後に闇の書事件と呼ばれる事件が起きてから、しばらく経ったころ、
「はやてちゃんが意識不明!?」
病院からの電話に、シャマルは呆然となる。金髪を肩のあたりで切りそろえた二十歳くらいの女性だ。受話器を落とさなかったのは僥倖だろう。シャマルはどうにか受話器を置くと、その場に崩れ落ちる。
居間にいて声が聞こえたヴィータ、シグナム、ザフィーラも顔色を変える。
「おい、はやてが一体どうしたんだ?」
「突然、病院で昏睡状態に陥って、原因不明だって・・・・・・」
「魔力の不足か」
シグナムが唇を噛み締める。年はシャマルと同じくらい。髪をポニーテールにした凛々しい雰囲気の女性だ。
手にしたものの願いを叶える闇の書。しかし、莫大な魔力を必要とする闇の書は、魔力の収集を行わなかった彼らの主、八神はやてを確実に蝕んでいる。
進行を抑えるべく、シグナムたちは連日、異界に飛んで魔力を収集しているが、はやての容態は悪化する一方だ。このままでは命にかかわる。
「やっぱり、こんなちんたらしたやり方じゃ、間に合わねぇよ!」
ヴィータが苛立ちまぎれに机を叩く。長い髪を二つの三つ編みにして垂らしている、きつい目つきの少女だ。年は六、七歳か。
はやてが悲しまないように、ヴィータたちは相手の命を奪わず、魔力の元、リンカーコアのみを奪取する方法を取ってきた。しかし、その方法も限界に来ていた。
「落ち着け、ヴィータ。主が悲しまないよう最善を尽くす。それが我らの誓いではないか」
床に伏せていた蒼い狼、ザフィーラがヴィータを諭す。
「でも、このままじゃ、はやてが・・・・・・」
「手がないわけじゃないわ」
シャマルが静かに言った。
「どういうことだ? 詳しく聞かせろ」
「この前、時空のはるか彼方に、膨大な魔力反応を感じた。もし、その魔力を手に入れられれば、はやてちゃんを助けられるかもしれない」
「何だよ。そんな方法があるなら早く言えよ」
ヴィータは胸を撫で下ろした。しかし、シャマルの顔は険しいままだ。
「どうした?」
シグナムが促すと、シャマルは重々しく口を開いた。
「簡単に行ける場所じゃない。たぶん往復だけで丸一日かかる。まして、その先にいるのはこれまで観測したこともない魔力の持ち主。全員でなければ、絶対に負ける。いいえ、全員で行っても勝てるかどうか・・・・・・」
先日襲撃した時空管理局の少女たちも、相当な魔力の持ち主だったが、今回はさらに桁が違う。まるで神か悪魔の居場所でも突き止めたかのようだ。
「相手が誰であろうと関係ない」
シグナムが剣型デバイス、レヴァンティンを取り出す。
「主を救えるなら、たとえ神だろうと悪魔だろうと倒してみせる」
全員が力強く頷く。彼らの心に迷いはない。
彼らの名はヴォルケンリッター。闇の書の守護騎士たちだ。
魔力で作られた道具でしかなかった彼らに、人の心と温もりを教えてくれた八神はやて。彼女を救えるなら、どんな罰だって甘んじて受ける。
「決まりだな」
「こうなると、はやてちゃんが昏睡状態なのは不幸中の幸いかもね」
「ああ、余計な心配をかけずにすむ」
「ならば、一刻も早く出発しよう。そして、一刻も早く戻らねば」
ザフィーラが立ち上がった。その姿が、狼の耳と尻尾を生やした浅黒い肌をした男に変わる。
万が一、目を覚ました時のために、石田医師に伝言を頼む。石田医師からは、こんな時にはやての傍からいなくなるなんてと文句を言われたが、仕事の都合でどうしようもないと押し切った。
「では、行くぞ!」
シグナムの号令の元、騎士服に着替えたヴィータ、シャマル、ザフィーラが転移を始める。
その頃、時空監理局所属アースラ艦内では、
「敵が移動を開始した?」
「はい。座標xに向けて移動中です」
「かなりの距離ね」
「もしかしたら、そこに闇の書があるのでは?」
黒衣の少年、クロノが母親であるリンディ艦長に向けて言う。
「その可能性は高いわね。収集した魔力を主の元に届けるつもりかも。そうなると、なのはさんやフェイトの協力は不可欠ね」
アースラは、なのはたちのいる時空に進路を取った。
ヴィータたちが降り立ったのは、月光が降り注ぐ広い草原だった。
ただし、その場所には無数の化け物が巣食っていた。
「おい!」
狒々(ひひ)や牛、草原を埋め尽くす化け物の群れに、ヴィータが思わず声を上げる。
化け物すべてが桁違いの魔力を放出している。たやすく倒せる相手ではない。
「ほう。面白い獲物がかかったものだ」
化け物たちの中心にいる巨大な牛が渋い重低音で言う。魔力の量から、そいつが親玉なのだろう。
牛が吠えると、その姿が変化していく。牛の角はそのままに、体は虎に、背からは巨大な翼が生えてくる。
「おお、窮奇様が……」
「真の姿を現された」
化け物たちがどよめく。
しかし、シグナムたちを驚愕させたのはそこではない。本性を現すやいなや、化け物から凶悪な魔力が放出されたのだ。
「・・・・・・嘘」
シャマルの足から力が抜け、その場に膝をつく。
「まさか、ここまでとは」
シグナムたちも武器を構えているが、顔から血の気が引いている。話には聞いていたが、まるで神か悪魔のような力だ。闇の書以外でこれだけの力を持った存在がいるなど信じられない。
(今の私たちで勝てるか?)
