思えば、それは最初から不自然なものだったのかもしれない。
 複数の場所に次々と出現する融合体。順に散り散りになる隊長達。最後に通報があった融合体は、市街地の中心で突然人を襲いだした。
 フォワード4人が向かった場所、そこはさながら地獄絵図だった。血と肉に彩られ、悲鳴をバックに悪魔が踊っている。
 躊躇う暇も臆する余裕もない。考える猶予も無かった。ただただ怒りと使命感に支配され、思考を放棄し、戦いに挑んでいく。
 すると、それまで無秩序に殺戮を行っていた融合体は、4人を見るや手近なビルに逃げ込んだ。
ロングアーチのスタッフ及び隊長達を中心に、一週間前の事件以降、警戒は厳にしてきた。
 通信に応じて、XATをビル周辺の封鎖に配備し、更に2人の隊員が随伴することとなった。
 六人は意を決してビルに乗り込む。たとえそこに罠が待っていたとしても。
 未だ隊長達を含めた誰もが、相手の実態を全く捉える事が出来ていなかった。

 薄暗い空間、冷えた空気にカツンと靴音だけが僅かに響く。何かの会社であろうビルの中には何の気配も感じられない。
 ほとんどが同じ間取りになっているらしく、部屋側にはいくつかの窓が点在している。外側の窓から入る光は少なく、中と外で明暗を分けていた。
 廊下を先頭からスバル、エリオ、ティアナ、キャロの順に、最後尾をXATの二人が務めている。

「何かおかしい……。まるで誘い込まれているような……」
「融合体にそんな知恵があるんですか? これまでの例を考えても、単に数の不利に気付いたんじゃ……」

 その言葉に最初に反応したのはエリオだった。

「でも、私とティアナさんが見たあの融合体は……」
「人間の意識を取り戻して命乞いしてきたって奴か? 悪いが俺達も何十体も相手にしてきてそんなものは見てないんだぜ?」

 キャロがティアナの意見を支えようとするが、それはXATの二人に遮られる。

「向こうから投降してくるなら楽なもんさ。聞く気はないがね」
「それが本当なら、だろ」

 XATの二名はティアナとキャロを小馬鹿にした態度で笑った。
 実際ティアナも、あれ以来一度もそんな場面に遭遇していない。信じてもらえないかもしれないとは思っていた。

「そんな……でも私達はほんとに――」
「今更奴らに人格や人権を主張されて堪るかよ。俺達の同僚だって何人も殺られてるんだ」
「さっきの奴だってそうさ。市民を何人殺したか知れない」

 それを最後に、どこか険悪な雰囲気が漂いだす。その中で口を開いたのは、これまでずっと黙っていたスバルだった。

「たとえ罠でも、あたし達は行かなきゃいけないでしょ。逃げ遅れた人がいるかもしれないんだから」

 スバルの口調には、僅かながら棘があった。目線は全員に向けられていても、ティアナは自分に言っているのだと気付いた。
 出動以来、スバルとは一言も口を聞いていない。流石に八つ当たりが過ぎただろうかと思ったが、今が任務中なのを言い訳にティアナは口をつぐんだ。
時間が経つにつれ気が重くなる。スバルは何も悪くないと頭では理解しているのに、謝ることができずにいた。
 どこからともなく融合体が出現し、街は大混乱に陥った。避難できない人間がいても何ら不思議はない。
 だというのにこの静けさは何だろう。外とは反対に、悲鳴一つ聞こえてこない。それがおかしい。
 警戒を解くことなく、探索は続く。階段をいくつも上がり、いくつも部屋を調べたが、融合体も逃げ遅れた民間人も発見できなかった。
包囲しているXATからも報告は入っていない。
 ふと、ティアナは視線を感じた。このフロアに入った時からずっと続いている、暗く冷たい視線。
 ひりつく気配は徐々に近づき、急速に膨れ上がる。
 ガラスの割れる音が響くと全員が瞬時に音に向き直る。正体は確認するまでもない。
 室内に潜んでいた融合体が窓を突き破ると同時に、キャロ目がけて腕を振り下ろした。

「キャロ!」

 いち早く反応したのはエリオ。ソニックムーブで走り出し、キャロの身体を抱きながらも、勢いは殺さない。
 融合体の腕は空を切り、XATの二人とティアナがすかさず射撃を加える。二人から蜂の巣にされ、止めに急所を狙った魔力射撃。融合体は堪らずその場に倒れ伏した。
一人ならまだしも、これだけ念入りに撃たれれば耐えることはできないだろう。
 いかにも何かが出そうな雰囲気の中、全員が気を張っていたせいか、奇襲にも問題なく対応することができた。見ると、キャロも咄嗟に防御態勢を取っていた。

