雲を突き抜けて聳え立つ管理局地上本部。
魔法の力によるものかその背後に小さく見える本部より低い標高の山々に雪化粧が施されていたが、地上本部の上へは雪がかかることはない。
その屋上に、夜になってから三人の男が集まっていた。新月の日を選んでいたが、星明りが男達の顔が浮かび上がらせる。
飛蝗の顔をし持つRX。白いスーツを着たヴェロッサ・アコースは風に靡く髪を手で押えていた。
レジアス・ゲイズは陸の制服を着込んで一人だけ寒そうにしている。
雲の上にあるそこは何の装備もなしに外で待つには寒々しい場所だった。
だが地上本部以上に高いビルは存在しないので、雲の上になるため盗み見る者の姿を発見しやすいという利点があった。
額の第三の目とも言うべきレーダーと二つの複眼を使って周囲を探るRXに二人の視線は向けられていた。
「ゲル怪人のことは聞いておるが、新しい情報はない」
「本当ですか?」
「既にスカリエッティに関する情報は全て提供してある。あんなことはもう起きないだろうとぬけぬけと言いおったがな」
疑うような目をして尋ねるヴェロッサに、レジアスが白い息を吐きながら言う。
だがそれもスカリエッティ自身の言葉を信じるならばという条件付きで、信じるつもりはこの場に集まった3名にはなかった。
加えてレジアスの言う情報も、レジアス自身の保身の為に都合のよい情報しか明かされていないのだということは明白だった。
冷えていく体を自前の筋肉が生み出す熱で暖めている中年を見ないようにしながら、疲れが溜まっているのか、ヴェロッサは張りが無い声で更に尋ねた。
「僕の方もまだ成果はありません。レジアス中将、彼の資金を断つ事は出来ないんですか?」
「無理を言うな! 私とお前達との繋がりが疑われたらどうする。貴様らこそいつまで時間と金を浪費するつもりだ!?」
「気長に待っていただくしかありませんね。スカリエッティの居所を掴めるような情報はありませんから…」
ヴェロッサとレジアスは互いに神経を逆なでするような声を出す。
索敵を終了したRXも含めて、3名ともに焦りがあった。
殆ど地上にはいないクロノの紹介で知り合ったヴェロッサは、先日のゲル化した戦闘機人の件で犯罪に手を染めていたレジアスに対し否定的な感情を持っていた。
RXの紹介でヴェロッサと密談を交わすこととなったレジアスは、成果を出す事が出来ない上にレアスキル持ちのヴェロッサに端から否定的だった。
レジアスがRXに対して好意的になったのも、犯罪者を何十人か届けた末のことだったようにもっと回数を重ねれば信頼も生まれるのかもしれないが、二人は共に忙しく仕事の面でも全く接点がない。
二人の間には深い溝があった。
「それよりも」
RXは彼にしては神経質に周囲をもう一度見回った。
「俺の感覚では大丈夫なようだが、ここは安全なのか?」
「…無論だ」
「事前に調べておいたけど、盗聴等の危険はなかったよ」
だけど、とヴェロッサはレジアスを見咎める。
「レジアス中将。貴方の所にいる内通者を即刻排除してもらいたいですね」
「内通者はわかっていれば使い道もある…私の動きには気付いないか危険視していないはずだ」
不機嫌そうに眉を寄せるレジアスの手をヴェロッサは指した。
そこには真新しい指輪が光っている。レジアスの顔に赤みが差した。
「正直に言って、スパイと再婚した貴方の事を信用していいのか僕は迷っています」
「アレか」
「彼女の本名はドゥーエ。スカリエッティの作り出した戦闘機人です」
レジアスの目がヴェロッサから外れ、微かに緩む。
ヴェロッサの不安を煽る反応をレジアスはすぐに仕舞い込んだ。
ニュースで見ることの出来る表向きの顔。強く、重みを感じさせる硬い表情を作り出していた。
「フン、泳がせておるだけだ。貴様のことは知らん」
「失礼ですが魔法を使われたのでは?」
レジアスは魔法が使えない。
その上地上本部の対策についてヴェロッサは信用していなかった。
通常であれば問題がないが、スカリエッティを相手にするには不安過ぎる。そういう評価をしていた。
「問題ない。地上本部の対策は万全だ」
「僕等は命がけなんですよ。他にも何名も…」
「貴様こそもう少し声をかける人間を選ぶのだな。不穏な動きがあると最高評議会が感づきつつある」
「それについてはご心配なく。順調そのものです」
声を荒げつつある二人を一歩離れた位置で見ていたRXが言う。
「…何が必要だ?」
「せめて奴がいる世界を特定出来る情報が欲しい。以前使っていた形跡のある場所位しか見つかっていなくてね」
