その日、機動六課ではフェイトの指示のもと、いつも通り訓練が行われていた。
 しかし、エリオとキャロは戸惑っていた。
 内容自体はいつもと変わりないのだが、どれもかなり軽減されている。いつもの訓練がフルマラソンなら、今日の訓練は学校のマラソン大会だ。
「フェイトさん。午前の訓練はこれで終わりですか?」
 エリオが質問した。
「うん。そうだよ。物足りない?」
「ええと……はい」
「もっと人数がいれば、それでもいいんだけど、今は四人しかいないから。何時でも出動できるよう備えておいて」
 ファイトが優しく答える。
 敵の数によっては長期戦も考えられる。疲れを残さず、かつコンディションを整えるとなれば、これくらいが適量だろう。
「待機も任務のうちだから。今のうちに覚えておいてね」
「はい」
 その日の機動六課は、穏やかな時間が流れていた。

 はやてたちが安倍家に到着した翌朝、六課の制服に着替えながら、はやては頭を悩ませる。はやてと守護騎士たちには、大部屋があてがわれていた。
「どないしたら、昌浩君、首を縦に振ってくれるやろ」
 ヴィータは家の中をぶらぶらしているし、シャマルは家事の手伝いに行っている。リインはまだ夢の中だ。
「これ以上待遇向上もできへんし」
「主はやて。無理強いしても逆効果では?」
 シグナムがやんわりと注意する。その横には、ザフィーラが座っている。
「せやかて他に手も……」
 はやては何気なくシグナムに視線をやり、にやりと笑った。
「その手があったか」
「あ、主?」
 視線はシグナムの胸に注がれている。嫌な予感がした。
 はやてがワイシャツの上二つのボタンを外す。豊かな胸元がシャツの隙間から覗く。
「色仕掛けや! 純情な中学生くらい、おと……、もとい、お姉さんの魅力でイチコロや!」
 はやてが勢い込んで立ちあがる。
「落ち着いて下さい!」
「ええんや。この際、出番が増えるんやったら、何でもやったる。私は本気やでー!」
 首筋に冷やりとした感触が触れた。
「すまん、はやて。もう一度言ってくれ。よく聞こえなかった」
いつの間にか戻ってきたヴィータが、ハンマー型デバイス、グラーフアイゼンを突き付けていた。目が完全に座っている。
「まあ、今のは軽いジョークとして……何かええ手はないかな~?」
 はやてはボタンをはめ直すと、いつも以上にきっちりと制服を着込んだ。

 安倍家の食卓は、昌浩の母親とはやて、十二神将たちが腕によりをかけたので、とても豪華な物だった。
 昌浩を加えた六課のメンバーで、にぎやかに食事をとる。
「朝からこんなに食べたら、太りそうね」
 昨日の夕飯に続いて、朝食もボリュームがある。顔を引きつらせるティアナの横で、スバルが三杯目のご飯をお代わりしていた。
 朝食が一段落したところで、はやてが口を開いた。
「調査の方やけど、まだ手がかりが少ない。しばらくはシャマルの広域探査に頼ることになると思う」
「任せて、はやてちゃん」
「後は地道に探すしかないけど、午前中はいつも通り訓練に当てようか。昌浩君に対魔導師戦も教えなあかんし」
「……別に必要ないんじゃないですか?」
 ティアナがぼそりと言った。
「ティアナ、どういう意味や?」
「この場いるメンバーだけで戦力は足りていると思います。昌浩君をわざわざ巻き込む必要はありません」
「おい、ティアナ。それを判断するのはお前じゃねぇ」
「まあ、待て」
 釘を刺すヴィータを、もっくんが押しとどめる。
「こういう時は、はっきり意見を言った方がいい。かくいう俺もずっとイライラしてたんだ」
 もっくんは語調をがらりと変え、ティアナに向き合う。
「お前、昨日からちょくちょく昌浩を睨んでるな。どういう了見だ?」
「ティアナが? まさか」
 ティアナと昌浩は間違いなく初対面だ。恨むような理由はないし、そもそもほとんど会話をしていない。だから、誰も気がつかなかった。
 この場でティアナの視線に気がついていたのは、もっくんだけだろう。
「ティアナ。言いたいことがあるなら、はっきり言え」
 ヴィータが強い口調で促す。人間関係の問題を放置すれば、今後の作戦行動に支障が出る。
「……私は昌浩君の実力を知りません。役に立つとは思えないんです」
「よっしゃ。実力がわかればええんやな。それなら模擬戦が一番や」
 はやてが膝を叩いて宣言した。

