その日、風が強く吹いていた。
勢いの割に温く湿り――そして死臭を帯びた何とも不快な風。
死を纏う風は戦士たちの頬を撫でる。それでも、彼らはその場を去ることも、顔を覆うことさえ許されなかった。
数度の戦闘を越えてなお、足が竦みそうになる。それでも退けない理由があった。
目の前で異形が蠢く。屍が動き出し、屍の山を築く。
おびただしい量の血が道路を赤に染め、引き千切られ、切り裂かれた腸が壁に叩きつけられていた。
陽光に照らされた街中は静まり返り、遠く響くのは悲鳴とサイレン。陽炎が揺らめく景色の中、一人踊るように身をくねられせる怪物は、酷くその場に似つかわしくない存在。
悪夢と思いたくなるほどの地獄で唯一、風の運ぶ臭いだけが現実感を繋ぎ止めていた。
惨劇の中心で返り血を浴びて嗤うものは、最早屍ですらなく。その骨格は金属のようでもあり、甲殻のようでもある。皮膚は爬虫類のように硬くざらついていた。
鎧のような身体でありながら武器は持たず、代わりにあるのは異常に盛り上がった筋肉と鋭い爪。ガラスや鉄片で構成された爪は血で赤く染まっている。
力任せに人体を骨ごと容易く引き裂いたことは想像に難くない。
デモニアック――誰が名付けたかも知らない通称だが正確な表現だと思う。眼前の醜悪な化け物が、元は人であったとはとても信じ難く、信じたくもない。
見る者に無条件で嫌悪と恐怖をもたらす怪物。それはまさしく悪魔だった。
BLASSREITER LYRICAL
第一話 夢の終わり
融合体――それが突如としてミッドチルダを恐怖の渦に陥れた怪物の公称である。
以前から都市伝説として囁かれ、過去の猟奇殺人を紐解くと、融合体によるものと思しき事件もあったという。
しかし、頻繁に出現し白昼堂々と人を襲いだすようになったのはここ数ヶ月のことだ。
デモニアックとも呼ばれる怪物は、その名の通り悪魔じみた姿をしているが、元は人間の死体である。遺体が突然起き上がり、怪物に変異するのだが、依然としてその原因は不明。
デモナイズする条件、その生態や思考形態etc……融合体に関するほとんどは未だ謎のヴェールに包まれている。
それでも人は戦わなければならなかった。考えるよりも先に、生き残る為に。
では何故彼らは融合体と呼ばれるのか。それは彼らについて分かっている数少ない事実の一つに由来する。
彼らは金属等の無機物と融合する能力を持っていた。単に融合するのみではない。車と融合すれば車の性質ごと支配、時には強化して利用する。
或いは電話等からネットワークを介して情報を操ることすら可能かもしれないが、その原理もまた不明である。
融合体は生命活動を停止すると同時に消滅する。欠片も残さず塵になってしまい、芳しい調査結果は報告されていない。
彼らは拘束することも無力化することも極めて困難な為、未だ彼らを分析することはできていない。
突然変異なのか、それとも誰かが何らかの目的で生み出したものなのか。仕組まれた存在だとするならば、彼らを生み出した技術こそが悪魔の知恵だと言えるだろう。
※
ティアナは自室で頬杖を突きながら、融合体に関して自分なりに振り返っていた。事の起こりは、訓練も軌道に乗り、自分自身強くなった実感を得始めていた矢先のこと。
ミッドチルダは、そして管理局は蜂の巣を突いたような騒ぎとなったが、対策は意外にすんなりと講じられた。まるでこうなることを予期していたかのように。
融合体の存在が公になってすぐに地上本部主導で、銃器を始めとする質量兵器を装備した対融合体特殊部隊『XAT(Xenogenesis Assault Team)』が設立。
これに対して、本局や教会に異議を唱える者もいないではなかったが、結局魔導師だけでは到底手が足りないことは確かだった為、なし崩し的に稼働されることになったという。
結果これが功を奏した。ミサイルを搭載したバイクに、自身もマシンガンやライフルで武装。訓練を重ねたXAT隊員は並の武装局員に比べれば、遥かに機動性、火力共に長けていた。
