とあるビルの一室に、男が一人。
男は、机の上に腰掛けていた。
傍らには、飲みかけの紅茶の入った、ティーカップを置いて。
備え付けの電話の受話器を握り、誰かと話をしている。
「……うん、うん、……へぇ、歓迎パーティを? ……うん、良いんじゃないかな?」
少し背中を丸くして、受話器の向こうにいる人物との会話を楽しんでいた。
「私も参加したいくらいだよ。だけど、今回は色々予定が入ってしまってね。……ああ、残念だ」
穏やかな笑みで、穏やかな、それでいて些か口惜しそうな口調。
受話器を握りながら、男は振り向く。
空は、ほんのりと茜色に染まり、徐々に色を濃くしていた。
「では、――うん、宜しく頼むよ、はやて」
そして、
「クロさんと双子のおちびさん達に、私が宜しく言っていたと伝えておいてくれ。それじゃあ」
受話器を、静かに置いた。
「ふう、さて」
机の上で、改めて胡座をかいた。
そして、すでに冷めてしまった紅茶を飲み干そうと、ティーカップに手を伸ばす。
♪ちゃーららららんらん、ちゃーららーん……♪
胸ポケットの、携帯電話が鳴った。
「ん? 何だろう?」
取り出し、開いてみる。
液晶画面には、メールが来たことを示す、アイコンが表示されていた。
「……ふむ、なのはから?」
取り敢えず、開いてみる。
「ははッ、こいつは……」
男の顔が、思わずほころんだ。
なのはからのメールには、画像データが添えられていた。それは、携帯で撮った写真、それも、集合写真。
見知っている、なのはやヴィヴィオ、はやてとその家族に囲まれて。
少し前に、自分が彼女達に臨時の保護を依頼した、別世界の黒い旅人・クロと、その連れの双子の姉妹・ニジュクとサンジュに、
自分を押しつぶしてくれたコウモリ・センが、笑っていた。
双子は真夏の太陽のような明るさで、コウモリは不敵に、そして、旅人は些か困惑したように、それぞれ笑っていた。
「本当、彼ららしいね」
出会ってすぐ別れたというのに、何故かそんなことを、ヤン・ウェンリーは思った。
クラナガンで一際高くそびえる、時空管理局・ミッドチルダ地上本部ビルの一室で、ヤンは執務机の上で胡座をかいて、紅茶を嗜んでいた。
またカップを置いて、メールの内容を読む。
クロ達が、次にヤンに会った際には、改めて世話になった礼をしたい旨が、簡潔に綴られていた。
「職権乱用な事例だし、あまり褒められたことでは、無いのだけどね……」
そう呟いてはいるものの、その顔は優しい微笑みに満ちている。
「それにしても、ほぼ全員が写っていると言うことは」きっとクラールヴィントを使って撮ったのだろう。「器用なことだ」
瞑目し、微笑みつつ、携帯を閉じる。
携帯を胸ポケットに仕舞い込み、カップを取ろうと、また手を伸ばす。
ジーッ!
卓上端末のブザーが鳴った。
「全く、何故こうも、紅茶を飲もうとすると……」
軽く毒づいて溜息をつき、ランプの点滅するボタンを押す。
「ヤン提督、バクスター三尉です。頼まれていた資料をお持ちしました」
端末の画面に、紫色の髪を持つ、童顔の青年が、はきはきとヤンに告げた。
「ああ、リオか。良いよ、入ってきなさい」
「はい」
返事をした少年の顔は、しかし、何か今にも吹き出しそうだなと、ヤンは思った。
まあ、気のせいだろう。
そう思ってカップを手にし、また口にしたところで、
「失礼します」
部屋に、小柄な青年――リオ・バクスター三等海尉が、端末越しに報告した通り、
小脇に資料の束を抱えつつ、犬に似た薄紫の体毛と紫の縞模様を持つ獣を伴って入ってきた。
そして、机で胡座をかくヤンにまっすぐ向かい、
「頼まれていた資料です」
紅茶を飲み干し、カップを置いたヤンに、リオは資料を差し出した。
……何か、含むところのある顔だな、相変わらず。
やはり吹き出すのを堪えるような表情のリオを、訝しく思う。
「ああ、……しかし、済まなかったね、もうすぐ退勤するところ」
「うふふ、相変わらずですわね、ヤン提督」
急に声をかけられて、伸ばした腕を引っ込め、思わず声のする方をヤンは見た。
一見すると、うら若く見える女性が、くすくすと笑いながら、ドアからひょっこりと顔を覗かせていた。
ヤンの言葉を遮ったのは、ヤンとの付き合いも深い、リンディ・ハラオウンであった。
「……成る程、こういうことだったのかい、リオ」
「ふふ、……申し訳ありません、ヤン提督」
口に手を当てて、含み笑いのリオ。
