キエサルヒマ大陸がアイルマンカー結界から解き放たれてから約数ヶ月。
始祖魔術士の守護を失った大陸は荒れに荒れた。
王立治安構成の破綻に始まり、キムラック教会と総本山ゲイトロックの瓦壊、王室と大陸魔術士同盟の大抗争。
聖域の崩壊と同時に、まるでタガが外れたように世界に戦乱の嵐は吹き荒れる。これが時代の移り目か。
この未曾有の事態の引き金となった人物に王は大陸史上最悪の犯罪者と称して莫大な懸賞金を懸けた。
かつて最強の魔術士として囁かれた男の、七番目の弟子。鋼の後継、戦闘芸術品(アーティスティック・バトルアスリート)、等々、数々の二つ名を持つその男の噂は瞬く間に大陸中に知れ渡った。
曰く、『魔王』
だが、その男の実体を知る者は、少ない。
さぁ―――――
始めよう、一つの大陸を救った男の物語を―――
繰り返そう、一つの世界に終わりをもたらした男の物語を―――
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「あ~あ、ったく。何でこんな任務引き受けちまったのかねぇ…。ウチのボスは…」
森の中、夜の闇に溶け込むように息を潜めている黒装束の男が心底嫌そうに呟く。
「そりゃ「的」がたとえ三回生まれ変わっても使い切れないくらいの額の賞金首だったとしてもだぜ?ドラゴン種族と渡り合った、なんて噂されてるような魔術士とはなるべく関わらない方がいいと思うわけよ、妻帯者としてはさ」
「いや、おそらく賞金額の問題だけではあるまい」
独り言に割って入るように彼の隣で気の幹に背中を預けている一回り大きな男が口を挟む。
「どゆこと?」
「例の『魔王』の賞金かけたのが王様本人ってのが問題なんだよ。多分首を手土産に貴族のポストでも狙ってるんじゃない?あの人の事だから」
首を捻る男にまた別の、今度は青年くらいの年の男が近くの岩に腰掛けながら皮肉気な口調で返してくる。
「フ~ン、王様直々に…ねぇ。ま、このどうしょうもねぇ状況の原因だっつー話だしな」
「ていうかこんなの知らないのって多分、大陸中見回してもネリーくらいだよ、ホント」
そう呆れたようにため息を吐く青年。彼の手には大ぶりのナイフが握られていた。滑り止めのためか柄の部分に慣れた手つきで布を巻いている青年に、ネリーと呼ばれた男が口を尖らせる。
「カイル…俺がゴシップ嫌いなの知ってるだろ?」
「知ってるよ。温泉の話でしょ?何度も聞いた。記事見て感動してわざわざ東部のレズボーンまで遠出したのに着いてみたらただ風呂釜に入浴剤足しただけだったってヤツ」
でもだからってゴシップ全般を嫌うとか極端だと思わない?と布の巻き終わったナイフを鞘に納めながら付け加える青年の横で大男も苦笑交じりに頷く。
「あそこが出す記事は八割近くがデマだと何度も教えてやったろうに…。人の親切を無碍にするからそういう目に会う」
「っせぇなぁ、いいんだよ別に。ちょっとくらい世情に疎い方がホラ、渋い男って感じがするだろ?」
「どんな感覚なのさ、それ…。ねぇ、ナイアも何とか言ってやってよ」
二人に責められてもニヤつきを崩さない男に青年が嘆息しつつ今までずっと話に加わらずにいた最後の一人に向けて話を振る。
「知らないわよ。ってか、さっきからうっさいのよあんた等!こんないつ標的と出くわしてもおかしくない状況で何呑気に談笑とかしてられんのよ!」
ナイアと呼ばれた少女が青年に向けて怒鳴り声を上げる。年の瀬は大体16~18のどこかというところか。