逮捕するでもなく、無力化するでもない。ただ殺し、破壊するのみ。それならば手軽に魔導師以上の成果を上げることができた。
しかし、これだけの戦力を以てしてもなお、人は死んでいく。
事実、時空管理局の殉職者数はここ数ヶ月で昨年までの平均を大きく上回っている。魔導師でも、最低Bクラス以上でなければ対抗できないのが現状だ。
この異例の事態に驚くほど早く対応した地上本部と対照的に、本局からは未だ応援などは来ていない。
大方、この期に及んでつまらないことで議論が続いているのだろうが、その辺りのしがらみは自分には知る術もなかった。
上層部の事など知らない。しかし、現状訓練やレリック事件の捜査も思うようにはかどらず、
XATや隊長達と融合体撃退に出動する毎日を送っていると、六課設立の経緯や、地上本部が強硬な手段に出るのも頷けた。
ティアナは何度目かのため息を吐く。疲れているのは体か心か、そのどちらもか。
「ティア……ここにいたんだ」
遠慮がちなノックの後にスバルが姿を見せた。普段はノックなどしないくせに、ここ最近の彼女は随分としおらしい。
「まあね……」
ティアナはそっけなく答えると、視線をスバルから外した。彼女に対して思うところがあるわけではないが、今は沈痛な表情を見る気になれなかった。
見ていると暗い気分になってしまい、辛いことを思い出してしまいそうになるから。
しかし、それも無理からぬことだろう。自分を含めて、隊の全員がどこか重い空気を背負い、緊張を隠せないでいた。
最近になってようやく元に戻りつつあるが、ティアナはそうもいかなかった。
机に立てかけてある写真立てには、ティアナとスバルと、もう一人。自主訓練後に撮ったもので、汚れまみれで笑いあう二人を、彼は白い歯を見せて笑っている。
一週間前、機動六課で初めての殉職者が出た。その事件は管理局の融合体に対する認識の甘さを思い知らされる結果となり、隊内にも大きな波紋を生んだ。
ヴァイス・グランセニック――ティアナの自主錬をよく見守って、時にはアドバイスもくれた兄貴分のような存在。そんな彼は、操縦するヘリごと融合体によって"破壊"された。
まだ融合体と単独で戦うことは危険だと判断された新人フォワード達は、常に4人でフォーメーションを組んでの戦闘を徹底されていた。
しかも、隊長か副隊長が必ず付くことで、確実に融合体を撃破すると共に、なるべく危険を排そうという態勢を取った。
融合体の撃退は本来ならば、古代遺失物管理部である六課の管轄ではない。
しかし、六課が相当の戦力を有していること、本局と地上本部とで板挟みにあること等が原因となり、今ではこちらが主になりつつある。
或いはそれによる精神的、肉体的疲労が原因の一つだったのかもしれない。だが、そんな言い訳で誰も許しはしないだろうし、何よりティアナ自身がそれを許さなかった。
融合体との戦闘に際して、トップを務めるのは隊長クラス、もしくはスバルとエリオ。続いてティアナとキャロが仕掛ける。中でもティアナの役割は多い。
例えばトップが攻撃に入る前の牽制、援護。戦局を把握して指示を出すこともあり、特に隊長達が単独で1体抑えていれば、実質ティアナがリーダーになる。
とどめもティアナが担当することが多く、スバルやエリオが引きつけている間に、後方からチャージショットで急所を狙い撃つ。
混戦ともなれば、スバルやエリオは2体以上を同時に相手取ることもある為、1体に意識を集中はできないからだ。
こと融合体との戦闘において非殺傷設定は使用されない。十分に魔力を込めた魔力弾なら、融合体の身体でも貫く。
それ故に、ティアナは一番多く融合体に死を与え、融合体の死を見てきた。
最初の内は融合体の頭を撃ち抜くことに拒否感も覚えたものの、やがては抵抗も薄らいだ。
これは人ではない。
死体ですらない。
市民を傷つけ、恐怖をまき散らす化物に過ぎない。そう念じることで心の平静を保つ。
自分が迷うことで仲間や市民が死ぬことになるのだと知っていたから。
