暁美ほむらは「魔法少女」である。
「魔法少女」という言葉にどんなイメージを持つかと問われれば、幼き頃の暁美ほむら自
身もそうだったように、きっとメルヘンチックな魔法の力でどんな夢だって叶えられる、
小さな女の子の憧れとも言える存在を思い描く人が多いのではないかと思う。
事実として、「魔法少女」になった者はどんな願いであろうと一つだけ叶える事が出来
る。例えそれが、どんな無理難題であっても、だ。
如何に物理的に不可能な事象であったとしても、魔法の力はそれらの法則を打ち破り、
どんな不可能をも可能に変えてしまう。
そして、魔法少女の力を得る際に叶えた「願いの強さ」によって、弱くも強くも成り得
るのが、ここで言う所の「魔法の力」というものだった。
当然、容易に叶うような祈りを願った者の魔力は、その願いに比例して矮小なものとな
るし、逆に、夢物語とも思える程の壮大な祈りを念じた者は、それに応じるだけの壮大な
魔力の持ち主にも成り得るのだ。
大切な友達と共に過ごせる明日が欲しい……それが、暁美ほむらの願い。
守って貰うしか出来なかった無力な自分が嫌いだった。何も出来ずに、ただ目の前で友
が死んでいくのを見るのが嫌だった。
だから今度は、自分の手で、自分の力で、大切な友達を守り抜けるくらいの「私」であ
りたいと、強く願った。
暁美ほむらが手に入れたのは、その為の力だ。
別に魔法の力を使って成し遂げたい偉業があるとか、果てしないくらいに巨大で、物理
的な欲望があるとか、そういうありがちな理由の為に戦う訳ではない。
例え何度繰り返したとしても、いつかは絶対にこの手で友を救って見せたいから。
友が他の皆で迎える明日を望むのなら、この力で友達の友達まで守ってやったっていい。
その一心で、暁美ほむらはこの世の理を捻じ曲げ、自分一人が時の流れに逆らう力を手
に入れたのだ。
それからというもの、気が遠くなる程の時間を繰り返した。
ループした全ての時間軸の記憶を覚えておこうと思えば、それこそ頭がパンクするので
はないかと思われる程の長い長い時間を、何度も何度も繰り返して来た。
当然、時間を何度も繰り返すと言うのは、それだけ人より多くの時間を生きると言う事。
ゲームで言う所の、所謂「全滅プレイ」を何度も何度も繰り返している訳で、既に暁美
ほむらという少女の性格も、初期の世界と比べれば比べ物にならないくらいに変貌してい
た。
最初の頃の暁美ほむらは、今と比べれば別人とも思える程にひ弱だった。
いつもおどおどしていて、何をやるにも自身が無くて、魔法の才能だって至って凡庸。何
時だって周囲の人間に守られるだけで、自分一人の力で成し遂げられた事なんて、何一つ
ない。どうしようもない駄目人間だと、少なくとも自分は思い込んでいた。
だから、そんな自分を変えようと、強くあろうと願う様になった。
そして何度目かのループで、ほむらは気付いた。他人に頼っていては、自分の願いを叶
える事など不可能で、他人に頼っている限り、自分は決して強くなれはしないのだと。真
の強さを引き出すものは、慣れ合いなどではなく、「孤独」なのだと。
そもそも、願いとはそういうものだ。他人任せで叶えられるものでもなければ、他人に
頼って楽をして叶えられるものでもない。
叶えたい夢があるのならば、何としてでも自分の手でそれを掴み取らねばならないのだ。
その為ならば、足手まといは不要だ。誰かに事実を話した所で、信じてくれないだけな
らばまだしも、それによって要らぬ不和が生じ、余計な血と涙が流れるのならば、尚更。
例え運命―時の流れ―に逆らってでも守り通すと誓ったこの想いは、結局の所、自分一
