ツバサ-RESERVoir CHRoNiCLE- ~ミッドチルダ編~
第3話「牙狼」
「オォォォォォッ!!」
開始の合図と共に、ザフィーラは勢いよく地を蹴り、ファイへと飛び掛った。
そのまま、右の前脚を大きく振り上げ、彼目掛けて爪撃を浴びせにかかる。
驚異的な瞬発力から繰り出されるその一撃は、威力は勿論、スピードもかなりのものがある。
しかしファイは、それを前にしても全く動じず、笑顔を保ったまま相対していた。
そして、爪が今まさに彼の顔面を捉えようとした……その瞬間。
「よっと」
ファイはホンの少しだけ、顔を動かした。
直後……爪は空を切り、僅かに彼の髪の毛を数本だけ切り落とす。
正しく、紙一重の回避であった。
ザフィーラは、そのままファイの肩の上を通り越して着地しようとする。
しかし、その瞬間……ファイは待ってましたと言わんばかりに、力いっぱい棒を垂直に振り上げた。
「そ~れ」
「グッ!?」
ザフィーラの腹部へと、その一撃はまともに叩き込まれた。
あまりにも急な攻撃だった為に、防御は間に合わなかった。
そのままファイは、力を込めてザフィーラを投げ上げる。
蒼き巨体は、ゆっくりと回転しながら宙を舞う。
そして、地面へと叩きつけられ……
「ヒュ~……空、飛べるんだ」
なかった。
ザフィーラは空中で何とか静止し、そのまま真っ直ぐにファイを見つめていた。
流石にザフィーラが空を飛べたのには、ファイも驚かされたらしい……尤も、相変わらずその顔は笑ったままであるが。
彼はそのまま、棒の先端をザフィーラへと向けた状態で静止し、ザフィーラに対して不敵な笑みを浮かべる。
(こいつ……!!)
ザフィーラは、そんなファイの行動に強い警戒心を抱く。
構えたまま静止したという事は、即ち少なくとも自ら仕掛けてくる可能性は無いという事。
此方が動き出すのを待っているという事になる……ザフィーラはどうすべきか迷った。
先程彼は、己の攻撃を紙一重で回避した上に、更に一撃を加えてきた。
今仕掛ければ、またも同じ結果になるのではないかと……そう感じられたのだ。
しかし、あのような真似をそう何度も出来るとも思えない。
ならばここは……相手の戦法を確認する為にも、もう一度行くしかない。
「ハァァッ!!」
先程同様に、ファイへと急激なスピードで迫る。
今度の攻撃は、爪撃ではなく全身を用いての体当たり。
縦に勢い良く回転しながら、体ごとぶつかりにかかる……しかし。
結果は先程とまったく同じだった。
ファイは、またもギリギリの所で攻撃を回避したのだ。
「ざ~んねん」
ファイは上体を大きく反らし、その上をザフィーラがスレスレで通過する。
その後、ファイはザフィーラが着地する寸前に、すぐさま地を蹴って後方へと宙返り。
ザフィーラの目の前へと、彼に若干遅れて着地し……それと同時に、その眉間目掛けて真っ直ぐに棒を突き出す。
「ッ!!」
しかしザフィーラは、ギリギリのところで防壁を展開。
この突きを辛うじて受け止めると、すぐにファイとの間合いを離した。
ファイは追撃に出ようとはせず、そのまま棒を構えなおす。
(油断が出来ないどころの話ではない……とんだ兵だ……!!)
ザフィーラは、ファイに対する認識を改めた。
そのへらへらとした態度からは想像できないほどに、彼は出来る相手だった。
そう判断した最大の理由は、こちらの攻撃に対する反応。
爪撃にも体当たりにも、彼は紙一重での回避に成功している。
これだけでも、それなりの技量があることは分かるのだが……それ以上に驚異的だったのは、彼の表情だった。
普通は目の前に攻撃が迫れば、人は何かしらの反応を必ず示す。
だが……彼は、笑顔のままだった。
此方に対し、表情を全く変えないままだった……警戒心も恐怖心も、微塵にも感じさせなかったのだ。
自分には、いや、六課にいる誰にも同じ芸当が出来るとは思えない。
(……戦い慣れしている。
相当の修羅場を、潜り抜けてきているということだ)
攻撃が目の前に迫ろうとも、一切取り乱す事が無いレベルに彼はいる。
恐らくは、自分達が遭遇してきたのとは比べ物にならない数の死線を、何度も経験しているのだ。
無論、攻撃に対して一切の恐怖が無くとも、それに瞬時の反応が出来るだけの実力が無ければ話にはならない。
そして彼には、それが備わっている……これまで潜り抜けてきたであろう修羅場の中で、自然と培ったのだろう。
そう思うと……その顔に浮かぶ笑顔も、また作為的なものに思えてしまう。
己の感情を、他者に悟られないようにしていると……そう思えてしまうのだ。
(……どうやら、俺が考えていた以上にこいつは複雑らしいな)
何故、SS+もの魔力を持っておきながら、それを使おうとしないのか。
その理由が、何となくではあるがこれで分かった。
彼の過去は、苦難の連続だったのだ……恐らくは、自分達守護騎士に匹敵するほどの。
その中で、きっとあったに違いないのだ。
魔法を使いたくないと思ってしまうほどの……深く、暗い闇が。
(……鋼の軛で身動きを封じるのは、恐らく無理だろうな。
こいつの反応速度なら、拘束される前に逃れるのは十分可能だ……ならば……!!)
