薄暗い研究室で、プレシアはデスクに向かい合っていた。
不健康そうに表情をやつれさせ、目元には隈を作っている。
それは見る者によっては、何らかの病気を患っているのではと思わせる程だった。
「あと少しで、全て終わるわ……」
ぽつりと告げた。
震える声に覇気は無いものの、その瞳はギラギラと光り輝いていた。
彼女の眼光に宿るのは、最早執念と呼ぶに相応しい、確かな野望。
愛娘であるアリシアを蘇らせる為には、彼女は何だってする。
例え悪魔に魂を引き換えにしようと、闇の終わりに立とうと。
何よりも強い娘への思いが、彼女を突き動かしているのだ。
本当は、こんな人間ではなった。
本当は、誰よりも優しい母親の筈だった。
されど、たった一つの分岐点で、彼女の人生は大幅に変わってしまったのだ。
アリシア・テスタロッサの死。
彼女――プレシア・テスタロッサにとっての、たった一人の愛娘。
夫と別れ、アリシアと二人で生活するようになってからというもの、
プレシアは誰よりも娘に愛情を注いで育てていたつもりだった。
彼女にとって、アリシアは世界の全てと言っても過言では無かった。
だから、どんなに仕事が忙しくても、アリシアの為にならば時間を割く事が出来た。
アリシアの学校の授業参観に赴く事も。一緒にピクニックに出かけることも。
愛娘と共に過ごす時間が、プレシアに生きる活力を与えてくれていた。
守りたかったのは、たった一人の、誰よりも大切な娘。
最も愛した人間だからこそ、ずっと笑顔で暮らしていて欲しかった。
娘が成長して一人立ちするまで、ずっとずっと、一緒の時間を過ごしていたかった。
そうだ。プレシアが望むのはただ一つ――娘と過ごす、幸せな日々への回帰。
それだけの為に、彼女は娘のクローンであるフェイト・テスタロッサに過酷な任務を強要した。
フェイトにさせたのは、ジュエルシードと呼ばれるロストロギアを集める事。
集めさせたジュエルシードを使い、プレシアは遺失技術の眠る異世界へと旅立とうとしたのだ。
プレシアが目指したのは、どんな不可能でも可能にするとされる理想郷“アルハザード”。
アルハザードは実在する。失われた技術が眠る場所は、絶対に存在する。
その妄信と、娘への異常なまでの愛が、プレシアを凶行へと走らせた。
彼女は、心の底から優しかった。誰よりも立派な母親だった。
例え現在の彼女が修羅の道を歩んでいようと、その根底にあるのは、“優しさ”だったから。
――優しさが、彼女を壊したのだ――。
EPISODE.15 運命
その日、プレシアは虚数空間に飲み込まれた。
未だ永遠の眠りについたままの娘と共に、何も見えない光の中へと堕ちて行った。
それから、どれ程の時間が経ったかは、プレシア自身も覚えてはいない。
ただひたすら、娘とはぐれないように。娘を見失わないように。
最後に残った娘だけは手放さないように。
プレシアは深く深く、より深くへと沈んで行った。
されど、何処まで行っても彼女らの周囲には何も見えない。
ただただ気味の悪い光の空間が何処までも拡がっているだけだった。
しかし、無間地獄に思えた空間にも、やがて終わりは訪れるもの。
ずっとずっと漂い続けたプレシアがその瞳に捉えたのは、全体が黒く焼け焦げた様な、巨大な石だった。
無骨な形の岩石だ。見た者に、まるで何処かから飛来した隕石のような印象を与える。
(いえ……違うわ。これは、ただの隕石じゃない)
と、プレシアは直感でそう感じた。
感じるのは、比類なき莫大な魔力。不気味なまでの威圧感。
周囲の存在に放つ、絶大なまでのプレッシャー。
この石自体が、ロストロギアに近い性質なのだろう。
プレシアは吸い寄せられるようにその岩への接触を試みた。
巨大な石に、そっと手を触れる。
刹那、プレシアを取り巻く世界の全てが一転した。
浮遊感が消えて行き、視界が広がる。
確かに地面を踏み締める感覚を感じた。自分の体重を感じた。
それから、彼女の耳朶に触れたのは暫く断ち切っていた外の世界の音。
踏み締める砂利の音。吹き抜ける風の音。小鳥のさえずりに、虫のさざめき。
それら全てが、プレシアを別世界へと導いた事の証明だった。
(世界が、変わった……?)
