孤独は湿度のない乾いた空気であり、冷たい風のようなものだ。
乾いた空気は喉を痛めつける。
冷たい風は体を冷やす。
乾いて、傷ついた喉は水を求めて熱を発し。
冷えた体は熱を求めて、震え出す。
最初は辛い。
寒さに震え、痛みにもがくだろう。
しかし、何時しか慣れる。
冷え切った体と声すら出せない喉を残して。
――岩陰で朽ちて死んだ男の口癖より
【UnrimitedEndLine】
外伝 『Biscuit・Shooter/5』
その日、足音が聴こえた。
古代遺失物管理部【機動六課】
地上部隊に置かれておきながらも、その所属は本局に属しているという異例な部隊。
所属している魔導師は最低でもBランク以上。
五名存在する隊長陣に至ってはAAA以上、リミッター保持でもAAクラスという常識外れの部隊。
その存在を知った地上部隊の人間はこう囁く。
――海から送り込まれた地上への牽制だと。
――金と権力を持て余した馬鹿が作ったお飾り部隊だと。
――海と地上の戦力差を見せ付けるためだと。
そう囁かれる。
好意的な意見もあれば、悪い噂もある。どんなものにもマイナスな面があるように、妬む者も居れば憎む者もいる。
稀に出てくる才能ある魔導師はその待遇の良さ故に本局――『海』へと渡り、地上所属――陸は限りある戦力で任されている次元世界を保護する。
年々監視規模を増やす次元世界の調査や対処に海は人手不足を嘆き、陸は少ない戦力で嘆きながらも見捨てられない人々のために力を尽くす。
海は扱っている規模故に一つ次元の世界で戦う地上を軽んじて、地上は戦力を引き抜いていき防げるかもしれない事件への対処を遅らせる海を憎悪していた。
人は全て善人なわけがない。
治安を護ることを理念とする管理局に所属していても、全ての人間が清らかな面を持っているわけじゃない。
次元世界を管理するなどと謳っても、そこに所属し、そこで働くのはヒトだ。
もちろん次元世界には様々な生命体がいる。
様々な獣人、知能を持った獣、限りない情報から生まれた情報構成体、発展した文明から産み出された電子生命体、鋼鉄の血肉と配線と電子部品の頭脳を持った機械生命体
その他にも沢山の存在が居る。
けれど、決して完全なる善性を持った存在などいなかった。
失敗を起こさぬものが居ないように、悪が産まれない世界などどの次元にもなかった。
穏やかな性格の獣人たちが住む惑星があった。
けれど、そんな彼らでも誤解から喧嘩になることもある。
暴力を嫌う故に起こるのは小さな子供のような喧嘩だったが、それでも争いというものは産まれる。
ある研究者は言った。
「もし本当の意味であらゆる次元を作った創造主がいるのであれば、それはおそらくヒトなのだろうね」
ヒト。
それは不完全な存在を指し示す言葉だと、研究者は告げた。
不思議なことにどんな世界にも同じように伝わる神話がある。
神は土よりヒトを創り、己の分身とした。
己の手足である天使とは違う、己と同じ存在を産み出したのだ。
神話にはそう語られている。
だからこそ、ヒトは不完全なのだと研究者は言った。
創造主が完璧な存在ならば、生み出されたものも完璧になるはずだと。
完璧な存在が悪などという不具合を産み出すはずはないと。
その研究者はそう告げると、静かに笑った。
「だからこそ、可能性というものもあるのだがね」
不完全な存在だからこそ、完璧なものはない。
完璧ではないからこそ、可能性がある。
可能性があるからこそ、不完全。
不完全だからこそ、心がある。
心というのは不完全だからこそ生まれるのだから。
メビウスの輪のように永遠に結論へと辿り付かない疑問、ループし続ける
きっと千年経っても見つからない答えを探しながら。
もがき続けるんだろう。
海と陸は油と水のような関係だ。
決して混じり合えない、反発するだけの存在。
水の中に油を垂らすように、機動六課という存在は地上部隊からどこか浮いている。
もしも混じり合わせたければ、それこそ石鹸水でも使わないといけないだろう。
「まあその場合、石鹸水になるのは親交関係ってとこか」