「来ないのかな、ワンちゃん?」
「……フローライトだったな。
すまない……お前の事を、どうやら甘くみていたようだ」
ザフィーラは、ファイに対し素直に謝罪の意を述べた。
魔法を使わずとも、彼には十分すぎる実力がある。
ならば……こちらも、それに応えられるだけの力で挑まなければならない。
ここからは、己が全身全霊を以て彼と合間見える……これが、今の自分に出来る最大の敬意である。
「ここからは……全力で行かせてもらおう!!」
直後。
ザフィーラの肉体が、光に包まれ……瞬時にその形態を変えた。
褐色の肌に、鍛え抜かれた屈強な筋肉。
その銀の髪からは、僅かに蒼い獣の耳が生えている。
これまでの、狼としての姿ではない、盾の守護獣としてのもう一つの姿……人間としての姿である。
「え……?」
「ざ、ザフィーラ……?」
「エェェェェェェェェェッ!!!??」
その姿を見て、フォワード四人並びに小狼とさくらの二人が、一斉に声を上げた。
黒鋼も、声こそ出さなかったものの、大きく目を見開き驚いていた。
それも当然の反応……狼がいきなり人間に変身したのだから、驚くなという方が無理である。
特にフォワード四人にとっては、これは衝撃的過ぎた。
先日、彼が喋れたという事だけでも十分驚かされたばかりだっただけに……開いた口が塞がらなかった。
なのは達はそんな彼等を見て、流石に苦笑せざるを得ない。
「ヒュ~、驚いたなぁ」
「よく言う……最初から、気付いていた癖にな」
しかし肝心のファイはというと、先程までと全く変わらぬ様子でザフィーラと接していた。
流石に最初から見抜いていただけあって、然程驚きは無かったのだ。
ザフィーラはそんな彼に対し、微笑を浮かべながら構えを取る。
「でも、驚いたは驚いたよ?
想像してた姿とは、ちょっと違ってたしね」
「ほぅ……どんなのを想像してた?」
「喋り方とかから、結構おじさんかなって思ってた。
そしたら、意外に若かったからね~」
「ふっ……だが生憎ながら、俺は見かけ通りな年齢というわけでもないぞ?」
「あ~、やっぱりか」
互いに軽口を叩きあいつつも、その間に流れるは緊迫した空気。
はたして、どちらが先に仕掛けるか。
誰もが固唾を呑んで見守る中……先に動いたのは、やはりザフィーラだった。
「デヤァァァァァァッ!!」
真っ直ぐに踏み込み、右の拳を突き出す。
狼の状態にはない力強さを備えた、重い拳の一撃。
勿論、こんな攻撃に命中するわけにはいかないと、ファイは体を横へ僅かに反らして回避する。
そして、お返しにと素早く突きを繰り出す……しかし。
「あっ……」
「ッ……ギリギリ、どうにかなったな」
突きは、ザフィーラの胴体まで後僅かという所で静止した。
命中寸前で、ザフィーラに棒を掴まれたのだ。
狼の姿では出来なかった、人間の姿だからこそ出来る芸当である。
とっさにファイは、棒を手放そうとする。
しかし、それよりも速くザフィーラは手首を返して回転を加え……それに釣られ、ファイの体もまた回転する。
ここにきて、ついにザフィーラがファイを捉えたのだ。
ファイはそのまま、地面へと両の踵から仰向けに落とされる。
「フンッ!!」
そしてそこへ、ザフィーラは追撃を繰り出す。
一歩前へと踏み込んで、ファイの顔面目掛け真っ直ぐに拳を打ち下ろしにいった。
しかしファイも、そう簡単に攻撃を受けてはくれない。
彼は体を横へと素早く転がして、拳を回避する。
そして素早く起き上がり、横薙ぎを仕掛けにいくが……
「ッ!!」
その一撃は、虚しく空を切った。
先程までザフィーラが立っていた筈の場所に、彼の姿が無かった。
いや……正確に言えば、ファイには今の彼の姿が見えていなかった。
まさかと思い、ファイはすぐさま足元へと視線を移すと……予想通りの光景がそこにはあった。
「あらら……ワンちゃんに戻ってたんだね」
ザフィーラは地面に伏せていた。
無論、その姿は人間ではなく狼である。
彼は、瞬時に狼化する事によってファイの攻撃を回避していたのだ。
「オォォォォッ!!」
