それは闇としか形容できなかった。
 墨を流したような、という喩えが思考を掠めるが、この光景を表現するにはそれすら足りない。それほどまでに、ただ闇だった。
 彼女は今、思考と知覚だけが独立して漂っている。たった一人、黒よりも暗く、夜よりもなお深い闇の中を。
 それを生み出したのが己の心だと気づいた途端、無い筈の身体が軋み、鈍痛が疼く。
 己の抱く闇とは、これほどまでに暗いものなのかと慄くものの、悲鳴を上げたくても口は無く、逃げ出そうにも足は無い。
ただ、心臓の鼓動だけがうるさいくらいに早鐘を鳴らす。だが、それすらも自ら生み出した錯覚に過ぎないのだろう。
 見つめ続ける。果てない闇の奥深くを覗くことを強いられる。いつ終わるとも知れず、ひたすら奥へ奥へと。それしかできないのだ。
 もう何度目だろうか。幾度となく繰り返しても、慣れはしない。
 闇は次第に人の形を縁取り、そこに色が生まれると同時に、胸に懐かしい感覚が去来する。
幾度となく繰り返される虚無での逢瀬がもたらすもの。それは今も色褪せない愛しさと、拭いきれない恐怖。そして繰り返し刻まれる罪悪感。
 深遠なる闇の深淵に現れるもの。それは、今はいなくなってしまった人。失われてしまった祝福の風。そして本当の宵闇。

「リィン……フォース……」

 呟くと同時に、八神はやては目を覚ました。色彩を取り戻した視界に数秒遅れて、認識が追い付いてくる。
覚醒した意識は、"またいつものことか"と半ば呆れ混じりの溜息を誘う。
 パジャマは全身ぐっしょりと汗で濡れ、滲む眼と涙の跡は、はやてが夢を見ながら流したもの。
だが、酷く渇いた喉はそれだけのせいではないだろう。
「痛っ…………」思わず上げた声は、自分でも驚くほど掠れていた。
 ゆっくりと身を起こすと、今は自由を取り戻した両足を痺れるような痛みが走る。
 引き攣りにも似たそれは、いつも必ず数分間続く。その後痛みは何事もなく引き、触れても押してもまったく違和感がなくなる。
念の為病院でも診てもらったが、異常は発見されなかった。
 この痛みは、忘れないで欲しいと彼女が遺した名残なのだろうか。それとも、一歩も前に進めずにいる自分を叱責しているのだろうか。
 罪に懺悔するように、罰を享受するように、はやては両足を抱えてベッドにうずくまる。それもまた、いつものことだった。

LYRICAL THAN BLACK 黒の契約者 
第3話 新星は夜天の空を焦がし……(前編)

 早朝、高町家の玄関。いつもは勢いよく開け放たれる扉は静かに開き、閉じられる。外を覗き見てから身を滑らせる様は、
恐る恐ると言ってもいいくらい不自然なもの。少なくとも、彼女を知っている者なら誰もがそう思うだろう。
「行ってきます……」
 活力の感じられない声で、高町なのはは自宅を後にする。表情は暗く沈み、視線は伏し目がちに地面を滑る。
そこに、普段の活発な少女の面影は感じられない。
 かれこれ一週間程、なのはは胸の痞えが取れず、鬱屈した思いを抱えていた。
 契約者――人にして人でない存在。常識や道徳、感情に左右されず、合理的思考で行動する異能者。
超常の力もさることながら、その冷酷さは十年近く実戦から遠ざかっていたなのはを恐怖させた。
 中でも異彩を放っていたのが、一人の仮面の契約者。彼と相対した時、得体の知れない暗闇が背後に取り憑いているかのような寒気を感じた。
冷酷で残酷な闇色の気配。例えるならそう、まるで死神だった。
 しかし浮かぬ顔の本当の原因は別にある。原口千晶――本名、篠田千晶と名乗る女性との出会い、そして別れ。
 契約者に狙われる彼女を一時は匿ったものの、仮面の契約者との戦いに敗れ、気を失っている間に、
全てはなのはの与り知らぬ所で終わってしまっていた。
 力になると誓ったくせに。助けたいと言ったくせに。そこには具体的なビジョンなど何一つなく、成り行きまかせの無責任な気休めでしかなかった。
 彼女はそれを悟っていた。だから姿を消した。
 魔法では千晶は救えず、力では何の解決にもならなかった。その事実がなのはを打ちのめしていた。
 この世界では魔法の存在は認められておらず、秘密が暴かれれば、冷たい眼差しや不躾な好奇心の対象にしかならない。
 魔法を取ってしまえば、自分などどこにでもいるただの学生。職場、住居、資金、逃亡先等々、
 千晶を取り巻く厳しい現実の前では、何の役にも立てない。それを認めたくなかった。
 だが、今となっては認めざるを得ないのだろうか。
 自分の魔法は、この世界で社会の一部として生きるには不必要、無力極まりないのだと。

