「では、主はやて、先に風呂に行ってきます」
「うん。私も通信が終わったら行くから」
 はやてがシグナムたちが出て行くのを見届ける。昌浩の家の風呂は広く、五人くらいなら余裕で同時に入れる。
ザフィーラは昌浩の部屋でもっくんと語り合っている。部屋には、はやて一人きりだ。
 フェイトに空間を超えた通信を送る。通信画面が開き、フェイトが顔を出す。
「フェイトちゃんか。そっちの様子はどうや?」
『ガジェットが少し出ただけ。みんなが頑張ってくれたおかげで、すぐに片づいた』
「それは何より。こっちはティアナと昌浩君が喧嘩してしまって、てんやわんやや」
『そうなんだ。あ、でも、早く帰ってこないと、書類がどんどん溜まっていくよ』
「え~? フェイトちゃん処理しといて」
『駄目だよ。部隊長の承認が必要な書類なんだから』
「ハンコなら、私の机の引き出しに入っとるから、私の代わりに、な?」
『ダーメ。そんな不正はいけません』
「フェイトちゃんの意地悪」
『ふふっ。はやて、なんだか学生時代みたい』
 宿題を忘れた時、よくこうやって泣きついたものだ。
「学生か。四年前まで学生やったのが、嘘みたいやね」
『今じゃ機動六課の隊長だもんね』
 時空監理局に入ったはやてたちを待っていたのは、天才魔道師としての重圧だった。 特に過去に犯罪に加担したはやてとフェイトには、様々な陰口がついて回った。
 かけられる期待に、押し寄せる課題。必死に課題を解決すれば、より困難な課題がやってくる。あっという間に出世し、気がつけば、天才の名にふさわしい功績を、はやてたちは上げてしまっていた。
 他者がうらやむ才能が、普通の生活を、はやてたちから奪ってしまった。
「……もし私らが普通に高校や大学に行ってたら、どうなってたかな?」
 大学に行って講義を受けて、テストやレポートに追われ、時折、入ってくる時空管理局の仕事を片づける、そんな穏やかな日々。
「そしたら、私ら、もう彼氏とか出来とったかも」
『そんなことになったら、シグナムたち大騒ぎだよ』
「ほんまやな」
 血相を変えて反対する守護騎士たちの姿が目に浮かぶ。もしその男が、はやてを泣かせようものなら、即座に血祭りにあげられるだろう。
 はやてもフェイトも時空管理局に入ったことは後悔していない。もしもう一度やり直せるとしても、同じ道を選んだだろう。
 しかし、砂漠の旅人を惑わす蜃気楼のように、選ばなかった道が時折ちらつくのだ。
 はやての顔から笑みが消える。
「フェイトちゃん。ちょっと弱音吐いてもいいかな?」
『うん』
「……私、毎日、スバルたち四人が死ぬ夢を見るんよ」
『……私もだよ。なのはもきっと同じ。ううん。多分なのはが一番つらい』
 新人の教育担当は、なのはだからだ。
「ごめんな。私が失敗したせいで」
『誰のせいでもないよ。はやてのせいでも、昌浩君のせいでも』
 機動六課。レリック捜索は表向きで、真実は来るべき災厄の日に備える為の部隊。スカリエッティこそが、その災厄をもたらす者だと、はやては睨んでいる。
 しかし、機動六課の運営は、昌浩と十二神将の参加が大前提だったのだ。
 守護騎士たちは、はやての保有戦力ということで、簡単に同じ部隊に組み込めた。つまり、昌浩が入れば、十二神将も一緒に六課に組み込めるということだ。
 昌浩が六課に入れば十二神将を好きに使っていいと、晴明との約束はすでに取りつけてあった。
 戦いにおいて、もっとも重要なことは生き残ることだ。しかし、生死の境界線の見極めは、訓練だけでは身につかない。経験がものを言う。