歴戦の勇士である彼らでさえ、いや、だからこそ勝機のなさを自覚せざるをえない。
窮奇と呼ばれた化け物が喉の奥で笑う。
「見たところ、人間ではないな。なかなか強い力を持っている。貴様らを食えば、この傷も少しは癒えるかな?」
窮奇の首には骨まで達する深い裂傷があった。普通ならとっくに死んでいるような大怪我だ。
「手負いでこの力か」
「おもしれぇ! てめえの力、そっくりいただいてやる」
ヴィータが金槌型デバイス、グラーフアイゼンを振り回して突撃する。
「ふん」
魔力の放射だけで、ヴィータは軽々と弾き飛ばされる。それを合図に一斉に化け物たちが襲ってきた。
主はやての為に不殺を貫いてきた彼らだが、これほど邪悪な存在に手加減する理由はない。
無数の化け物たちを、レヴァンティンが切り伏せ、グラーフアイゼンが叩き潰す。それでも倒して切れない相手をザフィーラが退ける。倒した敵からリンカーコアを摘出しながら、シャマルが傷を負った仲間たちを回復していく。
必死に応戦するが、すべてが手練れの上、数も多い。防戦一方だった。
苦戦する守護騎士たちを、窮奇がいやらしい笑みを浮かべて眺めている。その気になればいつでも始末できるのに、シグナムたちが傷つきもがき苦しむさまを楽しんでいるのだ。
その時、
「万魔拱服!」
轟く声と魔力が、シグナムたちを取り囲む化け物たちを一掃する。
「ちっ!」
思いがけない新たな敵の出現に、窮奇や他の配下たちが逃げていく。
「・・・・・・助かった?」
ヴィータがほっと息をつき、ザフィーラが狼の姿に戻る。
「えっと・・・・・・大丈夫?」
声をかけてきたのは、不思議な服を着た少年だった。赤い古めかしい衣に、長い髪を後頭部でまとめている。その肩には、白いウサギのような獣を乗せている。
「誰だ、てめえ?」
喧嘩腰のヴィータに、少年は答えた。
「俺は安倍昌浩。陰陽師だ」
「ま、半人前だがね。晴明の孫」
「孫言うな!」
肩の獣が茶化すように言う。それに少年は半眼で唸る。
「そのウサギ、喋るのか?」
「うん。ウサギじゃないけどね。物の怪のもっくんって言うんだ」
「俺は物の怪と違う」
「おんみょうじ? もののけ?」
聞いたことのない単語の連続に、ヴィータが胡乱げに眉をひそめる。一方、昌浩も怪訝な表情だ。
「君たちは一体? かなりの霊力を持っているようだけど・・・・・・」
昌浩たちは内裏を炎上させた妖怪を追っていた。妖怪の主を突き止めたと思ったら、変な風体の女たちが戦っていた。状況を飲み込めずとも仕方ない。
シグナムが代表して、前に出た。この世界の常識がわからない以上、この少年を頼りにする他はない。
「私の名はシグナム。この地に来たら、突然、化け物に襲われて困っていたところだ。助けてくれて感謝する。彼女がシャマル。こちらの狼の姿をしているのがザフィーラだ」
シグナムたちは昌浩の見たこともない服装をしていた。特にシグナムの服はすらりと伸びた足が裾から見えて、昌浩は目のやり場に困る。
「し、しぐなむ? しゃまる? ざふ? ……変わった名前だね」
昌浩が舌をかみそうな様子で名前を呼ぶ。ヴィータがそれを鼻で笑う。
「はっ! てめえの名前だって変わってるだろうが。昌浩だっけか?」
「こら、名前は一番身近い呪なんだよ。馬鹿にしちゃいけない。それで、君の名前は?」
「ヴィータだ」
「びた? なんか濡れ雑巾が落ちたような名前だね」
「てめえ! 言ってることが違うじゃねぇか!」
カッとなったヴィータがつかみかかろうとするのを、シグナムが押しとどめる。
「すまない。われわれはここに着たばかりで、勝手がわからないのだ。出来れば説明してもらえると助ける」
「うーん。どうしようか、もっくん」
「さてな。晴明に聞いてみたらどうだ?」