 19年暮らした町で、19年見上げた空は今日も変わらず太陽が輝いている。だが、それを仰ぐ瞳は暗い。
 胡蝶の夢――魔導師としてミッドチルダで働いている自分を、今でもたまに夢に見る。
 ここしか知らないはずなのに、ここでずっと暮らしてきたのに。なのはにはこの世界こそが偽物なのではないか、
本当の自分が見ている夢なのではないか。時折そう思えてならなかった。
 胸に秘めた何かに気づかぬまま、楽しくも物足りない日々を送っていた十年前の自分。しかし、それは唐突に変わった。
変えてくれたのが魔法だった。
 出会いと別れ、戦いの傷も話した思い出も、全てがかけがえのない宝物。
ようやく何かが始まった気がした矢先、それは奪われた。
 この空が奪った。


 通学路で出会ったフェイトとなのはは互いに何かを言いかけ、言えずに口を噤んだ。
同じ大学に向かいながらも、付かず離れず歩き、目も合わせない。
 陰鬱な表情、憂鬱な思いでいるのは、なのはだけでなくフェイトも同様。原因は高町なのは。しかし、気になっているのは彼女の調子ではない。
彼女が首を突っ込んだらしき事件だ。
 あれ以来、なのはは何も語ろうとしない。問い詰めてもはぐらかされるか、
「答えたくない」の一点張り。
 表面上は普段通り生活しているし、千晶の姿は見えない。これらの点から考えても、状況は沈静化したと見ていいのかもしれない。
それでもフェイトの不安は絶えなかった。
 原口千晶――彼女は契約者の可能性がある。良くてドールだろうが、ドールが自らの意思で行動しない以上、操る者は存在する。
 知りたい。何故なのはがあんな連中と関わっているのか、どこまで知ってしまっているのかを。
 反面、それが恐ろしくもあった。もしもなのはが深く関わってしまったのなら、それは彼女の生活全てが崩壊する危険がある。
或いは自分たちの関係さえも。その恐怖が、フェイトの足をより一層鈍らせていた。
 ただ一つ確かなのは、何としてもこれ以上なのはを危険に近づけてはならないこと。
 たとえ嫌われたとしても、それだけは――なのはに気付かれぬよう、フェイトは静かに決意を固めた。

 途中で合流したアリサとすずかは、顔を見合わせて溜息を吐く。
 たまたま講義の時間が重なったので(本当は意図的に重ねたのだが)一緒に行こうと約束したのだが、
なのはもフェイトも表情は暗い。一週間も続く重苦しい空気が今日も変わっていないと知ると、
アリサとすずかは二人を挟んで無理やり明るい話題を振り出す。
映画、ショッピング、ランチの美味しい店……etc。どの話題にも反応は芳しくない。
 ぎこちない雰囲気は解消されず、後から合流したはやてが加わると、それは余計に暗くなってしまった。
普段なら率先して仲を取り持つはずなのに、今日のはやてはそんな二人にもまるで関心を示さない。
 結局気まずさを堪えながら、アリサとすずかは到着までの間、二人だけで空回りを続けた。


 講義も終わり、はやては大きく一度伸びをした。ほぼ一日中上の空で、内容など全く頭に入っていない。
 例の夢を見た日はいつもこうだ。体は気だるさに支配され、頭の中からは遠い記憶が張り付いて離れない。
 あの夢を見だしたのはいつからだったか。そもそも、何故あの夢を見るようになったのか。
 忘れたくても忘れられないはずなのに、いつの間にか記憶は薄れている。それはきっとあの時の光景が、
空間が、事象が、現実感を著しく損なわせているのだ。
 夢幻の如く不思議な一夜。それが確かにあったという証拠は、この足に残る痛みだけ。
 はやては頬杖を突いて、ぼんやりと視線を宙に彷徨わせ、ゆっくりと記憶を辿る。
 あれはそう、五年前、空を埋め尽くさんばかりの流星が煌めいた夜――。