人の手で貫き通すしかないのだと、そう気付いたのだった。
それきり、暁美ほむらは孤独になった。
新しい時間を繰り返しても、他の魔法少女達には常に毅然とした態度で接し、自分の弱
みと、手の内を一切明かさない様にした。
必要以上に人とも慣れ合わなくなったし、例え優しさを向けられても―言う程向けられ
る事も無かったが―、冷たくそれを振り払うようになった。
それが人として望ましい変化なのかどうかはほむら自身にもわからないが、それでも繰
り返す度、この輪廻を打ち破るに足る情報を着実に手に入れて行ったのは確実だ。
ほむら自身の力だって、何度も何度も練磨を重ねた事で、既にその技量は他の追随を許
さぬ程まで跳ね上がっていた。
「あの時ああしてなければ……アレをやれてたら……」そんな風に思う時間軸は今まで何
度もあったし、その度に多くの情報と力を蓄積する事で、着実にこの呪われた輪廻はゴー
ルへと近付いている、と。ほむらは確かに、そう思っていたのだ。
それなのに、予想外の出来事は何の前触れもなく起こった。
何度繰り返したかも数え切れぬ程にループし、再び戻って来たこの世界は、今までの世
界と比べれば、少しだけ「ズレていた」。今までの時間軸で共通していた認識は通用せず、
今までの世界にはあり得なかった筈の人物が当然の様に生活しているのだ。
* *
この街の中でも一際高い鉄塔の、そのまた頂点。足場としては非常に心許ない鉄骨の上
に二本の足を綺麗に揃えて、暁美ほむらは風に靡く黒の長髪を悠々と撫でる。
流石に地表から数十メートルの高さともなれば、吹き付ける風は凶悪な程にほむらを嬲
り、その身体を遥か真下のアスファルトへと叩き落そうと荒ぶってみせるが、それでもほ
むらは意に介す様子もなく、地上に立って居るのと何ら変わりなく振舞っていた。
「で、私は完全なイレギュラーを突き付けられてしまった訳だけど」
「僕にとっては君の方がよっぽどイレギュラーだよ、暁美ほむら」
ほむらの瞳は、揺らぐ事なく目の前の生物を捉えていた。
外見的な特徴を述べるなら、白く長い耳と尻尾を持った、赤い瞳の可愛らしい小動物、
と言ったところか。
既存の生物に例えるならば、うさぎが最も近いのではなかろうかと思う。
この世のうさぎを、もっとメルヘンチックに可愛くしたような、そんな印象だった。
この地球上に存在し得る筈もないその生物は、可愛げなその表情を微かにも動かす事無
く、鉄骨の上に直立するほむらに問うた。
「単刀直入に訊くよ、暁美ほむら。君は一体何処で魔法の力を手に入れたんだい?」
「何処でしょうね。世の中には貴方でも知らない事があるという良い証明じゃないかしら」
「そりゃあ、僕らだって悠久無辺という訳じゃないさ。例えば、人間は死ぬけど、死んだ
人間の魂がどうなるのかだって、僕らは知らない。僕らが何でも知ってる神様だとでも思
っているのだとすれば、それは大きな間違いだよ」
「そんな事は言われるまでもないわ。私達人類にとって、孵卵器―あなた達―は害悪でし
かない。それを言うに事欠いて神様気取りだなんて……おこがましいにも程があるわね」
「別に神を気取ったつもりはないけどね。でもまあ、そこまで知ってるのなら話は早いよ。
否定するつもりも言い訳をするつもりもないし、寧ろ逐一説明をする手間が省けるっても
んさ」
心なしか嬉しそうな声色でそう告げると、白い生物はぴょこんと跳び上がって、ほむら
の肩に飛び乗った。
ある程度の大きさと質量を持っている筈なのに、体重をまるで感じないそいつの感触を
肩で感じるや否や、ほむらの眉根が不快感にぴくりと動いた。
