魔法――それは、どんな夢でも叶えてくれる力。
 物理学や化学、どの観点から考えたとしても、そこにあらゆる物理法則は存在しないし、
凝り固まったありがちな固定概念に縛られる必要だってない。
 欲しいものとか、叶えたい夢とか……何だっていいのだ。ただ望めば、それだけでどん
な願い事だって叶えてくれる。それこそが「魔法の力」というものだ。
 長い人生、誰だって一度くらいは、そんな力を夢見た事があるのではなかろうか。
 例えば、どうあってでも叶えたい夢を持ってはいるものの、それを叶えるためにはあら
ゆる障害―「現実」という名の壁―に阻まれて、不可能だったり。
 例えば、どうしても救いたいと思える人がいたとして、しかし、金銭的な理由や、或い
は現代医学の限界といった障害に阻まれた結果、物理的にそれが不可能だったり。

 力の使い道は、自分の為でも、人の為でも、何の為にだっていい。
 魔法の力は如何なる理由の為にだって働いてくれるし、そこに叶えられない夢なんても
のも存在しない。ただ思いゆくままに、叶えたいと思う願い事の為にその力を使う事が出
来るのだから、素晴らしい。

 ただし「魔法の力」には、ちょっとしたルールがある。
 まず第一に、魔法の力を使って願いを叶える事が出来るのはたったの一度だけという事。
 そして第二に、望みを叶えた者は、その願いに相当するだけの代償として、「魔法少女」
となって、この世界の呪いや悪意―魔女―と戦わなければならない……そんな運命を架せ
られてしまうのだ。
 いかな奇跡の力などと謳った所で、結局の所、人は何かの犠牲なしに何も得る事など出
来はしない。対価のない力など存在し得る訳もなく、世界の真理とも言えるそのルールだ
けは、魔法の世界といえども揺るぎの無い法則の一つなのであった。


 最初は、代償とか対価とか、そんな事は何も考えてはいなかった。
 何もかもを失ってしまった最低最悪の現実の中では、どんな可能性であろうとも奇跡の
一手のように思えてしまうものだ。
 この狂った世界を打ち砕き、本来あるべき「明日」をこの手に掴み取る為には、唯一生
き残った自分がやるしかなかった。最早、一刻の猶予すら無かったのだ。
 そして、大きすぎる対価を払って手に入れたのは、大きすぎる力。
 ただ零れ落ちて行くしかない「時」を反転―或いは停止―させ、その流れを自らの意思
通りに操る事が出来る能力。少しばかりの条件―ルール―は存在するが、例え限定的にで
も時間の流れを操作出来るというのは、まさに世界の法則にすら干渉する、神にも等しい
力であった。
 別に「時間操作」の力を望んだ訳ではないが、それでも、その力を手に入れたのには理
由がある。ただ単に、大切な人が傷ついてゆく世界をこれ以上見ていたくなかったし、大
切な人が居ない世界を歩いて行くのも嫌だったからだ。
 これは、そんな強い想い―願い―の副産物とも言える能力だった。
 力を手に入れたからには、もうこれ以上、護られるだけの自分で居続ける必要もない。
今度は大切な人を、自分の力で護り抜けるくらい強い「私」にならなければ、こんな力を
授かったところで意味などないのだ。

 だからこそ、こんな結果を認める訳には行かない。こんな未来を認める事も出来ない。
 例え他の全てを失ったとしても、大切な人さえ居てくれるなら構わない。逆に言えば、
大切な人が居ない世界など、戦う意味も無ければ生きていく意味もない。
 この願いを無駄にしない為には、何としてでも意味のある未来へと繋げなければならな
いのだ。

 大丈夫。どんなに暗い夜だって、朝を迎えれば必ず太陽が昇るから。
 何度繰り返されたか解らない、果てしない後悔の連鎖だけど……いつか絶対に、この血
塗られた後悔の連鎖だって断ち切ってみせるから。
 これはその為に手に入れた力。それを成すまでは、何度だって。