 進路決定が近づき、将来にも目を向けなくてはならなくなってきた十五のある日。
大半は聖祥学園の高等部にエスカレータで進む為、教室内もさして慌ただしくはない。
 学生らしく、南米のゲート周辺で起こっている紛争の議論もすれば、他愛もない噂話に興じたりもする。
その傍らで、はやては机にぐったりと覆い被さって放心状態にあった。
 ある日、突如として東京に現れたヘルズゲート。誰もがその存在を知りながらも、高々と築かれた壁の内側を知る者はいない。
 政府による公式発表も曖昧に、たちまち封鎖された一帯。初めこそ宇宙からの使者だの、某国の陰謀説だの、
様々な憶測が飛び交ったものの、結局は正体不明と結論付けられた。 
 時と共に人々の興味は薄れ、ゲートは都市伝説やオカルトの対象になり下がる。少なくとも大衆にとっては。
 それは次元世界の存在を知る者でさえ例外ではなかった。転移魔法は発動せず、通信も一向に通じない。
どう足掻こうとも、それらは見えない天蓋に阻まれる。原因もわからないままに。
 やがて皆がそんな日々に疲れ、数年の月日を経て、次第に諦めていった。はやてもその一人だ。
 それは知識や技術を得てほんの数ヶ月ながらも、魔法で役に立ちたいと決意を固めていた矢先の事件。
初めこそ守護騎士達と共に、夜天の魔導書の知識を総動員して打開策を探し求めたが、いずれの手段も効果は無く、原因すらわからなかった。
 元から地球に生まれ、生活の基盤を持っている自分やなのはは、まだましな側なのかもしれない。そう、はやては思う。
 その意味では、ミッドチルダの出身であるクロノやリンディ、エイミィは随分と苦労していた。
小学生でもなく、管理局員を生業とし、生活の糧を得ていたのだから。
 ユーノに至っては、偶然訪れた時に放り出されたのだから、気の毒としか言い様がなかった。
 しかし、どんな状況でも人は慣れるものである。四年間の内に、それぞれが生きる道を決めて生活している。
そして今、選択の時は自分達に迫っていた。
 いつまでもモラトリアムではいられないのだ。
 このところはやては、もやもやとした気持ちを抱えて日々を過ごしていた。多分、他の二人も同じ状態である。
 かつては、中学卒業と同時に管理局に入る選択肢も考えていた。有力な候補として考えていただけに、以後宙ぶらりんな状態が続いている。
 将来への漠然とした不安。
 そんなものは誰もが経験するもので、今はとことん悩めばいい――そう言われても、
目標がある日突然消えてしまった事実が、今になって響いてくる。
 いつかなんとかなるかもしれない。通信も可能になるかもしれないし、転送魔法が使えるようになるかもしれない。
 いつか、もしかしたら、きっと。
 そう思って今日まで来て、待っているだけでは手に入らないと今更思い知らされる。
「でも、私はベストを尽くしたはずや……」
 誰にともなく呟いた言葉は誰にも届かず、ただ心に波紋を広げるばかり。果たして本当にできることは全てやったのだろうか。
そう思わずにいられなかった。もし見落とした何かを見つけていれば、違った今があったのかもしれないと。
 その時、遠くに感じていた喧騒が不意に耳に飛び込んできた。

「知ってる? ゲートの中ではね、失くしたものを取り戻せるんだって」

 クラスメイト同士の会話に、はやては目を見開いた。それは問い質すまでもない、ゲートにまつわる数多の噂の一つ。
普段なら取るに足らないと聞き流す、根拠のない都市伝説。しかし、この時のはやてにとっては違った。
 ゲート――それは地球を貫いた光と共に東京と南米に現れた異形のフィールド。理屈は分からなくとも、
確実に世界の隔絶とは関係している。
 何故今まで忘れていたのだろう。あれの中心部に触れて調べれば、何かわかるに違いない。
せめてヒントの欠片でも掴めれば大きな進歩。
 次の瞬間にはもう、はやてはゲートに侵入する方法を考え始めていた。そうだ、決行するなら早い方がいい。
「ゲートからは何か得体の知れないものを感じる。無暗に近づくな」
 それはいつだったかクロノから聞いた言葉。しかし、それが助言でも忠告でもなく警告として放たれた言葉だったことを、
はやては完全に忘れていた。


 見上げると首が痛くなるような壁をぐるりと見渡す。ゲートは壁の更に手前、周辺2kmから封鎖されているにも関わらず、
ゲートを中心として広範囲を円周状に取り囲む高さ500mにも及ぶ壁は、光を全て吸い込む巨大な影となり、そびえ立っている。
厚く高い壁は人一人が忍び込む隙も無く、そもそも封鎖の突破からして困難。ただし、それは地上からの話だ。
 思い立ったが吉日。はやてはできる限りの下調べを終え、翌日の深夜、ゲート近くのビルの屋上に立った。
なのはや騎士達には行き先も目的も告げていない。言えば間違いなく止められるからだ。

