楽しかった頃の想い出は、いつだって昨日の事の様に思い出せる。
事実、つい昨日まではミックは普通の猫で、すずかの元で普通に暮らしていたのだ。
だけれど、それも過去の話になってしまうのかと思えば、堪らなくなって涙が溢れてしまう。
最も信頼出来る親友であるなのは達は、ミックを必ず救ってくれると言っていたが、保証なんかは何処にもない。
信用していない訳ではないが、不安でどうしようもなくなるのは、当然であった。
そんなすずかに会いたいと、わざわざ月村の豪邸まで脚を運んだのは、五代雄介だった。
ミックの話を直接聞きたいと、直接この月村邸まで脚を運んで来たのだ。
「ミックの話、ですか」
「うん、何でもいいんだ。想い出話でも、最近あったことでも」
五代雄介の表情は、笑顔のようでありながらも、真剣そのものであった。
今はもう未確認となってしまった飼い猫の話なんて聞いてどうするのか、と思う。
状況が状況なのだ。そんなのんきな話をしている場合なのか、とも思う。
だけれども、それでもミックの話をするのは、不思議と嫌では無かった。
というよりも、五代さんの人懐っこい笑顔を見ていると、断るのも悪い気がして。
彼の笑顔を見ていると、焦る気持ちが落ち着いて、警戒心も薄れるから、不思議なものだ。
うーん、と少し考えて、すずかは五代さんにミックの話をしてもいいだろうと判断した。
月村すずかは小さい頃から、猫が大好きだった。
どうして猫が好きなのか、と問われても、それは小さい頃の記憶だし、ハッキリとは解らない。
けれど、恐らくは純粋な気持ちで、子供ながらに猫を可愛いと思ったからだとか、そういう単純な理由だと思う。
さて、すずかは物心がつくよりもずっと前から猫が好きであったけども、猫との直接の触れ合いは無かった。
良くある理由だ。すずかの両親が、幼いすずがが猫を飼う事を許してはくれなかったのだ。
当時、生き物を飼うという行為自体がすずかにはまだ早いと思われていたからなのだろうと、今では思う。
そうして、「飼いたい」という気持ちをずっと抑えられて来たすずかは、次第に猫への気持ちが大きくなっていった。
いい加減な気持ちなら、時間の経過と共にその熱も冷めて行くが、すずかはその真逆だったのだ。
やがて、5歳の誕生日を迎えた時、その熱意はようやく両親にも通じたらしかった。
そうして買い与えられた猫は、ブリティッシュショートヘアーと呼ばれる種類の仔猫。
その日の事は今でもしっかりと覚えているし、今だかつてこんなに嬉しくなった日も無かったと思う。
「それがミック、って訳か」
五代さんが、なるほどと頷いた。
察する通り、すずかは最初に出会った仔猫に「ミック」と名付け、可愛がった。
だけれども、ミック自体は非常に気性が荒い猫で、当初は中々すずかにも懐かなかった。
撫でようとすれば噛み付いて来るし、近寄ろうとすれば勝手に何処かへ逃げてゆく。
どうしてこんなにも懐いてくれないのだろう、とすずかは泣きたくなったが、しかし同時に楽しくもあった。
どんな形であれ、それはすずかが夢にまで見た猫との触れ合いなのだ。
懐いてくれない悲しみ以上に、猫と遊べるという楽しさの方が上回っていたのだった。
根気良く接し続けていれば、やがてミックも少しずつ心を開いてくれるようになった。
他のメイドやすずかの両親には懐かなくても、すずかにだけは振り向いてくれるようになったのだ。
「それでも、まだ結構人見知りする方なんですけどね」
何処かおかしくなって微笑むすずかに、五代さんも微笑みで返してくれる。
こうして黙って話を聞いてくれるのは、語り手にとっては気持ちのいい事だ。
気付いた時には、すずかは自ずと饒舌になっていた。
ようやく懐いてくれるようになったとは言ったものの、それでもミックは気性が荒い方だ。
悪気はなくとも、ミックと遊べばすぐに服は解れてしまうし、手には引っかき傷だって出来る。
当時は非常に内向的で、外見などあまり気にして居なかったすずかは、髪の毛だって無造作に長かった。
伸びっぱなしになった前髪は、はしゃぎ回るミックが相手では、すぐに絡まって痛んでしまう。
父はそんなすずかに、せっかくの綺麗な髪の毛が勿体ないと言って、とあるプレゼントをくれた。