隊舎の寮。
ヴァイスはハッカの飴を舐めながら、地上本部の連絡員から渡された情報を見ていた。
手には待機状態のストームレイダー。演算処理と簡単な処理ならそのままでも行えるので、問題は無い。
空間に展開するモニターではなく、直接網膜に画像を投影しながら目を走らせる。
【陸士108部隊 部隊長――ゲンヤ ナカジマ】
映し出されているのは二日後、機動六課の面子がホテル・アグスタへの警備任務に向かう際に合同任務を行う部隊の隊長。
スターズのフォワードであるスバル・ナカジマの父親である人物であり、それ以前にヴァイスはこの人物を知っていた。
「あの時のおっさんか」
思い出すのは六年前。
“ティーダが死んだ事件”のこと。
かつてミッドチルダで起きた事件、今よりも遥かに多かったテロ行為。紛争があった時代。
ヴァイスとシグナムとティーダが。
地上本部の部隊全てが一丸となった大規模紛争。
【ミッドチルダ閉鎖事件】
ミッドチルダが7日間に渡り次元閉鎖された悪夢のような一週間。
その中で、直接は見ていないが著しい働きをした部隊の隊長として彼の名前をヴァイスは知っていた。
「古参組……か」
ヴァイスはどこか含みを持った呟きを洩らした。
そこに篭められたのは過去を思い出す感情。
地上本部も六年前と比べて大分状況が変わった。
頻発していたテロを鎮圧していた熟練の局員は退役や本局に引き抜かれて、今地上本部にいるのは碌なテロも知らない新人ばかり。
そんな中でも実戦を知り尽くし、熟練した隊員を揃えているのが陸士108部隊だった。
「純粋に警備だけなら、奴らに任せれば安心だろう」
ヴァイスはファイルを閉じて、証拠隠滅にデータを削除する。
大体必要な情報は頭に叩き込んだ。
主要な人員の顔も覚えたし、後は現場で何も起こらないことを祈るだけだ。
「俺は出ないしな」
そうなのだ。
今回の警備任務の舞台はクラナガンにある高級ホテル。
少々僻地にあるとはいえヘリで向かうわけがなく、陸で活用される移動トレーラーで輸送されることになっている。
ヘリパイロットであるヴァイスは緊急時に備えた交代部隊の輸送要員として、待機が決まっていた。
華やかな人員と優秀極まる魔導師が数を揃えたスターズとライトニング分隊だが、それの予備であり、交代部隊である人員もまた優秀な人員である。
B以上の陸戦魔導師が大半を占めており、その人員は地上本部から出向した隊員による部隊。
人手不足だというのに、なんとか運営に支障がない分の人員や面子を揃えて、差し向けたレジアスの苦労には頭が下がる一方だった。
彼らはレジアスから渡されたストッパーでもあり、同時に地上の地形や事情に疎いスターズやライトニングでは任せられない任務を請け負っている。
何かと癖の多い面子が揃っているが、陸の所属だったシグナムが指揮を取っていることで今のところ問題は起こっていない。
まああまり顔を合わせないこともあって、フォワード四人は交代部隊の人員のことなど殆ど知らないだろうが……
――ピッと不意に音が鳴った。
「ん?」
ベッドの脇に置いておいたストームレイダーが電子音声で内容を伝えた。
『It is Time(時間です)』
「そんな時間か」
パキリと噛んでいたハッカの飴を噛み砕き、ヴァイスは立ち上がると、自室の隅のハンガー掛けに掛けたプライベート用のジャケットを羽織る。
ベットの縁の置いておいた待機状態のストームレイダーをズボンのポケットに入れ、机の上に置かれた小さな鏡で身だしなみを軽く確認しながらタバコの箱をジャケットの内ポケットに放り込む。
事前に申請しておいた外出許可証を手に持ち、ヴァイスはドアを開いて歩き出した。
エンジンが唸りを上げる。
己の手でチェーンナップしたエンジンが、タイヤに効率的にエネルギーを伝えて、低く唸るような咆哮を上げていた。
太陽も翳る夕闇の中、点灯もしてない大型二輪が一直線にクラナガンの路地裏を疾走し、その乗り手であるヴァイスは迷いもせずに狭い路地裏を突破し、転がっている紙切れやゴミなどを吹き飛ばしながら走っていた。