訝しげに周囲を見回す。
無数に建ち並ぶのは、見た事も無い建造物――最早遺跡と言った方が正しい表現と言えるかも知れない。
過去に滅んでしまった、何処かの荒廃した世界。そんなイメージを持たせるには十分だった。
だが、今はそんな事は比較的どうでもいい。何よりも真っ先に確認するべきは――娘の安否だ。
既に死亡している娘に安否という言葉も妙な話ではあるが、プレシアとしては問題無い。
果たして――その結果は、プレシアを安心させるものだった。
アリシアは元の状態のまま、プレシアのすぐ近くに飛ばされていた。
良かった、と。安心にほっと胸を撫で下ろす。
ここで娘とはぐれてしまっては、元も子も無い。
それから、再び周囲を確認する。
彼女の視界に映るのは、朽ち果てた大量の廃墟。
そのどれもが、高度な技術文明を持っていたと想像させるのには十分な構造をしていた。
次にプレシアが確認したのは、目の前に顕在する巨大な石。
先程、虚数空間で確認したものと同じだ。
石の周囲の地面は、まるでクレーターのように抉られていた。
石の質量に、周囲の地面が耐えられずに沈みこんでしまったのだろう。
「あなたが私たちをここへ連れてきてくれたのね……?」
語りかけながら、石にそっと手を触れた。
先程もこの石に触れた瞬間に、世界が変わったのだ。この石に原因があるとしか考え難い。
恐らく、次元すらも歪ませる程のとんでもない魔力を秘めた代物なのだろう。
それこそジュエルシードなど比較にもならない程の、莫大な魔力だ。
だからこの場所に存在しながら、虚数空間にも姿を現す事が出来たのだろう。
となれば、恐らくこの隕石には何らかの活用方法がある筈だ。
かくしてプレシア・テスタロッサは、新たな研究材料を見つけた。
それは元来科学者であるプレシアの興味を引き立てるには十分。
勿論、この世界の探索もまだしていない為に、詳しい研究は後回しにするつもりだが。
◆
それからというもの、プレシアは周囲の建造物の探索を欠かさなかった。
崩れ落ちたビルから、タワー状の建造物まで、隅から隅まで調べつくした。
発見されるのは、どれもミッドチルダの常識では考えもつかないものばかり。
どんな用途に使うのかさえも定かではない物から、ミッドチルダ製の物をさらに進化させたような家電まで。
その幅は広く、プレシアの興味は尽きる事は無かった。
やがて比較的美しい状態で残されていた研究室を発見したプレシアは、そこを活動の拠点とする事にした。
まず真っ先に検索するのは、この世界の記録――データベース。
研究所に残されたデータから、この世界に関する大まかな情報は得られた。
と言っても、既に滅んでしまった世界の歴史などに興味は無い。
問題なのは、この世界がアルハザードなのかどうか、だ。
故にプレシアは、この世界の技術力をメインに調べていたのだが――
「無い……無い、無い。どんなに探しても、見つからない……!」
表示されるデータに、死者蘇生に関する記述は一切見当たらない。
されど、科学力も医療技術も、何もかもが現存のミッドチルダを上回っているものであるのは確か。
それどころか、プロジェクトFの原型とも思われるデータまでがそこには残されていた。
人造魔道師や、生体工学に関する技術を調べれば調べるほど、深く掘り下げた内容が検出される。
余計な技術はいくらでも出てくるというのに、死者の蘇生に関する技術だけは見つからないのだ。
可笑しい。聞いていた話では、アルハザードに行けば不可能など存在しない筈なのに。
それとも、例えアルハザードと言えど、“完全な状態での死者蘇生”が禁忌の術である事に変わりは無いという事か。
結局の所、この世界はアルハザードなのか。それとも、似て非なる別世界なのか。