「ゲートの中ではね、失くしたものを取り戻せるんだって」

 絶えず反響するのは、昨日教室で聞いた噂話。
 奪われたもの、失ったもの――沢山ある気もするが、反面何一つない気もする。失ったものも含めて自分があり、
そのおかげで得たもの、出会った人もいるのだから。
 ならば何故、こんなにも躍起になっているのだろう。危険も無謀も承知で、一体何を取り戻したいのだろう。
 亡くなった両親。辛い別れをした祝福の風。それで得た力を役立てる機会。或いはその全て。
 何を望んでいるのか自分でもわからない。 ただ抑えきれない衝動に突き動かされていた。
「あかん……今は集中や……!」
 頬を叩いて自らに喝を入れる。放っておくといつまでも続きそうな迷いを振り切って、はやてはビルの屋上を蹴った。
 ゲートを囲む壁、当然歩いて侵入できる訳もない。反面空の警戒は思ったよりも薄そうだった。これだけの面積をドームで覆うのも難しい。
もしくは、空を覆えない理由でもあるのかもしれない。空から見るゲートは、ライトに照らされた部分を除いて黒く塗り潰されていた。
 壁を見下ろして高々とはやては飛ぶ。近づくにつれ、壁際の警戒状況が理解できてくる。ライトは照らしているが、
監視カメラや警報機らしき物は遠目では見当たらない。厳戒態勢という程でもなさそうだ。 ヘリやパラシュートで近づけば一目瞭然だろうが、
人一人が潜り込むのは十分可能。この程度ならば注意しつつ駆け抜けてしまえば侵入できる。
甘い見通しではあったが、たった一人で何の器具も用いず、高速で空を飛んで侵入してくるなど誰にも想定できないだろう。
「何や、えらいザルな警備やけど……」
 冷や汗をかきつつ、壁を越える。センサーの類が仕掛けられているようには見えなかったが、実際入るまで緊張を解くわけにはいかない。
呼吸を止めて全速で駆け抜ける。
 壁を越えて数秒――警報は鳴らない。
 数十秒――ライトは変わらず空と壁面を映している。
「ふぅ……」
 はやてはようやく息を吐いた。
 あまりに呆気なく侵入は成功した。いっそゲートとは噂が先歩きしているだけかと思えるほどに。
 一人で、しかも何の装備も持たずゲートに入ったところで、何がわかる訳もない。それどころか自殺行為に等しい。
それ故に空の警備はそれなりで構わないのだ。
 もっとも、はやてがそれに気づいた時には既に手遅れだったのだが。


 高度を落とし、はやては飛び続ける。景色に変化はなく、眼下に広がるのは、ただただ閑散とした廃墟。
 ゲートの中で何が起こったのかは知らない。ただ、人の営みの名残を残したまま
人間だけが綺麗に取り去られている街は酷く寂しく、そして不気味だった。
 中心に近付いているのは確かだが、どうにも似た景色が続く。時間感覚、方向感覚に加え、
平衡感覚までおかしくなっているような錯覚に陥る。
 おかしい。これは明らかに異常だ。直感が警鐘を鳴らしても、何故か戻る気になれなかった。
はやては引き寄せられるように、先へ先へと飛び続ける。
 中心部に近づくにつれ霧がたちこめ、あたりは闇一色から薄ぼんやりと明るくなってきた。
これまでとは明らかに空気が違う。全身から汗が噴き出しているのに、寒気が止まらない。
「なんや……これ……」
 風は止み、体に纏わりつくのは生ぬるい湿気と、単なる霧ではない何か。辺りを照らす朧げな光は勢いを増し、
どこか神秘的な雰囲気を漂わせる。
 はやては飛び続けるのを止められなかった。無性に光の正体を確かめたかった。
思えばその時、既に魅入られていたのかもしれない。
 光を見つめているうちに、距離感が掴めなくなる。ぼやけた視界は霧のせいなのか、
自分が狂っているのか、それすらも判別できない程に視覚が曖昧になっていった。
 周囲は怖いくらいに無音。風の音どころか、自身の呼吸すら聞こえてこない。それは鼻も同様、
いくら空中といっても完全に無臭など有り得ない。すぐ下では、かつて人が生活していたのだ。
 しかし、それならば何故――この街は全く劣化していないのか。
 五年も経てば鉄とコンクリートの街とはいえ、どこかに綻びが生じて当然。だというのに、
街はまるで古さを感じさせない。埃さえ積もっていない。五年前から時が止まっているかの如く。
道路脇には奇妙で妖しく光る植物が茂っているが、その植物もガラスの様に無機的だった。
 異常を確かめる為に下を向いた瞬間、ぐにゃりと視界が歪む。ガラス玉の内側に閉じ込められたように、
見ている景色が自分を中心に湾曲した。地上を見下ろして飛んでいたはずなのに、上に廃墟があり、
横にはアスファルトの路面が見える。
 五感が完全に狂っている――そう気付いた時、最早はやてにはどうしようもなかった。
 上下左右の感覚すら失っていたが、そんな状態でも墜落はしていない。
地面に触れられればまだ安心できるのに、墜ちたくても墜ちられない。いつしか体の自由は奪われ、
あるのは奇妙な浮遊感。はやては流れに身を任せ、見えない力に操られて空中を漂っていた。
 ここでは、ありとあらゆる常識や摂理、物理法則といったものが意味を成さない。
 生気や活気といったものが抜け落ちており、自分自身の存在と生命すら感じられない。
 地獄とは炎が燃え盛り、鬼が闊歩しているイメージがあったが、それとは真逆。だが霞む意識の中、はやては直感的に感じていた。
 ここはヘルズ・ゲート。まさしく地獄の門だ、と。