 展開された封鎖領域の中で、昌浩とティアナが向かい合う。
 封鎖領域とは、空間を切り取り異界となす魔法だ。この中ならば、どれだけ暴れても現実世界に影響を及ぼさない。かつてヴィータが、なのはを襲撃した際に使用した魔法だ。
 場所は安倍邸の庭にある森の中。手入れはしていないので、木々がうっそうと茂っている。
 他のメンバーは、大広間でシャマルの映す模擬戦の映像を眺めている。
「本当にやるの?」
 昌浩は赤い古めかしい赤い衣装に着替えている。安倍家の少年は戦う時はこの衣装に着替える風習があるのだ。
『ええい、そんな覇気のない様子でどうする! お前は舐められてるんだぞ。悔しいと思わんのか。遠慮はいらん。ぶっ倒せ!』
 もっくんが映像越しに地団太を踏んで憤る。
『ティアナはバリアジャケットを着てるから、威力を抑えてくれたら、怪我の心配はない。存分にやるといい』
 シグナムも一緒になって励ます。
『ティアナさんは模擬弾を使って下さいね。昌浩君、バリアジャケット着てないんですから』
 と、リイン。
「わかってます」
 ティアナは赤と黒を基調にした服に、白い上着を羽織っている。両手には二丁拳銃型デバイス、クロスミラージュが握られている。
『ルールは簡単。実戦形式で、どんな手を使っても、相手に先に一発当てた方が勝ちや。攻撃方法に制限はなし。ただし、もっくんは手を貸したらあかんで』
『ちっ』
『ほな、試合開始』
 はやての合図と共に試合が始まる。

 模擬戦を見守るはやてたち。そこに実家から戻ってきた、なのはがやってきた。
「封鎖領域なんて張って、どうしたの?」
「ティアナが昌浩にいちゃもんをつけてな。それでこれだ」
 空間に投影された映像を、ヴィータは顎で示す。
「ふーん。どっちが勝つと思う?」
「ティアナだろうな」
 ヴィータは迷わず言った。
 いくら昌浩でも初めての魔導師戦だ。上手くやれるわけがない。
 対して、ティアナは情報分析能力に優れている。手の内のわからない相手と戦うのは、彼女の得意分野だ。
「と、言うより、あれだけ鍛えてやったんだ。これくらい勝ってもらわないと困る」
「それもそうだね。ところでヴィータちゃん、ここお願いしていいかな?」
「用事でもあるのか?」
「うん。せっかくだから、決着をつけておきたいと思って」
 封鎖領域は広範囲に張られている。少しくらい本気で暴れても大丈夫だろう。
 なのはは杖型デバイス、レイジングハートを起動させ、白を基調としたバリアジャケットに着替える。
 なのはが振り向くと、身の丈ほどもある大鎌を持った青龍が立っていた。
 血みどろの決戦が避けられたわけではない。ただ翌日に持ち越されただけだ。
「それじゃ、行こうか。青龍さん」
 なのはと青龍が離れた場所に移動する。因縁の戦いの火ぶたが切って落とされた。