そんな疑問がプレシアを支配し、やがて彼女の興味の矛先は、“この世界が滅んだ理由”へと向けられた。
これだけの技術力と科学力を持った世界が滅びるというのは、決して穏やかな話ではない筈だ。
強大な力を秘めた何者かに滅ぼされたか。それとも文明が進化し過ぎて自滅したのか。
アリシアを蘇らせる為にも、まずはこの世界について理解する。
そうして調べれば調べる程、プレシアの興味は拡がっていった。
やがて行きついたのは、最初にこの世界で目撃した隕石に関する記述。
どのデータベースで検索をかけても、行きつくのは宇宙より飛来した隕石のデータばかり。
どうやら、あの隕石が落下するまでは、この世界も平和な文明だったらしい。
しかし、隕石の力は余りに強大過ぎた。
莫大な魔力を内包したそれは、人を狂わせ、破滅の道へと歩ませ――結果として、世界を滅ぼした。
かつて研究施設だったと思われるあらゆる施設を調べつくし、その真相について調べ上げる。
研究は幾日も続き、やがてプレシアはこの世界に起こった悲劇の真相に近づいて行った。
以下は、調べたデータを元に、プレシアが纏めた検索結果である。
「かつてこの世界に、宇宙から一つの隕石が飛来した。やがて、それ自体が強大なロストロギア級の代物だと言う事実が発覚した。
“ゲブロン”と名付けられたそれは、莫大なエネルギーを秘め、接触した有機生物に何らかの影響を及す性質を持っていた。
それから、ゲブロンから抽出した金属が試験的に製造されたものの、ゲブロン製の金属は人体に影響を及ぼし、
その正体は長期間接触していたものを異形へと進化させてしまう“悪魔の鉱石”だったという事が発覚。
やがて科学者達はゲブロンを危険視し、ゲブロン自体を何処か異次元へと飛ばしてしまおうという派閥と
発達したテクノロジーで、ゲブロンを完全に制御化に置き利用するべきだと考える派閥の二つに分かれた。
やがて後者の派閥から、意図的か否か、ゲブロンそのものを体内に取り込み進化した人類が誕生してしまった。
厳密には、ゲブロンを体内に取り込んだというよりも、逆にゲブロンに脳まで取り込まれてしまったと
表現した方が正しいのかも知れないが。結局の所、この世界の人間にこの鉱石を使いこなせる者は居なかった。
旧来の人類はその科学力と魔法技術を以てゲブロンを取り込んだ生命体の侵攻に抵抗を見せるも、
やがて現れた“凄まじき戦士”により、太陽は闇に葬られ、一晩も待たずに全ての文明は滅ぼされた。」
これが、この世界を襲った惨劇。
プレシアの憶測による仮説も含んだ、考察の結果。
ここまでの話を纏めたプレシアは、ふぅと一息ついた。
ある日飛来したたった一つの隕石が、最終的に一つの世界を滅ぼすに至った。全く以て恐ろしい話だ。
勿論この仮説にはプレシア自身の憶測による所も多分に含まれている為に、一概に真相だとは断定出来ないが。
だが一つだけ解る事があるとすれば――プレシアがこれまで幾度か触れたあの隕石は、とんでもない代物だったという事だ。
恐らくは何らかの衝撃により単体で次元を跳躍し、この世界へと飛来したのだろう。
それが故意によるものか、単なる偶然によるものなのかは今となっては知る事は出来ない。
しかし、言いかえればゲブロンは“単体で次元の跳躍を可能とし、触れた人類を進化させる”奇跡の宝石という事にもなる。
これにプレシアが興味を引かれない訳がなかった。
ゲブロンにより進化した人類の特徴は、全身の神経組織が連結し、その者のイメージにより身体を作り変える事。
そして、進化した人類は、驚異的な生命力と、回復力を発揮したという。
それこそ、生半可なダメージでは到底殺す事など不可能な程の、絶大な超速回復。
それ程までに急速な進化を促すエネルギーを、この世界の技術力と併せて使いこなす事が出来たなら。
