フェイト・ハラオウンは困惑を覚えながらシグナムと剣を交えていた。
烈火の如く勢いで魔剣を振るうシグナムは、これまで見たどんな姿とも違っていた。
険しい表情で、ただ敵を切り裂く為だけに刃を振るう。
刃を通してシグナムの激情が察知できる。
ただ、激情の理由は分からない。
何故シグナムはこれだけ感情を湧き立てているのか。
大元が自分達にあるのは分かる。
だが、具体的な理由までは分からない。
言葉にして問い掛けるには、フェイトはまだ不器用すぎた。

「おおおおおおおおおおおおおおお!!」
「はああああああああああああああ!!」

この日何度目かの鍔迫り合いが発生する。
斧と剣が火花を散らして攻めぎ合う。
鍔迫り合いは、徐々にフェイトの方へと傾いていった。

「うおりゃああああああああああ!!」

そして、その均衡に横合いから介入する者が現れた。
鉄槌の騎士・ヴィータ。
唐突な乱入にフェイトの反応がワンテンポ遅れる。
横っ面に鉄槌が直撃する―――直前でバルディッシュが自動防御を発動させた。
金色の魔力壁が、鉄槌を止める。
鉄槌に込められた力は魔力壁を容易くぶち破るが、寸前にあった一瞬の均衡がフェイトを救う。
均衡の隙に、フェイトは全速を以て二人の守護騎士から距離を取った。
充分な間合いを挟んで、フェイトがヴィータを見る。

「形勢逆転だな、管理局の魔導師」
「……あなたは、なのはと戦ってた筈じゃ」
「増援だよ。高町でも、アイツにゃあ敵わねーぞ」

ヴィータの言葉に、フェイトは嫌な予感を覚えた。
この場にいるシグナムとヴィータ以外の守護騎士は、どちらかというと支援系統の騎士だ。
ヴィータをバックアップしての戦闘ならまだしも、正面からなのはと戦闘できるとは思えない。
其処まで思考し、フェイトは気付く。
内に芽生えた嫌な予感の、その正体に。

「まさか……!」

アンノウン。
クロノを瞬殺した怪物の姿が、フェイトの脳裏に浮かんでいた。
親友の危機に、フェイトの身体は殆ど反射的に行動していた。
相対する二人の守護騎士に背を向け、親友の救援へと身体を向ける。

「行かせると思うか」

が、身体を加速させるよりも早く、隙だらけのフェイトへとシグナムが斬り掛かる。
上段の構えから振り下ろされた斬撃は、一層の速度と威力を持ってフェイトへと迫っていく。
再びバルディッシュが自動防御を発動させるも、今度は防ぎきれない。
フェイトの細体を烈火の魔剣が捉える。

『Jacket Purge』

だがしかし、此処でもフェイトを救ったのは、相棒たるバルディッシュであった。
バリアジャケットを強制的に爆発させ、フェイトの身体を吹き飛ばす。
爆発に圧されたフェイトは、結果としてシグナムの縦一閃を回避する事となった。
再度離れた間合いでバリアジャケットを再構築し、バルディッシュを構え、二人の騎士と向かい合う。

『集中して下さい、マスター』
「……ごめん、バルディッシュ」

珍しい相棒からの忠告に、フェイトは素直に謝罪を零した。
身体を包む痛みに、相棒からの忠告に、フェイトが目を覚ます。
親友を救う為にも、シグナム達を止める為にも、此処で自分が撃墜される訳にはいかない。
まずは全力でシグナム達を撃破し、なのはの援護に向かう。
全力全開の最速で、だ。
雷光の魔導師の瞳が、決意の色に染まる。

「バルディッシュ……ソニックフォーム、いける?」
『Sir. Barrier jacket. Sonic form』

二人の守護騎士を前にフェイトは己の切り札を躊躇せずに切った。
それは自身の長所を全開に活かす、最速の形態。
防御を度外視した高機動フォームを守護騎士へと晒す。
シグナムとの一対一でさえ殆ど圧倒されていた状態。
二人の守護騎士を相手に正面から戦い、勝利する事は不可能と云っても過言ではない。
だからこその、高機動形態。長所を前面に押し出しての戦闘だ。

