早朝、シグナムは起きると、庭に出て稽古にいそしんでいた。
 背後にかすかだが気配を感じる。本当に些細な気配だが、覚えがある。昨夜の十二神将だろう。
(私の監視といったところか)
 昨日、殺気が漏れたのは失敗だった。要注意人物になってしまったらしい。
「確か六合殿と言ったかな?」
 声をかけると、六合が姿を現す。夜色の外套に、顔には黒い痣のような模様がある。
「もしよければ稽古に付き合ってもらえないか?」
 六合は無言で頷く。もし戦うことになったら、手の内を知っていたほうがやりやすい。互いの利害は一致している。
 六合の左腕の銀の腕輪が、長槍に変じる。その構えには一部の隙もない。
「ほう。これは面白くなりそうだ」
 シグナムのレヴァンティンと六合の槍の先端が触れる。それを合図に激しい打ち合いが始まった。

「見て見て、シグナム!」
 シャマルがはしゃいだ声で近寄ってくる。シグナムも六合も互いの武器を収める。
「こんな素敵な衣見たことない!」
 シャマルは色鮮やかな衣を何枚も重ね着していた。動きにくそうだが、とても美しい。はしゃぐのも無理からぬことだろう。
「ああ、よく似合っている」
「って、二人して何してたの?」
 シャマルは二人の様子に首をかしげる。
 六合もシグナムも息を切らして、顔から大量の汗が流れ落ちている。
「いや、六合殿に稽古に付き合ってもらっていたのだ」
「稽古?」
 シャマルはますます首をかしげた。二人はどう見ても全力の試合の後だ。
「いや、あまりに楽しくてな。つい時間を忘れてしまった」
 シグナムは朗らかな顔で笑った。
 単純な強さだけなら、昨日の化け物のほうがはるかに上だろう。先日戦ったフェイトもスピードは素晴らしかったが、剣の腕前ではシグナムに分がある。
 剣の技量だけで自分と互角に戦えるものと出会ったのは、初めてかもしれない。
「・・・・・・シグナム」
 シャマルが半眼でつぶやく。
 相手の手の内を探り、いざというときに備えるはずが、相手を好敵手として気に入ってしまった。これでは高潔なシグナムが裏切りなどという卑劣な真似をできるはずがない。
「だ、大丈夫だ。使命は忘れていない」
 シグナムは必死に弁解するが、その慌て振りが自分の言葉を裏切っている。
「そ、それにあの化け物を退治すればいい。それで万事解決だ」
「本当にバトルマニアなんだから」
 シグナムは強引に自分を納得させると、六合に向き直った。
「さて、続きをしようか」
 その顔は、まるでお気に入りのおもちゃを見つけた子供のような、明るい笑顔だった。付き合いの長いシャマルも初めて見る表情だ。
 六合は無言で頷く。その顔がいささかげんなりとしているのを、シャマルは見逃さなかった。

「動きにくい。わかりにくい。動きにくい」
 ヴィータは不機嫌な顔で家の中をうろうろしていた。シャマルに無理やり着せられた着物が、足にまとわりついて歩きにくいことこの上ない。しかも昌浩の家の中は、広くてややこしく迷子になっていた。
「どうしたの?」
 部屋から出てきた昌浩と出くわす。
「何でもねーよ。てめえこそどうしたんだよ」
 昌浩は髪を結い上げ、黒く長い烏帽子をかぶっている。おそらくこれが彼の正装なのだろう。
「俺はこれから仕事。陰陽寮に出仕しないと」
「仕事~?」
 ヴィータは眉をひそめた。目の前の少年はどう見ても、はやてより少し年上くらいだ。それが仕事に行くのは奇妙に思えた。それとも子供っぽいだけで、実年齢はもっと上なのか。
「お前、いくつだよ」
「十三歳」
「おもいっきし子供じゃねえか!」
「こら。俺はこれでも元服を終えた立派な大人なんだよ」
 昌浩の台詞にもっくんが半眼になる。
「半人前のくせにえばるな。晴明の孫」
「孫言うな」
 言い合いを始める昌浩ともっくんをヴィータはじっと見つめた。おもに肩に乗っているもっくんを。
「どうしたの、びたちゃん?」
「違う! 人を勉強も運動もできない小学生みたいに言うな! ヴィータだ、ヴィータ!」
「ご、ごめん。まだ慣れなくて。それでもっくんがどうかした?」