仮にゲブロンの超速回復のメカニズムだけを抽出し、アリシアに施す事が出来たなら。
どうせこの世界では、“完全な死者蘇生”を成し遂げるだけの証拠は見つけられなかったのだ。
ならば、先人が為し得なかった、“魔法と科学とゲブロンの融合”を、自分が果たせば。
――或いは、アリシアを蘇らせる事が出来るかも知れない。
◆
プレシアが用意したのは、この世界に新たに設けた自分専用の簡易研究施設。
あらゆるデータベースから持ち出した情報と、自分の科学者としての技量。
それに合わせて、大魔道師としての実力。それら全てのノウハウをつぎ込んで、隕石――ゲブロンの研究を開始した。
ゲブロンという研究材料は、調べれば調べるほどに興味深い事実が発覚して行った。
この鉱石を服用した人間の身体に起こるであろう変化。使用者の身体に起きる、神経組織の変質。
この世界の野生動物をモルモット代わりに、日夜ゲブロンを用いた実験が進められる。
それらの研究結果を踏まえ、ゲブロンを使用した進化人類についての研究資料を纏めて行く。
――そんな日々が、幾日も続いた。
来る日も来る日もゲブロンの研究を重ね、次第にプレシアはゲブロンに取りつかれたように研究に執着するようになっていた。
人を魅了し、狂わせる。それがゲブロンと呼ばれる霊石の真の恐ろしさなのかもしれない。
されど、最早プレシアにはそんな事は関係ない。何故か、それは問われるまでも無い。
そうだ。どうせ彼女は、アリシアが死んだあの瞬間から元々“狂っていた”のだから。
だから、これがいつかアリシアを助ける為の手段になると信じて、研究を続けていた。
事件が起こったのは、そんなある日のことだった。
「かつてとある世界で、グロンギと呼ばれる戦闘民族を進化させた悪魔の霊石……これは大したお宝だ」
不意に、背後から声が聞こえた。
後ろを振り返れば、そこに居たのはグレーのジャケットに身を包んだ男。
10代後半くらいの若者で、髪の毛の色は自分と同じ漆黒。長髪とは言えないまでも、そこそこの長さだ。
笑みを浮かべる顔立ちは非常に整っており、世間一般的にも、男前と呼ばれる部類だった。
右手に持っているのは、黒とシアンの色をした、変わった形の銃。
それをこちらに向けながら、嫌な微笑みを向けていた。
「あなたは誰? この世界には私しか居なかった筈よ」
それは間違いない事実だ。
あれだけ調べつくしたのに、この世界には人っ子一人居る気配は無かった。
故に、今ここに自分以外の人間が居ることなど、あり得ない。
「ついさっきまではね。今は僕と君の二人だけだ」
「どうやってこの世界に現れたの……?」
「僕が欲しいのは、この世界に眠るお宝だけだ。お宝を手に入れる為なら、僕は何処にでも現れるよ」
返って来たのは、的外れな答え。
男の言うお宝とは、もしかしなくても間違いなく目の前の霊石・ゲブロンの事だろう。
この世界に他にお宝と呼べるようなものは存在しなかったし、あるとすればこれしか無い。
だが、だとすればゲブロンは絶対に渡すわけにはいかないのだ。
プレシアもまた、魔法を行使する為にデバイスを取りだそうと懐に手を伸ばしたが――響いたのは、銃声。
「く……っ!?」
「あぁ、ごめんごめん。君本人を狙ったわけじゃないんだよ、魔法使い君。
でも、出来ればいい子にしていて欲しいんだ。手荒な真似はしたくないからね」
微笑みを向けながら、男はシアンの銃をこちらに向けていた。本当に、嫌な笑みだ。
銃口から立ち上るのは、弾丸の発射を示す白い煙。そして、プレシアの手から弾かれたのは、デバイス。
男が発射した一発の弾丸に、取り出そうとしたデバイスを見事に打ち抜かれたのだ。
ここへ来て妨害者が現れたのかと、歯を噛み締める。表情を歪める。
