「朧の当主、そして魔導士の小娘。一筋縄ではいかぬわ」
ヒルコは空中に浮遊し、少女と忍はそれを見上げている。
この東京に黄金城より高い建物はない。
誰よりも高い所から、この男は全てを見下している。
友と家族を守る為、一族の仇敵を討つ為。
その為に、彼らは戦う。
たとえどれだけ高かろうとも、刃を以って地に降すのみ。


フェイト外伝――月下光影――
最終話『暁光』

「こちらも本気でいかせてもらおう!」
ヒルコは舞台に札をばら撒きだした。
それは陰陽の式符。
すぐに自らの意志でひらひらと動き、火球を吐き出した。炎を纏って突進してくるものもいる。
「これだけではない!我が力、大地を揺るがす!」
ヒルコの頭上に浮かび上がった呪符と同じ紋章から緑の球体が放射状に数発、発射された。
フェイトと秀真はそれを左右に跳びかわし、ヒルコに接近する為に前へと駆ける。
「まだまだ!我が力、天空を貫く!」
三連の雷が降り掛かる。
一撃目は遠く、二撃目は近く、そして頭上の三撃目を更に前へと跳んで回避。
――息が苦しい。
全身が緊張している。
前後左右からも式符達が火球を飛ばす。
一秒でも立ち止まれば、それを受けることになるだろう。
そして、一撃でも受ければ、もう次を回避することは難しい。
立ちはだかる式符を斬り、ひたすら前へ、ヒルコへと駆ける。斬られた式符は炎を発し消えていく。
(でも……まだやれる!)
高速の世界の中でフェイトは不思議な興奮を覚えた。
それはスリルに似た緊張感。
全身の感覚が研ぎ澄まされている。早鐘を打っているはずの心臓さえ、ひどくゆっくりと動いている。
避ける度に、その感覚は大きくなっていく。
目に映るもの全ての軌道が見えている気さえした。
「我が力、万事を止める!」
ヒルコへと近づいた二人へ、ヒルコの紋様から高速で氷塊が撃ちだされた。
左右からヒルコに迫っていた秀真とフェイトは、その声に同時に跳び、空中で重なる。
「ハーケン――」
氷塊が届く直前、フェイトは秀真の身体を蹴って跳躍。空中で姿勢を入れ替えヒルコの背後へ回る。バルディッシュはカートリッジをロードし、その威力を増す。
「はぁっ!」
印を結んだ秀真は正面から氷塊を受け止める。
『火焔』による爆炎と氷塊はほぼ互角だった。
「スラーッシュ!!」
『Haken slash.』
一撃目よりも強靭となった刃は確かに結界ごとヒルコを切り裂く――はずだった。
だが、その刃は結界に阻まれた。
「そんな!?」
どれだけ力を入れても、傷一つ付けることができない。
ヒルコはゆっくりと両手を二人へ向け、そしてその手が光った。

「冥府彷徨う魂魄よ!その嘆きを我が力に!」
呪文と共に、白く太い光の帯が扇子から放たれる。
閃光は熱を持って、秀真とフェイトを包む。
「ぁぁあっ!」
「ぐぅっ!」
光に押されて、フェイトも秀真も錐揉み状態で床に転がる。
「くぁぁっ!腕がぁ……!」
左手に激痛が走った。
冥府彷徨う魂魄――ヒルコの取り込んだ膨大な死者の魄。
永遠にヒルコの体内でもがき苦しむ無念が、怨念が、フェイトの身体を、心をも蝕んでいくような――。
焼けるように熱い左手を押さえてのたうち回る。光を受けた左手はすぐには動きそうにない。
(バルディッシュが……ない!?)
光を受けた際に飛ばされたのだろう。
痛みを堪えて周りを見回すと、倒れた秀真の近くに転がっていた。
比較的、大きく移動していないフェイトに対し、秀真は直撃を受けたのか欄干の近くまで飛ばされている。
(術を使ってたから……移動できなかったの!?)
気を失っているのだろうか。秀真はピクリとも動かない。
「ふふふはははは!貴様らの手の内などお見通しよ。奴が悪食を収めて突っ込んでくるのだからな。結界を背後に集中するなど造作もない!」
秀真は、それでも全く動きを見せない。
死んでいるとは考えられない。いや――考えたくない。
「止めをくれてやろう!我が力、万物を焦がす!」
ゆっくりと大火球が秀真へと落ちていく。
「くっ……」
ようやく目覚めた秀真が身体を起こした。
「逃げてぇ!早く!!」
だが、彼は逃げようとはしなかった。
或いは逃げられないと判断したのかもしれない。
「ぐぅぅぅ……!」
痛みに堪え、呻き声を上げながらバルディッシュへと腕を伸ばし、フェイトへと投げ渡した。