ザフィーラは大きく口を開き、ファイへと飛び掛った。
爪撃でも体当たりでもない、その二つよりも更に強烈な一撃……噛み付き。
流石に距離が近すぎる為、回避は間に合わない。
ならばと、ファイはとっさに棒を横に構えてそれを受け止める。
何とか、防御には成功したのだが……これはザフィーラにとって、想定の範囲内だった。
「ヌンッ!!」
ザフィーラは棒を口に加えたまま、両の後ろ足で強く地を蹴る。
そうする事で、彼の体は棒を軸に縦回転し……その踵が、ファイの両肩へとまともに振り下ろされた。
ここでついに、ファイの笑顔が崩れる。
襲ってきた鈍い痛みに、顔を歪ませてしまうが……そんな彼へと、ザフィーラは更に仕掛けてきた。
「取ったぞ、フローライト!!」
ザフィーラは即座に棒を口から離して、それと同時に人間状態へと変化する。
そして、ファイの肩に乗せていた両足でがっちりと彼の首をロック。
そのまま、上体を大きく揺らしてその股下を潜り抜け……額から、彼の顔面を地面へと叩きつけた。
プロレス技で言う、フランケンシュタイナーである。
「ガハッ……!!」
「ファイさん!!」
ファイの口から苦悶の声が漏れる。
どうやら今の一撃は、かなり効いたらしい。
ならばここは一気に攻めるべしと、ザフィーラは素早く両足を解放し、ファイに追い討ちを仕掛けた。
先程と同じく、彼目掛けて拳を打ち下ろしにかかる。
だが、ファイはギリギリの所で立ち上がってそれを回避。
そのまま、彼との間合いを離す。
「参ったなぁ……結構効いたかも」
ファイは頭を片手で押さえながら、苦笑いを浮かべる。
結構なダメージは受けたが、まだ戦えなくはない。
実力を測るための模擬戦というならば、今の時点で既にそれなりの成果は得られているだろう。
だが……どうせなら、とことんまでやっておきたい。
ファイは棒を構えなおし……そして、強く地を蹴った。
「むっ……!!」
「ファイさんが打って出た!!」
ここまで受け主体だったファイが、ついに攻めへと転じた。
ザフィーラとの距離を一気に縮めて、その足元目掛けて棒を突き出す。
しかしザフィーラは、とっさにバックステップしてその一撃を回避。
すかさず前方へと踏み込んで、ファイへと右のコークスクリューを叩き込みにかかる……が。
「何ッ!?」
「当たったら痛そうだしねー」
ザフィーラの拳は、虚しく空を切った。
ファイの体は今、その拳の真上にあった。
彼は足元への突きが外れたと同時に、棒高跳びの要領で上空へと飛び上がったのだ。
そしてそのまま、ザフィーラの背後に着地。
彼が反応するよりも早く、その無防備な背へと前蹴りを打ち込む。
「ちぃっ……だが!!」
ザフィーラは地面に倒れこみそうになるのを、ギリギリの所で踏ん張りきる。
そして、すかさず振り向き様に飛び蹴りを繰り出した。
その蹴りを、ファイは棒で受け止め防ぐ……だが。
「デヤアアァァァァァァァァァァッ!!!」
「ッ……!!」
ザフィーラは、その場で蹴りの連打を繰り出してきた。
空を飛べるからこそ出来る、空中での連続蹴り。
その強烈な勢いに耐え切れず……ここでついに、ファイの構えていた棒が折れた。
決定打を叩き込む、絶好のチャンス……それをザフィーラは見逃さなかった。
無防備になった彼の胴体目掛け、ザフィーラは勢いよく全力の蹴りを叩き込む。
「うっ……!?」
その重く強烈な蹴りに、ファイは苦悶の表情を浮かべた。
衝撃に耐え切れず、その体は地面へと仰向けに倒れこんでいく。
ザフィーラの全力の蹴りを相手に踏ん張りきるのは、ファイには不可能だったのだ。
しかし……ザフィーラの攻撃は、これだけでは終わらなかった。
彼は、ここで完全な決着をつけにかかってきたのだ。
「もらったぁっ!!」
すかさず狼状態へと変化し、その高い瞬発力でファイへと飛び掛る。
そして、彼の背が地面に着いたのとほぼ同時に……彼の体へと、覆いかぶさったのだ。
直後にザフィーラは、人間形態へ再び変化。
その両手を彼の背にしっかりと回し……そして、勢いよく上空へと飛び上がった。
「おい、まさかあの狼……!!」