そのプレゼントこそが、今もすずかが肌身離さず付けている、カチューシャ型のヘアバンドだった。
これを使えば前髪を抑えられるし、何よりも、内気なすずかにとっての初めてのお洒落でもある。
それはミックの次くらいに大切な宝物となって、今ではいつだってヘアバンドを付けて出歩くくらいだった。
「そっか、そのヘアバンド、そんなに大事なものなんだ」
「うん……今では、なのはちゃん達と友達になった切欠でもあるから」
ヘアバンド自体にもミックとの想い出が詰まっているし、親友と知り合う切欠にもなったものだから。
と言っても、今は髪の毛もきちんと手入れしているし、美容院にだって定期的に通っているのだが。
すずかは照れ笑いするように頭のヘアバンドをなぞって、楽しかった想い出を一つ一つ思い出してゆく。
そもそもすずかには、なのは達と知り合うまでは友達と呼べる友達が居なかった。
家から出る事も無いし、すずかにとっての世界とは、即ち、家の中から見るものが全てだったのだ。
そんな世界の中で、すずかが唯一心を許せるミックを大切に思うのは当然の事だった。
それはなのは達という友達が出来てからも変わらない。ミックも彼女らも、大切な友達なのだ。
そうして友達が出来てからも、ミックのお陰で、アリサとは「ペットの話題」で盛り上がる事だって出来た。
なのは達皆が遊びに来た時には、ミックも一緒に遊んで、楽しい時間を送る事だって出来た。
やがて長い間一緒に遊んでいる内に、ミックもなのはとアリサにだけは懐く様になってくれた。
今では、すずかでしか知らなかった筈のミックの手懐け方だって、彼女らは知って居る程だ。
「あっ、ちょっと待って! その手懐け方っていうのは?」
「え……? えっと、ご褒美や餌を与える時に、決まってするポーズがあるんです」
「それ、もしかしたらミックを助ける為の大きなヒントになるかも!」
五代さんは、何か面白い物を見付けた子供みたいな無邪気な表情でそう言った。
EPISODE.25 想出
海鳴市、月村邸―――08:21 a.m.
燦々と降り注ぐ休日の朝の日差しは、本来ならば誰にだって心地の良いものだと思う。
だけれど、今日ばかりは誰も、そんな事を考えている余裕は無かった。
五代雄介は、昨日起こった出来事の一部始終を聞いて、正直な話、困惑した。
結果だけを述べるならば、すずかの飼い猫が未確認になってしまった、との事らしい。
当然、雄介はそんな状況に直面した事など無いし、どうすればいいのかなど皆目見当もつかない。
だけれども、助けられる保証は確かにないが、どちらにせよ未確認と戦えるのは自分だけなのだ。
なれば、自分がクウガとして、未確認へと変じてしまったミックと戦わねばならない。
それは雄介にとっての素朴な義務感であり、正義感でもあり、一つの願望でもあった。
そもそも、雄介がクウガとなって戦うのは、人々の笑顔を護りたいからだ。
誰にも悲しい涙を流していて欲しくないと願ったからこそ、この力で戦うのだ。
そして今、すずかは未確認が関与する事件に巻き込まれた事によって、泣いている。
例え周囲を心配させない様にと気丈に振舞ってはいても、その心は泣いているのだと思う。
もしもミックを助けられなかったとしたら、どうだろう。
きっとすずかは、今以上に、もっと沢山の悲しい涙を流すのだと思う。
だとしたら、出来るかどうかとかではなくて、雄介は「戦わなければならない」のだ。
そこで誰かが泣いているのなら、今は自分に出来る戦いをするしかないのだと思うから。
だけれども、戦うなら戦うで、その為にはそれ相応の心構えが必要だ。
元来暴力が嫌いな雄介であるのだから、戦うにはその意志を燃やすだけの“何か”が欲しかった。
だから雄介は、直接月村すずかの家まで出向いて、すずかの気持ちを、本人の口から聞きたかったのだ。
そうしてすずかの口から語られたのは、ミックとの出会いから、昨日までに起こった様々な想い出。
楽しい想い出や、悲しい想い出、沢山の話を聞いて雄介が思ったのは、やはり、いつも通りの事だった。
――目の前の女の子の笑顔を、守りたい。