「状況は二対一……まるであの時とは逆の状況だ」

胸中に敗北の苦い記憶が蘇る。
二対一という破格の条件での敗北。
自分が気絶している間にヴァッシュが傷付き、クロノが撃墜された。
シグナムは止められず、闇の書は完成への道を着実に歩んでいる。
自分の無力さが、嫌だった。
仲間が傷付くのが、嫌だった。
だから、それを糧に訓練を重ねた。
とあるガンマンと共に、親友である魔法少女と共に。
それはたった数日の短い時間。
でも、何かが見えた気はした。
強くなる為の、何かが。

「力も、技も、関係ない……戦場を支配する能力」

だから、躊躇いはしない。
シグナム達を止め、アンノウンと戦闘しているなのはを救う。
二対一であろうと、関係ない。
自分の力は、戦場を支配する力だ。

『Sonic Move』

勝負は一瞬であった。
雷光の魔導師が選択したのは、高機動形態での高速移動魔法の発動。
守護騎士達の知覚限界点まで到達したフェイトが、金色の閃光となって戦場を駆け抜ける。
ヴィータの懐に飛び込み、バルディッシュを袈裟斬りに振るう。
それまでのものと比較しても段違いの加速・最高速に、ヴィータは反応しきれない。
機動力をカードとして持っているのは知っていたし、警戒もしていた。
しかし、反応しきれない。
初見という所が大きかった。
これがもし、一度見ていての攻撃であったら、ヴィータも身構える位の反応は出来ただろう。
結局の所、勝負を決めたのはフェイトの覚悟。
装甲を薄くしたハイリスクの形態を、二対一の状況にありながらノータイムで切る覚悟。
それが最悪の状況に於いての、活路に繋がった。


『Haken Form』

戦斧から、金色の魔力刃が飛び出す。
魔力刃はヴィータの身体を切り裂き、魔術的なダメージを負わせた。
直撃だった。
なのはとの戦闘でダメージを負っていた事も相成り、ヴィータは声も上げずに昏倒した。
再び、フェイトの身体が加速する。
次なる獲物は、烈火の騎士・シグナム。
ただ一直線に、最短の距離を最速で駆け抜け、懐に潜り込む。
紫電纏う金色の魔力刃が、空気を切り裂いて、その身体を穿った。
身体を走り抜ける電流に、心底へと脱力を叩き込む魔力ダメージに、シグナムの身体が傾ぐ。

「……ふざ……けるな……」

だが、烈火の騎士は倒れない。
抱き付くようにフェイトへと寄りかかるも、決して倒れはしない。
シグナムの顔には、ただ意志が張り付いていた。
絶対に負けないという、余りに強固な意志が。
何が彼女を突き動かすのか、やはりフェイトには分からない。

「……私達を、騙しておいて……主を……見捨てておいて……」

シグナムの口から漏れた、殆ど譫言のような言葉。
フェイトは思わず動きを止める。

「世界も……主も救うと言っておきながら………裏……切り……」

言葉は眼前のフェイトに向けられたものではなかった。
それはフェイトにも理解できた。
自分以外の誰かに向けられた言葉。
それが誰に向けられたものなのかを特定する事は出来ない。

