常に頭を悩ませる諸問題のせいで深く皺が刻まれた顔。
長い年月に頑なになった目に赤い光が映っていた。
非常灯だけが点灯する廊下に幽鬼のように現れたマスクド・ライダー…
最も早くその怪人の存在に気付き、取り上げた雑誌の記者がつけた呼び名で少しずつ民衆の間で親しまれるようになった怪人の足元に、また犯罪者が転がされていた。
帰宅間際、人気の失せた地上本部で日課の筋肉トレーニングを済ませたレジアスの口元に微かに笑みが浮かんだ。
日が没しても中々下がらない暑さのせいで額に浮かぶ汗をハンカチで拭き、レジアスは怪人に言う。
「良くやった。後のことはワシに任せてもらおう」
凶悪な犯罪者を逮捕できたことを素直に喜びながら、怪人の甲冑の如き皮膚下にある無駄のない肉付きやちょっとした動きを冷静に観察する。
怪人は何も言わずに佇んでいる。仮面に遮られ、怪人が何を思っているのかを窺い知ることは何人にも出来ぬように思われた。
薄く笑みを浮かべたレジアスがゆっくりと歩み寄り、二人の距離は狭まっていく。
地上本部の数多くの実権を握り、多大な影響力を行使できる事実上の地上本部総司令であるレジアスと怪人との関係は突然生まれた。
今日と同じく、怪人は突然現れ自分で捕らえた犯罪者をレジアスに引き渡して去っていった。
何故かと引き渡された犯罪者を牢にぶち込みながらレジアスは頭を捻った。
今のように犯罪者を引き渡してくるのだが、その理由は皆目検討が付かない。
その上素性もわからない。
目的も。名前もだ。どんな音楽を聞くのか。筋肉についてどう考えるかも知らない。
昆虫を模した姿は恐ろしく、怪人が犯罪者を捕らえた場所は壊滅させられていることを考えれば、レジアスが体一つで対面するのは危険な存在だ。
相手のことは全くわからず、今もこうして地上本部の警備を潜り抜けて姿を現した。
入局以来30年近くに渡って盟友と一位を争い続けたナチュラルビルダーだったが、最近は贅肉がついてしまった上に魔力を全く持たないレジアスなど瞬きをする間に殺してしまえるのだ。
警戒して当然の存在だった。
だが、レジアスはこの怪人に対していつのまにか好意を持つようになっていた。
地上本部の戦力増強の為にレジアスが裏では犯罪者に兵器開発を依頼しているからではない。
何度目だったか、怪人が犯罪者を連れてきた夜…その日に限ってゆっくりと去ろうとする怪人のしぐさに、何の感情も見せない飛蝗の仮面が切なげに見えた。
冷静に考えればそれは恐らく偶然合わさった角度や、灯りの加減のせいであろうとは思うのだが、レジアスの中にあった怪人に対する疑念は不思議と消え去っていた。
普段のレジアスを知る者達が聞けば耳を疑うような話。
レジアス自身でさえそれには同意するのだが、腹には一物もない。
己の過失から失ってしまった部下であり友人だった男に向けていた感情に似た気持ちが沸いていた。
「だがマスクド・ライダー。貴様のやっていることは犯罪だ」
レジアスは鼻息荒く言い放つ。
例え怪人に襲われるのが犯罪者だけだったとしても、好感を持っていようとも地上本部は怪人を捨て置くわけにはいかなかった。
「地上の治安を守るのは、ワシら管理局の責務だ。貴様のようなならず者の仕事ではないわ!」
怪人がやっていることは法に照らし合わせれば犯罪となる部分が多数存在する。
その上、犯罪者達は、この怪人を警戒して有能な魔導師や武器を集めていくことだろう。
もしその影響で犯罪者達が武力を増したとしたら、地上本部の戦力で対抗できるのかは甚だ疑問だ。
レジアスは手を打つであろうし、何より今建設中の「アインヘリアル」と呼ばれる地上防衛兵器があればどうとでもなるかもしれない。
しかし怪人の力に更に頼るしかなくなるやもしれない…
怪人が心変わりをして犯罪を起こさないことを祈り、いや…この怪人はいい奴だから心変わりして犯罪者となるはずがない、などと楽観的な考えを持つわけにはいかないのだ。
怪人は何も答えなかった。