 聴覚、嗅覚は消え、体は指一本動かせず、魔力を形にすることすらできない。
声すら出せず、狂った視覚と思考だけが最後に残った。
 周囲が淡い光に包まれていき、それに導かれるままに浮遊する。
向かう光の中心部はさながら太陽のように強烈な輝きを放っていた。
 この先はきっと天国だ。地獄の中に天国がある。天国でもあり、地獄でもある。
 朦朧とする意識で、はやてはそんなことを考えていた。光は精神にも作用するのか、
徐々に感情が消えていくのを感じる。
 もう、ここから出られないのだろうか。なのはにもフェイトにも、家族にも二度と会えずに死ぬしかないのか。
 堪らなく怖いのに、恐怖すら摩耗していくのが尚更恐ろしい。全ての感情が消えるのが先か、
その前に発狂するのが先か、どちらにせよ結果は同じ。
 やがて、はやては自ら思考を手放した。
 思考も消えかけた頃、遠く先に影を見つけた。否、影が生まれた。
 遠くに見えて近くかもしれない。手が届く距離にも感じるが、果てしなく遠くもあった。
 眩い光の中で、黒を基調とした服はくっきりと浮き彫りになっていく。
「あれは……」
 白く染まった世界。
 寂しげに佇む後姿。
 胸に込上げる切ない愛情。
 あれは、あの姿は忘れもしない。
「……リィンフォース!!」
 振り絞った声は、しかし喜びよりも驚きが勝っていた。
 失ったもの。別れなければならなかったもの。たった15年の中でもそれなりにあった。
その最たるものが、闇の書の管制人格である彼女――祝福の風、リィンフォース。
「リ……リィン……! 私……はやてや! なんで……なんで……」
 胸が痞えて言葉が出てこない。それでも、はやては必死に呼びかける。
 本当は別れたくなんかなかった。後少し、力が、時間があれば失わずに済んだ。
"ゲートの中では失ったものを取り戻すができる"。
 それが本当ならば、願わくばもう一度――ありったけの思いを込めて、再度はやては叫んだ。
「リィンフォース!!」
 後姿が音もなく振り返る。しかし、はやての声に反応した様子は欠片も見られなかった。
 彼女はどんな顔をしているのだろう。泣くだろうか、それとも笑ってくれるだろうか。

 だが懐かしい彼女の、顔のあるべきところには――何も無かった。

「リィ……ン……」

 黒の衣装、流れる銀髪。その全てが、はやての知る彼女でありながら、顔があるべき場所には空虚な穴がぽっかりと開いていた。
覗けば吸い込まれそうな漆黒の穴が。
「――――!!」
 声にならない悲鳴がはやての喉を突き上げた。張りつめた緊張が限界を超えて引き絞られ、音を立てて千切れた。
「ああああああああああ!!」
 恐怖を引き金に全身の感覚が蘇る。その代わりに、今度は思考が焼き尽くされた。
 空中を掻くか泳ぐかのようにして全身を動かし、はやては半狂乱になって逃げ出した。傍から見れば、さぞかし無様に見えただろう。
 何故? どうして? それすら考えられない。振り向くなど恐ろしくてできそうにない。
 何てことはない、のっぺらぼうの怪談と同じ。そう思えたなら気も楽になっただろう。ここが地獄の中心でなければ、だが。
 あれは闇だ。記憶の底の底に眠っていた、自分を呑み込む闇。
 逃げなければ。ここは人の世界ではない。あの時助けてくれた友も騎士もいない今、一人では立ち向かえない。
 体の戒めは完全に消えていたが、それすらどうでもよかった。ただ、上へ上へと飛ぶ。
後ろから追ってくる気配は無いが、確認したくなかった。
 ただひたすらに速度を上げ、体中に絡みつく濃霧を突き抜けると、突如視界が開けた。

 眼前に広がる無数の星。それらがみるみる近づき、目に飛び込んでくる。
「ふわぁ……」
 綺麗――素直にそう感じたら、感嘆を漏らしていた。しかし、それは本物の星ではない。
その証に、星達はあり得ないほど激しく、不規則に光を放つ。
 それは本来の星が持っていた淡く優しい光ではなく、見る者を威圧し、胸をざわつかせる強烈な輝き。
それぞれの星の光り方にも個性があり、妖しくも美しく、まるで一つ一つに命が宿っているかのよう。
 雲も月も、阻むものは何もなく。一瞬とも永遠ともつかない時間、踊る星々にはやては魅せられた。
友も家族も、今まで怯えていたはずの何かも、その瞬間は頭から消え失せる程に。
 周囲には満天の星空。視界に映る全ての星々が一際瞬いたと思いきや、それらは一斉に流れ出す。
その瞬間を、はやては世界の誰より星に近い場所で迎えた。
 数多の流星が、はやてを飲み込む様にして落ちていく。百や二百ではとてもきかない星の群。
数千か、もしかすると数万にも及ぶ流星雨。
 流星が目を通して身体を貫き、走り抜ける。所在なくしていた両手で体を掻き抱いても、全身の震えが止まらない。
身じろぎ一つできず、瞬きも呼吸も忘れていた。
 流れる星が燃え尽きる命に思えた。美しくも恐ろしく、それでいて儚い。体は興奮で打ち震えているのに、涙は止め処なく溢れ、
何故か心は哀しかった。
命の輝きというものを具現化したなら、こんな風だろうか。これ以上に綺麗なものなど世界に存在するはずがない。
地上のどんな宝石にも勝る至高の美を誇ると断言できる。
 その瞬間の圧倒的な迫力に、はやては全身、絶頂のような甘美な刺激に侵されていた。