* *



「暁美ほむらです。よろしくお願いします」

 教室のど真ん中という、この場に居る全生徒の視線が集中する場所で、腰まで伸びたス
トレートヘアの黒髪を靡かせた少女は自己紹介を終えた。
 教室中の三十余名の生徒達の視線が、一斉に暁美ほむらと名乗った少女を見詰める。
 誰も何も言わずにほむらの次の言葉を待つが、そんな事は意にも介さないとばかりに、
暁美ほむらはそれ以上の言葉を発しはしなかった。
 まるで目の前の生徒達など見えていない……というよりも、見てすらいないとでも言わ
んばかりの態度で、目の光一つ揺らさずに前方を見詰め続ける。
 良く言えばクールでかっこいい少女。悪く言えば愛想の悪い、人間不信の少女。……或
いは、転校してきたばかりで、感情を上手く表現出来ない子だと思われているのかも知れ
ないが、まあ、何だっていい。
 どんな印象を持たれようが構う事はない。思いたいように思ってくれれば、それが皆の
目に移る自分なのだろうし、別にそれを訂正する必要性も感じられなかった。

 嗚呼、これは何度目の世界だったかしら、と、不意にとりとめのない事を考える。
 暁美ほむらがこの教室の生徒達と一緒に過ごした時間を総計すると、きっと一年以上に
なると思う。が、残念な事に、この世界の―正確にはこの時間軸の―生徒達は暁美ほむら
の事など露程も知しはしない。
「この時間軸の暁美ほむら」は今し方この教室で自己紹介を終えたばかりなのだから、そ
れも当然だ。この時間軸に居る面々が、暁美ほむらなんて人間を知る筈も無いというのは、
当たり前すぎるくらいに普通の反応なのであった。
 とは言ったものの、彼らがほむらの事を覚えていないのと同様に、ほむら自身も数人を
除いては名前くらいしか覚えていない。もっと言えば顔すらもきちんと覚えているかどう
か危うい生徒だって居るくらいだ。
 ほむらにとって大切なのは、この教室に居る「たった一人の少女だけ」なのだから無理
もない。そしてその少女は今、ほむらの目の前に居る。
 とりとめのない事を考えるのは一旦止めにして、ほむらは自分自身の最終的な目的とも
言えるその少女に声をかけた。

「鹿目まどかさん。貴女がこのクラスの保健委員よね」
「えっ?」
「ごめんなさい。何だか緊張しすぎたみたいで、ちょっと、気分が。良ければ保健室に連
れて行って貰えるかしら」
「あ、あの、えっと……」

 桃色の髪の毛を二つに結った少女―鹿目まどか―が、上ずった声で答えた。
 何度時間を繰り返してでも守りたいと誓った少女は、この世界―この時間軸―でも、変
わらない様子で、暁美ほむらは心中でほっとする。
 転校生から突然話しかけられたとあっては、驚くのも無理はない。慌てた様子で右往左
往する姿も、既に何度も見慣れた光景だった。
 何故ほむらが、鹿目まどかが保健委員である事を知っているのかと問われれば、それは
ほむらが未来から来たから、と説明するしかないのだが、当然それを「今この時間を生き
る人間」に話したとことで、信じてくれはしない―或いは理解してくれない―という事は
既に何度か確認した事である。
 故に、まずは彼女を連れ出してから、最初の警告をする。まどかの人生を狂わす切欠と
なる要因――即ち、魔法少女の力を得る事の危険性と、他愛もない日常の尊さを、何とし
てでも理解して貰わなければならない。ここまでは今までに何度も繰り返した事のある行
動であった。
 されど、今までの時間では、その全てが失敗。結局まどかはどの世界でも何らかの理由
で魔法少女になってしまうし、それでなくても、まどかが魔法少女に至るまでで多くの犠
牲が出てしまう。
 そうならない為にも、毎回時間をやり直す度に、何処をどういう風に立ち回れば違う結
果になるのか、という目処も一応は立てているのだが、果たして……。

「あの、このクラスの保健委員は私だけど」
「え」

 綿密な計画の上に成り立ったほむらの行動を掣肘したのは、鹿目まどかの斜め後ろの席
に座って居た、一人の少女の声だった。
 まどかとよく似た優しい雰囲気の瞳は、翠色の虹彩で以て淡く光を反射して、その顔色
を心配の色に歪めていた。まどかと同じくらいの長さの栗色の髪は、これまたまどかと良
く似た二つ結びに結われていて、小さなツインテールは彼女の動きに合わせて僅かに揺れ
ていた。
 しかし、ここで疑問が発生する。
 今まで幾度となく繰り返した時間軸の中で、暁美ほむらはこんな少女を見た事が無かっ
た。ましてや、まどかのポジションである筈の保健委員を務めているなど、それこそ前代
未聞だ。
 思わずたじろいだ姿勢のまま、ほむらは眼前の少女を凝視する。

