あんたはわかってないんだ! こんな糞みたいな式をずーっと眺めてたって、呪文なんか覚えられるわけないじゃん? 数学のクラスに戻ったみたいだ。あたし数学は赤点だったんだよ。
―――フォックス
アイズ、シャーマン
Lyrical in the Shadow
第2話「アウェイクンズ・マッドパーティー!」その1
~日々は平穏に過ぎていく~
この世界について、早2週間がたった。その間、救難信号は、「こちらの魔法使いに気付かれにくいように」とのアレンさんの提案から、不定期で短時間しか出していない。おかげで、今なおここにいるわけだが……
しかし、こちらでの生活を余儀なくされた以上、何もしないわけにはいかない。そのためには、この世界の事を知る必要があるため、私はアレンさんやフェイさんに、いろいろと教えてもらう事にした。
まず、この世界が「2070年の地球」だという事。そして、「私たちの地球」とは、僅かに――そして決定的に違う歴史を辿ったという事。
その1つが、身体に機械を埋め込む「サイバーウェア」や、薬品などで身体機能を向上させる「バイオウェア」と言った、身体改造技術。戦闘機人みたいに「機械に身体を合わせる」訳じゃないけど……なんでそんな事が必要なのか、わからない。
「失った機能の代わりに」ではなく、「よりよい機能のために」身体を改造するなんて、私には理解出来ない。
しかも、それだけに留まらず、遺伝子さえ改造する「ジーンウェア」と言うものも、実用化に向かっているそうだ。……倫理観と言うのは、何処に行ってしまったのだろうか?
さらに、戸籍番号とも言うべき、「システム登録番号」――通称「SIN」。これがないと、「書類上存在しない」事になり、違法なんだそうだ。つまり、今の私は、「存在していない人間」であり、「犯罪者」という事になる。……望むと望まざるとに関わらず。
SINがない、という事は、買い物でさえ困難になるそうだ。反面、政府や警察、企業からの監視がなくなると言うメリットがあるらしい。もっとも、そのメリットをまっとうに生かす方法が思いつかないが――少なくとも、私には。
そのSINをはじめ、免許や口座残高などの各種個人情報をまとめた、情報操作端末にして通信機器なのが「コムリンク」。あらゆる電子的なやり取りをこれでやるために、日常生活では無くてはならないらしい。
ちなみに、この二つについては、私たちの分をアレンさんが何とかしてくれるらしい。ありがたいんだけど……その方法については、深入りしない事にした。
地図も随分変わった。あの超大国アメリカは見る影もなく、「カナダ・アメリカ合衆国(UCAS)」として、辛うじてその名を残しているだけだそうだ。かと思えば、私の故郷である日本は「日本帝国」を名乗っている。呆れて物も言えない。
そして、「魔法」。アレンさんのような「ヘルメス様式」の魔法使い――所謂「メイジ」にとって、魔法と言うのは、「世界を構成する公式であり、化学式」だそうだ。その感覚は、私達に近いかもしれない。
ただ、その魔法を生み出す呪文は、「商品」としてお金にもなるらしい(なんと、著作権まであるそうだ)。そんな事、向こうでは考えた事もない。商魂逞しいと言うか、なんと言うか……私の理解を越えているのだけは事実だ。
アストラル界についても、教えてもらった。そこを感知する方法や、投射する方法も。でも、教えてもらう様式が違うせいか、なかなかうまくいかない。今のところ、何とか薄ぼんやりと感知できる、と言ったところだ。
魔法の「復活」(ここでは、そう言われているそうだ)と共に、伝説の中にいた者たちも帰ってきたそうだ。
フェイさんやランドールさんのような「オーク」や、黒ひげさんのような「ドワーフ」。他にも、「エルフ」や「トロール」などもいるらしい。ドラゴンもいる、と聞いたときは、さすがに驚いた。
もっとも、物理的、魔法的のみならず、政治的、経済的にもとんでもない力をもっているそうなので、「関わり合いにならないのが一番」だそうだ。でも……
ドラゴンが、変身魔法も使わないで会社の社長になってるってキャロやヴォルテールが知ったら、どう思うだろうか。気になって仕方がない。
