「……来ないね、ヴァッシュ」
「バイトが長引いてるのかなぁ。それにしても遅い気けど」
高町なのはとフェイト・テスタロッサの二人は、夕刻の登山道広場にて並んでベンチに腰掛けていた。
冬場という事もあり日が落ちる時刻も早い。
時間が経過するにつれ陽が落ち、周囲の気温も低くなっていく。
ホウと、吐いた息は純白に染め上がっていた。
寒気に包まれながら二人は待ち人の到来を待つ。
「なのは、ヴァッシュの話って何だと思う?」
「うーん、何なんだろ。大事な話だとは言ってたけど」
ヴァッシュから告げられた待ち合わせ。
彼の言う大事な話と一体何なのだろうか。フェイトにもなのはにも予想がつかない。
ただヴァッシュがあれだけ言うという事は、本当に大事な話なんだろう。
あれこれ思考してみながら、なのはは空を見上げる。
静かな赤焼けの空には、まだ夕刻だというのに真ん丸な満月が光っていた。
「でも、ヴァッシュがこういう事を言い出すのって珍しいね」
なのはに釣られて空へと視線を移しながら、フェイトがポツリと呟いた。
夕焼けの中、満月を見上げる二人の少女。
何処か幻想的で、とても平穏な光景がそこにはあった。
「フェイトちゃんもそう思う?」
にゃははと苦笑を浮かべながら、なのはもフェイトの言葉に同調する。
寧ろ普段は苦笑を浮かべられる側のなのはである。
僅かな呆れを含んだその苦笑は、なのはにすれば珍しい部類の表情であった。
「ああ見えて、ヴァッシュって余り人に悩みを打ち明けるタイプじゃないから。一人で抱え込んじゃう質だ」
フェイトもまた苦笑する。
悩み事を一人で抱え込み、誰も巻き込む事のないよう、誰にも心配を掛ける事のないよう、一人で解決しようとする。
まるで何処かの誰かを見ているようであった。
「ふふっ、フェイトちゃんと似てるかもね」
「それを言うなら、なのはにだって似てるよ。そっくりだ」
なまじ常人より力を持つばかりに、余り人を頼ろうとしない。
信頼してない訳ではなく、ただ巻き込みたくないから、そうする。
それは、二人の魔法少女とも何処か通じているようにも思えた。
言葉を交わして、肩を寄せ合って、似たもの通しの二人が笑顔を浮かべる。
「遅いね、ヴァッシュ」
「ねえ」
二人は顔を見合わせて笑い合いながら、ヴァッシュを待つ。
寒空の下を長時間待たされ、だがしかし、その言葉に辛辣な色はない。
時間がとても穏やかに過ぎていく。
寒空の彼方では、世界を照らす恒星が一日の役目を終えて地平へと沈んでいく。
一日がまた終わろうとしていた。
暖かく平穏な一日が、また終わる。
そして太陽が沈み、広場の街頭が音をたてて点灯したその時―――遠くから足音が聞こえてきた。
「ヴァッシュさん、遅いですよ」
と、なのはは頬を膨らませて、フェイトはそんななのはに苦笑しながら、足音のした方へと振り向く。
待ち人のようやくの到来かと思われた瞬間。
だがしかし、其処にいたのは二人にとって思いも寄らぬ人物達であった。
「シグ……ナム……」
「……ヴィータ、ちゃん……」
闇の書の守護騎士。
鉄槌の騎士と烈火の騎士が、其処にいた。
呆然とした表情で守護騎士達を見るなのは達に、守護騎士達もまた虚をつかれたように動きを止める。
この遭遇は守護騎士達にとっても予想の範囲外の事。
街灯に照らされる広場を、重い重い静寂が支配する。
予想外の出会いは両者から言葉を奪い去っていた。
沈黙の中、ギリという鈍い音が聞こえる。
歯を噛み締めた音。その音は烈火の騎士から届いたものであった。
直後、事態が急変する。
「はあああああああああああああ!!!」
咆哮と共に烈火の騎士が斬り掛かってきた。
◇
寒空の下ベンチに腰掛ける二人の魔法少女を見て、シグナムは思った。
ただ一言、裏切られた、と。
その結論は、ヴァッシュへの不信が積み重なって導き出されたものであった。
待ち合わせの場所にいた管理局の魔導師。
肝心の男の姿は何処にもなく、いるのは管理局の魔導師だけ。
あの男は自分達の事を管理局には伝えないと言っていた。
なのに何故、管理局の人間がこの場にいる?