「そんな筈っ……どういう事!?」
「あ、あの……大丈夫? えっと、ほむらちゃん、でいいのかな?」
「え、ええ、それで構わないけど……それよりも、貴女は誰かしら?」
「私の名前は高町なのは。えっと、確かに去年まではまどかちゃんが保健委員だったけど」

 高町なのはと名乗った少女は、少なからず困惑を浮かべた表情で、苦笑いする。
 今の説明を聞く限りでは、どうやら鹿目まどかは去年まではこのクラスの保健委員であ
ったが、今年からはその地位を高町なのはに譲った、という風に取れる。
 が、しかしそれはやはり有り得ない。そんな筈はないのだ。名前を聞いて確信を持った
が、やはり高町なのはなんて人間は居なかった筈だ。少なくとも今まで幾度となく繰り返
して来た時間の中で、仮に保健委員でなかったとしても、高町なのはなんて生徒を自分の
クラスで確認した覚えはない。
 何故この世界には、最初から居ない筈の人間が平然と受け入れられているのだろう、と
瞬時に幾つかの仮説を頭の中で組み立てるが、どれも現状では考えた所で埒が明かない事
ばかりだった。

「……ごめんなさい、聞いていた話と違っていたから、少しだけ取り乱してしまったわ」
「そっか、じゃあ保健室に行こっか、ほむらちゃん。私が連れて行くよ」

 高町なのはは、真面目で優しそうな微笑みを浮かべてそう言った。
 美人の転校生(どうやら今までの時間軸ではそう言われていたらしい)だからとか、そ
ういう野次馬根性は一切感じられない。本当に優しい、慈愛すら込められた声でほむらに
手を差し伸べたなのはは、完全なる善意から保健室へ連れて行ってくれると言うのだ。
 しかしそれでは何の意味もない。戸惑いを浮かべるほむらを救ったのは、もう一人の声
だった。

「あ、あのっ!」

 声の主は、傍らで静観していたまどかだ。
 おずおずと言った様子で、ほむらとなのはの視線を一点に集めたまどかは、片手を上げ
たまま口を開いた。

「えっと、その……暁美さんは、元々私の知り合いで……だから、保健室には私が連れて
行こうと思うんだけど……」
「そうだったんだ? それならほむらちゃんも、まどかちゃんに連れて行って貰った方が
良さそうだね」

 なのははまどかの申し出を、快く了承してくれた。
 数えるのも馬鹿馬鹿しくなる程の時間をまどかと共に過ごして来たほむらには、それが
まどかにとっての精一杯のささやかな嘘で、しかし、正直者のまどかはそんな小さな嘘で
あっても、緊張に声を強張らせているのだと言う事が手に取る様に解った。
 まどかは優しいのだ。それこそ、何でなのよと言いたくなるくらいに。
 だからこそ、彼女はほむらの只ならぬ雰囲気に何かを感じて、自分が保健室に連れて行
くと申し出てくれたのだろう。
 懐かしい優しさを受けて、一瞬微笑みそうになってしまう口元をきゅっと引き締める。
表情一つ崩さずに、先程までの尊厳を守ったまま、ほむらはまどかへと片手を差し出した。

「お願いしていいかしら、鹿目まどかさん」


* *



 暁美ほむらにとって、高町なのはの存在は完全なるイレギュラーであった。
 そもそも、高町なのはなんて人間はこの時間軸には存在しなかった筈なのに、どういう
訳か、他の生徒達は当然の様に高町なのはの存在を受け入れ、当然の様に共に学校生活を
送っている。
 それはつまり、ここ最近で現れたぽっと出などではなく、その存在をきちんと世界に認
められた一人の人間という事になる。だが、だとするなら彼女は尚更イレギュラーだ。
 一体どうして今度の時間軸の世界に限って、あんなイレギュラーが居るのだろうと、幾
つもの仮説と疑問が浮かんでは消えてを繰り返し、ほむらは無意識の内に無口になってい
た。
 保健室へ向かう廊下を歩きながら、ほむらの少し後方を歩くまどかが、一生懸命何事か
を話しているのだが、今はそれもあまり頭には入って来ない。
 まどかの口から告げられるのは、差し障りのない世間話ばかりだ。それに耳を傾ける意
味もあまりないし、その中にほむらが求める情報が含まれている訳もないのだろうから。
 故にほむらも、必要以上の反応は返さなかった。ともすれば、無視を決め込んでいるの
ではなかろうかと思われてしまうかも知れないが、別にそんな事は関係ない。
 今更まどかの中での「暁美ほむら」という一人の人間の高感度を上げようなどとも思っ
ていないし、そんな事をする意味もない。思いたいように思ってくれればいいのだ。
 しかしながら、問題は別の場所にある。優しいまどかは、そういった状況でどうしても
自分に非があるのではと思い込んでしまう節があるらしく、あまり長時間無視を続ければ、
いよいよ以てまどかの面持ちもどんよりと沈んだものになって行くのだった。 