それと……この2週間でもっとも理解した事。それは……
ここが、ヴィヴィオの教育上よろしくないという事。それも、ここにいる人たちが原因で……
ここの家主であるアレンさんは、まだ常識的なほうだ。問題があるとすれば、暇があるとお酒を飲もうとする事と……問題児に何もいわない事。既に、諦めの境地に入っているみたい。
で、問題児その1のフェイさん。アレンさんとチームを組んでいるので、ここに入り浸る事は問題ない……かもしれない。だけど……
ここにいる時間のほとんど全てをトリデオ(なんと、3Dのテレビだよ)にかじりついて、延々と香港アクション映画の鑑賞に費やすと言うのは、どうだろうか? しかも、目を輝かせてるし。
もっとも、事務所の掃除を率先してやっているところを見ると、まだましなのかもしれない。多分、「狂的なまでのガンアクション好き」と言うだけなのだろう。それだけでも十分だが……
それに輪をかけてひどいのが、問題児その2のランドールさんだ。と言うか、もはや「ひどい」というレベルじゃない気もする。
何せ、この2週間、ランドールさんが話しているところを見た事がない。と言うか、声そのものを聞いた事がない。しかも、やってることがあまりにも自堕落だ。
事務所に来て、部屋の片隅で寝転がっているだけ。たまに起き上がってくると、トイレに行くか、いつの間にか注文していた宅配ピザを食べるか。後はひたすら寝転がっている。
いったい何をしているのか。アレンさんによると、ネットゲームに興じているらしい……わざわざアレンさんの事務所まで来て。
今は、ここ、アレンさんの事務所兼自宅の部屋を借りているような状態だ。あまり大きな事は言えない。だけど……
ヴィヴィオが、この人たちの真似をしないように気を付けねば。そう心に誓った、高町なのは、19歳の晩秋でした。
「うぉ~い、お届け物だよ~」
そんな、微妙に胃が痛くなる日々を過ごしていたある日、フェイさんが小包をもって、事務所にやってきた。どうやら、アレンさん宛の小包らしい。
「さっきそこで『アレンに』って渡されたんだけど、何頼んだの?」
……と言うか、無茶苦茶怪しいと思うんですけど……そんなものを持ってきますか?
そんな事を思うが、当のアレンさんは、まったく意に介すこともなく、
「あぁ、頼んでおいた奴が来たんだろう」
と返す。そして、私たちの方を振り返り、その小包を渡した。
「……と言うわけで、ようやく、待望のコムリンクの到着だ。もちろん、SINのデータも入っているし、口座も作って、多少なりとも金も入れてある。
……言っておくが、安い買い物じゃなかったと言うことだけは、覚えておいてくれ」
「あ……ありがとうございます」
「ありがとうございます、アレンさん」
……随分と脅しが利いてます。ヴィヴィオは気付いてないみたいだけど。
とは言え、これについては、感謝するしかない。これで、ある程度の行動の自由が出来たのだから。
……やっぱり、お金って大切だよね。この2週間は、特にしみじみと感じたよ。
心の中で涙と共に感謝しながら、箱を開ける。そこに現れたのは、携帯電話を一回り小さくしたような機械が二つと、流星をイメージしたちょっと大きめのバレッタと、リボンのついた子供用のカチューシャが1つずつ。
「これが……」
「うわ~、かわいいっ!」
ヴィヴィオは素直に喜んでいる。確かに、このカチューシャは可愛いと思う。だけど、これだと髪型変えないといけないかなぁ……
そう思いながら、ヴィヴィオにカチューシャを着けてあげる。とりあえず、髪を留めているリボンの位置に、飾りのリボンがくるように調節してあげる。……悪くは無いんだけどねぇ……
「にあう?」
「う~ん……髪型変えたほうが、もっといいかもしれないね」
「むぅ……」と少しむくれるヴィヴィオを見ながら、自分もバレッタを着ける。こういうのならともかく、カチューシャみたいのだと、髪型から変えなきゃいけなくなるんだけど……
「へぇ~、トロードにしたんだ」
「あぁ。余分な装備を付けれない分、そっちの方が安いからな」