「もっくん言うな」
 文句を言う物の怪を、昌浩は無視する。
「よかったら、触ってみる? もふもふして気持ちいいよ。温かいし」
「おい、本人の承諾も得ずに勝手に話を進めるな」
「ふ、ふん。別にいいよ」
 ヴィータはそっぽを向いた。しかし、ちらちらともっくんを見ているので、触りたいのが丸わかりだ。
「はい」
 昌浩は笑顔を浮かべて、もっくんを差し出す。
「へっ。仕方ないな。どうしてもって言うなら、触ってやる」
「だから、俺は承知しとらんと言うのに」
 もっくんの文句は再び無視された。
 ヴィータがおずおずと物の怪に触れる。物の怪はされるがままになっている。
 なめらかな手触りに、ぎゅっと抱きしめると適度に柔らかく温かい。その抱き心地のよさにヴィータの顔がほころぶ。
「あ、ありがとう。昌浩」
 思わず素直に礼を言ってしまい、ヴィータの顔が赤くなる。それを見られまいとうつむくと、頭を優しく撫でられた。
「触りたくなったら、いつでも言ってね」
「…………お前は気安く触るなー!」
 ヴィータの拳が昌浩の鳩尾に突き刺さる。うずくまる昌浩を尻目に、ヴィータはどすどすと足音を立てながら歩いて行った。
(あいつ、むかつくな)
 どうも誰かに似ている気がする。それがヴィータの心を波立たせるのだ。しばし考えたが、誰に似ているのか答えは出なかった。

 朝食の席で、ヴォルケンリッターたちは昌浩の両親に挨拶をした。扱いは晴明の客人ということになっている。
 どう考えても怪しいが、晴明の客人ということで、昌浩の両親は無理やり納得したようだった。
 朝食を終えると、昌浩と父親はすぐに仕事に行った。
 それを見届けると、シグナムたちはあてがわれた部屋に集まる。
「はやての作るご飯が懐かしいぜ」
 ヴィータが遠い目で呟いた。焼いた魚やご飯など、食事自体は悪くなかったのだが、全体的に薄味で淡白な物しかないのだ。特に砂糖がないので、甘いものは皆無だった。
「アイス。ケーキ」
「言わないで。私まで恋しくなる」
 シャマルも悲しそうだった。早く目的を遂げないと二人がホームシックにかかりそうだった。
 シグナムは強引に話を進めることにした。シグナムも朝食の前に、この世界の服装に着替えている。
「とにかく窮奇の居場所を突き止めなければ。シャマル、探索は?」
「今朝からやってるけど、この町にはいないと思う。魔力の痕跡を追っても、途中でぷっつり切れちゃってるの。 あれだけの魔力を持っているのに、隠れることがすごく上手いみたい」
「たちが悪いな」
 シグナムが唇を噛みしめる。しかし、十二神将も隠形を会得している。同じ世界にいる窮奇も会得していたとしても不思議ではない。あれを使われては、よほど近くにいない限り、シャマルの探索にも引っかからないだろう。
「一応、探索は続けてくれ。後は我々が地道に探すしかないか」
「でも、この世界の女は顔をさらしちゃいけないんだろ。外に出られないぞ」
 それでなくとも、まだこの世界の常識を知らないのだ。自分たちだけで町を歩くのは危険だ。
「私が行こう」
 のっそりと狼の姿のザフィーラが立ちあがる。
 シグナムたちは気まずげに視線を交わした。
「どうした? 犬の振りをすれば怪しまれないと思うのだが」
「いや、こんなでかい犬が一匹で歩いてたら、大騒ぎになるだろう」
「……ならばこちらなら」
 ザフィーラが人間の姿に化ける。シグナムたちはますます難しい顔になる。
「耳と尻尾が生えた人間って、もっと駄目だろう」
「うむ。狼の姿以上に大騒ぎになるな」
 ザフィーラは狼の姿に戻って座り込んだ。心なしか寂しげな表情を浮かべている。
 あの隠形と言う魔法を本気で学びたくなってくる。
「やっぱり晴明さんの協力を仰ぐべきじゃないからしら?」
「これ以上、あの老人を頼りたくないのだが」
 借りを作ったら最後、どんな方法で返せと言われるかわかったものではない。出会った翌日にして、晴明の印象は最悪だった。昌浩が信用できる人柄なだけに、腹に一物ある晴明が際立って悪く見える。