爆音が静まり、煙が晴れる。
「あぁ……」
そこにはバラバラになった欄干の燃えカスと、血の跡だけ。
フェイトには呆然と見ていることしかできなかった。そして今は――嗚咽を漏らすことしかできない。
「ふっ。主は潰れようと、悪食はこれしきでは折れまい。悪食を回収してこい」
ヒルコは秀真の落ちた方向へ、大量の式符をばら撒いた。
「万に一つ、生きてるようならその始末もだ」
振り向いた顔はやはり笑っていた。それは"勝利を確信した"笑み。
「奴が気掛かりか?まだ生きているかもしれん。そこから降りて助けに行ってもいいぞ。くくくっ」
バルディッシュを握ってなんとか立ち上がるが、バランスを崩して欄干へ寄りかかる。
下を覗くと、そこ何も見えない奈落。
(こんなところから……生きていられるはず……ない)
それを考えると力が抜けそうになる。
戦意が砕けてしまいそうになる。
――東の空からは、徐々に朝日が顔を出そうとしていた。
(あ、炎……)
朝日に気付いて顔を上げると、東京の街を包む炎が見えた。
真っ直ぐに城へと伸びる炎。
それは彼が、通ってきた道。
(そして私が追った道……)
それは彼の戦いの証。
(そして私の戦う理由……)
この炎はやがて全てを焼くだろう。日本、いやそれ以上かもしれない。
(炎の伸びる先は……)
そしてその中にはきっとあの街も入っている。
(海鳴市……!)
ようやく自分の目的を思い出した。
左手が動かないだけで、まだ戦うことはできるはずなのに。
フェイトは、全身に力を入れて振り返る。身体中の激痛も気にならない。
「どうした?奴を追うのは止めたか?」
フェイトは、小さな身体を広げて炎を隠すように立った。
「はい。私は私の成すべきことをします……!」
答えたその声と眼には、弱弱しさはもう微塵も感じられない。
「行くよ。バルディッシュ……!」
『Yes,sir』

光に全身が包まれ、フェイトは装甲を極限まで削ったソニックフォームへ変貌する。手首と足首には光の羽が生まれた。
右手に握られたバルディッシュは鎌の形態から大剣、ザンバーフォームへ。
フェイトは静かに閉じた目を開く。
「流石……!」
『Thank you, sir.』
空中へ舞い上がり、しっかりとバルディッシュを構えた。
「ほぅ……その武器、益々興味が湧いた」
これまで余裕で見ていたヒルコも警戒して構えを取る。
強く握ると左手に激痛が走る。それは感覚がまだある証拠だ。
一晩中戦ったせいか、そう長くは戦えそうにない。魔力もあまり続かないだろう。
「はぁぁぁぁ!」
バルディッシュを身体ごと振り下ろす。
前よりも明らかに大振りなはずの大剣は、数倍のスピードでヒルコへ迫った。
「何っ!?」
転移してかわすヒルコを追い詰めるように、何度も何度も大剣を振るう。
振る度に刀身を伸ばす刃は、これまでヒルコの術でさえ傷一つ付かなかった舞台を紙のように切り裂いていく。
「小癪なぁ!!」
ヒルコは転移を繰り返し、式符を撒く。
だが、式符の放つ数十の火球も今のフェイトには全て見える。

(いける……!)
再び、あの感覚が戻ってきた。
確実に追い詰めている実感と共に。
転移を繰り返すのは、受け止められないと予感しているからに他ならないはず。
「我が力、万物を焦がす!!」
特大の火球。秀真を落とした火球は威力こそ大きいものの、スピードは緩慢なもの。
そんな物を今のフェイトに放ったところで避けることは解りきっている。それなのに、何故?
その答えはすぐに解った。
「我が力!止めよ!揺るがせ!貫け!」
炎、氷、地、雷――全ての術の同時発動。
空にも多くの式符を並べ、一斉に火球を放つ。
正面、左から氷塊、雷、大火球、地の弾。上下からは式符が固まって突撃してきている。たちまちフェイトの目の前に弾幕が張られた。
ソニックフォームを封じるには効果的な手段。
唯一の抜け道は大火球と地の弾の間。
僅かに開いた隙間だが、身体を捩れば突破できるはず。
少しの間――といっても今のフェイトの感覚では一秒にも満たなかったが――考えたフェイトは戦いの雄叫びを上げ、
「はぁぁぁぁ!!」
抜け道を"選ばなかった"。