……そんなフェイさんとアレンさんの会話が、私の顔を引きつらせた。ごめんなさい。いろいろと負担をかけてごめんなさい。
ちなみに、トロードと言うのは、脳と直接、超音波での信号のやり取りをする装置だそうだ。それがどう言うものかは……「着けてみればわかる」とはぐらかされたけど。
こういった出力機器は、アレンさんの片眼鏡や、フェイさんのコンタクトレンズのように、いろいろな形態があるみたい。中には、ランドールさんみたいに、コムリンクごと脳内に埋め込む人もいるとか……
なんにせよ、これでコムリンクを使う準備が出来た、と言うわけだ。早速起動してみると、視界の片隅に、空間モニターのようなウィンドウが現れ、メーカー名らしきものを映し出す。これが起動画面、と言うわけか。
それが終わると、そのまま日付やら時刻やらの情報が映るウィンドウを残し、何の変哲もない視界に……って……
「あの~、この時計って、消えないんですか?」
[設定で消すことも出来るよ。やってあげようか]
「はにゃっ?!」
突然現れたランドールさんの顔に、間抜けな声を漏らしてしまった。もうちょっと、心の準備がほしいなぁ……
「あ……いえ、やり方だけ教えていただければ……」
……などと言ってるうちに、時計がなくなり、視界にあるのは、ランドールさんが映っているウィンドウだけになった。……え~と……
「……こういうのって、持ち主以外の人がいじれるものなんですか?」
[まぁ、それが僕の仕事だしね]
「ハッカーが相手なんだから、諦めたほうがいいよ。アレンなんて、管理者権限すらあるのか怪しいし」
……それはそれでどうかと思います。って……
「ランドールさん、ハッカーだったんですか」
衝撃の事実に、思わず、ランドールさんの方を見……そういえば、
「……って、なんでランドールさんは、通信越しでしか話さないんですか?」
未だ寝転んだまま、身動き1つしていないランドールさんを見て、そう尋ねた。
そう、今聞いている声は、「前から」聞こえるのであって、「ランドールさんの方から」聞こえるわけではないのだ。つまり……ランドールさん、一言もしゃべってないです。
[まぁ、今はマトリクス――簡単に言うと、仮想現実で作られた、コンピュータネットワーク空間にいるからね。そこからチャットソフトで話してるから、仕方がないんだよ]
「……そういえば、ランドールの肉声聞いたのって、いつ以来だろう……?」
……え~と……新手の引きこもり?
とは言え、そんな事を本人に聞くわけにもいかないし、フェイさんもどう言っていいのか悩んでるみたいだし。アレンさんは、いつの間にか、出かける準備をしているし。
……って……
「それじゃ、ちょっと打ち合わせに行ってくるわ」
[お土産よろしく~]
「うまくいったらな」
ランドールさんの要求に、「期待するな」といわんばかりの返事を返し、恐らく仕事――彼らが言う「シャドウラン」の打ち合わせなのだろう。
そういえば、コムリンクとかSINとかで、随分と無理をしてもらってるんだった。申し訳ない気持ちになってくる。
何か、手伝えるといいんだけど……
「でも、この空間モニターって、触れないんだね」
そんなとりとめの無い思考を、ヴィヴィオの声が遮った。
[あぁ、それは視覚情報しかないからね。
って言うか、君たちの世界にも、似たようなものがあるんだ]
「えぇ。モニターとかキーボードとかを、何もない空間に出すことも出来るんです」
本当は、ちゃんと魔法陣を利用するんだけど、あまり間違ってないし、いいかな。2人とも、納得してくれたみたいだし。
[こっちでは『アロー(ARO)』――『強化現実オブジェクト』って言うけどね]
「アロー……ですか」
[そう。現実世界に情報をオーバーレイする『AR』――『強化現実』の中で、視覚情報を持ってる物の総称、と思えばいいかな。
このウィンドウみたいに、視覚情報しかない物もあるし、今ヴィヴィオにつけたみたいに、触覚情報をもつものもある]
「はい?」
何か今、すごく不穏当な発言があったような……そんな気がしたので、ヴィヴィオを見て見ると……
ネコ耳(+鈴リボン付尻尾)を着けたヴィヴィオがそこにいました。
……って……ぇええええぇっ!!
