勝負は互角、いや高町なのはの方が僅かに優勢だったのかもしれない。
新たにカートリッジシステムを組み込まれ、強化されたデバイス、レイジングハート・エクセリオンから放出される数々の誘導弾、圧倒的な砲撃。
贔屓目に見ても、鉄槌の騎士ヴィータは魔法を覚えて一年にも満たない少女に圧されていた。
誘導弾の撃ち合いではなのはの方が遥かに上。
接近戦に持ち込もうとしても砲撃魔法や射撃魔法に阻まれ、ようやく懐に潜り込んだとしても驚異的な硬さの防御魔法が立ち塞がる。
「いい加減落ちやがれ、この野郎!」
早く勝負を決め、結界を破壊しなくては。苛立ち、焦りが思考を単純化させる。
馬鹿正直に正面から切りかかるヴィータ。
だがその猪の如く突進も、変幻自在に空を舞う誘導弾により阻まれる。
「アクセル!」
誘導弾を避ける時に現れた僅かな怯みを見逃す事なく、なのはが攻める。
主の命令に従い、四つの誘導弾が一斉にヴィータへと矛先を向け、加速する。
「盾!」
『Panzerhindernis』
それでもヴィータは引かない。ただ愚直に、目の前の敵へと突進を続ける。
障壁と魔弾とが触れ、直後、爆炎が鉄槌の騎士を包む。
「そんなへなちょこな弾が効くか!今度はコッチの――」
番だ、と言おうとしその表情が固まる。
爆煙の先に見えたのは、桜色に光る魔力の塊。
(ヤバ――)
思考より先に体が動いた。
反射的に高速移動魔法を足元へと発現、同時に体が弾かれるように急加速する。
瞬間、桜色の極光が駆け抜けた。
(惜しい……!)
十八番の砲撃魔法・ディバインバスターの残滓を眺め、高町なのはは悔しげな表情を見せていた。
「この野郎!」
声のした方に振り向くと、ヴィータが安堵と憤怒の入り混じった複雑な表情を見せている。
安堵は回避に成功した事から。憤怒は砲撃を放ったなのはに対してだろう。
「う……ご、ごめんね」
その怒りに臆したのか、なのはは僅かに怯んだような表情を見せる。
どう考えても謝るタイミングでは無いのだが、未だに甘さを捨て切れないなのはであった。
「謝るくらいだったら最初からすんな!」
何処か理不尽さを感じさせる激昂の後、ヴィータが再び突っ込み、手の中の鉄槌を振るう。
それを丁寧に避けるなのは。
同時にレイジングハートをヴィータへと向け――
「何あれ?」
「何だありゃ?」
――『ソレ』に気が付いた。
なのはだけでは無い。
相対しているヴィータも疑問の表情を浮かべている。
二人が気付いた『ソレ』とは、漆黒の空に走る一筋の白線――とある男が魔導師の少年へと振るった、白刃と化した左腕。
だが、この遠距離からはその正体が掴める訳もなく、なのは達はただ眼前に映る不可思議な光景に首を捻る事しか出来なかった。
(フェイトちゃん……ヴァッシュさん……)
戦闘前に感じた不安が段々と大きくなっていく。なのはは心配そうに二人が戦っているはずの空を見つめていた。
□
「ナァァァァァァアイブズ!!」
それは普段の彼からは想像できない咆哮。
手に持った拳銃は、一寸も違わず宙に浮かぶ兄弟を狙っていた。
「お前も変わらないな。久し振りの再開だぞ? 他に言うことはないのか?」
向けられた拳銃にも怯む事なく、小馬鹿にしたような笑みでナイブズはヴァッシュへと話し掛ける。
「何でお前が……此処にいる!」
対するヴァッシュの瞳には、驚愕と憎悪が映っている。
ヴァッシュには理解できなかった。
何故自分の目の前に、この世界にナイブズ――自分の仇敵が居るのか。
何故その微笑みを向けているのか。
考えても考えても答えの出る筈の疑問。
ヴァッシュはただ、認めたくなかっただけなのかもしれない。
全てを捨ててまで選択した平穏な世界に、目の前の男が居る事を。
「お前は誰だ! 守護騎士達の仲間か!」
その時、ヴァッシュの思考を遮るかのように一つの叫びが木霊した。
声の発せられた方向には、見知らぬ襲来者へと困惑げな表情を浮かべる最年少執務管、クロノ。
クロノは自らの正義を貫くべく、自身のデバイスをナイブズへと向けていた。
マズい。
瞬間、ヴァッシュの頭に三文字の言葉がよぎった。
ヴァッシュ自身、クロノの実力は知っている。
なのはやフェイトよりも上の次元にいる、その幼い容姿からは想像もできない程の実力を持った魔導師。
だが、そのクロノでも目の前の男にかなわないであろう事に、ヴァッシュは気付いていた。
何物をも切り裂く変幻自在の刃と化す左腕、そして自分も知り得ない圧倒的な破壊力を有した能力。
考えるまでもない。
殺される。
その思考に行き着いたと同時に全身の肌が粟立つ。
視線の先では、見る者を心の底からゾッとさせる、冷酷な瞳でクロノを睨むナイブズの姿があった。
「ダメだ、クロノ!そいつは――」
ヴァッシュが声を出し切るより一瞬早く、ナイブズは刃に変形した人差し指を振るった。
だが、クロノのいる場所は、ナイブズから十数メートルは離れた空中。
先程のように腕の形状を変えないと届くはずがない距離。