何故、管理局の魔導師が待ち構えている?
まるで、誘き出されたかのようだ。
大事な話があると嘘ぶき、待ち合わせの場所へと管理局の魔導師を待機させ、一網打尽とする。
そんな意図が、見え隠れする。
「はあああああああああああああ!!!」
だから、シグナムは激昂した。
はやてを救いたいとのたまいながら、結局は管理局に情報を流した男に対して。
あれだけの事をのたまいながら、結局ははやてを見捨てた男に対して。
世界の滅亡と主の救済、その選択を持ち掛けておいて、結局は自分達を裏切った男に対して。
シグナムの感情が、爆発する。
積もり積もった鬱憤をも巻き込んで爆発した感情は、既に理性で引き止めるものではなかった。
男に対する憤怒の感情は眼前の魔法少女達へとすり替わり、シグナムは行動を開始した。
レヴァンティンを起動させ、騎士甲冑を纏うシグナム。
一瞬の躊躇いもなく、対話の暇すら与えようとせず、シグナムは剣を振るった。
全力で地面を蹴り抜き、宿敵の魔導師との距離を詰め、レヴァンティンを横一閃に振り抜く。
「くうッ!」
唐突の襲撃に、だがしかしフェイトの防御はギリギリのところで間に合った。
右手を掲げて殆ど反射的に防御魔法を形成し、シグナムの刃を阻止する。
とはいえ、急場の防御魔法でシグナムの渾身の一撃は止められない。
シールド魔法を挟んで伝わる強大な剣圧に、フェイトの細躯が後方へと大きく弾かれた。
その身体が後方の森林へと激突する寸前、フェイトを抱きかかえたのはなのはであった。
バリアジャケットに身を包み、レイジングハートをアクセルモードで装備する。
「待って、話を聞いて下さい! 私達は……!」
「あの男に言われて来たのだろう! なら、交わす言葉などない! お前等は我らの敵だ!」
取りつく島もなく、シグナムは烈風の如く攻撃を仕掛けてくる。
その熾烈な攻撃は前回の戦闘時とはまるで別人のようなもの。
がむしゃらと言えば聞こえは悪いが、シグナムの剣術から繰り出される攻撃は疾風怒涛の勢いであった。
その攻撃は、ただ疾く、重い。
剣の矛先は、フェイトを庇うように立ったなのはへと向けられている。
「盾!」
掲げた桜色の防御魔法に、重い重い剣戟が突き刺さる。
充分な魔力を込めた盾だというのに、僅かに軋む様子が窺えた。
重い一撃であった。
シグナムを突き動かす感情が、なのはにも伝わる。
だが、なのはには理解しきれない。
何故、シグナムが此処までの感情を持って敵対するのか。
前回の戦闘から今回の間に、何があったのか。
疑問に覚えど、答えを見出すには判断材料が少な過ぎる。
「だりゃああああああああ!!」
「なのは!」
シグナムの猛攻に耐えるなのはに二つの声が掛かる。
絶叫と共に突撃してくる鉄槌の騎士に、臨戦態勢を整え戦線に介入する雷光の魔導師だ。
横合いからなのはに襲い掛かるヴィータを、フェイトの戦斧が食い止めていた。
なのはとフェイトが目を合わせて、一度頷き合う。
直後、なのはを守護していた防御壁が爆音と共に弾け飛んだ。
クロスレンジで戦闘していた四人を巻き上がった爆煙が包み込む。
「ヴィータちゃん、シグナムさん、話を聞いて。私はあなたとお話がしたいの!」
煙を切り裂いて宙に舞い、魔法少女達は守護騎士から距離を取る。
離した間合いを挟んで、なのはが言葉を飛ばした。
「うるせー! お前らに話す事は何もねえって、言ってんだろうが!」
だが、言葉は届かない。