 今だってかすかに視線を感じる。恐らく十二神将の誰かが監視をしているのだろう。
 こちらのこともどれだけ知っているか、わかったものではない。本当に食えない爺だ。
「やっぱり昌浩が帰ってきてから、夜、一緒に探すしかないか」
 ヴィータが片膝を立てながら言った。それに妖怪は夜行性と聞く。昼間に探しても見つけられる可能性は低いだろう。
「それしかないか。シャマルは昌浩殿の母上から、なるべく情報を収集してくれ」
「わかったわ」
 シグナムに言われ、シャマルが昌浩の母親の元に向かう。家事手伝いをしながら、この世界の常識を学んでいくのだ。
「わたしたちは?」
「特にすることはないな。体がなまらないよう、気をつけていてくれ」
 シグナムがいそいそと立ちあがる。それと同時に騎士服を装着する。六合と稽古の続きをやるのだろう。
「まったくバトルマニアはいいよな」
 ヴィータはとことん憂鬱になる。ヴィータとて戦いが嫌いなわけではないが、さすがに一日中武器を振りまわしていたいとは思わない。ゲームもないこの世界では、時間をどう潰していいかわからない。
「ザフィーラ、ゲートボールでもやるか?」
「いや。おとなしくしていよう」
「そっか」
 ヴィータは一人で庭に出た。そこに昌浩より少し年下らしい黒髪の少年が立っていた。放たれる魔力から、ヴィータはそれが十二神将であると悟った。
「お前は?」
「十二神将、玄武だ。晴明より、お前の暇つぶしに付き合ってやれと指示された」
 玄武が淡々と言った。
 どうも子供扱いされている気がしてむかつくが、相手がいないよりはましだ。
「お前、ゲートボールってやったことあるか?」

 夕刻、昌浩は仕事を終えて帰路についていた。
「しかし、昌浩や、本当にあいつらを信用していいのか?」
「どうして? 悪い人じゃなさそうだよ?」
「それはそうかもしれんが……」
 純粋な眼差しで言われると、もっくんは反論できない。
 昌浩は新しい家族が増えたようで嬉しかった。特にヴィータは、末っ子の昌浩にとって、初めての妹同然だ。少々口が悪いのが難点だが。
「ただいま」
 昌浩が玄関をくぐると、そこには信じられない光景が広がっていた。
 まるで全力疾走の後のように息を切らした六合とシグナム。
 無言で、柄の長い金槌のような不思議な道具を使って、球転がしをしているヴィータとよく知らない十二神将。
 台所では、夕食の用意をしながら、シャマルと母がまるで旧知の仲のように談笑していた。
 昌浩に気がつくと、ヴィータがまなじりを釣り上げて迫ってきた。
「遅い!」
「ええ!?」
「もっと早く帰ってこれねぇのか!?」
「無茶言わないでよ。退出時間は決まってるんだから。これより早くは帰れないよ」
「言い訳するな!」
「はい!」
 ヴィータの剣幕に、昌浩は背筋を伸ばす。
 ヴィータが不機嫌なのには理由があった。玄武とゲートボールに興じていたのだが、玄武は勝っても負けても無反応で、退屈この上なかったのだ。
「おし、あの化け物を探しに行くぞ!」
「みんな、ご飯よー」
 気の抜けたシャマルの声が、ヴィータの気勢をそぐ。
「お、ま、え、はー!」
「まあまあ、腹が減っては戦はできぬっていうし」
 昌浩が必死になだめる。その時、ヴィータの腹の虫が盛大な音を立てた。
「ほらね」
「笑ってんじゃねぇ!」
 ヴィータの拳が昌浩の顎に炸裂する。
「ほら、さっさと飯にするぞ」
 ヴィータがすたすたと歩いて行ってしまう。
「……なんか俺、今朝から殴られてばっかりだ」
「いろいろ大変だな。晴明の孫」
「孫言うな」
 痛みに呻いていても、いつものやり取りは忘れない昌浩ともっくんだった。

 その頃、都の外れの草原に、なのは、フェイト、クロノの三人が降り立った。
「ここにヴォルケンリッターがいるんだよね?」
「間違いない」
 白いバリアジャケットを着た、なのはの問いに、クロノが静かに答える。目の前には古めかしい町並みが広がっている。ヴォルケンリッターの主を見つけ出し、捕まえなければならない。
「行くぞ」
 クロノが一歩踏み出す。