格好は男達と同じく黒装束だが彼女だけ頭にも黒い布を巻いているのはおそらく布の隙間から覗く濃い色のブロンドを隠すための彼女自身の苦肉の策だろう。
「ナイアが一番うるさいよ…」
「プロ意識ねぇなぁ」
「やかましい」
「うっわムカつく、ブン殴りたいわ」
口々に言い返され、犬歯を剥き出しにしてワナワナと拳を震わせるナイア。
「とにかくしっかりしてよね。相手が魔術士ってだけでも十分脅威なんだから。ちゃんと緊張感持ってちょうだい」
「頭に「大陸最強の」を付け忘れてるぜ。どう考えても俺等みたいな三流暗殺技能者(スタッバー)がどうこう出来る相手じゃねぇだろが。
なぁ、悪い事ぁ言わねぇから引き返さねぇか?ボスには『スンマセン情報(ネタ)がガセっした!』とか言っときゃ大丈夫だって」
「いい加減にして。やる気無いのはアンタだけじゃない。
それにこんな目立つ四人組であのイカレポンチの騎士団連中に気付かれないように町の外を何度も行ったり来たりする方がゴメンだわよ。少なくともアタシはね」
愚痴愚痴とゴネるネリーにナイアがピシャリと言い放つ。
「ああ、そういえばさ」
そのやり取りを黙って見守っていたカイルが唐突に思いついたような口調で口を挟む。
「なに?」
「うん、そもそも聞いてなかったんだけどさ。『魔王』がこの森を通るって情報はどこから?」
「あ、それねぇ――――」
「魔王はキムラックの反抗勢力を騎士軍から守りながら各地を転々としている。そして昨日魔王の出没情報があったのがこの森の南側の荒野だ。
ちなみに森を挟んで北側には別の難民の群れがあるそうだ」
「………………」
「更に言えば移動するのなら人目に付き難い夜だろうな」
まるで聞かれるのを待っていたとでも言いたげな表情で口を開くナイアを知ってか知らずか大男が早口に捲くし立てる。
「…あんたってひょっとして私の事嫌いでしょ」
言いたかった事を全て言われてしまったらしく笑みを浮かべながら大男へと問いかける。
犬歯が見える程に口を引きつらせている表情を笑みと呼べるのならば、だが。
「まさか。手間を省いてやろうという私なりの親切心だったのだが。どうやら裏目に出てしまったかな?」
ククッ、と喉に引っかかるような笑いを残しながら大男が涼しげに受け流す。
「こんのッ…」
「まぁまぁ、落ち着いてよナイア。前にネリーがカードで手持ちの金全部スった時のダイアナさんみたいな顔になっちゃってるよ?」
それまで二人のやり取りを黙って聞いていたカイルが仲裁に入る。
「ていうかそれって掻い摘んで言えば全部ナイアの推測って事じゃない。ホントに来るの?」
「来たぜ…」
半眼で呟く彼の疑問に答えたのはいつの間にか会話から外れ、沈黙に徹していたネリーだった。
それは先ほどまでの飄々とした男の口調ではなく、重く静かな暗殺技能者としての声。
『―――――――――』
それを感じ取ったのか全員が息を潜め、気配を殺す。逆に五感はどこまでも研ぎ澄まされていく。
やがて遥か遠くでパキ…パキ…という音が耳に届く。
事前に道に撒いておいた小枝を誰かが踏み折る音。しかも音の聞こえ方からして人数はおそらく、一人だ。
(ほ…ほんとに、来た?)
(この物騒なご時世にまともな神経の奴が夜の森に一人ぼっちで入ってくるわけねぇよ。…さて―――)
息を飲みながらナイフの柄に手を添えるカイルに軽く返しながらネリーが全員を見渡す。
(正直俺も来るとは思ってなかったんだがな…。仕方ねぇ。ナイア、ここが境界線だぜ。今ならまだ距離もある。逃げられる)
(ッ、ネリー!)
