【4】
ころころと転がってきた小さなボールにフェイトは足を止めた。屈んで拾い上げると、その持ち主を探して辺りを見回す。10歳くらいだろうか。金色の髪を揺らしながら、少女が小走りに駆け寄って来た。
フェイトの手にあるボールに気付き、いくらか逡巡したあと、少女が控えめに声をかけた。
「あの」
少女の目線に合わせるようにしゃがんで、フェイトは親しげな笑みを見せる。
「これ、あなたの?」
「は、はい」
「この辺りは人通りが少ないみたいだけど、気をつけてね」
差し出したボールを受け取り、少女がぺこりと頭をさげた。穏やかな笑みを見せるフェイトに、少女も花の咲くような朗らかな笑みを見せ、来た時と同じように小走りで戻っていく。
少女の駆け行く先には、同じ年頃の少年や少女がいた。10人は超えているから、何らかの集団施設の仲間だろうか。
その中に、ボールを手にした少女が戻っていく。子供達の輪の中に一人、白髪を結い上げた老婆がいた。丁寧な会釈をされ、フェイトも立ち上がって会釈を返した。
暖かな笑みを浮かべ、老婆は楽しそうに子供達を見守っていた。老婆の周りを子供達の賑やかな笑い声が包んでいた。
少しの間それを眺めてから、フェイトは再び歩き出した。
これから向かう場所に笑顔は相応しくない。しかし、フェイトは自ずと浮かぶ笑みを堪える事はできなかった。
いくらか軽くなった歩調のまま、街中を縫うように作られた歩道を歩いていく。
見回しても、ミッドチルダのような高層の建造物はほとんどなかった。文化レベルとしてはミッドチルダよりも低いが、そこに住む人々の活気に大きな違いはなかった。街中には市場が開かれ、賑やかな声が響いている。
店先にはフェイトの見たことのない果物や香辛料がこれでもかと並べられ、売買のやり取りがあちこちで行われていた。
そんな殷賑の中であっても、長い髪を楽しげに揺らしながら歩く金髪の麗人は、否が応でも人目を引いた。
「よ、そこの美人さん! ピュールはどうだい? 安くしとくよ!」
「なら俺はそっちの半値でいいや! 寄ってってくんなよ!」
「は! てめえらのは昨日の売れ残りだろうが! こっちのルアザは今朝仕入れたばっかだ! どうだいお嬢ちゃん!」
引っ切り無しに掛けられる声のひとつひとつに、フェイトは丁寧に断りの言葉を返す。
当然、その割合を占めるのは圧倒的に男が多かったが、フェイトがそれに気付くはずもなく、この市場ではこれが普通なのだと思っていた。
フェイトが歩く先々で一際大きな喧騒が起きるが、そのことに気付いていないのもフェイトだけだった。自分のことに限ってはとことん疎い金色だった。
ほとんど一方的な異文化交流を終え、市場を抜けたフェイトは町外れへと続く道を歩いていた。市場の喧騒が遠く聞こえる。
賑やかさが消えたことにいくらかの寂しさを感じつつ、フェイトは尚も歩みを進める。
フェイトを包む静寂を破るように電子音が鳴った。
一度周囲を確認してから手早く回線を開くと、画面の中に男の顔が映し出された。
「はい」
「やあフェイトさん。ご機嫌麗しゅう」
本気とも冗談とも取れない表情で口を開いたのは、見知ったフェイトの同僚だった。そして、悪魔を知る数少ない人間のうちのひとりだ。
執務官という狭き門を通ったのだから実力は保障されている。加えて、流れるような銀髪を持ち、容貌もモデルのように整っている。
おまけに父親は有名企業のトップ。性格も良いと評判。つまるところ、女性局員の憧れの人という立場に位置するタイプの人間だった。
フェイトの彼に対する情報も、ほとんどが顔見知りの女性達から聞き及んだものだ。
「レイナーズ執務官、なにか御用ですか?」
「あっと、その前に。この通信はごくプライベートなものですから。呼ぶときは是非名前でお願いします」
男は親しげな笑みを浮かべて言った。
「どうもレイナーズという響きは好きになれなくて」
「はあ」
これと言って断る理由を持たないフェイトは、言葉通りに言い直す。
「では、アルティスさん。御用はなんですか?」
満足気に微笑んで見せたアルティスは、道端で会った友人と世間話でもするような気軽さで切り出した。