「まぁ、ヴィヴィオにもちゃんと見せとく?」
と言うが早いか、フェイさんはヴィヴィオに鏡を渡してしまう。
鏡の中の自分を見て、頭の上にあるネコ耳をぱふぱふと叩いて、腰から生えた尻尾を揺らして、ヴィヴィオは、自分に起きた事を理解した。
顔がほころんでいく。瞳が、喜びで輝いていく。そして、禁断の言葉を発してしまった。
「うわぁ~、かわいいっ!」
嗚呼、何か大切な物を失わせてしまったようだ。私は、思わず涙を……
「なのはママッ、にあうっ?!」
「うん、とってもかわいいよ」
……私も、人として越えてはいけない一線を越えてしまったようです。嬉しそうに言っちゃだめでしょぉっ?!
嗚呼、でも……心の葛藤とは裏腹に、ヴィヴィオの頭を撫でてあげる。いつもの髪のさらさらした感触に加え、ネコ耳のふかふかした感触が……っ! 嬉しそうに揺れる尻尾に合わせ、涼やかな音を立てる鈴が……っ!
くっ……癖になりそうです……
「……って言うか、何であんなプログラムもってんのよ」
[備えあれば憂いなし、って言うでしょ]
「どんな備えよ、いったい……」
フェイさんとランドールさんの間で、そんなやり取りがあったそうですが、私には、完全に意識の彼方でした。
高町なのはとヴィヴィオがここに来て――正確に言うと、この世界に来て、2週間がたった。
その間、俺は、なのはがいた世界について、いろいろと訊く事が出来た。
まず、なのはが地球出身だという事。ただし、今俺たちがいる「地球」ではなく、別の「地球」――しかも、60年は昔の日本だと言うことだ。そこには、魔力をもつものなどほとんどおらず、なのは自身が「異常」なのだそうだ。
ヴィヴィオは「ミッドチルダ」と呼ばれる次元世界(なのは達はこう言うらしい)の出身だが、両親がいないので、なのはが養女として迎え入れたらしい。20にもなっていないそうだが、随分と思い切った事をしたものだ。
生活費とか養育費とかはどうするのか、と訊けば、ちゃんと仕事をしていると言う。
なのはが所属しているのは、「時空管理局」と言う、無数の次元世界の治安維持と司法を受け持つ組織。その中でも、教導隊員だと言うから驚きだ。
言ってしまえば、エースの一人だ。ヴィヴィオが言うには、「エース・オブ・エース」と言われているらしい。どんだけ強いんだよ……
まぁ、ローンスターを辞めざるを得なかった俺からすれば、うらやましい限りだ。俺のように、「見なくていい物」を見ないように、祈るしかない。
それと、ミッドチルダでは魔法技術が発展しており、武器に至っては、ほぼ全てが魔力を使うだそうだ。魔力を使わないものは、拳銃でさえ、そう簡単には許可がおり無いらしい(フェイが悲鳴をあげたのは、言うまでも無い)。
サイバーウェアなんかも、義肢程度のものならともかく、身体能力を向上させるような物は無いらしい。そんな状態で、治安維持を行わねばならんのか……マンデイン(魔力を持たない者)達の悲鳴が聞こえる気がする。
そんな世界でエース・オブ・エースなんて呼ばれているわけだから、当然なのはも魔法使い。何でも、「ミッドチルダ式」と呼ばれる、魔力を使ってさまざまな効果を発生させる様式らしいが……そりゃ、普通じゃないのか?