「っ……これは流石に、ちょっとまずいかな……!!」
相手を抱えたまま、空中へと飛行する。
このザフィーラの行動が何を意味するのか……答えは簡単である。
ファイは何とか脱出を試みようとするも、ザフィーラのパワーが強すぎて敵わない。
「ヌオオオォォォォォッ!!」
ザフィーラはそのまま、空中で反転。
地面目掛けて、頭から垂直に急降下してきたのだ。
高位置から勢いをつけての、フロント・スープレックス。
その威力がどれほどのものかは……最早、言うまでも無かった。
――――ゴシャッ
ファイの脳天が、地面に勢いよく叩きつけられた。
ザフィーラは両手を解放し、少しばかり離れた位置に着地。
それと同時に、ファイの体が地面へと倒れこむ。
ここから、更に立ち上がってくるか。
ザフィーラはそう警戒しながら、ファイの姿を見つめるが……それは、流石に不可能であった。
「……ごめん、ちょっともう無理かも」
ファイは自らの負けを認めた。
受けたダメージが大きすぎた……これ以上は、流石に戦えそうになかったのだ。
はやてもそれを察し、ここで判定を下す。
「はい、そこまで!!」
勝負は着いた。
小狼達と守護騎士達との模擬戦……その第一戦目は、ザフィーラの勝利に終わった。
ファイは軽い溜息を付いた後、何とか体を起こそうとする。
すると、そんな彼へとザフィーラが歩み寄り、そしてそっと手を差し出してきた。
「立てるか?」
「ありがと、ワンちゃん」
ファイは彼の手を掴み、そのまま引っ張り起こされる。
この時、お互いの顔には笑みが浮かんでいた―――尤も、ファイは最初から笑顔であるが。
戦いを通じて、互いに友情の様なものを感じていたのだ。
そして……今やザフィーラには、ファイの魔力に対する懸念などは一切無かった。
彼ははやてへと、即座に念話を送る。
『……主』
『うん、分かっとる。
ファイさんの魔法の事やろ?』
『ええ……フローライトの過去に何があったかは、俺には分かりません。
ですが、こいつの魔法を使わないという信念は紛れも無い本物でしょう……お願いします』
『任しといて。
ファイさんの事は、絶対に何とかしてみせるから』
ファイの魔力レベルに関する問題は、何とかしてみせる。
はやてのその言葉を聞き、ザフィーラは安堵のため息をついた。
これで、どうにか一安心出来る。
「さてと、それじゃあ次はどないしよか……」
その後、リインがファイの戦闘データを完全に取れたのを確認し、はやては少し考える。
小狼とヴィータ、黒鋼とシグナムのどちらを先にするか。
少しばかり申し訳ない話ではあるが、ファイ程は気になるというわけではない。
ここは本人達の意見を聞くべきか。
はやてはそう思ったが……すると、その矢先だった。
「主、次は私達にやらせてもらえませんか?」
「ん、シグナム?」
シグナムが自ら立候補してきた。
素手に彼女はレヴァンティンを起動させており、その柄に手をかけていた。
それを見て、黒鋼も笑みを浮かべる。
「俺からも頼むぜ、隊長さんよ」
「黒鋼さんまで……もしかして二人とも、血が騒いだとか?」
「ええ……そんな所です」
黒鋼とシグナム。
やや好戦的な性格である二人にとって、今の戦いは中々見応えがある物だった。
だからだろうか、自分達もすぐに戦いたいと感じたのだ。
はやて達はそれを見て、苦笑せざるをえない。
こうなった以上、止めるのも野暮というものである。
「ほな、次は黒鋼さんとシグナムさんとでいこか」
「ありがとうございます」
「よし……白まんじゅう、刀だ」
「は~い♪」
黒鋼の言葉を聞き、モコナは口から一振りの長刀を出す。
蒼く輝く刀身を持った、彼の愛刀『蒼氷』……それを鞘から抜き、黒鋼は構えを取った。
シグナムも同様に、レヴァンティンを鞘から引き抜く。
両者共に、いつでも戦闘に突入できる状態に入った。
「日本国最強の剣の使い手……どれ程のものか、楽しみだな」
「そいつはこっちも同じだ。
魔法を使う剣士ってのは、初めてやりあうからよ」
最終更新:2008年05月13日 20:57