「ならば……私は…………私達は……負ける訳に……いかないッ!!」

言葉が爆発し、満身創痍のシグナムを動かした。
レヴァンティンを振り上げ、間近に立つフェイト目掛けて、振り下ろす。
シグナムが一撃に対して、フェイトの身体が再度消失する。
シグナムの後方へと一瞬で回り込み、決死の抵抗を断ち切るべく、金色の刃を横一閃に振り抜く。
だが、この一撃に烈火の将は反応せしめた。
レヴァンティンが軌道を変え、防御へと使用される。
烈火の剣と雷光の斧とが、攻めぎ合う。
互いの渾身が込められた均衡は、火花となり闇夜に輝く。
フェイトは驚愕していた。
未見の一撃ではないとはいえ、満身創痍のシグナムがソニックフォームでの限界速度に反応した事実に。
何よりバルディッシュを通して伝わる、剣圧に。
満身創痍の身でなければ、均衡すらなりたたなかっただろう。
一瞬で押し切られ、この身は切り裂かれていただろう。
だが、とフェイトは思う。
このままなら負けはしない。
最初の一撃が効いている。
勝負を決定付けるには充分過ぎる一撃であった。
このままスピードで圧倒する。
そう判断し、フェイトは高速移動魔法を発動させた。
背後から前方へ。
そして、前方から死角となる頭上へ。
緩急を付けての連続高速移動は、完全にシグナムから隙を引き出した。
後はバルディッシュを振り下ろすだけで勝負は終わる。
なのはの救出にも問題なく迎える筈だ。
騎士と魔導師との三度目に至る激戦は、魔導師のリベンジ達成で終焉を迎えようとし、


「なっ……!?」


寸前で、終わりの始まりが、始まった。


視界の端の森林から溢れ出る、白色の輝き。
白色の光は加速度的に範囲を広げていき、フェイトがいる位置すらも呑み込んでいく。
白色が、世界を埋め尽くす。
唐突に訪れた異常事態に雷光の魔導師は事も出来ず、ただ立ち尽くす。
遅れて、烈風が吹き荒れた。
飛行魔法ですら体制を維持しきれない、まるでそれ自体が攻撃であるかのような、轟風。
轟風の奔流に呑まれて、フェイトの身体が宙にて弄れる。
視界の端には、自分と同様に吹き飛ばされるシグナムの姿があった。
その姿も白色の中へと消えていく。
全てが、自身の身体も手中のバルディッシュすらも白色に蹂躙されて、視認する事ができない。
今自分が何処を向いているのかも、分からない。
フェイトは、混乱に満ちた表情で白色の世界を見詰める事しかできなかった。






終わりの始まりから凡そ数分前の、闇の書事件臨時本部。
唐突に始まった魔法少女と守護騎士達との戦闘に、臨時本部は騒然としていた。
様々な映像が映し出されたディスプレイの前では、エイミィが五指を忙しなく動かし、情報の整理を行っている。
突然の事態に対応しようと、孤軍奮闘していた。

「なのはちゃん達が交戦している場所は海鳴市桜台の上空! 今、本部へ増援の申請をしていますが、到達にはまだ時間が掛かる模様です! あ〜、何でこんな所に現れるのよ、守護騎士達は!」

愚痴を飛ばしながらもエイミィの手は止まらない。
本来ならば数人の人員で捌く緊急状況を、必死の想いで解決へと運んでいた。

「なのはちゃん達に通信は繋がる?」
「繋がるには繋がるんですけど、応えてくれないみたいで。通信を返す余裕もないようです!」
「クロノは今、どこに?」
「クロノ君もユーノ君も、闇の書の調査で本部にいます~! 到着には時間が掛かります! ヴァッシュさんは音信不通! 何やってのよ、こんな時に!」

中継される映像を見つめながら指示を飛ばすリンディであったが、状況は良くなかった。
増援も望めない今、臨時本部では大きな動作を取る事ができない。
今の状況では、現場で戦っている魔法少女達に全てを託すしかなかった。
リンディは小さく歯噛みして、ディスプレイを睨む。

「……!? ア、アンノウンです! なのはちゃんの所にアンノウンが出現! なのはちゃんと交戦状態に入った模様!」

そして、事態は急変する。
アンノウンの出現。
高町なのはとの交戦状態への突入。
先日の分析により、リンディもアンノウンの有する強大な『力』には気付いていた。
最悪の展開も十二分に有り得た。