視線を避けるようにレジアスよりも遥かに上にある顔を伏せて犯罪者を置き去りに背中を向けようとする。
「マスクド・ライダー…! ワシの部下になれ」
怪人は足を止めた。触覚を揺らしながら肩越しに振り返り、レジアスに爛々と光る複眼を向ける。
「犯罪者が司法取引を行った後管理局で働いている例は少なくない。そうして自らの派閥を強めるというのもよくある話だ」
返答はないがレジアスはそれを気にする風もなく、拳を握りしめてより自信に満ちた力強い口調で語りかけた。
「ミッドチルダ地上の平和を守るには、陸には…! お前の力が必要なのだ。破格の待遇で地上本部に迎え入れると約束する」
予め用意しておいたカードを出しながらレジアスは言った。
カードの使用場所から怪人の生活圏を割り出す目的で用意されたそのカードには、これまで怪人が捕まえた犯罪者達に見合う報酬が振り込まれている。
金額には一切嘘はない、むしろレジアスの要望で色が付けられている。
目的は目的として、レジアスにしてみれば怪人が受け取るべき正当な報酬だったからだ。
「…断る。俺は管理局が信用できない」
怪人は受け取ろうともせずに乾いた金属質の声で返事をした。傷ついたような表情を一瞬だけ見せてレジアスは尚も熱心に言い募った。
地上本部から魔導師・人材の引き抜きが日常茶飯事に行われ、地上の戦力が揃わない現状を強く訴えた。
「確かに管理局にも黒い噂は事欠かん…ワシ自身の手も汚れておらんとは言わぬ。だが、」
「すまない。言いたいことはわかるが、それでもまだ俺は…」
首を振り、口を濁す怪人は何かに迷っているようにも見える。
静まっていく彼らの間に、レジアスが強く噛み締めた歯がギシリ、と鳴る音がやけに大きく響いた。
「断れば…ワシはいずれ貴様を指名手配する。しなければならん! そう言ってもか!」
「わかっている。それでもだ」
レジアスは険しい表情の中に、苦いものを含ませた。
微かな変化に気付いたのか怪人はそそくさとレジアスの前から立ち去っていく。
「強情な奴め。そこを、曲げてはくれんのか………」
背を向けた怪人にレジアスは苦みきった声でそう言った。
今の状態。怪人が自由意思で犯罪者を捕らえている状態ならば、本局から引き抜かれる心配はない。
盟友であったゼスト・グランガイツとその部下達のような有能かつ本局からの誘惑に耐え切れる者などそうはいないのだ。
そういう意味では、怪人に断られたことは許せないことではないという気持ちも沸いているが、そう考える以上に…レジアスにとっては残念だった。鍛え抜かれた大胸筋が咽び泣いている。
*
レジアスに勧誘されても光太郎はそんなことがあったなどとは全く感じられない、至って普段どおりの生活を営もうとしていた。
少なくとも同居しているウーノの目にはそう映っていた。
ドレスシャツと夏向けの薄い生地のジーンズを着たウーノの姿に少し困ったような顔をし、外出の用意をする光太郎の姿を見ていたウーノは初夏を迎え、眩しすぎる程の日差しに目を細めながら外へ出る。
困り顔をしているのはスカリエッティの所にいた頃に作ったウーノの体にフィットするドレスシャツに気付いたのかとも思われたが、視線の先を見るにどうも違うらしい。
どうやら光太郎は屈みこむとお尻や種類によっては下着が見えてしまうローライズのジーンズがお気に召さないようだった。
暑い日差しに目を細める彼女に続き、光太郎も家から出てくる。
ウーノの服装を見る光太郎の視線と同じように、ウーノも光太郎の服装を見てもの言いた気な眼差しを向けた。
光太郎もウーノと同じ色のジーンズを履いている。こちらにはオレンジ色の糸を使ったステッチが入っていた。
スタイル等が良く丈も合っており良く似合っているが、何故わざわざそんな安物を着たがるのかウーノには理解しづらかった。
低家賃のアパートに住んでいるとは思えない安くない生地と職人の技術で作られたスーツを何着も持っていたのだが、光太郎のたっての願いで何着かは売却してわざわざ購入したという経緯も心象を悪くしていた。