「第48管理世界で黒猫が出たみたいです。今度はどうも、他とは趣の違う話のようですが」
「また、ですか」
黒猫。
アルティスが含ませた意味は、名前ほど可愛らしいものではない。それは<悪魔>を彼なりに言い換えた表現だった。
通信で悪魔などと口にして、不意に誰かに聞かれてしまうと面倒なことになる。それを避けるために、いつしか、悪魔という名を各々が好き勝手に例えるようになっていた。
「今月に入ってこれで6件目。前年に比べて明らかに増えています。何らかの要因があるのか、それともただの偶然か。どちらにしろ好ましいことじゃありませんね」
「それで、被害は?」
「ありません。負傷者もいません」
「ひとりもですか?」
「ええ、全くの0です」
フェイトが微かな不信を浮かべる。死者がいないことは喜ばしいが、前例を鑑みるに、そんな幸運があったことは片手で足りる。その時でさえ、何人かの重傷者は出ていた。
その疑念を察したのか、アルティスが詳しい説明のために口を開いた。
「だからこそ、趣が違うと言ったんです」
ぱさりと、紙の擦れる音。視線を落とした先に資料があるのだろう。既に纏められ、人の手によって整理された情報をアルティスが読み上げた。
「それは唐突に現れたそうです。ご存知かもしれませんが、第48管理世界は多くの古代遺跡が残っています。その遺跡の探索中、新たな部屋が発見されました。まあ、それ自体は珍しいわけではありません。ただ、そこにあったものが、少々厄介でして」
「厄介?」
「詳しいことは解析中です。ですが、分かっている限りでは、それは<魔具>の一種であり、その効用は道の形成。膨大な魔力が込められていた形跡があり、それは既に放出された後だ、と」
「……ということは、高位の悪魔が?」
「ええ」
悪魔はどこからか喚起されている。それが、短くない時間を経て判明したことだった。
フェイトはダンテから粗方の情報を得ていたが、それがそのまま認められるわけもない。その頃はダンテの存在を管理局に知られるわけにもいかなかったという事もある。
結果、最近になってようやくその事実は容認され、悪魔が<道>を通って人界に出現するという事実に辿り着いた。
<道>が繋がる場所は多岐に渡る。
人が大量に死んだ場所。尋常でないほどの恨みや憎しみ、欲望や絶望が集う場所。悪魔の残滓が残る場所。
夜の深い闇の中でさえ、そこには道が繋がっている。
その道は狭いものだ。いつ切れるともしれない、ひどく細い糸のような道。なにもせずとも、それはやがて自然に断ち切れる。だが、時としてその道は消えず、それを目敏く見つけた悪魔が押し広げる。
そうして道を通ることが出来るのは、弱い力しか持たない下位の悪魔だけだ。
それは張り巡らされた網の隙間を通るに等しい行為。強大な力を持つ悪魔は、世界の狭間でその網に止められる。でなければ、当の昔に人の世は悪魔の手によって滅ぼされていただろう。
しかし、高位の悪魔が現れる可能性は残っている。
正しい手順を踏んで儀式を行い、等価の物を代償として召喚する。
それ自体が魔界との繋がりを持つ<魔具>を媒介とし、多大な魔力を用いて無理やり道を繋げる。
話を聞くに、今回は後者。
おまけに、道をつくることだけに特化した魔具に加えて膨大な魔力だ。高位悪魔が召喚されるための条件の全てが満たされていた。
「まるで人間のような姿だったそうです。もっとも、体格が似ていたというだけで、見た目は禍々しい悪魔そのものだったようですが」
「その悪魔は、今どこに?」
フェイトは、背中に嫌な汗が流れるのを感じた。動悸が乱れ、顔の血が一気に下がる。
かつて、一度だけ高位の悪魔が現れたことがあった。現れたのが人のいない辺境世界だったからこそ大事には至らなかったが、刃を交えたフェイトは、その恐ろしさを身をもって理解していた。
下位の悪魔が赤子に思えるほどの圧倒的な力は、フェイトに自分の死を確信させた。確かに悟ったのだ。自分はここで死ぬのだと。
今でさえ、思い返せば身が震える恐怖。崩れ落ちるほどの重く暗い闇の圧力。
ダンテがいなければ、間違いなく自分の生はそこで終わっていたとフェイトは断言することが出来た。
そんな存在が、また、訪れた。