その日も同じはずだった。狙った標的を確実に撃てばいいだけ。そう、思っていた。
※
その日、市街地に現れた融合体は三体。ヴィータが一体を引きつけ、四人が残りと戦う。
エリオが融合体の脇を斬りながら素早く走り抜ける。怯んだ融合体の腕を左手で払い、腹部に全力のリボルバーナックルを叩き込むスバル。
半身をずらしたスバルは融合体の横を抜けつつ、おまけとばかりに後頭部に肘鉄を食らわせる。
すぐさまスバルは次の融合体に標的を移し、エリオは既にそちらに注力していた。融合体はというと大きく体勢を崩し、頭をティアナに向けて突き出している。
まるで止めを刺してくれと言わんばかりの姿勢。魔力弾のチャージは終わっていた。慎重に狙いをつけ、引き金に力を掛ける。
そして引こうとした。しかし引けなかった。銃口で発射の時を待っていた光は急激に収束していく。
カタカタと小刻みに震えだすクロスミラージュ。驚愕に見開かれる眼。
その先にあるものは、
「撃たないでくれ……死にたくない……。魔導師なんだろ……どうして俺を殺そうとするんだ」
紛れもなく人間の顔だった。およそ30代の、服装も何もかも何の変哲もない男の顔。
しかし、瞳から零れる涙は血のように赤い。否、血液にしか見えない。
顔面には神経のように太い線が浮き上がり、その線が赤く光を放つ。
「え……あ……」
漏れるのは言葉にならない喘ぎばかり。全く想定していなかった状況に混乱し、視界が揺らぐ。男の顔を捉えることすらできない。
「俺はデモニアックなんかじゃない……これは何かの間違いだ……。いやだ……死にたくない……殺さないで……」
だらだらと両目から溢れる血の涙。その瞳は覗き込んでいると、こちらまでおかしくなってしまいそうな瞳。
「っ……落ち着きなさい!! ゆっくり膝をついて両手を地面に付けて顔を上げて……」
なるべく目を見ないように声を上げる。辛うじて銃口は外さなかった。
男は壊れた操り人形のような仕草で膝を付くが、その目線は徐々に外れ、どこを見ているのかやがて宙を彷徨いだす。
全身を襲う悪寒を堪えて男を促すティアナ。しかし声の震えだけは隠しきれなかった。
「ゆっくりよ……悪いけど、拘束させて貰うわ。抵抗しなければ撃たないから……」
いつでも飛び退け、なお且つ狙いを外さない距離を保ったティアナは、指示を仰ごうとヴィータを見た。
「ヴィータ副隊ちょ――」
瞬間、轟音と共にビルの壁面が大きく凹んだ。ティアナも、ひざまづいた男の視線も、そちらに誘導された。
崩れ落ちる壁面の粉塵の中には、ヴィータのデバイス『グラーフアイゼン』によって顔面は潰れ、首や関節があらぬ方向に折れ曲がった融合体。
容赦なく破壊され、半端に人型を留めた融合体は明らかに生命活動を停止し、今まさに塵に変わらんとしていた。
味方であるティアナですら残酷と感じる光景。ましてや、同じ立場に置かれた者ならばその恐怖は計り知れないだろう。
まずい――そう感じたティアナは目の前の男に視線を戻した。
「いやだ……お前達はああやって俺も殺すんだろう! 死にたくない! 死にたくないぃぃぃィィ!!」
案の定、ヴィータの行動に刺激されたようだ。狂乱した男は、瘧のように身体を震わせ、顔の神経のような線は赤い光を増し、全身を包み込んだ。
ティアナの見ている前で、男は再び融合体に姿を変える。血の涙もそのままに。
「ちぃっ!!」
一瞬の躊躇の末、ティアナは撃った。非殺傷設定で、しかも足を狙って、である。
その躊躇が災いしてか、融合体は驚異的な身体能力で魔力弾をかわす。スバルやエリオの攻撃が効いているにも拘らず、最初よりも遥かに速く駆け出した。
「止まりなさい!!」
叫びながら続けざまに撃つが、魔力弾は融合体の足元を抉るのみ。融合体の逃亡を止めることはできない。
「ティアナ! なにやってんだ!!」
ヴィータから叱責が飛ぶ。焦りに突き動かされて追尾弾を放つも、それすら想像以上のスピードによって振り切られてしまう。
そして、融合体はあっという間にビルの隙間に消えていった。