 その瞬間、虚空から突然人間が現れた。青い髪をした青年に、筋骨隆々とした壮年の男。それに五歳くらいの少女だ。
「何者だ!」
 クロノたちはそれぞれデバイスを構える。そこにオペレーターのエイミィから通信が届く。
『気をつけて。分析したところ、そいつら守護騎士に限りなく近い存在みたい』
「奴らの仲間か」
 クロノは顔をしかめる。まさかまだ仲間がいるとは思わなかった。それとも集めた魔力で新たに作り出したのか。
「我らの主から、貴様らに伝言がある」
 青い髪の青年が声を張り上げる。彼らは十二神将だった。青い髪の青年が青龍、筋骨隆々としているのが白虎、それに女の子が太陰だ。ここに来たのは晴明の指示だ。
「“ここはひいてくれ”以上だ」
「ふざけるな。それだけでおめおめ帰れるものか!」
 クロノが怒鳴る。今はっきりと主と言った。つまり闇の書の主はここにいるのだ。絶対に逃がしはしない。
「ならば、力ずくだ!」
 青龍が青い光弾を放つ。
 クロノたちはとっさに飛行して回避する。
「ほう」
「ちょっと、青龍。相手が人間だったら、どうするのよ」
 太陰が苦言を呈する。十二神将には人間を傷つけてはならないという掟があるのだ。
「はっ。足から翼を生やして、空を飛ぶ人間などいるものか。間違いなく妖怪だ」
「今なんか失礼なこと言われなかった?」
 なのはが若干涙目で言った。
「覚悟!」
 青龍が信じられない跳躍力で、なのはに肉薄する。
「ひっ」
 鋭い眼光に、鬼気迫る表情、全身から放射される殺気に、なのはの体がすくむ。
「なのは!」
「お前の相手はこっちだ」
 なのはの援護に向かおうとしたフェイトの前に、白虎が立ちふさがる。掘りの深い顔立ちに、たくましい体躯。まるで筋肉の軋む音が聞こえてきそうだ。白狐は険しい顔のまま、鋭い風の刃を放つ。
 咄嗟に回避するが、白虎は執拗に攻撃を繰り出す。
「フェイト!」
「行かせない!」
 クロノの前には太陰が立ち塞がった。クロノの魔法を、素早い動きでことごとく避けていく。太陰が放つ竜巻を、クロノはどうにかバリアで防ぐ。
 戦いはこう着状態だった。お互いに決定打を繰り出せない。
「なのは、フェイト、撤退だ!」
 不利を悟ったクロノが撤退を指示する。
青龍たちは、それ以上追撃してこなかった。

 アースラに戻ったなのはたちを、リンディ艦長が出迎える。
「お帰りなさい。随分苦戦したみたいね」
「すみません」
 クロノは素直に頭を下げる。あんな幼子に翻弄されて、クロノの自尊心はいささか傷ついていた。あまりに幼い容姿なので全力で攻撃できなかったのだが、そんなものは言いわけにならない。
「ですが、こちらの思わぬ弱点が発覚しました」
 クロノは、なのはたちを振りかえる。
 なのはたちは若干青ざめた表情で立っていた。
「二人とも、どうしたの?」
 リンディは心配そうに二人に駆け寄る。これまで二人がこんな様子になったことはない。
「つまり、こういうことです」
 クロノがディスプレイに青龍と白虎の顔をアップで映す。
「「ひっ!」」
 なのはとフェイトが怯えた顔で抱き合う。
 ディスプレイを消してクロノはゆっくりと言った。
「どうやら二人は怒った大人の男性に弱いようです」
「へっ?」
 リンディは思わず間の抜けた声を出してしまった。
 なのはの父と兄は普段は温厚で、滅多に怒らない。怒る時は怖いのだが、いい子のなのはが怒られたことは、これまで数えるほどだ。
 そして、フェイトは母親やアルフなど、生まれてから、大人の男性と接したことがほとんどない。クロノやユーノでは子供すぎる。険しい顔のおっさんと向かい合ったことなど皆無だろう。
「なるほど。二人とも耐性がなかったのね」
 リンディが苦笑いを浮かべる。
 もしあの戦いで、なのはやフェイトが全力を出せていれば、勝ち目はあっただろう。攻撃力ではこちらに分があるし、あの青い髪の青年は空が飛べないようだった。しかし、完全に委縮してしまっているあの状態では、半分の力も出せるかどうか。
「相手がどこまで考えてあいつらを投入してきたかわかりませんが、状況はかなり厳しいです」