歩き出した二人は今日の予定やレジアスの勧誘があったという大きなニュースに紛れて話そびれた他愛ない出来事を報告しあいながら細い道から、多少大きな道路に面した道へと出た。
二人はそこで別れ、ウーノは一人街の中央へと向かっていった。
同居人が暑さに少し参っているのに気付いた光太郎の申し出もあって、彼女は今日一日は休むことになっていた。
働く人々を尻目に一日暇になったウーノは一軒のカフェへと立ち寄った。
古い建物を改修した店内に客は少なく天井近くの壁に付けられたテレビに流れるニュース番組で凶悪な事件を読み上げる声だけが響いていた。
奥のテーブルに着いた女性がウーノに手を振る。
それに気付き、微かに相好を崩したウーノが手を振った女と可愛らしいワンピースを着た少女のいるテーブルに寄っていく。
ウーノは店員に熱いコーヒーとミルクが半々のカフェ・オ・レを、砂糖大目で注文すると、普段のボディスーツの変わりに可愛らしい服を着てきた妹を褒めた。
負傷した片目を無骨な眼帯で覆った妹は今はウーノの代わりにスカリエッティの世話の大半をしているはずだった。
「ウーノと比べられて困っているよ」
久しぶりに再会した妹、チンクは彼女らしからぬ微かな疲れを見せてそう零した。
聞く所によるとウーノが突然いなくなり仕舞っていた必要な道具や研究材料、未整理のデータから調味料の位置までわからなくなり大変らしい。
その上料理の味が違ったりスカリエッティの言外の要望まで汲み取れずにしかめっ面をされることもよくあると語り、沈痛な表情でケーキを口に運ぶチンクに二人は苦笑いをした。
そこへ店員が注文したカフェ・オ・レを運んでくる。
置かれた持ち手のないカップを手に取りウーノが口をつける間に、入店した際に手を振った女性がうなだれるチンクにしみじみとした口調で同情して見せた。
姿形は二人と全く似ていないが彼女も二人の姉妹でスカリエッティのことはよく知っていた。
ウーノ、トーレに並んで古い稼動暦を持ち彼女は固有技能「偽りの仮面」と名づけられた変身能力で潜入諜報活動をしている彼女はその任務上気苦労を強いられているのかいやに説得力のある優しい声だった。
一しきりチンクを慰めた彼女は、今度はウーノに目を向けた。
「ドゥーエ、気持ちは嬉しいけど私に慰めは必要ないわ」
「フフ、旦那が仕事をしなくて困ってるんじゃなかったかしら」
彼女が教育を担当しクアットロにも引き継がせたスカリエッティそっくりの軽薄な笑みを浮かべるドゥーエ。
先日までは同じ笑みを浮かべることも多かったはずだが苛立った声でウーノは返事を返した。
「ドクターの邪魔になりそうな相手は片付けてくれるし、私の分で暮らしていくには十分よ」
「ウーノ、それってなんだか駄目亭主に聞こえるんだけど…ドクターに利用されてるとも知らないで」
「分かっているから性質が悪いわ」
微かに沈んだ声を出すウーノをドゥーエは興味深そうに見る。
研究所にいた頃は世話役だったチンクも気遣わしげな視線を姉に向けている。
今のウーノと光太郎の状況はほぼ完全にスカリエッティの耳に届いている。
そのため他の姉妹と一緒にウーノがいなくなってできた穴を埋めているチンクも凡その事情は掴んでいた。
気を取り直すようにウーノはまたカップに口をつけた。
「それと、彼は夫じゃないわ」
「え? 嘘でしょ」
ドゥーエは酷く驚いたように目を見開いた。
その反応にウーノは気分を害して自然とカップを持つ手に力が篭っていった。
ドゥーエは機嫌を損ねたことが分かってもなお信じられないといった風にチンクの顔とウーノの顔を交互に見つめる。
「そのコウタローってゲイ? 健全な男性って聞いてたからてっきり妹達にはとても言えないような…」
「ドゥーエ! い、幾らなんでも二人に失礼だぞ!」
若干顔を赤くしたチンクがテーブルを叩く。
そうしてやっとウーノの言葉を信じたのか、困ったように眉を寄せて腰掛けた椅子を軋ませながら、背もたれに倒れこんだ。