 正気に戻った時、はやてはゲートから離れたどこかの草むらに横たわっていた。
あれほど激しかった流星雨はすっかり止み、今はいくつかの星が明滅しているだけだった。
 どれだけの時間が経ったのか、時間の感覚も無かったが、東の空は白みかけている。
 体を起こそうとしたはやては、両足に力が入らないことに気付いた。両足が無くなったのかとぞっとしたが、
見るとちゃんと足は付いており、力を込めるとじんわりと痺れに似た感覚が伝わってくる。
「ああ……そうなんやな……」
 無気力に呟いて、はやては再び体を横たわらせた。
 朦朧とした頭で思う。きっと今宵、五年前のあの日に掛けられた魔法は解けてしまったのだ。
シンデレラの12時の鐘と同じ。都合のよい魔法は消え去り、追いかけてきた闇に五年の時を越えて絡め取られてしまった。
 きっとこれは報いなのだろう。怠惰な安寧に溺れ、時を浪費してきた報い。
 数分間横たわっていると、徐々に足に感覚が戻っていく。一時的なものだったのだろうか。そうと知っても気持ちは晴れなかった。
 忘れていたものを思い出してしまった。そして、これからも繰り返し思い出す。もう、昨日までの自分には戻れない。
 頬を一筋の涙が伝う。
 月の消えた世界で空の星はか弱く、あまりに心許ない。
 はやてには、その照らす先に未来など見える気がしなかった。

 それ以降はあまり覚えていない。ほとんど忘我の内に立ち上がり、通勤通学の人波に逆らって歩き、
帰宅したのは朝日が昇り切ってしまってからのこと。玄関の扉を開いた瞬間、
一睡もしていない家族達に揃って出迎えられた。携帯電話はおろか、探知魔法すら通じなかったらしい。
 連絡一つ寄越さなかったので、それぞれに心配してくれたが、まともに返事も返さなかった気がする。
あの流星雨の余韻がまだ残っていたのか、その時は家族の声すら煩わしかった。
シグナムに叩かれた頬の痛みだけが、唯一の刺激として今も記憶に残っている。
 シグナムとシャマルがあれほど怒った姿を見たのは、後にも先にもこの時だけ。それもそうだろう。
幸い捜索願は出される直前だったが、十五の娘が連絡も無しに朝帰り、しかも何も話さないとなれば怒るのは当然である。
 もっとも、それを家族として想われている喜びだと噛み締めたのは、もっとずっと後になってから。
その時は、睨み返して自室に駆けこむという子供じみた態度しか取れなかったのだが。

 夜天の魔導書、その主――夜を統べる者。しかし、もうここは自分の夜ではない。あの夜、はやてはそれを悟った。
 この世界はもっと違う何かに支配されており、その何かに自分は拒まれた。そんな気がした。
 この日を境に、はやては時折闇の中を彷徨う夢を見るようになり、最後には必ず顔の見えない再会があった。
その度に、両足の痛みは忘れられぬ刻印として心に重く圧し掛かる。
 はやてはそれも仕方がないと半ば諦めていた。
 この世界には、はやてを罪人と咎める者も誹る者もおらず、ただ穏やかに緩やかに暮らせると思っていた。
しかしそれは許されなかった。
 この痛みが、恐怖が、悲しみが彼女を忘れさせない。否応にも背負ったものの重さを思い出させる。
 ならば、この責め苦を受け入れよう。たとえ自己満足に過ぎなくても、守護騎士達と夜天の書の主として、
罰も甘んじて受けると決めたのだから。
 これは彼女に誓った言葉も何一つ果たさず、償わず、平和な日々を送る代償。
 何もできない自分が払える、せめてもの対価なのだと――。


「んん……あれ……?」
 追憶の旅を終えたはやては周囲を見回す。いつの間にか人は消え、窓の外は赤く染まりつつあった。
「なんや、寝てしもうたんか……」
 考え込んでいる内にまどろんでいたらしい。そう長い時間ではないにせよ、誰か起こしてくれてもよさそうなものなのに。
それとも、よほど疲れて見えたのだろうか。
 実際、身体には意味もなく疲労感が滞っている。早く帰って休みたい気分だったが、今日ばかりはそうもいかない。
 こちらに生活の基盤を持たない管理局勤めの面々――中でもクロノとエイミィの夫妻、
そしてユーノ・スクライアとは、ここ三年近く顔を合わせていなかった。それぞれ多忙な上、クロノ達は日本を離れ、
ユーノも南米と東京を行ったり来たりしているらしい。
 それが今日、久しぶりにクロノとユーノが来る。場所はもちろん翠屋。少々の疲れは無視してでも集まりたかった。