「ふぅ、これで終わりだな」

 XAT隊員がそう言い、ティアナを除いた全員がほっと息を吐き出した。窮屈なヘルメットを被っていた彼らは一度外して新鮮な空気を取り込む。
 ティアナは倒れ伏す融合体を見下ろして思う。あんな殺戮をしたのが元は人間なのか、この融合体が命乞いをしたら自分は撃てるのだろうか、と。
 塵になって消えていく身体、それが腕に達した時ティアナは気付いた。

「血が付いてない……?」

 ビルに逃げ込んだ融合体は、鋭利な鉄片やガラス片を指に融合させ、爪を形成していた。しかし、この融合体の指にはそんなものは付いていない。

「まさか……!」

 二人の隊員は不用意にも部屋の窓すぐ側を歩いている。もう警戒を解き始めていた。エリオやキャロも気を緩め始めている。
 ティアナ達は逃げた一匹の獣を狩っているつもりでいた。その認識がそもそも間違いであるなど疑うことなく。それ故に、油断を誘われた。
ここは冷徹で狡猾なハンターの領域であり、狩られているのはこちらだ。

「待って! まだいる!!」

 ティアナが声を上げるより早く、窓ガラスが再び破られる。伸びた腕は素早く一人の首を掴んで窓に引き寄せる。その手には血塗られた爪があった。

「畜生、まだいやがったのか!」

 もう一人のサブマシンガンが火を噴く。相方を盾にするような姿勢のせいで急所は狙えず、皮膚をいくらか抉るに留まった。人と同じ、赤い血が飛び散るも、堪える様子は無い。
 XATの狙撃班は通常アンチマテリアルライフルを使用。マシンガンでは急所を狙わないと足止め程度の効果しかない。
 まるで銃撃を意に介していないのか、掴んだ男の右腕を掴み持ち上げる。銃に右手から神経のようなものが伸びて吸いついた。
融合した銃は既に融合体の完全な支配下にあり、それは同じ銃を持つ者に向けて放たれた。
 撃たれた男の胸に無数の穴が開き、パッと鮮血が舞う。掴まれた男の首も、尋常でない力に絞められた為か青黒く変色していた。
 更に二体の融合体が部屋から飛び出す。それも距離が開いたスバルとティアナ、エリオとキャロの間に割り込む様に。
 一体がゆっくりと倒れた男の銃を拾い上げた。あっと言う間に分断され、目の前には三体の融合体。しかも、その内二体に銃を奪われた。

ほんの1、2秒間に過ぎないが、その場の全ての者の動きが止まった。極限まで張りつめた空気がそうさせた。
 弓の弦が引き絞られるように、双方動くタイミングを待っていた。
 スバルはティアナに、エリオはキャロに目配せし、互いに無言で頷く。

「散開!!」

 号令を掛けたのはやはりティアナ。同時に、二挺の銃が二組目がけて撃ち出された。
 スバルとティアナは背後の開いた扉に転がり込み、窓に近いエリオとキャロは手を繋いだまま、外側の窓を身体ごと突き破る。
 そして廊下に動く人間はいなくなり、窓のほとんどが割れた一室からは融合体が姿を現した。


「キャロ、フリードを!!」

 窓から飛び出しながら、大声で呼びかけるエリオ。キャロはコクリと頷き、

「竜魂召喚!」

 キャロの詠唱に合わせて、キャロと共にある白竜フリードリヒが眩い光に包まれ、本来の巨体に戻り、空に翼を広げる。
 エリオは右手はキャロと、左手はフリードの翼の付け根を掴んでぶら下がった。
 キャロはフリードに跨るなり通信を開く。

「ロングアーチ、こちらライトニング04です! これは罠です、待ち伏せていた融合体は四体、うち一体は撃破。残り三……いえ、ここから見えるだけでも五体は!」

 空に滞空するフリードに手を出そうとはしないが、窓から何体かの融合体がこちらを警戒していた。ここからでも、五体はいるのが確認できる。

「こちらロングアーチや! 全員無事なんか!?」
「私とエリオ君はフリードで外に脱出しました。でもティアナさんとスバルさんはまだ中にいます。XATの人達は二人とも……」

