銃の形をした召喚器。それはトリガーに過ぎない。

本来ならば、その身体を銃身とし、精神を火薬とする。

ならばその撃鉄は、この言葉であろう。

――ペルソナ。


<03: Burn My Dread>


藤堂綾也は星が好きだ。月が好きだ。それらを抱く夜空が好きだ。
何故、と聞かれると返答に窮する。ただなんとなく、ぼんやりと好きと感じるだけだからだ。
幼少の頃、引き取ってくれていた義父とともに夜空を見上げることが多かった。もしかするとそのせいかもしれない。
十年前……両親を亡くし、綾也自身にも重大な惨禍をもたらしたあの事故の後。
ただでさえ親戚が少なく、なかなか引き取り手が現れなかった綾也の前に現れた人物。
それが彼の義父となる男、藤堂 尚也だった。
義父は不思議な人だった。子供心に、何かを感じ取った覚えがある。
その何かは綾也を惹きつけてやまなかった。
綾也が中学生になった時、同時に正式な養子となって性を貰った。
妙に嬉しく感じたのを、覚えている。
ミッドチルダの夜。綾也はあの頃と変わらないように見える月を見上げ、そして腕時計に視線を落とした。
あと数分で、影時間が訪れる。感慨に浸る時間もそろそろ終わりだ。
これからの事に、視線を向けるべきだろう。
目下の所、問題はシャドウの出所だ。自分の知る限りでは、あのように市街地に出現するのは少数のイレギュラー。
大半のシャドウは、「巣窟」のような場所にいる。と思われる。
それが以前のように巨大な塔だったら分かりやすいんだけど、と内心独りごちた。
「タルタロス」。ギリシア神話の冥界の最奥地、「奈落」の名を持つそれは、神話とは逆に天へと昇る広大な塔の形をしていた。
その正体は、以前の世界での有数の複合企業、桐条グループが起こした“実験事故”の影響で、影時間にだけ姿を現す迷宮だ。
桐条グループは、いや正確には、桐条鴻悦……つまり当時の桐条グループの総帥は、「時を操る神器」を作ろうとしていたらしい。
そのため、鴻悦はシャドウを研究し、その特性を調べていたそうだ。
しかしシャドウを調べるうち、鴻悦は次第に虚無感に苛まれ、世界の滅びを願うようになったという。丁度その頃から、鴻悦の研究は当初の目的とずれていった。
破滅願望をもった鴻悦は、世界を滅ぼす研究へと身を投じたのだ。晩年の鴻悦の狂気を、その孫娘はこう語る。
「祖父は、何かに取り憑かれているようだった」……と。
鴻悦の研究は進み、もう少しで実験が完成する、最終段階まで来ていた。最後の実験……その最中、一人の研究者による実験の強制中断によって、その研究は「実験事故」という形をもって終結した。
実験事故は同時に、大惨事を引き起こした。周辺一帯を吹き飛ばす程の大爆発、住民の被害も甚大。
この時、綾也は両親を亡くしていた。
そしてその実験事故の禍根はそれだけに留まらない。後腐れ、副産物とも言うべきものが発生していた。それが、影時間とタルタロスだ。
これは後に知った事なのだが、実際には、影時間の発生は大量のシャドウを集めたことにより、起こるべくして起きたことだという。
シャドウには微力ながら、時空間に干渉する力があると考えられている。そしてシャドウが寄り集まり、時空間に干渉する力が集積した結果、影時間が発生する。
シャドウを大量に集めた結果。時空間に干渉する力の集大成。それが影時間というのは、ごく自然に思われる。
つまり、影時間とは「シャドウの力の正しい表れ」なのだ。
そうなれば、この世界でもシャドウの力を集積、増幅させた何らかの要因、そしてその原因があるはずである。