 現に、スバルとティアナが訓練で無茶な戦い方をした。訓練だからよかったが、もし実戦でやっていたら、敵を道連れに二人とも死んでいただろう。
 報告を聞いた時、はやては心臓を氷の手でわしづかみにされたような恐怖を感じた。なのはのお仕置きが適切だったとは、はやても思えないのだが、気持ちは痛いほどわかる。
 あの時、なのはの目には、血まみれで横たわる二人の姿が見えていたのだろう。
 その点、昌浩は、幼少より晴明に厳しく鍛えられ、妖怪相手にそれなりに実戦経験を積んでいる。ある程度の訓練で戦力として使えるだろう。
 そして、十二神将は、千年以上の時を生き続ける歴戦の勇士だ。簡単なレクチャーだけで、完璧に任務をこなしてくれるだろう。
 はやての最初の案では、現在の隊長たちと昌浩と十二神将の数名でチームを組む予定だった。
 そして、スバルたち四人は補欠として、裏方仕事をしながら、ゆっくり訓練と調整を繰り返し、時期を見て作戦に参加させる。
 特異な生い立ちと能力ゆえ、戦う道具としか見られていなかったエリオとキャロには、裏方の仕事を教えることで、戦い以外の選択肢を与えてやりたかった。
 はやては昌浩を追いかけまわしていた日々を思い出す。表面的にはおどけた様子でも、はやては内心ではすがるような、祈るような思いで、昌浩を勧誘していたのだ。

『なあ、昌浩君。今度新しい部隊ができるんやけど、よかったら入らへん?』
(お願いや……)
『給料はずむで』
(後生やから……)
『いやー。昌浩君は商売上手やな』
(頼む……)
『よっしゃ、全員分の最新型デバイスでどや!』
(うんって言って……)
『隊長の地位もつけるで!』
(私のせいで誰かが死ぬとこ、見たくないねん!!)

 しかし、幼い昌浩は隠された意図を汲むことができず、はやての必死さは裏目に出た。
 絶対に間違えてはならない一手目を、はやては間違えたのだ。
 結果、新人たちに課せられたのは、限界ぎりぎりの過酷な訓練。時期尚早な実戦投入。綱渡りのような部隊運用。上手くいっているのは、各人の努力と才能、運の賜物だ。
 エリオとキャロに戦い以外の選択肢を与えるどころか、より洗練された戦いの道具へと育て上げるしかなかった。
 そして、これから起きるかもしれない大きな戦いに、否応なくスバルたちを巻き込もうとしている。
 もちろん、昌浩なら絶対に死なないという保証はない。単にリスクが少ないだけだ。
 リスクが少ない方法を取るのは、隊長としては当然だろう。しかし、はやての心の奥底にあったのは打算だった。
 四人より一人の方が、心の痛みが少なくて済む。そんな気持ちでいたから、昌浩の心を動かせなかった。もし昌浩一人の心を動かすこともできないようなら、十二神将を扱う資格はない。晴明との約束は試練でもあったのだ。
 はやてはそれに合格できなかった。
「…………最低やな、私」
 はやてが静かに嗚咽を漏らす。
 今からでも遅くはない。昌浩が参加してくれれば、前線部隊の負担をかなり軽くすることができるのに、それにも失敗しようとしている。
 フェイトは黙って聞いていてくれた。
 やがて、にぎやかな足音が近づいてきた。シグナムたちが風呂から帰ってきたのだろう。
 はやては涙を拭い、赤くなった目を見られないよう目を細めて笑顔を作る。
 扉が開いて、寝間着に着替えたシグナムたちが入ってくる。
「やだもー。フェイトちゃんたら、冗談きついで。ほな、またな」
「主はやて。随分長く会話していたのですね」
「いやー。話がはずんで。どれ、私も風呂入ろ」
 はやてはいそいそと風呂場に向かう。
 この苦しみはシグナムたちには言えない。この仕事を続ける限り、決して終わることのない苦しみだからだ。