 通信の相手ははやてだった。声の感じからして相当焦っている。それはキャロの報告を聞いて更に悪化した。

「フェイト隊長が今特急でそっちに向かってる。もう2、3分で着くはずや。他の隊長もみんな向かってる。それまではそこで待機、ええな?」
「でもまだスバルさん達が!」
「これは命令や!! 二人だけで援護に行くことは許さへん。絶対に、や」

 その声色は固く強い、絶対の厳命。はいあがってきたエリオも、ゆっくりと首を横に振った。

「了解……」

 はやてのいうことも理屈では分かっていても、苛立つ気持ちは抑えられない。
 それでも、キャロとエリオに今できることは、一秒でも早くフェイトが来てくれるよう祈ること。少しでも敵を引きつけておくこと。それくらいしかなかった。


 室内に文字通り転がり込んだティアナとスバル。入るなり扉を閉め鍵を掛ける。
 そこは殺風景で、会議室のような部屋。扉以外は完全な密室だった。
 高鳴る心臓を抑えても、なかなか治まってくれない。ティアナはようやく、ほんの少しだが考える余裕ができた。
 これは完全な罠だ。誰が何の為に仕掛けたのかは不明だが、それだけは確かだ。奇襲に次ぐ奇襲、分断、誘導、包囲――簡単だが、融合体達が企むには無理がある。
 ならば、誰かが操っているのだろうか?ほんの数人罠にはめて倒したところで何の意味があるのか?
 いくら考えてもわからない。情報が足りない以上、考えても答えなど出るはずがない。

「答えの出ない問題……か」
「どうしたのティア?」

 ティアナは不意に、スバルに怒鳴ったことを思い出した。こんな危機的状況で何を考えてるのか。自分でもおかしくて笑みが零れる。
 考えて答えの出ない問いなら、きっと答えを出す為のパーツが足りないのだ。その為には強くなって生きること。
そんなことは自分でも分かっていたのに。
 スバルに見透かされた程度で激昂したのが恥ずかしい。お節介なことだが、それも彼女のいいところだと誰より知っている。

「スバル……私あんたに――」

 謝らなきゃ――言いかけたところでドアが轟音と共に軋みを上げる。これもヴァイスの時と同じ。このままでは不利な密室で籠城するしかない。

「スバル、話は生きて帰ってから。私に考えがあるの。あんたにしかできない――やれる?」

 スバルはきょとんとした表情を見せたが、ティアナの作戦を聞くと自信ありげな笑みを浮かべて頷いた。


 ティアナとスバルはその瞬間を逃がさないよう息を整える。スバルはドアに向かって立ち、魔力を溜める。
 一撃ごとに変形していくドア。やがてドアが思いの外頑丈だと気付くなり、ドアを叩くことは無くなった。

「来るわよ……」

 数秒置いてドアのフレームが発光し、金具ごとガタリと音を立てて外れる。それこそティアナとスバルが待ち望んでいた瞬間。

「ゴー!!」

 壁を蹴ってスバルが加速。拳を力の限り振りかぶり、身体ごと一発の弾丸となって叩きつける。

「ディバィィン――」

 狭い扉からはドアと融合した者と、それに続いて何体かの融合体が入ろうとしていた。

「バスタァァァァァ!!」

 スバルのナックルから光が弾ける。それはまき散らされる凄まじい音と光の爆弾。衝撃はドアを貫いて伝わった。
 先頭の者は当然、続いて入ろうとした二体も煽りを食らって吹き飛ばされる。続いて聞こえたのはガラスが割れる音。向かいの窓を突き破って落下したに違いない。
 中途半端に籠城するより、最適なタイミングで反撃。それがティアナの狙いだった。下にはXATがいるし、フリードの火力も存分に生かせる。
この高さから落下すれば、すぐには身動きできないだろう。

「行くわよ! スバル!」

 ティアナは顔を出して残敵の数を確認する。残りは銃を持った融合体が二体のみ。ディバインバスターに反応しきれていないのか、動きがぎこちない。
 二挺を構え、狙いもそこそこに引き金を引く。クロスミラージュから同時に放たれる二つの光弾。待機していた時に十分なチャージは済んでいる。
 カートリッジはフルロード。ヴァリアブル・シュートなら融合体の強固な皮膚も貫通できるはず。
 ティアナの狙い通り、オレンジ色の弾丸は手前にいた融合体の頭を貫く。些細な防御はものともしない。
 もう一つの弾は、ティアナ達から見て奥の融合体目がけて飛翔する。
同時に狙いを付けたためか、照準は僅かにずれて腹部を貫通。それでも吹っ飛ばされて動きを止めた。
 ティアナとスバルは部屋の影から出る。見える範囲にはもう敵はいないが、出口から出るのは危険だろう。やはり窓から出るべきだ。