硬質な樹皮の感触がグローブ越しに伝わってくる。
狭い路地裏の曲がり角を、角に差し掛かる数秒前に体を大きく傾けて――曲がる。
アスファルトに傾いた体が擦れそうになりながら、握り締めた手でグリップを回し、加速。
タイヤの溝がアスファルトを噛んで、ギャリギャリと音を立てながら、されどスリップする事なく走る。
そして、直進。
数百キロにも至る鋼鉄のボディを引きずりながら、僅かに浮かんだ前輪を押しあげる様に後輪が回転する。
傾いた体が真っ直ぐに進む道に合わせて体勢を立て直し、バイクが唸り声を上げながら走った。
「んっ」
目的地が見えた。
路地裏を活用し、大きくショートカットした末に通常よりもずっと早く目的の店が見えたヴァイスは速度を落としながら、ブレーキを掛けていく。
目的地の十数メートル前、誰もいないことを確認し、ヴァイスは大きくバイクを振り回しながら後輪を滑らせた。
焦げ臭い臭いを撒き散らしながら、ギャリギャリと引き攣るような音を立ててバイクが止まる。
遠心力を失い、自然に傾くボディを地面に差し出した脚が支えた。
「着いたな」
バイクから居り、駐輪出来る位置にまで手で押すと、キーを抜く。
ヴァイスはフルフェイスのヘルメットを外すと、ヘルメットをハンドルに被せた。
一応チェーンを付けると、彼は静かに顔を見上げた。
そこにあったのは――六年前、一つの信じるものを教えられた場所だった。
カランと静かに音がした。
ドアに付けられた鈴が音を立てる。
「いらっしゃい」
ヴァイスが入ったドアの向こう、外見からは想像付き難いぐらいに大きなバーの中で、マスターがグラスを磨いていた。
八年前、今は死んだ先輩にして同僚の男に連れられてやってきた時から多少老け込んでいるものの、変わらない動きと笑みでこっちを見つめていた。
「おや? ヴァイス君か、一月ぶりだね」
「お久しぶりです」
返事を返しながら、ヴァイスは店内を見渡す。
まだ夕暮れに差し掛かった時刻、夜勤明けもいなければ通常業務が終わる時間でもない店には殆ど客がいなかった。
――奥に座る見覚えのある人物を除いて。
「奥の席は空けてあるよ。存分に話すといい」
「ありがとうございます」
「なに、君は八年以上の付き合いだからね」
店と客という立場の違いあっても、人同士ということには変わりは無いとマスターは付け足した。
静かに飲みたいのなら静かに飲ませ、騒がしく飲みたいのならば騒がしく飲ませる。
望まれるままに品を出し、温かく見守るだけ。
そんなスタイルを保ち続けているから、どこか癖の強い陸の隊員がよく寄り付く場所になっているのだろうなとヴァイスは思う。
「それと注文は?」
「ロックの水割りで」
指二本並べてヴァイスが告げると、マスターは承知したように後ろに並べてある酒瓶を手に取り、準備を始めた。
その間にヴァイスは歩き出す。
奥のテーブル席へと近づいて、挨拶をした。
「えっとお久しぶりです、オーリスさん」
「久しぶりですね」
そこには私服姿に鞄を膝の上に置いたオーリスがカクテルを手に座っていた。
プライベートと仕事では使い分けているのか、前に地上本部では見かけた時よりも若干大きめなメガネを付けていた。
上には
っと、観察はそこまでにしてヴァイスは用件を切り出した。
「連絡員なら、ドゥーエでも来ると思っていたんすけど」
それなりに顔馴染みになっている隠密諜報用の戦闘機人の名を上げる。
「彼女なら博士のところに連絡に向かわせました」
彼女が博士と言って、該当する人物は一人しか居ない。
ジェイル・スカリエッティ。
ヴァイスも良く知る科学者。広域指名手配犯、レジアスとの共犯者。
――“奴ら”を叩き潰すための仲間。
「彼女の擬態能力はとても優秀です。連絡要員としてはこちらとしても欠かせないのですよ」
説明が足りないと思ったのか、オーリスは少しだけ早口で言葉を継ぎ足した。
実際ドゥーエは優秀だ。
顔を変え、体型も、見かけ上ならば性別も変更出来る彼女はどんな立場にも縛られないフリーな存在として動ける。
諜報員としてあれ以上の存在はいないだろうと、ヴァイスは承知していた。