 おそらくシグナムたちも、はやての心情は察している。だが、言葉にすれば、それは重しとなって、シグナムたちから笑顔を奪ってしまうだろう。
「じゃ、行ってきまーす」
 皆の笑顔のため、涙を隠して、今日も八神はやては笑うのだ。

 山の中に不思議な施設があった。
 巧妙にカモフラージュされた施設は、明らかにこの世界の技術体系と違うものだった。
 稀代の広域次元犯罪者、ジェイル・スカリエッティの研究所だ。ただし規模は小さい方で、重要な設備もない。ここはダミーの意味合いが強い施設だった。
 六課が検出したレリックとエネルギーの反応は、ここから漏れたものだ。
「面白い」
 モニターを見ながら、スカリエッティは笑みを浮かべる。
 白衣を着た端正な顔立ちの男だが、どこか邪悪さがにじむ。
 スカリエッティがここを訪れたのは偶然だった。長らく放置していた施設に、問題がないか確認しに来ただけ。
「まさか辺境世界で、こんな逸材に会えるとは」
 モニターには、今朝の模擬戦の様子が映されている。ティアナと戦う昌浩と、なのはと戦う青龍。
 今まで見たこともないタイプの魔法を使う魔導師たち。
「ぜひ研究したい」
『音声を拾いましたが、オミョージと言うそうです』
 彼の秘書を務める戦闘機人ウーノが、通信画面越しに報告する。
「オミョージ? 変わった名だな」
『この世界のデータベースにアクセスすれば、すぐに詳細がわかりますが?』
「まあ、名前などどうでもいい。データ採取も直接やればいいだけの話だ。これより計画を変更し、ナンバーズはオミョージの調査に当てる」
『今は手薄になったミッドチルダを優先すべきでは?』
「そう言うな。こういう一見関係なさそうな研究が、目的達成の早道になることもある」
『わかりました』
 ウーノが予想した通りの答えが返ってくる。スカリエッティは一度言い出したら聞かないタイプだ。
『では、レリック捜索はガジェット部隊に任せ、ナンバーズを招集します』
 研究所のカモフラージュの強化に、戦力の増強。やることが一気に山積みになった。
「都合のいいことに聖王の器も一緒だ。そのうち、奪取させてもらおう。では、これよりオミョージ計画の準備を始める!」
 スカリエッティは堂々と宣言した。
 この数日後、オミョージではなく、陰陽師であるという事実が発覚する。その時、その場にいたナンバーズたちが一斉に噴き出した。
 スカリエッティの生涯で、最も恥ずかしい瞬間だった。

「いけね。ネクタイ、忘れた」
 はやてが入浴を終え、電気を消そうとした矢先、ヴィータが慌てたように言った。
「明日でもいいんじゃない?」
「いいよ。すぐだから」
 ヴィータは部屋を出た。
 安倍邸の広い廊下を歩きながら、ヴィータは沈んだ顔をしていた。昌浩と一緒にいることで、複雑な感情を抱いていた。
 嬉しいと思う反面、酷く辛い。まるで心が二つに引き裂かれそうだった。
 千年以上前の戦いで、ヴィータは昌浩に惹かれていた。あの日々の記憶は、宝石のようにヴィータの中で輝いている。
 しかし、それはあくまで昌浩の祖先だ。あの日々を、今の昌浩は知らない。
 出会ったばかりの頃は、昌浩の生まれ変わりだと素直に信じられた。しかし、成長するにつれ、実はただ似ているだけではないかという疑問が頭をもたげてくる。
 今の昌浩が笑顔で話しかけてくるたび、あの日々の輝きが鋭利な刃物のようにヴィータの心を抉るのだ。
「私はどうしたらいいんだろう」
 考え事をしている間に風呂場に辿り着く。
 扉を開けると、下着姿の昌浩が立っていた。
「「うわああああああ!!」」