願いの言葉はそれ以上の憤りを持って弾かれる。
何故ヴィータがそれだけの憤りを覚えているのか、なのはには分からない。
敵意が桁違いに高まっている。
その敵意の太源が、ヴァッシュ・ザ・スタンピードとの邂逅だという事をなのは達は知り得ない。
知り得ないからこそ、困惑する。
そして、なのは以上の困惑を覚えていたのはフェイトであった。
フェイトと相対しているシグナムは、ヴィータと比較しても段違いな程の激情を表出している。
前回までの冷徹な面持ちなど何処かに消え去っていた。
憤怒を顔に張り付かせ、怒りに肩を震わせている。
まるで別人の如く形相であった。
「シグナム、一体……」
「預けた決着は今しばらく後にしたかったが……すまんな、自分を抑えられそうにない!」
フェイトの問い掛けを遮るように、シグナムは動く。
次いでヴィータも、なのはへと急迫する。
ヴァッシュへの不信感が疑念を育て、謀られたとの想いを産む。
もしヴァッシュがこの場にいたのなら、幾らか話は違って来たのだろう。
同様にシグナム達の激怒から襲撃をされたとしても、ヴァッシュは必死に語る。
話し合おう、と。
話し合い、誰もが助かる道を探そう、と。
だが、もう遅い。
守護騎士達の不信は限界を越え、戦闘へと身体を突き動かす。
魔法少女と守護騎士が再び交差する。
本来ならば対話の道を歩む筈だった邂逅は、架け橋たるガンマンの不在により、激闘の舞台へと姿を変えた。
魔法少女は守護騎士達を止める為に武器を掲げ、守護騎士達は感情に身を任せて、そして己の使命の為に武器を振るう。
流転する場を止められる者など、もう居なかった。
◇
「始まったようだな」
薄暗の空を走る光線を眺めながら言葉を零す者がいた。
仮面の男。その片割れが空を見上げてポツリと呟く。
仮面の男の足元には、幾重ものバインドでがんじがらめにされたヴァッシュが転がっていた。
「良いのか? 管理局のデータにクラッキングを掛ければ発見を遅らせられるが」
もう一人の仮面の男が、言葉を紡ぐ。
その視線の先にはボンヤリと空を見上げるもう一人の男・ナイブズがいた。
ナイブズは仮面の男の言葉に顔を向けずに答える。
「必要ない。むしろ奴等に見ていて貰わねば困る」
視線すら合わせず、何の気なしに発せられた言葉だというのに、仮面の男達は思わず息を呑む。
百戦錬磨の経験によるものか、それとも獣特有の本能的なものなのか。
ともかく、仮面の男達はナイブズの脅威をひしひしと察知していた。
邂逅の時に見せ付けられた『力』。
そして、人類に対する異様なまでの憎悪。
仮面の男達もナイブズの危険性は理解している。
だが、その活動を止める事もできない。
敵対すれば、瞬きの間もなく殺害されると分かっているからだ。
自分達では敵わない。
いや、おそらく管理局の魔導師でも、ナイブズを打倒する事は不可能だろう。
現状が奇跡といっても良い程だ。
死者が一人も出ていない現状が。
「……そうか。なら、良いが」
現在は利害が一致から協力体制を取ってはいる。
だがしかし、ナイブズが人類を滅亡させる活動を始めた時、自分達は本当にナイブズと敵対できるのか。
自問するも答えは出ない。
眼前の男との敵対を、心の根っこの部分が拒絶する。
胸に巣くう感情の正体を、仮面の男達も理解できていた。
恐怖だ。
情けないとは、彼等自身も思う。
しかし、そんな上っ面の感情では抑えが効かない程に、恐怖は大きいものだった。
「お前達は手筈通りに行動しろ。それで、おそらく完成だ」