彼の傍らの獣――彼の世界で護身獣と言う召還獣のビーティも、心なしか笑っているように見えるのは、きっと、気のせいではないだろう。
「リオ君を責めないでいただけますか? 私のことを」
「解ってますよ、あなたの指示だってね、リンディ提督」
微笑みながら近づいてくるリンディを見つめつつ、ヤンはバツが悪そうに頭を掻く。
「ありがとうございます、ヤン提督。……それにしても、……うふふ」
ヤンの様子をじろじろ見つめながらリンディは言った。
「机の上で胡座をかく姿がお似合いなのは、何故なんでしょうね。本当、不思議だわ、うふふふ♪」
口に手を当ててくすくす笑い続けるリンディに、ヤンはやはりバツが悪そうに頭を掻く。
「リオ、また済まないが、リンディ提督にいつものお茶をお出ししてくれ。角砂糖も忘れずにね」
「それと、ヤン提督には、新しい紅茶を、ですね」
「えっ、ああ、うん」
「ふふ、リオ君すっかり提督の扱いに慣れちゃったみたいね」
リンディの言葉に、リオは「ヤン提督の副官として当然のことですから」と微笑んで答え、
ヤンは「やれやれ」と呟いて机を降り、リンディをソファに誘った。
ふう、と息をついて、「ああ、おいしい」と、リンディは満足げに呟いた。
(……いつも思うんだが)
(あんなに角砂糖を入れて、胸焼けとかなさらないのかな……)
大量に角砂糖を入れた抹茶を、心底美味しそうに口にする彼女に半ば呆れた様子の、ヤンとその傍に立つリオを気にすることなく。
更に一口、抹茶を飲む。
それを見て、ヤンは思わず、自分が胸焼けに襲われたような錯覚を覚え、それを打ち消すかのように紅茶を口にした。
ちなみにビーティは、我関せずとばかりに、部屋の片隅で寝そべっている。
「ところで」
カップを置きつつ、ヤンは、
「何故今、ミッド地上本部にいる私の所へ?わざわざ出向かれなくとも、しばらくすれば、本局の方で会えたでしょうに」
「確かに、そうなんですけど」
リンディは湯飲みをテーブルに置きつつ、言った。
「やはり、事が事ですので、少しだけでも直接、打ち合わせをしたいなと思いまして」
膝に手を置き、ニコリと笑って。
「それに」「何か?」
「提督が、今日なのはさん達に臨時の保護を依頼された、別世界からの旅人さん達のこと、お聞きしたいと思いまして」
成る程、とヤンは思った。
別に秘密にするつもりはなかった。だから、部下達にそのことで大っぴらに走り回ってもらったし、
自らも直談判を行った。それは、ある種の問題提起にもするつもりで。
「提督が敢えてそのような判断をなされると言うことは、今の管理局に保護を無条件に任せられない理由が、お有りなのでは?」
笑みを浮かべつつ、リンディは問いつめる。
ヤン、嘆息、頭を掻く。笑みを浮かべて。
「……まあ、そう思われるように行動していましたがね」
リンディを見据える。
「相変わらず」抹茶を啜る。
「変なところで反骨精神が旺盛なこと……」
リンディ、嘆息する。しかし、それは友人として、心からヤンを心配しての嘆息である。リオは、そのように見て取った。
「申し訳ありません」口ではそう言いつつも、「ですが、これも私、ですので」
そうも言って、ヤンは苦笑しつつ紅茶を啜った。
リンディも、苦笑。
「まあ、解ってはいるのですけど」
気を取り直して。
「で、その理由、お聞かせ願いませんか?」
ヤン、あっさり「解りました」と快諾。
リンディは、少し拍子抜けした顔となった。
そんな彼女を見て、クスリと笑った、リオ。
そんなリンディを見据えて、
「実は、あなたやレティ提督辺りには、早めに打ち明けようと思っていたのですよ」
ヤンはそう切り出した。
そして、語った。
郊外の自然公園で特殊戦のブッカーとの会談中に、雪風からの連絡で、白い双子の転移ポイントに向かったこと。
そこで、ヴィヴィオと双子に会ったこと。 しばらくして、なのはとクロに会ったこと。 そして――。
「そこで、目の当たりにしたのですよ」
色とりどりに染まった、ヴィヴィオを。
それは、双子のニジュクとサンジュの特殊能力によるものであることを。
「その子達の保護者であるクロさんに尋ねましたところ、他にも『力』があるらしくて」
直感的に、無条件の保護は危険と判断したこと。
そして、その判断は間違っていなかったらしい。
「先程、別に依頼したはやてからの連絡で」
魔法も使うことなく、翼を使用しての飛行が可能(ただし、二人一組でなければ不可能だが)であり、更に、