(だがどうしても殺るってんならこっちも命がけだぜ)
押し殺したその言葉に反駁しかけたナイアが一瞬息を飲む。が、迷いも一瞬、本当に一瞬だった。
表情を引き締め、頷く。
(やるよ、私は。一人でもね。ネリーは…知ってるんでしょ?金だけの問題じゃないんだ、私にとっては)
睨み合ったまま一秒、二秒と過ぎる。と、唐突にネリーが盛大にため息を吐いた。頭をガシガシと掻き毟りながら―――
(………はぁ~、ったく仕方ねぇな。オラ、さっさと持ち場に着けよ)
(ネリー……ありがとう)
ナイアは一度だけ目を伏せ、小さな声で感謝の言葉を口にするとすぐに道を挟んだ対面の草叢へと跳び込んでいった。
(んじゃ、手筈通り二方向から同時にね。神のご加護を)
ウィンクを残してカイルが彼女の後を追う。
(――――どういう心境の変化だ?)
二人の若者を見送った後、残った相方がボソリと呟く。手にはいつの間に取り出したのか両手で扱うタイプの連射式ボウガンが握られていた。
(黙れよダズ…。そろそろ気付かれる距離だぞ)
懐から数本のスローイングダガーを抜きながら隣でニヤつく大男に警告を送る。
半分は誤魔化し目的の出任せだったんだが、ダズは「フム…」と肩を竦めると言われた通りそれきり口を閉ざした。
いつもなら一言二言皮肉を返してくるもんだが…。
ま、無理もねぇさ。的が的だ。慎重にもなるってもんだろ。
それでも殺れると思ってる辺り、こいつもナイアもカイルも大物だと思う。
(俺は違うさ。小心者だからな…)
胸の内で小さくぼやく。徐々に大きくなる足音と共に蒼白い明かりが近づいてくる。
無音でその場に体を屈ませる。月の出てない夜だ。少し身を伏せ、気配を殺せば簡単に森の一部になれる。
そのままの姿勢で三秒、四秒、――――――足音が止まった。
(気付かれたか…)
危うく舌打ちしそうになるのをなんとか堪えながら手の中のスローイングダガーを握り直す。
バクバクと跳ね上がる心臓を押さえつけ視線を足音が途絶えた方へと向ける。
(―――――――アイツが)
そこに、『魔王』と呼ばれる男の姿があった。
特に特徴のある風体ではなかった。中肉中背の体付き、身長も成人男子の平均くらいだろう。
格好は上下とも黒一色だがこれも魔術士という事ならば珍しくも何ともない。
唯一特徴らしい特徴といえば皮肉気な顔立ちの中にある斜視に近いほど吊りあがったその双眸か。
何でもない、本当に何でもない男に見えた。
少なくとも『魔王』などという物騒な異名を語るには不釣合いに思えるほどには…。
男は動かない。鬼火の光に照らされたままジッとしている。
(気付いてやがるな。間違いなく…)
行くか…?
視線でダズに問うとすぐに頷かれた。大した相手にゃ見えないってか。
わずかに苦笑しつつ足元の石を拾い上げると、
(んじゃ、行きますかね。向こうのじゃじゃ馬が先走らない内にっ!)