「マズいわ、なのはさんに撤退の指示を。1対1でのアンノウンとの戦闘は避けて」

心中の焦燥を声色に出さなかった事は、指揮官として流石だと言えるだろう。
だが、指示らしき指示は行えない。撤退を促す事しかできなかった。
リンディは、強く強く唇を噛む。エイミィも同様だ。
何もできない自分に苛立ちを感じずにはいられなかった。
そんなリンディ達の眼前で、余りに一方的な蹂躙は執り行われた。
左腕から噴出した巨大な刃による全方位からの攻撃。
視認すらできない、謎の高エネルギーによる攻撃。
勝負は数分と経過せずに終わった。
木々を薙ぎ倒して、山間を削り飛ばして、高町なのはは撃墜された。
バリアジャケットは弾け飛び、四肢からは多量の血が流れている。
視線は虚空を揺れ、何物も捉えはしない。
額から流れた血が、なのはの身体を赤く染め上げる。
息があるのが、不思議とすら思える惨状。
エイミィが、リンディが、言葉を無くす。
恐れていた最悪の事態が現実となってしまった。
虚脱する臨時本部を尻目に、アンノウンは更なる行動を続ける。
満身創痍の魔法少女を担ぎ上げ、何処かへと移動を始めたのだ。
我に返ったエイミィが、必死の想いでなのはへと念話を送る。
返答はない。
エイミィの呼び掛けも段々と調子が変わっていき、徐々に涙声が混じる嗚咽となっていた。
それでも返答どころか返事も返ってこない。
遂には、エイミィの呼び掛けがただの泣き声に変わる。
二人きりの臨時本部を、絶望が包んでいた。
そして、絶望の最中、終わりの始まりが執行される。

「…………何、これ…………」

愕然を声に出したのはエイミィであった。
嗚咽は止まり、頬を伝う涙も止まっている。
画面に映るデータを見て、エイミィは茫然としていた。
それは、ディスプレイに映る数多のウィンドウの内の一つ。
円グラフやら棒グラフやらが幾何学的な模様を形成しているウィンドウであった。
そのウィンドウが、観測者へと異常を告知している。

「……エネルギー反応……急速に、増大……!? 嘘、こんな数値……」

異常は一瞬にして警告となった。
危機感を煽るようにサイレンが一斉に鳴り出し、紅色の警告灯が点滅を始める。
『CAUTION』の文字が、臨時本部のディスプレイを埋め尽くす。
無感情な機械が、危険と異常を教えていた。
映像の中では、バインドに拘束されているヴァッシュへとアンノウンが手を伸ばしている。
頼みの綱であったヴァッシュも、既に戦闘不能に陥っていたようだ。

「信じられない速度で……エネルギーが増加していきます! エネルギーの源は…………ヴァッシュ、さん……?」

驚愕は、時に絶望すらも覆い隠す。
それは、エイミィの後ろで場を見渡すリンディ・ハラオウンも同様であった。
情報が示す現状はとても単純なもの。
端的に言えば、謎のエネルギーが観測されているという事だけ。
だが、そのエネルギーの量が、エネルギーの源と示される存在が、二人に驚愕を与えていた。
光が、溢れる。
なのは達を映しているウィンドウが、光量の許容範囲を越えて発光する。

「ッ、なのはさんを別の場所に転送して! あの位置じゃ巻き込まれる!」

映像越しにさえ、白色の閃光は臨時本部を染め尽くした。
リンディもエイミィも目を開けている事ができない。
強烈で暴力的な白色に、目を閉じる。
その光の渦中で、エイミィがなのはの転送シークエンスを完了させた事は、奇跡的と言えた。
オペレーターとしての長年の経験が、目隠し状態での転送を成功させたのだ。
閃光は、一分程の照射の末にようやく陰りを見せ始める。
世界が色を取り戻す。
映像の中では、ヴァッシュ・ザ・スタンピードが一人取り残されていた。
転送を成功させたなのはは勿論、アンノウンも何処かへ消えていた。
地面に横たわるヴァッシュに、リンディもエイミィも言葉を発しようとしない。
静寂が場に重くのし掛かっていた。