こうして直接話して、その思いは確固たる意思へと変わった。
すずかは、本当ならこんなにもやさしい笑顔で笑う女の子なのだ。
それなのに、こんな下らない事の為に、このやさしい笑顔を悲しみの涙に変えてしまうのは、嫌だった。
今まさに泣いている女の子一人を救う事が出来なくて、世界中の皆を笑顔になんて出来る訳がないとも思う。
だから、やるのだ。出来るかどうか、とかじゃなくて、絶対に、助けなければならないのだ。
雄介はすずかの頭にぽんと手を置いて、いつも通りの変わらぬ笑顔を浮かべた。
「安心して、すずかちゃん。ミックはなのはちゃん達と俺が、きっと助けてみせるから」
「え……五代さんも、手伝ってくれるんですか?」
「当然だよ。俺はその為に来たんだから」
だって俺、クウガだから。
内心でそう告げつつも、訝るすずかに、親指を立ててみせる。
きっと、大丈夫だから。きっと、助け出してみせるから。
これは、すずかに対する、約束の証でもあった。
「ありがとうございます、五代さん……でも、どうやって?」
「俺には俺にしか出来ない事もあるからさ。言ってなかったっけ? 未確認は元々俺の世界に居た奴らなんだ」
「あ……そういえば、そんな事をみんなから聞いたような……」
「うん、だから、俺が居れば未確認にも対処できるって事」
それを聞いたすずかの顔が、僅かに明るくなった。
こうして目の前に、愛猫を救う為の希望が居るのだ。
それは何の保証も無かったすずかにとっては、大きな励みにもなったのだろう。
だとすれば、その期待を裏切る訳にも行かない。行動を起こすなら、早い方が良い。
そもそも、アマダムの例で言うならば、雄介の身体は徐々にクウガの身体へと作り変えられていった。
きっと、作り変えられた身体を元に戻す手段なんかは無いし、雄介はクウガをやめられるとも思ってはいない。
事実として、アークルにも一度装着した霊石は二度と取り外す事は出来ないという記述だって刻まれている。
だけれども、ミックが取り込んだ霊石の欠片とやらは、恐らくアークルの様に、人によってシステムとして造られたものではない。
また、アークルとアマダムが雄介の身体と完全に融合するまでに一年掛かった事を考えると、まだ希望だってある、と思う。
その前例から考えると、まだ数時間しか経過していないミックの身体は、まだ完全に作り変えられてはいない筈なのだ。
今日中……出来るなら、午前中に。ミックの動きを止めて、身体から霊石を排除すれば。
否、排除出来ずともいい。その力を無効化させる事さえ出来れば、何とかなるのではないか。
ともすれば希望的観測としか取れない考えではあるが、何の希望もないよりはマシだった。
なれば、こうしてはいられない。今すぐにすずかに別れを告げ、この家を飛び出そうとした、その時であった。
すずかの携帯電話の着信音が鳴り響いたのだ。すずかは無言でそれを取って、電話相手に相槌を打つ。
「うん……うん、そうだね……大丈夫だよ、うん……うん、わかった、ちょっと待ってね」
電話越しの相手に対し柔らかな微笑みを浮かべたすずかは、すぐに携帯電話を雄介に差し出した。
「ん、俺に?」
「うん、はやてちゃんが代わってって」
今雄介がここに居るのを知って居るのははやてだけだ。
とすれば、雄介に用がある相手というのも、必然的にはやて以外はいなくなる。
そして、この状況を考えるに、きっと何かあったのだと判断した雄介は、すぐに電話を受け取った。
「もしもし、俺だけど」
『あ、雄介君…… ちょっとこれは拙い事になったかもしれへんよ』
「ん? どうした? 何かあったの?」
『すずかちゃんには悟られへんように、何気ない感じで聞いてな?』
「え、ああ、うん、大丈夫」
ちらとすずかを見て、雄介はすぐに意識を電話に戻す。
不安そうに佇むすずかを、今は刺激しない様に、というはやてなりの優しさなのだろう。
『単刀直入に言うで。今、ミックと思われる未確認が、警官隊に囲まれてるらしい』
「……どういう事?」
『テレビ点けたら分かると思うけど、今、臨時ニュースで未確認生命体第3号が海鳴市で暴れとるって話をしてるんよ。
正直、これは拙いよ。これじゃミックは完全に悪者やし、こんだけ人がおったら穏便に済ますのも難しい』