「ちょっと待って!!」

 一直線に窓へ向かうティアナとは逆に、スバルは廊下を走りだす。駆け寄る先は、壁にもたれて掛かっているXAT隊員だった。

「ティア、この人……まだ息がある!」

 最初に融合体に捕らえられ、首を掴まれた方の男だ。呼吸も弱弱しく這いずる程度の力しか残っていないが、確かに生きていた。
 だが、何かがおかしい。
「ね、ティア。この人も一緒に――」
「待って」

 有無を言わせぬ口調で、ティアナは男を背負おうとするスバルを手で制する。
 だってどう考えてもおかしいではないか。首を握り潰されるほど強く掴まれて。その上、彼の傍を何体もの融合体が通り過ぎて。
 融合体が銃を奪った時、ティアナには彼が生きているとは思えなかった。もう一人の銃撃だって効いていなかったのに、融合体は力を緩めない。
 そこまで考えて、ティアナは一つの仮説に行きついた。銃撃によって飛び散った融合体の血液。
彼はその飛沫を浴びていないはずがない。
 あの時、彼が死んでいたら。或いは生きていたとしても。
 もしも――もしも血液が感染源だとしたら?

「いいよ、私が背負うから。ティアは先に行って」

 考えていた時間は長くなかった。それでもスバルは、黙り込んだままのティアナを訝しげに一瞥すると、勝手に背負いだした。
 このまま行かせてしまっていいのだろうか。しかし、彼が感染していないとすれば、急いで処置しないと危険だろう。
 XAT隊員は苦しげに呻き声を上げるが、スバルの為すがままに背負われた。
 ティアナは必死に考えを巡らせて、何か決め手となるものを探る。そして、それは見つかった。
 背負われた男の顔には、あの日人間が融合体に変異した時と同じ、赤い線が浮き出ていた。
それは悪魔の証。人の身ではありえない事象。

「どうしたの?」

 窓の桟に足を掛けたままスバルはティアナを見る。背負った男に浮き出た光の線にも、身体を纏う赤い光にも気付いていない。
 男の体に融合体の姿がダブって見えた。もう話している時間は無い。

「この馬鹿スバル!!」

 ティアナの身体は勝手に動いていた。背負われた男の肩を掴み、力の限り引き剥がす。
引っ張られるようにスバルも転倒したが、全力で引き剥がした分、男との距離は開いた。

「ティア!?」

 理解が追い付かないスバルとは対照的に、男は受け身を取り、四つん這いになった。
 黒光りする皮膚。口も目も判別できず、表情も読めない。人型でありながら、後ろには大きな尻尾。完全な融合体だ。
 狙いはティアナに向いている。一足飛びの距離で、両者が睨み合う。
 獣のようだ、とティアナは思った。長い尻尾も相まって、二足よりも四足の方がバランスが取れている。動きも機敏に違いない。
 かなりの接近戦だが、ティアナにも考えがあった。一撃の間合だからこそ、軌道も単純に限られてくる上、敵は獣の構えである。ダガーモードで迎え撃てばいい。
 緊張が限界に達し弾ける直前、ティアナは思い出した。思い出してしまった。自身の言葉、その仮説を。


(この距離じゃ血が――!)

 ダガーモードで切り裂けば返り血が掛かるのは避けられない。
BJ越しなら大丈夫かもしれないし、そもそも確たる証拠がある訳でもない。だが、その恐怖が迷いを生んだ。
 後脚で大きく床を蹴り、融合体が跳びかかる。ティアナにはダガーモードを使うことはできなかった。
両手のクロスミラージュで、できる限りの魔力弾を撃つ。
 ろくに狙いも付けず、チャージもできない以上結果は分かっていた。全て融合体の皮膚を貫通することなく弾かれていく。
ティアナに融合体を止める術はもう、無かった。