純粋にこいつの存在自体が気に入らない、という不快感だ。
「なら、その前提で話を進めるよ? そもそも、孵卵器―僕ら―の力無しじゃ魔法少女は
誕生し得ないって事は、君なら既に知ってると思う。けど、僕らは、少なくとも僕は、暁
美ほむらという個体と契約をした覚えは無い。なら、君は一体何処でその力を手に入れた
のかという話になる」
「隠す必要もないけれど、言うつもりもないわ」
ほむらの肩に乗ったそいつが、ちょこんと小首を傾げた。
何を思っているのかは知らないが、この意図的に可愛くしています、とでも言わんばか
りのこいつの仕種は、ほむらにとってはストレスの源の一つにしかなり得ない。
今すぐこいつをブチ殺したいという衝動が、奔流となってほむらの胸中で渦を巻くが、
それを理性で以て押し殺し、肩に乗っかったままのそいつに視線だけを向ける。
「でも、貴方が私の質問に答えるのなら、話は別よ」
「何だい? 僕に答えられる範囲なら、答えるよ」
「あの高町なのはという女は何者なのかしら」
「ああ、どうやら彼女も魔法少女としての素質は十分にあるようだね」
その言葉に、ほむらはぴくりと反応した。
ほむらにとって高町なのははとんだイレギュラーだが、彼女はそれだけではなく、魔法
少女となり得る資格まで持ち合わせているというのだ。
となれば、今度の時間軸では高町なのはの存在が新たに関わって来るのはほぼ確定事項な
のだろう。肩の荷が重くなった気がして心中で頭を抱えるが、同時に浮上した一つの事実
にほむらは着眼した。
「……その口ぶりだと、どうやら貴方もそれ以上の情報は知らないようね」
「君にとっては高町なのはの情報を知っているという事が、そんなに特異な事なのかい?」
「そうね。私にとって彼女―高町なのは―は紛れも無いイレギュラーだから」
「訳がわからないよ。君にイレギュラーとまで言わしめる何かが、彼女にはあるのかい?」
「さあ、どうでしょうね。貴方に話しても意味の無い事よ」
そもそも、ほむらとて何も知らないのだから話せないのは当然なのだが、仮に何かを知
って居たとして、こいつらなんかに情報を与えてやる訳がない。少なくとも、今回の会話
で高町なのはが孵卵器―インキュベーター―の手の者ではないという事実は確定したのだ
から、これ以上不愉快な思いをしてまでこんな遠回しな腹の探り合いをする必要もない。
今回はこの収穫だけでも上出来なくらいだ。
突然現れたイレギュラーの少女は、こいつら曰く魔法少女になる為の素質まで持ってい
るとの事。これが偶然なのかどうかは今のほむらには知る由も無いのだが、それならそれ
で早急に高町なのはについて調べる必要があるし、その上で彼女が魔法少女になる事も阻
止しなければならない。
こうしてはいられないとばかりにほむらが踵を返そうとすれば、それよりも早く、肩に
乗った白い生物が目の前の鉄骨へと跳び下りた。
尻尾を僅かに振りながら、小首を傾げてほむらを見上げるその姿に、やはりほむらは不
快感を覚えてしまい、無意識の内に眼光を鋭く尖らせていた。
「もう話す事もないわ。私の目の前から消えなさい……目障りよ」
「やれやれ、どうやら僕は相当嫌われているようだね。でもまあ、今回は良しとするよ。
今の君との会話で、新しい興味も持てたしね」
「……新しい興味、ですって?」
「僕にもやるべき事があるって事さ。今日の所はこの辺で退散させて貰うよ」
しまった……! と、心中で思った時には、時既に遅し。
何の情報も与えてやらない気持ちで居たのに、気付いた時には絶対的な情報を与えてし
まっていたのだ。