 二人の悲鳴が響き渡る。
「なんで、そんな恰好してるんだ!」
「もう上がったんじゃなかったの!?」
 どちらも赤い顔で怒鳴る。
「忘れ物をしたんだよ」
「忘れ物? もしかしてこれ?」
 昌浩が置きっぱなしになっていたネクタイを拾い上げる。
「ああ、それ……」
 ヴィータの声が不自然に止まる。
 ヴィータはのしのしと昌浩に近づくと、体を両手でつかんだ。
「ヴィ、ヴィータちゃん?」
「お前、この傷」
 昌浩の脇腹のあたりに、巨大な刃物で貫かれたような傷があった。うっすらと肉が盛り上がっているだけで、ほとんど目立たない。ヴィータが気づいたのも偶然だ。
「ああ、これ? 最近自然に浮かび上がってきたんだ。怪我なんてしてないのに、不思議でしょ?」
 もっくんに心当たりがないか聞いてみたが、懐かしそうにするだけで答えてくれない。
 それは先代の昌浩が、ヴィータをかばって受けた傷痕だった。
「ヴィータちゃんは心当たりない?」
「ヴィータだ」
「えっ?」
「ちゃんはいらねぇ。昌浩は、ヴィータって呼ぶんだ」
 昌浩を見上げるヴィータの顔が、泣きそうに歪んでいる。それなのに、とても嬉しそうだった。
「それって、どういう……」
 今度は昌浩が不自然に言葉を切る。昌浩は入口の扉を見つめていた。
 ヴィータが振り向くと、口に手を当てて笑っているシャマルの姿があった。悲鳴が聞こえたので、念の為、様子を見に来たのだ。
「アイゼン!」
「ちょっと待って! やり過ぎだよ、ヴィータ」
 グラーフアイゼンを構えるヴィータを、昌浩が後ろから羽交い絞めにする。
「お前は奴の怖さを知らねぇんだ! 離せ、手遅れになる前に」
 昌浩たちが揉めているうちに、シャマルは部屋に引き返す。
「待て!」
「そんなに焦らなくても……」
 昌浩はすぐに服を着ると、ヴィータと共に後を追った。
「心配のし過ぎだと思うよ。いくらシャマルさんだって、そこまで悪質なことは……」
「それでね、それでね、下着姿の昌浩君にヴィータちゃんが迫って行ったの」
「おー! 大胆やなあ」
 はしゃぐシャマルとはやての声がする。
「しかも、その後、ヴィータちゃんを昌浩君が後ろから抱き締めたのよ」
「なんや、私がやらんでも、ヴィータがやってくれたんか。それならそうと早く言ってくれたらええのに」
 昌浩とヴィータの顔が、怒りを通り越して無表情になる。
「シャマルがどういう奴がわかっただろ?」
「うん。よくわかった」
 昌浩たちは部屋に入ると、両側からシャマルの腕をつかむ。シャマルの顔から、血の気が引いていく。しかし、はやては、にこにこと笑顔を崩さない。
「あの、はやてちゃん? 助けてくれると嬉しいんだけど……」
「自分の発言には責任持たなあかんよ、シャマル」
 はやてがこんな時だけ真面目な表情をする。
「いーやー!」
 廊下の奥にシャマルの姿が消えていく。やがて悲鳴が聞こえた。

 別の部屋に移動した昌浩とヴィータは並んで座る。時刻は夜の十一時を回っている。
「昌浩、お前に聞いて欲しい話があるんだ」
「うん」
 ヴィータは先代の昌浩と一緒に過ごした日々のことを、大切に、大切に話し始めた。
 昌浩が初めて聞く話なのに、ひどく懐かしい。自分が先祖の生まれ変わりという話も、真実だと素直に信じられた。
 二人の話題は尽きることなく、静かに時間が過ぎていく。
 隣の部屋では、ずたぼろになったシャマルが無残に打ち捨てられていた。

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最終更新:2012年06月21日 22:20