特大の火球に向けて突撃するフェイト。
火球は爆発しなければダメージは大きくはない。
しかし、爆発すればソニックフォームでは確実に致命傷になる。
(これは賭け……)
ギリギリまで身体を反らしながら大火球と雷の間を飛ぶ。
(一つは、爆発する前に通れるか……!)
左手で熱を少しでも防ぐ。一瞬、全身が業火に包まれる。
フェイトが火の粉を散らして駆け抜けた瞬間、火球が爆ぜた。
熱風が肺を焼きそうになる。自慢の金髪が焦げ臭い。
とはいえ、そんなことは気にしていられない。
フェイトのすぐ右を白い光が掠める。抜け道を選べば直撃は免れなかっただろう。
閃光を放ったヒルコは信じられないような目でフェイトを見ている。
(そして、もう一つは罠の存在……!)
そこに確かな隙を見つけた。
フェイトは身体を思い切り捻らせ、バルディッシュを振りかぶる。
カートリッジは全弾ロード。

「撃ち抜け!!雷神!!」
『Jet Zamber』

全力全開の一撃。
輝く光刃は、舞台を遥かに上回る長さでヒルコを薙ぎ払った。
勢い余った刀身は、黄金城の天守の屋根を切り崩す。
「やった……?」
効果を確認する間もなく、フェイトは崩れ、落ちていく。
全ての力を注ぎ込んだ一撃の後に、もう飛ぶ力すら残っていない。
(飛ばなくちゃ……でも、眠い……)
全身から力が抜けていく。魔力を抑制された空間での連続戦闘は、本人の思う以上に力を奪っていた。
それでも不思議と、満足気な表情をしている。
崩れていく舞台の音以外には何も聞こえない。
フェイトはゆっくりと意識を失おうとした――。

「小娘がぁぁぁ!!」
「かはっ……!」
背中の熱と痛みで意識が覚醒する。多分、背中を斬られた。
それでも力が入らないのは変わらない。
首を動かして背後を見る。
フェイトの下を墜ちているのは産土ヒルコ。垂は切り裂かれ、狩衣は破けており、初めの優雅さは見る影も無い。
「まだ力が入らんが……貴様が潰れるまでには飛べる!奴の後は貴様が……追……え?」
ヒルコの声が途切れ、驚きに目を見開く。
それは彼女が笑っていたから。
それは諦めではなく、"勝利を確信した微笑み"。
フェイトはヒルコを見てはいなかった。彼女が見るのはその更に下。
ぼやけた目でも見える。
――小さな炎が明滅していた。
その炎は何度も点いては消えながら、近づいてくる。
やがてぼんやりと浮かぶのは、朧月の下で出会った四つ目の獣――。

――獣は跳ぶ。崩れゆく城を足場にしながら。
青く光る目の全貌がやがて見えてくる。
――獣は駆ける。殺した獲物を蹴って。
それは目でなく鉢金の飾り。
――獣は喰らう。紅き牙に蒼の光を宿らせ。
それは牙ではなく、斬ったものを喰らう妖刀。
――忍は斬る。己が一族の仇をこの手で討つ為に。

秀真は跳び、フェイトは微笑い、ヒルコは振り向く。
空中では秀真の動きは制限される。だが、フェイトの崩した城が、ヒルコの放った式符が、彼の高速での跳躍を可能にしていた。
あの光を直撃してもなお、その動きは鈍っていなかった。
それはまさしく風――これまでよりも遥かに速く、残像は既に数え切れない。
ヒルコが振り向く間に、秀真は高速で昇ってくる。フェイトにはヒルコの動きだけが緩慢に見えた。
ヒルコが完全に振り向き、その姿を認識した時――
既に魔刃はその胸に深く突き立てられていた。

ヒルコは身体を震わせ、胸に突き立った刀を引き抜こうとする。力が入らないのか何度も同じ動きを繰り返そうとして止める。
刀は真紅に染まっていた。それは血ではなく、ヒルコの身体に大量に蓄えられた魄。
悪食は急激な勢いで魄を吸い上げ、ヒルコも急激に老いていく。
それは久々の御馳走を貪る獣と、その獲物。自ら鍛えた刀に喰われた愚かな老人。
やがてヒルコは諦めたのか、腕を弛緩させる。
「所詮、儂も貴様も……時代に取り残された存在よ……」
そう言い残し、ヒルコは悪食へと消えていった。
フェイトは、誰かに抱きかかえられる感触を感じた。マフラーに鼻をくすぐられて眠気がぶり返してくる。
(駄目、また……眠く……)
顔に暖かい陽光を感じながら、フェイトは意識を失った。