シャドウの力を増幅させた何か、それがそのまま巣窟である可能性もある。が、それは考えにくい。
何故ならそんなことができるのは、シャドウの事をよく知る「人間」である可能性が高いからだ。
どちらにせよ、敵の居場所が分からない以上こちらからのシャドウへのアタックは不可能なのが現状。
とはいえ、今のところ戦力は綾也ただ一人。いくら綾也が強いといっても、一人で敵地に乗り込むのも危険過ぎるために、身動きが取れない。シャドウの巣窟を見つけたとしても、結局は動けないのだ。
何か、嫌な感じがする。
シャドウがこの世界に蔓延っているのは事実なのに、こんな膠着状態のままで落ち着いていていいのだろうか?
現状に対する不安や焦りが、綾也の心中にあった。
しかしひとまず綾也はそれを打ち消し、今できることに集中することにした。すなわち、六課の周辺にシャドウが現れた場合の掃討である。
攻めることはできなくても、守ることはできる。守ることしかできない、とネガティヴに考えることもない。
守ることができるというのは、それだけでも重要なことだからだ。
イレギュラーが発生した場合、機動六課の周辺だけならば、綾也一人でもカバーできるはず。
しかし……と、どうしても考えてしまうことがある。
(僕が、探査型のペルソナを持ってさえいれば……)
ペルソナには、戦闘に向かない「探査能力」に特化したものがある。「生体エネルギー」のようなものを敏感に感じ取り、それを解析できる能力。
広域をサーチすることにも長けたこの能力は、今の綾也にとって必要不可欠なものだ。この能力さえあれば、シャドウの居場所や出所も突き止められるはずである。
しかし生憎、綾也は補助能力に特化したペルソナを持ちこそすれ、それはカテゴライズするなら「戦闘用」にすぎない。
数多のペルソナを使いこなし、どんな敵とでも戦ってきた綾也に欠けている能力。それは「戦わない」力。
探査能力のスキルや素質を、綾也は欠片も持ち合わせていなかった。
いわゆる、適材適所。ペルソナにもそれがあるということだ。綾也は今まで常に先頭に立ってシャドウを倒してきた。
リーダーという役割があったからだ。
その裏で、バックアップの役はいつでも存在していた。その大切さが、今になって身に染みる。これでも十分、その重要性は理解していた筈だったのだが。
溜息をつきたくなった。確かにイゴールの言うとおり、前途多難だ。
直後、体が異様な感覚を受けた。時間と時間の境界に足を踏み込む時の、あの一瞬の感覚。
深い暗闇に身を置いた時のように、胸の奥がざわざわとして、胃が空くような感触を受ける。
闇が頭上に迫り、覆い包まんと被さってくる。そして、月が不気味に光り輝く。
影時間の訪れだった。
綾也は素早く辺りを見回す。
この瞬間だ。シャドウの住処が影時間にだけ現れるのなら、影時間に入った瞬間、何処かになんらかの動きがあるはずだった。
少なくとも、シャドウの住処になるような巨大な場所が出現するのならの話だが。
しかし、そのような動きは見られなかった。つまり、シャドウの住処は堂々とそびえ立つような建造物ではない、ということになる。
もともとこれでシャドウの住処が見つかるとは思ってなかったし、「見つかればいい」程度に考えていたので、そこまでショックなことでもないのだが。
そして、本題はここからだ。イレギュラーによる被害を減らすための、パトロール。
古典的だが、先人の知恵は借りるもの。タルタロスや影時間を消そうとしていた先輩たちも、戦力が増えるまではこのようにゲリラのような活動をしていたと聞く。
召喚器を腰に、綾也は市街地へと繰り出した。