仮面の男達はナイブズの言葉にただ頷くだけであった。
利害は一致すると頭の片隅で言い訳をしながら、行動する。
心中の恐怖から逃げるかのように、仮面の男達は夜天の空に飛び出した。
◇
「うおおおおおおお!」
高町なのはとヴィータとの戦闘は膠着状態にあった。
果敢に突撃してくるヴィータに、なのはも得意な中・遠距離戦を展開する事ができない。
振るわれる鉄槌をレイジングハートで防ぐ。
レイジングハートの柄が火花と共に悲鳴を上げた。
「どうしても……話を聞かせては貰えないの?」
「うるせえ! 何も知らないお前が首を突っ込むんじゃねえ!」
交差するデバイスを挟んで、なのははヴィータへと語り掛ける。
返答は怒号で、ヴィータは渾身をもってグラーフアイゼンを振り抜いた。
なのはの身体が錐揉みを描いて、宙を舞う。
体制を崩したなのはに好機を見たヴィータは、更に攻め込もうと空を駆ける。
「レイジングハート!」
「なッ!?」
錐揉み状態にありながら、なのははヴィータを見失ってはいなかった。
螺旋を描く身体をコントロールし、無理矢理に砲撃の体制を取る。
大袈裟に吹き飛ばされわざと隙を見せ、そこに付け込んできたヴィータへと砲撃をぶちかます。
一連の動作は殆どフェイク。確実にヴィータへ砲撃を当てる為の布石であった。
『Divine Buster』
「シュート!」
相棒の言葉に、なのはが合わせて吼える。
同時に撃ち出されるのは桜色の奔流。
空気を呑み込む轟音と共に鮮やかな砲撃が、鉄槌の騎士へと迫っていく。
「なめんじゃッ……ねええええええ!」
視界を埋め尽くす桜色にも、対する鉄槌の騎士は怯まない。
迫る砲撃に対してシールド魔法を形成し、斜めに傾ける。
砲撃の奔流をいなす。
砲撃を正面から受け止めるのではなく斜めに受ける事で、流れのベクトルを変更。
桜色の奔流はヴィータから反れ、その後方の空間へと流れていった。
無茶とも取れる攻防の末に、ヴィータはなのはへの接近に成功する。
手中の鉄槌から空薬莢が二発飛び出す。
鉄槌が、形状を変えた。
「ラケーテン……ハンマーアアアアアアア!」
「レイジングハート!」
カートリッジを使用しての一撃に、レイジングハートもまたカートリッジの使用で応える。
魔法楯が掲げる右手から発生し、加速の付いた一撃を食い止めた。
鉄槌に備わるスパイクと、プロテクションとが火花を散らす。
「何も知らない……そう、私は何も知らないよ。ヴィータちゃんが何でそんなに怒っているかも、何でそんな辛そうな目をしてるのかも、私は知らない」
均衡の最中、なのはは口を動かす。
楯を掲げる右手に渾身の力を込めて、それでもヴィータに向けて言葉を投げる。
「伝えてくれなくちゃ、言葉にしてくれなくちゃ、分からない。何も言ってくれないんじゃ、伝わらないよ」
激烈な攻防とは反対に、なのはの声は静かで落ち着いたもの。
だが聞く者が聞けば、分かる。その言葉の奥底にて燃えたぎる感情を。
「私は知りたい。ヴィータちゃんが何でそんなに怒っているのか、辛そうな目をしているのか、私は知りたい」
なのはの瞳に光が灯る。
力強い輝きを放つ瞳に、歴戦の騎士が僅かに気圧される。
「だからお話を聞かせて貰うよ―――全力で!」
言葉を切ると同時に、なのはは右手を少しだけ傾けた。
右手の動きに同調して、なのはを守っていたプロテクションが斜めに傾げる。
グラーフアイゼンが、火花を散らしてプロテクションの表面を滑る。