「臨める兵戦う者、皆陣列れて前に在り!」
 昌浩の放った術と、ティアナの銃撃が正面からぶつかり合う。
 ティアナは木陰に移動しながら、昌浩の様子を窺う。
 相手も物陰に移動しているが、こちらの動きを把握せずに隠れているだけだ。どうにも素人くさい。
(陰陽師。データがないのは、やりづらいわね)
 デバイスもなしで使える魔法。どの程度のことができるのか、どんな隠し玉があるかわからない。
 ティアナは木から木へと走りながら銃を撃つ。
「禁!」
 昌浩が指で地面に線を引く。発生した力場が弾を防ぐ。
(防御力はありそうね)
 持っている魔力がケタ違いなのだから、それも当然だ。反射神経も悪くない。
「裂破!」
 昌浩が投げた紙が空中で白銀の鳥になりティアナに飛びかかる。ティアナは冷静に銃でそれを撃ち落とす。
 散発的な攻撃を繰り返しながら、ティアナは段々相手の術の正体がつかめてきた。
 音声や手で組んだ印で発動する魔法。必ず呪文を唱える必要があるだけ、瞬発力ではこちらに劣る。
 はやてがあれだけ熱心にスカウトしていたから、どれだけ強いのかと思ったら、たいしたことはない。力任せなだけのアマチュアだ。
(一気にけりをつける)
 昌浩がティアナを探して、開けた場所に進み出てくる。
 その瞬間、昌浩を取り囲むように無数のティアナが出現した。
「幻術!?」
 昌浩が驚愕に目を見開く。
 無数のティアナが一斉に銃を構える。どれが本物か見分けようがない。
 ティアナは勝利を確信しながら、銃の引き金を引いた。
「万魔挟服!」
 弾が命中する寸前、昌浩の術が発動した。昌浩を中心に魔力の衝撃波が発生する。銃弾もティアナの幻霊もすべてがかき消される。
「そんな!」
 ティアナは愕然とその場に立ちつくした。衝撃波はティアナを飲み込む寸前に消滅したが、それは運が良かっただけだ。あと一歩踏み込んでいたら、間違いなくやられていた。
 昌浩がこちらを向く。
 ティアナは脱兎のごとく走りだした。安全な場所に逃げ込むと、座り込んで動悸を鎮める。
(何なのよ、あの術!)
 額から流れる冷や汗を拭い、ティアナは内心で毒づく。
 いくつもの魔力光を同時に操ったり、あるいは、高火力で複数の敵をなぎ払う魔法なら知っている。しかし、今の術はまったく違う。
 自分を中心に、あらゆる敵をなぎ払う魔力の衝撃波を放つ。有効範囲は半径十メートル。手加減しているはずなのに、ティアナの銃撃を相殺した。
 全力で撃てば、どれだけの威力で、どれだけの範囲を誇るのか。
 あれを破るには、ディバインバスターのような、高威力の攻撃で一点突破を図るしかない。
 そんな魔法は今のティアナにはない。
(むかつく)
 ティアナは奥歯を噛みしめた。
 昌浩はすべてを持っていた。
 類まれな才能。優しい家族。隊長たちからも一目置かれている。
 ティアナはそのどれも持っていない。昌浩を目の前にしていると、自分がたまらなく惨めになってくる。
 実は、それはティアナの思い込みだ。天涯孤独ではあっても、才能を持っているし、隊長たちも認めている。しかし、それを実感できていないだけなのだ。
(絶対に負けない)
 新しい作戦を構築しながら、ティアナは動き出した。

「ティア、大丈夫かな」
 スバルが心配そうに相棒を見つめる。どうもティアナの様子がおかしい。変に思い詰めた表情をしているのだ。
「大丈夫ですよ。模擬戦なんだから、怪我の心配はありません」
 リインがスバルを励ます。しかし、ピントがずれていた。
「それより……」
 リインが後ろを振り向く。
「エクセリオンバスター!」
「剛砕破!」
 桜色の魔力砲が大地を焼き、青い光弾が空に無数の花火を打ち上げる。立て続けに起こる爆音が、大気を震わせる。
 なのはと青龍の激闘が続いていた。
「私、思ったんですけど」
 リインにつられて背後を振りかえったスバルが、遠い目をした。
「能力限定解除した隊長たち三人がいれば、小さな世界の一つや二つ、簡単に滅ぼせますよね?」
 リインはそれには答えなかった。

 昌浩は早鐘を打つ鼓動を鎮めるべく、深呼吸を繰り返していた。
(危なかった)
 幻術に囲まれた時は、もう駄目だと思った。呪文の詠唱がぎりぎり間に合ったが、一瞬早く撃たれていたら、やられていた。
 それにあの術は、放った後に隙ができる。ティアナが距離を取ってくれたから助かったが、あの時撃たれていてもやられていた。
 あの攻防で昌浩は二回死んでいた。
 相手は強い。しかし、昌浩は段々戦いのコツがつかめてきていた。
 ようするに、これはシューティングゲームだ。相手より早く目標を見つけ、先に撃った方が勝ち。
 素早く木陰を移動しながら、ティアナの姿を探す。
 やがて大きな岩の陰にティアナを見つけた。さっきまで昌浩がいた辺りに顔を向けている。昌浩は慎重にティアナの背後に回り込んだ。
「オンアビラ……」
 昌浩が小声で詠唱する。その時、背筋に悪寒が走った。
「やっぱりアマチュアね」
 声は背後から聞こえた。
 振り向くと、銃を構えたティアナが立っていた。
 銃声が森に響き渡った。