明後日の方向にその石を思い切り放り投げた。
闇を裂いて飛んだ石がどこぞの何かに当たってガツッという音を立てる。わずかに男の目線が音の方へと泳いだ。
それが隙だった。
「シィッ!!」
隣でボウガンの弦が連続した射撃音を奏でるのと同時に可能なかぎりの最速で男へと踊りかかる。
心境はまさしく神に祈る心地だった。
どうか、見た目通りの実力であってくれ、と―――――
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「…そう簡単には行かねぇ、か。やっぱ…この、クソ魔王が…」
地面に押さえつけられた姿勢でなんとか声を絞り出す。
「―――――そんな風に呼ばれてるのか…」
自分を組み伏せたままの体勢で今度は男がそう簡単に返す。
日常的会話のようなその返答は、人の背を足で踏みつけ、関節が悲鳴を上げる程に腕を捻り上げたまま発せられた事を考えればいかにも不自然だった。
少なくとも暗殺者四人を苦もなく撃退した直後の言葉とは到底思えない。
「…………………」
答えずに眼球の動きだけで辺りを探る。真っ先に視界に入ったのはうつ伏せに倒れたままピクリとも動かないカイルだった。
息は、ある。
「最初から殺すつもりはなかった」
ギョッとして思わず男を見上げると男は苦笑しながら、
「そんな顔してたからな。当てずっぽうだよ。もっとも全員しばらくはまともに動けないだろうが」
「そうかい、そりゃあお優しい、こって…。今しがた女の顎踏み砕いた男の言葉とは、思えねぇけどな」
背中から伝わる激痛に脂汗を流しながらも途切れ途切れに悪態を吐く。おそらく背骨を骨折している。
殺すつもりが無いのなら正直一刻も早く足をどけてもらいたいが、
「…なぜ殺さねぇ?」
疑問の方が懇願よりも先に立った。
「おっと、俺達の事だけじゃねぇぞ?俺はゴシップは読まねえが情報なんてのはどこからでも入ってくる。
で、知り合いの情報屋からの話がこうだ。
『騎士団と交戦し、キムラックの教徒を守る魔術士がいる。その魔術士の力量は凄まじいものでたった一人でどこからともなく現れたかと思うと、瞬く間に敵を無力化してしまう。
しかも特筆すべきはそいつが現れた戦場には一人の死者も出ないというのだ』ってな。
聞いた時には誇張されすぎた噂が一人歩きしただけだと爆笑したけどな」
「………………………」
「…罪滅ぼしのつもりか?」
男は答えない。
が、答えの代わりとばかりにこちらの腕を放し、足を退けられる。
「がっ、はぁ…」
解放された事で緊張が解けたのか、背中が激烈に痛む。息を乱しながら周りを見回すと自分と同じように仲間が倒れていた。
その向こうに魔術の鬼火とそれに照らされる背中が去っていくのが見える。
チラリと、倒れ伏しているナイアを横目で盗み見る。
(―――――チィッ!)
言うべきか一瞬迷ったが、気付いた時には声を張り上げていた。
「その娘の親父はッ!キムラックの神殿で神官をやっていた!」
男の足が止まる。
ナイアはその髪の色のせいで赤ん坊の頃にゲイトロックを追放された者だった。
だが彼女は自分を捨てた両親を憎んではいなかった。両親にとってもそれが苦渋の選択である事をよく理解していたのだろう。
「あそこの神官が騎士軍に皆殺しにされたのは知ってるだろう!ソイツにとってテメェの暗殺はただの仕事以上の意味があった!
間接的な仇討ちさ、少なくともソイツはそのつもりだった!」
男はやはり何も言わない。立ち止まったのもほんの数秒だった。
すぐに歩みを再開すると後は一度も振り返らずに立ち去っていった。
「…チッ、ああそうかよ…。そうだろうな、お門違いなんだろうよ…」
明かりが去り、再び闇に包まれた森の中で独り呟いてみる。
これからどうするか…。差し当たって自分はもう動けそうにない。なら動ける奴が目を覚ますまで待つしかないだろう。
出来れば野生の獣が通りかかる前に目覚めてもらいたいもんだが…。
「ああ…ほんっとワリに合わねぇ…。だから嫌だって言ったんだよ、俺は…」
半分ヤケクソ気味に囁かれたその言葉は、誰の耳に届くことも無く森の木々の間に小さく木霊し、やがて消えた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
一番遠くへ行ってみるか――――――
そう言って王都から旅立ってもうどれくらいになる?不意に数えてみようとしてる自分に気付き、苦笑する。
あの時はこんな事になるとは思ってもみなかった。いや、覚悟はしていたのだったか…。
どちらでもいい事ではあったが、気にはなった。思い出せない事とは得てしてそういう物かもしれないが。
石造りの床に腰掛けながらぼんやりと栓ない事を考える。