「ん………」
微かに吐息を零して頬を片手で撫でるドゥーエは、スカリエッティそっくりの笑みを浮かべるとウーノに軽く流し目を送った。
「困ったわね。ドクターは期待してるみたいだったけど」
「ドクターが?」
「貴方とコウタローが信頼関係を築けるのか。そっちの機能はどうなのか。子供が出来るのか。どんな子供が生まれるのか」
クククでもフフフでも構わないが、満面の笑みを浮かべたスカリエッティがそう言っている姿を幻視したウーノとチンクの表情が引きつった。
全身改造を受けた改造人間である光太郎がそんな機能まで備えているかどうか。
人間の姿、RX、ロボライダー…彼女らの想像を超える変身を遂げる光太郎をどちらと断言することは彼女らには出来なかった。
ナンバーズにそんな機能まで備わっているということ自体初耳ということもあったが…何よりスカリエッティならば、その為に自分達が知らぬ間に何らかの改造を行っていても何らおかしくはなかった。
スカリエッティの計画の中には、スカリエッティが万が一捕らえられた場合の措置として極小サイズのカプセルに収められたスカリエッティのクローンとなる「種」を簡易な外科的処置で埋め込む事も含まれている。
これによりある技術を応用して体内に仕込まれているスカリエッティのクローンが約一ヶ月で記憶を受け継ぎ新たなスカリエッティとして産まれてくる。
遠い昔、旧暦時代の権力者の間では常識とされた準備だが、期間的にそれは全く別の手段だと考えていた。
これについてはスカリエッティや危機に陥る度に『不思議なことが起きる』光太郎自身も本当の所は分からないのかもしれない。
スカリエッティがどんな結果が出るにせよそれを実験する為のリスクを負う決定をしたのは間違いないようだが。
「ドゥーエ、私はそんな話初耳だぞ」
「? クアットロから聞いた話ですもの。ほら、彼の基本的な能力も計りきれてなかったでしょう? だからその辺りは全く分かってないんですって」
厳しい表情で言うチンクに、何を怒っているのか分からないとでも言うようにドゥーエは笑ったまま返事をした。
ウーノは目を細めて何も言わなかった。
他の誰かがクアットロから…と言ったなら信憑性は薄まるが、クアットロは教育役を務めたドゥーエを半ば心酔している。
ドゥーエの口から出たクアットロから…という言葉はほぼ確実と言ってもよかった。
「貴方が無理なら私でもいいけれど…もう切欠は作ってあるし」
「……というと?」
掠れた声で尋ねるウーノにドゥーエは悪戯を成功させた子供のように得意げに言う。
「マスクド・ライダーって何度か強姦魔から女性を助けてるんだけど、フフ。その一人が私だし…彼のバイト先のお得意様でもあるわ。首にしないよう彼に分かるように手を回してあげたしね」
とても感謝されたわよと言うドゥーエをウーノとチンクは敵に向けるような目を向ける。
でも、とドゥーエは二人の視線など気にせずにどこか芝居がかった、媚るような動きで自分を抱きしめた。
「余り興奮させると砕かれてしまいそうだし、もっと肉体増強された妹達に任せた方がいいかしら。二人はどう思う?」
彼女の肉体増強レベルは姉妹の中ではそう高い方ではなかった。
常人よりは遥かに強靭だったが、トーレや今後増えていく姉妹達に比べれば劣っている。
何時変身するとも分からない光太郎の相手をするにはリスクが高すぎるとドゥーエは考えていた。
「駄目に決まってるでしょう。仮にうまくいっても、貴方の体にどんな影響があるかわかったものじゃないわ」
ウーノとしては光太郎の耳に入っていないことを祈るばかりだ。
この話を聞いて激怒する光太郎の顔を思い浮かべウーノはげんなりした。
不愉快気にそう言われ、ドゥーエは居住いを正して二人に別の話題を振る。
それぞれに不満を零したり興味のある話題について話し合った彼女らが分かれたのはそれから数時間後のことだった。
*