なのに――
「え……?」
信じられない。
クロノの表情がそう語っていた。
彼の体に出現する真紅の一筋――まるで斬撃でも喰らったかの様な傷。
直後その筋を中心に、バリアジャケットがひび割れ、消失する。
同時に支えを無くしたかの様に崩れ落ちるクロノ。
意識が完全に飛んでいるのか、姿勢制御をする素振りすら見せない。バリアジャケットの消失した今、このまま落下すればどうなるのか。
――答えは分かりきっていた。
「クロノぉ!!」
一瞬の思考の時間も取らず、落下を始めたクロノへとヴァッシュが駆け始めた。
そして、僅かな躊躇いすら見せずに柵を乗り越え、その身を虚空へと投げ出す。
ヴァッシュの視線の先には血を撒き散らし地面向けて加速するクロノ。
必死に手を伸ばしクロノの身体を抱きかかえ、同時に右手に握る拳銃を投げつけた。
標的はコンマ五秒前に乗り越えた柵。
寸分も違わず、狙い通りの軌道を描く拳銃。
拳銃が柵にぶつかり、同時に拳銃の持ち手から伸びたワイヤーが柵へと巻き付く。
瞬間、物凄い衝撃が右腕に掛かり、ヴァッシュの身体が自由落下を止めた。
だが自由落下が止まったところで、勢いが止まりきった訳ではなく――ワイヤー
の絡まる柵を軸に、まるで振り子の如くヴァッシュの身体が振られる。
そんなヴァッシュを待ち受けていた物は――ビルの窓。
「のわぁあああ!」
悲痛な叫びを上げながら窓を突き破り、ビルの中へと消えていくヴァッシュ。
クロノが傷付かないよう、その身で庇っているのは流石と言ったところか。
「痛ってえ――ッ!」
数秒後、ビルの中からヴァッシュの叫び声が上がる。
その破天荒な一部始終を見ていたナイブズは、大きな大きなため息をついた。
□
「おい、クロノ!大丈夫か!」
叫びから数秒後、身体に走る痛みを堪えヴァッシュは、腕の中のクロノを揺らした。
クロノの顔には苦悶が浮かんでいて、右肩から斜めに走る傷からは今だに血が流れていた。
(息はある……けど、このままじゃマズい!)
死なせてたまるか。
なのはの仲間を、自分の仲間を、絶対に死なせやしない。
床にクロノを寝かせ、懐から包帯を取り出す。
出来うる限りの応急処置を行うヴァッシュ。
その努力が幸をそうしたのか、何とか血が止まる。
ヴァッシュの顔に安堵が浮かんだ。
「ユーノ!クロノがやられた!治癒を頼む!」
義手に仕込まれた通信装置に言葉を飛ばし、ヴァッシュは立ち上がる。
右手に繋がるワイヤーを引っ張るが、複雑に絡まっているのか、愛銃が戻ってくる事はない。
「くそッ……」
苦々しい呟きの後、クロノを置いてヴァッシュは駆け出す。
目指す場所は屋上。
ナイブズが居た場所。
――あの場には気絶中のフェイトが居る。
早く、一刻も早く向かわなくてはマズい。
『ヴァ、ヴァッシュさん!フェイトちゃんが、フェイトちゃんがヤバいです!』
通信装置を介しエイミィの焦りに満ちた声が響く。
その声が知らせるはフェイトの危険。
悔しげにヴァッシュの顔が歪み――ようやく屋上へとたどり着いた。
「フェイト!」
『収集完了』
屋上への扉を押し開けたヴァッシュの耳に、無機質な音声が届いた。
視界には倒れるフェイト、一冊の古書、フェイトの直ぐ側で佇むナイブズ。
「ナイブズゥゥッ!」
反射的に身体が動いていた。銃がなかろうと関係無い。
奴を止めなくては。
怒りが心を曇らせ――そして選択を誤らせた。
指を動かしただけの予備動作で発現する斬撃。
斬撃は不可視にして音速を越える。
「グッ!」
反射的に身体を捻るが、避けきれない。
苦悶の呻きと共に真紅の外套ごと脇腹に裂傷が走る。
傷自体は浅いが強烈な痛覚が身体を支配し、ほんの一瞬、身体の自由を奪う。
踏みとどまろうととっさに力を込めるが、止まらない。
駆け出したその勢いのままヴァッシュは地面へと倒れ込んだ。
「……お前も変わらないな」
地面に倒れ伏すヴァッシュを見下ろし、ナイブズが呟いた。
心底呆れたような、それでいて冷酷な表情がナイブズの顔には浮かんでいる。
先程まで側を飛んでいた闇の書は姿を消していた。
「前回もそうだ。久し振りの再開だというのに、顔を見合わせるやいなや銃を向けやがって……。兄弟だろう? 俺達は」
ナイブズは、物覚えの悪い児童に語り掛けるかのように問い掛けた。
その言葉に、口調に、ヴァッシュの心中を怒りが蹂躙する。
「レムを殺したお前が何を言っている! お前が……お前があんな事をしなければ! レムは――」
「――黙れ」
ピタリと喉元へと突き付けられ白刃が、それ以上言葉を出す事を阻止する。
ヴァッシュも黙するが、反抗的な瞳は変わる事がない。
沈黙が二人を包む。
「奴も所詮は人間……愚かで矮小な存在だ。全く持って腹が立つ」
その言葉にギリ、とヴァッシュの歯が鳴った。
明確な敵意を、怒りを視線を介しナイブズへと投げつける。
「落ち着けよ……今お前の生殺与奪の権利を握ってるのは俺だぞ?