焦慮の所為か、はやてが早口にまくし立てる。
それには具体的な答えなどは返さずに、雄介は何食わぬ顔で問い返した。
「そっか……場所は?」
『詳しい場所はアースラの皆が説明してくれる。ビートチェイサーから連絡入れたらすぐに分かるやろうから』
「うん、わかった、ありがとう……じゃあ俺、行くよ」
『……どうせ雄介君は、止めたかて聞けへんのやろ?』
「うん、まあね。だってさ、嫌じゃない。こんな事の為に、誰かが泣くのって」
電話の向こうで、はやてが小さく嘆息するのが聞こえた。
それは、はやても自分を心配してくれているからだという事くらいは、鈍感な雄介にだって分かる。
だけど、こればかりは止める訳には行かない。俺はクウガで、目の前で女の子が泣いているから。
それだけで戦う理由は十分だし、何よりも、中途半端に関わる様な真似はしたくない。
首を突っ込むなら、最後まで責任を持って関わるというのが、最初に決めた決意でもある。
『今回は今までとは状況が違う。まずミックの行動範囲が広すぎて結界の範囲を絞りにくい上に、
警官隊の皆さんや、避難途中の一般人にマスコミの人間……結界の発動範囲内に、あまりに人が多過ぎるんよ。
発動範囲の絞り込みにしても、一般人全員を転送させるにしても、今回は結界の発動に想像以上に時間がかかる』
「……そっか、わかった。でも、俺がやる事は変わらないよ」
『まぁ……雄介君ならそう言うと思っとったよ。こっちも出来る限りのサポートはするから、無茶はせえへんようにな?』
「うん、大丈夫大丈夫、ありがとうはやてちゃん」
それから雄介は、軽く挨拶を交わして電話を切った。
結界と言う物は、発動時にそれなりの魔力がコストとして掛かる。
それ故に、範囲を広げようとすればそれだけ時間が掛かるし、絞ろうとしても問題がある。
その上、結界範囲内には外に避難させるべき人々が未だ多く密集しているというのだ。
彼ら全員を転送させた上で、ミックと戦っても被害を出さないだけの結界を発動せねばなるまい。
ともすれば、それはやはりそれなりに時間が掛かるらしく、下手をすれば雄介は公衆の面前で戦わねばならぬらしい。
が、だから何だと思う。自分一人の身を晒す事で、少女の笑顔を守れるのであれば、雄介はそんな事を厭おうとは思わない。
元の世界では、未確認生命体第4号として、世間に認知された上で戦っていたのだから、今回だってそれと同じだと思えばいいのだ。
なれば、とにかくすぐに行かねばならない。雄介は携帯電話をすずかに返すと、その頭を撫で、言った。
「待っててね、すずかちゃん。俺達が絶対、ミックを助けて戻って来るから」
二人の間に、それ以上の会話は無かった。
最後に笑顔を向けた雄介は、そのまま踵を返して、走って行く。
すずかがどんな表情でその後ろ姿を見詰めていたのかなど、気にも留めずに。
◆
未確認生命体――。
人知の及ばぬ力や能力を駆使する、人類の天敵。
その生態、目的、あらゆる情報は謎のままである。
だけれども、奴らが人の命を脅かす存在ならば、やる事は決まっている。
今自分に出来る事をして、少しでも被害を抑え、一人でも多くの命を守る事だ。
海鳴の住宅街に停車されたセダンの運転席で、氷川誠は手にした手帳にメモを取って居た。
この日も氷川は、無事助かった子供達の家を回って、聞き込み捜査を繰り返している最中だ。
「やっぱり、子供達はまだ脅えてるか……」
表情に陰りを落として、氷川はメモ帳と向き合う。
未確認生命体第2号の出現からそれなりの時間が経過したが、未だ第2号が倒されたという情報は入ってはいない。
だけど、第2号による小学生連続殺害事件が切欠で、未だに学校に行けない子供達が大勢いるのもまた事実。
このままで良いなどとは、氷川は絶対に思わない。子供たちが学校に行けないのは、とても悲しい事だ。
子供たちは学校で勉強をして、休憩時間には友達と笑い合って、成長して行くものであるのだから。
だから未確認生命体対策班に配属された氷川は、せめて安全なら安全である確証が欲しかった。
子供たちに、もう学校は安全な場所なんだよ、怖くないんだよ、と、教えてあげたかったのだ。
