魔法少女リリカルなのはStrikerS――legend of EDF――"mission9『英霊の帰還』"

――新暦七十五年 五月十三日 〇時九分 星舟内部――

 目を覚ますと、クロノは金属製のベッドに横たわっていた。
そこはベッド以外は何もない、四方を銀色の壁に包まれた部屋だった。
窓や扉はおろか通気口すら見当たらず、ライトもないのになぜか部屋の中は明るかった。
どこかで機械が動いているのか、微かにゴゥンゴゥンという音も聞こえてくる。

(ここはいったい。確か、僕は……)
 クロノは、自分が何者なのか、自分がなぜこんなところにいるのを思い出そうとした。
クロノはすぐに思い出した。名前も、職業も、家族の顔も。
そして、自分の受けた苦しみ、その果てに待ちうけていた己の最後の瞬間を。
体中の血液が沸騰し、脳髄を蒸し焼きにされていく激痛。
四肢をもがれ、生きたまま肉と骨を炭に変えられていく絶望。
体が、心が、魂が、自分を構成する全てのモノが四散していく圧倒的恐怖。
一秒にも満たない刹那に感じた全ての苦痛を、クロノは鮮明に思い出すことが出来た。

 そうだ、自分はあのとき死んだはずなのだ。
自分の船や仲間と共に、惨めに、無様に、呆気なく。
なのに何故、自分はここでこうして生きている?
死んだというのは勘違いで、本当は転送か何かで助かっていたのか?
クロノは体を起こし、冷たい床に足をつけるとよろめきながらも壁に近付いた。
銀色の壁はほとんどが歪んでいるが、場所によっては歪みが少なく、鏡のようにこちらの姿を写し出す所もある。
そこに写っているのは、トランクスのみを身につけた黒髪の青年。
火傷一つ、擦り傷一つ見当たらない。ボンヤリしていた頭も次第にさえてきた。

「おーい、誰か、誰かいないのか!」
 クロノは壁を拳で叩き始めた。
誰でもいいから人を呼びたかった。状況を確認するために。
だが、どれだけ叩いて声を上げても、何の反応もないし、誰かがやって来る気配もない。
得体の知れない恐怖を感じていたクロノ。そのとき、彼はあることに気がついた。
己の胸にそっと手を当てる。
右、左、真ん中。首筋や手首にも手を当て、そのことを悟ったクロノは驚きのあまりに目を見開いた。

 普通、怖いときや不安なときは、心臓が早鐘のようにバクバク脈打つものだ。
なのに、今の彼はどこに手を当てても鼓動はおろか、脈拍すら感じることはなかった。
つまり、心臓が全く動いていないのだ。
やっぱり自分は死んでいる? それとも、知らない間に人ではない何かに作りかえられたのか?
だとしたら一体誰が? 何の為に? そいつは僕を閉じ込めてどうするつもりだ?
疑問が湯水のように沸き続け、クロノは唾をごくりと飲み込んだ。額を流れる冷たい汗。

 その時、視界の端に何やら幾何学的な文字列が浮かび上がった。
目を閉じたり色々なところを見回したりして、それが目の中、あるいは脳内に直接投影されていることがわかった。
その文字の読み方をクロノは知らない。
なのにクロノは、その文字がどんな意味なのかを瞬時に理解することが出来た。

『エラー 一号機のメモリー内に残留思念の存在を確認 身体再生時に誤って復活したものと思われる
 即座に残留思念を消去し 一号機の再起動を行う』

 残留思念の初期化? 初期化って……まさか!?
クロノがそれに気付いた瞬間、頭の中に激痛が走り、彼はたまらず頭を抱えて床に転がった。
とてつもない痛み。まるで頭に杭を打ちこまれ、そのまま脳をぐちゃぐちゃに掻き回されているようだ。
それだけではない。
痛みが激しくなるにつれ、クロノの中から様々なものが消えていく。
最初は名前。そして、クロノが今まで歩んだ人生が、徐々に徐々に消えていき、思い出せなくなっていく。
自分に関する全てが消えると、今度は家族や仲間の顔。
生きながらにして魂を食われていく七転八倒の苦しみに、クロノは頭を滅茶苦茶に掻き毟り、何度も床に頭を打ち付け、必死になって抵抗する。
だが、どれだけ涙を流しても、懇願しても、悲鳴を上げても無駄だ。
無情な神は一片の慈悲もなく、ただ、彼の消滅のみを願っている。
がくがくと震え続ける体。止めたくても止まらない。
心の底からこみ上げてくるのは、自分が消えていくというこの上なき恐怖感と絶望感。