「その子達の影、勝手にその子達から離れて歩き回れるそうですよ」
ヤン、苦笑混じりに告げた。
リンディは絶句した。リオも絶句していた。
「影が、勝手に……」
「流石のなのは達も、ヴィヴィオを除いて頭を抱えたみたいですがね」
そう言って、ヤンは肩をすくめた。
「そして、まだ何か、『力』を持っている節も見受けられます」
そう言い添えて。
「成る程」
リンディは、大きく頷いた。
「確かに、現状の管理局で、その子達の保護を規定通りに行うことは、甚だ危険だと判断せざるを得ませんね……」
あごに手を添えて、また頷く。
あのJS事件の痛手から十分に回復したとは言えない現状、魔導研究関係のどこかの部署が、
何かと理由をつけて双子を自分達の研究材料にしてしまいかねない。そして、それは十分に高い可能性である。
「管理局を一刻も早く、事件前の状況まで回復させるためにも、か」
その為に白い双子を利用しよう。そう言ってくる輩に、残念ながらリンディは心当たりがある。
ヤンも、同じであった。
「であればこそ、なんですよ、リンディ提督」
口調こそ柔らかであったが、そこにこもる意志の強さを、リンディは感じ取った。
リンディ、瞑目。そして、
「了解しました。その子達の為に、あなたの今回の判断及び行動を支持いたします」
優しく微笑んで告げた。
「クロノには、また何か言われそうだけども」
そう、肩をすくめつつ、付け加えて。
「ご厚意、感謝します」
ヤンは、深く頭を下げた。
「折角ですから、彼らの写真、ご覧になりますか?」
「まあ、それは是非とも」
「あの、僕も構いませんか、ヤン提督?」
「ああ、勿論だよ、リオ」
胸ポケットより携帯を取り出し、先程なのはから届いたメールの写真をリンディとリオに、ヤンは見せた。
「この黒い格好の人がクロさんで、このコウモリがセン君と言って、で、この、猫の耳と尻尾を持ってるのが」
「ニジュクちゃんと、サンジュちゃんの双子、って訳ね。まあ、何て可愛らしいこと」
「エプロンドレス、よく似合ってるなぁ」
二人は、口々に感想を述べあう。
「うふふ、この子達に会ったのなら、そのような考えになってしまうのも、無理もない事かしら」
携帯を覗いていた顔をヤンに向けて、リンディはいたずらっぽく微笑んだ。
リオもうんうんと相づちを打つ。
「否定は、……できないかなぁ」
複雑な表情で頭を掻く、ヤン。
「もし、私が元の世界で、フレデリカと静かに暮らせていたなら、このくらいの歳の子供がいても、おかしくは無いから」
リンディとリオの顔から、笑みが消えた。
「きっと、そんなことを無意識に考えて、何てね」
少し照れたように、そして、口惜しそうに、ヤンはうつむき、頭を掻いた。
「……もう、六年になりますのね」
リンディが、おずおずと口を開く。
「そうですね」ヤンが頷いた。
「早いものです」
噛み締めるように、呟く、ヤン。
「まあ、何とも不条理な理由で、無理矢理、半死半生で連れてこられて、管理局に成り行きで入局して、気付いてみれば中将です、か」
ヤン、嘆息する。
「別の世界でも宮仕えとはこれ如何にだけど、でもまあ、軍人として殺し合いを延々続けるよりは」
努めて、明るく、ヤンは言った。
「人の幸せを守るこの仕事、そう悪くはないと思っているのも確かです」
リンディとリオを、交互に見つめ、
「提督やリオ、なのはやフェイト、はやて達にも、出会えましたしね」
ヤンは、微笑んだ。
「提督……」リオは、半ば呆けた様子で、少し顔を紅潮させて呟いた。
リンディは只、静かに頷いた。
「そして、クロさん達とも出会った。更に、彼らは時空の迷い子です。リンディ提督やなのは達に私達がしてもらったように、彼らにも優しく手を差し伸べたい」
ここまで言って、ヤンは頬をぽりぽりと掻きつつ、
「……どうでしょうか、この考えは」
ヤンははにかみながら、そう話した。
「ふふ」リンディは微笑んで、
「提督らしいと思います。やっぱり、だから局員の人気も高いのよね」
「ただ、上の方の受けは、良好とは思えませんが」
「もう、ヤン提督ったら」
「済みません、しかし、事実ですので」
そして、ヤンとリンディは朗らかに笑い合い、リオは「やれやれ」と苦笑して肩をすくめた。
「さて、じゃあリンディ提督、そろそろ」
「はい、何でしょう?」
ヤン、ずっこける。