まぁ、そういうのが苦手な様式もあるそうだから、向こうじゃそんなもんなんだろう。あまり細かく突っ込んでも、教えてくれそうに無かったし。
あと、魔法と言っても、彼女たちにとっては、プログラムの一種らしい。こいつについては、公式として考える俺達メイジに感覚は近いのかもしれない。
それにあの謎の宝石――レイジングハート。何でも、「デバイス」と言う魔法の補助をしてくれるものだそうだ。こっちで言うところの「収束具(フォーカス)」と言ったところか。
しかし、レイジングハートのようなAIをもつデバイス――インテリジェント・デバイスだと、呪文の維持や魔力の増加だけでなく、勝手に防御魔法を使ってくれると言うのだから……理解の限界を越えた何かだという事はわかった。
もっとも、魔力の増加については、「カードリッジ」と呼ばれる、弾薬のようなものが必要だというのだから、今ひとつ、万能と言うわけではなさそうだ。
しかし……あの不恰好なマガジンがそれだったとはなぁ……おかげで、レイジングハートから
『It cannot be thought the expression to a lady』
なんていわれるし、フェイからは
「AIに呆れられるなんて、すごいね」
なんて賞賛(?)を受けるし……
って言うか、何でそこまで言われなきゃならんのだ、俺?
なぜか孤独を感じながらも、とりあえずやらねばならないことも理解した。
まずは、彼女達がこっちで生活するために必要なものをそろえることだ。服やらなんやらはフェイに任せるとして、偽造SINは、さすがにフィクサーを頼るしかない。ついでに、コムリンクも一緒に、だ。
とりあえず、住居については、俺のアパートの空き部屋で我慢してもらおう。レイチェルに頼む、というのも考えたが……あっちも「企業側」の人間だ。彼女なら、非人間的な扱いはしないだろうが、周りまでは保障出来ない。
あとは、魔法を極力使わせないこと。目立たれても困るのだ。いろいろと。
ちなみに……「オークの女を引っ張り込んでいる」「オークの男を引っ張り込んでいる」という評判に加えて、「日本人の母娘を引っ張り込んでいる」という評判が加わったのだが……
……泣いていいよな?
ここしばらくは、ニュースを確認する事が日課になっていた。それも、地元の話題からゴシップ関係の物まで、手広く確認するのだから、面倒と言えば面倒だ。
だが、俺達の仕事としては、大事にしてしまったのだから、その経過を調べないと、おちおち次の仕事を引き受けるわけにはいかない。
まぁ……レイチェルに確認はとったとは言え、さすがに、「家に車を突っ込ませて炎上させる」というのは、過激だったかもしれない。
とは言え、さすがはビッグテン(10大メガコーポ)の一角を占める三浜の敷地内での出来事。数日のうちに、この話題は無くなってしまった。
元は向こうのミスなのだからこそ、そこまで手を回してもらえた、とも言えるが。
なんにせよ、必要なものの値段が値段だけに、財布の中身が寂しい限りだ。もうそろそろ、一仕事しておきたいのだが……
「うぉ~い、お届け物だよ~」
と、小包を抱えてフェイがきたのは、そんな事を切実に感じていたときだった。
「さっきそこで『アレンに』って渡されたんだけど、何頼んだの?」
あの野郎、ちゃっかりサボりやがって。
まぁ、必要な物が来たのだから、良いとしよう。それに、2週間で用意してきた事については、感謝するしかない。その分、飛んでいったものも大きいが……
「あぁ、頼んでおいた奴が来たんだろう」
偽造SINとシム・モジュール装備型のコムリンク、それに、トロードを各2セット。それを早急に。
はっきりいえば、無茶もいいところだ。こんな注文、よく受けたと思う。まぁ、発注したのは、俺なんだが……
「……と言うわけで、ようやく、待望のコムリンクの到着だ。もちろん、SINのデータも入っているし、口座も作って、多少なりとも金も入れてある。
……言っておくが、安い買い物じゃなかったと言うことだけは、覚えておいてくれ」
……実際、レイチェルの援助がなければ、身体を売る必要さえあった額だ。五臓六腑ばら売りセールを敢行しなくてすんだのは、まさしく、レイチェルのおかげだ。おかげで、しばらくは頭が上がらんのだが……
「あ……ありがとうございます」
「ありがとうございます、アレンさん」
無邪気に感謝するヴィヴィオとは違い、なのははさすがに何かを感じ取ったようだ。まぁ、子供の前でするような話ではないし、そもそも、恩着せがましくいう気もない。ただ、にじみ出てしまうだけだ。
「これが……」
「うわ~、かわいいっ!」
箱の中身を見ての最初の感想が、それだった。注文したとは言え、俺も見るのは初めてだ。果たして、どんな物を送ってきたのか、と期待してしまう。特にトロードは、様々な種類があるから、どんな物を選んできたのかと興味がある。
見れば、流星を模した髪留めと、子供用のカチューシャ。なるほど、センスは悪くないようだ。
「にあう?」
「う~ん……髪型変えたほうが、もっといいかもしれないね」
早速トロードを着けて、きゃいきゃいやってるのを横目で見ながら、フェイが話しかけてきた。
「へぇ~、トロードにしたんだ」
「あぁ。余分な装備を付けれない分、そっちの方が安いからな」
視覚情報しかないアローだけなら、眼鏡やコンタクトレンズという手段もあった。日本人だから、眼鏡をかけてても問題はないだろうし。……っと、これは偏見か?