「あ、いや、それは分かりました」
「それならいいのですが」
ほぅっと息を吐くオーリスを見ながら、ヴァイスはオーリスの正面から少し外れた横の位置に座る。
っと、そこでトレイを持ったボーイが二人のテーブルの上に水割りのグラスを置いた。
「どうぞごゆっくり」
礼式めいた言葉を残して、ボーイが立ち去る。
彼が立ち去ったのを確認し、ヴァイスは口を開いた。
「そういえばレジアスの大将は元気ですか?」
話の切り口としてヴァイスがレジアスの名を上げると、オーリスは彼独特の呼び方も含めておかしかったのか少しだけ微笑を浮かべた。
「ええ、元気です。少し仕事をし過ぎだと注意はしても、あまり聞いてくれないところが困ったものですが」
昨日も栄養ドリンクを飲んで、書類を書いてましたと少しだけ呆れたように呟くオーリス。
その言葉に、レジアスが目の下に隈を浮かべて、大量の書類に目を通している姿がヴァイスの目に浮かんでくるようだった。
「あー、それならよかったっす」
まずまずな会話の出だしに、ヴァイスが少しだけ笑みを浮かべた。
彼は別に初心な男というわけでもないのだが、女誑しというほど女になれているわけでもない。
あまり親しくもない女性には多少は気を使うし、そういう場合には普通の対応ぐらいしか出来ない。
「そういえば、あまり話したこともないですね」
「あ、そうっすね」
オーリスが不意に口を開いて、ヴァイスを見つめた。
氷のように冷たい女だと地上本部に所属する心無い人間が囁く怜悧に相応しい、切れ長の瞳が少しだけ和らぐ。
唇を湿らせたカクテルの縁には、口紅の跡。
「折角の機会ですので、礼を言わせていただきます」
「え?」
「貴方のお陰で、中将が――父が救われています」
淡々とした、けれどどこか感情を篭った言葉がヴァイスの耳に届く。
「父は喜んでいます。地上にも正義を理解している人がいるということを」
どこか冷たく、乾いた目に力が篭っていた。
「海は知らない。陸の窮地に、外へと羽ばたく人々の後ろを必死で護っている人間の正義を」
多少の酔いはあるのかもしれない。
けれど、それは本心なのだろう。
「父は孤立しています。海からは危険分子を軽蔑され、陸からは英雄だと尊敬されていますが、誰もその苦悩を知りません」
よく耳に届くレジアスの中傷。
海よりの局員が在籍する機動六課。そこには陸への軽視がある。
「たった100年でいい。ただ平和が欲しいだけなのに」
海には海の事情があるのだろう。
けれど、それは陸も同じだ。
外へ目を向け、次元を救うのはいいことだろう。
誰もが称える栄誉であり、誇らしいことだろう。
けれど、だからといって人々を護る陸が無駄なのか?
否。
そんな偉業よりも、オーリスはただ平和を求めていた。
そのために、父の反対も押し切って、今の職場にいる。
平和の殉教者に仕えていた。
「……と、すみません。礼を言うはずなのに、愚痴をもらしてしまって」
「いや、いいっす。気持ちは、その……よく分かりますから」
普段抑えていたものがお酒で噴出したのだろう。オーリスの目は少しだけ潤んでいた。
ヴァイスは取り繕うように、けれどしっかりと本音が混じった言葉で慰める。
「それで今回の用件なのですが。これをどうぞ」
コホンと調子を整えたオーリスが、持っていたカバンから数枚の書類を手渡す。
そこに書かれていたのは何らかの地図と地上本部の武装隊で使われる用語を多用した作戦書。
ヴァイスはそれを読み、そして次第に怪訝な顔つきを浮かべて――不意に目を厳しく細めた。
地図と作戦書に書かれていた場所の名前に。
「これは、まさか」
「その通りです。博士から依頼ですが」
「ビスケット・シューター。あなたへの狙撃任務です」
痛みがある。
誰もが痛みを抱えている。
生きるということは痛みだ。
苦しみながら悶える日々だ。
だから、これから行うことも平気だ。
痛みは増したところで、痛みなのだから。
覚悟を決めろ。
親しみを持った仲間を撃ち抜けるだけの覚悟を――
最終更新:2008年07月03日 14:11