 ティアナは勝利を確信していた。
 幻術に惑わされ、昌浩は完全に不意を突かれた。呪文の詠唱中では、防御も間に合うまい。
 模擬弾が命中し、土煙を舞い上げる。
「!」
 煙を突き破って、魔力光がティアナに飛来する。
 軽く突き飛ばされるような衝撃。しかし、予期していなかったティアナは、無様に尻もちをついた。
(どうして!? 絶対に勝ったはずなのに)
 ティアナは混乱する。
 やがて煙が晴れ、昌浩の姿が現れる。
 その隣に二十歳くらいの男が立っていた。十二神将、太(たい)裳(じょう)。中国の古い文官風の衣装をまとい、片目の下に銀の飾りをつけている。
 通信画面が開き、はやてが顔を出す。
『勝負あり。昌浩君の勝ち』
「待って下さい。反則じゃないですか!」
 ティアナは猛烈な勢いで、はやてに抗議した。
 ティアナの一撃は、あの十二神将の結界によって防がれたのだ。それさえなければ、ティアナは勝っていた。
『最初に言ったやろ? 勝負は実戦形式で、どんな手を使ってもいい。ただし、もっくんの加勢はなし』
 つまり、もっくん以外なら誰の手を借りてもよかったのだ。
「そんな……」
「えっと……」
 呆然とするティアナと、決まり悪げな昌浩。
 昌浩は最初から、はやての意図を呼んでいた。昌浩は普段タヌキ爺の晴明にいじられているので、引っかけ問題に強い。できれば、自分一人の力で勝ちたかったのだが、無理と判断し十二神将、太裳の力を借りたのだ。
「納得できません!」
 ティアナはそれだけ言うと、荒い足取りで去って行った。

「あちゃー。失敗やったか」
 はやては頭を抱えた。
 はやてが昌浩を買っているのは、強いからだけではない。昌浩は自分に出来ないと判断したら、躊躇なく他人の手を借りられる。
 何でも一人でやろうとするティアナに、その柔軟さを学んで欲しかったのだが、結果は大失敗だ。
 昌浩とティアナの仲はますますこじれ、思いも伝わらなかった。
「ティアナは真面目だからな。こんな方法じゃ、怒って当然だ」
出来れば事前に相談して欲しかったと、ヴィータは不満顔になる。
「私、ちょっと様子見てきます」
 スバルがティアナの元に走っていく。
 入れ違いになのはが帰ってきた。青龍の姿はない。
「青龍さんは? まさか、なのはちゃん……」
 シャマルの脳裏に、閃光の中に消える青龍の姿が浮かぶ。
「そんなことしないって。結局、引き分けでね。怒って帰っちゃった。模擬戦の結果はどうだったの?」
 はやての説明を聞き、なのはも手で顔を覆う。
「それはまずいね。フォローしたいけど、余計なことはしない方がいいかも」
 昌浩とティアナを同じ班にするのは避けた方がよさそうだ。後は時間が解決してくれるのを待つしかない。

「ティアナさん、待って下さい!」
「ティアナ殿、お待ち下さい!」
「落ち着いてよ、ティア!」
 昌浩と太裳がティアナを追いかけ、頭を下げる。しかし、ティアナは聞く耳を持たない。スバルがどうにか間を取り持とうとするが、効果はない。
 ティアナには、はやてが昌浩をえこひいきしたようにしか感じられなかった。怒りがどうにも収まらない。
「本当にごめんなさい! ティアナさんがそこまで怒るなんて思わなかったんです」
 何度も何度も昌浩が必死に謝罪する。
「……はあ」
 ティアナはため息をついた。
 これでは年下の少年を苛めているようようだ。模擬戦の結果には納得していないが、昌浩にあたるのは大人げなかったかもしれない。
「そこまで謝らなくていい」
 ティアナは立ち止まると、右手を差し出す。
「私もカッとなって悪かったわ。はい、仲直りの握手」
「ありがとうございます!」
 心からほっとした様子の昌浩に、ティアナも和む。
「それにしても、あんたの術、すごかったわね」
「ティアナさんこそ。幻術には冷や冷やしました」
 昌浩も右手を伸ばす。ティアナはふと疑問に感じた。
「そう言えば、あんたの術……万魔挟服だっけ。あれって味方が近くにいたら、使えないわよね。そういう時はどうするの?」
「それなら大丈夫。あれ、敵味方識別できますから」
 つまり味方の中心で使っても、敵だけ殲滅できるのだ。
 ティアナの手が、昌浩の手をすり抜け、その首をつかむ。
「ふざけんな! このチート野郎!!」
 渾身の力を込めて、昌浩の首を絞め、さらに前後に激しく揺さぶる。
「何、あんた、サ○バスターなの? サ○フラッシュとか叫ぶの!?」
「ティ、ティアが壊れた!」
 スバルと太裳が必死に抑えるが、ティアナの狂乱は止まらない。それは、駆けつけたなのはたちが、ティアナを気絶させるまで続いた。

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最終更新:2012年06月21日 21:59