時空管理局や高町なのはの様な、プレシアにとっての邪魔者。
彼女のたった一つの野望を阻害する、イレギュラー。
それが今、目の前に居る男か。
「安心したまえ。君に危害を加えるつもりはないよ。
僕が興味あるのは、君の目の前の“お宝”だけだからね」
「……安心? 出来ないわね、これは私のモノよ。誰にも渡す気は無いわ」
「やれやれ、随分と欲張りだね、魔法使い君。
僕は何もその霊石を丸ごと貰って行こうって言ってる訳じゃない。」
「……何ですって?」
男の言葉に、眉をしかめる。
確かにこの巨大なゲブロンを丸ごと持っていくとなれば、華奢な男一人には辛いかも知れない。
ならば、どうする。考えられるのは、欠片だけを持っていくという事か。
眼前の男を睨みながら、冷静に予想を立てて行く。
「最初は丸ごと持っていくつもりだったけど、僕が持っていくには少し大きすぎる。
だから、欠片だけを貰って行こうと思ってね……!」
「――ッ!?」
結果として、プレシアの予想は正解だった。
されど、男が起こした行動がプレシアにとっては予想外。
男が言った刹那、再び銃口から一発の弾丸が放たれたのだ。
バキュンと、大きな銃声がプレシアの耳朶を叩く。
だが、プレシアが狙われた訳ではない。弾丸が砕いた標的は――ゲブロンだ。
あっけに取られるプレシアを尻目に、弾丸に砕かれたゲブロンの破片は、その衝撃で宙に舞った。
回転しながら宙を舞い、破片はすぐに重力に引かれて落下を始める。
プレシアが行動するよりも早くに、男は駆け出した。
それは、ほんの一瞬の出来事。
気付けば、男は砕かれた欠片を手に握りしめ、微笑みを浮かべていた。
「霊石の原石、これだけあれば十分かな。コレクションには調度いいサイズだ」
「コレクションですって……? そんな事の為に、私の邪魔を――!」
「落ちつきたまえ! 折角だ、ただでこれを貰って行こうなんてセコい事は言わないさ。
どうやら君はこの霊石を調べているみたいだし、少しだけ教えてあげるよ。この霊石の事を」
瞬間、プレシアの表情が、僅かに緩んだ。
結果的にこの男の思い通りになるのは尺だが、ゲブロンの情報を教えてくれるのであれば話は別だ。
データベースに残されていた記録は全て過去のもの。既に滅んだ世界の、過去の記録でしかないのだ。
口ぶりからして、どうやらこの男はこの霊石の力を知っている生き証人らしい。
ならば、話を聞くのも悪くは無い。内心で自分を宥めながら、男に向き直った。
「……それは、興味深いわね。なら、こちらからも質問させて貰うわ。
あなたはこの霊石の事を、一体何処まで知っているのかしら……?」
「僕が知っているのは、この霊石を切欠に起こった“物語”だけさ。
どうしてこの世界にこの霊石があるのかまでは知らないけど――ッ!?」
男の言葉が、遮られた。プレシアも、咄嗟に振りかえる。
突如として、プレシアの背後に設置されていた霊石が光を発したのだ。
男の放った弾丸に砕かれた箇所。霊石の中心部から、気味の悪い光が漏れる。
光は明滅を繰り返し、やがてその速度は早まって行く。
そして、最終的には霊石自体が強い光を放つようになり。
「消え……た……!?」
その姿は、彼女らの目の前から綺麗さっぱり消え去った。
プレシアは驚愕を。男は対照的に、興味に表情を歪ませる。
何が起こったのかも解らないままに、ゲブロンは何処かへと旅立ってしまったのだ。
「なるほどね……そういうことか!
これを切欠に、霊石は“クウガの世界”に飛び立ったんだ!」
男は心のモヤが晴れたとでも言うように、嬉しそうにそう叫んだ。
勿論プレシアには何が起こったのかも、何を言っているのかも理解出来ない。
クウガの世界とやらが、この霊石と何の関係があるのだろうか?