それが冗談ならどれほど良かっただろうか。
「出現して、そしてすぐに消え去ったそうです。一言を残して」
「一言?」
フェイトの問いに、アルティスが肯いた。
「ここにはいない、と」
ここにはいない。意味そのままならば、誰かを探しているのだろうか。高位の悪魔が、人界に存在する誰かを。
それが誰かは知らないが、間違いなく世界で一番不幸な人間だろうと、フェイトは心から同情した。
「そちらにも現れるかもしれません。現時点で悪魔とやり合うのはあなただけですから。くれぐれも注意して下さい」
「……うん、わかった。ありがとう」
「いえいえ」
にこやかな笑みが、重い話はここまでだと告げていた。
「ところで、週末のご予定は―――」
「あ、もう着いちゃったから切るね。終わったらまた連絡するから」
ぷちり。
アルティスの笑顔が、物悲しく消えた。
こんなことを悪意なくやるものだから、余計に始末の悪いフェイトだった。伊達に天然男泣かせと呼ばれていない。
切れた通信の先で肩を落とすアルティスがいるとは露とも知らず、フェイトは目の前に佇む2階立ての家屋を見上げた。
管理局駐在支部。
管理局員が殺され、悪魔が現れたと言われる場所だった。
/
室内に足を踏み入れたフェイトは、充満する淀んだ空気に柳眉を顰めた。
深き闇に巣食う存在を知る者だけが、無意識の内に感じ取る事の出来るどうしようもない違和感。ねっとりと体に絡みつく、重く暗い、腐敗の空気。
場を包む濃厚な闇の気配に警戒し、フェイトはバリアジャケットを身に纏った。
高速機動での戦闘を主体にしているフェイトにとって、狭い室内での戦闘は遠慮したい所だった。
必ずと言っていいほどに悪魔は複数で現れる。1匹見つけたらなんとやら、だ。あまりに多くが湧き出でれば、この限られた空間での戦闘が苦しい状況になることは予想に容易かった。
しかし、ここまで瘴気が高まっている以上、そう経たぬ内に<向こう側>と道が繋がる。戦い難いという理由だけで悪魔を外に出す訳にはいかなかった。
そもそも、この程度の不利はフェイトにとっては無きに等しい。
撃つか斬るか。ただその違いがあるだけだ。
外へと通じる出口を塞ぐようにして、フェイトは扉に身を預けた。
トン、と軽い衝撃。その動きを追うように、汚れひとつない純白の外衣が揺れ、長く伸びた金糸がさらりと流れる。
バルディッシュを手にしたまま、フェイトは室内を見回した。
室内を染め上げていたであろう多量の血液はもう残っていなかった。その痕跡すら魔法で消し去られていた。言われなければ、この場所で、正気を疑う猟奇的事件が起こったなどど誰が気付くだろうか。8名の人間がここで生涯を潰えたなどと、誰が思うだろうか。
痛いほどの静寂が包む中、フェイトは何も言わずに瞼を閉じた。
手を合わせることはしない。言葉を紡ぐことも。
フェイトはただ、静かな祈りを捧げた。
そうやって、今までに幾度となく繰り返した行いに果たして意味はあるのだろうか。
自分の行動に疑念がないわけではない。自己満足と言われてしまえば、フェイトに返す言葉はなかった。
人は死ねばそれまでだ。時の流れの果てに風化し、残された者の記憶の中に生きるしかない。その記憶さえ、いつしか薄れてしまう。
だからこそ、フェイトは決して忘れまいとした。犠牲となった人々を、悲しみを背負うことになった人々のことを。
刻んだ記憶は戒めとなる。断ち切れることのない、自分と<悪魔>とを縛り付ける鎖に。
後悔という言葉で片付けるには、あまりに多くを失った。
自分の目の前で儚く消える命の灯火をいくつも見てきた。
たったひとりを救えずに何度泣き明かしたことだろう。気付かされた己の無力。理不尽に奪う存在。悲しみの連鎖。
―――世界は、いつだってこんなはずじゃないことばっかりだ。
それは、今では義兄となった人の言葉。
悪魔と出会って、戦って、失って。そうして、フェイトは初めてその言葉の重みを理解した。
分かっていた。その言葉の意味を、あの時だって分かっていた。けれどそれは、所詮分かっていた「つもり」だったに過ぎなかった。
確かに、自分の境遇は恵まれたものではなかったかもしれない。他人から見れば不幸な幼少時代を過ごしたのかもしれない。