月明かりだけを光源に、とは言っても十分に明るいのだが、不気味に静まり返った市街地はさながらスプラッター映画の舞台のようでもある。しかし飛び出してくるのは殺人鬼ではなくシャドウだ。人を襲うという点で、似たようなものだが。
血溜まりのように足元に広がる赤い染みや、異様に明るい月に青緑に染まる空と地面。
所々に西洋風の棺が樹立している。適正無き人間の、象徴化した姿だ。
シャドウと影時間の影響を遮断する作用が、影時間の中において視覚化されたものである。
象徴化している人間はそもそも影時間に立ち入ってはおらず、適性のある人間からすれば、象徴化している人間は相対的に言えば「止まって」いる。
故に象徴化している間の人間は、影時間に起こるさまざまな事象に影響を受けない。しかしシャドウによって影時間に引きずり込まれた者は、シャドウの格好の餌食となるのだ。
餌食。自分で考えていて胸が悪くなる。見慣れた影時間の風景が、今は少し不快だ。やっとの思いで消した影時間が、この世界でも。
ぐちゅり、と背後で奇妙な音がした。
綾也は振り向き、道路に蠢く黒いわだかまりを認めた。青白い仮面が、同じく綾也を捉えている。
ホルスターから召喚器を引き抜いた。そのまま流れるような動作で銃を回転させ、その銃口をこめかみに向ける。
躊躇なく引き金を引きながら。
「タナトス!」
そして、死を司るその名を叫ぶ。と同時に現れる棺を纏う黒衣の死神。タナトスが、跳躍したその勢いのまま、その腰に佩かれている剣を引き抜くと、その身体を真っ二つにすべくシャドウに切り掛かる。
シャドウがその兜割りのような上空からの強烈な一撃を受けきれるはずもなく、敢え無く一刀のもとに両断された。
両断され、二つに分裂したシャドウはすぐに原形を失い、霧消した。役目を終えたタナトスはかすかに揺らぎ、消えていく。
綾也は召喚器をホルスターに戻す。
内心、拍子抜けしていた。手ごたえがまるでない。これまで幾度となく強敵を相手に戦ってきた綾也には、雑魚同然だった。
しかし、と気を引き締める。そんな雑魚でも、野放しにはしておけない。無力な一般人は、いかに惰弱なシャドウであろうとも、それから逃れることはできないのだ。綾也は散策を再開した。
シャドウは、人間の精神のエネルギーを餌として食らう。餌食となり、精神を食われた人間は心神を喪失し、完全な無気力状態に陥る。
こうなった人間は「影人間」と呼ばれ、誰かの保護なくしては生きてゆくことさえできないような状態に追い込まれるのだ。
つまりそれは、緩やかな殺害に他ならない。
ミッドチルダ……この大都市だ、イレギュラーの数も少なくないはず。
綾也一人ではどうしたってカバー出来ないところもある。多少の被害は、諦めるしかない。
しかし、影人間となった人を見殺しにすることもできない。
影人間を元に戻す方法が、ひとつだけある。大型の、他とは一線を画す強力なシャドウを倒すことだ。
これは強い力を持った、いわばリーダーを失ったシャドウの勢力の低下が原因と思われる。
しかしそれも一時的なものだ。いずれまた大型のシャドウが現れ、影人間が増殖する。
イタチごっこのようだが、それを続けなければいずれは全ての人たちが影人間と化してしまう。
それを防ぐためにも、不毛に思える戦いを続けなければならないのだ。
しかし無限に思われるそのサイクルに、どうすれば終止符を打つことができるのか。その方法は、おそらくこの世界の影時間を消す方法と同じはずだ。
シャドウの存在は、影時間と直接の関係はない。
しかしシャドウがその姿を現し、人を襲うことができるのは影時間の中でだけだ。
影時間を消せば、シャドウがこの世界に直接関与することはできなくなる。
シャドウの存在そのものを完全に消し去ることはできないが、シャドウがこちらに干渉してこれる時間を消すことで、シャドウによる被害は無くすことができるのだ。
そのためには、影時間を消す手がかりと、影時間ができた原因を突き止める必要が……。
結局、思考は堂々巡りだ。今は考えても無駄なこと。綾也は考えるのをやめた。とりあえず今は、この時間の中、出てくるシャドウを消していくだけだ。
そうすれば、少なくともこの周辺での被害は減るはず。
その綾也の考えは間違ってはいない。しかし、同時に一つ簡単な、それでいて重大な見落としをしていた。
シャドウが出現するのは、なにも屋外だけとは限らないのだということを。