疑問を浮かべるプレシアに、男は説明を開始した。
「おかしいと思ってたんだ。この霊石はかつてグロンギの怪人達に砕かれて、その身体に埋め込まれた筈だった――」
「グロンギの、怪人……?」
「――それなのに、霊石は原石のままこの世界で眠っていた。
まぁ、お宝が手に入るのなら何でも良いと思ってたんだけどね」
男の説明によれば、この霊石はかつて“クウガの世界”と呼ばれるとある次元世界に現れたのだという。
超古代のクウガの世界で、この霊石はやはり人類を進化させ、多くの殺戮を呼び起こした。
しかし、やがて現れたこのクウガという戦士に、進化した人類――グロンギは全て封印されたという。
それから2000年後、再び封印されたグロンギは復活し、殺戮を開始した。
しかし、やはり現れた戦士クウガによって全てのグロンギは倒され、事件は集結した。
以上の戦いの歴史こそが、男の知る“クウガの物語”だと言う事だ。
しかし、それだけならばただの一つの世界の歴史に過ぎない。問題はここからだ。
クウガの世界で、この霊石は一度ばらばらに砕かれ、グロンギと呼ばれる者たちの身体に埋め込まれた。
それなのに、砕かれた筈の霊石は原石のままこの世界でプレシアを待っていたと言う。
それが何を意味するのか。男は何を言いたいのか。
今一理解出来ないプレシアに、男はこれ以上無いと言う程嬉しそうに続ける。
「つまり、この霊石はクウガの世界――それも超古代で、グロンギの手に渡る前の状態だったんだ!
すっげぇ、最高のお宝だ! グロンギやリントが手を出す前の、完全な状態の霊石の一部を僕は手に入れたんだ!」
「……話はだいたい理解出来たわ……だけど――」
要するに、この霊石はクウガの世界に現れる前の状態だと言う事らしい。
次にどの世界に跳んだのかは知った事ではないが、やがてクウガの世界に現れるのだろう。
それは解った。理解出来た。されど、理解は出来ても納得は出来ない。
何故なら、それではプレシアは困るのだから。
先刻弾丸に弾かれたデバイスを拾い上げ、起動させる。
杖の形になったそれを男へと向け、怒りの形相で睨みつけた。
「貴方の行動が切欠で、霊石は別の世界に跳んでしまった……それは解ったわ
だけど、お陰で私の計画は台無しになった。それに関して、貴方はどう落とし前を付けようと言うのかしら?」
「落とし前? 悪いがそればっかりは僕にはどうしようもない。頑張って探し出してくれ」
男はさぞ興味無さげに吐き捨てた。
実に無責任だ。この男の勝手で、自分の計画は台無しにされたのだから。
眼光に鋭い怒りを込めて、言い返す。
「そんな無責任が、許されると思っているの……?」
「無責任とは酷い言われようだな。あれは元々誰のモノでもないのに。
……まぁいいや、ヒントくらいは教えてあげるよ。」
「ヒント……?」
杖を向けたまま、再び眉をしかめる。
その表情の下には隠しきれない怒りを秘めたまま、男に視線を送る。
腹は立つものの、情報が貰えると言うのであれば、この際何でもいい。
早く言いなさいとでも言わんばかりに、男に向かって杖を突き立てる。
「あぁ、簡単なヒントさ。クウガの世界を探したまえ。
君が何を求めているのかは知らないけど、クウガの世界に行けばいつかは霊石に行きあたる筈だよ」
「そんな事は言われなくても解っているのよ!」
期待とは裏腹に、帰ってきたのは解りきっている事実。
プレシアは思わず、苛立ちを隠しきれずに怒声を上げた。
だが、男はまるで意に介さずにプレシアに背を向ける。やがて眼前に現れたのは、銀色のカーテン。
まるで幕のように下ろされた、別の世界へのゲートにも似た不思議な光のカーテンだ。
何が起こったのか理解出来ないプレシアを尻目に、男はカーテンへと歩んでいく。
「待ちなさい」と声を荒げるも、男はプレシアの声に耳を傾けようとはしない。