「構わんよ。家に来てもらいなさい」
突然の声に、昌浩たちはぎょっとなる。
振り返ると、白い衣をまとった長身の青年が、穏やかな笑みをたたえて立っていた。
「せ、晴明!」
「え? あれ、じい様なの?」
もっくんと昌浩が目を丸くする。
「遠方より客来ると占いに出ていたが、いやはや、ここまで特殊とは。この晴明も恐れ入った」
晴明は意味ありげに笑みを浮かべる。
「では、私は客をもてなす用意をする。昌浩、案内は任せたぞ」
それだけ告げると、晴明は風のように姿を消す。
「じゃあ、ついてきて」
シグナムたちは昌浩に連れられて、彼の家に向かった。時刻が遅いせいか、それとも文明がそれほど進んでいないのか、明かりの類はほとんどない。月と星の光だけが木造の家屋を照らしている。
「似てる」
道中、町並みを見渡していたシャマルがポツリと呟く。それにシグナムが反応した。
「似てる? 何にだ?」
「この道なんだけど、前にテレビで見た京都のものとそっくり」
「言われてみれば、昌浩殿の服装も時代劇に出てきたものによく似ているな」
「何だよ。タイムスリップしたとでも言いたいのか?」
ヴィータが目を細める。
「よく似た別世界なのだろうが、その可能性もある。思い込みは危険だが、手がかりがあるのはありがたい」
昌浩は裏表のない性格のようだが、後から出てきたあの青年はどうも油断がならない。下手をすると、奴にいいように使われてしまう危険があった。自分たちの判断材料が欲しい。
やがて昌浩の家にたどり着いた。木造で一階しかないが、敷地面積が半端ではない。その広さにヴィータは唖然となった。
「お前、もしかしてすごい金持ちなのか?」
「違うよ。家が広いだけ。俺の家より広くて豪華な家なんて、たくさんある」
昌浩が苦笑する。
一行は家に入り、廊下を進む。しかし、進むにつれて、昌浩の顔が険しくなっていく。
「どうした?」
「別に。ここだよ。じい様入ります」
シグナムたちは奥にある一室に入った。そこには灯火の光に照らされて、顔に深いしわの刻まれた白髪の老人が座っていた。
てっきりあの青年が出迎えると思っていたシグナムたちは拍子抜けした。
「誰だよ。この爺は」
「さっき会った人だよ。俺のじい様」
昌浩がヴィータに憮然と告げる。
「馬鹿いうな。ぜんぜん違うじゃねえか」
「つまりこういうことじゃよ」
老人が目を閉じると、その体からあの青年が浮かび出てくる。
「これは離魂の術といってな、魂だけを遠くに飛ばす術じゃ。魂の姿だから、わしの全盛期の姿になれる」
シグナムは愕然とした。こんな魔法は知らないし、それを行うのにどれだけの魔力を使うか、見当もつかない。
(もし、この老人から魔力を奪えれば・・・・・・)
シグナムの手がピクリと動いた。
その瞬間、夜色の外套をまとった男が突然現れた。
「うわっ。どっから現れた!?」
男は無言でシグナムに視線を送る。あの刹那に漏れた殺気を感じ取られたらしい。
「六合(りくごう)。下がりなさい」
晴明に言われて、外套の男は姿を消す。
「失礼。彼らは十二神将といって、わしの式神・・・・・・・そうさな、そなたたちと同じような存在といえば、お分かりかな」
老人は手にした扇をシグナムたちに向けてにやりと笑う。
(我ら守護騎士と同じ……つまり人ではないということか)
どうやら正体をほぼ看破されているらしい。ますます油断がならないと気を引き締める。
「彼らは隠形(おんぎょう)といって、あのように姿を自在に消せる」
「便利なものだな」
「えっ? 人じゃないの?」
昌浩が驚いて、まじまじとヴィータたちを見つめる。
「じろじろ見るんじゃねぇ」
ヴィータが昌浩の足を踏みつける。足を抑えて飛び跳ねる昌浩を、晴明が大げさなしぐさで嘆く。
「おお、昌浩よ。そんなことにも気がつかないとは」
