月光が等しく地に住む者を優しく照らし出す夜、世間は俗に言うクリスマスイヴ真っ最中である。
恋人と愛を語らい、家族が幸せな団欒を形成する時間に、何故かどちらにも当てはまらずに外で一人佇んでいる少女がいた。
八神はやてという少女は、かすかに吹きすさぶ北風を浴びながら、



(やっぱり、誰もおれへんなあ……)



日のある時分は大勢の子供や家族連れ、それに老人達の幸せな声が響き渡るだろう、公園という名の空間も、月が出てしまえばただ木々の擦れる音のみが支配する静寂の世界へと変わってしまう。



誰もいない事が分かっていて、それでも誰かがいることを心のほんの片隅で期待して、誰かと遊べる事を期待して。
そんな小さな、吹けば消えてしまいそうな願いから、普通の子供は家族と夕食を囲っているだろう時間帯に、年端も行かぬ少女がたった一人で公園にいる理由であった。



ならば昼に来て、子供達と遊べばいいではないか―――彼女の肉体に何もなければ、とっくにそうしていただろう。
彼女は車椅子に座っていた。八神はやては、原因不明の病気によって両足が動かず、小学校にも通えず通院と入院、そして自宅で独り暮らしの繰り返しを繰り返していた。
当然、本来学校で出来るはずの友人は作れず、更に両親もすでにこの世には無く、自然独りぼっちの生活になる。
加えて十にも満たぬ年の少女がそのような状況では酷と言わざるを得ないが、彼女は年齢にあるまじき気丈さで周囲には平気なように振る舞う。




それでも、一人になってしまえば、つい愚痴をこぼしてしまうのは、年齢から考えると仕方の無い事だった。
誰かと一緒にいたい。誰かと友達になりたい。せめて、誰かとおしゃべりをしたい。
八神はやてはその希望を口に出さない。足の病で方々に迷惑をかけているのに、これ以上わがままを言ってどうするのか。そんなことは、できない。してはならない。
そう思っていた。思わざるを、得なかった。




故に、その代償行為か、はたまた何かを求めてか、彼女は一人、公園の闇を行く。
こんな日に、誰もおるはずあれへんのに、と自分の思考で自分を傷つけながら。



「あれ? うんっと……何やろ?」



暗かったから、だろうか。子供一人の体重を支える車輪の音しかしない公園の砂場に、舞台の主役が浴びるスポットライトみたく街頭の光をその身に受けて光る、小さな石のような、もしくは宝石のような丸っこい物体。
それに気付いたのは偶然か、はたまた都合の良い運命の悪戯か。そんな事は毛頭関係無く、はやては近づいてそれを拾い上げる。
おもちゃのようではあるが、それにしては安っぽくはないようにも見える。かといって高級かと言われると、そこまでは行かない気がする。
そんな想像をしながらも、光を受け、真紅の反射を見せるそれをはやては摘まみ、君もおいていかれんたんか? と問いかけた。
せいぜい、子供が遊びに来たときにお気に入りの石を持ち出し、そのまま落としていって忘れていったのだろうと考える。
特に返答は期待していなかったのだが、まるで意識があるかのように石は鈍い輝きをもって答えた。
「なんや、生きてるみたいやなあ、ピカピカ光って」
指に、無機質な物体らしくないほんのりと暖かな感触すら感じ、はやては珍しいものを見たと胸を弾ませる。



「うわ、ほんまにただの石やないみたいや。持ち主においていかれて、こんなとこほったらかしでおったら、寂しないか?」



―――私やったら、寂しいわ。



つい、本音の欠片をこぼしてしまう。
慌てて羞恥に辺りを見回すが、もとより公園にはひとっこ一人おらず、木々のざわめく音や風のなる音、そしてはやてと赤い石のみ。
そういえばそうだったと、ほうと胸を撫で下ろす。
そんなはやてに石は、まるで何かを訴えかけているかのように赤く明滅する。
それが彼女には、何の音も聞こえていないのに慰められているかのように感じられていた。



「もう、心配せんでもええよ。石田先生もおるし、今でも十分幸せやから。……ううっ、ちょっとさむなってきた」



ただでさえ冬で、しかも夜で、そして自分は病人。風邪を引いてはいけないし、そろそろ夜も遅くなってくる事から、帰る事を選択する。
「また石田先生に怒られてまうからな、危ないって」
と、赤い石をポケットに入れ、車椅子を反転させようとして、