されど、カーテンの直前で立ち止まると、最後に一度だけ振りかえった。
「あぁ、そうそう……一つだけ教えてあげるよ。
クウガの世界には、クウガとダグバって凄い化け物が居るんだ。」
「クウガと、ダグバ……?」
「そう、凄まじき戦士って奴さ。僕が“君たち”の前に姿を現す事はもうないだろうけど――
せいぜい気を付けたまえよ、魔法使い君」
問い返すプレシアに、男は微笑みで返した。
全くもって嫌な笑い方だ。元々ストレスの塊のような人間だったプレシアにとっては、悪印象しか抱けない。
だが、凄まじき戦士という言葉には聞き覚えがある。いくつもの伝承に残された、悪魔の名だ。
その化け物が、二人も一つの世界に集まっているというのであれば、さぞかしとんでもない事態になっている事だろう。
そして“君たちの前に姿を現す事が無い”、というのは一体誰に対しての言葉なのか。
その言葉も気にはなったが、やはり今は問題ではないだろう。そんな事はこの際どうだっていいのだ。
現在一番の問題となっているのは、この男がこのまま逃げようとしている事だ。
このまま逃げ遂せれば、男も言うように、恐らく二度と出会う事は無くなるだろう。
だから最後にプレシアは、男に質問した。
「貴方は一体、何者なの……!?」
「通りすがりの仮面ライダー、ってとこかな。覚えておかなくていいよ」
◆
「あ……あぁ……――」
全てが一瞬だった。
何が起こったのかすらも、彼女には到底理解出来ない。
ただ棒のように立ちつくすジャーザの目の前で、呆然と立ち尽くすのは一人の少年。
最強と謳われた王。白装束に身を包んだ、微笑みの悪魔。
その傍らに横たわる異形は、自分の仲間だったもの。
ブラウンの体色は、最早識別出来ないものと変わり果てていた。
ジャーザの鼻をつくのは、嗅ぎ慣れた筈の異臭。リントの身体を抉り、血肉をぶちまけた時に感じる悪臭。
目の前で壊れた人形のように横たわるのは、“ザザルだったもの”だ。
彼女は全身を真っ赤に染め上げて、見るも無残な姿に変わり果てていた。
「おかしいな。君たちは、誰……?」
不意に、少年が口を開いた。
自分の仲間を壊した王が、意味の解らない質問を投げかけて来た。
何故今さらになってそのような質問をする。何故仲間であった筈の自分たちにそんな質問をする。
仲間の顔を覚えておけない程、ダグバは馬鹿でも無能でも無かったはずだ。
それとも自分など覚えておくに値したいと言う事だろうか。
一番有り得る考え方だが、同時に一番認めたくない考え方だ。
混乱する思考を何とか落ち着かせて、ジャーザは口を開いた。
「私はグロンギの戦士、ゴ・ジャーザ――」
「違う。」
「――え?」
不機嫌そうに、ダグバは吐き捨てた。
ジャーザは今、確かに自分の名を名乗ろうとした。
質問に対する回答として、誇り高き自分の名を名乗ろうとした。
されど、回答に対する返答は、否定。
たった一言の否定に、ジャーザの思考は混乱による停止状態へと陥った。
「君たちは、僕の知ってるザザルでも、ジャーザでも無い……
――違う、何かだ」
ダグバの言葉を受け止められず、理解できず。
ジャーザはただ黙ってダグバを見つめていた。そうする事しか出来なかった。
そもそも質問の意味が解らないのだから、仕方がない。
自分は自分で無い等と言われても、理解出来る訳が無いだろう。
気付けば、放心状態で立ちつくすジャーザなどまるで意に介さないと言った様子で、ダグバはすぐ眼前まで迫っていた。
「まぁ、いいよ。君の事は、助けてあげる」
「え……」
考えを纏める前に、ダグバの口から救いの言葉が紡がれた。
不意にダグバから視線を外す。外した視線の先で“壊れて”いるのは、先程まで元気だったザザルの遺体だ。
このような力の差を見せつけられた後で、「助けてあげる」などと言われる状況。
そういった状況下で、相手が考え付く心理は、ジャーザにも簡単に予想が出来た。