やろうと思えば瞬きの間に殺せる、お前も――そこのガキも」
今だ気絶中のフェイトを無表情に見やり、ヴァッシュの首筋からフェイトの首筋へと刃状の左腕を移すナイブズ。
ほんの少しでも力を込めれば、刃は頸動脈を貫き大量の血液と共にフェイトの命を奪うだろう。
「やめろ……!やめるんだ……!」
ヴァッシュはただ睨み付ける事しか出来なかった。
ほんの少し動けばフェイトは殺されるだろう、得物の銃も手の中にない。
ただ心の中で願い続ける。
――頼む、殺さないでくれ、と。
静まり返る二人。
どれだけの時間が過ぎただろうか、無表情だったナイブズの表情が変化し、唇が三日月を描いた。
「冗談さ、ヴァッシュ。俺にはこの世界でしなくてはいけない事がある。……まだ殺しはしないさ、コイツ等は」
ナイブズは、そう言い左腕を元に戻すと倒れているシグナムへ歩み寄り、肩に背負った。
危機が去った事に安堵を浮かべるのも束の間、ヴァッシュが立ち上がり声を上げる。
「……お前はこの世界でも人間を殺すのか? この世界の人々はあの世界の人達とは無関係なんだ……みんな、仲良く平和に暮らしている!
もしかしたら、俺達とは違う道を歩くかもしれない! その可能性を潰すのか!」
「……変わらないさ。人間はどんな時代に置いても、どんな世界に置いても、変わらない。現にこの平穏な世界でも殺人や戦争は起こっている。そのどれもが、下らない動機でだ。
この世界で暮らしているのなら気付いているだろう?
……現実を見るんだ、ヴァッシュ。人間は、変わらない。あの世界同様に地球を殺し、俺達のような存在を作り上げる……。それからでは遅いんだよ。この世界の地球はまだ救える。だから――殺す。人間という種は滅ぼさなくてはならない」
一息にナイブズは語る。
狂気に犯されながらも確個たる自身の信念を、ヴァッシュ同様に折れる事のない信念を、語る。
それはナイブズなりの正義であった。
「ナイブズ……」
「……今日のところは此処までだ。……お前が管理局の側につくのなら、また巡り会うだろう。その時は覚悟しておくんだな」
言葉と共に宙に浮かぶナイブズ。
左腕が再び変形し、ナイブズの身の丈を越える程の巨大さになる。
一閃。
十数人の魔導師により形成される結界に一筋の線が入る。
『力』は異常なまでの強固さを誇る結界を、まるでチーズを切るかのように両断、破壊した。
「お前……それは、その力は……?」
想像を遥かに越えた規模の破壊。
魔法でさえも成し得ない破壊にヴァッシュはただ呆然と呟く事しかできない。
「やはり覚えてないか……物覚えの悪い奴だ。まぁいい、またその内思い出させてやるよ。いや、もしかしたら覚醒の方が早いかもな……」
煮えきれない曖昧な返答に困惑げな表情を浮かべるヴァッシュから視線を外し、身を翻すナイブズ。
その動きにつられ、肩に背負われたシグナムの髪が揺れる。
「じゃあな、ヴァッシュ。…………ああ、撃ってもいいんだぞ。その瞬間この場に居る全ての人間を殺すがな」
その一言に、ヴァッシュは動きを止めざるを得なかった。
見せつけられた力。
その思想。
目の前の男ならそれが出来る。
一瞬で、躊躇いすら見せずに全てを刻み落とす。
――何でこんな事になってしまったんだ。
捨てようと思った因縁、忘れようと思った過去。
あの世界から次元を隔てたココなら、日々が緩やかに流れ、争いのないこの世界なら捨てられると思った、忘れられると思った。
だから、あの騎士に向かって引き金を引いた。
世界を守る為、後悔の念と共にそれが最後となる筈の引き金を、引いた。
なのに――
闇へと溶けていく兄弟の姿を、ヴァッシュは見つめる事しかできなかった。
□
「!? 結界が!?」
再び夜空に走った白い直線。
自分の砲撃魔法ですら破壊できない程の強度を持つ筈の結界が、音もなく砕け散った。
驚愕に言葉を失い足を止めるなのは。戦闘という時間に置いてその行動は愚の骨頂。
だがその隙をつく事なく、相対するヴィータもまた足を止めていた。
「あれは……ナイブズか……」
ヴィータの心を埋める物は驚愕ではなく悔しさ。
結界を破壊する際に発生した現象――前回と同じ。またナイブズに助けられたのだ。
(みんな! ナイブズが結界を破壊したわ! 転送を始めるわよ!)