何の事はない。ヴィータが先程なのはに行った事を、同様に行っただけだ。
鉄槌をいなし、その突き進むベクトルを変更させた。
激情に支配され判断力が低下したヴィータの、その裏をかいた一手。
ヴィータの体勢が、鉄槌に引っ張られ前につんのめる崩れる。
その鼻先に紅色の宝玉が突き付けられた。
「くそッ!」
高速移動魔法を発動させ、無理矢理に身体を動かしてヴィータはなのはから距離を取る。
視界の先では着々と発射シークエンスが進んでいるが、不思議と焦燥はなかった。
砲撃ならば先程、ギリギリではあったもののいなす事が出来た。
ならば、問題ない。
何度砲撃を撃たれようと、何度でも弾き飛ばす。
勝利を掴むまで何度だろうと、繰り返すだけだ。
そして、砲撃が放たれる。
数瞬前と同様に盾を斜めに突き出し、衝撃に身構えるヴィータ。
桜色の光と紅色の盾とが、ぶつかり合う。
「なっ……!?」
だが、此処でヴィータにとって完全に予想外の事が発生する。
砲撃の威力が先刻のものと段違いなのだ。
受ける事は勿論、反らす事すら叶わない。
ヴィータを守る唯一の防壁に、一瞬で亀裂が走っていく。
「てめぇ……ッ!」
先程の一撃はなんだったのか、とヴィータの脳裏に疑念が湧く。
同様の砲撃魔法、カートリッジの追加もない。だというのにこれだけの威力の差。
ヴィータは知らない。
先の一撃が、対話を優先させての一撃だという事を。
今回の一撃が、撃破を優先させての一撃だという事を。
だからこその、桁違いの威力差。
ヴィータを守るシールド魔法が、音を立てて粉砕される。
声を上げる暇もない。
ヴィータの身体が桜色の奔流に呑み込まれていった。
―――が、どういう訳かヴィータを呑み込んで直ぐに、砲撃の魔力放出が止まる。
魔力の奔流に包み込まれていたのは一秒にも満たない僅かな時間。
身体中が痛みに悲鳴を上げるが、戦闘不能に陥る程ではなかった。
「え……」
呆然の声を上げたのはなのはであった。
話を聞く為に、話を聞かせて貰う為に、放った砲撃。
撃破するつもりで放った全力全開の一撃。
撃破の末の対話を掴む為の、全力全開の一撃であった。
その一撃が無惨に宙へと無惨する。
ヴィータを撃破するには至らず、僅かな照射で砲撃が消え去った。
何で、となのは思わずレイジングハートを見る。
魔力が切れた訳ではない。
発射シークエンスにも問題はなかった。
何故砲撃は中断されたのか、純粋な疑問になのはは手中の相棒を見る。
見て、驚愕すると同時に、理解した。
砲撃が中断された、その理由を。
レイジングハートが、切断されていた。
柄部とレイジングハートの本体たる宝玉とが切り離され、宝玉が重力に引かれ落下している。
僅かな感触もなかった。
斬り取られた瞬間も分からない。
砲撃が阻止された理由は分かれど、また新たな疑問が脳裏を埋め尽くす。
何が起きたのか、ただその疑問がなのはの思考を支配した。
相棒の不在に、飛行魔法の維持すら困難となる。
崩れるバランスの中で、落下中のレイジングハートの元へと強引に駆けるなのは。
墜落する直前でレイジングハートを掴み取る。
魔力を込めると共にレイジングハートの修復機能が発動し、元のアクセルモードへと戻る。
体勢も何とか立て直す事ができた。
「何をしている」
声が、響き渡る。
ただポツリと呟かれただけの言葉が、轟音鳴り止まぬ戦場を駆け抜け、二人の動きを止める。