「ティアナとキャロはフリードで奴を追え! エリオとスバルはそこのを片付けろ!」
「了解!!」
ヴィータの号令にすぐさま全員が答える。スバルとエリオは既に残った融合体を追い詰めていた。
ティアナはキャロと共に本来の大きさに戻っているフリードに飛び乗り、同時にフリードは空へ舞い上がる。
「野郎……! 封鎖を突破……いや飛び越えやがった!!」
並行して飛ぶヴィータが忌々しげに呟く。
付近一帯は出現と同時に、XATによって封鎖されている。しかし今、目標はビルの壁面を蹴り上がり、ビルの屋上や壁面を縫うように飛び跳ねていた。
発見に手間取ったため、大きく距離は開けらてしまったが、当然走るより速度は落ちる。このままならばすぐに捕捉できるはず。
ティアナもキャロも、おそらくヴィータもそう思っていた。進行方向にそびえる高層ビルの陰から、六課の輸送ヘリが顔を出すまでは。
付近に待機していたのだろう。こんなことがなければ、否、仮にあったとしてもここまで手間取るなど、誰も予想していなかったに違いない。
目標はシミュレーションは勿論、実際にこれまで戦ったどの融合体よりも運動能力に優れているようだった。
ティアナがそれを目視した時は、既に融合体とヘリとの距離は間近に迫っていた。
「ヴァイス陸曹、融合体が接近しています! 回避してください!」
ティアナは必死にヘリに呼びかける。その横では、ヴィータがグラーフアイゼンを振りかぶっていた。
「間に合わねぇ! あたしが仕留める!」
赤い魔力弾が数発、ヴィータのハンマーから撃ちだされる。
弾道は弧を描き、融合体が側面に張り付いたと同時に着弾。小さな爆発が起き、ヘリが揺らぐ。
手応えはあったかに見えた。が、煙が晴れた時、融合体は未だヘリに張り付いていた。
ヴィータもヘリを壊さないよう威力を抑えたとはいえ、激しい風や攻撃にも耐えて懸命にもがく姿にティアナは寒気を覚えた。
機械では決して持たない、生死の淵で生きることを諦めない意志。迫る死への恐怖から来る狂気と言い換えてもいい。
もしも人を凌駕した彼ら全てがそんな強い執念を発揮したなら、自分は生きていられるのだろうか、と。
融合体はそのまま操縦席に這い寄り、左手で何度かドアを殴りつける。無論、そんなことで壊れるはずもない。
しかし、ドアが半ばほどまで凹んだことを確かめると張り付けた手のひらを発光させた。すると、いとも簡単にドアが外れ、操縦席が晒される。
融合したドアごと融合体はヘリに乗り込む。直後、通信は凄まじい悲鳴や衝撃音で掻き消され、ヘリが大きくバランスを崩した。
オートパイロットが作動していなければ、すぐに墜落してもおかしくない。
中で何が起こっているのか、ティアナには分からない。考えるよりも先に近づくこと。ただそれだけを念じ、それでも祈らずにはいられなかった。
状況的に一番危険なのはヴァイスだ。ヴァイスがやられれば、墜落は免れない。
だが、ヘリの中にはヴァイスの他にも3名XATの隊員が搭乗している。彼らが融合体を倒してくれれば或いは。
そんなティアナの願いも空しく、ヘリを一筋の光が貫いた。淡いグリーンの魔力光からしてヴァイスのものだろう。
これまで辛うじて高度を保っていたヘリは急激にバランスを失い、回転しながら落ちていく。
ローターがガリガリと壁面を削り、喧しい音を立てて視界から消えた。
融合体がシステムを乗っ取ったなら、もしくは融合体の撃破に成功したなら墜落はしない。それが意味するものはおそらくは相討ち。
たとえどちらかが生き残ったとしても、最早手遅れだろう。
「ヴァイス陸曹……」
名前を呼んでも答えるものはいない。パイロットを失い墜落していくヘリに追いつくことはできず、ティアナ達はただ見ていることしかできなかった。
墜落現場は凄惨の一言だった。
ビルに突っ込み、その一角を押し潰して炎上するヘリ。炎は建物の中にも燃え広がっており、とても生きている者がいるとは思えない。