脳内にシャマルの声が響く。
「ヴォルケンリッター鉄槌の騎士、ヴィータ。あんたの名は?」
「なのは……高町なのは」
「高町なぬ……な……えぇい言いにくい!」
「逆ギレ!?」
「ともあれ勝負は預けといてやる。次は殺すからな、絶対だ!」
そう叫びヴィータが後方へと飛び去っていく。
追走しようとなのはも動き出すが、そこで脳内に通信が響いた。
『なのはさん、一旦下がって! 追撃は許可できません!』
その声は管制官のエイミィてばなく、指揮官・リンディのもの。
いや、それよりもなのはリンディの口から出た命令に違和感を感じた。
まだ追い掛けられる、なのに何故?
その疑問に対する答えは直ぐに出た。
『現在二名の魔導師が撃墜しました……。今の戦力で戦闘を行う事は得策ではありません。引いてください』
なのはの表情が、ポカンと力の抜けたものに変化した。
『二人の魔導師が撃墜された』その言葉がなのはの頭の中を飛び回る。
『だ、誰なんですか……その撃墜された二人っていうのは……』
『…………フェイトさんとクロノ執務管よ』
時間が止まった。いや、止まったように感じた。
世界が色彩を無くし、灰色に染まる。つい先程まで脳内を埋め尽くしていたヴィータの事など、何処かに飛んでいった。
「う、そ……」
撃墜?負傷ではなく撃墜?
フェイトちゃんとクロノ君が?ヴァッシュさんも居たのに?
それ程にあの守護騎士は強かったのか?
『なのはさん……とにかく今は撤退して』
様々な疑問が渦巻く中、リンディの冷静な声が響く。
だが、頭に直接響くその言葉すら聞こえず、なのは呆然と空に立ち尽くしていた。
□
数多のビルが建ち並ぶ海鳴市のビル街。
そのビルの一つに五人の人在らざる者が集まっていた。
その中の一人、シャマルが、仰向けに寝かされているシグナムへと手をかざしている。
シャマルの手を中心に淡い光が放出され、シグナムに降り注ぐ。
先の戦闘にてヴァッシュ・ザ・スタンピードに刻まれた両腿及び右腕の銃創を魔法により治癒しているのだ。
「なぁ……シグナムは大丈夫なのかよぉ……」
傍らでを見守るヴィータが声を上げる。
いつもの豪胆な様子と対照的に、その瞳には、ともすれば今にも零れ落ちそうな涙が浮かんでいた。
そんなヴィータの横には、狼形態のザフィーラ、腕を組み目を瞑りながら柵へと寄りかかるナイブズの姿がある。
「……心配しないで、ヴィータちゃん。弾は貫通してるし急所も外れてる。あと少しで完治できるわ……だから、ね、泣かないで」
額に汗を浮かべながらも、ヴィータを安心させるかのようにシャマルが微笑む。
その言葉が真実だと示すかのように、シグナムの傷は塞がり始めていた。
それを見てヴィータの顔にもようやく安堵が浮かぶ。
「な、泣いてなんかねーよ! ただ心配してやってるだけだ!」
気恥ずかしさを隠すようなヴィータのリアクションに苦笑を浮かべ、シャマルは再び治療へと専念する。
ヴィータもそれを邪魔しないよう、後ろに歩みナイブズ同様柵に寄りかかり、空を見上げた。
それきり静寂が場を包む。
街の喧騒だけが五人の鼓膜を叩き続けた。
「…………ここ、は?」
数分後、その静寂は破られた。
その静寂を破ったのは、気絶していた筈の烈火の騎士。
何時の間にか目を覚ましたのか、ボンヤリとした双眸で虚空を眺めていた。
「気が付いたのね! 良かった……」
「シャマル、何がどうなっている…………あの男は、ヴァッシュ・ザ・スタンピードは何処に……?」
状況が掴めていないのだろう。
覇気を感じさせない表情に困惑の色を重ね、シグナムがシャマルへと問う。
彼女の覚えている最後の記憶は、黒い服の少年が青い光に包まれたデバイスを自分に振り下ろす光景。
明らかに今の状況とは結び付かない。
「……ナイブズが助けてくれたのよ」
その疑問に対する答えは短く簡素なものだった。
だがシグナムはその一言で全てを理解する。
またこの男に助けられたのだという事に。
「そうか……済まなかったな、ナイブズ」
申し訳なさそうに呟くシグナム。
その何時になく弱々しい態度に反応したのは、ナイブズではなくヴィータであった。
「…………き、気にする事ねーよ! それに、あれからナイブズが管理局の魔導師二人からリンカーコア奪ったんだぜ! 結果オーライって奴だ!」
シグナムを励ますように笑顔を見せ、重苦しい空気を拭おうと大きな声を上げる。