 こういった苦手意識は一日や二日で克服できるものではない。徐々に慣れていくしかないのだ。
 しかし、クロノ一人でヴォルケンリッターすべてを相手に出来るとも思えない。頭の痛い問題だった。
「だ、大丈夫なの。今度は我慢する」
「そ、そうだよ。私たちなら大丈夫」
 なのはとフェイトが拳を握って勢い込む。
 クロノが再びディスプレイを映す。
「「ひっ!!」」
「……今度はアルフとユーノを連れて行った方がいいかな」
 怯える二人を見ながら、クロノは静かに溜息をついた。

 夜警に出かけた昌浩たちは、とりあえず窮奇が逃げて行った方角に向かうことにした。シャマルは家に残ってみんなの支援をすることになっている。
 窮奇が町の中にはいないのは間違いないので、かなり遠くまで行かないとといけない。
「そう言えば、君の髪飾り面白いね。ちょっともっくんに似てるかも」
 道すがら、昌浩がそっとヴィータの帽子についているウサギの飾りに手を伸ばした。
「触るな!」
 パンッと乾いた音がして、ヴィータが昌浩の手を弾く。
 よほど強い力で叩かれたのか、昌浩の手が軽く腫れている。さすがにやり過ぎたと、ヴィータはばつが悪くなる。
「ごめん」
 しかし、謝ったのは昌浩の方だった。
「なんで謝るんだよ?」
「きっと大事な人からの贈り物なんでしょう? わかるよ。俺にもそういうのあるから」
 昌浩は胸元を握りしめた。そこには匂い袋がぶら下がっている。
 昌浩は場の空気を変えるように明るい声を出した。
「それにしても、町の外となると行くのが大変だね」
「おい」
 歩みを続ける昌浩の服の裾を、ヴィータがつかむ。
「何?」
「どうして飛んでいかない?」
「……だって、俺、飛べないから」
「ふざけんな! あんだけの魔力持ってて飛べないって、どういうことだよ!?」
「いや、俺人間だし、普通は飛べないって」
「んなわけあるかー!」
 ヴィータの絶叫が夜の町に轟く。
「落ち着け。近所迷惑だ」
 シグナムがそっとヴィータの肩に手を置く。
「この世界ではそれが常識なんだろう。ならば、我々が配慮すればいいことだ」
 シグナムがぐいと昌浩を抱き寄せる。体のあちこちに触れる柔らかい感触に、昌浩の顔は真っ赤に染まる。
「シ、シグナム!?」
「喋ると舌をかむぞ」
 シグナムの体がふわりと宙に浮く。そのままぐんぐんと高度を上げ、町並みが足元のはるか下に広がる。
「へぇー。都って上から見るとこんな感じなんだ」
 昌浩が感嘆したように呟く。
「おい、何赤くなってやがる」
 ヴィータが同じ高度まで上昇しながら軽蔑するように言った。隣ではザフィーラも宙に浮いている。
「だ、だって、こんな……」
「おー。おー。一人前に赤くなって。こうして人は大人になっていくんだなぁ」
「もっくん、うるさい。それにしても、みんな飛べるんだ。すごいね」
 晴明とて飛行の術は知らないはずだ。十二神将でも飛べるのはごく一部だろう。それができるシグナムたちを昌浩は素直に称賛した。
「私たちにしてみれば、魔力さえあれば、そこまで難しい魔法ではないのだがな。では、このまま探索を続けよう」
 その日は窮奇の足取りはつかめなかった。しかし、町の中を暴走していた車の妖を見つけ、昌浩はそれを自分の式にした。仲間が増えた上に、空の散歩を楽しめて、昌浩はご満悦だった。

 窮奇の手がかりがつかめないまま、数日が過ぎた。
 時折、窮奇配下の妖怪とは出会うが、敵は決して口を割らない。
 ヴィータたちの焦りは日に日に高まっていく。こうしている今も、はやての命は危ぶまれているのだ。
 それは昌浩も同様だった。時間をかければかけるほど、窮奇に狙われている娘の命が危ない。
 昌浩は地上から、空からヴィータ、シグナム、ザフィーラが散開して捜索を行っているのだが、それでも結果は芳しくなかった。
 そんなある日、いつものように夜警に出た昌浩たちだったが、シグナムが不意に固い声で言った。
「尾行されているな」
「まさか窮奇の仲間?」
「いや。尾行のしかたが素人だ。おそらく人間だろう」