インキュベーターにとって最大のイレギュラーたる暁美ほむらは、「高町なのはという
存在を同じくイレギュラーとして捉え、警戒している」という手の内を、無意識の内に晒
してしまっていたのだ。
そして、その上で高町なのはが魔法少女になる素質を持って居るのだとすれば、こいつ
のやるべき事は一つだ。
どんな奇跡だって起こしてみせる。そんな甘い言葉で何も知らない人間を誘惑して、自
分達の目的の為、また別の少女の命を弄ぶつもりなのだろう。
高過ぎる対価を払わされ、過酷過ぎる運命を背負わされ、最後には人ですら無くなって
……しかしインキュベーターは、何食わぬ顔でそんな少女達の「死」を利用する。
「やっぱり、気に入らないわ」
暁美ほむらの胸中で渦を巻いていた激情の奔流は、ついには抑えがたい程にまで膨れ上
がり、しかしその激情は理性で以て紡がれる言葉と共に、鉛の弾丸となって放たれた。
立ち去ろうとしていたそいつが不意に振り返ったと思えば、その瞬間、白く可愛らしい
小動物を模した頭部は甲高い銃撃音に伴って炸裂する。
ほむらの瞳は、構えた拳銃から立ち上る白い煙と、ただの白と赤の肉塊となって弾けた
それを、ただ無感動に見詰めていた。
* *
高町なのはの周囲を包む空間は、見事なまでに歪んで居た。それはありがちな比喩表現
などではない。本当の意味で、周囲の全てがぐにゃりと歪んでいるのだ。
ビルディングは気味悪く歪曲し、縦横無尽に聳え立って居るし、つい先程まで通路だと
思って歩いて来た道のりは、既に通路とは言い難い変化を遂げている。この世の理を無視
して、真横だの真上だのに向かって伸びて居たり、通路だった筈の道が宙で螺旋の階段を
描いていたりと、一般常識では到底計り知れぬ超常的な力がこの場には働いているようだ
った。
この光景をなのはの知り得る常識の枠に当て嵌めて語るとするならば、「オブジェ」と
いう言葉を用いるのが最も適しているだろう。
何処かの国の芸術家が、なのは達凡人では到底理解の及ばぬ才能で以て生み出した芸術
作品―アート―。といっても、無理に常識に当て嵌めてみた所で、本来常識では有り得な
い光景なのだから、結局のところ当て嵌め用などないのだが。
何処まで続くかも解らない螺旋の階段を歩きながら、この空間のあちこちに咲いた薔薇
の花を視界に捉えて、なのはは余計にこの空間の異質さを実感する。
何処まで歩いても続いてゆくこの光景には、いかな天才魔道師と言えど、少なからず恐
怖心を煽られずにはいられなかった。
「ねえ、やっぱりここおかしいって。あたしら絶対変なとこに迷い込んでるよ」
「確かにこの辺りから歩いて来た筈なんだけど……おかしいなあ」
なのはの後方を歩く美樹さやかと鹿目まどかが、不安げに呟いた。
無意識の内になのはが二人を守る様に先陣を切って歩いているのは、やはり魔道師とし
ての経験と実力があるからこそか。何にせよ、さやかとまどかの二人は魔道師であるなの
はとは違い、完全なる一般人なのだから、何かあった時は、闘う力を持った自分がやらね
ばならないのだ。
しかしながら、既に十分に異質な空間に放り込まれているとはいえ、まだ明確な敵意を
持った「何者か」は現れてはいない。となれば、魔法について何の知識も持たない二人を
驚かせない為にも、不用意に魔法の力を使う訳にも行かないでいた。
もしも本当の危機が訪れたならば力を発揮することも辞さないが、今はまだその時では
ないとなのはは考える。
胸元から提げた赤の宝石へ、ちらと視線を向け、心中で問い掛けた。
(レイジングハート、この空間は一体どうなってるか、解る?)