「……て!起きて!フェイトちゃん!」
誰かに呼ばれる声にフェイトは目覚めた。目を開くと光が差し込んでくる。
眩しくて瞼を持ち上げられない。
「……なのは?」
「うん!そうだよ、フェイトちゃん」
「うちもおるよ!」
「はやて……?」
名前を呼ぶと左右から声が返ってきた。とても懐かしい気がする声。ほっとして涙が出そうになる。
「大丈夫?フェイトちゃん、起きれる?」
「うん……大丈夫……ちょっと熱っぽいだけ」
身体を起こして目を開けてみると左右には、なのはとはやてが心配そうに覗き込んでいる。
周りはすっかり朝。自分は公園らしき場所でベンチに寝かされていた。
少し離れた所には崩れた黄金城が見える。
服は夜出た時の私服に戻っていた。バルディッシュもちゃんと手元にある。
「あれ?あれ?」
しかし周囲を見渡しても、彼の姿だけは見当たらない。
「ねえ、なのは。私の近くに誰かいなかった?」
彼女は首を振った。
「ううん。私達は見てないよ。私達が来た時には、フェイトちゃんがこのベンチに寝てて」
「そう……」
彼は自分に黙って去ってしまったのだろうか?たった一晩とはいえ、気持ちが通じた気がしたのは自分だけなのかと思うと寂しく感じる。
「あ……」
俯くと、濡らした紅いボロボロのマフラーが膝に落ちていた。額に触れるとひんやりと冷たい。
左手にもそれを裂いた布が巻かれている。その下は少し火傷になっていた。
「あの……フェイトちゃん。ごめんなさい!」
「どうして謝るの?」
「うちらが手間取って明け方に辿り着いたもんやから……フェイトちゃんだけに戦わせてしもうて」
フェイトは嬉しくなった。自分が皆を守れたんだ、と。
涙が堪え切れなかった。
「ううん、いいの。一緒に戦った人がいるから」
彼は確かに傍にいてくれた。このマフラーがその証拠。
「え?誰なの?それ」
「内緒」
いたずらっぽく笑ってフェイトは舌を出した。
「さ、帰ろう。多分すっごく叱られるだろうけど」
でも、その後できっと抱き締めてくれる。
フェイトはいつの間にか外れていたリボンの代わりに、左手の布で髪を括ってみた。
「そうだね。帰ろうか」
ふと、気配を感じた。だが、辺りを見回しても誰もいない。
「フェイトちゃん、どないしたん?」
影はいつも傍らにあるのだ。たとえ、それが夜の闇の中でも。
「ううん。何でもない」
輝く太陽は、笑いあう少女達を照らし続けていた。

目覚めたばかりの太陽は、まだ街の隅までは照らしてはいない。
暗闇に佇む青年が一人。
歳は二十と少しくらいだろうか?短い黒髪と童顔のせいか若く見える。口元を覆う物はもう、無い。
背中の悪食はいつの間にか眠っていた。魄を吸って目覚め、魂を吸って眠る妖刀。
ヒルコには魄のみでなく、大量の魂も詰まっていたのかもしれない。優先して魄を吸った後に魂を吸ったのか――。
理由は解らない。
光へと歩いていく少女を、祝福するように青年は微笑んで見送っている。
彼女には共に過ごす仲間もいる。迎えてくれる家族もいる。
彼女は確かに"光"を掴んでいるのだ。
柱にしがみ付いて式符をやり過ごし、力尽きるのを待つばかりだった青年。
彼に駆け上る力を与えてくれたのは、彼女が放った光だったのだから。
もう二度と逢うこともないだろう、一度も名前すら呼び交わさなかった少女。
光が輝いているからこそ、自分は"影"でいられる。朧として光を守る意味を見出せる。
自分には他の生き方はできない。忍としての生き方しか――。
彼女の姿が見えなくなると、青年は光の届かぬ内に闇へと消えていった。

陰と陽。光と影。
相反しながらも、隣に在るもの。されど、決して混ざり合わぬもの。
それがこの世の理である。
だが、全ての理が歪む結界の中で、両者は確かに交差した。
光は影に自分を重ね、影は光に憧れた。
やがて暁は再び光と影を分かち、少女と忍の戦いに終わりを告げる――。

(完)

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2007年08月14日 12:00