「―――っと、ととっ……あれ?」
目の前の茂みから飛び出してきた、少年が一人。青い髪で高校生ぐらいの体躯を包む貧相なコートはよれよれで、所々傷や泥だらけであり、必死の表情を貼り付けていた顔と相俟って、何かからの命からがらの逃亡者を連想させた。
突然の事にはやては驚きに固まることしか出来ず、一方少年は何でこんなところに人が、といった程度の驚きだったが、



「オラァ、何処行きやがったクソガキぃ!」
「くそ、街三つも追いかけさせやがって!」
「落ち着け、所詮子供が一人だ。手分けして探せばどうにかなる!」



更に後ろから聞こえるダミ声などに即座に反応、少年は少女にどうこうする余裕もなくキョロキョロ辺りを見回し、跳躍。
スパイダーマンよろしく近くに生えている木々の枝元―――高さ5メートル程度に一発で着地。そして、枝葉に身を遮らせるようにして隠れた。



「えっと……なに、あれ」



いきなり開催された万国ビックリショー(出演者一名)に、ようやく意識を回復したはやては、まずそう呟く。
次に何を喋るべきか迷ったところで、後のダミ声集団らしき者達三人組が続いて茂みから姿を現した。
あからさまに怪しい大柄の黒スーツに、顔には大小なり傷。おまけに目付きがとても悪く、漫画やドラマでしか見たことの無いはやてであっても、一発でその手の人と直感できた。
即ち、ヤクザor借金取り。
(あんな人、ほんまにおるんやなあ)
思わず現状を肯定できず心中で呟くと、
「おい、そこのガキ!」
「えっ! ……あの、私のこと、ですか?」
「他に誰がおるねん、ええ!」
「ご、ごめんなさい!」



「まあええ、さっきこっちに、青い髪の貧相な顔の貧相なガキが逃げてけえへんかったか!?」
「隠すとためにならんぞ!」



一昔前のドラマのチンピラのようなだったが、年若いはやてには中々刺激が強かった。言葉を途切れ途切れにしながらも、相手を怒らせないようにすばやく返答する。



「あ、あの、私の前の茂み、さっきおじさんらが来た方向から、ピューンって逃げました」
「ちっ、まだ逃げてやがるのか!追うぞ!」



子供の親切に礼も言わず、車椅子の側を駆け抜けていく男達。そのダミ声と足音が聞こえなくなってから、ようやくはやては胸を撫で下ろす。
「はあ、ほんま驚いたわ。けど、さっきの人は何したんやろ?」
見つけたら全身の部品を細切れにして輸出してやるいわれとったけど、と首を傾げる。子供には分からない世界に浸していた思考は、先ほど少年が隠れた辺りの木々からの声で断ち切られた。



「……あの、そこの方、ありがとうございます」
「え? ……ああ、気にせんでええよ。もう降りてきて、大丈夫ちゃうの?」
「そうですね、では失礼します」
と、約五メートルの高さを一発で跳躍した少年は、やはり何の躊躇いもつかえもなく、一気に飛び降りて着地した。
確かにさっきの男の言うように貧相ではあったが、格好はともかく顔はそう貧相ではないのではないか、と第一印象。まあ、幸の薄そうではあるが。
「ありがとうございます、おかげで助かりました。けど、どうして嘘をついてまで?」
「ええとな、あまりにビックリしてもうたから、つい。せやけど、嘘はついてないで」
「え、どうしてですか?」
「私はおじさんが来た方向から逃げた言うたけど、後ろに逃げたとは言うてないし、ピューンって上に逃げたのはほんまやし」



少しの、沈黙。やがて、その意味に気付き、



「ああ、なるほど」
「けど凄いなあ、あんな高いところへひとっとびやなんて。まるでスーパーマンか何かみたいや」
はやてが素直に賞賛の瞳を向けると、少年の顔に何故陰が射し、
「ええ……怖いお兄さんがたに追いかけられる生活を十年以上も続けてたら、自然と身に付きますから」
僕ってそんないいもんじゃありませんから、大体全身拘束抜けとか密室からの脱出方法なんて知ってて何の役に立つんですかと、どすの利いた小声で呟き出すハヤテに、少女は着ぐるみネズミの中の人の、裏の哀愁じみた顔を見た気がした。見たことはないが。
ともかくこの話は危険と判断し、はやては、そうだ、話題を変えよう! とばかりに違う話を持ち出す。