だが、他の情報――特に触覚情報となると、さらに装備が必要になる。それなら、シム・モジュールでコンピュータの信号を神経信号に変換し、トロードで直接神経に送り込んだほうが、随分と安上がりだ。
もちろん、欠点もある。その最大の物が、電子的な視覚強化が行えない――つまりは、暗かろうが眩しかろうが、補正してくれるものがない、ということだ。
いざというときには問題になるが、その「いざ」というときなど、ランナーでもなければ、そうそうある物ではない。ならば……ということで、この選択をした、というわけだ。
あとはまぁ、気に入ってくれるかどうか、だが、それに関しては、問題なかったようだ。ほっと一安心。
と、そんな時にコールがなる。件のフィクサーから、電話が来たようだ。
『Hoi, chummer. お届け物は届いたかい?』
「あぁ、今、それで騒いでるところだ」
まったく、計ったようなタイミングだな。
『しかし、随分と思い切った買い物をしたな。そんなに羽振りが良いとは思わなかったぜ』
おいおい……
「おかげで残高はほぼ0だがな」
というか、むしろマイナスだ。まったく、情けのない話だが。
『そいつはよかった。ちょうどお前さん向きのビズがあるんだが、どうだ? 伸るか反るか、今すぐ決めてくれ』
……なるほど、そのためにこのタイミング、と言うわけか。
「生憎、財布の中身が友達を欲しがっててね。断れそうもない」
もっとも、そのまままたどこかに旅立ってしまいそうだが。
『後悔するなよ』
「後悔はするものだ。
で? 仕事の中身は?」
『何、ちょっとした人探しだ。まぁ、時間は掛かるだろうが、見入りは悪くないだろう。
いつもの『アイアンフィスト・グリル』に待たせてある。可及的速やかに頼むぜ』
「あぁ、分かった。早速向かうよ」
電話を切って、ちらりと振り返れば、まだきゃいきゃいやっているようだ。そんな騒がしさをBGMに死ながら、愛用の防弾コートを羽織る。
「それじゃ、ちょっと打ち合わせに行ってくるわ」
未だ騒いでいる連中に向かって、とりあえず呼びかけておく。どうせ、返事はないだろう、と思っていたが……
[お土産よろしく~]
……なんとも味気ない見送りだ。
「うまくいったらな」
もはや、何度切ったか分からない空手形を、今回も切りながら、俺はその場を後にした。
打ち合わせの場所に来て見れば、すでに話が通っていたのだろう、日本人らしき男が、軽く手をあげて挨拶をしてきた。
きっちりしたスーツに、貼り付けたような笑顔。いかにも社畜(サラリーマン)然とした男だが、たった一つの特徴が、その全てを打ち壊した。
両目を真一文字に切り裂いたかのような刀傷。それが全てを打ち壊している。
そして、もう1つの違和感。それは、この男がたった1人だということ。つまり、護衛も無しに、ランナーとの打ち合わせに来ている、ということだ。
恐らく、見た目どおりの男ではあるまい。そう肝に銘じ、声をかける。
「ミスター、あなたが依頼を?」
相手は、こちらの問いかけに軽くうなずき、
「えぇ。その通りです。アレン・ブラッカイヤーさん。
あなたの友人から聞いていますよ。他はともかく、探す事だけはそこそこ出来る、と」
……あの野郎、どういうい紹介をしやがった……
「申し遅れました。私は……そうですね、『刃衛』と申します。以後お見知りおきを」
……おいおい……
「……ミスター、こういうのは初めてかい?」
「はて、何かおかしな事でも?」
心底不思議そうに尋ねてくる。そんな様子に、小さくため息をついてしまう。
「何、いくら通り名でも、ランナー相手に名乗るミスター・ジョンソン(企業代理人)っていうのは、まず、いないからな」
「『まず、いない』というのは、『まったくいない』というわけではありますまい?