そんな気遣いに気付いたのか、シャマル、シグナムの顔にも笑顔が浮かんだ。
「そうね、今回の戦いでの戦果は大きいわ。上手くいけばあと一週間もしない内に……」
「――無理だな」
だが、ようやく明るくなりかけた空気を一人の男がぶち壊した。
今まで沈黙を守り通した男は、両目を開き柵に寄りかかるのを止め、シグナム達へと歩を進める。
「……何だよ、それどういう意味だよ!」
いきなり意味の分からない事を告げたナイブズへと、真っ先に突っかかったのはヴィータであった。
その表情は憤りと怒りに歪んでいる。
だがそんなヴィータの激昂にも、ナイブズは眉一つ動かさない。
冷静な瞳をヴィータへと向け、淡々と口を開く。
「言葉通りの意味だが?」
「だから、その『無理』って意味が分かんねーんだよ! 何が無理なのか言えよ!」
ヴィータの言葉に、やれやれ、と首を振り、ナイブズは大きくため息を吐いた。
そして一言。
「ならもっと分かり易く言ってやるよ。お前ら、いや俺達に闇の書の完成は無理だ。確実にな」
瞬間、世界が凍りついたかのようにヴォルケンリッター全員が動きを止めた。
誰もがその言葉に衝撃を受け、口を噤む。
そんな中、一人の少女だけがその言葉に噛みついた。
「…………訳の分かんねー事、言ってんじゃねぇよ……。何で無理なんだよ! 今日だって相当な枚数を稼いだんだぞ! あと少しじゃねぇか! 何でそんな事言うんだよ!」
血を吐くような少女の叫びが屋上に響き渡る。その叫びにシャマルとザフィーラは俯き、シグナムは顔を歪めた。
ヴィータには分からなかった。
何故、他の仲間は反論をしないのか。
何故、こんな事を言ったナイブズに怒りを覚えないのか。
何故、ナイブズが――はやてを助けたいと言った筈の男が、このような事を言うのか。
その容姿同様、精神的な幼さを残す少女はただただ感情に任せ、憤りを喚き散らす。
しかし、それでもナイブズの表情はピクリとも変化しない。ただ、呆れたとでも言いたげに両手を広げる。
「単純な理由だよ、ヴィータ…………ただ単純に力が足りないんだ、俺達には」
「は……?」
「もし、敵が管理局の魔導師だけだったなら勝機はあっただろう。確かにあの魔導師達は驚異的な実力を持っているが、お前達だって引けを取らない。充分に勝機はある」
「な、なら……」
ナイブズが首を振りヴィータの言葉を遮る。
「だが奴がいる……あの男、ヴァッシュ・ザ・スタンピードがな」
ヴィータがハッと、何かに気付いたかのように口を閉じた。そんなヴィータを見てナイブズは一つ頷く。
「……そう奴が問題だ。直接戦ったお前やシグナムなら奴の実力が分かる筈だ。奴は強い――恐らくお前達の中の誰よりも。あいつが管理局側につく限り、俺達に勝ち目などない」
ナイブズは断言する。
自らが今どれだけの窮地に立っているのかを。
目標の達成がどれ程遠くに位置しているのかを。
「でも……こ、今回は負けたけど…………次……次は勝つかもしれねーだろ!」
「……今までお前達が管理局と戦闘を行ったのは二回。そのどれも、俺が居なかったら捕まっていたんだぞ?なのに、何故次は勝てるなどと言える?
シグナムに聞いてみろ。次に戦闘したとしてあの男に勝てるのか、と。答えは分かりきっているがな」
騎士にとって侮辱とさえ取れる、敗北を意味する言葉。
だがその言葉にもシグナムは怒りを表に出す事をしない。
悔しげに顔を歪めたまま、虚空を睨んでいる。
シグナムは気付いていた。
自分の実力ではヴァッシュ・ザ・スタンピードに適わないであろう事を。
――最後の一騎打ちの際、自分は本気で奴へと突っ込んだ。
自分の成し得る最速の、最強の、最高の一撃。
だが自分は、敗北した。
奴の攻撃を知覚する事すら出来ずに。
時間の経った今でも、奴がどのような動きをしたのか分からない。ただ、気が付いた時には手足を撃ち貫かれていた。
強い。
強すぎる。
魔導師すら凌駕する反応速度。
卓越した身のこなし。
知覚不能の早撃ち。
針に糸を通すかのような精密射撃。
今まで戦ってきた銃使いとは何もかもが違う。考えうる限り最高のガンマン。
それが奴――ヴァッシュ・ザ・スタンピードであった。
どう戦ったとしても自分の勝てる姿が浮かばない。
シュツルム・ファルケンですら拳銃で叩き落としてしまうのでないか?