「あ、あの……暁美さん」
「ほむらでいいわ」
「あ、えっと……ほむらちゃん?」
「ええ、何かしら」
「あの……その、ごめんね」
「何故貴女が謝るの?」
「えっと……もしかして、怒ってるのかなって……なのはちゃんと一緒の方が良かったか
なって、思っちゃって……」
「いいえ、そんな事はないわ。私は貴女と一緒に保健室にいくつもりだった」
「つもりだった、って……あの、ほむらちゃんは、一年も前に私が保健委員をやってたっ
て、どうして知ってたの?」

 まどかからの問いを受けると同時に、歩を止めた靴裏はかつりと音を立てた。
 その問いには、答えようがない。時間を巻き戻して来ただなんて言うだけ無意味だし、
そもそもまどかは現在保健委員ではない。
 自分の情報が誤っていた時点で、出来る事ならばそれ以上その話を続けて居たくは無い。
これ以上下手な事を口走れば、また自分の「嘘設定」が増えて余計に面倒臭い事になるの
が目に見えているからだ。
 今はまず、情報を集めるのが先決だった。
 この世界が今までの世界とどう違うのか。他に変化はないのか。
 また、高町なのはなる人物は一体どういった役割でこの世界に存在しているのか。
 存在しない筈の生徒が突然出て来た以上、警戒は必要だ。下手をすると、彼女も「奴ら」
の手の者かもしれないのだから。

「鹿目まどか」
「えっ、な、何?」
「貴女は自分の人生が、貴いと思う? 家族や友達を、大切にしてる?」
「え、えっと……大切、だよ。家族も、友達の皆も。大好きで、とっても大事な人達だよ」
「本当に?」
「本当だよ。嘘なわけないよ」
「そう……」

 繰り返した時間の中で、ほむらは何度も見て来た。
 まどかが、他の皆が、「どんな願い事でも叶えられる」だなんて甘事に踊らされて魔法
少女になった挙句、何もかもを失って、最後には誰も居なくなるのを。
 同じ事を繰り返さない様にと自分が介入したこともあったが、結果はどれも同じだ。特
定の人物が魔法少女にならずに済んだ時間軸も有りはしたが、肝心の鹿目まどかの命が失
われてしまうのなら、その時間軸にも価値はない。
 人間、死んでしまえば全てがお終いだ。例え綺麗な生き方があったとしても、綺麗な死
に方なんてものは絶対に存在しない。そう考えれば、彼女らの死に様もある意味ではこの
世界の理に従ったもので、仕方の無い事なのかもしれない……と、そう自分に言い聞かせ
ようとした事だって何度かありはしたが、それにしたって彼女らの最期はどれも常軌を逸
していた。
 そして、誰かが常軌を逸した死に方をすれば、必然的に鹿目まどかは悲しみ、結局は彼
女も魔法少女になり、最後には散ってしまう。
 もうこれ以上、ほむらはそんな光景を見たくは無かった。
 だから。

「もしそれが本当なら、今と違う自分になろうだなんて、絶対に思わない事ね。さもなけ
れば、全てを失う事になるわ」

 冷たい印象すら与える双眸をきっ、と強めて忠告する。
 まどかの為にはこれが必要な事だとは思っていても、不安げにほむらを見詰め返すまど
かを見れば、心の中では僅かな罪悪感が芽生えるのも確かだった。
 こんな意味の解らない忠告をしたところで、彼女はどうしていいのかも解らないだろう
し、それどころか恐怖や不安すら感じていると思う。
 それ自体は申し訳ないと思うし、心の中では何度だって謝罪はする。
 だけど、こうする事で、まどかが死への階段を上って行く事を止める事が出来るのなら、
喜んで嫌われ者にもなろうと思う。
 ほむら一人が嫌われ者になる事でまどかを救う事が出来るのならば、寧ろ、それがまど
かを救う為の代償とすら思えるのだった。