 せめて両腕を顔の前で交差させる。だが融合体の突進力は強く、いとも簡単に跳ね上げられた。一瞬で左腕に首を掴まれ圧迫される。
否、圧迫などというレベルではない。このままでは握り潰される。
 振り上げた右腕は顔面を狙っていた。握り潰されるよりこっちの方がまずい。
 少しでも勢いを殺す為、後退しようとするティアナ。壁にぶつかっても構わない。無我夢中で身体を引き、跳び退いた時、ふっと体を支えていたものが消えた。
 視界がぐるりと回転し空が映る。風が身体を打ち、落ちていく感覚。ティアナはようやく自分が転落したのだと気付いた。

「ティアァァァァ!!」

 感覚だけが研ぎ澄まされ、時間が極限まで圧縮される。体の自由とは別に知覚が残った。
 スバルが何か叫んでいるが、それももう聞こえない。そして残ったのは視覚と思考。
 午後の空は不思議な程美しかった。だというのに、景色を遮る醜く黒い物体は目の前から消えてはくれない。
 迫る指の先で何かが光を反射している。透明で煌めいて、それだけは綺麗だと認めていい。それが淡く緑に光って更に輝きを増す。
 美しかった。これまでの人生で最高と言ってもいいくらいに。
 これが最後に目に映るものなら、それもいいかもしれないとさえ思えた。
 空を見つめ、貫かれる瞬間までティアナは目を瞑らなかった。虚ろな瞳で光を刻みつけようとした。
 やがてそれも消え、訪れたのは暗闇。一片の光すら見いだせない虚無。
 残った思考でティアナは考えていた。

(何だっけ……あの光どこかで見た気がする――)

 だが、ティアナにはそれを思い出すことはできなかった。
 頭の奥から痛みと熱が爆発した。赤と黒の炎に焙られて、思考すらままならない。
 そして、ティアナの世界は消えた。


 エリオとキャロは険しい顔で上を見据えていた。落下してきた融合体はXATの手を借りるまでもなく、ブラストフレアでまとめて殲滅した。
 フェイトはまだ来ない。あれから二分と経っていないのに、もう随分と待っている気がする。
 最後に銃声が聞こえてから数十秒。もう待っていることに耐えられず、フリードを上昇させようとしたその時、

「エリオ君、あれ!!」

 キャロの指差す方に影が飛び出た。重なってはいたが、白と黒が光に照らされてはっきりと認識できた。

「フリード!!」

 エリオとキャロは同時にフリードの名を呼び、フリードはそれに応えて力強く羽ばたく。
そこから先は、ほんの数秒間にも満たない出来事だった。
 融合体は宙に投げ出されても攻撃態勢を崩さず、獰猛な爪をティアナへと振り下ろす。
散乱したガラス片と融合したのだろう――透明で鋭利な爪を。
 叫びよりも早く、その爪はティアナの両の目に食い込む。それと、融合体の頭が吹き飛んだのは、ほぼ同時。
 ほんの刹那――爪がティアナの目を抉り取るよりも早く、残念ながら突き刺さるよりも遅く。
 エリオは見た。融合体の頭を吹き飛ばしたのは淡いライトグリーンの魔力光。収束された魔力の塊。
 何の音も気配もなく、この目で見るまでは全く気付かなかった。相当な高出力だが、砲撃ではない。だが威力はそれに匹敵する。
 融合体の頭部は完全な消滅だろう。僅かに飛散した血液と肉片は、強いビル風が掻き消した。

「エリオ君!!」

 完全に呆気に取られていたエリオは、キャロの声ではっと気が付く。落下するティアナがすぐそこまで来ていた。

「ティアナさん!!」

 エリオが手を伸ばしても反応がない。BJを着ていても、受け身もなしに叩きつけられれば重傷は免れない。
 やがて地面が迫る。届かないと悟ったエリオは、意を決してフリードの背中から足を蹴り出した。
 融合体の残骸から引き離しつつ、ティアナを回転させて自分が下に回る。バリアの要領で身体をガードして、衝撃に備える。
 やがて強い衝撃が背中を中心に伝わり、痺れのような痛みとなって全身に走る。エリオは歯を強く食い縛って耐えた。

「~~!!」

 痛みで声を失うエリオ。が、それも数秒で引いていく。どうやら怪我もなく上手く落ちた。
 ティアナにかかる衝撃は殺せたし、"すごく痛い"程度で済んだのだから、よしとしなければ。
 痛みが引いてようやく、明滅する視線は自分の上にいるティアナに留まる。その姿にエリオは再び言葉を失った。