 仮病を使って休んだなのはの見舞に行った日、なのはとフェイトは派手に喧嘩をした。
普段なら2,3日で自然修復するものの、今回は長引いている。
 あれ以来、なのはとフェイトだけでなく、三人の関係がギクシャクし、アリサやすずかにも気を使わせてしまっていた。
普段なら熱心に仲裁や話題提供をするはやても、あの夢を見た今日ばかりはそんな気にはなれなかった。
 修復できない理由の一つは、なのはの調子がおかしいこと。ぼんやりとすることが妙に多くなり、性格も沈みがちになった。
 フェイトもはやても、あれ以来なのはと改まって話していない。なのはがそれを避ける態度を取り、正面から話し合えなかった。
 そしてもう一つは、両者共に歩み寄る切っ掛けがないこと。自分が間違っていると思うなら謝ればいいが、
はやてから見ても何が悪かったのか分からない。確かになのはの言動には問題があったが、根底にあるものをはやては見抜けていなかった。
 二人とも何かを隠しており、相手を気遣うあまり話せなかった。それでも譲れないものがあるからこそ口論となり、
結果反発してしまった。はやてにはそんな風に見て取れた。
 たとえどれだけ親しくなろうとも――むしろ親しい程話せない場合もある。はやてにとっては、あの夢こそがそう。
あの流星雨の夜とそこから続く夢に関しては、二人だけでなく家族の誰にも話していない。
 当然部屋のドア越しに問い詰められはしたが、すぐにそんなことは有耶無耶になってしまった。
 何故ならその日の朝――なのはが病院に搬送され、緊急手術を受けているとの知らせが飛び込んできたのだから。


 考えても考えても悩みは尽きないが、幾ら考えても答えは出ない。はやては頭を振りながら、とりあえず帰路に就こうと校舎外に出た。
 門に向けて歩いていると、駐車場で見覚えのある顔がバタバタと車の周囲を回っている。
「田原教授……?」
 ぼさぼさの髪、手入れされていない不精髭、やつれた冴えない表情。それは、この大学の教授――田原耕造だった。
「どないしたんですか、教授」
 はやての顔を見た彼は少し表情を綻ばせたものの、それもすぐに曇った。
「ああ、八神か……。いや、エンジンがかからなくてな……」
 田原耕造。彼は学内でもかなりの変わり者で通っており、評判は良くない。いつも自室に籠り、専門でもない植物の研究ばかりしている。
はやてが行った時も、大抵図鑑を捲っているか、窓際の名も知らぬ花に水をやっているかのどちらかだった。
「それは大変ですね……原因が分からへんのですか?」
「ああ……業者を呼ばなければいけないだろうが……」
 はやてにこたえる声もそっけなく、すぐに爪を噛んで忙しなく視線を巡らす田原。相当な焦りが見ているはやてにも伝わる。
「……何処かお急ぎなんですか?」
 田原の様子からはやてはそう推理した。この焦り様は、業者を呼んで見てもらうにせよ、タクシーを捕まえるにせよ、
そうする時間すら惜しいのかもしれない。
「ああ……すぐにでも娘の学校に行かなければならないんだが……」
 はやては無言で携帯電話を取り出して、電話を掛ける。
 この辺りではタクシーもすぐには捕まらないだろう。だが、田原の焦り方は尋常ではない。その表情を見ていると、
何か自分にできる手助けをしたくなったのだ。
「(はい。もしもし……)」
「あ、シグナム。私や」
 電話の相手はシグナム。はやての家族の一人にして、守護騎士ヴォルケンリッター。闇の書と共に現れた魔法生命体。
しかし、現在の彼らにそれを感じさせるものはない。
 かつては歴戦の戦士であった彼らも、現在ははやての家族として、共にごく普通の生活を営んでいる。
「今どこや? 電話出てくれたってことはもう仕事は終わった?」
「(ええ、今出たところです。どうかしましたか?)」
「あんな、急で悪いんやけど大学に寄ってくれへんかな。ちょっと人を送ってもらいたいんやけど……」
 はやては遠慮がちに用件を伝える。彼女はシャマルと共に八神家の生活を支えてくれている。
その彼女の仕事帰りに、急に用を頼むのが少し憚られたのだ。
「(ええ、構いませんよ。ではすぐに向かいますので)」
「ありがとうな、シグナム。そんなら表通りに出て待ってるから」
 シグナムは快く了承してくれた。突然の頼みで、しかも詳しい用件も聞いていないというのに。
「教授、私の家族がこの近くのスポーツジムで働いてるんですけど、ちょうど帰りらしいんで送ってもらいましょうか?」
はやてがそう言うと、田原はハッと顔を上げたが、すぐに唸りながら逡巡する様子を見せた。
しかし数秒の迷いの後、田原は頭を下げる。
「すまない。よろしく頼む……!」
「やめて下さい教授、頭上げてください」
 正常な判断を失う程焦っていたのだろう。普段なら対策など幾らでも思いつくだろうに。
そう思うと、何が田原をここまで急きたてているのか、不謹慎とわかっていても知りたくなった。