『不明です。が、少なくとも、この空間に魔力干渉が行われた形跡はありません』
(だろうね。ミッド式でもベルカ式でも、こんな魔法は見た事無いよ)
というよりも、これが魔法なのかどうかも怪しいレベルだ。
胸元に提げた赤の宝石―愛機レイジングハート―も、現状知り得るどの形式の魔法でも
ないと言っている以上、事実として、そうなのだろう。
なのはですらもある種ホラーとも言えるこの光景には当たりの付けようもないのだから、
いかな優秀なデバイスとは言え、何の情報も持って居ないのも仕方の無い事だと思えた。
(でも、拙いよ。多分、このまま歩いてもここからは抜け出せない)
『魔力ダメージで空間ごと破壊するのはどうでしょう。不可能な方法では無いと思います』
(うーん、それは最後の手段だね。本当にどうにも出来なくなった時はそうするかも)
『状況は四面楚歌と言っても過言ではありません。遅きに失する前に行動に移した方が良
いかと思いますが』
こんな状況でも、レイジングハートはなのはの愛機らしく至って冷静であった。
なのはとしても、愛機の言う事は良く解る。少なくとも、敵は何の気配も悟られる事無
く、歴戦の魔道師たる高町なのはを含んだ三人をこの空間に閉じ込める事が出来るのだ。
当然、閉じ込める事が出来るのならば、それ以上の攻撃行動に出て来る可能性だって十
分にある。
いつ何時敵が次の一手を打つかは解らないのだから、そうなる前にこの空間を魔力ダメ
ージで破壊という強硬手段に出る事も、作戦としては理解出来ないでもない事だった。
しかし、敵が何時でも次の行動に出る事が出来ると仮定するなら、折角閉じ込めた獲物
が強硬手段で空間ごと破壊しようとすれば、当然それを阻害しようとするだろう。そうな
れば、敵の手札も見えぬ内に、思いもよらぬ攻撃を受ける可能性だってあるのだ。
出来る限り平和的な方法で解決したい、と考えるのは当然の事だった。
『平和的な解決を望む相手が、このような手段を講じるとは思えませんが』
愛機の言葉に返す言葉を失ったなのはは、小さく唸ってみせる。
どうあれ、現状ではあまりにも情報が少なすぎるのだから、手の打ちようも無い。
かといって、一般人の二人はなのはよりも消耗が早いだろうし、いつまでもこんな所に
閉じ込められて居る訳にもいかない。二人が恐慌状態に陥って居ないのは幸いだが、それ
でも一般人がいつまでこの状況に耐えられるかは解らない。
出来る事なら、迅速に解決したいと思うのだが……。
「ねえなのは、アンタさっきから何で黙りこくってんの? 不安になるからやめてよ」
「えっ、あっ……ご、ごめんさやかちゃん。どうすれば抜けられるのか、ちょっと考えて
たんだ」
「おお、さっすがなのは! やっぱ成績優秀の美少女は既にあたしらとは違う何かに目を
付けていたか!」
瞳を輝かせてなのはの腕を取るのは美樹さやかだった。
ごめんさやかちゃん、まだ何も対抗策は思い付いてないんだ……だなんて本音を言うの
も何処か気まずく、にゃはは、と苦笑いで返すしか無かった。
力の無い人間を保護する立場にある人間として、不用意に保護対象を不安に陥れるよう
な言動を取る訳にも行かないという建前もある。
一方で、さやかの態度はいつも通りの楽観さに見えはするが、実際の所はそうではない
のだろうという事も、なのはには解っていた。こうして元気ぶっていないと、自分を保て
なくなるから、無理矢理でも空元気で前向きに生きようとする。さやかがそういう人間だ
と言う事は、一応友達をやっているなのはにだって解っているつもりだった。
と、そんな折だった。
「助けてっ!!」
なのは達三人の耳朶に響き渡って来たのは、力一杯に叫ばれた何者かの声。
助けを求めるその声は、この異質な空間に反響して木霊し、幾重にも折り重なった様に
すら錯覚してしまう。
今にも掻き消えてしまいそうな儚さで、それで居て力強く叫ばれたその声に、なのはの
心の奥底で「命を救いたい」と願う感情が強く脈を打つ。
そう思った次の瞬間には、なのは達三人の目の前に、一匹の小動物が飛び出していた。
うさぎにも似た白い小動物だ。長い耳に、長い尻尾を持った、ぬいぐるみの様な外見を
したそれは、全身に負った擦り傷に悶え苦しむ様に、つぶらな赤い瞳でなのはを見上げる。