なのはは警戒に満ちた表情で、ヴィータは驚愕に満ちた表情で、声のした方へ振り向く。
其処には、男が立ち尽くしていた。
「何でお前がここにいんだよ……ナイブズ!」
闇夜の中にポツンと、白い点がある。
ライダースーツのような、身体に張り付いた真っ白な服を纏った男。
刈り上げられた短髪は薄い金色に染められている。
なのはは、男の顔に覚えがあった。
映像記録の中にて一騎当千の活躍を見せていた正体不明の敵。
アンノウンがそこにいた。
「少し用があって近場にいた。お前は相も変わらずの苦戦か、ヴィータ」
アンノウン―――ナイブズが、口を開く。
圧倒的な存在感であった。
喉が干上がり、視線は固定される。
レイジングハートを握る腕にも、知らず知らずの内に力が籠もった。
この男は何者なのだろか……、なのはは警戒を崩さずに男を見る。
「……うるせーよ」
「まぁ良い。せっかく通りかかったんだ、力を貸してやる。こいつの相手は俺に任せろ。お前はシグナムの助けに行け」
ナイブズは、まるで買い物でも任されたかのような気楽さで、なのはの相手を引き受ける。
その様子に気負いと云ったものは微塵も感じ取れない。
言葉一つで、管理局エースとの対戦を選択した。
「……殺すなよ?」
「善処する。それよりシグナムを任せたぞ。奴は冷静さを失っている」
僅かな逡巡を見せたものの、ヴィータも戦線を離脱する。
ナイブズの『力』はヴィータも認めていた。
高町なのはを圧倒する事も分かっている。
だからこその、忠告。
主の命を守る為の、主の道を穢さない為の、忠告であった。
「待って、ヴィータちゃん!」
離脱する鉄槌の騎士に声を掛けるも、ヴィータはチラリと視線を向けるだけであった。
ヴィータの瞳は敵に向けるものだというのに、心配気に揺れていた。
その瞳が意味する事に、なのはは気付かない。いや、気付けないというのが正解か。
なのはの視界の内で、ヴィータの姿が見る見る小さくなっていく。
遠方にて激突し合う黄色と紫色の光の最中に、赤色の光が交わっていった。
ヴィータを追跡する事はできない。
眼前に立ち塞がる男がそれを許さないだろう。
焦燥を押し殺して、なのははナイブズと相対した。
「あなたは、何が目的でヴィータちゃん達に協力するんですか?」
問い掛けに対するナイブズの返答は熾烈極まるものであった。
ナイブズは無言で左腕を掲げた。
掲げた左腕が白色に変化し、十枚程の刃と化す。
刃の横幅は、凡そ人の胴体と同等かそれ以上。
余りに巨大な刃の数々が、一瞬で男の左腕から湧き上がる。
異様な光景になのはは息を呑んだ。
人一人を殺すには余りに大袈裟な凶器が、なのはを狙っていた。
其処からは無言の戦闘であった。
ナイブズはなのはと会話をするつもりもなく、なのはは口を開く余裕すらない。
上下左右から覆い尽くすように迫る巨大な刃の数々に、なのはは己の全身全霊を賭けて、回避を行っていく。
全方位から迫る刃の数々は、まるで徐々に閉じていく巨獣の口の様。
なのはは、生きながらに咀嚼される獲物の気分を味わった。
『Accel Fin』
旋回、宙返り、高速移動、緩急を付けてのフェイントと、なのはは持てる全ての回避行動を施行して、命を繋いだ。
巨大な刃が、皮膚から僅か数センチの所を通過する。
掠めた刃が、堅牢なバリアジャケットをまるで紙切れのように切り裂く。
肌が粟立つ。
今まで感じた事のない程の巨大な『死』の感覚を、なのはは感じていた。
数分の回避運動の末に、攻撃が止む。