そんな馬鹿げた考えすら頭に浮かぶ。
(いや、待てよ)
ふと、その時ある人物がシグナムの脳裏に閃いた。
それはヴァッシュにも勝つ事ができるであろう人物。
それは――
「――ナイブズ、お前の能力でもあの男には勝てないのか?」
寝転がった姿勢のままシグナムが疑問の言葉を飛ばした。
その疑問に皆がハッとしたように顔を上げる。
「そうだよ、ナイブズ! お前の『えんじぇるあーむ』ってのなら、奴の事倒せるだろ!」
――ナイブズが持つ能力の絶大な威力は、守護騎士の誰もが知っていた。
不可思議な光球から生み出される斬撃。
それは魔法生物の堅牢な外殻は勿論、防御障壁や結界すら斬り裂く、異常なまでの力を持つ能力。
ナイブズはその能力の名を『エンジェルアーム』と言った。
シグナムのファルケンやヴィータのギカントと同格、下手したらそれ以上の力を何時でも発動可能なナイブズ。
そのナイブズなら勝てるのでは――
守護騎士達の目に希望が映る。だがナイブズは、その希望を絶つかのように首を左右に振った。
「……確かに奴が銃だけで戦いに望むのならば俺にも勝利が見えてくるかもしれない。……だが、無理だ」
「な、何でだよ……」
「……奴も俺と同じ能力を持っているからだ……しかも俺以上の威力を有した力をな」
そしてナイブズは語りだす。
ヴァッシュが自分と同じ世界の住人で、自分以上の力を秘めた『エンジェルアーム』を持つ事。
ヴァッシュの危険性――一度その力を使い、一つの都市を丸々吹き飛ばし事。
そして、自分がヴァッシュのエンジェルアームによりこの世界に飛ばされた事。
全てを語った。
数分にも及ぶ長い長い語りの後、口を開く者は誰もいなかった。
この時、守護騎士達の胸に宿っていたものは絶望。
都市一つを吹き飛ばす馬鹿げた『力』。
その『力』を使用していないヴァッシュにも、歯が立たない自分達。
悔しさを通り越して情けなくなってくる。
「……どうすりゃ良いんだよ! そんな化け物と戦ったって、勝てる訳ねーじゃんか!」
「…………ヴィータちゃん」
「ナイブズ……なにか勝つ方法はないのか?」
暗い影をその表情に浮かべながら、シグナムが呟く。
その問いの答えは――
「……ない訳ではない」
「え?」
――シグナムの予想とは違っていた物だった。
「なに……?」
「…………奴がエンジェルアームを使用しないという条件つきだけどな」
「何だよそれ! 最初に言えよ!」
「多分お前らは、この手段を肯定しない……それでも聞くか?」
「当たり前だ!」
憤慨するヴィータを見つめ、呆れたように、それでいて何処か嬉しそうにナイブズは微笑む。
「分かった、話すさ……。だが、この行動を取るかどうかは、お前らの自由だ。強制をするつもりはない」
大きく息を吸い込み、一息に『ヴァッシュに勝つ方法』を語るナイブズ。
その内容とは、
「――殺す気で戦うんだ」
その一言が再び場を凍り付かせた。
「な、何を……」
ヴィータの困惑の声も無視しナイブズは続ける。
「お前達のデバイスに仕組まれている非殺傷設定とやらを解除して、全力で、奴等を殺す気で戦え。そうすれば勝機が見えてくる」
そのナイブズの話を聞く守護騎士達は、真摯から驚愕、憤怒へとその表情を変えていく。
そして話を聞き終えると同時に――
「ふざけんな! そんな事できる訳、ねーだろ!!」
――ヴィータの怒号が響き渡った。
シグナムやシャマル、ザフィーラも憮然とした表情でナイブズを睨む。
それらの視線にナイブズは肩を竦める事しか出来なかった。
「……私もヴィータに同感だ。お前の言った行動は主との約束に反する。それだけは……出来ない」
そのシグナムの言葉には絶対的な拒絶の意が含まれていた。
シャマルとザフィーラもシグナムに同意するかのように首を縦に振る。
「……それでも良い。それがお前たちの選んだ道なら俺は何も言わない」
ナイブズは四人の守護騎士達、それぞれに視線を見回し頷く。
その表情はただただ無表情。
真っ正面から四人の視線を受け止めていた。
「だがな、俺はこの道を進む。何をしようとはやてを救ってみせる」
最後にその言葉を残し、ナイブズは守護騎士達に背を向けようとし――
「止まれ」
――喉元に烈火の剣を突き付けられた。
「なんの真似だ、シグナム?」
「貴様……自分が言っている意味が分かってるのか」
そう言うシグナムの顔には怒りの感情が映し出されていた。
愛剣を片手に、射殺すような眼でナイブズを睨み付ける。
「貴様は人を殺すと言ったんだぞ。主との約束を忘れたのか? 人の命を奪う行動だけは……許さん」
混じりっ気なしの怒気を受けながらもナイブズはその表情を崩さず、シグナムとは対称的な無感情な瞳を向ける。
「何故、お前らに許しを請う必要がある? 俺の行動は俺が決める。お前らには関係ない」
それに、と一旦言葉を切り、同時に無感情な瞳にある光が灯った。
「言っただろう。今のままでは万に一つも勝ち目はない。今までと同じ戦い方じ
ゃ確実に闇の書は完成しない……はやては――死ぬ」
『はやては死ぬ』その言葉に烈火の剣が揺れる。