けれど、フェイトはそれを埋め尽くすほどの暖かさを知った。多くの人に支えられ、自分がひとりではないことを教えられた。
人はいつだって自分の幸せに気付いていない。どれほど報われているかを、知ろうとしない。
それは堕落だ。
慢心に溺れた弱い心。己の幸運に頼りきった、ただの馬鹿。
そして、昔の自分自身。
幸せに溺れていた。ありもしない未来に縋っていた。その驕りが、ひとりの命を奪った。自分の過信が、ひとりの幸せを永遠に失くした。
だから、これは償いなのだ。決して許されることのない罪を背負ったまま、悪魔と生きること。この身の続く限り戦い続ける事。それが、自分に科した終わることのない償い。
あの日から泣く事をやめた。自分を責める事も。
ただ、忘れない。
悪魔の影に散った人々を。涙を零す人々を。自分の甘さ故に、失くしてしまったものを。
決して、忘れない。
―――瞼を開く。
足を踏み入れたその時よりも、さらに濃厚となった暗い気配。いつの間にか、部屋を深い闇が覆っていた。
遠くに聞こえていた子供達の声も、市場の喧騒も、もう聞こえなかった。重い沈黙の中に、フェイトはひとり立っていた。
反動を付けて扉から身を起こす。
人の住む世界を、不吉な闇が塗り替えていく。その部屋はもう、見知らぬ別世界へと姿を変えていた。
抑えようのない感情が湧き上がる。それは、人間の本能の奥深く刻み込まれた原初の恐怖だった。
幾度となく悪魔と相対し、悉くを打ち倒してきたフェイトですら、その恐怖に慣れる事はない。ただ、それに耐える方法を身に付けただけだ。それが人間という矮小な存在の限界だった。
バルディッシュを握り締め、フェイトは身体の末端神経の先まで魔力を巡らせる。
闇の恐怖を飲み込み、身に絡みつく淀んだ空気を振り払うように。フェイトは深く息を吸い、吐き出す。
その時だった。
ずるり、と。
床に生まれた一際深い闇の影から、一体の木人形が這い出した。フェイトを優に超える体躯は、玩具とするにはあまりに大きい。
顔に当たる部分には表情の無い不気味な仮面が取り付けてある。そして、人形には持ち得るはずのないおぞましい生気。
それは闇の具現だった。
下級に位置する力無き悪魔は、確固たる実体を持っていない。
それらが地上に出現するためには、何らかの器物や動物を依代としなければならないのだ。フェイトの眼前に現れた木人形は、紛う事なき悪魔の器だった。
まるで操り人形のように佇む姿に力は感じられない。一見すれば、与し易いただの木偶に思われた。しかし、フェイトに一切の油断は無かった。
不意に人形の身体が動いた。何かに吊り上げられているかのように、ひどく不自然で緩慢な歩み。ぎしぎしと軋む関節を動かして、人形はフェイトへと歩み寄る。
ありはしないというのに、仮面の眼孔がフェイトを貫いた。
真っ向から立ち向かうように、フェイトは人形の前に悠然と立っていた。
やがて、一足の間合いを挟んで2者は相対した。
一瞬の静寂。
先に動いたのは木人形だった。
先程までの緩慢さとは比べ物にならない、獲物を前にした獣のように俊敏な動き。人間には有り得ない奇怪な形に関節を曲げ、錆びた短剣を握った枯れ木の腕が振り上げられる。
一呼吸にも満たない間に振り下ろされた凶刃はフェイトの身体に深く刺し込まれ、赤い鮮血が噴き上がる―――はずだった。
「女の子には優しく、って教わらなかった?」
操られた人形の腕が落ちるよりも早く、金色の魔力弾が人形の頭を吹き飛ばした。
フェイトの揶揄と共に、木片を派手に飛散させて人形が崩れ落ちる。床にこぼれた短剣が甲高い金属音を響かせた。
倒れ伏した人形は灰となり、やがてその灰も跡形無く消える。まるで、そこには最初から何も無かったかのように。
命の絶えた悪魔がその残滓を人の世に残す事はない。映像媒介に映る事もまた、同様に。結果、管理局は悪魔の存在を認めるに足る証拠を得られずにいた。
3年の時を経て尚、未だに管理局が有効な対策を行えていない理由のひとつだった。
その明確な理由は分かっていない。ダンテに言わせれば「シャイなんだろ」とのことだが、フェイトが納得するような理由でないことは言うに及ばない。