避難は完了していたようだが、オフィスらしき部屋は爆発に巻き込まれ瓦礫と化していた。
爆発音を聞いて駆けつけたスバル達の表情も暗く重い。
応援部隊と消火を終え、残骸の中を覗き込むと、むせ返るような熱気と異臭が鼻につく。肌の粟立った腕を押さえると、べたっとした感触が。
それだけでも吐き気をもよおしそうだったが、ヘリの中は更に酷かった。
黒く焦げた遺体、壁や天井にまで散った肉片。遺体が原形をとどめていないのは、爆発の衝撃だけでない何かがヘリで起こったことを容易に想像させる。
先に見たヴィータはエリオとキャロを下がらせ、スバルとティアナもすぐに口を押さえて外に出た。
四人の誰もが瞳に涙を滲ませ押し黙る。口を開けばぬるりとした嫌な空気が入り、肺まで腐らせる気さえした。
そんな四人を尻目にヴィータはロングアーチに連絡を取っている。惨状から目を逸らさず、その拳は怒りと屈辱と諸々の感情で震え、血が流れそうなほど固く握られていた。
これがその日起こった中で、ティアナがはっきりと覚えている事の全て。その後のことは全て、処理を担当した部隊から上を通して伝え聞いたことである。
民間人に死傷者はおらず、死者はヴァイスを含む四名だと聞いた。すべての遺体はバラバラにされた上、黒焦げとなっているため、判別はほぼ不可能だという。
その為、遺体は極一部の人間を除いて誰の目にも触れることなく葬儀は行われた。
ヴァイスの肉親は妹だけで、はやても報告に行ったらしいが、詳しいことは聞いていない。
ティアナとキャロによる詳細な報告は、新たに発見された事実として上に伝わり、またも議論の種になっているらしい。分かったことは主に以下の通り。
- 融合体が人間の意識を取り戻したこと
- 生者が融合体に感染する可能性
- 追い詰められた際に見せた驚異的な能力
- 各個体による能力の差
これによって融合体の認識は改めざるを得なくなり、隊長達は連日XATと対策会議を行っている。
そのこともあって訓練に割く時間は随分と減った。おそらく連日の出動のせいもある。
スバルの顔を見ていると、随分色々と思いだしてしまった。胸の奥からどろりとした嫌なものが広がっていく。不安や焦燥に近いが、自分でもその正体は分からない。
不意にベッドに腰かけていたスバルがポツリと呟いた。その視線は伏せられ、膝の上のこぶしを見つめている。
「ねぇティア……。ヴァイス陸曹のこと……ティアのせいじゃないよ」
ヴァイスの死の件で、ティアナが処罰を受けたり咎められたりすることはなかった。完全な不測の事態で個人の責任とはできないとのことだ。
だからといって考えずにはいられない。もしもあの時、と。
「なんで……そんなこと……」
隠せているとは思っていなかった。それが腫れ物扱いだと分かっていても、今まで触れられなかったのだから、そのままでいてほしかった。
「そんなの……見てれば分かるよ」
ようやく元に戻りかけていたというのに。
急に頬が熱くなる。気づいた時には椅子を蹴って立ち、激昂のままに叫んでいた。
「あんたに……何が分かるって言うのよ!!」
口を吐いて出たのは、そんなありきたりな言葉だった。
見透かされたことが我慢ならなかった。慰められることが耐えられなかった。きっと責められていても自分を保てなかったと思う。
自分が押し潰されないよう、ただ強くなるしかないと思っていたのに。
「あんたはあれを見てないからそんなことが言えるのよ! あんなの見たら……」
撃てるはずがない。
だが撃っていればヴァイスは死なずに済んだ。
「ご……ごめん」
しゅんとうなだれるスバルをティアナは睨みつけ、荒く息を吐いた。全身を覆う熱は簡単には引かず、チリチリと焼けるような怒りが思考を焼く。
「あんたは……」
強いから――多分言いたかったのはそんな類の言葉。だが、二の句を継ぐことができず、ただ答えの出ない問いが頭の中でぐるぐると渦を巻く。
そしてどちらも動くことができないまま数分、出動を告げるサイレンが鳴り響いた。
最終更新:2010年01月14日 17:15