 五分程待った頃、よく見知った赤のセダンが路肩に寄せて停まった。おそらくと思い近寄ると、シグナムが窓を開けて顔を覗かせる。
 「お待たせしました、はやて」
「ごめんな、急に呼びつけて」
 車を降りたシグナムは、無地のシャツにジーンズとラフな服装。彼女は平日は大抵シンプルな服装で過ごしている。
「紹介します。彼女、私の親戚で同居人のシグナムと言います」
「はやてがいつもお世話になっております」
「ああ、いや、こちらこそ。申し訳ありませんが、お願いします」
 そう言いながらも、一礼するシグナムにほとんど目もくれていない。相変わらず足踏みしながらそわそわしている。
黙って立ってもいられないらしい。
はやては早々に助手席に乗り込み、田原を促す。転がるように乗車する田原に、流石のシグナムも目を丸くしていた。
「あはは……それじゃシグナムごめんやけど、頼むな」

田原から聞いた娘の中学は大学からは遠い。運転するのはシグナムでも、時と共に顔を曇らせていったのははやてだった。
理由の一つは、学校の位置を確認せずにシグナムに頼んでしまったこと。もう一つは田原の態度である。
「あの……教授。この信号右でよかったんですよね?」
「ん……ああ……頼む……」
たった一言、そして流れる沈黙。田原は車内でも常に落ち着かない様子だった。
道案内でしか口を開かず、はやても何の話題を振っていいものか途方に暮れていた。
しかし聞かずにはいられない。シグナムに送りを頼んだのは自分なのだから、聞くくらい罰は当たらないだろう。
「ところで教授……何でそんなに急いで娘さんの学校に向かうのか、聞いてもええですか?」
「ああ……娘が放火未遂を起こしたと学校から電話が掛かってきてな……」
「放火……ですか」
「未遂だ……!」と、田原がはやてを睨む。相当神経質になっているらしい。
聞くんじゃなかったと、はやては自分の軽率さを悔いた。何があったのか、田原も詳しくは知らないかもしれないし、
首を突っ込むのも気が引けた。
車内の空気は益々重くなり、コメントのしようがない。それきりはやても田原も黙り込み、
そうこうしている内に四十分程が経過。中学校の校門前に車がつけられた。 田原が車から飛び出す直前、
「あの……なんでしたら、ついでに娘さんと駅まで送りましょうか? ええかな、シグナム」
ここまですればもう十分と思わないでもなかったが、放っておけない何かがあった。野次馬的な興味もあったかもしれない。
運転手のシグナムが了承しなければ駄目だったが、シグナムは快く頷いてくれた。
「すまない……すぐ戻る!」言うが早いか田原は走り去る。
血相を変えて、息を切らして、汗を散らして――それだけ娘が心配なのだろう。去っていく田原の背中に、
はやてはうっすらとしか思い出せない父を見た気がした。

「はやて、あの先生とは親しいのですか?」
待ち時間を持て余していると、シグナムが話しかけてきた。
外ではシグナムも主とは呼ばない。いつからだったか、この世界で過ごす内に、はやて自ら希望したのだ。
それでも敬語だけは譲らないあたり彼女らしい。
最近は家や二人きりの状況でも、呼び捨てが定着してきた。
初めて出会った時は主として傅かれていたのも、今となっては遠い記憶。
「う~ん、親しいというか……私が勝手に押しかけてるみたいなもんかな……」
「と、いいますと?」
「あの人な……昔のゲート調査隊の唯一の生き残りなんやて。ゲートにも随分詳しいらしい」
「なるほど」と、一言で頷くシグナム。
彼女はそれだけで押し掛ける理由がわかってしまったらしく、少し呆れ混じりの微笑みを漏らした。
「ほとんど語ってくれへんけどな」
現在、シグナムはスポーツジムのインストラクター、シャマルは内科医として働き、八神家の家計を支えている。
形は違えど、いつも自分を支えてくれる騎士達に、はやては常々頭が下がる思いだった。
自分は皆に何か返せているのだろうか。頑張っている彼女達に比べると少し自分が情けない。
そこまで考えて、はやてはシグナムから目を逸らし、窓の外を見て一人苦笑した。
見返りを求めない愛情――そんなものは家族なら当然。だからといって甘えるばかりのつもりはないが、
まだ主従気分がどこかにあったのかもしれない。シグナムはかつて、自分の為にあれ程怒ってくれたのに。


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最終更新:2010年04月20日 18:54