二人の成り行きを黙って見ていたシャマル達も苦虫を噛み潰したような表情になった。
「どんな汚い手を使おうと、俺は絶対にはやてを救う……。
はやてとの約束を破る事になっても……必ずに」
「だが……!」
「……話は終わりだ。俺は少し時間を置いてから家に戻る。お前達は先に戻ってろ」
最後にそう残し宙に飛び上がるナイブズ。
守護騎士達は思い詰めた表情で、遠ざかるその姿を見詰めていた。
□
「種は植えた。あとは奴等の反応待ちか……」
それから数分後、先程の場所から数百メートル離れたビルの屋上にナイブズの姿はあった。
首尾は上々。
ナイブズは、夜空を見上げ思考する。
――今日の戦闘で、奴等は自分達の置かれている状況が如何に危ういかを知った。
自分達と互角の実力を持つ管理局の魔導師達。
守護騎士の中で最強であるシグナムを完敗させたヴァッシュ・ザ・スタンピード。
ヴァッシュが持つエンジェルアームの存在。
奴等の心の中には相当な危機感が芽生えている筈だ。
そして俺の助言により、奴等の持つ『不殺』という信念にほんの僅かなヒビが入った。
このヒビが拡大するか、収縮するかは分からないが、奴等の甘っちょろい精神に一手差し込んだ事は大きな意味を持つ。
ようやく、覚醒の可能性が見えてきたと言っても良いだろう。
「まぁ、それでも奴等が勝てるとは思えないがな」
先程の会話で、ナイブズは嘘をついた。
一つはヴァッシュのエンジェルアームに自身の能力では勝ち目が無いという事。
守護騎士達に絶望を与える為にあのような嘘言を口にしたが、ヴァッシュが能力を使いこなしていたとしても、ナイブズは遅れを取る気など更々なかった。
もう一つは非殺傷設定を解除すればヴァッシュに勝利する可能性が出て来るという事。
今よりは良い勝負になるかもしれないが、勝利を手にする事は確実に無い。
それは、プラントの優秀さを信じて疑わないナイブズならではの思考であった。
そして最後にもう一つ。
『はやてを救う』――守護騎士達に告げたこの言葉だ。
ナイブズにとって、はやての身体の事は大して重要ではない。
重要なのは闇の書の完成。そしてそれに伴うはやての覚醒。
それ以外に意味はない。はやてを『救う』つもりなど、ナイブズには欠片もなかった。
「演技とはいえ反吐が出る……クソ甘い奴等には有効な言葉だがな」
自嘲的な笑みと共にクッと喉を鳴らすナイブズ。
そして、
「さてと」
緩やかな動作で背後に振り返り――小さな、指先に乗る程度の極小の『門』が空中に現れた。
「三秒だけ待ってやる、出てこい。出てこないのなら殺す」
ナイブズが無人の虚空に向かい語りかける。
一秒経ち、二秒経っても誰かが現れる気配はない。
しかし三秒目にして遂に、一人の男が右隣のビルからナイブズの元へと飛んだ。
スラッと延びた長身に青色の髪。そして、およそ感情が感じられない無表情を映した仮面。
男は明らかに異質な恰好をしていた。
「管理局との戦闘の時からずっと俺の事をつけていたな」
だがナイブズはその男の姿に驚く事なく、『門』はそのままに問い掛ける。
返答代わりに仮面の男は首を縦に振った。
「理由を言え」
言わなければ殺す。指先の『門』が無言で語っていた。
数秒の思考の後、仮面の男が口を開く。
「……お前はイレギュラーな存在だ。俺達の策に何かしらの影響が出るかもしれない。そう考え監視させてもらった」
「その策とは何だ」
「それは……言えない」
――瞬間、刃と化した左腕が仮面の男の喉元に突き付けられた。
「勘違いするな。俺は頼んでる訳じゃない、命令しているんだ」
明確な殺気が込められたその言葉に男は押し黙る。そして、躊躇いを見せながらゆっくりと語り出した。
「……俺達の目的は闇の書の完成。そして封印だ」
それからの男の語りは数分にも及んだ。
闇の書の特性。
完成させた時、何が発生するか。
破壊したとしてもまた別の次元世界にて復活を遂げる事。
守護騎士さえも知らない事実を仮面の男は語った。
「それが全てか」
「……ああ、そうだ」
数分後その言葉を最後に、ナイブズは興味を失くしたかのように仮面の男から視線を外し、何かを考え込む。
「闇の書の闇……暴走、か。……面白い」
そう呟くナイブズの顔にあるのは微笑み。
一度、首を縦に動かし顔を上げる。
「……良いだろう。貴様は貴様で動け」
「……止めないのか?」
「あぁ。今のところ目的は同じ。貴様を止める理由はない。だがな――」
ナイブズの表情から微笑みが消える。無表情に仮面の男を見つめ一言告げた。
「――もう一度、俺を追跡するなど嘗めた真似をしてみろ。次は一片残さず消し去るぞ」
「……分かった」
凍り付いたかのように動きを止めた口から、何とかその言葉だけを絞り出し、仮面の男は頷いた。
「なら行け」
その言葉に跳ねるかのように、仮面の男は空に飛び出した。
闇に消えていくその姿を見つめナイブズは再び笑みを浮かべる。
「闇の書……か。予想以上に使えそうだな」
抑えるような笑い声が無人のビルに響き渡った。ナイブズの脳内にはどのような未来が映し出されているのか。
孤独の王は一人、笑う。
□