偽ライドロン、通信の発信源、ゲル化した戦闘機人の処理報酬として支払われたデバイス。
どれもバラバラの位置から送られていてスカリエッティの現在位置を特定する助けにはなっていない。
管理世界だけでも100を超えている上に他にも仕事を抱えるヴェロッサが、管理局にはばれずにその中から一人の科学者を発見するのは容易なことではなかった。
だが既にRXも彼自身が知る情報はほぼ伝えて終わっていた。
「…他の情報は、奴が服を注文した店位しか知らないな」
「教えてもらっていいのかい?」
「構わないさ。メモは…」
ヴェロッサが問題ないと身振りで示したのに、僅かに間を置いてRXは幾つかの管理世界の名前とそこにある店を挙げていく。
「他には何か? この際だ。些細な事でも知っていることがあれば教えてもらいたいね」
RXは記憶を探り、できるだけ詳しい情報を思い出そうとしていた。
もう数年前になるが、スカリエッティが使っていたブランドなども今では分かる。
2人、あるいは3人で暮らしていた時のことが浮かび、熱いコーヒーの香りや洗剤の柑橘系の匂いを思い出す。
その中で彼女が言った言葉でひっかかりを覚えるものもRXは挙げていった。
「ありがとう。何かわかったら連絡するよ」
全て聞き終えたヴェロッサはRXに礼を言う。
三人はそれから暫く寒空の下屋上から見下ろせるミッドチルダの治安について暫く意見を交わしていた。
と言ってもヴェロッサは特定の世界を守る為に動く役職に就いた経験さえないので耳を傾けるに留まっている。
何らかの調査ならまだしも、市民を襲う犯罪にどう対処するかなどの問題についてはRXと大差ない素人考えしか浮かばないのだった。
その話が現場で働いている者達のことへと変り、RXがレジアスの他に犯人を引き渡していたゲンヤ・ナカジマに及んだ時に…レジアスの表情が曇った。
RXにはまだ告げていない事を告げるべきか否か。
ゲンヤ・ナカジマの妻等優秀な者達を率いていたかつての友、ゼスト・グランガイツがどうなってしまったか…
暫し考えた後、レジアスはやはり話さないことを選択した。
もう彼らは何年も前に死んでしまい、今更レジアスにはどうすることもできない。
彼らの遺体や、ゼストの部下だったメガーヌ・アルビーノのまだ幼い娘がレジアスには通達の無いまま管理局によって引き渡され、その後どうなったのかなど考えるまでも無いことだった。
もっと早く気付き配置換えを行っておけば殉死することはなかったし、子供も引き渡さずに済んだという負い目が残っていたが、そんなことは今スカリエッティを捕らえることにすら全く関係が無い。
RXの管理局に対する嫌悪感を強くするだけでしかないとレジアスは頭を振って、感傷を頭の中から追い出そうとした。
その為に強引に自分の管轄で情報漏洩が疑われた不快感を蒸し返し、いけ好かない本局から来たヴェロッサへ怒りを燃やす。それが最も手っ取り早かった。
ぼんやりしていたかと思えば、頭を振り、不快そうに眉間に皺を寄せるレジアスをRXとヴェロッサは不思議に思ったが、二人はマスクド・ライダーに対抗する手だてを練り行動する犯罪者への対策に熱を上げていた。
「ところで六課はホテル・アグスタの警備に回されるそうだな」
「ああ」
突然話を変えたレジアスの態度は不可解だったが、RXは簡潔に答えた。
男の表情から、RXは何があったのかはわからないが、レジアスが深く傷ついた出来事をまだ忘れられずにいることだけは察していた。
・・
「あの犯罪者がどうなろうと知ったことではないが、偶然、その前後数日の間にロストロギアがミッドチルダに持ち込まれるという情報がウチに舞い込んでおる」
それを聞いて、表情を変えられないため余人には読み取る事は出来ないにしろ、RXが身に纏っている雰囲気が剣呑なものに変る。
空港でのことや、先日のライドロンのことが頭に浮かぶ。
だがそれよりもRXは、レジアス自身は六課のことを嫌っているのは知っていても、レジアスの棘のある言葉にも反発を覚えた。
ヴェロッサもそれは同じだった。
「ちょっと待ってください。はやて達のどこが犯罪者だと言うんですか!?」
「何を言っておる!! 貴様闇の書事件を知らんとでも言うのか!?」
「貴方が言う事か!!」
はやて達への侮辱に険しい目をするヴェロッサの方へRXが顔を向ける。
「落ち着くんだ。レジアスもはやてちゃん達を侮辱するようなことは言わないでくれ」
咎められたヴェロッサは、レジアスに詰め寄ろうとするのを止めた。
ミッドチルダに集まる情報に全て目を通しているわけではないヴェロッサは、出所を調べてみようとだけ述べた。