「僕のベルトの場所、君なら知ってるよね」
「……はい。」
脅えるように頷いた。
要するに、タダで帰してはくれないという事だ。
当然だろう。殺そうと思えば、いつでも殺せるのだ。
それをしないと言う事は、何らかの条件があるという事。
そして、今回の条件は――
◆
ゲブロンとの出会い。生け好かない男との出会い。全ての物語の切欠。
事の発端となった、あの日の出来事を思い返しながら、プレシアはデスクに腰掛けていた。
あの男が何者だったのかは、結局のところは解らない。
だが、今となってはそんな事はどうでもいい事だ。
本人も覚えておかなくていいと言っていた事だし、それはつまり覚えておく必要が無いという事だろう。
事実として、男がプレシアの前に姿を現す事は二度と無かったし、恐らくこれからも永遠に無い。
“君たちの前に姿を現す事は無い”というのは恐らく、この世界全ての人間の前に姿を現す事は無い、という事ではなかろうか。
プレシアの計画にも、グロンギの物語にも、これ以上一切関わるつもりは無いという、意思表示。
男はただ、本当にゲブロンの欠片が欲しかっただけなのだ。
そこまで考えて、プレシアはふっ、と自嘲気味に笑った。
何を余計な事を考えているのだ。自分にはそんな事を考えている余裕など無いはずなのに。
こうやって余計な事を考えると、ついつい連鎖的に計画にとって邪魔な事まで考えてしまう。
たとえば、娘のクローン――フェイトの事、とか。
所詮は失敗作だ。プレシアにとっての興味など微塵も無いはずなのだが、不思議と思い出してしまう。
不意にデスクの引き出しを開けた。中から出て来たのは、一枚の原稿用紙。
それを執筆したのは、他ならぬフェイト本人。失敗作のフェイトが書いた、一枚の作文だ。
作文の内容は、プレシアを母と慕う純粋な少女のもの。
フェイトにとって、まだ幸せだった筈の――母親と過ごす、楽しかった日々を書き綴ったもの。
死んでしまったアリシアの事を考えれば、非常に面白くない作文なのだが――どういう訳か、今もデスクの中には入りっぱなしだ。
複雑な表情で作文を見詰めるプレシアの耳朶を、不意にドアの開閉音が叩いた。
咄嗟に引き出しを閉め、プレシアは背後に向き直る。
そこに居たのは、使い間のリニスだ。
「プレシア……ジャーザが帰って来たんですが……」
「……浮かない表情ね。何か問題でもあったのかしら?」
「それが……今すぐプレシアに会わせろって言ってます。どうしますか?」
リニスはそう、気まずそうに告げた。
「そうね……」と。俯いて考える様な仕草を見せる。
ザザルにはまるで期待などして居なかったが。ジャーザは違う。
わざわざ作ったレーダーまで持たせてやったのだ。それで何の収穫も無しに帰還とは考え難い。
今すぐに会いたいと言うからには、当然バックルの破片を見つけて来たのだろうが……。
だが、いつもと様子が違う。バックルを見つけたのであれば、そのままリニスに渡せばいい話だ。
プレシアを呼び出すという事は、何らかの問題でも起こったのだろうか?
現在起こり得る問題として考えられるのは。
(まさか、クウガか、ダグバ……?)
思考を巡らす。どちらかと接触してしまったという可能性は大いにある。
前者なら、恐らく戦闘になるだろう。だが、もしも後者なら……?
後者に出会ってしまった場合のシナリオが、プレシアの中でまるで思い描けない。
何せ、ダグバは仲間である筈のグロンギ怪人ですら何を考えているか理解出来ないという、筋金入りの化け物なのだ。
一応、対応策は講じてはいるものの、油断はしない方がいいだろう。
そもそも、会いたいと言うのならば、会わなければ話は進まない。
故にプレシアは、「解ったわ」と一言。
研究室を後に、ジャーザの元へと向かった。
最終更新:2010年06月11日 13:54