「そりゃ、衣装は変わってるなとは思いましたけど、だって人間と寸分違わないじゃないですか」
ザフィーラが普通の動物ではないことはわかっていたが、他は人間だと信じ込んでいた。
「己の未熟を棚に上げて、言い訳とは。わしの教えが悪かったのか。じい様は悲しいぞ」
「はいはい。すいませんでした!」
昌浩が不機嫌に怒鳴る。晴明はわざとらしい泣き真似をやめると、シグナムたちに向き直った。
「では、そちらの事情からお話いただけるかな?」
シグナムは慎重に言葉を選びながら説明した。こちらが人間ではないとわかっているなら、都合がいい。主が命の危機にあり、救うためには大量の魔力がいる。闇の書や詳しい話は省いたが、嘘は言っていない。
相手は百戦錬磨の狸爺だ。下手な嘘はすぐに見抜かれるだろう。
「魔力?」
昌浩が疑問を口にする。それにはむしろシグナムが困惑した。
「昌浩殿もあの化け物たちも使っていたではないか」
「ああ、霊力のことか。化け物が使っていたのは、妖力だけど」
「どうやら、こいつらはすべて一括りに魔力と呼んでいるようだな」
もっくんが納得したように頷く。
シグナムは話を元に戻した。
「あの窮奇とかいう化け物の魔力を奪えれば、主は助かるかもしれない」
「なるほど。窮奇か。大陸から渡ってきた妖怪。それもかなりの大物だな」
「こちらの事情は説明した。次はそちらの番だ」
晴明の話は聞いたことのない単語が多く、シグナムたちは理解に苦労した。
ようするに、晴明はこの国の政府の要職にあり、その政府で一番偉い人の娘があの化け物に命を狙われている。それを退治しようとしているのが、晴明と昌浩だった。実際に動いているのは昌浩だが。
「窮奇の目的は力のあるものを喰らって、傷を癒すこと。かの大妖怪が完全な状態になれば、どんな災厄を招くか。我々の目的はどうやら同じのようだ。協力していただけませんかな?」
晴明が提案する。
シグナムたちはすばやく視線で意見を交わす。窮奇を退治するには、自分たちだけでは心もとない。晴明も昌浩もあの十二神将もかなりの実力者だ。これだけ心強い援軍を得られるなら、願ってもない。
「こちらからもぜひお願いする」
(それにもし化け物退治に失敗しても、彼らの魔力を奪うという選択肢もできるしな)
シグナムの心に苦いものが広がる。そんな裏切りをすれば、主はやてはきっと悲しむだろう。だが、彼女を救う手が他にないのであれば、シグナムはその手を汚すことにためらいはない。
「決まりですな。では、今夜は我が家に泊まるといい。私の客人ということで、部屋は用意してあります。それにその衣装も目立ちすぎますな。代わりの物を用意しましょう。それと気をつけていただきたいのですが、ここでは妙齢の女性が素顔をさらして歩くことはあまりない。出歩く時はそれを忘れないで下され」
「わかりました。何から何まで世話になって申し訳ない」
シグナムが頭を下げる。ますます古い日本の風習にそっくりだ。それを参考に行動すれば、そこまで問題はなさそうだ。
「いえいえ。お安い御用ですぞ。では、今宵はこれまでということで」
シグナムたちは別の部屋に案内された。そこにはすでに三人分の布団が敷いてあった。薄い衣を重ねて掛け布団にしている。さすがにザフィーラの分はないようだ。
ヴィータとシャマルは横になると、すぐに寝入ってしまった。
疲れていたのだろう。特にシャマルは本来後方支援なのに、前線で戦ったのだ。無理もない。
今日だけで闇の書のページがかなり埋まった。窮奇を倒せば、もしかしたら、闇の書の完成すら夢ではないかもしれない。
晴明が裏切るとは思えないが、念のため、シグナムとザフィーラが交代で見張りにつく。
夜は静かにふけて行った。
最終更新:2012年06月07日 22:23