ナンバーズ達の間で交わされる会話に一時自分が上がった事など知る由もない光太郎はバイトを早々に終えて廃棄都市区画をアクロバッターに駆って移動していた。
相変わらず決まった仕事がなく、真っ当な人々より犯罪者の方が言葉を交わした人数が多くなった光太郎は時折複数ある廃棄都市の様子を少しでも感じ取ろうとしていた。
首都とその近郊にある7つの廃棄都市はどれも酷い有様だが、それでも少なからず人の気配があることを光太郎の超感覚は察知していた。
わざと大きな音を立てて走らせアクロバッターが撒き散らす騒音に怯える犯罪者達も現れだしていた。
強盗するために入った店から慌てて出て行く強盗犯。
金品を巻き上げようとしていた手から杖を落として逃げ出す魔導師。
怪しげな取引現場で息を潜め、過ぎ去ったと思った瞬間に降り注ぐ瓦礫の飛礫に大怪我を負って仲間か管理局の救援を待つ悪党共。
都市の状況はどこもさほど違いはなかった。違うのは廃棄都市に限っては、一見静かな地区ほど内に秘めた闇は危険だということだ。
平穏に見える区画は耳を澄ますと悲鳴が聞こえてくる時があった。
その日もまた、RXへと変身した光太郎は不意にアクロバッターを停止させた。
誰かが呼ぶ声がした。
空気を振るわせた音ではない。
進化を続ける肉体の新しい力に光太郎は気付こうとしていた。
生命の気配を感じ、聞こえないはずの叫びに気付こうとしていた。
爛々と赤い光を宿す二つの複眼を。
その間にある第三の目とも言うべきセンサーを。
RXは廃ビルや崩れた建材が転がる道へと向ける。
始めは気のせいだと思っていた。
だが先日、スカリエッティの所にいたウーノ達のような少女らが生み出されようとしているのに光太郎は気付き…不完全な命を消し去っていた。
それを思い出して、不必要に強く握り締めた黒い拳が地面へと振り下ろされた。
RXパンチが廃棄都市に微かな振動を起こす。
舗装された道路や地下道をぶち抜き、光太郎は地下に築かれた空間へと降りていった。
一見真っ黒なブーツにも見える極小の鉤爪を備えた足先が研究施設の床を音もなく踏みしめる。
瓦礫を床にばら撒き、施設に損傷を与えながら現れた怪人に驚き、白衣を着た男達が様々な反応を見せている。
白衣を着た者達の奥に光太郎は巨大なガラスケースが複数確認できた。そこに浮かぶ小さな女児も、見つけた。
恐らくは一歳前後の赤子の瞼が薄く開く。
左右で目の色が違う女児が意志の見えない目でRXを見た。
光太郎が聞いた声はその子や周りに並ぶケースから聞こえていた。
夜闇のような男達も、研究施設も一切合財を飲み込んでしまいそうな黒に染まる怪人が握りしめた拳が音を立てる。
複眼に写る彼らの引きつった表情。冷静に助けを、警備員を呼ぶ姿やそれに安堵して研究を再開しようとする姿。
誰かの意思によって非合法な研究を行う為に作られた施設。ケースの中に浮かぶ女児や、失敗作と見なされた者達。
女児の隣のケースに浮かぶ見覚えのある宝石。ロストロギア『レリック』…全てが昆虫の物を模した真っ赤な複眼に映っていた。
映りこんだそれらが、四肢を動かす熱量を生み出す燃料として蓄えられ(記憶され)ていく。
静かに光太郎は告げた。
「例え貴様等が誰かを救うために研究を行っていたとしても、その子達を苦しめる貴様等を俺は許さん…!」
散発的な魔法や防衛施設が動き出していた。
背中に魔法の砲撃が当たっているが、光太郎は歯牙にもかけなかった。
以前より更に進化していた体の表面を魔法が流れていく。水滴が弾かれるようにRXの体表に弾かれた魔法が施設を傷つけ、流れた光の一滴が研究者を巻き添えにする。
一瞬毎に恐慌に陥っていく彼らを光太郎は一人残らず制圧していった。
「生きられるのは、この子だけなのか…」
科学者達、警備員を悉く倒し、飛蝗怪人の姿をトラウマとして残しながら意識を刈り取られた彼らを入ってきた穴から放り出した光太郎はロボライダーへと姿を変えて呟いた。
ロボライダーのハイパーリンクを用いて研究内容を吸収した光太郎は女児をケースから出し、レリックとを抱える。