「いやだぁ……きえたく……ないよぉ……たすけでぇ……かぁ……さ……あ……」
 涙や涎をだらだらと垂れ流し、もう顔も思い出せない母親に必死に救いを求めて手を伸ばす。
そのうち母親というのがどんな物かもわからなくなり、拳がグッと握られたのを最後に、
一度は現世に舞い戻ったクロノ・ハラオウンの全てが、再び底無しの闇に呑まれ、消え去った。

 どれくらいの時間が経っただろう。
倒れたまま動かなかったクロノの指がぴくりと微かに動いた。
同じに、開きっぱなしになっていた彼の目にあの文字列が浮かび上がる。

『消去完了 再発の可能性無し 一号機再起動』

 そして、何事もなかったようにクロノの体が起きあがった。
緩慢な動作で立ち上がると、クロノは顔に張りついた体液を手で拭う。
拭い終わった彼の顔には、もう苦痛の色は見て取れない。
いや、苦痛だけではなく、喜怒哀楽、人間らしい感情を全て捨て去ったような、蝋人形と見紛うほど無表情がそこにはあった。
そして、クロノはもう何の疑問も持っていなかった。
自分が何処にいて、どうなったのかも考えていなかった。

 考える必要などはない。
彼は兵器。人間と魔法の研究の一環として『レリック』と高ランク魔導師の細胞を使って『彼女』が作り出した人型の魔導兵器だ。
クロノが知るべきものは『彼女』から送信される情報と命令。
クロノが考えるべき事は、どうやって『彼女』の命令を遂行するか。
ただそれだけだ。それ以外はなにも必要はない。

『データ再送信開始』
 彼の視界に、またもや例の文字列が浮かびあがり、圧倒的な量のデータが脳に直接送信されて行く。
その超高密度の情報量は人間の脳の許容範囲を遥かに上回るものだったが、
スパコン並の容量を持つ彼のメモリーは容易く情報を受けとっていく。

『ミッドチルダ』『時空管理局』『魔導師』『ミッド式』『ベルカ式』etc……etc……

その中にはもちろんクロノ・ハラオウンに関するデータも入っていた。
だけどクロノは、それらを見ても眉一つ動かすことはない。
なぜなら今のクロノは姿形は『クロノ』であって中身は『クロノ』ではない。
紛れ込んでいた残留思念も『彼女』が欠片も残さず消し去った。
家族の顔も、仲間の記録も、今の彼にとっては『思い出』ではなくただの『情報』に過ぎない。

『デバイス『デュランダルG』を起動せよ』

 床の一部が開き、そこから伸びたアームがクロノに金属製のカードを差し出した。
カードは掌より少し大きく、色は夜闇のようにどす黒い。
中心部分には紫色の宝石が埋め込まれていて、その周りにはまるで四葉のクローバーを鋭角化したような模様が刻まれていた。
クロノは『彼女』からの命令に従い、静かにデバイスを掲げた。

「……セットアップ」
 宝石が紫色に光輝き、模様にそって光の線が走った。
カードが心臓のように脈打ちはじめ、徐々に熱を帯びていく。
不気味な光はますます輝きを増し、彼の体を完全に包み込んだ。
光が消滅した。
そこにいたのは漆黒のBJを纏い、先端部が黒龍の鉤爪のように尖った杖を持ったクロノの姿。

『マスター登録完了。おはようございます閣下、私が貴方のデバイスです。これからはいつでもご命令を』
 デバイスから発せられたのは機械的なエコーのかかった男の声。
クロノの口元がキュッと吊りあがる。
彼が初めて見せた表情。それは、この世の物とは思えないほどの邪悪な微笑。

 これでいい。『彼女』の傷も癒え、残留思念という予想外の事態があったが、自分もデバイスも無事目覚めた。
あとはもう一、二回戦闘データを収集した後、次元世界に散らばったコマ達を、しかるべき時にしかるべき場所で起動させるだけだ。
もう誰にも我等を止められない。
我等は宇宙の殲滅者。
我等の使命はただ一つ。宇宙に蔓延る知的生命体を、欠けらも残さず絶滅させること。
害獣達よ。怯え、震え、逃げ惑え、恐怖に捲かれて死ぬがよい。
貴様等は、一匹残らず『彼女』と我等に駆逐される運命にあるのだ。


『星舟』活動再開まで後――4日――


To be Continued. "mission10『セカンドアラート』"


タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2008年07月03日 12:52