「そ、そういえば、お兄さんの名前は何て言うの? ここで会ったのも何かの縁やし、教えて欲しいな」
少女のハヤテに対する警戒心はとうに無くなっていた。もとから第一印象が「怖い人に追いかけられていたかわいそうな変な人」だったので、殆んど無かったとも言えるが。
「僕ですか? 綾崎ハヤテと言います」
少女に視線を合わせるため、そして疲れた身体を休めるため、ハヤテは近くのベンチに腰を下ろす。ようやく肩の荷が降りたかのように、大きくため息をついた。
「ハヤテ……さん? 奇遇やねえ、私もはやてって名前なんよ。八神はやてって言います」
「そうなんですか、確かに奇遇ですねえ」
まさか名前の由来―――借金取りからはやてのごとく逃げられるように名付けられたってとこまで一緒じゃないでしょう、とはハヤテは尋ねられなかった。そんな両親は自分だけで十分である。



「ところで、なんであんな怖い人に追いかけられてたん? なんか借金がどうのこうの言われてたけど」
「いやあ、クリスマスイヴに両親が一億五千万ほど借金を作りまして、返せなくなったからって僕をあの人達に売ったんですよ。流石に永遠に海の上の生活とか、突発的対自動車衝突後金銭要求職人とか、人体分解輸出は嫌なので、逃げてきました」
本当にどんな神経してるんでしょうねあの親は、はははと笑う少年ではあったが、はやてはどん引きして、いや、そこ多分笑って終わらせたらあかんと思うんやけど! と心中で突っ込むしかなかった。



「けど、もうさっきの人を撒いたから、安心できるんやないですか?」
「ええ。けど、家も仕事もお金も無くなってしまいましたから、まずはどれかを見つけないと」
「えっと……当てはあるんですか?」
「とりあえず、風雨の凌げる場所なら何でも良いですね。
 そういえば、逃げてくる途中でいい廃ビルを見つけましたから、そこ……で……」



話はそこまでだった。ハヤテは急速に自分の足元が崩れ落ちる錯覚に襲われた。
膝が地につく。身体が落ちるのが止められない。視界を黒のカーテンが遮り、意識が何か白いものに食い荒らされていく。
無理もない事だった。ハヤテ自身は気が張っていて先程まで気付いていなかったが、両親の浪費癖と傍若無人、そして自分の生活の確保と言う責任を双肩に何年も背負い、
その上今日一日は肉体労働のバイク便のアルバイト→未成年である事がバレてクビ→追い討ちで両親が自分を売った借金取りからの休む間もない逃亡という行動に、肉体も精神も悲鳴もあげていた。
その結果、美少女と会話する暇があるのなら、さっさと休めと身体と心がラインダンスを踊りながらストライキを決行。結果、ハヤテは意識を失い、無防備に地面に倒れ伏す。



「わーっ、どないしたんや! 大丈夫……やなさそうや!
 落ち着いて、こう言う時はなんかで聞いた……メディック、メディーック!
 ってちゃうわ! 石田先生呼ぼう!」




二人の一連の様子を、遠目で観察している者がいた。
茂みに隠されていて姿は見えないが、その者の目は確実に一点を見つめていた。慌てて携帯を取り出して操作し始める、少女のポケット。否、その中の赤い宝石―――レイジングハートを。
(見つけた……)
その影が起こした感情は、安堵。
自分の国からこの世界に来た際うっかり無くしてしまい、魔力反応を頼りに探していた。それが無いと『目的』の達成が非常に困難になるところであったが、幸いにも『目的』ごと確認に成功できた。



即ち、彼女―――八神はやてこそが、その者の目的の協力者(予定)にして、魔法の杖『レイジングハート』の適合者となるべき者なのだ。
あとは、どうやって説得すればいいものか。それを考えながら、影は静かに姿を消した。
痕跡も何も、残さぬまま。