バリアジャケットの端々が切り裂かれ、身体の至る所に浅い切り傷を負いながらも、なのはは猛獣の咀嚼から生還した。
ナイブズとの距離は、凡そ1キロ程離れてしまっていた。
逃げ惑う中で知らずの内に離れていったのだろう。
空の彼方で豆粒大の大きさになったナイブズを見て、なのはは思わず安堵を覚える。
そんななのはを、ナイブズは遠方の空から見詰めていた。
プラントの翼手を使用しての攻撃など、彼からすれば殆どお遊びレベル。児戯に等しい攻撃である。
だが、その児戯に等しい攻撃から生還した人間など、百五十年の人生で二人しか見た事がない。
成る程、流石は次元を統べる管理局の尖兵といったところか。
それ相応の実力は有しているのだろう。
再びナイブズの左腕が動く。
先程同様に、なのはへと殺到する刃。
刃は1キロという距離を一瞬で埋め、四方八方からなのはを囲う。
なのはもまた、足首に備わった桜色の羽根を羽ばたかせて加速する。
迫る刃からまた逃げ回ろうと動いたところで、だがしかし刃が唐突に動きを変える。
視界を囲む刃の数々が、更なる拡散を見せたのだ。
木々が枝分かれするかのように刃の先端が幾重にも分裂し、それぞれが独自の動きを取りながらなのはを穿たんとする。
さしもの、なのはも反応しきれない。
身を捩り、最後の最後まで回避運動を取るが、足掻きに終わった。
避けきれなかった四本の刃が、なのはの四肢を貫通する。
プラントの刃が切れ味を前にバリアジャケットは本来の役目を果たせない。
リアクターパージすら発動する事が出来ず、刃に切り裂かれる。
経験した事のない激痛が、なのはを襲った。
「っぐ、あああああああああああああああああ!」
声が、止まらない。
痛覚が意識を支配し、精神を汚していく。
貫通した刃に四肢が固定され、動く事すら許容されない。
細刃に両手両足を拘束されたなのはの姿は、まるで張り付けにされた罪人のようであった。
「あく……せる……」
だが、なのはの心は折れない。
貫通する右腕で、それでも相棒たるレイジングハートを握り締める。
なけなしの集中力で必死に魔力を練り、射撃魔法を発動させる。
精神すら削る未体験の激痛に、流れ止まらない血の喪失感に、それでも不屈の闘志は輝きを止めない。
足掻きにも到らぬ反撃をしようと試みる。
そんななのはの姿に、ナイブズは無表情を貫く。
光り輝く不屈の闘志を前にして、ナイブズが心を揺るがす事は、一瞬たりともなかった。
決死の想いで魔力を操るなのはへ、ナイブズは冷酷に冷徹に終焉を与えた。
プラントが真なる力―――『門』を開く。
視認すら不可能な、極小規模の『門』。
ミクロ単位の大きさで発動された『門』が、『持ってくる力』を引き出しエネルギーとして爆発させる。
エネルギーは指向性を以て、1キロ先のなのはへと殺到し、その身体に直撃した。
レイジングハートが緊急防御として発動させたプロテクションは、飴細工の如く砕け散る。
音すら消えて、なのはの身体が横っ飛びに吹き飛んだ。
加速魔法すら超越する勢いで、なのはは山あいへと墜落する。
十何本の木々をへし折り、地面を抉り飛ばし、ようやくなのはの身体が進行を止めた。
完全に意識は消失し、頭が力無く垂れる。
ここに魔法少女の完全敗北が決定付けられ―――そして、終わりの始まるを告げる材料が取り揃った。
◇
「よう、ヴァッシュ。始めようぜ、終わりの始まりを」
ボロボロとなった魔法少女を肩に担いで、ナイブズは始まりの場所へと舞い戻っていた。