(偶然とはいえこんな森の中で遺跡を見つけられたのは幸運だったな…)
天人の残した遺跡の多くは切り立った崖に面いている事が多くここのように洞窟のような造りになっているものは稀と言えた。
奇妙な造形の遺跡だった。それほど広いわけでもなく、かといって狭いとも言えない。
強引に比較対象を作るとしたら、多少豪華なホテルの一室といった所か。
10人に聞けば、どちらとも言えないと答える人間が大半を占める。つまりはその程度の広さを持った遺跡だった。
とはいえキエサルヒマ大陸にある遺跡のほとんどは大陸魔術士同盟によって粗方掘り返されている。
こんな目立つ場所に立てられた遺跡になどとっくに手が入って花瓶一つ残ってはいないだろうが。
(まぁいいさ。とりあえず休息が取れれば…)
疲労を吐き出すつもりで嘆息する。
屋外での睡眠は前に一度賞金首に夜襲をかけられて以来出来なくなっていた。
いや、それでなくとも自分が王権反逆罪の罪に問われていると知った日からまともに寝られた日は無かったかもしれない。
だが一昨日の騎士隊との戦闘を終えてからこの二日間歩き詰めの上にその間に賞金稼ぎの襲撃が幾度もあった。
「―――――魔王、ね…」
今日最後の刺客が自分をそう呼んでいたのを思い出し、我知らず嘆息する。
ずいぶんと皮肉な二つ名が付いたもんだ。それともその名を付けた誰だかは知っていたのだろうか?
この体に、今だに魔王の力が宿っている事を…。
…どうでもいい事だ。
湧いた疑問をすぐに頭を振って振り払う。
ここからあと二時間も歩けばもう森は抜ける。動き出すのは明日からでもいいだろう。
そう結論付けて壁に背を預けるとすぐに睡魔が襲ってきた。
(仕方がないか…。流石にそろそろ限界も近いかもしれない)
今この時、この時だけ全ての警戒を解いて眠ろう…。
心中で呟いて目を瞑り意識を落とす。その最中、聞こえてくる声があった。
――――――罪滅ぼしのつもりか!―――――
そんなつもりは無い。そこまで図々しくはないさ。俺は俺の目的の為にこうしてるだけだ。
決して善意なんかじゃない。
そう、全ては大陸の「外」へ抜け出すための…
虚ろ虚ろと船を漕ぎながら、わずかに覚醒してる部分で名も知らぬ男からの言葉に答える。
そうだ。俺は行かなければならない。大陸の「外」へ、ここではない「どこか」へ。
その時だった。
ボウ…と、まどろみの中で繰り返す男の対面の壁に音も無く小さな光の点が灯る。男は気付かない。当然だ。それは敵意も無くただ光を放っているだけなのだから。
光は筋となって壁に複雑な文字を刻み込んでいく。男は気付かない。
一文字目を刻み終えると今度はその文字の両隣の壁がまた文字を描き出す。男は気付かない。
文字は徐々に増えていく。その一点から放射状に文字が壁を埋め尽くしていく。男は気付かない。
そしてやがて本当に文字が部屋の壁中を埋め尽くす最後の一文字をなぞり終え、部屋全体が眩い白光に覆われた時、男はキエサルヒマ大陸から永遠に姿を消していた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
光に包まれている。目を閉じているのにはずなのになぜそんな事が分かるのか、自分でも分からない。
ただ膨大な暖かさの中に包まれている。目を開けようにも圧倒的な安らぎがそれを拒んだ。
体も動かない。いや、動かそうと思えない。
夢かとも思うが、どうなのだろう。
これほどの安らぎが夢以外に―――――
「おい危ねーぞ、民間人!!死にたくなけりゃとっとと逃げろ!!」
「ッ!!」
突然の切羽詰ったような怒鳴り声に一気に意識が覚醒する。
「なんだっ!?」
罵声を上げながらその場から飛び起きる、と同時に絶句した。自分が横たわっていたのは屋外だった。
一夜の宿としていた天人の遺跡は影も形もない。昼夜すら逆転している。青々とした空には太陽が眩いばかりに輝いていた。
「…なんだ、これは」
視線を彷徨わせながら思わず同じ言葉を繰り返す。
だがそれよりなにより目を引くのは背の高い木々よりも遥かに上空を飛び回る機械の群れと、それを手に持った銀色の鉄槌で次々と破壊していく赤い少女の姿。
「浮いてやがる…」
少女は空中をまるで泳ぐように自在に飛び回っていた。
空中浮遊の魔術は熟練の術者でも凄まじい集中力と制御力を必要とする上に成功しても効果はあくまで「浮かぶ」だけに留まる。
それを―――――
「あんな子供が…」
信じられない。というより在り得ない。一体これはどういう―――
「バカヤロー!逃げろっつっただろうが!」
半ば呆然と立ち竦んでいると、赤い少女が何事かを叫びながら凄まじいスピードでこちらへと急降下してくる。
(何っ、逃げ…!?)