機動六課、局内。
灯りは全て落ち、窓から差し込む月明かりだけが廊下を照らしだしている。
時の刻みが停止し、静寂に包まれた暗闇で、なのははひたすら走っていた。
背後に迫る気配。振り返らずともその姿はなのはの目に焼き付いている。影のように黒い体に、のっぺりと青ざめた仮面を張り付けたような異形。なのはは知る由もないが、「マーヤ」と呼ばれるタイプのシャドウだった。
最もポピュラーで、戦力もさほど高くない小型のシャドウ。マーヤは、仮面ごとに1~12までのタロットのアルカナになぞらえて分類される。
このマーヤのアルカナは、魔術師。逆位置の啓示を名に持つ、「臆病」のマーヤだ。
数あるマーヤの種類の中でも最弱の「臆病のマーヤ」だが、今のなのはにとっては十分な脅威となりうる。
マーヤは真っ直ぐに、獲物であるなのはを追っていた。
どうする?どうすれば。頼みの綱の綾也は、周辺のイレギュラー掃討に向かっている。
影時間が明けるまで帰ってこないだろう。救援は望めない。
この時間内、なのはは、それどころか六課全体は完全に無防備になる。魔術師の要のデバイスが使えず、機械も使えない。
こんな悪夢のような状況でできることと言えば、あのシャドウから逃げ続けることくらいだった。
しかしそれもいつまで持つか。戦闘時の機動を飛行魔法に頼っているなのはは、普段は極度の運動音痴。
持久力だって高くない。走り続けることもできなくなったら、待つのは死。それだけだ。
(そんな……っ)
いくらなんでも、あんまりではないか。局内は安全だと思い込んだが故の危機。しかしその判断ミスを誰が責められよう。
シャドウは外からやってくるものだという認識が、四人の内に共通していた。
ほんの数分前、影時間が訪れてすぐのこと。なのはは六課の局内を捜索していた。
影時間の事を、局員にどう伝えるべきか。日中は、綾也が六課に入隊することを決めた後、なのはも含めた四人で、対策を話し合った。
結果、影時間に適応していない者にはそれを伝えず、適応者のみに影時間を打ち明けることになった。
適応していない、その事実をしらない者たちに真実を話したところで何ができるわけでもなく、いたずらに混乱させるだけだと考えてのこと。
不安を煽るメリットは、皆無だ。下手をすればこちらの正気を疑われかねない内容なのだから、尚更である。
よって、影時間に入ってから適応者を捜索するという手順に至り、影時間内での行動も、ここで決められた。
綾也は周辺のパトロール、残った三人は六課内部で適応者の捜索。
三人で手分けして、象徴化していない適応者を探す事になっていた。
しかし、まさかこんな事になるなんて。
とりあえず行くあてもなく、なのはが廊下を歩いていた時、不気味な音と共にそれは訪れた。
聞き覚えのある、気味の悪い音。なにかが潰れたような、得体の知れない奇妙な音。
恐る恐る振り向けば、そこにあったのは小さな黒い塊だった。丁度月の光が届かない、影になっている部分に生じている「何か」。
いや、正体は分かっている。この闇の中、生じる影よりもなお黒く昏いその異物。
塊は徐々に大きさを増し、奇妙な箇所から腕を二本生やすと、なのはの方を振り向いた。
大きさ、高さはせいぜいなのはの膝程度。昨夜のシャドウと同じように、光を全く映さないゴムのような表面。
仄かに発光している、青白くどこか物悲しげな表情をした仮面。その仮面が、なのはの姿を「見た」。
瞬間、なのはの背筋に氷柱が通ったがごとく全身が強張る。
マーヤがなのはの方へ滑るように向いだしたのと、なのはが逆方向へ逃げ出したのはほぼ同時だった。
一度覚えた恐怖は、そう簡単に拭い去れるものではない。この異形の正体を知っていても、それを前にして立ち向かうことなどできない。
昨夜出くわしたあの大型のシャドウとは違って体も小さく、腕だって二本きり。
その手に刃が握られているわけでもない。
少なくとも、あれよりは遥か格下の存在だということは分かった。
しかし風貌的に昨夜のシャドウを思わせるマーヤは、なのはの心の根元的な部分にある恐怖を呼び起こす。
この先一度でも立ち止まったら、きっとその場で動けなくなる。なのはは直感的にそう感じていた。
シャドウの動きは、ともすれば子供の駆け足並みに緩慢だった。しかし、それでいてなぜか振り切れないスピードでなのはを追ってくる。
足を必死に動かし続ける限りは、捕まることはない。しかし、影時間が明けるまで走り続けることができるのか。
綾也によれば、影時間はおよそ一時間。
(できっこない……!)
だからと言って、諦めるのか。ここで己の生が終わる事を、よしとしていいのか。