声が、聞こえた。
深い深い闇の底から響く、粘ついた声。
声は語る。
見せ付けろ、と。
俺達の力を見せ付けろ、と。
嫌な予感がした。
肌が粟立ち、身体が震える。
心の奥底がその言葉を拒絶する。

手が、伸びてくる。
白い白い光の中から伸びる、無骨な手。
それは何処かで見た事のある光景だった。
思い出したくないような、思い出してはいけないような、記憶。
思考が回る前に、手は視界を覆い隠した。

何かが、弾けた。
身体の奥底で何かが弾け、溢れ出す。
凄まじいまでの解放感。
その感覚にも、覚えがあった。
思い出したくないような、思い出してはいけないような、記憶。
その記憶が何なのか、やはり思い出す事はできなかった。

声が、聞こえる。
聞き覚えのある、声。
何時もは明るい声だけど、今は全く別種の感情に満ち満ちていた。
恐怖。
恐怖が、声を汚していた。

ああ、そんな声を上げるのは止してくれ。
君には何時も笑っていて欲しいんだ。
俺を救ってくれた、君。
俺を救いたいと言ってくれた、君。
君がいたから、決心できた。
君がいたから、銃を握れた。
君がいたから、希望を持てた。



だから、そんな声を上げないでくれ。



俺を、



俺を見て、



そんな声を上げないでくれ。




何故だが、世界は白色に染まっている。
何故だが、君は恐怖に満ちた声を上げている。

夜天の空には満月が光る。
この月を見て一緒に酒を飲もうと、約束した。
全てが終わった後に、酒を酌み交わそうと、約束した。
楽しみだ。
本当に、楽しみだ。
全てが終わった世界で、皆と飲む酒は格別だろう。


ああ―――楽しみだ。






覚醒のヴァッシュ・ザ・スタンピードを待ち構えていたのは、見覚えのある天井であった。
何処かボンヤリとした思考で天井を見詰めながら、ヴァッシュは記憶を辿る。
何故、自分はここにいるのか?
自分は何をしていたのだったか?
脳に血を通わせ、ゆっくりと思い出そうとする。
ドグンと、あるビジョンが浮かび上がった。
視界を埋め尽くす掌。
白く染まる世界。
投げ掛けられる、二つの声。
愉悦に満ちた声と、恐怖に満ちた声。
何だ、この記憶は。
自分は一体何をしてた―――と、其処まで思考して、思い出す。
ナイブズと相対したその記憶を、後方からの不意打ちに気を失ったその瞬間を、思い出す。
思い出した瞬間、ヴァッシュは上体を跳ね起こしていた。
首を左右に振って、周囲を見回す。
白色の壁で四方を囲まれた部屋に、ヴァッシュは見覚えがあった。
管理局本部の病室。
クロノとの模擬戦の後にヴァッシュもお世話になった部屋だ。
焦燥がヴァッシュの心中でせり上がっていく。
ナイブズは、どうなった。
待ち合わせをしていたなのはとフェイトは、シグナムとヴィータは、どうなった。
言いようのない嫌な感覚が腹の底で渦巻く。
自分は取り返しようのないミスをしてしまったのではないか。
そう思わずには居られなかった。

「……驚いたな。もう意識を取り戻したのか」

不意に、眼前へと見覚えのある顔が浮かび上がった。
空中にディスプレイが映し出されたのだ。
ディスプレイの中では最年少執務管が驚きの顔を張り付かせている。

「クロノ、教えてくれ。何が起きた、何で俺はここに寝かされている!」

ヴァッシュの言葉に、クロノは口を噤んだ。
眉をひそめ、何かを思案するようにヴァッシュを見る。

「……覚えて、いないのか」
「どういう意味だ。やっぱり俺が、何かをしたのか?」

数秒の時間を置いて吐かれた言葉は、ヴァッシュに更なる当惑を与えた。
懇願の響きを乗せながら、ヴァッシュは画面上のクロノに問い掛ける。
対するクロノは、やはり何かを考えているようであった。
思考し、口を開く。