一方、その出歯亀とは全く別に、もう一人の観察者が別の茂みに隠れていた。尤も、こちらは観察者ではなく、どちらかと言えば目撃者であったのだが。
こちらの感情はといえば、憤慨と義務感であった。前の観察者とは違い、こっちは二人の台詞や行動に注目していた。
一億五千万の借金を背負わされ、親に捨てられた少年が夜、誰もいない公園にて幼女と出逢い、そして今車に乗ってきた妙齢の美人女性―――恐らくは先程幼女が使っていた携帯で呼ばれた女性によって、幼女ともども車に連れ込まれる。
「いかん……いかん、な」
これは非常に憂慮すべき事だ。モラルの崩壊、現代社会の闇がまさに目の前に現れている。
人間は何十年経っても進歩はしないらしい。これがゆとり教育の弊害と言うものか!



例えばあの男のように、一人の家無し少女を手込めにしてからと言うものの、次々と現れる女性を我が物にし、ひとつの家でハーレムを築きあげるロクデナシのロリコンペドフィリア・オポチュニスト(学名)になるかもしれない。
あるいは夜な夜な怪しげな飲食店で店員を勤めながら、そこのバイ店主や筋肉オカマに愛を囁かれるようなアブノーマルな男になるかもしれない。
どちらにせよ、彼は現代社会の被害者なのだ。大人たる自分が、導いてやらねばならない。
他の人間が聞いたら頭に膿が湧いているのかと呆れるか、それとも某新聞のように事実を歪曲するなと怒り出すかという考えを頭に思い浮かべながら、目撃者―――男は首のネクタイをキュッと締め直す。
大体こちらは見知らぬ時代に飛ばされて四苦八苦しているというのに、あの少年は家無き子ながらいきなり寝床を確保しそうな勢いである。
ようするにちょっとした嫉妬も混じっていた。男の嫉妬は最低である。



「……ふむ」



男は何かを思い付いた、むしろ思い出したかのようにニヤリと笑うと。
目にも止まらぬ早さで、後方に腕を振るう。



「くうんっ!?」



こっそりと近づいていた殺気だった野犬をボールペンの投擲で威嚇し、鼻歌を歌いながらその場を去る。
野犬が縄張りを荒らす者がいたから近づいてきたとか、鳴き声が犬の場所とは違っていたとか、その鳴き声がむしろ狐みたいであったという事は、男には一切関係なかった。
その顔は、いいアイデアを思い付いた顔。巻き込まれる者の事を考えない、一方的なアイデア。



元敏腕企業戦士にして、現在はただのホームレス。
広田(高屋敷)寛は、再びいい感じでネジが緩んでいた。





そして、目が覚めた。
「あ、おはようさん。大丈夫なん?」
「えっと……ここは?」
昨晩とは全く違う、まるで病院着のような姿で、ハヤテは自分がどこかのベッドで眠っていたと理解した。
だが、ここは何処だ? と困惑する問いの答は、今さっき声をかけてきた者が返す。
「ここは海鳴の病院や。あの時急に倒れたから、知り合いのお医者さんに頼んで運んで来てもろたんや。さ、石田先生呼ばなね」
「びょう……いん……?」
一瞬ハヤテはぼおっとした頭のまま、某K1ファイターのように「お前は何を言っているんだ」と考えたが、すぐに何やら事態が急転している事を理解し、頭を必死に回転させる。
某一休の思考効果音が三つほど脳裏で流れ、彼はすぐさま行動を起こす。
この行動力の素早さこそが、今まで親無しで生き延び、金を稼ぎ、借金取りから何度も逃げ切り、学校にすら通えた原動力である。
ついさっきまでぶっ倒れて気絶していたのが信じられない行動のスピードに、車椅子に乗っていたはやては必死で身を起こし、しがみつくのがやっとであった。
「ちょっと待って、何処行く気なん!? いきなり立ち上がって!」
「逃げるんです」
「何でっ!?」
「保険証もお金も持ってないのに、病院の世話になんかなれませんよ!」
「そやけど、さっきまで倒れてたのにいきなり動いたら危ないですよ!」
「大丈夫です! 身体の丈夫さはインパルスガンダムぐらい自身がありますから!」
「それは微妙に不安やっ! せめてアカツキにしとき!」