<目を、逸らしてはなりません……>

「!?」
心の奥底で、自分のものではない声がした。いや、本当に声だったのだろうか?
なのはは呆然と立ち止った。漠然と心の中に溢れる、この不思議な感覚。心臓が、早鐘を打っている。
人が誰しも心に抱える恐れや怖さというものは、自分にとって何が危険なのかを教えてくれる重要なもの。
そして逆に言えば、何も恐ろしいと思わなくなったとき、人は立ち止まらなくなる。
自らの行いを、そしてその行動の結果を、恐れなくなるからだ。
人は、恐れに縛られれば、何もできなくなる。
かといって、恐れを全く抱かなければ、行動に犠牲を出す事すらを厭わなくなる。
真の恐怖を覚えた時、何が人を支えるのか。それは自分を信じる心。そして、自分の信じる何かへの信頼。それだけだ。
自分から眼を逸らさず、向き合ってこそ、恐怖へ立ち向かうことができるのだ。
背後のシャドウを振り返り、緩慢な動作で迫るそれを見据える。
なのははシャドウを通して、見詰めていた。真の恐怖の、その先にあるもの。
そして信じた。自分の力を。自分の中に眠る、可能性を。
(綾也君……)
心の中で彼の姿を思い描く。その後ろ姿が、拳銃を自らの頭に突き付ける。
なのはは、自分の手を銃を持つ形にしてこめかみに宛がった。
仮想のトリガーを握る指の動きが、彼の動きとリンクする。
今、この行為の意味が理解できた。必要なのは、勇気と覚悟。そして……この、言霊。
震える吐息を吐きだして、深呼吸を一つ。気持ちを落ち着かせて、一音ずつ、呟くように。
恐怖を燃やせ。
……トリガーを、引いて。


「ペ・ル・ソ・ナ」

そして。
弾丸が放たれた。
なにかが弾けるような音とともに、なのはから精神の欠片である青白い結晶のような板が散乱し、そしてそれは徐々に人の姿を象って行った。
なのはを立ち止らせたその<声なき声>が、なのはの脳裏に囁きかける。

<我は汝……汝は我……。

我が名は内なる仮面。

汝の心理に宿りし魂が刃。

我は汝の心の海より出でしもの。

白銀の車輪、アリアンフロッド。

極彩の虹もちて、あらゆる悪を調伏せしもの。

我、汝の運命の刻みと共にあらん……!>

現れたのは、後光が差しこむように感じる光の女神、アリアンフロッド。
後光のように見えていたのは、一定の速度を保ちながら絶えず回転している、巨大な白銀の煌めく車輪だった。
その車輪はそれ自体が光を放っており、赤から紫へと七色のグラデーションを燈しながら周囲を染めている。
その光を受け、流麗に流れる絹糸のような頭髪。まさに虹のように光り輝き、その軌跡に淡い燐光すらを残してゆく。
その身にはゆったりとしたローブのようなものを羽織っており、額にはティアラを頂いている。
頭上には、天使の輪の如くに虹が浮かんでいた。
ゆっくり、誘うようにアリアンフロッドがその手を差しのべた。
するとその手は聖なる光を発し、虹のような七色のスペクトラムの流れがシャドウを射抜く。
たちまち蒸発を始め、もとから存在しなかったかのように、跡も残さずに消え去った。
それと同じように、白銀の車輪が揺らぎ、アリアンフロッドの姿も消えてゆく。
なのはは、召喚のショックからか、呆然とその光景を眺めていた。
「わたしが……ペルソナを、出せた……」
やがて呟いた一言には、紛れもない驚きが含まれていた。
あのとき自分は何をした?無我夢中で、心が導くままにトリガーを引いたのは覚えている。
あのときの不思議な感覚。シャドウに対する恐怖のくびきが抜き取られ、すべてがクリアに、鮮明に感じられた。
言葉にするなら……そう、覚醒。あれが、もう一人の自分。
アリアンフロッド、それがわたしのペルソナ。
わたしは、ペルソナを得たのだ。
余韻に浸る暇もなく、なのはは眩暈を感じると、そのまま意識を失い、倒れこんだ。

それからほどなくして、影時間が明けた。
最後のシャドウを消し終えた綾也の息は、少し上がっていた。
小一時間ぶっ通しで、唯一人現れるシャドウを倒し続けるのは、相手がいくら雑魚とはいえ消耗を強いられるものだった。
ともあれ、綾也は通常の時の流れに身を戻し、六課への帰路を急いだ。
何故か、自然と早足になる歩みを抑えられない。
問題はないはずだ。なのに、何か嫌な予感がしていた。ぼんやりと、実体をもたない漠然とした不安。
僕は、何か見落としをしている――?
何を見落としているのか。それがわかれば、スッキリするものを。
しかし、この不安は杞憂ではないと、直感的に感じていた。
……急ごう。綾也は、ついに走り出した。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2008年10月14日 18:03