「僕から君に教えられる事はない。でも、ただ一つ、僕は君に伝えなくてはいけない事がある」

クロノの口調は、事務的で感情を押し殺したものであった。
クロノ・ハラオウンとしてではなく、管理局執務官として、クロノは話を続ける。

「ヴァッシュ・ザ・スタンピード、君の身柄を管理局で保護する事が決定した」

クロノの発言に、ヴァッシュはポカンと口を開くだけであった。
言葉の意味が分からない、というのが主な所だろう。

「その部屋にて監視状態に置かせて貰う。管理局への協力行動は勿論、外出も禁止だ」

だが続く言葉に、ヴァッシュは思わず目を剥いた。
クロノの言葉を要約すれば、体の良い軟禁。
この緊迫の状況下にて、管理局への協力活動さえも禁止され、何もするなと言っているのだ。
そんな事を了承できる訳がなかった。

「もうコレは決定事項だ、拒否する権利はない」

一方的に言い切られ、宙に浮かぶディスプレイが消失する。
何にもなくなった空間を見詰めて、ヴァッシュはうなだれた。
やはり自分は『何か』をしたのだ。
その『何か』が原因で、自分は管理局の監視下に置かれる事になった。
恐らくはジュライでの出来事とも、ジェネオラ・ロックでの出来事とも、関連している。
声を、思い出す。
あやふやな記憶の断片にある、心優しき少女の、声にもならぬ絶叫。
唇を、強く強く噛む。
ヴァッシュはただ怖かった。
己の内に宿る、自分も知り得ない脅威が、怖い。
その脅威が、大切な人を傷付けてしまったんではないかという可能性が、怖い。
歯がぶつかり合い、音をたてる。
身体の震えに、ヴァッシュは己の肩を強く抱いた。
あの平穏な日々には、もう戻れないような気がした。








頬を叩く冷たい風の感触に、シグナムは目を覚ました。
眼下を流れるは、世界を彩る人工の灯火。
何処か緩慢な思考で、シグナムは地上に広がる景色を見つめていた。
頬を通り抜ける風は、シグナムの身体が移動している事を意味している。
誰かに抱えられている、とシグナムが気付いたのは、覚醒からたっぷり十数秒の時間が経過した後だった。
シグナムは肩に抱えられていた。
まるで荷物のような扱いに、だが不思議と暖かみを感じる。
無骨な優しさを受けているような気がするのだ。
シグナムを運んでいたのは、ナイブズであった。
右肩にシグナムを、左脇にはヴィータを抱えていた。

「……私は、何をしてるんだろうな……」

シグナムの覚醒にナイブズも気付いているだろう。
だが、ナイブズは何も語らなかった。
その沈黙が今は非常に心地良く、シグナムは知らずの内に心中を語り始めていた。

「あんな男の言葉を僅かでも信じ……のこのこと連れ出されてみれば、コレだ。
 あの男が裏切ったという事は、おそらく主の居場所も管理局に知られたのだろう。……もう、どうすれば良いか、分からんよ……」

シグナムの言葉に、やはりナイブズは沈黙を貫き通す。
シグナムの位置からその表情は窺えないが、恐らくは何時も通りの無表情なのだろう。
このような状況下でも変わらぬ様相は、頼もしさすら感じる程だ。