初めて水槽から出され、自分を見つめる女児を抱き上げた光太郎も自分が開けた穴から出ようと上を見上げる。
大穴から降り注ぐ日の光がスポットライトのように光太郎を照らし黒光る怪人の姿に、女児は瞬きをした。
光太郎はそれに気付いて微かに笑う。だがその脳裏に、突如稲妻が走った。
一度そのレリックの爆発に巻き込まれた光太郎はレリックについてウーノに尋ねていた。
レリックは高エネルギーを帯びる『超高エネルギー結晶体』でその為外部から大きな魔力を受けると爆発する恐れがあると…
『超高エネルギー結晶体』…自分の腹部に埋め込まれたキングストーンが思い浮かんだ。
手に掴んだ『レリック』、詳しくは残されていなかったが何かの計画の為にレリックに合わせて生み出された子供…
「信彦…」
愚かな考えだと光太郎は頭を振った。
重ねてしまうのは信彦を犠牲にしたことに負い目を持つ自分の悪い癖なのだと。
ボルテックシューターを二、三度放ち、RXの姿へと戻った光太郎は高く跳んだ。
ロボライダーからRXに姿が戻っていくのを少女は不思議そうに見ていた。もう助からない不完全な生命を飲み込み、施設が破壊されていく。
光太郎の呟きが聞こえたのか、赤子が小さく声をあげた。
「俺は仮面ライダーBlackRX…安心してくれ」
「…?」
言葉が通じないことは分かっていたが、上昇が止まり一瞬だけ浮遊感に包まれながら光太郎は女児を見つめて言った。
「俺は味方だ」
いや…信彦の、自分の為に光太郎は何も分からない赤子に向かってそう言わずにはおれなかった。
自分で開けた穴から飛び出した光太郎は放り出した男達の白衣を奪い取り女児を包んだ。
本当ならもっとちゃんとした、柔らかい布で包んでやりたかったがそんな用意はない。出来れば早くちゃんとした施設に連れて行ってやりたいと思った。
そして意識を失い死屍累々と転がる科学者達の向こう側に眼を向け、庇うように、体をずらす。
「セインか。今度は何の用だ?」
「む。またばれちゃいました?」
光太郎に指摘され五メートルほど離れた地面から、戦闘機人の少女が顔を出す。
どこから嗅ぎ付けているのか、光太郎の動きは未だにスカリエッティに筒抜けであるらしい。
それが光太郎を少し苛立たせる。
水色の髪をセミロングにした戦闘機人の少女は愛想笑いを浮かべながら転がる科学者達に同情するような視線を向けた。
死んでるわけではないが、彼らの体験を思うと同情せずにはいられなかった。
「何の用だ?」
「ドクターのお使いです。光太郎さん、その子私達に預けてもらえません?」
セインは、光太郎が抱える少女をチラッと見る。
「その子の面倒私らならちゃんと見れますからね。私達と同じようなもんですから」
「…君達はいいところもあるな」
光太郎は抱えた子供とレリックを見る。
「普通ですよ。で、返事を聞かせて貰えます?」
光太郎から言われたのが意外だったのか、少し照れたように言うセインには任せても大丈夫かもしれない。
だが、スカリエッティがこの赤子をまっとうに育てるとは全く思えなかった。
「断る。お前達こそ抜け出さないか?」
「せめて自分の身分証くらい持ってから言わないと説得力ないですよ?」
軽く苦笑して言うセインは指摘を受けて乾いた笑い声をあげる光太郎から視線を逸らし、まだ気絶している白衣の男達を見てげんなりした顔で視線を戻した。
「あれでも私達にとっては創造主ですし、姉妹達のこともあります。軽々しく裏切れないですよ」
「そんなつもりじゃないんだが。すまない…!?」
光太郎は何かに気づいて顔をあげた。
きょとんとするセインに低い声で言う。
「セイン、今日はもう引くんだ。誰かこっちに飛んでくる。今まで会った魔導師では一番早い」
どう受け取ったかはわからないが、セインは地面に沈んでいく。
セインの身を案じての発言ではなかった。
既に地上本部の長であるレジアスに犯罪者として追うと告げられている自分だ。
