は消え、プラズマスマッシャーは空しく彼方へと過ぎる。
「転移!?」
驚くフェイトは背後の殺気にすぐに気付くことができなかった。
「まず一人!」
「させん!」
フェイトが飛びながら振り向くと、そこには秀真がヒルコの背後から悪食を上段に構えている。
だが、その刃はヒルコに届くことはなく、甲高い音を立てて弾かれた。
余程強固な防御結界なのだろう。秀真はその衝撃に仰け反っている。
「小娘を囮にしての攻撃か!だがっ!」
振り向きざまに両手に持った扇子で薙ぎ払おうとするヒルコを、今度はフェイトが狙う。
「ハーケンスラッシュ!!」
『Haken slash.』
それは息をする間もないほど速い攻防。
咄嗟の斬撃だったが、今度は弾かれず、幽かに見える結界に傷を付けた。
「小娘がぁ!」
ヒルコは憎憎しげに叫びながら、凸形の舞台の先、その空中に転移する。
そうしてようやくフェイトは大きく息を吐き出した。
(結界が堅い。でも、魔力刃ならば或いは……!)
バルディッシュを握る手に力が入る。
射撃は通用しないだろう。仕組みは解らないが、予備動作無しで転移している。軌道を読まれれば回避は簡単だ。ならば――。
「斬るしかない……!」
秀真とフェイトは同時に呟いていた。
戦ってみて解った。
ヒルコは背後からの攻撃には結界に頼っている。接近戦の反応速度ならこちらが勝っているはず。
(でも、あの自在の転移をかいくぐって背後を取れるの?)
パチンと音が鳴った。その音がフェイトを呼び戻す。
それは秀真が刀を鞘に収める音。
彼はフェイトを見て、無言で頷く。
それは作戦の合図。念話の使えない秀真とは戦法を相談することなどできない。
彼が悪食を収めた、その理由を考える。
(違う。決めなくちゃならない。それしか……ない!)
フェイトはバルディッシュを握り直した。
最終更新:2007年08月14日 11:58