「アアアアアアアッ!!」

 両手で目を覆い、地面だろうとエリオの上だろうと構わず転げ回るティアナ。口を裂けるかと思う程開き、あらん限りの声を上げて叫んでいる。
きっと落ちる前から、エリオに助けられた時からこうだったのだろう。
 赤く染まった指の間からは血が流れ落ち、地面に染みを作っている。
「ティアナさん、大丈夫ですか!? ティアナさん!!」
 エリオは跳ね起きてティアナに呼び掛ける。大丈夫なはずがない。咄嗟にそんな言葉しか浮かばない自分が情けなかった。
 ティアナは悶え続ける。差し出される手も弾いて、仲間の声も届かない苦しみの中で叫び続ける。

「早くキャロ、治癒魔法を! キャロォ!!」

 耳に入っても認識されない声。暴れる身体を地面にどれだけぶつけても痛みが伝わらない。より大きな痛みが意識を塗り潰している。
 それでも一つだけティアナは感じていた。自分は何か大切なものを失っている。大切なものが零れ落ちていく、と。
 血や涙だけでなく、もっと大きなもの。それは己の夢。そして望み。
 ただ、それがどうしようもなく悲しくて、切なくて、彼女はいつまでも声を止めることができなかった。


 聖王医療院の手術室の前には、非常に重苦しい空気が漂っていた。
誰もが沈痛な表情。陰鬱な気配。口を開くものはおらず、ただ時だけが過ぎていく。
 集った面子は分隊長二人と副隊長のヴィータ。そしてフォワードの三名。報せを聞いて六課の全員がその身を案じたが、何しろ大事件である。
ロングアーチの面々には事後処理や分析が山積し、はやては再び、XATと地上本部とで今後のことを話し合わなければいけなかった。
 ティアナは緊急搬送され、そのまま手術へと雪崩れ込んだ。同時に魔法治療も行う為にシャマルも同席している。
 最初に現場からフォワードのメンバーとフェイト。続いて残務を終えたなのはとヴィータが飛んできた。
 椅子に座ったまま俯き拳を握り締めるエリオ。その隣では、キャロが指を固く組み合わせて祈るようにしていた。
ヴィータはイライラを隠せず、落ち着きなく歩き回っている。
 なのはは椅子で背中を丸め、垂れた長い髪の間から垣間見える表情は蒼白。フェイトはその隣でなのはを心配そうに見ている。
 スバルはというと、これが一番酷い。今にも壊れそうな表情で、そこに普段の彼女の活発さは微塵も感じられない。涙を滲ませてただ扉を見つめている。
 皆がそれぞれのやり方でティアナを案じ、不安から逃れようとしていた。
 どれだけ時間が経っただろう。長く閉ざされた扉が開いた。目に包帯を巻いたティアナが最初に運ばれ、続いてシャマルがマスクを外しながら出てくる。
 最初に痛ましい姿のティアナ、次にシャマル。六人の視線が一様に同じ動きをした。
 全員の視線を集めたシャマルは、顔を逸らして表情を曇らせる。その重さに耐えられないと言わんばかりに。

「シャマル先生……ティアは……」

 スバルの声を受けて、シャマルは大きく息を吸う。そして、全員の目を見て話し出す。

「落下や戦闘による傷は問題ないわ。エリオが上手く庇ってくれたから、一週間程度で完治すると思う。ただ……」
「ただ……?」
「目の方は……余程強い力を受けたのね。眼球を深く損傷してる。視神経も切断されているわ。目を抉られかけたって……」

 最後に近づくにつれ、声に力が無くなっていく。決定的な答えを聞くのが怖い、と誰もが感じ始めていた。

「それで……治るんですか?」

 問うスバルの声はか細く震えていた。もしかしたら――そんな儚い希望に賭けて。彼女が夢を叶えられるという返事に縋って、スバルはシャマルの目を見つめる。
 シャマルは悲しそうに首を振り、スバルの希望を打ち砕いた。

「まだ完全に失明になるとは限らないけど……可能性は低いし、回復したとして重度の障害は残るでしょうね。まともに見えるまで回復することはないわ」

 それが決定的な一言となり、スバルは膝から崩れ落ちた。激しい後悔と自責の念が込み上げてくる。
やり場のない感情は嗚咽となって吐き出され、掛ける言葉を持つ者はいなかった。



予告

光を失い、女は救いを求めて手を伸ばす。
女は気付かない。伸ばした手を絡め取ったのは蛇。掴んだものは禁断の果実。

第2話 融け合う絶望

心せよ。瞼の裏に魔物を見たなら、汝もまた魔物となる……
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最終更新:2010年01月14日 17:51