思考の空白を突かれたため対応が遅れた。
魔術どころか構えを取る暇も無く、無情に振り下ろされた少女の鉄槌が――――背後から襲いかかろうとしていた機械を叩き潰していた。
「チィッ!」
その場で着地を決めた少女は間髪入れずに体を反転させこちらに背を向ける形、つまり自分を庇うように機械の群れに向けて武器を構えた。
「くっそ…囲まれちまったか…!」
焦燥を隠そうともしない少女に習って視線で辺りを探る。
見ればいつの間にか周囲360度全てが「敵」に包囲されていた。
奇妙な物体だった。足も手も無くカプセルのような縦長のフォルムをした無数の機械が宙に浮いている。
「おい」
少女が正面を睨み据えたまま憮然とした声で呟く。
「こいつらはアタシが引きつける。アンタはその隙に逃げろ」
「………………」
どうやら彼女は自分を逃がしてくれるつもりらしい。
素性も知らない人間を守ろうするという事は警察か何かの人間だろうか?
いや、だが今の時世で魔術士が警官というのはどうにもおかしいし、それ以前に若すぎる。
やはり不信感は拭えない。が、この飲み込みがたい状況の中、唯一意思疎通の試みられる相手である事もまた事実だった。
「君一人でこいつら全部をか?無理があるだろう」
背中合わせになり、背後にまわった機械を警戒しながら話しかける。
落ち着きはらったこちらの態度が予想外だったのか一瞬少女が言い淀む気配を見せる。
「うっせぇな仕方ねぇだろ。この数相手にアンタ守りながら戦えってのかよ」
「いや違う」
ぶっきらぼうに呟く彼女に苦笑を返す。
「俺も戦う」
「はぁ?」
その言葉を少女が正しく認識する前に腕を前に掲げる。集中は瞬時、世界を変革させるための力を自分の中で作り出していく。
編み上げるのは細緻にして複雑な構成。己のみが覚知できる極彩色の紋様。
全ては、一瞬――――――
「我は放つ―――――」
声はまるでそれ自体が力を持つかのように鋭く強く、音声という媒体を得た構成が世界を変質させる。
「―――――光の白刃ッ!」
呪文と同時、手の先で膨れ上がった純白の火球が一直線に機械の群れへと突き進み数対を巻き込んで大爆発を起こした。
「そっちは任せる」
少女に短く囁いてから森の中へと駆け出す。
それにやや遅れて爆風と熱波に隊形を乱されていた機械達も自分を追って動き出した。
男は未だ気付かない。
自分が全く未知の世界へと迷い込んでいる事を。
ここには彼を知っている人間は存在しない。ただ独り、まるで孤児のよう――――
魔王から、孤児(オーフェン)へ…。
始めよう、もう一度。
絶望と戦う男の物語を…。
魔術士オーフェンStrikerS 第一話 終
最終更新:2009年03月24日 04:40