全身をバインドでがんじがらめにされ、地面に転がるヴァッシュの近くへと魔法少女を投げる。
どしゃ、という鈍い音と共に、魔法少女が地面を転がる。
魔法少女が、ヴァッシュが、言葉にならぬ声を漏らす。
薄ぼんやりとではあるものの、辛うじて意識はあるようだった。
とはいえ、殆ど意識は混濁しているだろうが。
ナイブズはヴァッシュの側で膝立ちとなる。
左腕が、掲げられた。
「物覚えの悪いお前にもう一度教えてやるよ。俺達の『力』を、人間の醜悪さを」
掲げた左腕で、ヴァッシュの顔に触れる。
その顔を隠すように、覆う。
ヴァッシュが僅かに身を捩った。
それが彼に可能な最後の抵抗であった。
「見せつけるんだ、俺の、俺達の『力』を」
ナイブズの左腕が、光る。
それに呼応するように、ヴァッシュの右腕も。
始まりは灯火の様な淡い光。
だが、光量は瞬く間に膨張していき、照らすものを増やしていく。
場にいるヴァッシュ達を。
暗闇の森林を。
桜台そのものを。
光が、満たしていく。
白色の、強烈で暴力的な光。
光は加速度的に輝きを増加させていき、全てを覆い尽くす。
「人間共に、見せ付けろ!」
そして、終わりの始まりが、始まった。
白色が、世界を覆い尽くした。
◇
朦朧とする意識の中、なのははその光景を見ていた。
視界に溢れる痛い程の白色が、世界を染め上げる、その光景。
朧気な視界を動かす。
なのははの視線は無意識の内に、白色の極光が発生源へと向けられていた。
不意に、なのはは感じた。
身体を支配する脱力感を押して、心底から噴出するは怖気。
見てはいけない。
これ以上、そちらに目を向けてはいけない。
心が、本能が、叫んでいた。
でも、意志に反して瞳が動く。
―――駄目だ、駄目だ、駄目だ、駄目だ、駄目だ、駄目だ、駄目だ、駄目だ、駄目だ、駄目だ、駄目だ、駄目だ、駄目だ、駄目だ、駄目だ、駄目だ、
ぼやける視界が其処にいる何かを捉えた。
白色の光の中、横たわる何かを。
―――見るな、見るな、見るな、見るな、見るな、見るな、見るな、見るな、見るな、見るな、見るな、見るな、見るな、見るな、見るな、見るな
それは白色の中でも目立つ赤色であった。
赤色の布が、白色の轟風を受けて千切れんばかりに靡いていた。
―――駄目だ、見るな、駄目だ、見るな、駄目だ、見るな、駄目だ、駄目だ、見るな、駄目だ、見るな、駄目だ、見るな、駄目だ、見るな、駄目だ
視線が、動く。
靡く赤色を追って、視線が上方に動く。
―――今、
そして、
―――『彼』を
そして、
―――見ては、
そして、
―――いけない
見た。
赤色から生える、天使の如く右腕を。
その右腕が生えた『男の姿』を。
『ヴァッシュ・ザ・スタンピードの姿』を、見てしまった。
「――――――――――――――――――ッッッ!!!?」
高町なのはは声にならない絶叫を上げて、意識を失った。
白色が世界を震撼させる。
星々が輝く夜天を、人々が暮らす海鳴市を、世界を隔てる次元をも、震撼させる。
人々は見た。
世界を揺らす閃光に、遙か天高くへと伸びる光線。
そして、天に聳える月を蹂躙する光球を。
物理的に、精神的に、それは世界を震撼させた。
こうして平穏な日々は終焉を告げ、物語の終わりが始まった。
二人の人外と、魔法少女と、闇の書が描く物語。
その終わりは、この瞬間を境にして始まった―――。
最終更新:2011年05月29日 00:10