 昌浩たちは路地の角を曲がると、追跡者を待ち伏せた。やがて人影がきょろきょろと周囲を窺いながら現れる。
 その時、風が吹いた。馴染んだ香りが昌浩の鼻孔をくすぐる。
「観念しろー!」
「ちょっと待ったー!!」
 不審者を取り押さえようするヴィータを、昌浩が押しとどめる。
「あっ。昌浩、そこにいたんだ」
 人影が朗らかにそう言った。
「どうしてここにいるんだよ、彰子!」
 月明かりが人影を照らす。そこには見るからに上等な着物を着た、長い髪の少女が立っていた。年齢は昌浩と同じくらい。ただ立っているだけなのに、振舞いに優雅さがある。
「誰だ?」
「藤原彰子。左大臣……ええと、この国で一番偉い大臣の娘で、この子が窮奇に狙われているんだ」
 シグナムの疑問に昌浩が答えた。
「なるほど。どうりで優雅なわけだ」
「昌浩、この方たちは?」
「ええと、協力者というか、仲間というか……」
 昌浩が今度は彰子の疑問に答える。
「初めまして。私はシグナム。しかし、狙われているのに出歩くとは感心しないな」
 彰子の住む所には晴明が直々に結界を張っている。そこにいる限り、窮奇とておいそれと手が出せないはずなのだ。
「そうだよ。彰子。早く帰った方がいい」
「嫌よ。私だって昌浩の役に立ちたいわ」
 口喧嘩を始める昌浩と彰子から、もっくんは距離を取る。その背をむんずとヴィータがつかんだ。
「もっくん。あいつらどういう関係だ?」
「もっくん言うな……一口に説明すると難しいが、昌浩の大事な人……かな?」
「大事な人?」
「お前も見たことあるだろう。昌浩が首から下げている匂い袋。あれは彰子が贈ったものだ」
「なるほどね」
 昌浩が以前、大事そうに胸元を握りしめていたことを思い出す。そこに匂い袋があることをヴィータが知ったのは、それからすぐのことだった。
「へっ。色気づきやがって。これだからませガキは」
「おい。手に力を込め過ぎだ。痛いぞ」
「ヴィータ!」
 ザフィーラが注意を促す。
 咄嗟にとびのくと、さっきまでヴィータがいた地面を鋭い爪が抉った。
「誰だ!」
 全員が瞬時に戦闘態勢に移る。
 月を背にして、人間ほどの大きさの鳥が翼を広げていた。鳥妖、シュン。窮奇配下の中でも屈指の実力者だ。
「窮奇様の邪魔をする愚か者ども。この場で朽ち果てるがよいわ!」
 シュンの声を合図に広がった結界が、昌浩たちを飲み込む。
 周囲の光景は変わらないが、虫の声やかすかな人の気配が途絶える。異界に引きずり込まれたのだ。
 民家の屋根や道の向こうから妖怪たちが続々と姿を現す。完全に囲まれている。
 もっくんがヴィータの手を振りほどくと、シュンと正面から向き合う。
「こちらも連日の捜索に飽き飽きしていたところだ。貴様をひっとらえて、主の元まで案内してもらおう。幸い、ここなら全力を出しても問題なさそうだしな」
「もっくん?」
 ヴィータが声をかけると、もっくんは凶暴な笑みを浮かべた。
「ちょうどいい。お前たちにも俺の真の姿を見せておこう」
 真紅の炎がもっくんから立ち上る。
 炎をかき分けて長身の青年が現れる。
 ざんばら髪に褐色の肌。仏像のような衣をまとっている。放たれる魔力は凄絶にして苛烈。これまでヴィータたちが会ったどの十二神将よりも強い。
「紅蓮!」
 昌浩がもっくんのもう一つの名を叫ぶ。
 紅蓮。またの名を騰(とう)蛇(だ)。地獄の業火を操り、あらゆるものを焼き尽くす十二神将最強にして最凶の存在だ。
「こいつもザフィーラと同じかよ」
 紅蓮の全身から、炎で形作られた蛇が無数に放たれる。蛇は妖怪たちを飲み込んで次々に焼きつくす。
「昌浩、彰子がいないぞ」
 ザフィーラが緊迫した声で言った。
「しまった!」
 最初に結界を張った時、彰子だけ中に入れなかったのだろう。昌浩たちを足止めしている隙に、彰子をさらう計画だったのだ。
「シャマル! 彰子殿の居場所はつかんでいるか?」
 シグナムが叫んだ。
『大丈夫。敵は鳥型の妖怪一匹だけよ。でも、すごい勢いで町から出ようとしている』
「シグナム。この異界から脱出はできるか?」
 紅蓮が攻撃の手を緩めることなく聞いた。