どちらも結局不安な、引く事の無い押し問答―――まさかベッド上に立ち上がる自分の足にしがみつく幼女を容赦なく蹴り飛ばして逃げるわけにはいかない―――を繰り広げていると、おもむろにノックも無しに病室の扉が開かれた。
「話は聞かせてもらったわ―――」
「な、なんだってー!?」
「…………」
言葉を遮られるような突然の返答に、新たなる客はどう答えればいいのか分からずに口をパクパクさせ、
ハヤテはハヤテで思わずお約束の形で突っ込んだものの、まさか沈黙と硬直が返ってくるとは思わなかったので、今では無視して窓から飛び降りたほうがよかったかなと反省している。
はやての方はその客にして自分の主治医である真面目そうな石田医師が、まさかそんなネタじみた事を行うとは思いもよらず、呆然とするしかなかった。
名誉の為に弁護するとすれば、彼女ははやてが呼ぶより早く病室前を通り過ぎようとしたところ、偶然物音と揉める声を聞きつけ、たまらず部屋に突入しただけだった。決して狙ったわけでは無い。



その沈黙の三すくみは、近くを通ったとあるちっちゃな銀髪少女医師の、「皆さん、何をしているんですか?」という声がかかる約十分ぐらいまで継続していたという。





どうして、こうなってしまったのだろう?
彼女の考えることは、ずっと同じ場所で巡り続けていた。一つの事しか、考えられなくなっていた。
どうして、戻れなくなってしまったのだろう? どうして、お兄ちゃんを感じ取れないんだろう?
どうして―――世界を移動できなくなってしまったのだろう?



頭が狂っている、と思うかもしれないが、彼女の言う『世界』とは、本来の言葉の意味の世界とは違う。
小さな子供が自分の住む場所が一つの世界、それ以外は他の世界だと思っている事が時たまあるように、彼女もまた、自分の行ける場所がそれぞれの別々の世界だと思っていた。
本来はひと繋がりの世界である、様々な場所。ネオン輝くビル群、巨大な軍基地、狼の眠る草原。彼女は想えば、一つの世界の中ならどこにだって行ける。
ただ時々、そうほんの時々ではあるが、全世界がコンピュータに統率された世界や、剣と魔法のファンタジー世界など、本当に世界の壁を越えてしまうことも、たまにある。
そんな時でも、彼女は『兄』の存在を感じとり、元の世界へと帰還する事は可能だ―――壁を越えた事にも気付かず。



だと、言うのに。今はそれが出来なくなっている。
彼女は気付いてはいないが、兆候はあった。どこかの世界で不思議な石を―――虹色のような白のような光る石を、この世界に飛んできた直後に拾った。
小さな女の子のようにそれをキレイだと考え、拾った。しかし、手に掴んだ筈の石は、まるで雲か霞を掴んでいたかのように、いつの間にか跡形もなく消え去っていた。
兄を感じ取れなくなったのは、その直後。彼女が気付いたのは、その後しばらく経ってから「ここは兄のいる場所ではない」と考えた時。



困った。彼女はまず困る事を選択した。
闇雲に歩き回ってもどうしたらいいか分からないし、泣いても喚いてもどうにもならない事ぐらいは、彼女にだって分かる。
そもそも、うっかり「泣いたり喚いたり」してしまうと、色々危ないという事もおぼろげながら理解していた。
だから、困っておく。そして、考えることにシフトする。



「あっ……」



すると、気付く事がある。いや、思い出したというべきか。



そもそも自分の姿は、意識すれば誰にも見えなくなってしまうではないか。
以前にお話した『誰か』の言葉によると、自分は姿も見えず、『レーダーもセンサーも反応しない』のだとか。
見られようと思わないのであれば誰にも見つからないのなら、心配事は無かった。
近くにあるベンチに座り込み、青いワンピースに包まれた未成熟な身体を横にして、



「くぅ……すぅ……」



水坂憐は、いつも狼の住む草原でそうしているように、少し疲れた身体と心を昼寝で休ませる事にした。
寝心地は決していいとは言えないが、ついうとうとする心地よさに負け、ついには眠りについた。



目が覚めたら、次の事を考えようと決めて。

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最終更新:2008年05月16日 21:36