「テスタロッサにも無様な姿を見せた……管理局に主の居場所を知られた今、主を守りきる事も困難だろう……あと数日、数日もあれば闇の書も完成できるというのにな……」

現状は、最悪だった。
管理局へ主の居場所がバレたという事実。
ヴァッシュ・ザ・スタンピードが裏切ったという事は、当然はやての居場所も管理局へ報告している筈だ。
管理局の組織力は絶大である。
目先の尖兵を打ち倒したところで、直ぐに次なる兵士が現れ、戦場に立つ。
小隊単位で局員を動員されてしまえば、それだけで守護騎士達に成す術はなくなる。
管理局の強みは『数』。
中には高町なのはやフェイト・テスタロッサという、騎士に匹敵する猛者だっている。
正面からの戦闘で、守護騎士達が管理局に勝利する事はできない。
今だって監視網の合間を縫う事で、何とか蒐集活動を続けられている状態である。
完全な敵対をしてしまえば、守護騎士達に未来はなかった。
そして、主の居場所が判明された今、管理局は遠慮なくその組織力を振るう事ができる。
暗雲立ち込める現状に、シグナムは絶望にも酷似した想いを抱く。
抗いきれない閉塞感が、現状を覆っていた。
もはや目指す先には、希望がないように思えた。

闇の書の完成は、寸前にまで迫っている。

ナイブズの協力に、裏切ったとはいえヴァッシュの協力もあった。
二人の協力、特にナイブズの助力は蒐集に於いて大きな意味を持った。
蒐集効率は格段に跳ね上がり、予定よりかなり早期での完成も見えてきた。
魔獣を相手にしたとしても、あと数日。
高町なのはやフェイト・テスタロッサ級の魔導師であれば、一人分といった所まで迫っている。
その一人分が、その数日が、遠い。
今この瞬間にも襲撃されてる可能性も、大いに有り得る。
傷付き疲弊した身体で、何処まで管理局の部隊を抑えられるか。
もし闇の書が完成したとしても、それから平穏な生活など送れるのか。
闇の書の強大な力があれば、管理局とも渡り合えるだろう。
だが、要注意人物として管理局に狙われた状態は、果たして主の望む平穏な生活と云えるのだろうか。
昨日までの穏やかな日々が、もう取り戻し得ぬ遠いもののように感じた。


「……どうすれば良いんだろうな、本当に……」


シグナムの空虚な呟きが、風に乗って消えていく。
沈黙だけが三人を包んでいた。
そして、三人は八神家へと辿り着く。
玄関前に直陸したナイブズは、気絶したヴィータを抱えたまま、シグナムを地面へと降ろした。
既に日が落ち、外は真っ暗になっている。
シグナムは気怠げな身体を押して、扉へと手を伸ばす。

「シグナム」

ドアノブに手を掛けた所で、無言を貫いていたナイブズが、遂に口を開いた。
シグナムは振り返らず、動きを止めて、続く言葉を待った。

「覚悟はあるか? はやての為に修羅の道を進む、覚悟が」

シグナムは言葉を返さなかった。
言葉を返さず、ただ一度背を向けたまま、頷く。

「ならば、俺が道を示そう。付いて来い、シグナム」

再度、肯首。
シグナムは扉から手を放し、ナイブズへと振り向いた。
それはまるで平穏な日々からの離脱を、決意したかのよう。
シグナムの瞳には、決意の灯火が爛々と輝いていた。

「……分かった」

シグナムの言葉に、シグナムの瞳に、ナイブズは思わず―――歪んだ愉悦を表出しそうになっていた。
『ある一つの事象』を除いて、殆ど全てがナイブズの思い通りになった。
笑みが、零れそうになる。
もう少しすれば、この世界に蔓延る数十億もの人類を滅ぼす事ができる。
そう考えただけで、気分が昂った。
今この瞬間にも母なる大地を汚し、自ら滅亡の道に進もうとしている愚かな種族。
この『地球』も恐らくは変わらぬ道程を経て『プラント』を、もしくはそれに似た存在を産み出すだろう。
変わらない。
人類は、変わらない。
次元という壁を越えて尚、人類は変わらなかった。
だから、滅ぼす。
滅ぼす為に、利用できる全てを利用する。
ナイブズは、変わらない。
ヴァッシュが変わらないように、人類が変わらないように、ナイブズもまた変わらない。
人類の滅亡だけを望んで、前へ進んでいく。


―――夜が、更ける。


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最終更新:2011年06月05日 00:11