「僕はこれで失礼する。こちらも真偽が分かり次第連絡させてもらうよ」
気分を害したヴェロッサがこの場を後にしようとするのを止める手はRXにはなかった。
恐らくはこのまま海へと戻り、仲間達と打ち合わせて別の管理世界に向かうのだろう。
RXは去っていくヴェロッサを見送った。去って言った後、RXは念を押して強い、怒りを含んだ声を出す。
「レジアス。あんな事を言うのは止めてくれ」
「…わかっておる」
ふてくされた子供のような不満げな顔で答えるレジアスにRXは苛立ったが、レジアスの態度にまで口を挟まなかった。
管理局の陸と海の確執もあり、今これ以上の事を求めてもこじれてしまうだろう。
水際で情報を入手する事が出来たのか、戦力を分散させる事を目的とした何者かが手を打ったのか。
「さっきの件だが、こちらでも目下調査中だ。何か分かり次第連絡がつくようにはしておくが…当日までに真偽が判明するかは望み薄だ」
やけに自信たっぷりなRXにしかめっ面のレジアスが言う。
それから二人は、近頃のミッドチルダの状況について暫く話しを続けた。
ミッドチルダの治安は良くなり、陸士を希望する者や協力的な者も年々増加していたが、スカリエッティ以外の犯罪者のことでも二人の間には話す事柄は多数存在していた。
途中で事件が発生する事もなく、どんな犯罪が増加しているのかや灯りに群がる蛾のように集まってくる強力な力を持つ犯罪者について、二人は意見を交わした。
不機嫌そうなレジアスの表情も話す間に険が取れていく。
「おっと、もうこんな時間か。悪いがワシもそろそろ失礼する」
寒空の中話しこみ過ぎたせいだろう、レジアスが体を震わせて時計を見た。
「妻を待たせているのだ」
それを合図に話を打ち切ろうとするレジアスへRXは遠慮がちに尋ねる。
「…レジアス。確かめておきたいんだが、本当に大丈夫なのか?」
「ドゥーエのことなら問題ない…今はまだ奴等はワシを殺したりはせん。ワシを殺す方がデメリットが大きいからな」
ヴェロッサと同じ懸念を示すRXに不愉快そうにレジアスは言った。
「何より奴等はお前を意識しておる。ワシはそれを逆手に都合のいい話を吹き込んである。ワシを排除した場合お前が奴等を探しに行くのではないかとな」
「そうか…」
冗談交じりの言葉に歯切れの悪い返事を返されたレジアスは訝しむような目でRXを見る。
RXはもう一つレジアスに尋ねたい事があったが、口に出せずにいる。
それについては、情に流されない合理的な考えだと言う事も出来る。
だが本当は、それは臆病さを隠しているだけだとRXは気付いていた。
「BLACK。管理世界ではどんな相手でも対象から外れることはない。例え相手がワシを裏切るのかもしれなくても…うっかりワシを握りつぶしてしまうかもしれない相手でもだ」
「!? いきなりなんだ?」
「…だが、その相手によってはお前のことをお義兄さんと呼ばなくてはならないかと考えると、年甲斐のない気持ちにさせられる」
「馬鹿なことを言うなっ」
反射的に返すRXの態度は犯罪者を連行してきたり、スカリエッティのことを考えている時とは違い、若いを通り越して幼さが感じられた。
「ここはミッドチルダだ。予断は許さん状況だが、以前に比べればこの地上本部の人間もBLACKがいるせいで緊張感がなくなっておる有様だ。もう少し……その、気楽に考えてはどうだ?」
そういったレジアスの声は彼の顔に似合わず優しげな響きをしていた。本人もらしくないと感じたのか、言うなりレジアスはそっぽを向く。
「どうしてそんなことを? ロストロギアの事を聞かされたらそうも言ってられないじゃないか」
「ロストロギアによって危機に瀕している世界は他にもある。管理局では割と日常的な話だ。お前の仕事が来るまでに疲れてもらうわけにはいかん」
「わかった。だがウーノ達は俺達の敵だろう」
「勿論だ。奴等ではなく…」
レジアスはその返答を妙に思ったが、口をつむぐ事にした。
よく考えて見れば、六課にスカリエッティが生み出した技術によって生み出された隊員が複数いることなど話すわけも無い。
そのまま二人は逃げるようにその場を去っていった。
レジアスは残作業を予定していた時間まで進めて家に戻り、ヴェロッサから改めてスパイだと念を押された新妻と遅い夕飯を取った。
分かっていたことだったがいざ他人から指摘を受けたせいで、下手をすれば娘より年下だったのかもしれないとサーモンソテーを食べながら冷や汗をかく羽目になった。
最終更新:2010年05月29日 02:43