考えるよりも先に駆け出し、傷だらけの小動物を抱き抱えれば、まだまだ成長途中の柔
らかな胸の中で、白いうさぎにも似たその子は苦しそうに息を吐いた。
出来るだけ力を加えない様に優しく抱き締めながら、なのはは誰何する。
「あなたは誰? 一体、誰にこんな目に合わされたの?」
「僕はキュゥべえ。追われてるんだ……お願い、助けてなのは!」
「どうして私の名前をっ……、ううん。今はそれよりも」
キュゥべえと名乗った小動物は、今にも泣き出しそうな声色だった。
涙を堪えているのではないかと思う程に美しく煌めく赤の瞳は、不安げに覗き込むなの
はの顔をじっと見上げる。
胸元で小さく震えるキュゥべえを見たなのはの胸に芽生えたのはやはり、「守りたい」
という強い想いだった。
かつて、なのはが始めて魔法と出会ったあの日……傷ついたフェレットを「守りたい」
と思ったのと同様に、その想いはなのはを突き動かす原動力となる。
こんな小さな動物を追い立て、ここまで傷つける敵が居るのなら、それを放っておく事
もなのはには出来やしない。
今はともかく、キュゥべえを救いたいと、そう心に強く念じた所で、後方からさやかと
まどかの二人も顔を出した。
「なのはちゃん、その子は何!?」
「っていうか喋ってるぞ、その生き物!?」
そう言いながらも、二人の声には、人としての優しさが含まれていた。
「こんなに傷ついて、可哀相に……一体、誰がこんな酷い事を」とか、そういう事を考え
ているのだろうという事は、考えるまでもなく解る。
二人だって心から優しい人間だという事は既に理解しているし、そうでなくとも、ここ
まで痛めつけられた小動物を見て、可哀相だと思うのは人間として当然の感情だと思う。
子供の夢と笑われるかも知れないが、なのはは、目の前で誰にも傷ついていて欲しくは
ないと真剣に思っているのだ。
誰にも悲しい涙を流していて欲しくないから、なのはは「魔法の力」を手に入れたとい
っても過言ではない。
この手の魔法は、悲しみや憎しみを撃ち抜く為の力。せめてこの手の届く範囲だけでも、
皆に笑顔で居て欲しいからこそ、なのはは魔道師として、人の命を救える存在になろうと
誓ったのだ。だからこそ、こんな小さな命を弄んで、一方的に嬲ろうとする奴が居るとす
るのなら、なのははそれを許すつもりはない。
なのはの中で燻っていた正義感が、力を持たぬ者を理不尽に傷つけようとする暴力への
怒りが、守りたいと願う強い感情に火を点け、それは熱い炎となって燃え上がる。
「まさかこんな所で会う事になるとはね、高町なのは」
そんななのはの眼前に現れたのは、黒髪の少女だ。
艶やかに光を反射する美しい黒の長髪に、それを纏める為のシンプルな黒のカチューシ
ャ。感情の起伏に乏しい―少なくともなのはにはそう見える―紫色の双眸は、無感動にな
のはとキュゥべえを見詰めていた。
「ほむらちゃん……? まさか、ほむらちゃんがこんな酷い事をしたの……?」
それはなのはも知る転校生、暁美ほむらだった。
しかし、この空間に暁美ほむらが居るという事実は、翌々考えれば不可解な事だ。
そもそもこの異質過ぎる空間の中で顔色一つ変えず、見たこともない生物を目の前にし
ても、何の感動も表には出さない事を考えれば、キュゥべえを傷つけた張本人は彼女なの
だろうという事はすぐに想像がついた。
どうしてこんな酷い事、と思うと同時、なのはが着眼したのは、暁美ほむらが身に纏っ
ている衣装だ。
学校の制服とは明らかに違う、しかもこの国の一般的な衣服とも明らかに雰囲気を違え
た、黒と白の衣装。
まるで何処か他校のセーラー服を少し弄って、可愛らしく改造したようなイメージすら
抱くその衣装は、見る人が見れば只のコスプレと一笑するだろうが、なのはにとっては違
う。
それはなのはも良く知っている防護服のシステム、バリアジャケット。
イメージの中にある衣服を具現化させ、あらゆる衝撃に耐えられる様に魔力で強化して、
その身に装着して戦う者を、人は魔道師と呼ぶのだ。
なのは自身もまた、それを装着し、魔法を以て戦う魔道師であるが故に、ほむらの存在
が自分と同じであるのだという事にも、すぐに想像が付いていた。
この状況から判断するに、暁美ほむらもまた、魔道師なのだろう……と。
最終更新:2011年06月08日 11:53