* *



 高町なのはは、普通の人とは少しだけ違う。
 数年前、ひょんな事から「魔法の力」を手に入れたなのはは、こことは異なる別の次元
世界が存在している事を知った。
 次元世界は無数に存在していて、そのどれもが異なる文化を持って居る事。
 また、異なる次元世界を股にかけての警察組織が存在している事も知り、なのはの人生
は、その組織「時空管理局」に所属する事で大きく変わった。
 生まれつき魔法の力に恵まれていたなのはは、当初は時空管理局の嘱託魔道師として、
後に正式な時空管理局員として、様々な事件に関わって行くうちに、その類稀なる魔法の
才能を開花させていった。
 その魔力量、魔法を用いた戦闘技術、魔法戦に於ける状況把握能力から空間認識能力ま
で、あらゆる分野において「異能」と言わざるを得ず、いつしか空のエースなどと呼ばれ
るようになっていた。
 しかし、魔法の存在しない非管理世界のこの地球では、そんな話をしたところでおかし
な人だと思われて笑われてしまうのが関の山だ。
 それ故なのはは、信頼のおける親友や家族にだけ「魔法」の事を話し、それ以外の人間
前では極々一般的な人間でいるつもりだ。何も知らない普通な友達だって居れば、世間一
般と何ら違いの無い普通の暮らしだってあるのだから、それは仕方のない事だった。
 現在なのはが共に帰路を歩いている少女達は、全員が「普通の友達」に当たる人種であ
った。

「っていうかまどか、あの子ほんとに知り合いなの? 思いっきりガン飛ばされてたけど」

 なのはの隣で、後頭部で手を組んだ青髪の少女が、そのまた隣を歩く桃色の髪の少女へ
と若干不服そうに問うた。
 彼女の名は美木さやか。今日転校して来た少女―暁美ほむら―には色々と思う所がある
らしく、先程まではクールな美人転校生だとか電波キャラだとか散々な騒ぎ様だった癖に、
現在は少し落ち着いたのか、親友であるまどかを心配している様子だった。

「えっと……ごめんね、さやかちゃん……本当はアレ、嘘なんだ」
「なんでそんな嘘を……はっ! さては美人な転校生といち早く仲良くなり、恋愛事をよ
り有利に進めようという思惑かー!?」
「なーに言ってんの、そんな事考えるのはアンタだけよ」

 一人で盛り上がるさやかを制したのは、ブロンドの長髪を、リボンでちょこんと二つに
分けた少女。小学生時代からなのはの親友である、アリサ・バニングスであった。
 アリサやすずかとは小学生時代からの友達で、まどかやさやか達は中学に入ってからの
友達だ。当然、最初はアリサやすずかを始めとする小学生以来のグループ同士でつるんで
いたのだが、ここ一年間で鹿目まどかを中心とする中学生グループとも仲良くなり、今で
は二つのグループの混合組で仲良くしている、といった感じであった。
 後から出来た友達とはいえ、そこに旧来の親友たちとの差などは皆無だ。
 学校内では小学生の時と同じ様にアリサ達と過ごす事もあれば、まどかやさやか達とば
かり過ごす事もある。
 休みの日には年相応の少女らしく、友達同士で買い物に行ったりと、極々一般的な中学
生の時間の過ごし方を送って居るつもりであった。

「もう、まどかちゃんはそんな不純な事考えないよ」

 笑い声だったり、奇声―主にさやかが―だったりを上げながら、楽しそうに談笑する一
同を見たなのははクスリと笑って、アリサに追随するようにさやかに告げる。

「不純って言われた! 年頃の女の子ならそれくらい普通だろー!?」
「だーかーら、アンタと一緒にしないでってば」
「ちくしょー! アリサがいじめるー!」
「ふふ、お二人は本当に仲がよろしいのですね」

 ウェーブ掛かった緑色の髪の少女がくすくすと笑う。
 彼女の名前は志筑仁美。まどかやさやかと同じく、中学で友達になった少女だった。 
 一応は仁美もアリサやすずかと同じお嬢様らしいが、彼女に至っては言動までもが本物
のお嬢様。家の大きさもさることながら、彼女は品行方正を地で行き、スケジュール帳は
習い事の数々で埋まった、正真正銘、筋金入りのお嬢様、といった具合なのであった。

「それで、暁美さんはまどかさんに御用があったように見受けられましたけど」
「えっと、それなんだけど……」
「アンタ、もしかしてアイツになんか嫌な事でも言われたんじゃないでしょうね?」
「えっ!? そ、そういう訳じゃないんだよ? ただ、ちょっと……」
「ちょっと……何よ?」