しかしフェイトが推測するとすれば、悪魔はきっと<幻想>でなければならないからだ。
人間は、自分で理解出来ないことを認めない。この世の全てに明確な<存在>を求める。形あるものに、目に見えぬ物に、想像の産物にさえ。名を与え、存在を確立する。
自らの住む星に。星の漂う広大な領域に。時の流れに。時の創り上げた空間に。
貪欲にこの世の全てを理解しようとする。理解出来ないモノを失くそうとする。
だからこそ、<悪魔>は本当の意味で人に理解されてはならないのだ。その存在は、常に人の空想であり、幻想であり、悪夢で在り続けなければならない。人は理解出来ないモノにこそ恐怖を抱くのだから。
「宇宙」と名付けた広大な無の世界に、人はいつしか足を踏み入れた。
「次元」と名付けた無限の時の世界を、人はいつしか渡る術を手に入れた。
人間は無限の可能性を持っている。全てを乗り越え、手中に収め、己の糧と為す貪欲な可能性を。
不明の事象に存在を与え、全てを解明する力を持った存在。
故に、悪魔は人間に理解されてはならないのだ。
悪魔はすでに<名前>が与えられている。ならば、いつしか人は悪魔という存在を理解してしまうかもしれない。悪魔すら飲み込み、糧としてしまうかもしれない。
人間の可能性の力に恐怖した古の悪魔は、全てを理解される前に人間を滅ぼそうとした。可能性が可能性であるうちに握り潰そうとした。
そして―――人の可能性に魅せられた一人の悪魔の前に、打ち倒された。
人が悪魔を恐れるように、悪魔もまた、どこかで人を恐れている。
二者にあって、しかし違うのは、その恐怖を<理解>できるかどうか。
その力はきっと、人間だけに許されたものだった。強大な存在に、闇の存在に恐怖し、泣き叫び、しかしそれを理解しようとする。
それは決して相成れないはずの真逆のもの。だが、その真逆を含有しているからこそ、人はどうしようなく強いのだ。
人は己の弱さを理解した上で、ならそれをどうすればいいのかと方法を探す。
質量兵器を創り、魔法を見つけ出した。
それは<悪魔>と戦う術となる。
血と記憶の奥底に刻まれた恐怖は、気付かぬ内に悪魔を<理解>しようとしていた。立ち向かう手段を探していた。
そして今、フェイトの手にはそれがあった。魔法と名付けられた奇跡の具現。人間の見出した光の力。
ようやく<悪魔>を理解する時が来たのだ。
その事実に抗うように、幾体もの木人形が姿を現す。広いとは言えない室内を埋めつくすように、一体、また一体と。
動揺も無く、フェイトはその光景を眺めていた。
まだ、人は弱い。悪魔に容易く殺されてしまう存在だ。しかし、それもやがて過去となるだろう。時の流れが止まる事はない。多くの犠牲の先で、人はきっと力を手に入れる。悪魔を理解し、それと戦うための力を。
それはきっと、質量兵器でも魔法でもない。もっと別の、形の無い力。その力を手にした時、人は深き闇を祓うことが出来るはずだ。
だから、それまでは。
「私が相手をしてあげる」
滾る光を紅瞳に宿し、フェイトは毅然とバルディッシュを構えた。ばちりと紫電が奔り、金色の閃光が刃を生む。それは魔力で形作られた大鎌だった。澄んだ光の刃が、深く暗い闇の中に暖かな光を差し込んだ。
光と闇。
それはコインの裏表のように、決して切り離す事は出来ない。
交じり合うことはありえない。潰し合うことでしか存在しない。
だから、争う理由はそれで十分だった。そこに感情は挟まない。
憎しみは光を暗く染める。
掲げる正義は闇の前では妄信に過ぎない。
それはそうある。
だから戦う。それだけだった。
フェイトは紅の瞳で人形を射抜く。
人形は瞳のない眼孔をフェイトへ向ける。
多くの人が犠牲となった。何度も当たり前に繰り返される日々の中で、いつかこの身も影に散るだろう。やがて死んでいく人間なんてどこにもいない。そこにはただ、今を生きる人間がいるだけだ。
その先の未来に、いつか、きっと―――。
けれどその目に希望はなく、しかしそこに絶望はない。
ただ今を生きるために、フェイトは床を蹴った。
to【5】
最終更新:2008年03月09日 11:36