「可能だ」
 転移魔法を使えば、どうにかなるだろう。
「しかし、転移するには少し時間がかかる」
「ならば、昌浩とお前たちは彰子を追ってくれ。その時間は俺が稼ぐ」
 一人で大丈夫かと、喉まで出かかった言葉をシグナムは飲み込む。紅蓮の顔は自信に満ち溢れていた。
 転移に入ったシグナムたちに、妖怪たちが一斉に襲い掛かる。
「行かせない!」
 吹きあがる炎の壁が妖怪たちを阻む。
「邪魔はさせん!」
 壁と蛇の間隙を縫って、シュンが爪を振りかざす。
「紅蓮!」
 紅蓮の手が燃え上がり、赤い槍が出現する。
「行け!」
シュンの爪を紅蓮が槍で受け止める。
次の瞬間、昌浩たちは元の世界へと転移していた。

「ふふ。消えぬ傷。癒えぬ傷。これが獲物の刻印よ。窮奇様もさぞお喜びになろう」
彰子をつかんだまま飛びながら、鳥妖、ガクが微笑む。
「それはどうかな?」
 声と同時に、ガクを取り囲むように魔法陣が発生する。その中からシグナム、ヴィータ、ザフィーラが現れた。
『転送成功』
 シャマルが勝ち誇った声で言う。
「おい、重いぞ」
「だって、しょうがないじゃない」
 ヴィータが不機嫌に言う。その背には昌浩がしがみついていた。転移した時、昌浩はヴィータと一緒に飛ばされたのだ。
「ええい、邪魔をするな!」
 ガクの魔力が炸裂する。その隙に、ガクは包囲網を抜けだそうとする。
「アイゼン!」
「レヴァンティン!」
 ヴィータが鉄球を打ち出す。鉄球は鳥の足に当たり、彰子を取り落とさせる。
 続いて、鞭のように伸びたレヴァンティンがガクを切り裂く。
「彰子!」
「任せろ!」
 落ちていく彰子を、ザフィーラが抱き止める。
「気を失っているだけだ。命の心配はない」
 彰子の様子を確認し、ザフィーラが告げる。昌浩は安堵した。
「しかし、今回は大きな手掛かりを得られたな」
 シグナムが鋭い目で、ガクの向かった方角を睨む。
「窮奇は間違いなく北にいる」
「おい、北には何があるんだ?」
「そうだな……貴船山とか?」
『シグナム、気をつけて!』
「シャマル?」
 シグナムが聞き返そうとすると、上空に巨大な魔力が出現した。
「まったく使えぬ部下どもよ」
 聞き覚えのある重低音。放たれる圧倒的な魔力。振り返るまでもない。真上に奴が現れた。
「死ね」
 死刑宣告と共に、雨のように大量の魔力の刃が降り注ぐ。
 シグナム、ザフィーラが咄嗟にバリアを展開する。しかし、昌浩を背負っていたヴィータの反応が遅れる。
(間に合わねぇ!)
 刃がヴィータの眼前に迫る。その時、ヴィータの体が真横に流れた。
 振り返ると、昌浩の体が宙に舞っていた。ヴィータを助けるために、昌浩が突き飛ばしたのだ。
「よかった」
 昌浩がにっこりと笑う。
 ヴィータが手を伸ばす。しかし、それより早く昌浩が魔力の刃に貫かれる。空中に赤い花が咲いたかのように、鮮血が散る。
「昌浩ー!」
 ヴィータの悲痛な叫びが、都の空に轟いた。

「昌浩! しっかりしろ」
 窮奇は一度の攻撃だけで去って行った。ヴィータは昌浩を抱き止めると、繰り返し呼びかける。意識を失ってしまったら、助かるものも助からない。
 魔力の刃は昌浩の腹を貫通していた。出血で昌浩の衣は真っ赤に染まっている。もしかしたら、内臓を傷つけたかもしれない。
「昌浩!」
 敵を片づけた紅蓮が、慌てて駆け寄る。しかし、昌浩の凄惨な傷を見て絶句する。
「シャマル。転送と傷の手当てを。早く!」
『やってるわよ!』
 苛立った様子でシグナムとシャマルが交信する。
 次の瞬間、昌浩の体は光に包まれて、姿を消した。
「おい、昌浩は大丈夫なんだろうな」
「安心しろ。シャマルは回復魔法のエキスパートだ。彼女に任せれば問題ない」
 取り乱す紅蓮をシグナムがなだめる。
「とにかく戻るぞ。今は昌浩殿の容体が心配だ」
 屋敷に戻ったシグナムたちを、疲れた様子のシャマルが出迎えた。その隣には六合もいる。
「一命は取りとめたわ。出血が激しいから、しばらくは絶対安静だけど、もう大丈夫。後遺症の心配もないわ」