 アリサの問いは、まるで尋問の様だった。
 半眼でアリサに睨まれれば、まどかも応えざるを得ず。

「えっと、よく分かんないんだけど……今と違う自分になろうだなんて思っちゃいけない、
って……さもなければ、全てを失う事になる、って……言われた、かな」
「はぁ? 何それ、意味わかんないんだけど」
「変わろうとするのが、いけない事だって?」
「うん、どうしてかまでは教えてくれなかったけど」

 なのはの問いに、苦笑い気味に返事を返すまどかを見て、なのはは何処か複雑な心境に
なった。
 そもそもの話、なのはは「変わる事」が悪い事だとは思っていない。
 人間は生きて行く以上、多かれ少なかれ、どうしても変わって行くものだ。それが良い
変化か悪い変化かは別として、変わって行くのが「人間」である証なのだと思う。
 事実として、なのはもまた、魔法の力と出会った事で大きく変わる事が出来た人間の一
人だ。
 本質の部分では何も変わって居ないのだとしても、それでも、今の生き方や在り方は、
あらゆる面で考えても魔法と出会ったお陰だからと、胸を張って言える。
 まどかまでもなのはと同じように「魔法の力」に出会う事はまず無いだろうが、それで
も人は、何らかの転機さえあれば、変わって行けるものだと思う。
 人としての、曲げられない芯さえ通って居るのなら、変わっていく事を恐れてはいけな
いし、変わらない物も大事にしたいと、そう考えるのが、高町なのはであった。

「うーん、それってどうなのかなぁ。私はね、変わる事は悪い事ばかりじゃないと思うの」
「なのはちゃん……」
「人は変わって行くものだよ。私だって皆と出会えたお陰で変わった事もあるし……だっ
て、世界はこんなに広いんだから、出会いの数だけ変われる可能性だってあると思うんだ」
「そうそう! それに、女ってのは、成長と共にモテるイイ女に変わって行くもんなんだ
から、それを恐れて動きを止めるなんつーのは、言語道断! ってもんよ!」

 なのはの言葉に、さやかが胸を張って続ける。
 確かに間違いではないと思うが……やはり少し違う気がする。
 かといって突っ込む気にもなれなかったなのはは、僅かに微笑むだけに留めた。

 やがて、彼女らにも別れの時間はやってきた。
 アリサと仁美の二人は、習い事があるらしく、そのまま学校の帰りに寄って行くとの事。
 一応は二人ともお嬢様という事で、習い事には沢山通っているらしい。アリサも仁美も
揃って親からそういう教育受けているあたり、やはりお嬢様はお嬢様なんだな、と思う。
 そんな訳で、ここから暫くは、まどかとさやかの二人と帰路を歩く事になる。
 ビルが立ち並ぶこの街並みを抜ければ、そこで三人の帰路も別れて、今日もいつも通り、
お別れの時間がやってくるのだろう。
 そうなれば、なのはは「また明日」と告げて、二人と笑顔で別れる。きっと二人は、笑
顔でなのはに手を振って……明日になれば、また学校で今日と同じ様に顔を合わせる。
 それがいつも通り、毎日続いて行く「普通の日常」だった。


 始まりはいつも突然だ。
 誰がいつ、いかなる状況で人生の転機に遭遇するかなど、誰にも解る訳がない。
 いずれはこんな日常を懐かしいと思える日がくるのだろうとは思っていたが、少なくと
も、この「普通の日常」が終わりを告げるのはまだまだずっと先だと思っていたし、出来
る事なら、まだもう暫くは平和な日常に続いていて欲しいとも思っていた。
 如何に天才的な魔道師とは言え、極々平凡な毎日を送るなのはに、その日起こる異変や
未来の出来事についてなど想像し得る筈もないのだから、今日も明日も平和な日常が続い
て行くのだろうと考えるのも、至って普通の事なのだが……そんなものは、希望的観測で
しかないのだと、なのははこの後知る事になる。

 既に彼女らが、何度目になるかも解らない絶望の輪廻の中に放り込まれている事になど、
気付ける訳も無かった。
 なのはの肌が、この空間の異質さを本能的に感じ取った時には既に、絶望へと続く物語
も加速を始めていたし、そこから抜け出す事だって、もう誰にも出来はしない。
 そう。今回の物語が、完全に終わりを告げるまで――もう、誰も抜けだせはしないのだ。



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最終更新:2011年05月12日 20:14