抱えている赤子のことを考えれば、話をこじらせる可能性のあるセインは邪魔だった。
光太郎はセインが去ったことを確認しようともせず、接近してくる金色の頭を見上げていた。
腕の中の赤子よりはずっと年上だが、まだ若い。
いいとこ高校生か中学生位の可愛らしい少女だった。
堅い表情をしている。目や、無骨な杖を構える姿は勇ましい。
可愛らしいというよりは美人という言葉が似合いそうな容姿をしていたが、金色を見て光太郎の脳裏に浮かぶのはクライシス帝国の最強怪人ジャークミドラ。
あれに比べれば、光太郎と光太郎が開けた穴の周りに転がる白衣の男達を見て警戒した少女に金色の刃を出し巨大な鎌になった杖を向けられてもなお、光太郎の目には微笑ましく映った。
「時空管理局執務官フェイト・T ・ハラオウンです。マスクド・ライダー、貴方に幾つか質問があります。ゆっくり、その女の子を下ろして武装を解除して手を挙げてください」
「…わかったよ。だけど、変身は解除できない」
変身という単語を聞き、フェイトの目が細まる。
「何らかの魔法…?」
恐らくは光太郎に聞こえないつもりで囁かれた呟きを耳にしながら、光太郎は白衣に包んだ赤ちゃんを慎重に地面へ置いた。
固く砂利の散らばった地面を見て一瞬躊躇う光太郎の頭上にフェイトの声がかかる。
「何故ですか?」
警戒心と共に魔法を行使しようとしているのか黄色の恐らくは魔力が彼女の体の中で動くのが光太郎にもわかった。
優しげで一見、善人そうな少女に(と言ってもこの世界に着てから自分の眼力の無さに足を掬われっぱなしだが)光太郎は言う。
「俺は管理局を信用していない」
確かに一瞬で人間の姿に戻ることは可能だ。
だが、顔を覚えられ探し回られでもしたら光太郎の今の生活が終わってしまうのは間違いない。
自分の暮らしは最悪どうとでもなるが…瞬時にウーノを切り捨てる判断を光太郎はすることが出来なかった。
理由の一つにウーノが浮かんだことは光太郎自身意外だったが。
フェイトの表情は、それを聞いて微かに険を増した。
「わかりました。そのままで結構です」
ですが、とフェイトはいつでもバインドがかけられるように準備を行いながら言う。
「ですが、少しでも攻撃する素振りを見せたらこちらもそれ相応の対応をさせていただきます」
「ありがとう。それと先にこの子を安全な所に預けたい。話はその後にしてくれないか?」
「…その子は?」
「この科学者達にここの地下で生み出され実験体にされていたらしい…」
周囲に横たわる白衣の男達や地面に開いた穴から一つの可能性として頭に浮かんでいたらしく、フェイトに動揺した様子はなかった。
微かに険を増した目で地面に転がった者達を一瞥し、フェイトは首を振る。
断られたことにこちらも大した動揺も見せず、光太郎は両足に力を込めていた。
それに気付いたフェイトは慌てて今にも飛び退きそうな光太郎を呼び止めた。
「待ってください! マスクド・ライダー。勘違いしないで、貴方を捕まえたりその子に危害を加える気はありません。念のためにその子の体を調べさせて欲しいだけなんです」
「…調べるだと?」
スカリエッティと出会う羽目になった経験から光太郎は訝し気な声を出す。
「まだまだ問題の多い技術ですから。管理局にはとても腕のいいドクターが何人もいますし、その後の事も。必要ならちゃんとした専門の施設に預けます」
「…信用できないな。検査すると言われて俺はスカリエッティのところに連れて行かれたぞ」
アクロバッターに援護をさせようと呼びかけながら、光太郎は時間稼ぎに自分の経験を言おうとする。
その為に挙げた名前は、思いも寄らぬ劇的な効果をあげた。
フェイトの雰囲気が変貌していた。
「スカリエッティ…? 次元犯罪者のスカリエッティのこと!?」
怒り、嫌悪。複数の感情が入り混じる赤茶の瞳。微かな焦燥に険しさを増した表情は幼さの残る顔立ちのせいで光太郎を不安にさせた、
「答えてくだ…!」
知っているのか?