それに、これには重要な理由もあるのです」
理由……ねぇ。
「まずは、こちらの依頼を述べてもいいですかな?」
こちらが理由を予想するのを遮るかのように、刃衛さんは話し始めた。
依頼そのものは、単純なものだった。会社のデータを持ち出して出奔した2人組を探し出して、データ共々確保する。それだけだ。だが……
「これ以上の情報は、引き受けてくださった後で。あと、私から言える事は……
報酬は、1人につき1万新円。もちろん、捕獲対象ではなく、あなたのチームの1人につき、です」
この報酬に、俺は、口に含んだコーヒーを噴き出しかけた。むせて咳き込むのをこらえながら、何とか声を出す。
「ちょ……ちょっと待ってくれ、ミスター。その報酬は、その……破格過ぎないか?」
そう、その額は、半年近くは生活できるほどだ。いくらなんでも、そんな額を……
そんな怪訝そうな顔に気付いたのか、刃衛さんは軽く微笑みながら続けた。
「もちろん、仕事を完遂した場合のみ、です。それと、期間は一週間と、内容の割には少々短期ですので、それを考慮した額になっています。
なお、前金2、成功報酬8、という事になります。もっとも、状況によっては減額する事もありますので、ご了承いただきたい」
……それでも、あまりに高すぎる。何か裏があるのではないか、と勘繰ってしまうほどに。
[……アレン、どうするんだい?]
ランドールからの通信。チャットソフトを使った電子音声のはずなのに、そこには警戒の色が見て取れた。
「不審に思われるのも仕方がない事ですが、こちらとしては、人物もデータも、それだけ重要なものである、ということです。それ故のこの額だ、と認識していただければ、幸いです」
突然割り込んできたランドールにも動ぜず、刃衛さんは説明を追加した。
しかし、そうなると……
「つまり、それだけの危険もある、ということですか」
「そう思っていただいても結構です。もっとも、最大の敵は『時間』だと思われますが」
そう薄く笑う。なんともいやな笑い方だ。即決を求める事だけは分かったが、それでもやはり、訊いておきたい事はある。
「最後に1つだけ。あなたは何処から来たのですか?」
あまりに直接的過ぎる問いかけだ。だが、時間がないと言っている以上、下手に遠まわしな言い方をするより、答えてくれそうな気はする。
「……今はお答え出来ません。請けて頂けるのでしたら、言わざるを得ませんが」
……なんとも、徹底しているな。こうなっては、これ以上は無理か……
はっきり言ってしまえば、これはかなりヤバそうな仕事だ。大体、あまりに気前のいい仕事は、それだけ危険が多い。
とは言え……やる事は人探し。それにデータが付いてきているが、売却済みとなれば、こちらの手からは離れる。しかも、肝心の人探しさえ、シアトル限定ときた。
そうなると、この額は恐らく、口止め料と考えたほうがいいか。物によっては、口封じの可能性もあるから、危険である事に変わりはない。
これが、懐が暖かいときなら、こんなヤバそうな仕事なんて、そう悩みもせずに断るところだが……今の状況が恨めしい。
しかし……そういった危険が予想出来るなら、対処も出来る。そこに賭けるか……
「……分かりました。引き受けましょう」
どこか諦めに似たものを滲ませながら、俺はそう答えた。
だが、俺は1つ、とんでもない事を忘れていた。
俺はなぜか、幸運の星から見放されている、という事を……
最終更新:2008年12月19日 23:57