その一心で情報を纏めようとする氷川の耳に入ったのは、コツコツと、ドアを叩く音だった。
ガラス越しに見えるその人物が顔見知りだと知った氷川は、すぐに窓を開ける。
「河野さんじゃないですか、どうしたんですか、こんな所で」
「おう、たまたま近くを通り掛かったんでな、差し入れだ」
言いながらコンビニ袋を渡して来る河野に、氷川は頭を下げて軽く礼を言う。
初老の男の名は河野浩司。氷川もよく世話になっている、捜査一課の刑事だった。
渡された袋の中に入って居たのは近くのパン屋で買ったサンドイッチ。
瞳を輝かせた氷川は、それを頬張りながら問う。
「それにしても珍しいですね。ここは河野さんの管轄外ではないんですか?」
「ああ、まあ、これは俺が勝手に負ってるヤマだからなあ。そう言うお前さんこそ、毎日毎日大変そうじゃないか」
「ええ……ですが、休んでは居られません。子供達には、一日も早く安心して欲しいんです」
真顔で告げる氷川に、河野は感心した様子で頷いた。
河野とて、氷川達未確認生命体対策班が第2号の足取りを追っているという事くらいは知っている。
だからこそ、熱心に聞き込み捜査を続ける氷川を、河野はまるで息子でも見るような目で見詰めた。
それからぼんやりと空を眺めて、河野は自分の分のサンドイッチを頬張って、続ける。
「にしても、この辺もいきなり物騒になったもんだよなあ。何だ、未確認生物……だっけか」
「いえ、未確認生物ではなく、未確認生命体です。UMAと呼ばれるものとはまた別件です」
「ああ、そうだそうだ、その未確認生命体ってのか。いきなりそんな奴らに暴れられても、こっちだって困るってもんだよなあ」
「それはそうですが……奴らは待ってはくれません。また、いつ現れるかも解らないんです」
だから……と続けようとした所で、氷川の言葉は止まった。
ピー、と音を鳴らして、氷川が乗って居た車に搭載された無線機が音を鳴らしたのだ。
何事かと思い覗き込む氷川と河野に、無線機からの指令が伝えられる。
「警視庁から各局、海鳴市内にて未確認生命体第3号が出現したとの通報。付近を警邏中のPCは至急現場に急行せよ」
瞬間、氷川の表情は変わった。
繰り返される警視庁からの応援要請を聞きながら、考える。
ここ数日の間、何事も無かったと思っていた矢先の、新たな未確認だ。
未確認生命体は、子供だろうがお構いなしにその命を奪い、輝かしい未来をも閉ざす。
そんな奴らを、氷川は許せない。理由も無く人を傷つける奴らが、どうしても許せないのだ。
「河野さん、僕は」
「ああ、行くんだろ」
「はい。それが警察官としての義務ですから」
氷川誠の人としての正義感は、良くも悪くも、猪突猛進であった。
こうと決めたら、こう。こうだと決めたら、その道を、突っ走らねば気が済まない。
河野もそれを知っているからこそ、氷川を止めようなどとはせずに、車から離れていった。
「俺も後から自分の車で行く。お前も無茶はするなよ」
「ありがとうございます、河野さん、それではまた!」
その言葉を最後に、氷川はガラスの窓を閉めた。
きっと現場には、この応援要請を聞いた警察官が、大挙して押し寄せるだろう。
警察官の義務とは、人を守る事。それが当然であると信じている氷川は、人の正義感を疑いはしない。
故にこそ、自分と同じ志を持った人間が、未確認にむざむざ殺されるのは、絶対に見過ごせない。
勇敢な同僚達を、何よりも、罪のない人々の命を、一人でも多く助けてやろうと、強く思う。
それが警察官として……否、それ以前に、人として当然の責務だと思うから。
表情を一気に険しくした氷川は、アクセルを踏んで一気に車を走らせる。
次いで、鳴りっぱなしの無線機を引っ掴んで、怒鳴る様に告げた。
「こちら氷川。了解しました、至急現場に向かいます!」
無線機を所定の位置に戻すと、ハンドルを大きく回し、アクセルを踏み込む。
車の通りもまばらな車道を、氷川を乗せたセダンは白線を越えて方向転換した。
パトライトが点灯して、けたたましいサイレンの音を響かせながら、氷川は現場へと急ぐのであった。
最終更新:2011年06月07日 13:34