そう尋ねようとした光太郎に先んじた怒鳴りつけるような言葉は、子供の泣き声にかき消された。
光太郎の腕の中で静かにしていた赤子は、フェイトの様変わりに驚き、今の声で泣き出してしまったようだ。
杖を光太郎に向けたまま目に見えておろおろし始めるフェイトに嘆息して光太郎は一つ条件をつけることにした。
「…俺は管理局を信用できない」
「そ、そんなことはありません。私が責任を持ってその子を預かります」
少しムッとした顔で言うフェイトの可愛らしい瞳は危うく信用し頷いてしまいそうな真摯な光を湛えている。
だが光太郎はゆっくり首を振った。
「すまないが君だけじゃ不安が残る。時空管理局本局のクロノ・ハラオウン提督に連絡を取れないか? 君と同じ執務官でもあると言っていたんだが」
「お知り合いですか?」
「以前世話になった」
アクロバッターが光太郎の呼びかけに答え、威圧するような騒音など一切起こさずに瓦礫を乗り越えてやってくる。
光太郎に寄り添うようにして止まったバイクに、赤子とフェイトの視線が集まりフェイトは警戒を解いた。
「クロノ・ハラオウンは私の義兄です。兄が預かったバイクの持ち主は貴方なんですね?」
一瞬間を置いて、光太郎は頷いた。
そうでしたかと納得した様子で白衣の男達全員にバインドをかけて拘束していくフェイトに光太郎はついていけずに首を傾げる。
バインドを掛け終えたフェイトは「彼らを引き渡すまで少し待ってください」と笑顔で言うと、まだ泣いている赤子をあやし始めた。
その赤子はこの後紆余曲折を経てハラオウン家に引き取られることになる。
警戒する光太郎と再会し、光太郎が次元犯罪者のもとにいたことを聞かされたクロノが、内通者の存在を疑ったことと、その赤子と共に光太郎から渡されたロストロギア『レリック』を管理局に渡す条件として(最も後者は建て前に過ぎなかったが)
赤子の名前はヴィヴィオ。ヴィヴィオ・ハラオウンとなった。
ヴィヴィオはリンディと共に地球へ移り住み、翠屋という店を営むご近所さんにも可愛がられすくすくと育っていく。
光太郎はそれを暫く見守り、ヴィヴィオの前から姿を消した。
南光太郎は失われた世界、怪魔界から…正確には怪魔界に侵略された地球から迷い込んだ改造人間である。
そんな自分に関わらぬよう距離を置いたのかも知れない、と新しい義妹にも甘過ぎるクロノはヴィヴィオに言った。
管理局にいるとも他の仕事に就いたともどちらともつかない言い方をして肝心なところははぐらかした。
だが光太郎が姿を消しても、暗い研究施設のケースから助け出された記憶は強くヴィヴィオの中に残った。
ヴィヴィオの心にはいつまでも黒い太陽が輝いていた。
火種が絶えない次元世界で、才能と人手不足を盾に就労年齢は低下の傾向にある。
そして有能であれば犯罪者をも積極的に登用し、重要なポストを与える管理局で…
地球で暮らそうとも、そこで新たな一大派閥となろうとするハラオウン家で、ヴィヴィオの気持ちを止められる者はいなかった…!
ヴィヴィオは、地球の芸能人や華々しい活躍をする管理局のエースオブエースに憧れるより先に、マスクド・ライダーに憧れるようになったのだ!
数年後、小学校に上がる年頃となったヴィヴィオに、翠屋の看板娘が尋ねた時それは判明することになる。
「将来の夢かー。ヴィヴィオは何て書くの?」
作文を書いていたヴィヴィオは、不敵な笑みと子供らしからぬジョジョ立ちに若干引き気味の隣のお姉さんの問いに胸を張って答えた。
「このヴィヴィオ・ハラオウンには叶えたいと思う夢があるの!」
だがそうなることなど露とも知らぬ光太郎は、同居人のウーノに今夜は遅くなる旨を伝えフェイトに赤子を渡した。
最終更新:2009年01月15日 22:52