「フェイトちゃん……クロノ君……」
管理局本部の医務室。
ちょうど今日、なのはが完治と告げられたその場所にフェイトとクロノの二人は寝かされていた。
「……取り敢えずのところ、二人とも命に別状はないそうです」
リンディの声が部屋に響く。
部屋の中に居るのはなのは、ユーノ、アルフ、エイミィ、リンディの六人。
誰もが心配そうな表情で、ベッドに横たわる二人に視線を送っていた。
「フェイトちゃんはリンカーコアを奪われた他には大した外傷はありません。
クロノ執務管の傷は重いけど、ユーノ君の応急処置が適切だった事もあり、二週間もあれば復帰できるそうよ」
リンディの報告に表情を明るくする者はいなかった。
怪我の具合がどうあれ、二人の仲間が墜とされたのだ。
六人の表情は重い。
「チクショウ! よくもフェイトを!」
「リンディさん……フェイトちゃんとクロノ君は守護騎士が?」
怒りに身を任せ壁を殴るアルフに続き、なのはが疑問の声を上げる。
その表情は先程までの重苦しいものから明確な怒りに塗り替わっており、周囲の人間をたじろかせる程の空気を纏っていた。
「……フェイトさんは守護騎士の一人に、クロノ執務管は突然現れたアンノウンに撃墜されました」
「アンノウン? それは……?」
「……見た目は普通の男性。ただその戦闘力は異常ね……あの男に関しては後でみんなにも映像を見てもらうわ」
この場にてアンノウン――ナイブズの戦闘を見たのはエイミィとリンディの二人
のみ。
フェイト達を本部へと移送している途中に見た映像。それを見てリンディは大いに驚愕した。
――自由自在に形状を変える左腕。
――反撃すら許さずにクロノを墜とした、また十数人の武装局員が形成した結界を易々と破壊した謎の攻撃。
その異常な戦闘力は映像からでも充分に伝わっていた。
人の形をした何か。
それは魔法という言葉でも片付けられない程の、あの守護騎士達さえも超越している馬鹿げた『力』。
どんな戦法を取ろうと、どんな戦略を取ろうと勝てる気がしない。
どうすれば勝利を導けるか。
リンディの頭の中には、出口の見えない迷宮が続いていた。
「艦長、そろそろ……」
と、その時、横に立っていたエイミィがリンディに声を掛けた。
思考に没頭していたリンディは驚いたように顔を上げる。
「え?あ……そうね。もうこんな時間だし、なのはさんとヴァッシュさんは一旦帰った方が良いわ」
エイミィの言わんとした事を直ぐさま理解し重い空気を打ち破るように、リンディは明るく告げる。
「でも……」
「クロノとフェイトさんの事なら気にしないで。私達が着いてるから」
「……分かりました。それじゃ失礼します。ユーノ君とアルフさん、じゃあね」
僅かな逡巡のあと、なのははペコリと頭を下げ扉から出て行った。
軽快な音ともに閉まった扉を眺めながらエイミィが口を開く。
「……なのはちゃん、大分こたえた顔してましたね……」
「そうね……」
エース級の腕を持つとは言え、なのははまだ九歳。
そうでなくてもあれだけ優しい性格をしているのだ。仲間であり親友である二人が墜とされた事は、相当なショックを与えただろう。
「そこら辺のケアも考えなくちゃね……」
「ですね……」
万全な状態で挑んだ戦闘にも関わらず、一人の男の登場によりこちらは相当な手傷を負った。
(なんとかしなくては――)
部下の命を預かる指揮官として重い重いプレッシャーがリンディの両肩にのし掛かっていた。
□
目の前に映るマーブル色の不思議な空間。
背もたれも無い椅子に腰掛けながらヴァッシュはジッとその光景を眺めていた。
(――どうすれば良いんだ)
さっきから同じ言葉が頭を回っている。
突然現れたナイブズ――自分が追い続けた仇敵。
レムの敵にして人類を滅ぼそうと企てる危険な男。そして自分の兄弟。
――思い出される記憶。
――ジュネオラロックでの邂逅。
――白コートの男を押し潰し現れるナイブズ。
――迫るナイブズの右手。
――極光。そして途切れる意識……
奴は自分も知り得ない『何か』を知っている。
そして、それは恐らく『ロスト・ジュライ』に関係している。
――危険だ。
ナイブズが関われば、非殺傷設定で行われる戦闘とは違う、本当の意味で命を賭けた戦いになる。皆を、なのは達を巻き込む訳にはいかない。
――だけどアイツは闇の書の守護騎士達と手を組んでいる。
おそらく奴の狙いは自分ではなく闇の書。
自分が消えたところで、管理局が闇の書事件に関わる限りナイブズは必ず現れるだろう。
「くそっ……どうすれば……」
なのは達を巻き込みたくない。だけど自分が消えたところでナイブズは現れる。
なら、自分が戦うしかない。全身全霊を賭けて。――でも瓦礫だらけのジュライと、この世界に飛ぶ前の極光が頭から離れない。
「奴は……何を……俺に秘められた何を知っているんだ……」
怖い。
奴との戦いになのは達を巻き込んでしまうのが怖い。
この平和な街を巻き込んでしまうのが怖い。
「どうすれば……」
――哀願するようなヴァッシュの呟きが廊下に響いた。
最終更新:2009年11月08日 22:42