「何でしょう、じゃないですよ。私と直接、このあとの緊急会議の打ち合わせをしたくて、わざわざ会いに来られたのではありませんか?」
「ああ、そうでした♪」
その豊かな胸の前で、ポンッ、と手を叩いてのほほんと笑うリンディに、ヤンは、嘆息し、
(変なところで抜けている方だ、相変わらず)
そう思いつつ、頭を掻いた。
「では、ちゃっちゃとやってしまいましょう。時間もありませんし」
「そうですわね、それじゃあ……」
プルルルルルッ、プルルルルルッ。
机上の電話が鳴った。
即座にリオが手を伸ばし、対応に当たる。
そして、
「ヤン提督、本局からです」
「相手は?」
「提督の、よく存じていらっしゃる方です」 ニコリと笑って、リオは電話機本体と受話器を差し出した。
ヤンはソファに座りつつ受け取り、画面を見て驚く。
「えッ、あッ、……ビュコックてい、いや、特別顧問官。お久しぶりですッ」
思わず起立し、直立不動となった。
『いや、そのままそのまま。それにしても、べっぴんさんとの逢い引きを邪魔して、悪かったのう、ははッ』
元の世界でヤンを厚く遇し、親交も深かったアレクサンドル・ビュコックの、深いしわの刻まれた顔がそこにあった。
「逢い引き、だなんて……」
『はは、そう思われても仕方なかろうて。しかし、何だ、誤解されるようなこともそこそこにして、そろそろ本局に来てもらえんかな』
「はあ、……ですが、まだ」
『わし以外にも、お前さんに会いたがっとる面々が多くてな、……ちょっと、替わるぞ』
「あ、はい」
『――ヤン提督、久しぶりですな』
「ああ、これはメルカッツ提督、ご無沙汰しております」
ビュコックに替わって画面に出たのは、一見して眠そうな目をした老人。
やはり、元の世界で、ヤンの元で彼を補佐した、ウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツその人だった。
『集まった一同、首を長くしてあなたを待っておりますぞ。勿論、しばらく顔を合わせていない私も、その一人ですが』
「はは」
『積もる話も多い。それに、今回の一件は、非常に難しいものがある』
「ええ、下手を打てば他の管理世界に飛び火します」
『つい先程、概略を送っていただいた時は、正直、年甲斐もなく愕然としました』
「私も同じですよ、提督。先程、特殊戦のブッカー少佐から受け取ったチップの中身を確認して、恥ずかしながら背筋に寒いものが」
メルカッツ、こくりと頷く。
傍らのリンディも、頷いた。
『――で、あればこそじゃよ、ヤン』
再び、ビュコックが画面に出た。
『一刻も早く、この事態に対応するためにも、本局に今すぐ出頭せよ。――お前さんが世話した、件の旅人さん達のためにもな』
ビュコック、微笑む。好々爺という表現がぴたりと当てはまる笑顔だった。
ヤンも、吊られて微笑む。
「了解しました、では、後ほど」
『うむ、待っておるよ』
そして、電話は切られたのだった。
「と、言うことなんですが、リンディ提督?」
電話機を机上に戻しつつ、ヤンはリンディに言った。
「仕方ありませんわ。でも、打ち合わせなら、向かう途中でも出来ますし」
「そうですね」ヤンは頷いた。
「では、参りましょうか。――リオ、済まないがそこの資料を、ちょっと頼むよ」
「はい、解っています、提督」
「うん」
ヤンはリオに頷くと、リンディを誘って、ドアに向かった。
「そう言えばフェイトは、今日は本局詰めではありませんでしたか?」
「ええ。でも、不機嫌な様子で、ティアナさんを連れて、何でも特殊戦のクーリィ准将に会いに行ったみたいですわ、あの子」
「ふーむ、あの噂のことで、かな……」
「おいで、行こう、ビーティ」
「ガウッ!」
そして、三人と一匹は部屋を出た。
無人となった部屋に、夕日が差し込む。
茜色に染まる無人の部屋には、寄る辺のない寂寥感が、広がっていた――。
『リリカル旅話・インターミッション・3』
END
さて、その頃、あの自然公園では、
「へぇーえ、こんなちっこい機械でねぇ」
「しゃしん、とれるんだぁ」
「ヤンおじちゃんに、とどくんだぁ」
「全く、驚くことだらけだな、この世界は」
クロ達がなのはの携帯に興味津々の様子です。
「えっと、あの、そんなに大したものじゃ」
「いえ、十分に興味深いです」
眼鏡をかけ直し、きっぱりと言い切ったクロ。
……クロさんや、も少しあなたは、クールなキャラじゃ、無かったっけ?
最終更新:2010年01月10日 02:08