「そうか。ありがとう。感謝する」
 もっくんの姿に戻った紅蓮がほっと胸をなでおろした。 
 六合はザフィーラから気絶している彰子を受け取ると、送り届けるべく彰子の屋敷へと向かった。
「昌浩君には今晴明さんが付き添ってる」
「様子を見てくる」
 もっくんが昌浩の部屋に向かうのを、ヴィータが足早に追いかける。
 部屋では、静かに眠る昌浩の横に晴明が座っていた。普段はなんのかんのと言っても、やはり孫のことが心配なのだろう。
 部屋に入ってきたもっくんとヴィータに、晴明はそっと人差し指を口に当てる。
 昌浩は青ざめた顔はしているが、呼吸は安定している。命の心配はないというシャマルの言葉をやっと鵜呑みにできた。
 ヴィータは昌浩を挟んで晴明の対面に座ると、そっと目を伏せた。
「爺さん、悪い。昌浩は私のせいで」
「気にすることはありません。昌浩はヴィータ殿を助けようとしただけ。むしろ、あの時助けようとせなんだら、この晴明、決して許しはしなかったでしょう」
「でも……」
「まあ、この晴明ならば、ヴィータ殿を助けて、自分も無傷で済ませたでしょうがな。まったく昌浩は未熟でいかん」
 晴明が大げさな身振りで嘆く。
「おいおい。怪我人に鞭打つなよ」
 もっくんが晴明をたしなめる。気のせいか、眠っている昌浩の眉間に皺が寄っている。
 晴明は、ヴィータを励まそうと思ったのだが、ヴィータは暗い顔のまま沈みこんでいる。
「ヴィータ殿」
「……似てるんだ」
「?」
 ぽつりと呟いたヴィータの言葉に、晴明は首を傾げる。
「昌浩はずっと誰かに似てると思ってた。でも、今晩ようやくそれがわかった。昌浩は、はやてに似てるんだ」
 はやてが誰かとは晴明ももっくんも尋ねなかった。
 はやては、ヴィータのわがままを笑って許してくれる。でも、注意すべき時は注意する。ヴィータを子供扱いするその仕草が、昌浩とかぶる。
 だが、それ以上にもっと本質が似ているのだ。
 両親のいないはやて。両足が不自由なはやて。決して幸福とは呼べない状況なのに、それでも日々明るく笑うはやて。
 自分ではなく、他の誰かが幸せなのを嬉しいと、心から笑えるはやて。
「わかんないよ! どうして自分以外の幸せで笑えるんだ! はやても昌浩も」
 窮奇の魔力に貫かれる瞬間まで、昌浩は笑っていた。自分が死ぬかもしれないのに、ヴィータが助かって嬉しいとその顔が物語っていた。
「……本当にわかりませんかな?」
 晴明が優しい口調で尋ねた。
「わかんないよ」
「では、もしあの状況が逆だったなら、どうします?」
 昌浩が絶体絶命なら、ヴィータはどうしたか。かばえば自分が傷つくとしたら。
「……助けた……と思う」
「はやて殿の命が危なかったら?」
「絶対助ける! 当たり前だ!」
「つまりそう言うことです」
 晴明が穏やかな手つきでヴィータの頭を撫でる。
 普段の晴明は人を食ったようなことしか言わないのに、こういう時は包み込むような優しさを見せる。もしおじいちゃんがいたら、こんな感じなのかもしれない。ヴィータの心が不思議と落ち着いていく。
「難しく考えることはありません。大切な人を助けたい。それは当然の行動なのです。ですが……」
 晴明は意味ありげに眠る昌浩を見つめる。
「昌浩が起きたら、ヴィータ殿には叱る役をお願いしたい。この孫は助けられた人がどんな気持ちになるか、まるでわかっていないようなので」
 真に人を助けようと思うなら、自分も死んではならないのだ。昌浩はヴィータを助けるのに必死で、自分の身を守ろうとしなかった。よかったなどと呟く暇があったら、攻撃を防ぐ努力をすべきだったのだ。
「お、おう。任せとけ!」
 ヴィータががぜん勢い込んで立ち上がる。
「お前ら。もう少し静かにしろ。怪我人の前だぞ」
 もっくんがピシリと尻尾を打ちつける。
 晴明とヴィータは顔を見合せて笑うと、この場をもっくんに任せて静かに退出して行った。

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最終更新:2012年06月07日 22:15